にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

映画『マイ・ブロークン・マリコ』を見た。

映画『マイ・ブロークン・マリコ』を見た!

見終わってから数日間、どのように感想を書けばいいかわからなくなってしまった。
難しい映画じゃない。
けなしたいわけでもない。
むしろ、ものすごく刺さってしまった。
ものすごく刺さってしまったからどのように感想を書けばいいかわからなくなってしまった。
ものすごく刺さってしまったのには理由があって、私にももう会えない友人がいるからだ。



もっとやれたことあったんじゃないだろうか?と主人公のシイちゃんは何度も考える。
同時にマリコのことをめんどくさいと思っていたのに、それを忘れて綺麗な思い出だけになってしまうことにも抵抗をする。
なんで死んでしまったのだろう?
何かできなかったのだろうか?
何か私にできることはなかったのだろうか?
考えても考えても答えは出ない。
マリコは死んでしまった。
たった1人の親友は勝手に死んでしまったからだ。


それでも私はあの親から遺骨を奪い、そしてかつての約束を果たすように海に向かうシイちゃんはよくやってるよと言いたくなる。
私は目を背けてしまったからだ。
音信不通になった友人がどうなったかを、私は知るのが怖かった。
友人が好きだったアニメ監督が新作を作るというニュースが出た時にLINEを送った。
いつものように返事が来るのを期待したけども、返事は返ってこなかった。
それでもやっぱり知るのを。どうなってしまったのかを知るのは本当に怖かった。

死と向き合う。私は未だにそれができていない。
だからマリコの死と向き合ったシイちゃんはよく頑張ったよと思う。
同時に面倒くさいと思ってたこと、美化してしまうことすら避けようとするのも。
友人を面倒くさいと思ってたなんて、捨ててしまいたい感情だ。
それすらも、捨てないようにしようとする。
ありのままのマリコを記憶に止めようとする。
それは物凄く辛く苦しく努力がいる行為だ。

マリコはなぜ死んだのだろう。
明確な一線はわからない。
でも多くの人々がマリコを傷つけてきたことはわかる。
親や恋人。もしかしたら、描かれていないだけで多くの人がマリコを傷つけてきたのかもしれない。
明確な一線と書いたけども、そんなものはないのかもしれない。
ずっと生きているのが苦痛だった場合、死を選ぶというのはとても簡単なことなのかもしれない。
その日、たまたま死にやすかったのかもしれない。
死を選ぶというのはそういうものなのかもしれない。
私にはわからない。わからないと思うことしかできない。
ともかくマリコは死を選んでしまった。
睡眠薬を大量に飲んで、住んでたマンションから身を投げて。


だからこそ言う。もう会えないマリコにシイちゃんは「あんたが悪いんじゃない」って。
そして、マリコと同じく傷つけられている女の子を見つけた時にその声が聞こえる。
「シイちゃん。助けてえ」
それはずっと聞こえていた声だ。
それはずっと聞いていた声だ。
助けることは難しいことだ。何かボロボロになっている人を、その全てから救い出すことはとてもむずかしいことだ。
それでも、その瞬間、その助けを求めている瞬間は何かをできるかもしれない。
あの子にしてあげたかったことを、他の誰かにやってあげることはできるかもしれない。
たとえ、それが自己満足でも、それが自分が見た幻覚だったとしても、もしくは本当にあの子の姿だったとしても。
答えなんてない。
ただ、私はまだ助けられていないと思う。



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映画のエンドクレジットではThe ピーズの『生きのばし』が流れる。
この曲には「くたばる自由に 生きのばす自由」というフレーズがある。
死を選ぶのも生きるのも結局のところ自由だ。
でもと思う。
私はマリコに死んで欲しくなったと思う。
そう思うのはとても勝手で、暴力的な願いだ。
苦しい日々を生きるのは、とても簡単なことじゃない。
それでも、それでもと思う。
私は尽きるところ他人だからこそ、マリコに生きててほしかった。
なんてことを私はずっと思っていた。
『生きのばし』は最後こんな歌詞で終わる。

あの日 あの空拝めるのは あの日のボクらだけ
精々 生きのびてくれ



そして私は何度も梅田のニューYCって喫茶店でコーヒー飲んで、タバコ吸って、ああでもねえこうでもねえって話をしてたことを何度も何度も思い出す。
ひょっこり出てきてくれないかな。
何だよ、元気にしてた?って言いたい。
アニメの『平家物語』見た?俺はまだ三話くらい残してるよ。相変わらずアニメ見るの下手で。
小説なんか読んだ?貸した『出版禁止』の新刊が出て、それがすごく面白かったよ。
マイ・ブロークン・マリコは、多分嫌いだろうな。好き嫌いはっきりしてたもんね。
でも、嫌いって話でいいから聴きたい。
それだけでいい。
本当それだけでいいんだ。


"喋るねこちゃん好きに届け!"『ビーとパピーキャット』を見た!

『ビーとパピーキャット』を見た!Netflixで現在配信中。全16話。

 

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 はじめに。私は喋るねこちゃんが大好きです。とはいえ、それはにゃーやうにゃーと本物の猫が喋る範囲のことではなく、ちゃんと人の言葉を喋るねこが好きなのです。

 つまりはねこのイデア、と私は呼んでいるのですが、多分本物の猫よりも私はねこのイデアが好きなのだと思います。

 喋るねこが好き。古くはゲーム「どこでもいっしょ」の井上トロから始まり、最近では「どうぶつの森」のみしらぬねこやニコバンちゃんが私は大好きです。

 喋るねこが好きで、喋るねこちゃんが出てくる小説ばかりを書く始末です。

 そんな喋るねこが大好きな私に全16話、喋るねこが出続けるアニメがもし現れたら、どうなるか。

 そりゃハマっちゃうじゃないか!ってのが『ビーとパピーキャット』の尽きるところの感想であります。

 

 

 


 でもそれでは感想とは言えないでしょうから、どういった部分がより好きになったかを書けたらと思います。

 猫カフェで働いていたビーはある日、その猫カフェをクビになってしまう。そしてその帰り道「猫が飼いたいなー」とつぶやいたら空からねこ、もしくは子犬?が降ってきたのです。それがパピーキャットで、彼の首元の鈴をタッチすると手紙が出てきて、それにタッチすると宇宙にあるテンプボットと呼ばれる人材派遣サービスに繋がっていて、いろいろな仕事をすることになる…というのが全16話の大体のあらすじです。

 


 あらすじからわかるように不思議な世界観です。それに輪をかけてシュールな演出が詰めに詰め込まれています。

 ただ、シュールな演出だなーと見ていたものが実は設定に関わる描写であったりして、結構驚くような展開も多いのです。

 なんと言いますかリアリティラインの低い所の話なのねと思ってみていたら、それは描写のまま飲み込まないと行けない部分があったり、同時にシュールなものはシュールなまま存在しているというか。

 だから見ていてとても妙な感覚になります。

 意外とシリアス?と思ったら、やっぱりオフビートで、シュールな世界はやっぱりあって、でもシリアスもちゃんと存在する。そんな塩梅なアニメでした。

 

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 シリアスがあれど、このアニメをシュールで可愛いものにしている大きな要因はパピーキャットの存在でしょう。 

 口が悪く、すぐにものを壊したり、殴ったりしてくるパピーキャット。でも殴ると「ぽん!」と鼓のような音がする!

 「俺はたいていのものは嫌いだけど」と言うけども、プリティパトリックという料理番組のホストは大好きなパピーキャット。

 

 そんなプリティパトリックに出会えた時に、嬉しさのあまり顔がふにゃふにゃになるパピーキャット。

 実は深めの設定があるにも関わらず、その頃とあまりに差がありすぎるパピーキャット(主に見た目で)。

 なんだかんだビーのことが好きなパピーキャット。

 かっこよくなりたいパピーキャット。

 喋ってる声が全部変な音なパピーキャット。(いわゆる初音ミク的な音声合成ソフトを使ってるらしい)。

 とにかくずっとパピーキャットは可愛い。16話ずっとパピーキャットは可愛いのです!

 

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 もう一人の主人公。ビーもまたすごく良いのです。

 怠惰な大人。1話で。子供おばさんと呼ばれるビー。

 ビーも意外と深い設定があったりする。

 またこいつとそんな仲だったのって話もあったりする。

 毛量がとても多いビー。

 着ている服が毎回おしゃれなビー。

 なんだかんだ、このビーとパピーキャットの掛け合いがとても心地よいのです。

 

 

 

 心地よいでいえば、毎話の心地よさったらです。

 ローファイヒップホップがBGMで、ポップなデザインに彩られた画面構成の中で、少々緩めの時間が流れるようなそんなアニメ。

 誤解を招くような言い方をすれば面白すぎないのです。

 次々と次の話が見たくなるような引きはありませんし、過度な面白さの味付けもありません。

 刺激的なものが見たい!という人には物足りないかもしれませんが、この緩さが本当にちょうど良くて、16話でしたけども、いや足りない!もっと見たい!100話くらい見たい!と思えるというか、足湯のようにずっと浸かっていてものぼせることもないし、ずっと浸かっていたいと思える物語世界でした。

 


 

 ビーとパピーキャット以外の登場人物も魅力的です。

 料理が上手なのにケーキ作りだけが苦手(厨房を火事にするくらい)なデッカード

 元レスリング選手で現プログラマーのキャス(デッカードとは兄弟)。

 子供だけどもとても大人びている「大家」のカルダモン。

 キャスを絶えず打ち負かそうとしてくる(ついでに家の壁を破壊する)トースト。

 このほかにも魅力的なキャラはたくさん。

 他の星々のキャラクターも一回しか出てこないのにこんなに可愛いの!ってキャラがたくさん出てきます。

 そんな人々のドタバタ具合も見ていてとても楽しい。

 私はわからないのですが、高橋留美子作品を思い出すという人もいるそうです。

 

 日本の作品でいえば、幾原監督作品のテイストもあるような気もしました。

 製作者はアドベンチャータイムにも関わっていたナターシャ・アレグリ。

 本当にこんな可愛い世界を作ってくれて本当にありがとう…って気持ちでいっぱいです。

 とにかく見て、見て、めっちゃ可愛いんだから!と言いたい。それで感想を終えたいけどもそれじゃダメなのもわかっている。

 ただ、16話が終わった段階では、まだこの先もありそうな雰囲気なのです。

 というか全然先を作れそうな雰囲気です。

 私はこのビーとパピーキャットのこの先の物語が見たい!

 同時に今の段階ではこの先がどうなるかわからない!

 というか16話で「え!こんなことになるの!こんな壮大な景色が広がるの!」と驚いてしまいました。

 ナターシャ・アレグリさんの頭の中ではどんな話が描かれているのでしょうか。

 ビーとパピーキャットの続きはあるのでしょうか。

 とても、とっても気になっています。

 

 

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 でも続きが作られるかわからない今は、とにかくこの素敵なアニメを見たいと思うばかり、ということで二週目に突入しました。

 二週目に入ると、ああこんな描写がもうすでにあったんだ!とまた驚いてばかりです。

 そのほか、YouTubeにありました、カートゥーンハングオーバー版も見ました。

 こちらは今回のNetflix版の原作と言ってもいいバージョンで、時間は短く、話も3~4話くらいの所しかありません。

 それと見比べると、カートゥーンハングオーバー版はよりアメリカのアニメ~という感じがする。

 テンポ感やはちゃめちゃ感とか。

 だからこそ1話30分になったNetflix版の意図的な緩さに気がついたりして、私はこのNetflix版のゆるさが好きだなと思ったりしたのです。

 

 

 

 私は喋るねこが好きです。とはいえ喋るねこなんてどこにもいません。

 でもNetflixをつけるとパピーキャットという喋るねこがいるのです。

 その喋るねこはとても自己中心的で、物は壊すし、口は悪い。

 でもとても可愛いのです。

 ただ本人はかっこよくなりたいと思っています。

 可愛いなんて言われたくないはずです。

 でも可愛いのだから仕方ない。

 私はビーとパピーキャットの冒険をこれからも見てみたいと思っています。

 シーズン2が作られるかどうかわからないけども、作られたら嬉しい。

 そして作られるには視聴者数が大事って聞いたので、一人でも多くの人にパピーキャットが届くように私は今、こんなふうに拙い布教文章を書いたりしているのです。

 願わくば、またビーとパピーキャットの変な日々が見れますように。

 そして一人でも多くの喋るねこ好きに、このアニメが届きますように。

 そんなことを私は最近願ってばかりなのです。 

 

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突然だけども、ラブホテルに行こうと思った。一人で。

 突然だけども、ラブホテルに行こうと思った。一人で。ラブホテルに一人で行こうと思った。

 行こうというか、行かなければならないと思った。

 私は32歳で、もう充分に大人のはずだけども、同時に知らないことも多すぎる。

 同じ32歳で真っ当に生きている人に比べたらわかってないことも、経験していないことも多く、そして抱えているものも違う。

 先日、久しぶりにお酒を飲んだ私は気がついたら「大人になりたい……」と呟くに至っていた。

 一緒に飲んでいた人からは「大人はそんなこと言わないんですよ」とたしなめられた。

 私は大人になりきれていない。まるで燃え殻さんの小説のタイトルだとか、題材だとかそういうふうな状態。日本という豊かな国だからこそ抱える悩みなのか。私の悩みは豊かさゆえに生まれるものなのか。

 それはそれとして、32年間を独り身で走ったり歩いたりしてきた。

 当然、ラブホに行くことなんて普通の生活では起こり得ない。

 その中でラブホへの憧れをたぎらせる羽目になってしまった。

 そこに行けばすべてがあるというよ。

 ガンダーラ状態。ゴダイゴガンダーラ状態。

 その中でも大阪は上本町に「べんきょう部屋」というラブホテルがある。

 かつて私は浪人生で、上本町の予備校に一年間通っていた。

 その生活の中で私は何度か「べんきょう部屋ってなにを勉強するねん!キャハハハハ~」と笑ったりした。

 本当はその勉強が知りたかったのに。

 


 繰り返しになるが32歳になった。同級生は結婚し、子を育てたり、仕事を頑張っている。そのほか、人生の新たな目標を見つけている。

 その中で私は相変わらずふわふわと浮いたような生活を送っている。それは病気がまだ治っていないというのもあるけども、それでもこのふわふわと浮いたような生活を送っているというのが、結構心苦しくなってきた。

 そして私はその中で「人はいつか死んでしまうんだよなあ」とぼんやり考えるようになっていた。

 ふわふわした生活の中、妙に死に取り憑かれてしまった。

 気がついたらやり残したことをやらなければと焦燥感にかられていた。

 ラブホテルへ行こう。一人で。あの時、行けなかった場所へ行こう。

 

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 上本町までやってきた。

 10年以上前、毎日通っていた街だ。しかしあの頃は大学へ行く勉強をするためだった。

 今日は「べんきょう部屋」に行くためだ。

 ラブホテル「べんきょう部屋」は近鉄本町駅から谷町9丁目駅の方面へ歩き、坂を少し下ったところにあった。

 「べんきょう部屋」というネオンの看板が昼間にも関わらず光っていた。

 なぜか妙に胸が高鳴っていた。

 一人だからなにが起きるわけでもないのに。

 それでも胸が高鳴っていた。

 同時に後ろめたい気持ちになりながら「べんきょう部屋」に入った。

 フロントにたどり着く。噂でしか聞いたことのなかった、部屋写真のパネルがある。そのパネルを見ながら「どの部屋にすればいいんだ」と混乱し始めた。

 一人だからどの部屋でもいいはずだけども、それでもなぜかちょっと素敵な部屋に入りたいという気持ちが芽生えていた。

 私は素敵そうな部屋に入ろうと決めた。パネルの右下にある緑色のボタンを押す。

 カチッと音がした。

 これでもう向かっていいのだろうか。

 なにもわからない。ただ、向かっていい気がした。

 エレベーターに乗る。エレベーターの中はゴテゴテとチラシが貼られまくっていた。

 それはホテルのサービスの案内だった。コスプレサービス。フリータイムの告知。アメニティを持って帰ることはやめてくださいなど。文字の色が大体ピンクだった。

 あっという間に3階にたどり着いた。

 選んだ部屋である302のパネルがピカピカと点滅していた。

 おそるおそる入るとピロリーン!!と大きな音がなった。

 めっちゃびっくりした。

「入室ありがとうございます!」と自動精算機が叫んでいた。

 店員に一切会わなくていい構造になってると聞いたが、ここでこれまで会わなかった分の対人サービスを取り返すかのような声量だった。機械だけども、馬鹿でかい声量だった。

 部屋に入った。

 でかいベッドがそこにはあった。

 ラブホテルだ。そう思った。

 

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 J-popが天井のスピーカーから流れていた。

 シャ乱Qのズルい女のカバーが流れていた。

 音質のせいか、その歌のせいか、場所のせいか、妙に安っぽく聞こえた。

 鞄を緑色のソファーに下ろす。

 もうすぐ10月になろうとしているのに、今日は暑くて汗ばんでいる。

 タオル地のガウンが2つ壁にかけられているのを見つけるが、今着ているシャツを脱いで、それを着る気持ちにはなれなかった。

 テレビをつけるとウェルカムドリンクとウェルカムフードを注文することができた。

 私はウェルカムドリンクにオレンジジュースを、ウェルカムフードにたこ焼きを注文した。

 5分くらいすると、ドアがノックされて、駆け寄ってドアを開くと、店員が腕だけをこちらに伸ばして、お盆を手渡してきた。

 店員の顔は見えなかった。天才バカボンの話で腕しか見えない人って回があると聞いたことがある。それを思い出した。

 早速タコ焼きを食べた。冷凍たこ焼き特有の味がしたけども、お腹が空いていたのですぐに5個全てを食べてしまった。オレンジジュースもすぐに飲み切ってしまった。

 食べ終わると、せっかくラブホテルにきたのになにもすることがないことに気がついた。

 一人で来るラブホテルはただの部屋に来るのと変わりがないことに薄々気がつき始めた。

 私はとりあえずベッドに潜り込んでみた。

 ベッドはふかふかだった。

 前日、あまり眠れてなかったのもあって、急激に眠たくなったが、休憩の1時間半以内で絶対に出ようと思っていたので、目はつむらないようにした。

 でも、枕元の照明は無駄に触ってみた。

 照明の案内の文字は全部掠れていて、なにがなんだかわからなかった。

 イビサ島でプレイするDJのようにボタンをぱちぱちと押していたら、部屋が真っ暗になった。

 真っ暗な部屋で、もう一度ベッドに潜り込んだ。

 なにをやってるんだろう……。その時めちゃくちゃ強く思った。

 

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 ラブホテルに行きたかった。

 それは勿論その通りだったのだけども、本当は誰かと、ラブホテルに行きたかったのだなあと私はその時思った。

 そんな当たり前なことにやっと気がついた。

 「べんきょう部屋」の302号室。暗闇のベッドの中でやっと私は気がついた。

 改めて書くがベッドはふかふかだった。

 ふかふかでとても気持ちがよかった。

 

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 テレビをつけた。

 映画やAVが見られるようだったが、なぜか何にも見る気が起きなかった。

 リモコンの地デジボタンを押した。

 NHKが映った。

 ニュースが流れ始めた。

 それをみながらぼんやりとタバコを吸っていた。

 しばらくするとニュースは終わって、中井貴一のサラメシに代わった。

 地方でクラフトビールを作っている人たちのお昼ご飯を私はラブホで見ていた。

 その人たちのお昼ご飯はカレーだった。

 それを見て、私はそろそろ部屋を出ようと思った。

 自動精算機に行き、精算をした。

 3800円と表示が出て「うわ、高っ」と叫んだ。

 

 

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 ラブホテル「べんきょう部屋」を出ようとしたらフロントのマットには「また明日も来てください」と書かれていた。

 天下一品のお椀の底みたいなことを書くなあと思った。

 一人でラブホテルに行って何かを得たんだろうか。

 何にも得ることはなかったんだけども、でも妙な焦燥感からは解放されたような気がする。

 その気になれば一人でラブホテルだって行ける人間だというのは強みなのだろうか。

 でもラブホテルに一人で行けたんだったら、いろんな場所に一人で行ける気がする。

 多分、もっと遠くだって本当は一人で行けるはずなのだ。

 そうやって強引に強くまとめ上げている。

 そういい話ふうにまとめ上げて、私は私の心を騙そうとしているのだ。

 奇行だよ、こんなの。ただの奇行。

弘法、筆を選ばず感出しちゃった。

 弘法、筆を選ばずって言葉がある。書の達人であった弘法はどんな筆でも素晴らしい書を描いたという言葉であり、真の達人となれば道具はどんなものでもいいのだ、みたいな話としてよく使われている。

 先日、友人から「両目さん、写真うまいですよね。機材は何を使ってるんですか?」と聞かれた時、私は「iPhone」って弘法、筆を選んでないよの感じで言ってしまった。

 めっちゃいきってしまった。

 数日経っても無駄なイキりだったと思って後悔している。

 素直に「ありがとう~。最近はiPhoneだよ~」って可愛げのある感じでいえばよかったのに「iPhone」となぜ弘法、筆選んでない感じで言ってしまったのか。

 やはり、弘法、筆選んでない感じはかっこいいのだ。

 高い機材に頼らずにかっけえ写真を撮ってます感を出したかったのだ。

 めちゃくちゃ小さな自尊心だ。

 小さな自尊心。

 こんなもののために、私はイキってしまった。

 

 

 

 私は彼女がいないまま年齢を重ねてしまったのだけども、たまにめちゃくちゃ思うのが自分はもしかしたら浮気山ほどしちゃうタイプなのではないかということだ。

 これまで彼女がいなかったので自分は「真っ当な人間」だと思い込んでいたけども、弘法、筆を選んでない感じを出そうとする、つまりは小さな自尊心を満たそうとするやつだとすれば、彼女ができても、その幸せだとか当たり前を感謝するよりも小さな自尊心を満たそうとして、浮気山ほどに走ってしまうのではないか。

 自分への不信感がめちゃくちゃに強くなってしまった。ちなみに「浮気山ほど」は陣内智則が浮気を責められたときに「浮気山ほどやってたんや!」ってフレーズから来ています。面白いフレーズですね。浮気山ほどするのはよくないと思いつつ、面白いフレーズだとは思う。

 だから私は浮気山ほどするタイプなのだと思って生きていくのがいいのだと思う。現実には彼女がいないまま30代に突入しているのだとしても「私はもしかしたら浮気山ほどしていたのかもしれない。自分が思っているほどまともな人間ではないのかもしれない」と思うのがいいのかもしれない。

 あったかもしれない可能性。オルタナティブな私は小さな自尊心を満たそうとめちゃくちゃなことをしていたかもしれないのだ。怖い。それはめちゃくちゃに怖い。

 

 怖いといえば、もしデスゲーム的な極限状況に追い込まれた時に、弘法、筆を選ばず的な振る舞いをしようとする私は、絶対に主人公的な理性を働かせて生き残るタイプではないと思う。

 せいぜい、冒頭で見せしめに殺されるやつか、みんなが食べるご飯に毒を入れるやつが関の山だ。

 弘法、筆を選ばず的な振る舞いをするやつだ。どうせ碌でもないことをする。そして碌でもない死に方をするのだ。

 そう思うと、デスゲームの主人公は小さなイキりなんてしないのだ。藤原竜也は小さなイキりをしないだろう。するとしてもでかいイキりだ。真っ当な生き方、もしくはデカいイキりをする者がデスゲームでは生きることができる。

 つまり「iPhone」って小さくイキった私はすでに死が確定したのだ。

 30数年、それは長くも短い人生であった。

 私は、死の間際なにを思うのだろう。

 もっとああ生きればよかった。あんなことをすればよかった。

 いやもっと大事なことを忘れている。

 「両目さん、写真うまいですね。なんの機材を使ってるんですか」

 その質問を私は恥ずかしそうに答えるべきだったのだ。

 私はうつむきがちに「ありがとう。でもiPhoneで撮ってるねん」っていうべきだったのだ。

 その瞬間、人生は別のルートに入っただろう。

 オルタナティブな可能性が広がっていただろう。

 世界がきらめいて見えただろう。

 浮気を一切しない私の姿が。

 デスゲームで果敢に頑張る私の姿が。

 でも、それらは全て泡沫で、私は額に打ち込まれる銃弾で絶命する。

 全ては小さくイキってしまったからで、小さくイキるのは死に値することだというのことにやっとのことに私は気がついて、弘法もやっぱイキってたんじゃないかなって思いながら、額からはどくどくと血が溢れ出て、私の体は急激に冷たくなる。

 

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両目洞窟人間、第10回文学フリマ大阪の感想を書く。

皆様、こんにちは。両目洞窟人間です。
先日、第10回文学フリマ大阪に出店してきました。
初の文学フリマ出店。ここ数年の目標でもあったので、当日は緊張していました。
10時半ごろに会場に到着するともう会場は熱気に包まれていて、私も急いで準備をうわーとやりました。
持ってきたのは自作小説ZINE『両目猫舌通信』のVol.1~Vol.3、各10部ずつ、合計30部。
それと11月の東京文学フリマで柚子ハッカさんが配布するSFアンソロジー本(私も参加している)のチラシが30部。
どれだけ売れるんだろう。どれだけはけるんだろうと緊張しながら、一旦喫煙所に行ったりしていました。
すわーっとタバコを刷って戻ってきたら開場の時間。
私はもう汗だくになったりしておりました。


最初の数分は座って待っていたりしたんですけども、このままじゃ売れないなと早々に気がついて、立って呼び込みをすることにしました。
何を言うか悩んでとりあえず「喋るねこが出てくる小説ありますー」と連呼していたら、体感で30人に1人くらいは「ぴくっ」と反応。
そんな反応してくれる人がちょくちょくとブースに来てくださいました。
「しゃべる猫が出てくる小説売ってるんですか」
「はい。喋るねこが買ったフリージアの花が巨大化する小説があります」
「じゃあ、買います」
と面白がってくれた人が買ってくれたりしました。
その他にも、ブースにまっすぐ来ては三冊買ってくれた人もいたり、それぞれを二冊ずつ買ってくれた人もいたりで、結構売れ行きは思った以上に順調でびっくりしました。
呼び込みとどんな小説かを伝えるって大事だな~と思ったりしました。とはいえ、わたしはしゃべる猫が出てくる小説、というパワーワードがあったのは大きかったのかなとも思います。

なんだかんだで売れ続けて、結局14時半には持ってきていた30部全て売り切れ、チラシもすべて配り終わることができました。
まさか完売するとは思わなかったので、めちゃくちゃ嬉しかったです。

それから他のブースをやっと回って知り合いに会うことができたり、気になる本に出会えたり、欲しかった本を手に入れたり、海猫沢めろん先生と喋ることができたり、自分なりに文学フリマを楽しみました。
呼び込み疲れがここで出てきて15時半には帰ることにしました。
本当は残って片付けもしたかったのですが、申し訳ないなーと思いながらも疲れがピークで帰宅を選択。
終わってみると本当にあっという間な文学フリマでした。



終わって数日経って、あの時間はなんだったんだろう?と思ったりしました。
不思議な時間でした。
自分が書いたものが、見知らぬ人に興味を持ってもらえて、買われていくのがなんだか不思議だったなと改めて思ったりしました。
自己肯定感が低いからこんな気持ちになってるのかもしれないですけども、でも、やっぱり嬉しかったよなあと思うし、というか嬉しかったしかないしなあと思って数日過ごしておりました。
また文学フリマに参加したいなと思いました。
次は文学フリマ京都にできたら参加したい。もし参加するなら新刊を作りたい。
『両目猫舌通信』Vol.4を作りたいなと心から思いました。


ブースに来てくださった皆様、興味を持ってくださった皆様、買ってくださった皆様、ブースの周囲の皆様、そしてスタッフの皆様、本当にありがとうございました。
本当に楽しくて、素敵な日でした。
また買った本もぼちぼちと読みながら、今度はどんな本を作ろうかなと考えたいと思います。
それでは。楽しかったよ!!



終わったあとに1人で打ち上げをしている写真。こういう日に食べる中華って美味しいですね。