にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

最近の私。

 就労移行支援事務所に通い始めている。
 何度も書いていることだけども、鬱になってしまって会社にいけなくなったのが2017年の夏だったので、6年経ってやっとこさ就労移行までたどり着けた。
 といっても、今はまだ月水金の週三日間、午前中だけ通っている。
 まだ週五で午後まで通うってところまではたどり着いていない。
 できれば早くたどり着きたいけども、あんまり焦って、またぼろぼろになってしまうのは怖いので、とりあえず出来る範囲からでやっていこうと思う。
 6年かかったのだ。
 なんにしても今更だから、ちょっとくらいのゆっくり、別にかまいやしないだろう。
 そう自分に言い聞かせながら、日々やっております。


 就労移行支援事務所に通うようになって、前に比べても外に出るのが増えたからか、ちょっとばかり痩せたかもしれない。
 昨日、お風呂に入る時、鏡に映る自分を見て「あら痩せたかも」って思った。
 やっぱり外に出るのって本当エネルギー使ってるんですね。
 家で地道にリングフィットアドベンチャーをやっていたときよりも、体型が変わっていくスピードは速いような気もしている。
 外に出るのがなんだって早いのだ。


 外に出るようになって、ちょっと疲れる日が増えている。
 事務所から帰ると、だいたいリビングでぼんやりしている。
 人よりも時間があるんだけども、全然やりたいことなんてできずに、スマホばかり見ている。
 やっぱり慣れてないって状態だし、6年ぶりに日常的に何かに通うってことをし始めたばっかりだからってのもあるけども、疲労感は悔しさに繋がって「本当は色々したいのになー。うわー」と日々思っては寝てしまってる。
 働き始めたらもっと時間無くなってしまうわけだけども、今から疲労感とどう向き合っていけばいいんだろうって思ってしまってる。
 私、小説書くのが趣味だけども続けれるだろうか。
 疲労感の中で、小説を書いたり、「両目猫舌通信」ってZINEを出すことってできるんだろうか。


 小説を書き始めたの、会社に行けなくなったあとからだから、会社行きながら小説を書いてたって経験がない。
 それでちょっと怯えている部分もあるんだけども、なんにせよ、私はまた働かなきゃいけないと思ってる。
 日々の労働でちゃんと生活を成り立たせなきゃいけないとは思う。
 そちらが出来るかどうかの不安をまず感じるべきなのに、その先にある労働と趣味は両立するんだろうかって不安を感じてるのはなんでなんだろう。


 でも、そう思っちゃうのも仕方なくて、私は結局仕事にいい思い出なんてなくて、それでもまた戻らなきゃいけないからやっぱ気持ちはどこかで嫌々で。
 同時に鬱になってから、自分を助けてくれたものが小説を書くってことだったから、こっちが上手くいかなかったら生きてる実感わかないって気持ちになっているんだろう。
 仕事しながら小説が書けたらいいな。
 でも文学フリマであんなに多くの人が、普段仕事しながら本を出してたんだから、多分自分にだってできるはず、だと信じたい。
 人ができること、できないことばっかりの人生だったけども、こればかりは信じたいな。
 小説書き続けたいですね。


 といいながら、最近は全然新作書けてない。
 頑張らなきゃと思いつつ、またもや何にも思いつかなくてもやもやしてる。
 もともと思いつくタイプでもないんだから、ポメラやメモ帳アプリに向き合って、とりあえず書くしかないとも思うんだけども、そうしているとやせ細っちゃうような気もしてしまう。
 インプットとアウトプットの比率ってどれくらいはベストバランスなんだろう?とよく考える。
 今の自分のターンがインプットの方なのか、アウトプットの方なのかもわからない。
 そんでインプットしているのかと問われたら、それも微妙。
 小説を書くんだったら、小説を読むしかないと思うんだけども、小説を読むのは最近サボり気味だ。
 映画は相変わらず見てる。週に1~2本は見ている。これも多いのか少ないのかわからない。
 音楽はよく聞いてる。めっちゃ聞いてる。音楽はずっと好き。
 ラジオもよく聞いてる。ポッドキャストもよく聞いている。
 ゲームは最近していない。これも疲れてるから。
 書き出してみると、インプットしてるのかしてないのか、よく分からない状態だ。


 アウトプット、つまりは文章を書く時間をもっと取った方がいいんだろうなと思う。
 なんにせよ、文章は書かないといけないみたいだ。
 小説は文章の集まりだから、文章を書くことから逃げていては、そりゃ書けるものも書けないのだろう。
 文章を書くのは好きだ。自分でも自分の書く文章が好きだと思う。
 でも、小説はなかなか産み出すことができない。0から1にする瞬間はたまらなく好きだけども、ここには自分の中で確固たる産み出すメソッドがないため、どこか運頼みになっている部分もある。
 たまたま弾いていたフレーズやコード進行が気持ちよかったら、そのまま曲をつくりましょうな、感覚で小説を書いている気がする。
 じゃあ、バンドがスタジオでセッションをするように、私は文章をとにかく産み出し続けたらいいんじゃないの?って話なんですけども、本当そうですね。
 書いてて、納得したわ。とりあえず書かなきゃなんですね。
 とりあえずまた書いてみます。
 近いうちに何か産み出せたらいいな。


 話があちこちに行ったけども、とりあえず私は社会復帰に向けて頑張り始めてて、同時に今までやってきたことができるかも不安になってて、できれば両立できたら嬉しいなって話だよ。
 こうやってある程度、端的にまとめられることを、だらだら書くのが私は好きなのだ。
 だらだら書くのが好きじゃなかったら、小説なんて書いてない、そうじゃないか。


最近聞いている曲。

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爪痕

 最初に聞いたのはミッシェル・ガン・エレファントの『エレクトリック・サーカス』だった気がする。ミッシェル・ガン・エレファント解散のシングルで、それを公式サイトの45秒しか試聴できないやつで聞いた。
 当時は言語化できなかったけども、チバユウスケの歌声とアベフトシのギターのカッティングがかっこいいなってその45秒の試聴で思ったりした。
 何故『エレクトリック・サーカス』にたどり着いたかは、今となってはわからないけども、TSUTAYAで『エレクトリック・サーカス』を借りた記憶がある。それをCD-Rに焼いて、中学校の放送の時間に流したような気もする。


 次に『ミッシェル・ガン・エレファント』の名前を聞くのは、中学校二年生から通っていた塾でだった。その塾は本体があったんだけども、その入塾テストの成績が悪くて、そこは入れなくて、二駅くらい行った先にある、系列の個別指導塾に通うことになった。
 そこでは基本は問題集を解いて、合間で大学生のバイトの先生が教えてくれるみたいな感じで、でも私はめちゃくちゃおしゃべりで、よく怒られつつも、日ごとによって変わる大学生の先生に話しかけたりしていた。
「好きな映画とかありますか」とか「好きな音楽ありますか」とか、そんなことをよく聞いていた。カルチャーが好きになっていく中学生だったから、カルチャーの話をとにかくしたくて仕方なかった。
 ある日、私についてくれたのがゴスっぽい雰囲気の女の先生で、その人にもいつものように「好きな音楽はありますか」って聞いた。そしたら返ってきたのが「ミッシェル・ガン・エレファント」だった。
 その人はミッシェル・ガン・エレファントのライブにも何度も行って、凄かったことを伝えてくれた。
「何から聞いたらいいですか?」って聞いたのかもしれない。その人は「最後に出たライブ盤を聞いたらいい。最初の曲から最後の曲まで全部入ってるから」って教えてくれた。
 塾からの帰り、TSUTAYAでその先生が言っていたライブ盤『Last Heaven's Bootleg』を借りて、持っていたCDウォークマンに入れて再生ボタンを押した瞬間、一曲目『トカゲ』の格好いいギターが聞こえた。


 それからミッシェル・ガン・エレファントは当たり前のように私の人生に存在するようになった。
 でも覚えている音はスタジオ録音の曲よりも、そのライブ盤の音の方が多い。


 高校生になって、軽音楽部に入った。他校と一緒にライブをすることがあった。
 他校で格好いいバンドがいた。その人達が演奏していたのがミッシェル・ガン・エレファントだった。
 凄くかっこよくて、高校生の頃、よく憧れていた。
 高校生の頃、ミッシェル・ガン・エレファントのバンドスコアを買ったりして、試しに弾いてみたりした。学校のバンドでやるのは結局叶わなかったような気もする。


 卒業したあと、またバンドのメンバーで集まった時、ミッシェル・ガン・エレファントをやろうって話になって『ゲット・アップ・ルーシー』をコピーした。
 カッティングが結構難しくて、私はおぼつかないリズムと手で演奏をして、必死に歌った。
 上手くいったかは覚えてないけど、楽しかったような気はしている。


 大学生で演劇をしていた時に、劇が終わった時に流す音楽にThe Birthdayの『なぜか今日は』を提出した。劇にとてもあっている曲だと思ったからだった。「なぜか今日は殺人なんて起きない気がする でもその裏側には何かある気もする」ってサビの歌詞が似合う舞台だった。私は音響ブースにいて、劇が終わって暗転すると、再生ボタンを押して『なぜか今日は』を流した。「今日はありがとうございました」と劇団員が言う後ろで、チバユウスケは歌っていた。


 大学の頃、もう一つ所属していた映画サークルで幹部になった三回生はサークルブログを書かなきゃいけなかったんだけども、幹部としての期間も終わりに近づいて、最後に書いたブログでは『ダニー・ゴー』を引用した。
 何かが終わっていく中ではぴったりな曲のように思えたからだった。
 大学生らしいセンチメンタリズムだったと思う。


 中学生の頃はCDウォークマンで、高校生の頃はMDウォークマンで、大学生の頃は何千曲も入るようになったウォークマンで、社会人になってからはサブスクで聞いていた。
 ミッシェル・ガン・エレファント。ROSSO。The Birthday
 youtubeニコニコ動画にはライブ映像が上がっていた。
 アベフトシの弦が切れて、チバユウスケの声が枯れる、解散ライブの『世界の終わり』を何度も見た。映画のようだと思った。
 社会人になってから、ミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブのDVDをやっと買って、一時期は毎晩のように見ていた。
『ドロップ』から始まるのがかっこよくて、何度も見返した。


 鬱になって、家にこもりがちになっていた時に、The Birthdayだけを聞く時期があった。
 The Bithdayの曲はとても優しく聞こえた。私はその優しさが好きで、繰り返しThe Birthdayの曲を聞いていた。
 当時、フォロワーさんと文通をすることになった時、なんとなくそのことを書いた。
 多分、それほどまでにThe Birthdayは優しく聞こえていたんだと思う。


 祖母がある日倒れた。
 どうしたらいいか分からなくなったときに、脳裏に浮かんでいたのはThe Birthdayの『愛でぬりつぶせ』って曲だった

なあ パンクス
グチってばっかいねえで
愛で 愛でぬりつぶせ

ってフレーズを何故か思い出していた。
倒れてからあっという間に祖母は亡くなってしまった。



 去年の終わりに、小説を書いているフォロワーさんに、小説のディテール詰めのためとして高校の軽音楽部時代の頃を沢山聞かれた。
 色んなことを話しているうちに、軽音楽部時代のことを沢山思い出していた。
 その頃、父がガンの進行で寝たきりになっていた。
 私は父の介護をしながら軽音楽部時代のことをモチーフにした小説を書いていた。
 当時出来なかったミッシェル・ガン・エレファントのコピーを小説の中でやっていた。
書いている最中、ずっと「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ」を聞いていた。
 書き上げた小説に『デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ』とまんまのタイトルをつけて、ネットに発表をした。
 発表から数日後に父は亡くなった。
 その最中に、長らく連絡を取ってなかった友人から「読んだ」と連絡があった。色々を思い出して心に元気を貰ったと言ってくれた。
 辛い中で、それがとても嬉しかったのを覚えている。


 The Birthdayの曲に『爪痕』というのがある。一説にはアベフトシのことを歌った曲だとも言われている。

忘れてしまおうと思ったけど 
爪痕 消えなくて 消えなくて 
忘れてしまいたいと思ってたけど 
爪痕 消えなくて 消えなくて


 忘れてしまった時間も沢山あって、逆に忘れてしまいたいことほど沢山覚えている。
 自分にとってミッシェル・ガン・エレファントThe Birthdayも特別で、でも同時に当たり前に存在しているものだった。
 両バンドともライブを見ることがなかったから、イヤホンの奥の存在だった。
 だからこそ、チバユウスケの訃報はショックと共に、まだ実感という実感がわかない。
 あなたの作る音楽をまだまだ聞きたかったと思うと共に、これからも私はあなたが作った音楽を聞いていくんだと思う。
 何にしても、あなたの音楽は当たり前のようにずっと私の側にいました。
 あなたの訃報で、その当たり前だった日々をちょっと思い出してみたかったのです。
 あなたがいたからこそ、当たり前だった日々に。
 限りなく夏は続くと思っていたよ。


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Last Heaven's Bootleg

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長文書いてねえわあ…と身体と心がそわそわ

なんだか身体や心がそわそわすると思ったら、前回新作を書いてからもう1ヶ月経っていたのだった。

1ヶ月!あっという間やねえ〜と私はゆるい口元でそう呟いて、できればこの口元がねこ的なものであったらばと願うが、それは通じぬ願いであることも知っている。

同時に身体や心のそわそわは、1ヶ月も長文を書いてなかったことのそわそわであることも気がついているのだった。

「全て熟知、マイブラザー」とジム・ジャームッシュの映画『ゴースト・ドッグ』からのセリフを引用してみたくなる気持ちを引けらかしつつ、全部気がついてる、私はそうと言う。

長文を書いてなかった。それにより、身体と心がそわそわしていたのだった。

原因がわかっているならばすぐ解決すればいいじゃないかと思いの皆様、それは待ってくだせえってもんでございます。

というのも、ただ、長文を書けばいいってもんじゃないのです。

今読んでいるような気持ちを書き殴った長文もそりゃいいっちゃあいいのですが、出来ることならば、私は小説が書きたい。

出来ることならば短編小説が書きたいなと思うのです。

しかし、短編小説製造機としての私の打率はそれほどよくなくて、結構悩んだり、無の時間を過ごした上でやっと一作が生まれるくらいなものです。

職業作家だったらやっていけないくらいのんびりしたペースでしか、作品を生み出せません。

ただ、私は職業作家ではなく、ただの30代一般男性なので、気兼ねなくぼーっとできるわけです。

で、ぼーっとしすぎたのが、今、今、今。

長文書いてねえわあ…と身体と心がそわそわしてしまってる今というわけです。

 

 

 

さて、中身のない長文ですが、私としてはやっぱり短編小説を書きたいって思うのです。

が、毎回、毎回、生み出せるわけじゃない。

けども、文章を書くってことはしておいた方がいいなとは思う。

X(旧Twitter)に書き込みをすることもあるのですが、今更だけども140字で何を書いたらいいかわかんない気持ちになる。

私は文章に余分な言葉をつけたい気持ちにめっちゃなってしまうけども、140字はそれができなくて困ってしまう。

っていうストレスも抱えていたんだなって今、長文書いてて、やっとわかったりしてる。

長文をやっぱ書くべきだ。

毎日、いや、毎日はしんどい。出涸らしになる。でも週に一から二は長文が書きたい。

長文を書くことで何故か解消されるストレスもあると思うし、私は実際、なんか解消されてるような気持ちになってる。

長文いいね。書いていこうね。

 


だから、本音を言えば、ギター弾きがなんとなくギターを弾くように、トラックメイカーがなんとなくサンプルをいじったり、MPCを叩くように、そんな気持ちで文章を書きたい。

その先に、人様に公開しても恥ずかしくない小説が書けたら嬉しいと私は思ったりする。

また短編小説は書きます。

けども、今は書けないから、とりあえずこの長文を垂れ流す。

この長文のどこかの音が、気持ちいいなって思えて、それが、新作に繋がれば私は嬉しいと思ってるけども、今のところ繋がるかどうかなんてわからない。

それでも書いてみるしかない。

どちらにせよ、書くことでしか身体と心のそわそわも解消できないし、新作も書けないのだ。

 

 

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短編小説『I saw a savior』

I saw a savior

 

 

 

 カレーが食べたいにゃ!!!!!!と叫び出したい気持ちを抑えて、二本足で歩き、言葉を喋る、ねこのまち子さんは街を歩いていたわけですが、ここで実際に叫んだらどうなるだろう?ともまち子さんは思うわけです。

「カレーが食べたいにゃ!!!!!食わせろにゃ!!!!!」と街中でいきなり叫ぶ自分を想像するまち子さん。

 すぐさまに治安当局がやってきて、捕獲され、刑務所もしくは保健所に送られる姿がまぶたの裏に浮かびました。

 まち子さんはたまに思うのです。

 街中で突如頭がおかしくなってしまい、何かめちゃくちゃなことをしてしまう自分を。

 突然、頭がおかしくならないとは限らないにゃ、とまち子さんは怯えています。

 もちろん頭がおかしくならないように生きようとはしています。

 しかし、その発狂の予兆は生活の至る所で顔を出すのです。

 例えば、百貨店を歩いていて、ガラス細工のお店に入ってしまった時に、よくない想像が頭に浮かぶのです。

 ここで両腕を広げて、ぐるぐるとコマのように回転したら、ガラス細工はどうなっちゃうだろう?

 「うにゃにゃにゃにゃにゃーーー!!!」と叫びながら、数多のガラス細工を薙ぎ飛ばすまち子さん。

 騒然とする店内。

 警備員が駆けつけてまち子さんのがっと羽交締めにして「はなすのにゃ!!はなすのにゃ!!」と叫びます。

 床には粉々になりゴミと変わらなくなったガラス細工がただ転がっています。

 まち子さんだって、そんなことしたくないのです。

 でも発狂はいつ訪れるかわからないのです。

 というわけで、今、まち子さんはカレーを食わせろにゃ!!!!!と叫びたい気持ちと戦っているのです。

 まち子さんはふと思いました。叫びたい気持ちが発生している時点でもう発狂寸前なのではないかと。

 あと少しでも心の抑止力が弱まれば叫んじゃうのです。

 その状態は発狂と何が違うのでしょうか。

 まち子さんはぞっとし、同時に、いいじゃん叫んじゃいなよほらほら、という気持ちにもなり、「あぁっ……」と叫びそうになった瞬間、ちょっと歩いたところにカレー屋があることに気がつきました。

 まち子さんは半泣きになりながら、カレー屋に駆け込みました。

「いらっしゃいませー。お席空いてるところへどうぞー」

 カレー屋hurry重の女将は半泣きで入ってきたまち子さんを空いてる席に案内します。

 女将は「どうぞー」とコップに入った水を渡します。

まち子さんは「ありがとうございますにゃっ…」と言っては半泣きで水を飲み干すのでした。

 女将は、なんでこのねこのお客さんはは半泣きで水を飲んでるんやろかと思いましたが、お客さんって色んな人やねこがおるからね、と思って流すことにしました。

 こんっ、とまち子さんは水を飲み干したコップをテーブルに置き、メニューを眺め始めました。

・カレー

・カレー大盛り

・カツカレー

・カツカレー大盛り

ビーフカツカレー

ビーフカツカレー大盛り

・ハヤシライス

・ミンチカツ

・一口カツ

・焼肉定食

 まち子さんはメニュー表のこれらの単語に何度も何度も目を滑らせていきました。

「カレーを食わせろにゃ!!!!!」と叫びたかったのは確かにまち子さんでしたが、どんなカレーを食べたかったまでは考えてなかったのです。

 さっきまでは発狂寸前だったから、"どんなカレー"までを想像する余裕がなかったのです。

 まち子さんは具体的にカレーを食べるという段階になり、戸惑ってしまったのです。

 まち子さんをまたもや大きなパニックが襲い始めました。

 頭の中でどんどんどんどん、と大音量のダンスミュージックが流れ、まち子さんはその音に合わせて頭を振り、身体を捻って、踊り出したい気持ちになってきました。

 どんどんどんどん。とまち子さんの頭の中で4つ打ちのビートが爆音で流れています。

 ふいにテーブルに置いてある福神漬けを詰め込んだ容器が目に止まりました。

 もし私がこの福神漬けの容器を掴んでドアに向かって投げたら、女将はどんな顔をするだろう。

 にゃぁ、にゃあ、にゃあ、にゃあ、とまち子さんの息が荒くなっていきます。

 福神漬けを詰め込んだ容器に手を伸ばしていきます。

 掴んだら駄目にゃ。掴んだら駄目にゃ。掴んだら駄目にゃ。

 その思いを裏切るようにまち子さんの白い手は福神漬けの容器に伸びていきます。

 どんどんどんどん。

 にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ。

 容器の端に手が触れました。

 あ。

「お決まりでしょうか?」

 女将が話しかけてきました。

 まち子さんはそこで安心の片方で同時にパニックになりながら「あ、あ、カツカレーでお願いしますにゃ……、」と言って、女将は「はーい」と立ち去り、まち子さんは引っ込めた手を見ながらうなだれたのでした。

 

 

 

 女将はカレー屋hurry重の厨房に行き「カツカレーが1つ」と言いました。料理人が「はいよー」と言って、火をかけている鍋のカレーをお玉で混ぜるのでした。

「それと……」と女将は続けました。

「なんだい」

「三番テーブルに座ってるねこのお客さん。ちょっとおかしいんだよ」

「おかしいって?」

「あぶら汗をかいて、にゃあ、にゃあ、って荒い息してさあ」

「ちょっと走ってきたんじゃないの?」

「なんか、目もきょろきょろしてるしさあ」

「あらそう」

「そうなのよ」

「でも、今のところなんかしたってわけじゃないんだろ」

「まあそうだけどさあ」

「そしたら、うちにできるのはカレーを食べさせることだけだねえ」

「そうなんだけど」

 料理人は揚げたカツに包丁を入れていきます。

 カレーは煮えたっています。

 

 

 

 女将がホールに戻って、3番テーブルを見ると、ねこのお客さんは泣いているところでした。

 お水のコップが空だったので、女将は近づいて「お水、お継ぎしますねー」とコップに水を注ぎます。

 まち子さんは「あ、ありゃりゃとぉ、おじゃいましゅう…」と声にならない声で答えました。

 まち子さんはカツカレーを待ってる間、つくづく自分というものが嫌いになっていたのです。

 なぜ自分はこうなのか。

 なぜいつも自分はこうなってしまうのか。

 なぜすぐにパニックになってしまうのか。

 なぜすぐに汗だくになってしまうのか。

 もう何から何まで嫌だと思うけども、まち子さんは自分を捨てることができません。

 まち子さんはたまに"自分を脱ぎ捨てる自分"を想像しますが、その想像は現実になることはないのです。

 まち子さんは自分の背中にジッパーがあることを想像します。

 そのジッパーを引っ張ると、まち子さんは嫌いなまち子さん自身を脱ぎ捨てることができるのです。

 けども、そんなジッパーなんてない。

 まち子さんを構成しているのはどこまでいってもまち子さん自身なのです。

 どこまで逃げようともまち子さんはまち子さんから逃げることなんてできないのです。

 まち子さんは息を荒くしながら、もし今ここが、銃社会だったらという想像をするのです。

 まち子さんの手には拳銃があって、弾は6発入っていて、まち子さんは自分の頭に銃を突きつけて。

 頭に突きつける銃口の感触。それは冷たいのでしょうか。それとも痛いと感じるのでしょうか。

 引き金を引けば、カレー屋hurry重の壁に"まち子さんだったもの"が飛び散って、まち子さんはそのことにも申し訳ない気持ちになるのです。

 けども、今、生きて続けて生き恥を晒し続けるのとどっちがいいでしょうか。

 まち子さんは、どっちかわからなくて、頭に突きつけた拳銃の引き金に指をかけて、それで。それで。それで。

「カツカレーになります~」

 女将がカツカレーを持ってきました。

 その瞬間に、頭に突きつけていた拳銃は消え去って、まち子さんは「ありがとうございます」と言おうとしましたが、声が出なくて、会釈をすることしか出来ませんでした。

 

 

 

「やっぱあのお客さんおかしいよ」

「そうかい?」

「汗をだらだら流しながら、壁をじっと見てるんだよ」

「へえ。何を考えてたんだろうね」

「何って、大方、あのねこのことだから、拳銃で自分の頭を撃ち抜く想像でもしていたんじゃないかい」

「間違いねえや。あのねこのことだ、そんな想像をしていたに違いねえ」

「全く。死ぬなら別の場所にしてほしいねえ」

 

 

 

 またです。また女将たちの会話です。

 またまち子さんは女将たちがそんな会話をしているんじゃないかと怯えました。

 女将がキッチンに入る度に私の悪口を言ってるんじゃないかってまち子さんは思うのです。

 思えば、誰も彼もが私の悪口を言っている気がします。

 まち子さんは耳を塞ぎましたが、その悪口は頭の中で発せられているので、耳を塞いでも意味がありませんでした。

 まち子さんはぎゅっと目を瞑りました。

 それで、頭の声を気にしないことにして、目を開けて、テーブルの上のカツカレーに意識を集中しました。

 まち子さんはスプーンを持って、まずルーを掬い、ご飯と混ぜて、口に運びました。

 それはとても美味しいものでした。

 まち子さんは途端に嬉しくなって、ルーとご飯を口に運んでいきます。

 世界がまるで一瞬で好転したかのような感覚がまち子さんを襲います。

 全て、何も悪いことはなかったような気さえしてきます。

 カツにスプーンを入れると、それだけで切れてしまうほどにやわらかいものでした。

 一口大に切ったカツとルーとご飯を一気に頬張ります。

 とてもとても美味しくて、涙が溢れてきそうでした。

 いや、実際に涙が溢れています。

 まち子さんはぼろぼろぼろぼろと溢れる涙に動揺しながらも、それでもカレーを食べる手が止められませんでした。

 ぐすっぐすっ。うぇっ。うぇっ。と嗚咽混じりの中、まち子さんはカツカレーを食べ続けました。

 嬉しかったわけでも、悲しかったわけでもありません。

 ただ、現象として、涙が溢れて、そして止めることが叶わなかったのです。

 それが情けないような、悲しいような気持ちになって、その気持ちはさらに涙になっていきました。

 さっきの世界が好転した感覚はたった一瞬だけのものでした。

 またまち子さんはどうしようもない気持ちになったのです。

 

 

 

 まち子さんは20分近くかかって、やっとカツカレーを食べ終えることができました。

 食べ終わって、この店に長くいてはいけないと思い、すぐに席を立ち、レジに向かいました。

 女将がレジにやってきます。伝票を見た女将は「1200円です」と伝えました。

 まち子さんは震える手でがま口財布を開けて、そこから1200円を取り出して、支払いました。

 まち子さんは「ごちそうさまでした」と言おうとしましたが、嗚咽のせいで喉が締め付けられていて、声が全く出ませんでした。

 扉を開けます。

 女将が「ありがとうございました」と言う声が聞こえます。

 まち子さんの目の前に、歩道と道路が広がっています。

 店に入る前よりはましになってるような気もしましたが、同時に道路に飛び出したいような気持ちにもなりました。

 道路をふいにぼんやりと眺めていました。

 足が震えているような気もしました。

 遠くから一台の赤い車がやってきていました。

 まち子さんは、あの赤い車に今ぶつかったらどうなるだろう?と一瞬想像してしまいました。

 その瞬間です。

 赤い車がばうん!!!と大きな音を立てて、横転していきました。

 がうんがうんと赤い車が跳ねていきます。

 赤い車は跳ね回った挙句、止まっていたトラックの荷台にぶつかりやっと止まりました。

 その間、凄まじい音がしました。

 その音にまち子さんの背後の扉が開きます。

 女将が店から出てきて、惨状を目撃して「あ!やだ!!救急車をはやく!」と店の中に向かって叫びます。

 歩道から幾人かが、横転した赤い車に駆け寄ります。

 割れた窓から、運転手を引きずりだします。

 運転手は頭から血を流しています。

 運転手を抱えたカレー屋hurry重の料理人が「大丈夫かー!」と何度も呼びかけています。

 遠くから救急車のサイレンが聞こえてきます。

 街は一瞬にして混乱状態に陥りました。

 まち子さんは、その間、その赤い車を見ていました。

 ひしゃげた赤い車を見ていました。

 全ての窓が粉々に割れて、フレームはぐちゃぐちゃになって、オイルが道路に滴り、タイヤは空回りし、焦げたような匂いがするその赤い車を見ていました。

 めちゃくちゃになった赤い車を見ながら、まちこさんは心がすーっと透き通っていき、落ち着いていく感覚になっていきした。

 まち子さんは赤い車から目が離せなかったのです。

 まち子さんはあの赤い車は私で、私はあの赤い車なんだと思いました。

 私の全ての窓は粉々になっていて、私のフレームはぐちゃぐちゃになっていて

私のオイルは滴り落ちていて、私のタイヤは空回りし、私は焦げた匂いがしている。

 

 

 

 

 帰り道、まち子さんは電車に揺られながらふいに「今度はオムライスが食べたいにゃ!!!!!」と叫びたい気持ちになりました。

 まち子さんは、口に手をやって、ぐっと堪えて、流れる窓の外の風景に目をやります。

 そして頭の中で、先ほどのぐしゃぐしゃになった赤い車を思い出しました。

 ぐしゃぐしゃになった赤い車を思うと、「オムライスが食べたいにゃ!!!!!」なんて叫びたい衝動が減っていくのがわかりました。

 良かったにゃ。とまち子さんは思って、それから涙をぼろぼろ流しながら、本当に良かったと思ったのでした。

 私はあの車だ。

 私はあの壊れた赤い車なのだ。

 

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『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』を見た!!

『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』を見た!!

 あの『コワすぎ!』が帰ってくるというニュースを知ったとき、もうそりゃ飛び上がらん勢いで私は興奮してしまった。あの『コワすぎ!』の新作!?しかも映画!?『戦慄怪奇ファイル』じゃなくて『戦慄怪奇ワールド』!?飛び込む様々な情報に翻弄されつつも、『コワすぎ』が帰ってくる、そのことがたまらなく嬉しかった。
 2012年に始まった『コワすぎ!』。私はそのファンだった。
 その頃、私は大学生で『ノロイ』や『オカルト』でファンになっていた白石晃士監督の新作がどうやらTSUTAYAでレンタル開始になったらしい、で、それがどうやら面白いらしいとTwitterで流れてきて、早速借りたFile-1の『口裂け女捕獲作戦』の衝撃ったら。
 口裂け女を車で轢き、鉄バットを片手に「どこだー!!」と追いかけ回す、そんなホラーなんて見たこと無かった。
 その後も、シリーズを続けて見ていきFile-4の『真相!トイレの花子さん』ではあまりの面白さに「すげえ~」と頭をかきむしり、劇場版が公開されれば見に行って衝撃を受け、サイン会があれば就活帰りに行き、工藤さん役の大迫さんに「恫喝してくれませんか・・・」と頼み「馬鹿野郎!」と恫喝されて「ありがとうございます~!」と感謝し、最終章では『オカルト』から続く白石ユニバースに涙をし、超コワすぎは蛇女と人間の恋に感動を覚えつつ、エンディングで語られた「コワすぎ音頭」を楽しみに待ってたりしたのだった・・・・・・。
 その間の『カルト』や『ある優しき殺人者の記録』にも夢中になったことを含めて、2012年から2015年の間、大学生から社会人なりたてまでのその期間、『コワすぎ!』を中心とした白石晃士監督作品は私にとって青春だったのでした。



 時が経ち、白石監督もメジャーな作品を手がける監督になりました。
 ファンとしては嬉しいものの、またフェイクドキュメンタリーを手がけてくれないかなあと思っていた矢先の2022年に『オカルトの森へようこそ THE MOVIE』が公開されました。WOWOWで放送されたドラマ『オカルトの森へようこそ』を再編集したその映画は、まさに白石晃士作品ベスト盤でした。
 投稿映像。キチガイ。霊体ミミズ。なんか強い宇野祥平。なんか強くてイケメンの霊能者。すぐに死ぬ普通の霊能者。妙に強い助監督。怯える白石晃士。と『オカルト』や『カルト』そしてなにより『コワすぎ!』を感じさせる白石作品でした。
 しかし、同時にあまりにベスト盤だったため、もっとその先を見たいと思ったのも事実でした。
『オカルトの森へようこそ THE MOVIE』は白石晃士のベスト盤として文句の無い出来です。でも、それ以上のもの、あの頃の白石晃士の先が見たくなるのも勝手ながらファン心理というものでした。

 そこに来ての今回の『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』。私は公開初日にどきどきしながら見に行きました。本当に面白いだろうか・・・と。
 結論から言えば超面白くて、私があの頃愛したものはそのままで、それでいて新しい最新系の『コワすぎ!』がそこにはありました。


『コワすぎ!』の何に夢中になっていたか。『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』にはその全てがありました。
 一見して異常なことが起きている投稿映像。その動画の調査を行うキャラの立ったスタッフ陣(工藤と市川と田代ですね)。そしてその調査の過程で、思いも寄らぬことに巻き込まれていき、事態と映像が共に凄まじいことになっていく・・・!
 この異常に上がっていくテンションこそ、私が夢中になった『コワすぎ!』でした。
 『File4』を見たとき、面白くて頭をかきむしったと言いましたが、『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』でも「ここからはノーカットでお送りします」とテロップが出たとき、その気配を感じて「うわわ!」と嬉しくなり、そこからラストまで上り調子で上がっていくテンションに「面白え!面白え!!面白えよ!!!」とこちらのテンションまで上がったのでした。

 初見はあの「コワすぎ!」が帰ってきたこと。それがあまりに面白い形であったことが嬉しくて、しばらく映画館のロビーのソファーで動けなくなっていました。
 パンフレットのインタビューを読みながら、作品の衝撃を言語化しつつ、それでも見た物があまりに面白かったことを何よりも感謝していました。



 先日、弟が見に行くということで、私も付いていくことにしました。弟は初コワすぎ!どころか、初白石晃士作品です。これが初だなんて、なんていいのだろうと思いました。
 終わったあと、あそこが良かった、ここが良かった。と話し合う内に、『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』が本当に面白くて、本当に良かったなと私は物凄く感動したのでした。 さて、ここまでの感想で面白え!としか言ってないのはネタバレ要素があるからで、またそれが今作はテーマ性と物凄く結びついているというのがあります。
 なので、あまりに面白い作品だというのは伝えることができたと思う。だからあとは見て欲しい。その一点だけです。
 私はネタバレ込みの感想も書いておくべきだと思う。 
 というわけでここからはネタバレ。



 『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』の何に一番感動したかといえば、工藤のけじめの付け方でした。
 工藤は別の世界の自分が性加害を行っていることを知ります。
 そして何より、それは自分自身から生まれる感情だとも言われます。
 前の『コワすぎ!』から8年。前も工藤さんは酷い人間だったけども、8年の月日は、工藤さんをより時代遅れの人間として描く。
 有害な男性性の塊のような工藤さんは映画冒頭では相変わらずどころか何も変わらない。
 だけども、今回の出来事が、他の世界とはいえ「自分の有害な部分」から生まれたと知る。そして屋上で己と対峙した時に、工藤さんはこう言います。
「俺の中から何度も生まれてきても、その度に何度も殺してやるよ!」そう言って、鉄バッドを自分自身に振り下ろします。


 私は33歳男性です。正直なことを言えば、あまり良い状況の人生だなんて言えません。
 人生の状況が良くない男性が加害的になる、それも異性に、ということ山ほどありふれているじゃないですか。
 私自身は抗っているつもりです。けども、20代前半の自分が今思うと異性に対して酷いことを言っていたなと思うように、いつだって酷い自分になることはあるはずなのです。
 私がいつ自分の人生の状況の悪さを、そうじゃないのに、異性のせいにして、加害し始めることだってあるはずなのです。
 だからこそ、私はその「自分」が生まれてこようとも、殺せばいいんだというメッセージにぐっときてしまったのです。
 気に入らねえそんなくそみたいな自分が生まれてこれば、何度も殺せばいい。
 そうやって自分の「邪悪」の部分と向き合えばいいんだと。


 また中盤、ハルカが忌まわしき過去に向かって鉄バットを振るうシーンも私は泣いてしまいました。
 霊能者の鬼村が過去に干渉してはならないと言う中、市川が「やっていい」と言うのに泣いてしまった。
 そんな過去あっていいわけないから。そんな過去、なんて殺してしまった方がいいのです。
『コワすぎ!』を見て「性加害、まじで許せねえ」って気持ちになるなんて思わなかったな。
(『オカルトの森へようこそ』でも性加害は描かれていたのですが、今作の方が直接的にそれと戦う姿勢を見せている上に『オカルトの森へようこそ』はその被害者が怪異に取り込まれてしまうという展開が危うさをはらんでいるとも思いました)

 それにしても、玉緒師匠めっちゃ良くないですか。
 白石晃士作品お得意の強い霊能者の系譜ですけども、今回はギャルヤンキーにしか見えないんだけどもめっちゃ最強の霊能者っていう玉緒師匠。
 もう見ながら「ついていくよ玉緒師匠!!」って私は何度もなった。
 最強だし、柄悪いんだけども、チャームさもめっちゃある玉緒師匠。
 X(旧Twitter)に上がる玉緒師匠ファンアートをついついいいねしちゃう。
 玉緒師匠といえば、第4の壁を超えて観客の私たちに語りかけてくるシーンの良さったら!
 プリキュア映画的(白石晃士監督は『しまじろう』の映画から着想を得たとツイートしていました)な観客巻き込み型スタイルに私はここでも泣いてしまったのを告白したい。
 なんて熱い映画なんだって思ったし、玉緒師匠の思いに応えられるような人間であり続けたいですよね。



 『File4』の手法をさらに推し進めたような、ワンカット風で時間と場所をあちこち飛び回る映像の興奮ったら。
 昼間、走っているバスが気がついたら夜の廃墟の前へ。
 夜の廃墟にいたと思ったら、昼間の別建物へ。
 そして地下へ、夜へ、昼へ、過去へ、別世界へ。と次々と飛んでいく。
 無限回廊のような階段、無限回廊のような廊下。
 だいたいここでカット切り替わっているんだろうなと思うけども、あまりにスムーズだし、テンションが切れないし、だいたいどうやってこの数の時空の切り替わりを撮ったんだと思う。
 終盤なんて、無限に続くかのような廃墟を走っているだけといえば、そうなんだけども、私たちにはそれが異界にちゃんと見えている。
 それが凄いと思うし、異界に見えるその廃墟を走っているシーンってのがとにかく面白いと思ってしまう。
 だってよくよく考えたら人が走っているだけなんですよ。
 けども、物凄い映画としての興奮がそこにはある。
 ゴダールは「男と女と車と拳銃があれば映画が作れる」って言ったとか言ってないとか。
 けども白石晃士は「廃墟と役者とカメラがあればマルチバースを飛び回るホラーが撮れる」んですよ。これはめっちゃ凄いことじゃないですか。
 二回目見ているときは、廃墟を走り回るその映像に私は泣いていました。
 なんて面白いんだ。なんてこんな限定的な映像に面白いんだろうって。



 夏に『ちゃん呪』っていう短編小説を書きました。

gachahori.hatenadiary.jp


 それは『コワすぎFile4』の影響受けまくった小説でした。
 とにかくあの、ワンカットであちこちに飛び回る感覚を文章に落とし込めないかと思い、書いた物でした。
 けども『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』を見たら、本家はやっぱ段違いだな!って呆然としちゃった。悔しくもあったけども、やるならこれくらいやるんだ!という強さを見せつけられた気もします。



 白石監督いわく「コワすぎ!はこれが最終作」とのこと(とはいえ映画の興行収入がよければ続編あるかもとも言ってましたが、映画作るのって難しいだろうからリップサービスだと思っておきます・・・。)
 私にとって『コワすぎ!』は青春でした。
『コワすぎ!』の最新作かつ最終作はあの頃と同じくらい、いやそれ以上に楽しく、面白く、でもそれ以上に大人になった作品でした。
 私もそんな『コワすぎ!』の背中を追うように、生きて行けたらいいなと、ちょっと思ったりしたのでした。



 にしても、玉緒師匠の魔法のステッキ的なものが鉄パイプだったの、本当良かった。
 書ける気がしないからあれだけど、玉緒師匠二次創作はめっちゃ読みたい。
 玉緒師匠が色んな怪異と戦う話が読みてえ・・・・・・。


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