躁鬱病の薬に切り替えてから、本当に調子が良くなった。
今まではなんだったのか、6年間の寝込みがちの体調はなんだったのか、と思うほど、めっちゃ動けている。なんならアクティブになってる。今なら反復横跳びもできるぜ、へいって感じで、私は生きている。
調子が良くなったら、同時に社会から切り離されている自分の状況はめっちゃ怖くなってしまい、平日の昼間が辛くなってしまった。
このままではよくないとよく思うようになっている。
平日の昼間に、自分の何にもなさを突きつけられている気持ちになって、私はめっちゃ怯える。このままではいけないと思うが、それまで6年間、寝込みがちだったのだ。突如動けるようになっただけで、まだ動き始めて、調子が良くなり始めて2ヶ月も経っていないことを私はちゃんと思ってないといけない。
そうじゃないと私はすぐに自分を「無能」だとか「カス」だとか「ちゃんとしていない人」だと思考が傾くのを止められなくなってしまう。
そうじゃないのだ、6年も寝込みがちだったのが、やっと良くなって喜ぶべきなのに、気持ちはそうじゃなく、急に現実を突きつけられたような気になって、あなたは何にもない33歳だよと言われているような気になって、それでかなり辛くなってしまっているのだ。
最近、就労支援施設によく通っている。
二週か三週に行き、カウンセリングを受けている。
私は最近の調子はこうですとか話す。
カウンセラーさんからは「良くなってきたら、就労移行施設に行くことも考えましょうか」と言われている。
働くとなったら、多分だけども、障害者枠で私は働くかもしれない。
ADHDのこともあるし、躁鬱のこともあるし、この体調のこともあるから、そっちの方がいいと私は思う。
だからその準備を今後はやっていくことになるんだと思う。
働く。
一度はぽっきり折れてしまったことをもう一度やらなきゃいけない。
そりゃ働くのは嫌です。嫌な目に散々あったからこうなったわけだし。
でも、働かなきゃなとめっちゃ思う。
平日の昼間にめっちゃ思う。このままだとあかんなーと思う。
手持ち無沙汰な状況が嫌になっている。
それにやっぱり社会と繋がっていない現状がとても怖いと思うし。
私が書いている小説もどんどん社会性が無くなっていってる気がするし。
社会性のない小説を誰が読みたいんだろうと思う。
いや、喋るねこなんて社会性無いじゃないって思うかもですが、違うんです、根本の社会性というんでしょうか、その作者が持っている社会性というのが作品には反映されるような気がするのです。
そういう意味ではこのままだとどんどん乖離してしまうんじゃないかって怯えている。
だからそういう意味でも働かなきゃって思うし「就労移行、頑張ります」ってちゃんと伝えている。
私はちゃんと働きたい。働きたくないけども、このままは最悪だから、これ以上最悪にならないために働きたいって思う。
やっぱ、なんにもないってのが想像以上にきつくて、参りそう。
なんにもないって耐えれないんだと思う。
6年、寝込んでて、やっと回復した途端に、自分にはなんにもないことに気がついてしまった私はとにかく働きたいと、願っている。