にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

両目洞窟人間のおすすめ自作短編集。

どうも、みなさまこんにちは、両目洞窟人間です。

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↑両目洞窟人間近影。

 

私は短編小説を時折書いておりまして、時折このブログ「にゃんこのいけにえ」にアップしています。しかし、ブログの性質上、どんどん潜ってしまいせっかく書いたのに埋もれてしまってやきもき。

というわけで今まで書いたやつでおすすめなやつをこのページにまとめておこうと思います。

いわゆるおすすめ自作短編集ってやつです。

ではいきましょう。

 

 

短編小説『世界を燃やしてほしかった』 - にゃんこのいけにえ

『世界を燃やして欲しかった』

あるどこにでもいる夫婦。でも二人には敗れた夢があって…。

あるバンドのある曲にオマージュを捧げた作品です。(小説の最後にyoutubeのリンクを乗っけているのがネタバラシ部分)

だいぶ初期に書いた作品ですが、未だに評判が良いです。

 

短編小説『The victim』 - にゃんこのいけにえ

『The victim』

奇病かつ難病にかかってしまった女性の話。生きづらさが最大限に高まっていた時に書いた短編小説です。

 

短編小説「岸田くんの小指を潰したい」 - にゃんこのいけにえ

『岸田くんの小指を潰したい』

こんなタイトルですが恋愛小説です。恋人の小指を潰したい女の子の話です。私自身恋愛というものがあんまりわかっておらず、愛ってなんだろうな…ってのを突き詰めた結果、小指を潰すという話になりました。こんなあらすじですがいい話です。

 

短編小説『ダンボール箱のさとこさん』 - にゃんこのいけにえ

ダンボール箱のさとこさん』

突然ダンボールをかぶって出社してきたさとこさんとそれを見守る若手社員の話です。これも生きづらいって気持ちの時に書きました。ダンボール箱をかぶったさとこさんのビジュアルが評判で結構この作品が好きって言ってくださる人も多いです。これもなんだかんだでいい話です。

 

短編小説『あの子は象牙の橋から飛び降りた』 - にゃんこのいけにえ

『あの子は象牙の橋から飛び降りた』

象牙の橋がある街に住む不登校の女の子の話です。後輩曰く、これが一番好きだそうです。雰囲気がね、よいですね、これは。僕も好きです。これもいい話ですね。

 

短編小説『2147年のスーベニア』 - にゃんこのいけにえ

『2147年のスーベニア』

荒廃した未来で、旧奈良に旅行に行くカップルの話です。これが一番好きっていう人も多いです。のんびりディストピアSFもしくはディストピア日常系。これも雰囲気が、よいですね。僕も大好きです。

 

短編小説『未来人、ニュータウンへ』 - にゃんこのいけにえ

『未来人、ニュータウンへ』

彼女に別れを切り出そうとしたら、彼女が実は未来人だったというお話です。これが一番好きという声もよく聞きます。こんな出だしですが、めちゃめちゃよい話です。「こんな話を無料で読めて申し訳ない」という感想をいただきました。なんて恐れ多い。手っ取り早く素敵な話が読みたい方はこれがおすすめです。

 

短編小説『笑いながら、へんな歌って言った。』 - にゃんこのいけにえ

『笑いながら、へんな歌って言った』

ナンバーガールを軸に、後輩男子と先輩女子との恋とも愛ともつかない関係性の話です。不器用な人に刺さる話みたいです。これも評判がいいです。『iggy pop funclub』を聴きながら読むともっとよいです。

 

短編小説『マッドサイエンティストになれなかった』 - にゃんこのいけにえ

マッドサイエンティストになれなかった』

学校に馴染めない女の子がマッドサイエンティストになろうと夢見る話です。個人的には思い入れが物凄くある小説ですが、同時にとてもバランスが悪いのも事実。とはいえ、これも刺さる人には刺さるみたいです。個人的な生きづらさシリーズの中で一旦の頂点を迎えた小説です。

 

短編小説『ランプ・妖精・ミルクフランス』 - にゃんこのいけにえ

『ランプ・妖精・ミルクフランス』

突然、妖精さんが見えるようになった女性が、妖精さんに導かれるままに神戸に行く話です。

一皮向けた!と言われるようになった作品です。これが好きって人も多いです。はっきりとした希望が描かれているので、初めて読むならこれがおすすめです。

 

短編小説『アイム(ノット)ミー』 - にゃんこのいけにえ

『アイム(ノット)ミー』

私という一人称に悩む女性の話です。これはめちゃくちゃ評判がいいです。"名文"という評価もいただきました。これを書いたあと、しばらく抜け殻になってしまったほど、自分の中でも初めて「書けた!」と思えた作品です。

これも素直におすすめしたい作品です。

 

短編小説『私じゃ、魔女になれない』 - にゃんこのいけにえ

『私じゃ魔女になれない』

外回り中の女性が魔法のステッキをたまたま拾ってしまったらゴスロリ魔法少女コスチュームが脱げなくなってしまったという話です。

賛否両論を呼んだ話です。個人的にはめっちゃ大好きなのですが、これはおすすめしづらい。

ただ、このグルーヴ感、後半のグロ展開は大好きなのです。多分、好きな人は好きなはず。

 

短編小説『そして赤ちゃんポストモダンは歌い始める』 - にゃんこのいけにえ

『ハローワールド!!!』

壊れたキティちゃんのポップコーンマシーンみたいな歌声を持つ女の子が音楽に出会う話です。キラキラした青春ものです。個人的にめちゃくちゃお気に入りな話です。キラキラ青春ものなので、キラキラしたいなーって時に読んでいただけると幸いです。

 

どてらねこのまち子さん『Also sprach Zarathustra』 - にゃんこのいけにえ

どてらねこのまち子さん『Also sprach Zarathustra』

私が書いているどてらねこのまち子さんというシリーズの一作。基本的にはどてらを着たねこのまち子さんがあちこち行くという話ですが、この『Also sprach Zarathustra』はまち子さんシリーズの中でも一番評判がよいです。

内容はまち子さんがドトール哲学書を読んでいると……という話。多分、思いもよらぬ展開になります。

基本的に1話完結ですので、これから読んで大丈夫です。

 

 

以上の作品がおすすめ作品になります。

何か気になったタイトル、あらすじ、気の迷いがあれば、読んでいただけたら幸いです。

両目洞窟人間30歳、好きな仮装をする。

例えばの話〜(嵐の"言葉よりも大切なもの"の櫻井くんのラップより)

 

どうも、両目洞窟人間です。

皆様、11月になりましたね。時の過ぎゆくスピードについていけない間に、夜風の風速に身も心も冷え切ってる今日この頃です。

そういえば10月末はハロウィンでした。日本でもハロウィンが定着してきましたね。今年はコロナウィルスの影響であんまり街で騒がなかったみたいですけども、まあ元々私は街で騒ぐハロウィンはやったことないのでどちらにしてもそちらのハロウィンはメディア経由で見たことしかないです。

 

私もハロウィン前はそわそわはしてしまいます。それは地味ハロウィンがやってくるからです。

地味ハロウィンはデイリーポータルZが主催していて本家ハロウィンではやらないような地味な仮装をするイベント……なんて説明もいらないほどに、こちらも定着しつつあるイベントになってきました。

私もネットで初めて地味ハロウィンの存在を知った時は「こんな仮装ありなんだ!」と興奮しました。なんといっても、スターバックスの店員ってだけでも許される場があるってことに感動してしまって、なんとしても参加したい!って思ったりしました。

2016年には東京転勤もあり、現地での参加が叶い友人達と参加しました。

その時は「熱あるのにバイトに出たやつ」ってので参加しました。楽しかったです。

 

それから地味ハロウィンの季節が来るたびにそわそわしていました。今年はこんなのやろうかなあれやろうかなと考えるのも楽しいものでした。

でも、その一方で「これは受けるかな、これやったら受けるかな」と考え始めてる自分もいました。

受けることを考えるのは全然悪いことじゃありません。むしろ受けることを考えるのは良いことです。

でも、その思いが強くなりすぎて、ふと最初の店員さんのモノマネを見て、俺も店員のモノマネがしたい!と緑色のエプロンを買った時のような興奮を忘れていた気がしたのです。

地味ハロウィンも細かいあるあるを追求する流れになる中、それを追い求めていく中で自分の初期衝動を見失っていました。

 

去年、実家に帰ってきて、もう本家のイベントに参加はできないとなった今、一番最初の初期衝動に戻るべきではないか、いまこそ初期衝動で仮装をするべきではないか!

 

 

というわけでやりたい仮装をやることにしました。

 

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ミッフィーちゃんです。

 

私はミッフィーちゃんが大好きなので、好きなミッフィーちゃんの仮装をしたかったのです。

そして好きなミッフィーちゃんをやるので原作の再現をすることにしました。

 

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ダンスするミッフィーちゃん。

 

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そして私が好きな話でもある自転車に乗るミッフィーちゃん。

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その再現をするために、弟の自転車を借りてやってみました。こちらです。

 

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だんだん楽しくなってきたので、原作にはないミッフィーちゃんの写真も撮っていきました。

 

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ストリートのミッフィーちゃんです。

 

 

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水道工事をするミッフィーちゃん。

 

 

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ミッフィーちゃんを母星に帰すために頑張るミッフィーちゃん。

 

 

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タバコのことを"ヤニ"と呼ぶミッフィーちゃん。

 

 

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人を殺す暗示かける殺人鬼役で黒沢清の『CURE』に出演した時のミッフィーちゃん。

 

 

 

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というわけで楽しく仮装をして、写真を撮りました。

写真を撮ってくれた弟は「なんでこんなことを……」とずっと呆れていましたが、私はとても楽しかったです。

このミッフィーちゃんの仮装をするために、ミッフィーちゃんっぽい服を探して歩いて1時間かけてセカンドストリートに行ってみたり、プラスチック板を買ったり、かつてのバイト先のコンビニでミッフィーちゃんの画像を拡大コピーしたり、お面を作る過程で昔やった紙人形を作るバイトの経験が役立ったり……なんか作る過程も色々あったけど、ミッフィーちゃんの仮装、すごく楽しかったです。

 

 

田我流さんの『ゆれる』って曲が好きです。その中の歌詞で「社会から見れば窓際の人 でもいつに生まれても俺は俺だと」というのがあります。

社会から見たら窓際だし、実際大変な状況と状態なんだけども、それでも、自分を楽しませることを続けたいって、ミッフィーちゃんの仮装を通じて思いました。

また楽しいことしたいです。もっともっと楽しいことがしたいです。

 

 

最後にミッフィーちゃんというキャラクターを創作した偉大なる作家ディック・ブルーナさんに改めてありがとうございましたって気持ちを添えて。まあ、こんな仮装はブルーナさん困惑か怒ると思うけども。でもブルーナさんの作ったミッフィーちゃんというキャラクターに出会った子供の頃からずっとずっと今もやっぱ大好きだなって思うのです。

ミッフィーちゃんは読者と目を合わせるために前を向いてること。

使う色は少なくすること。

そんなブルーナさんのミッフィーを描く際のルールを意識しながらやりました。

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ブルーナさん、ありがとうございました。

だからもっと写真を撮ろう、両目さん。

どうもー両目洞窟人間でーす(ある時からスターであることを引き受けた星野源の名乗りの言い回しで)

気がついたら30歳です。昔ならドントトラストオーバー30と、30歳以上は信じるなって言われていましたが、そんな30歳以上は信じるな洋子の話は信じるなって状態なんですけども、自分がそっち側に来てるなんて未だにわかってない。
でも、この間15年通っている美容院に20歳そこそこの新人さんが入ってきたんだけども、その人と喋ったら「うわー、私は30歳になってるんだー」と10歳違うことから生じるジェネレーションギャップにびっくりしたりしました。
ちょうどその時話題にあがっていたのがGENERATIONS from EXILE TRIBEだったんですけども、これは物語だったらメタファーかなにかだと思うんですけども、そういうことじゃないみたいです。
ただ、私も20歳から10年経ったんだ。30歳なんだと思ったりする。
でも20歳の頃よりは、なんか色々とやっとできそうな気分にもなっているのも確かなのです。
20歳の頃は、周囲にもっと怯えて暮らしていた気がするし、自分はこんなことしていけない、あんなことしていけないっていう無意識の制限をかけていた気がします。無意識の制限は、自分を締め付けているものというより、ゲームにおけるマップ端の見えない壁のようなものです。この先はいけないよというもので、私にはその見えない、あちら側には行けない壁を色々と作ったり、勝手に出来上がったりしていたなと思います。
でも、本当は行けたりするはずなんです。
無意識の壁は、本当は存在しないはずなのです。

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20歳前半の頃、私はiPhoneを買いました。それが4だったと思います。
私はそのiPhoneでたくさん写真を撮りました。
そしてそれをフィルターにかけて、TwitterやらFacebookやらにあげていました。
今見ると、過剰なフィルターに雰囲気!ってのを詰め込んだ写真。
Facebookでつながっている知り合いから、事あるごとに揶揄されました。
「お前のキャラ的にこういう写真は撮ったらいけない」とか「なんかいけすかない」とか。
まあ、いけすかない写真はいけすかない写真だったんですけども、でも当時は「そうだよな」って思ったりして、そうして写真の投稿の頻度は減ったりしていました。
でも、あるときに、高校の友人が私の写真を見て「ええやん。カメラ買ったら?」と言ってくれて、その時は「お金ないからなー」と返答したんですけども、その言葉はずっと残ってました。
揶揄よりも、その「ええやん」のパワーはすごかったのです。
高校の頃から私のことを知っている友人がその写真を見て、お前のキャラ的にどうとも、いけすかないとも言わずに「ええやん」と言ってくれたことは、凄く凄く大きなことだったように思います。

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だから社会人になって、初めてのボーナスで私はカメラを買いました。
フジフイルムのX-T10というカメラでした。
それを買ったときも「今スマホあったら十分だろ」とか「社会人なんだからカメラ買うくらいならいいスーツを買ったほうがいい」とか「カメラ買ってもすぐやめるよ」とか言われました。
でも、結果としてだけどそのカメラを買ってからの方が沢山写真を撮りました。
あれから5年経ったけども、カメラは未だに手放していません。
写真の技術は思ったより上がらなかったけども、でも写真を褒められることは思ったよりも沢山ありました。
ある時、友人が専門学校の課題で写真集を作るってなったときに、「私の写真」で写真集を作りたいと言ってくれました。
そしてそれから、私の沢山撮りちらしていた写真は本当に写真集になったのです。

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ふと思います。あのときの「キャラに合わない」ことってなんだったのでしょう。
もし「キャラに合わないから」なんて言葉を鵜呑みにしていたら?そもそもキャラに合わないとは?
キャラクターには設定って言葉があります。キャラクターの性格や好きなこと嫌いなことを書き記したものです。
あの人の見ている私の設定資料にはそんなものはなかったのでしょう。
あの人の言葉を鵜呑みにしていたら私はあの人の考える「私の設定」に押し込められていたのだと思います。
でも違う。
あの人が私を書いたわけじゃない。
私を書き続けているのは私なのです。ずっと書き続けている私なのです。
そして設定は書き換わり続けます。好きだったものも嫌いだったものも変わっていきます。
私はキャラクターじゃない。一度決まったものだけでその後生きていくわけじゃない。
もっといえば決まった設定すらもない。
だから本当は何をしたっていい。書き足していってもいい。
何をしたっていいはずなのです。


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去年実家に帰ってきてから、少しの間、写真を撮ることから遠ざかっていました。
いろんなことがあったし、新型コロナウィルスも流行ったしで、写真を撮る機会がぐーんと減ったからでした。
でも、やっぱりまた撮りたいなってどこかでは思っていました。
それに撮りたい写真もまた色々と思ってきたのです。
デジタルのぱきっとした写真じゃなくて、アナログのぼんやりとノイズが乗っていてもいいから、そういう写真の方が好きだな自分も撮りたいなって思うようになっていました。
昔はぱきっとした写真が好きだったのですが、ふとだんだんそちらの方がいいなと思うようになってきたのです。
家の中に、安っぽいフィルムカメラがありました。
フィルムを買って、写真を撮ってみました。
現像に出そうとしたら、カメラが壊れてしまってフィルムの巻き上げができなくなり、カメラ屋さんにフィルムは回収できたけども、このカメラはもう使わない方がいいと言われました。
写真は現像できていました。
相変わらず私の撮っている写真は相変わらずでした。
でも私は自分が撮る写真が好きです。
久しぶりに撮って、現像で出来上がったそれらの写真を見て、私は私の写真が好きだと思えました。
自分が作ったもの、写真は風景にカメラを向けてシャッターを切っただけのものとはいえ、それでも自分の作ったもので好きと言えるものがあるのはやっぱりいいものだなって思いました。
だからもっと写真を撮ろう、両目さん。


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両目洞窟人間さんは無収入なので当分映画館に行けそうにない。

どうも、両目洞窟人間です。(矢沢永吉の名乗りの部分のような言い回しで)
現在、無収入で貯金を切り崩している30歳男性なんですけども、当分、まだまだ無収入が続きそうってなってかなりへこんでいます。
そもそも、私は27歳で適応障害から鬱へメタモルフォーゼした後に発達障害と診断されたメンタルに傷あり(Tatooありみたいな言い方ですね)な人間なんすけども、それから傷病手当金ハローワーク雇用保険でなんとか食いつないで来たんですけども、それらもついに尽きてしまって、いよいよ無収入に数ヶ月前からなっております。
そりゃもちろん働いて「稼ぐmoney、稼ぐmoney」とBADHOPのMobb Lifeくらいかましていきたいんですけども、体調の方が絶賛BAD HOPって感じで、すぐに体が重たくなって動けなくなったり寝込んだり、全然安定した一週間を送れていない。
しかもその上、体調がいつ悪くなるかわからないので「この日」に働くってのも難しい…というので、どうしたものかと悩んでいます。
そちらの方は、今後、現状通っている精神科に「デイケア」というのがありまして、診察ではなくリハビリ的に週1~5日通って、社会復帰をめざしていこうね~ということをしていく予定になっておりますので、なんとかしていきたい所存です。

Mobb Life feat. YZERR, Benjazzy & T-Pablow

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  • BAD HOP
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しかし、無収入の方です。お金がない(織田裕二でいうところのOVER THE TROUBLE)状態は変わんないわけです。
金は命よりも重いっ…!っていうのをひしひしと感じる日々ですが、色々と調べていくと「障害年金」というのがありまして、障害を持った方は月数万円ほど支給しますというのがあるのです。
もうとにかく数万円でもないとまじできちぃ、生きていけねえ、ってことでここ数ヶ月はなんとか申請にむけて動いていたわけです。
この「障害年金」なんですけども、今がどんだけきちぃ、まじできちぃ、ってなっても「初診日」ってのがめっちゃ大事なんですよ。
どうやらこの「初診日」にあなたは年金を払ってましたか?払ってなかったら終わりっすよ。ってことで「初診日」がめっちゃ大事ってことらしくて、前に通っていた東京のメンタルクリニックに連絡して「初診日がいついつかの書類をお願いします…」って申し込みをしたら「今はもう通ってらっしゃらないので2万円必要です」って言われて、2万!?ってなりつつもお金が必要だからなんとか払って、それでやっと書類が届いたり。
あと今通っている精神科に診断書を頼んだら、2ヶ月以上かかって、しばらく障害年金に対してなんにもできない日々が続いたり…
で、やっと書類が揃ったので、年金事務所にいったら「あ、これ初診が違いますね」ってなって、しばらく呆然。
聞いたら「初診日は今の"鬱と発達障害"を診断した病院の初診日じゃなくて、初めてメンタルクリニックに行った方の初診日を出してほしい」と。
私は26歳のときに、精神の疲れから体が重たくて動かなくなる「心身症」になり、会社を一週間休んだことがあったのですが、そのときにメンタルクリニックに通ったんですね。でも、まあ、あまり治療方針も合わなかったり、よくなる兆しが一切なかったりで、行かなくなってしまったのですが、そちらの方の「初診日」が必要ですって言われたわけです。
えー。おかしくないですか。今、「鬱」とか「発達障害」でしんどいのに、それを診断した病院の初診日じゃなくて、前に軽く行ったほうの初診日の方を大事にするっておかしくないですか?って窓口の人に言ったけども「でも、こっちのが必要なので」の一点張りで、もう耐えきれなくなってボロボロと泣いてしまいました。
その上、生育歴も書いてこいと、産まれてから今までの病気に関することを5年刻みで書いてこいって書類も渡されて、「いや、こんなの、気持ちがきちぃっつってワラスガ(藁をもすがる思い)で来てるのに、その上自分で自分の傷を見つめ直して書いてこい無理なんよ…」って思いつつ、ボロボロと涙を流しながら書類を受け取りました。


お金がない 織田裕二 OVER THE TROUBLE


もちろん、かんたんにお金を貰えるなんては思っていません。これまでも大変な思いはたくさんしてきましたもの。
でも、障害年金はまじダンチ(段違い)、ダンチでレベチ(レベル違い)。
混乱と困惑で、しばらく終わったあとは公園で呆然としていました。
「もうやだ…助けて…」ってなってたけども、俺が俺を助けるんや!って、発起して一番最初のメンタルクリニックに電話をかけて「これこれで書類を作ってもらえませんか」って言ったら、「先生からまた折返しの電話いたします」ってきたからその日はまってたけども電話はなし。忙しいものね。

でも、色々と疲れ果ててしまって、家にも帰ることができなくなって、ふと目についたカラオケに入って、カラオケのフラットルームで寝続けました。
6時間寝てしまった。
でもフリータイムだから1000円くらいだろって思ってたら「フリータイムは上限数が決まってるんですよ~」と言われたので、結局2000円払った。
なんにもうまくいかねえ、トラストいかねえ(by 真木蔵人


今もね、たくさん新作映画が公開していて見に行きたい映画もたくさんあります。
でも、いつまで無収入が続くかわからない。それどころか無収入がずっと続く可能性もある。
そうなると、安易にお金使っちゃだめだなって気持ちが沈み、一番最初に切るのは娯楽費である「映画」だった。
映画館に行かずとも、たくさん映画を見る手段はあるし…なんて思いつつも、30歳にもなって映画館にもさらっと行けないような人生になってしまったのはやっぱり悲しいなーと思いつつ、同時に「もうええやんけ!映画館行ったれや!!」と叫んでる心の奥底のパンクな両目洞窟人間もいる。
でも、パンクは日本では定着しないんだよって思ったりしつつ、なんとか日々を生きる手段を模索しています。



幸せになりたいですね。幸せってなんだろって、映画館に行きたいときに行けたり、ちょっとした1000円以上の買い物をしたときになんか罪悪感が湧いたり、友達と遊ぶのにもお金がないのでちょっとごめんと躊躇したり、そんなことがないような、そんな幸せな日々を送りたいです。
それだけなんですけども、本当にそれが難しい。

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帰り道、ダイアンのTシャツを見つけた。
最高のTシャツで欲しかったんだけども3500円で躊躇してしまった。
たった3500円を躊躇するような30歳にはなりたくなかったな~と思いつつ、買うならば岸大介の方だなって思った。

イエスは水をワインに変えて、クリストファー・ノーランはジャンボジェット機を爆破した。

TENETを見ました!と言っても、公開日に見たので、実は一ヶ月前に見てたのです。
それで本当は弟とやっているPodcast『はぐれラジオ純情派』で感想回でもやろうと思って準備もしていたのですが、なかなか色々と都合が噛み合わなくて結局今の今までできずじまいになっております。
本当はラジオの中で、クリストファー・ノーラン監督についてあれこれ言いたい!って思ってたのですが、結局録れず仕舞いなので、ここに書こうと思います。
本当は『TENET』の感想を書こうと思っていたのですが、このクリストファー・ノーラン語りたい~っていう前段部分が長くなったのでここだけ独立させてしまいました。すぐオタクは話が長くなるんだから…。
では長いですが、よろしくおねがいします。


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クリストファー・ノーラン監督はなぜ「本物」にこだわるのか?


まず始めにですが、TENETの大きな感想なのですが、本当に面白かったです。
観客席に座りながら、中盤からの展開に興奮してしまって、一度頭をつかんで、うわー!ってなってしまいました。
興奮すると身振りにでちゃう30歳男性。もっと落ち着いていきたいですね。
でも、極端なことを言うと「私はこういう見たこと無いものが見たいから映画が好きなんだ!」と映画が好きな理由、それも映画をどんどん見ていく中でわかるようになってきた味の方ではなく、子供の頃に映画を見て覚えた原始的な興奮を私は『TENET』で思い出しました。
子供の頃に映画を見て覚えた原始的な興奮。
それに関連するようにクリストファー・ノーラン監督は今作『TENET』公開に合わせたインタビューでこの様に語っています。

 「映画を見直して参考にする必要もないほど、もう私の一部になっているんです。行ったことのない場所へ行くような気分で、子どものころに感じた映画とのつながりを再現しようとしました。まったく新しい場所へ連れて行かなければならないので、誰もオリジナルの新しいジェームズ・ボンドをつくることなど不可能なのです。だから私は、自分なりのボンド映画をつくろうとしたのではありません。子どものころにスパイ映画を観て感じた、壮大なスケールのエンターテインメントの興奮を自分なりにつくり出そうと試みた映画です」

www.esquire.com


しかし『TENET』を見た観客はわかると思いますが『TENET』は「007」シリーズのようなスパイ・アクションとはかなり違います。
『TENET』の感想の多くは「難しかった…!」となっている人も多く、ネット上には考察記事が考察動画が溢れています。
『007』の興奮を、自分なりに作り出そうと試みた映画が『TENET』につながる。
そのインプットとアウトプットの形の違いは一体なんなのでしょうか。
むしろ、こう言ったほうがいいのかもしれません。
現代の観客に『007』を見たときのような興奮を味わってもらうにはどうしたらいいのか?



なんて大見得を切りましたが、その答えは持っておりません。
『メイキングオブテネット』も買えませんでしたし。
だから、ここからはノーラン監督作品と、そして今作TENETがしようとしたことからちょっと自分なりに考えてみようと思います。
願うことならば狂気に陥らない想像になっていることが望ましいです。


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クリストファー・ノーラン監督の映画にはとても熱いファンが大勢いるように思えます。
もっと言い方を変えれば「信者」がそれこそ世界中にいるように思えます。
私自身、高校生の頃に映画館で『ダークナイト』を見て、それはもう、物凄く興奮しました。
見終わって、売店ダークナイトの下敷きを買って学校に持って行ったくらいですし、『普通のバットマンとちゃうねん!』と叫んで父を連れて二度目の鑑賞に行ったのも覚えています。
英語を読めないのに、脚本をネットで見つけて必死に読もうとしたりもしました。
その後も、事あるごとに『ダークナイト』めっちゃおもろいねん~って大学生になっても言ってました。
それくらいの行動をさせる映画だったのですね。
でも、同時に『ダークナイト』は徐々に徐々に、映画以外の部分で評価を落としていっている作品でもありました。
男性がダークナイトのDVDを流しながらしたり顔で女性に「これはこうでねあれはああでね」と語る。
この東村アキコ東京タラレバ娘』の1シーンは度々ネット上を駆け巡るのを見ました。
未だに延焼しているこのシーンですが、同時に「ダークナイト」が信者うるさい映画になっていったのも事実です。
「このトラックはシカゴの街中で本当に一回転させたんやで」
ヒース・レジャーは役作りのためにモーテルにこもったんやで」
私も度々こういったダークナイトトリビアをしたり顔で語ったりしていました。
こういう風に熱く語りたくなる一方で、その「信者」の行動に周りの人がどんどん辟易していき、徐々に『ダークナイト』は映画外で評価を下げることになっていった…そんな風に思えます。


その後もクリストファー・ノーラン監督は野心的な映画を作り出して行きました。
夢の中での強盗を描いた『インセプション』、ブラックホールの中に入り、5次元の映像化までしてしまった『インターステラー』、歴史的な事実を異なる時系列を並行させて描いた『ダンケルク』。(ダークナイトライジングは、好きだけども、ここでは一旦置いておきましょう。デシデシバサラバサラ)
これらの野心的な作品は公開されるたびに熱狂を生みました。実際に大ヒットもしました。そして信者もどんどん増えていきました。
私も公開のたびに見に行っています。で、毎度、観客席で熱狂したり、立てなくなるほど泣いたり、サントラ聴き込んだり、インタビュー読んだり…。
結局のところ、私もノーラン監督の信者なのだろうと思います。
しかしなぜ、ノーラン監督は「信者」を生みやすいのでしょうか。
もちろん映画監督のファンというのはいつの時代もいます。
しかし現代ではノーラン監督がぶっちぎりでファンが多いように思えます。
それは『TENET』の予告を見ても明らかです。
「分かりづらい」予告編が通ってしまうのです。
それは「クリストファー・ノーラン監督」の新作だったら見に行く、その層が多いからというのも一因に思われます。
しかしファンを超えて「信者」にしてしまうクリストファー・ノーラン監督の映画の魅力とは一体なんなのでしょうか?


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唐突ですけども、イエス・キリストは信者の目の前で奇跡を見せたといいます。
「水」を「ワイン」に変えて、水面の上を歩いたとされています。
まあ、ここを信じる信じないは、別なんですけどもイエスを信じるようになった、それはその「奇跡」を目の当たりにしたからでしょう。
かたやクリストファー・ノーラン監督は劇映画の中で、IMAXカメラを持ち込みました。
シカゴの街中でトラックを一回転させました。
街中にあるビルを爆破しました。
バカでかいセットを作って一回転させました。
5次元をCGではなくセットで表現しました。
本物の戦闘機を飛ばしました。
ついにはジャンボジェット機をビルに突っ込ませました。


何もノーラン監督はイエス様だ!と言いたいわけではありません。「奇跡」を起こしているんだとも言いたいわけではありません。
これらの映画の中で行ったことは、公開時から大きく喧伝されています。
少しその映画に興味を持ったら、その情報が入るほどに。
その繰り返されている主張は一体なんでしょうか?
それは「この映画で映っているものは本物だ」ということです。
「本物」。
本当にこれらのことは行われた。これらのスペクタクルは行われ、カメラ、しかも現状最大級のカメラであるIMAXカメラで写し取られた。
その姿勢に対してクリストファー・ノーラン監督は「CG嫌い」と評されることもあります。
信者の多くも「このシーンのこれはCGではないんだ!本物なんだよ!」と言います。
水は本当にワインに変わった。イエスは本当に水面を歩いた。
その奇跡を目撃したように、ノーラン監督は「本物」を映画の中に刻み込んだと、その奇跡を叫ぶわけです。


なぜクリストファー・ノーラン監督は「本物」を使って撮影しようとするのでしょうか。
本当にCGが嫌いだから?
いや「CGが嫌い」と短絡的にCGを否定するのは、ここでは違います。
CGは特撮の一種です。楽をして映画を作る行為のことではありません。
技術の進歩により、映画が表現できる領域が広がっています。
その結果、今目の前に映っている映像が「本物」なのか「CG」さえ本当は判断がつかなくなっている状態です。
しかしその一方で「これはどうせCGだろう」と否定的な言葉も、今なお多く聞かれる言葉です。
むしろ多くの「これはどうせCGだろう」という言葉は明らかな「派手なシーン」を指して言っているのだと思います。
でも、本当はそういうシーンでも様々な映像技法が使われているわけです。
「CGだろう」と指しているのが「エフェクト処理」くらいなことだってありうるわけです。
しかし、そんなことはだいたいの観客にとってはどうでもいいことです。
目の前に映っているものは「本物」か「CG」か、見分けがつかなくなっている。
技術の進歩もわかっている。
そう言った中で観客は目の前の映像への信頼を失っていっているのかもしれません。もっと言えば、なめている状態なのかもしれません。
そういった観客が大半なのだ。
クリストファー・ノーラン監督はそれを理解しているのかもしれません。
だからこそ言うのです。
映画に映っているものは「本物」であると。
それは「奇跡」のアピールではありません。
むしろこういった方が正しいでしょう。
ハッタリ、と。


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クリストファー・ノーラン監督が『ダークナイト』の前に撮った映画『プレステージ』では、奇術師(マジシャン)同士の対決が描かれていました。
奇術師は目の前で信じられないことを行います。私達観客はそれを見て驚く。
奇術師は驚かせることが仕事です。しかし観客は残酷なもので見慣れた奇術には飽きてしまう。それどころかなめていくのです。
そうして『プレステージ』の奇術師は斬新な奇術を追い求めます。
誰も見たことがない奇術を。
そしてその果てある「技術」に出会います。そしてそれに伴うトリックを思いつくのです。
それは「本物」を使って「奇術」を行うこと。
むしろ観客は種も仕掛けもある「奇術」だと思い込んでいる。
しかしそれは「本物」であった。というのが『プレステージ』という作品になります。
これはクリストファー・ノーラン監督の映画そのものなのではないでしょうか。
「本物」を使って「奇術」を生み出す。
プレステージ』劇中では「本物」であるというのは劇中の観客に伏せられていますが、映画を見ている観客は「本物」だったことが衝撃的なポイントになります。
「本物」を使って「奇術」を生み出していた。
「本物」を使って「映画」を生み出していた。
クリストファー・ノーラン監督はそれを意図的に喧伝するのです。
「私の映画は本物が映っている」
それは「技術自慢」でも「CG嫌い」でもありません。
全てはハッタリです。
そのハッタリは、今の目の肥えた観客に「自分の映画は驚くことができる」と伝えるために。
自分の映画にはまだ「奇術」があると伝えるために。
そして「本物」が写り込んでいる、その面白い映画を見た観客は「信者」へとなっていくのです。

しかし何故クリストファー・ノーラン監督はそのようなハッタリをするのでしょうか。
それは冒頭のクリストファー・ノーラン監督のインタビューにこそ、答えのようなものがあるように思えます。

 「映画を見直して参考にする必要もないほど、もう私の一部になっているんです。行ったことのない場所へ行くような気分で、子どものころに感じた映画とのつながりを再現しようとしました。まったく新しい場所へ連れて行かなければならないので、誰もオリジナルの新しいジェームズ・ボンドをつくることなど不可能なのです。だから私は、自分なりのボンド映画をつくろうとしたのではありません。子どものころにスパイ映画を観て感じた、壮大なスケールのエンターテインメントの興奮を自分なりにつくり出そうと試みた映画です」


「子どものころにスパイ映画を観て感じた、壮大なスケールのエンターテインメントの興奮を自分なりにつくり出そうと試みた映画です」

クリストファー・ノーラン監督の子供の頃に見た『007』。クリストファー・ノーラン監督の目には紛れもない「本物」が写り込んでいました。いや、当時の観客にとっても「本物」がそこにはありました。
もちろん、その当時の映画も多くの技術が投入されています。トリックもエフェクトもあります。
でもまだ多くのことが「本物」でやらなきゃいけなかった時代だからこそ、その目の前に映し出されたものは「本物」だったからこそ、そこにクリストファー・ノーラン少年も当時の観客も大きなスケールとエンターテイメントの興奮を感じ取ったのです。
それを今の、目のこえた観客に提示するにはどうすればいいか?
そのためのハッタリなのかもしれません。
手で持つこともかなわないくらい重たいIMAXカメラで映画を撮ろうとすることも、街中でスペクタクルなシーンを撮ろうとするのも、大きなセットを作るのも、ジェット機をビルに突っ込むのも、そして何よりそれらを喧伝するのも、全ては今の観客に「壮大なスケールのエンターテイメントの興奮」を自らの手で作り、そして観客に届けるためなのです。

自分が幼い頃に見たものの原始的な興奮を再現するにはどうしたらいいのか?
それは多くの作り手が悩んでいることだと思います。
過去にオマージュを捧げるような作品を作ることもあれば、「新しい」作品を作ろうと模索するものもいる。
ここに答えも良し悪しもありません。
クリストファー・ノーラン監督はかつての興奮を自らの手で作るために本物を可能な限り用意して、そしてハッタリをきかせて喧伝することを選びました。
『TENET』で言えば本物のジャンボジェット機が突っ込まなくても本当はいいはずなのです。そんなにド派手にしなくたっていいのです。
でもそうじゃない。
自ら作り出す作品になめられない場所を作るために、その奇術を成功させるために「種も仕掛けもない」ということを喧伝する必要があるのです。
その試みは成功しているかどうかわかりません。
でも私は『TENET』を見て「あーこういう見たことないものを見たいから映画が好きなんだ!」と思いました。
私は相変わらずクリストファー・ノーラン監督の術中の中なのかもしれません。

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