にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

両目洞窟人間のおすすめ自作短編集。

どうも、みなさまこんにちは、両目洞窟人間です。

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↑両目洞窟人間近影。

 

私は短編小説を時折書いておりまして、時折このブログ「にゃんこのいけにえ」にアップしています。しかし、ブログの性質上、どんどん潜ってしまいせっかく書いたのに埋もれてしまってやきもき。

というわけで今まで書いたやつでおすすめなやつをこのページにまとめておこうと思います。

いわゆるおすすめ自作短編集ってやつです。

ではいきましょう。

 

 

短編小説『世界を燃やしてほしかった』 - にゃんこのいけにえ

『世界を燃やして欲しかった』

あるどこにでもいる夫婦。でも二人には敗れた夢があって…。

あるバンドのある曲にオマージュを捧げた作品です。(小説の最後にyoutubeのリンクを乗っけているのがネタバラシ部分)

だいぶ初期に書いた作品ですが、未だに評判が良いです。

 

短編小説『The victim』 - にゃんこのいけにえ

『The victim』

奇病かつ難病にかかってしまった女性の話。生きづらさが最大限に高まっていた時に書いた短編小説です。

 

短編小説「岸田くんの小指を潰したい」 - にゃんこのいけにえ

『岸田くんの小指を潰したい』

こんなタイトルですが恋愛小説です。恋人の小指を潰したい女の子の話です。私自身恋愛というものがあんまりわかっておらず、愛ってなんだろうな…ってのを突き詰めた結果、小指を潰すという話になりました。こんなあらすじですがいい話です。

 

短編小説『ダンボール箱のさとこさん』 - にゃんこのいけにえ

ダンボール箱のさとこさん』

突然ダンボールをかぶって出社してきたさとこさんとそれを見守る若手社員の話です。これも生きづらいって気持ちの時に書きました。ダンボール箱をかぶったさとこさんのビジュアルが評判で結構この作品が好きって言ってくださる人も多いです。これもなんだかんだでいい話です。

 

短編小説『あの子は象牙の橋から飛び降りた』 - にゃんこのいけにえ

『あの子は象牙の橋から飛び降りた』

象牙の橋がある街に住む不登校の女の子の話です。後輩曰く、これが一番好きだそうです。雰囲気がね、よいですね、これは。僕も好きです。これもいい話ですね。

 

短編小説『2147年のスーベニア』 - にゃんこのいけにえ

『2147年のスーベニア』

荒廃した未来で、旧奈良に旅行に行くカップルの話です。これが一番好きっていう人も多いです。のんびりディストピアSFもしくはディストピア日常系。これも雰囲気が、よいですね。僕も大好きです。

 

短編小説『未来人、ニュータウンへ』 - にゃんこのいけにえ

『未来人、ニュータウンへ』

彼女に別れを切り出そうとしたら、彼女が実は未来人だったというお話です。これが一番好きという声もよく聞きます。こんな出だしですが、めちゃめちゃよい話です。「こんな話を無料で読めて申し訳ない」という感想をいただきました。なんて恐れ多い。手っ取り早く素敵な話が読みたい方はこれがおすすめです。

 

短編小説『笑いながら、へんな歌って言った。』 - にゃんこのいけにえ

『笑いながら、へんな歌って言った』

ナンバーガールを軸に、後輩男子と先輩女子との恋とも愛ともつかない関係性の話です。不器用な人に刺さる話みたいです。これも評判がいいです。『iggy pop funclub』を聴きながら読むともっとよいです。

 

短編小説『マッドサイエンティストになれなかった』 - にゃんこのいけにえ

マッドサイエンティストになれなかった』

学校に馴染めない女の子がマッドサイエンティストになろうと夢見る話です。個人的には思い入れが物凄くある小説ですが、同時にとてもバランスが悪いのも事実。とはいえ、これも刺さる人には刺さるみたいです。個人的な生きづらさシリーズの中で一旦の頂点を迎えた小説です。

 

短編小説『ランプ・妖精・ミルクフランス』 - にゃんこのいけにえ

『ランプ・妖精・ミルクフランス』

突然、妖精さんが見えるようになった女性が、妖精さんに導かれるままに神戸に行く話です。

一皮向けた!と言われるようになった作品です。これが好きって人も多いです。はっきりとした希望が描かれているので、初めて読むならこれがおすすめです。

 

短編小説『アイム(ノット)ミー』 - にゃんこのいけにえ

『アイム(ノット)ミー』

私という一人称に悩む女性の話です。これはめちゃくちゃ評判がいいです。"名文"という評価もいただきました。これを書いたあと、しばらく抜け殻になってしまったほど、自分の中でも初めて「書けた!」と思えた作品です。

これも素直におすすめしたい作品です。

 

短編小説『私じゃ、魔女になれない』 - にゃんこのいけにえ

『私じゃ魔女になれない』

外回り中の女性が魔法のステッキをたまたま拾ってしまったらゴスロリ魔法少女コスチュームが脱げなくなってしまったという話です。

賛否両論を呼んだ話です。個人的にはめっちゃ大好きなのですが、これはおすすめしづらい。

ただ、このグルーヴ感、後半のグロ展開は大好きなのです。多分、好きな人は好きなはず。

 

短編小説『そして赤ちゃんポストモダンは歌い始める』 - にゃんこのいけにえ

『ハローワールド!!!』

壊れたキティちゃんのポップコーンマシーンみたいな歌声を持つ女の子が音楽に出会う話です。キラキラした青春ものです。個人的にめちゃくちゃお気に入りな話です。キラキラ青春ものなので、キラキラしたいなーって時に読んでいただけると幸いです。

 

どてらねこのまち子さん『Also sprach Zarathustra』 - にゃんこのいけにえ

どてらねこのまち子さん『Also sprach Zarathustra』

私が書いているどてらねこのまち子さんというシリーズの一作。基本的にはどてらを着たねこのまち子さんがあちこち行くという話ですが、この『Also sprach Zarathustra』はまち子さんシリーズの中でも一番評判がよいです。

内容はまち子さんがドトール哲学書を読んでいると……という話。多分、思いもよらぬ展開になります。

基本的に1話完結ですので、これから読んで大丈夫です。

 

 

以上の作品がおすすめ作品になります。

何か気になったタイトル、あらすじ、気の迷いがあれば、読んでいただけたら幸いです。

『復讐 運命の訪問者』を見た!

『復讐 運命の訪問者』を見た!

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二人の借金取りの男が、ある家族の家に上がり込む。片方の男は「パチもんやな」と言いながら持っている拳銃を弄んでいる。家族の父は持っている金を渡すが、足りていない。銃声が鳴り響く。まず殺されたのはその家族の娘で、母親はあまりの事態に泣き叫んだ。しかしそのあと、続けざまに母親も父親も撃ち殺された。他に誰かいないか借金取りの男たちは探す。拳銃を持っていない一人の男が子供部屋に気がつく。そしてそこの押入れを開くと、怯えた男の子を見つけた。手を汚すのを嫌がった借金取りの男はその男の子を見逃すことにした。
それから時間は流れ、その男の子は警察官になった。警察官になった男はヤク中を追い詰めるが、そいつは自殺した。そのヤク中の指の指紋は焼かれて無くなっていた。そのヤク中の死体を引き取りに来た身元引受人を見て、警察官の男は気がつく。やつはあの男だ。俺の家族を皆殺しにし、そして押し入れに隠れていた俺を見逃した、あの男だ。



90年代に黒沢清監督は哀川翔と10本のVシネマを作った。なんて知ったふうな口を聞いたけども、それを知ったのは後追いも後追いで、先日黒沢清監督が自身のキャリアを振り返るインタビュー動画を見たからであった。ネットにはなんでもあるなあ。もちろん無いものもあるけども。それでも結構ある。

 90年代に映画監督としてまだなかなか売れていなかった黒沢清監督はVシネマの世界に入っていったそうです。ってVシネマ!もうVシネマという言葉も死語なのでしょうか。未だに色々と作品が作られているものの、Vシネマの存在感は消えつつあると思います。Vシネマは90年代にめちゃくちゃ盛り上がった映画ジャンル…というよりは公開形態と言ったほうが正しいのでしょうか。つまりは劇場公開前提で作られる映画ではなく劇場公開はせずに製作をしたらビデオスルー、TSUTAYAなどのレンタルビデオ専用の映画というのがVシネマでした。
 Vシネマブームって頃はまだ全然子供だったので、正直通ってはいないです。しかし、関西圏に住んでいた私はVシネマはすぐ隣にある存在でした。
 それは『ミナミの帝王』シリーズです。
 竹内力主演のVシネマミナミの帝王』シリーズですが、関西圏ではなぜか日曜の昼間によみうりテレビで放送されまくっていたのです。
 というわけで、Vシネマをレンタルしたことはなくとも、『ミナミの帝王』を見たことある、という関西圏の人はめちゃくちゃいるんじゃないでしょうか。
 千原ジュニアで『ミナミの帝王』が作られるようになる2010年代になるまで、竹内力版『ミナミの帝王』は何度も再放送され、関西の人は竹内力が歌う主題歌『欲望の街』のイントロからAメロちょっとまではさらりと歌えるようになったものでした…(放送されるのがAメロちょいまでだから)
 

欲望の街 竹内力

そんな竹内力と90年代のVシネマのスターの座を二分したのが哀川翔だと言われています。これももちろん後追いでございますが、それでも哀川翔が異常な人気だった空気はちょっと覚えています。
特に個人的に印象深いのは木更津キャッツアイでの本人役での出演です。スター哀川翔が木更津にやってきた!という回は哀川翔に喜ぶ地方都市のヤンキー達の歓喜を強く刻んでいて、哀川翔って人気だったんだなあ~と思ったものでした。
あとは2004年の哀川翔主演100本記念映画『ゼブラーマン』とその特番です。哀川翔Vシネマでの軌跡をたどる番組が地上波で流れていたのって凄いことだよね。今思うとやばいね。
そんな竹内力哀川翔がダブル主演をした三池崇史監督の『デッド・オア・アライブ 犯罪者』って作品を中学生のときに見てしまって脳みそが焼ききれそうになったという思い出はさておいて、だいぶ前段が長くなってしまいましたが今回は哀川翔主演で黒沢清監督による映画『復讐 運命の訪問者』の話です。


黒沢清監督は哀川翔に会う前、ものすごく怖がっていたそうです。ヤクザ映画に出ている人だ…もしかしたら怖いのでは…と思ってたそうです。
しかし哀川翔さんにあってみると、とてもチャーミングで人間味があって頭のいい人だったそうです。
そして哀川翔黒沢清監督にこう言いました。
「ヤクザ映画に出てますが、いろんな役がやりたいんです。なんでもやりましょう。多分、自分の出るVシネマっていうとある程度は本数が出ると思うので何をやっても大丈夫ですよ。監督、やりたいことをやりましょうよ」
哀川翔超かっこいい。
そして気がつくと哀川翔主演で10本撮っていたとのこと。
哀川翔主演でVシネマを10本撮ったけども、ヤクザ映画ではなく、コメディやホラーのようなシリアスなものも撮っていき、その経験は黒沢清監督にとってとても大きなものだったそうです。

今作はそんな中の一本。発表は97年(黒沢清監督は同年、あの名作『CURE』を発表しています!)。二部作で、後編に『復讐 消えない傷痕』があります。
前編の『復讐 運命の訪問者』の脚本は高橋洋。次年の98年には『リング』を発表しています。いろいろな人のキャリアのうねりの中で、発表されたこの『復讐 運命の訪問者』ですが、とにかく異様な映画で迫力があって恐ろしい映画でした。


『復讐』と名前がついているようにこの映画はいわゆる復讐ものです。復讐ものは昔からある一定数常に作られている映画ジャンルでありますし、古典と呼ばれる作品も復讐をテーマにしたものはとても多いです。なぜそれほどまでに作られるんでしょうか。ただ、復讐というのが物語を作る上でとても便利であるのは間違いありません。復讐こそ、主人公に行動を起こさせる動機であり、それを達成しなければいけないもの、そして何よりカタルシスを生む装置でもあるわけです。クソ野郎が主人公にひどいことをすればするほど、やり返したときの反動は大きいわけです。
ここ10年で一番視聴率を稼いだドラマ『半沢直樹』も復讐ものであったことを見れば、復讐ものは観客からしても求めているジャンルなのでしょう。
しかし同時に「復讐」は修羅の道でもあります。
なんせ、主人公を地獄に叩き込んだ相手と同じ場所まで堕ちなければいけないからです。
同じような地獄を相手に見せるには、手を汚さなければいけないのです。
そうすれば、観客は主人公に対して引いてしまうかもしれない。やりすぎの復讐は胸をスカっとさせるどころか、嫌な気持ちにしちゃうかもしれない。
だから定期的に復讐ものには「やめろ!復讐は何も生まない!」なんて言うキャラクターが出てくるわけです。
うるせえな~と思いつつも、そうやって止める人がいなきゃ、その果てに待っているのは地獄です。
じゃあ本当に誰もその復讐を止める人がいなかったら?そしてその相手が化物のような存在だったら?

というわけでネタバレなしはここまで。以下はネタバレを交えつつ書いていこうと思います。ネタバレを読みたくない人はここでお別れです。それではまた。さようなら。
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哀川翔演じる安城の家族を皆殺しにした宮路と名乗る男たちは表向きはクリーニング屋を営んでいます。また慈善事業として刑務所から出てきた若者の保護司にもやっています。でも裏では殺し屋の斡旋業者をやっており、そして暴力団とも繋がっていました。殺し屋の連中は身元を隠すために指紋を焼き潰しています。
その上、宮路たちは兄弟でした。もう一人、姉がいます。彼らは兄妹間で結婚もしているようでした。
安城が触れてしまったのは底なしの悪意です。そうして彼の復讐は徐々にその悪意に飲み込まれていきます。

そして恐れていたことがついに起こります。安城の妻が宮路たちに連れ去られ、そして殺されたのです。


同年に黒沢清監督が発表した映画『CURE』の印象的なシーンにでんでん演じる警官が交番で部下を撃ち殺すシーンがありました。そのシーンは長回しで、交番をじっと撮っていたと思ったら、突然でんでんが拳銃を取り出して部下を撃ち殺す、日常の延長のようなあっけない殺人シーンです。
この『復讐 運命の訪問者』は『CURE』のあのシーンの雰囲気でアクション映画を作ったらどうなるんだろう?みたいな実験作のような作品でした。
復讐もので一番盛り上がるのは主人公がついに復讐を果たすときです。今作では拳銃を手に入れた安城が宮路達と銃撃戦を繰り広げます。しかしその銃撃戦の空気ったら!『CURE』の交番のシーンのようにあっけない、というか日常の延長のような緩んだ雰囲気から行われる銃撃戦。そのあっけなさや緊張感のなさがとても恐ろしいのです。
そして肝心の銃撃戦での身体の動かし方も、普通の映画と違って異様です。
登場人物たちが銃撃戦を棒立ちで行ったり、もしくはてくてくと歩くその最中で行ったりします。
きびきびと動くことはありません。まるで、物を取るときの動きのように、散歩するときの動きのように、緊張感がなく動きます。
でも、銃弾が当たると簡単にその身体は崩れ落ちるのです。身体から生気が一瞬でなくなり、簡単にただの肉に変容するのです。
生きている人も死んでいるものも境界線がぼんやりとしかないなか、でもその境界線を超えてしまったら、人はただの肉になってしまうのです。
また長回しや役者やカメラの動線がものすごくかっこいいです。横に移動するカメラ。立体的に動く人間たち。その動きの気持ちよさから生まれるダイナミズムはたまらないものがあります。
特に廃工場での銃撃戦の、各々の動き方は超かっこいいです。3つ、大きく開いた扉がある廃工場での移動と銃撃が超最高でした。
でも、これらのアクションを中学生の頃の僕が見たら、多分めっちゃ怒ると思います。全然かっこよくない!なんて言うと思う。
しかし、この生きているはずの登場人物たちがまるで幽霊のように動く、そのアクションは、見たこと無いような異様な迫力に満ちていました。
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にしても全編通してとても怖い映画です。ずっと怖い。
オープニングから最後までずっと奇妙で気持ちが悪くそして超怖い。
ホラー映画のような重たい画作りもですが、この映画の気持ち悪さの一端には全貌の見えなさがあると思います。
「大きな陰謀が!!」と言った全貌の見えなさではなく、どこまで触っても全てはわからない。
この気持ち悪さはどこまで深いものなのか、全くわからない。
その全貌の見えなさがとても気持ち悪いのです。
そしてその全貌が見えないってのはある程度見えているからこそ、また見えない部分が気持ち悪く感じるのです。
見えている部分は細かなディティールで描写されている。でも見えない部分は全くみえない。
これが本当に怖いのです。

また怖いものとして、この映画では繰り返し「心が折れた人々」の描写があります。
それがまた嫌な後味を残していきます。
暴力は何が嫌なのでしょうか。痛いから?怖いから?
暴力は人の心を壊すのです。死の予感に人は大きく怯えるのです。
心が折れてしまった人の姿はとても恐ろしく感じます。それは彼らに心があることの現れです。
心があるのは生きているからで、その生きている人間が「死にたくない」と泣き叫ぶのです。
その姿を丁寧に描写するのがとても恐ろしいです。
観客は映画をただ見るしかできない。映画には干渉することができない。目の前で人がどれだけ暴力を振るわれていようが、助けることはできないのです。

映画の終わり、ついに安城は復讐を果たします。でもその瞬間、安城は完全に向こう側に行ってしまうのです。向こう側に行ってしまった表情で、宮路を撃ち殺します。そこにカタルシスはありません。ただただ嫌な後味だけが残りぞっとしていました。

この映画の後編である『復讐 消えない傷痕』はまたテイストが変わって、奇妙な映画なのですが、それはまたの機会に感想を書こうと思います。
黒沢清監督が哀川翔主演で撮ったVシネマである『復讐 運命の訪問者』。
間違いなく黒沢清映画としての刻印が濃く刻まれた作品でした。当時の哀川翔ファンはこの映画をどう見たのでしょうか。
それもまた気になりました。

ラストの哀川翔の表情にぞっとしていたら、突然アコギが鳴り響き、エンドクレジットでは哀川翔が歌を歌っていました。
やっぱり哀川翔はスターだったんだなと思いました。

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『霊的ボリシェヴィキ』を見た!(怖い話をするということ。もしくは人の声の力について)

霊的ボリシェヴィキ』を見た!

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廃墟に集まった数人の男女。彼らはパイプ椅子に座り、集音マイクの前で「怖かったこと」を話し始める。話はオープンリールデッキで録音されている。彼らの年齢も性別もばらばらだ。しかし一つの共通点がある。それは「人の死に触れたことがある」こと。
そして彼らは実験のために集まった。それはこの場所と「あの世」を繋ぐことだ。
頭上にはレーニンスターリン肖像画が飾られている。そして人々はボリシェヴィキ党歌を合唱する…。
Страны небывалой свободные дети,
Сегодня мы гордую песню поём
О партии самой могучей на свете,
О самом большом человеке своём.


【和訳付き】ボリシェヴィキ党歌(ロシア音楽)"Гимн партии большевиков" - カナ読み有


監督・脚本は映画『リング』やNetflixの『呪怨 呪いの家』を手掛けた高橋洋(なんて書いてるけども、私は『リング』はちゃんと見てないし、『呪怨 呪いの家』は未見です…)。主演は韓英恵

うわーいやだな怖いなーな映画でした。と感想を終えたいけども、多分これで「じゃあ、怖い映画なんだ」と見た人の半数くらいは「なんだこれ、怖くないじゃないか」ってなるのが火を見るよりも明らかだと思います。これは私が「いやー、マジョリティがわかんないものわかっちゃうんだよね~」な中学2年生な自意識をこじらせているわけではありません。むしろそこから距離を取りたいと思っております。しかし、このままではこの映画怖いと思っちゃうとか「そういう自意識なんじゃないの」と思われかねないですから、どう怖いと思ったか、それをかければと思います。以下よろしくおねがいします。


「結局、人が怖いってことじゃないですか」
そう言い放った男は杖で叩かれる。『霊的ボリシェヴィキ』が始まって10分という冒頭、まるで意見表明のようなシーンです。
「結局、人が一番怖い」ってことよく聞いたり、なんなら言ったりします。確かに、人は怖いです。ニュースを30分見ているだけでも、ぞっとするような人による暴力にふれることができます。私も、よく夜中に未解決事件を調べてはぞっとして眠れない夜を過ごしたりします。
それに対して「おばけ」や「幽霊」はたしかに怖い。でも、根底にあるには「信じきれなさ」じゃないでしょうか。
心霊スポットは確かにある。怖い話も沢山ある。心霊映像だって一大ジャンルです。
でも、心霊スポットはいくら気持ちが悪くても「おばけ」の存在を信じ切ることはできない。なぜならば見えないからです。この見えないというのは厄介で、見えないからこそ信じることができない。代わりに心霊スポットで起こってしまった殺人事件はおばけなんかよりも、ぞっとする。それは「本当にあったこと」だから。
怖い話も、怖いなやだな、と思いつつもどこか安心している。怖いということを楽しむ。夏の風物詩という言い方もあります。花火、かき氷、怖い話。
いくら百物語を一晩で話したらやばいと聞いていてもやっぱり信じてはいない。やっぱり見えてないから。
そして心霊映像はadobeが一般視聴者の知識として普及した今じゃ、実在感よりもその上手い騙し方を楽しむジャンルになっています。
おばけ、幽霊、心霊はいくら怖いと思っていても信じてはいない。それが大多数なのではないでしょうか。
だから平気で言っちゃうわけです。
「結局、人が一番怖いってことじゃないですか」
しかし、そう言った男は劇中、杖でしばかれてしまう。
人が一番怖いわけがない。馬鹿言っちゃいけない。
本当に一番恐ろしいのは霊です。
もっといえば、向こう側の存在です。
それを私達は「あの世」と言ったり、「異界」と言っています。
でも、どっちにしろ意味は同じです。それは触れちゃいけない境界線の先の世界です。
この映画で行われる実験はその向こう側の世界をこっち側と繋ぐというものです。
どうやって?
「怖い話」をすることで。
機械は集音マイクだけ。SF的なギミックは一切なし。ただ人々が怖い話をする。それを聞く。
どうやらそれが「異界」と繋がってしまうらしいのです。
…ってここで気がついてしまいます。その実験はこの映画の構造そのものなのです。もっといえば、映画というメディアの構造そのもの。
観客は映画をただ見ることしかできない。何が起ころうとも干渉することはできない。
異界への入り口を作るために人々が「怖い話」をしていくのを、どうすることもできない。ただ聞くことしかできない。聞いていたら異界が開いてしまうかもしれないのに。それでも聞くことしかできない。そうしているうちに映画はどんどん恐ろしいことになっていきます…。


ところで、映画を見た人ならわかると思うのですが、終盤怒涛のような展開になります。
正直「え?え???え?????」となっちゃって、映画についてもっと読み込みたいなって思っていたらいい本がありました。
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『映画の生体解剖 × 霊的ボリシェヴィキ』という本です。こちらはAmazon電子書籍として買うことができます。
カナザワ映画祭でのトークショーや、高橋洋監督のインタビューが掲載されておりまして、結構な映画についての解説もありますので、疑問が解消したり、なるほどこういう文脈のシーンだったのか~となること請け合いです。おすすめですのでぜひぜひです。(ちなみにアフィリエイトやってないので、私の小銭稼ぎではありません…)


というわけで、この文章では映画での「ここはこういう意味でー!」みたいなことはやらないです。それは上記の本をぜひ読んでください。
ここから映画の内容を記述しながらネタバレをいれつつ書きたいのは、初見時の気味悪さについてです。未見の方は、ここでお別れを。
ぜひ、映画を御覧ください。予告編を掲載しておきます。これを見ながらお別れを。またどこかで会いましょう。それでは。

韓英恵 主演の最恐心霊映画『霊的ボリシェヴィキ』予告編



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「怖い話をするということ。もしくは人の声の力について」

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人の声には力があるとされています。これは何もいわゆる新興宗教やパワースポット的なスピリチュアル的なことではなく、これまでの宗教や仏教感としてです。お経やお祈りが声を通してされてきました。声を通して人は自らの身を案じたり、幸せを祈ったりしたわけです。
同時に、呪詛という言葉があるように、呪いもまた「声」を通して生み出され、そして伝播していきます。
宗教な使い方じゃなくても「悪口」で人は心を病み、そして死に追い込まれることもあります。現代の日本のビジネスでは「コミュニケーション能力」という漠然としたものが求められています。アニメーションに声をつける声優が人気になり、イケボと呼ばれるかっこいい声を持つ人間が声だけで人気を得ることもある。
「声」というものを考えていくと際限がなくなっていきます。同時に声は際限がないほど、この世界で力を持っています。そして私達は「声」の力を嫌というほど知っているわけです。

「恐怖」という分野でも「声」というのは絶えず「恐ろしいもの」として扱われてきました。ライブテープに収録されたいるはずのない女の子の声。集団自殺をする人々の最後の瞬間を録音したテープ。洗脳をするために繰り返し再生される声。恫喝だって声だし、叫び声も声だ。
なんにしても「声」は恐ろしい。なぜならば繰り返しになるけども「声」には力があるからです。力があるから怖いのです。

「怖い話」をしていると幽霊がやってくる。なんてことも聞いたことあるかもしれません。それを100%信じていなくても、それを全部否定することはできない。どこかで「そうかもしれない」と思っている。声によって近づいてくるかもしれない。異界の人々が近づいてくるかもしれない。
声の力を知っているから、どこかではそう思ってしまう。声は恐ろしく、力があるから。

映画の後半、主人公の由紀子が「怖かったこと」を話していると、ついに空間に異変が生じてきます。
異音が鳴り響き、時間が歪む。登っていたはずの陽は沈み、夜になっている。電気は消え、停電は起きる。
「異界」とついに繋がってしまう。
そして由紀子自身も「異界」と同化し始める。

ぴょこぴょこぴょこと、速く歩く由紀子に「人間性」を感じることができない。もう「異界」の存在であるから、話が通用するような気がしない。

話が通用する…というのはとても大事なことだ。声をかけあって、コミュニケーションがとれるというのは安心をもたらす。
会話ができるというのは相互に安心することであるし、その場に二人の人間がお互いにお互いを信用すればそこに居場所が生まれる。
でも会話ができない、話が通用しない存在は恐ろしい。なんせ嫌なことが起きても「嫌だ」と伝えることができないのだ。
由紀子はそういう存在になってしまっている。
そして由紀子は光を見ている。いや見てしまっている。
どれだけ「異界」を信じていなくても、見てしまうともう話は別だ。
見てしまったら、存在しちゃうのだ。もうあるのだ。信じられないなんて言ってられない。
「光」を見てしまった人たちはどうなったか。あるものは啓示と思い、あるものは宗教戦争で兵士として名をあげた。でもそれはその時の社会や世界にとって、その「光」を見ちゃった人の言葉が有益であったから受け入れられ、英雄になっただけです。一人で光を見ちゃった人は、大抵の場合気が狂ってしまった人、そういう扱いになり、社会からは弾かれます。
だから光を見てしまうことはとても恐ろしいことなのです。光を見てしまったらそれがあることを信じなきゃいけない。なぜなら見なかった頃には戻れないからです。でも、光を見てしまったことを証明することはできない。一人で光を見てもそれが本当にあったことだなんて誰が説明できるでしょうか。
だから光を見るには大勢が必要です。気を保つために、狂ってしまわないように。
異界を開くには大勢が必要だったのです。
そして見てしまう。光を。異界の入り口を。ついに開いてしまった向こう側への境界線を。
でもうまくはいかない。
異界からは布にくるまれた女児が出てきただけです。それは本当の由紀子です。昔、神隠しに会ったときに本物の由紀子は異界に連れて行かれ、異界の由紀子が、本物としてずっとこちらの世界で生きていたわけです。
由紀子の両親は手紙でその真実を知り、自分が育てている由紀子が怪物であることを知って、恐怖に怯え、別れました。
由紀子の母は異界の由紀子を育てながらも、心では許すことができず、それが由紀子が語った「窓から由紀子を睨む母」という存在(もしくは生霊)を生み出したのかもしれません。
まあ、ここは勝手な考えです。別に大事ではありません。
ともかく異界は閉じてしまった。
異界の入り口は消えてしまった。
そして録音をずっと担当していた若い女が銃を取り出してこういいます。
「もうここは穢れてしまいました」
そして、皆を殺し、自分も自殺する。異界に触れてしまったら、もう死ぬしかない。


でも、死にゆく由紀子は見てしまう。
本物の由紀子がはいでて、外に出ていくのを。
これは本物の由紀子が現実に戻ってきたという幸せな終わりなのでしょうか。
でも、どこかそんな風には思えない。
黒沢清監督の『花子さん』のラストで異界の存在であった花子さんは街に放たれる。それは世界の終わりを予感させます。
異界の存在が外に出てしまうというのは、この世の理を破壊することなのです。
もし本物の由紀子だとしても、20年近く異界にいた由紀子です。それが世界に放たれることで、何が起きるのでしょうか。
映画はそこまで描写はしません。
でも死にゆく由紀子のアップに「終」とテロップが出るだけなのです。


この映画が怖いのはこの映画こそが「異界を繋ぐ実験」と同じ構造を持っていること。そしてそれが突飛な実験ではなく、我々が普段から意識している声の力をつかったものであること。そしてなにより「異界」というものに触れてしまうことの取り返しのつかなさを描いているからこそ怖いのです。
そして「異界」と接続する実験に参加するその人々の姿は「異界」というその恐怖に怯えながらもどうしようもなく惹かれてしまう私達観客そのものです。
「異界」はとても怖い。それでも大好きで仕方ない。
霊的ボリシェヴィキ』はそんな相反する感情を描いているからこそ、怖くて、それでも目が離せなくて愛おしい、そういう映画でありました。
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物語、書き方、どうやって。

 物語が書けない。

 色々と理由はあるんだろうけども、一番の理由は「書こうとしてなかったから」になる。

 なんや言うたかって、白紙の前に立って、文字を書いていくしかない。

 その他に理由はあれど、やっぱり書かない限りは書けないのだ。

 

 というわけで、私は今、物語が全く書けないという状態で、そして物語を書くってなんだったかを思い出すためにこうやって言葉をばちばちばちと打っているところだ。

 物語を書くってなんなのだろう。そして私はどうやって物語を書いていたのだろう?

 

 

 

 ものがたり【物語】

[名]

(1)ある事柄について話すこと。また、その内容。

(2)古くから語り伝えられてきた話。

(3)作者の見聞や想像をもとに虚構として作られ、相手に語る形式で書かれた散文作品。

 

 

 

手元にあった明鏡国語辞典で「物語」を引くとこんな意味が載っていて「はえー」と私は納得したような気になる。気になるだけでまたちゃんと意味は忘れちゃうだろうけども、この瞬間だけは意味は手に取るように把握している。というか忘れないように書き記しているから、そこを見れば意味はあっという間に把握できる。

やはり忘れないようにするには書き写すのが一番なんだな、学校教育は正しかったのだなと思いつつ、私が書いていた物語はどういうものだったか、国語辞典の意味と照らし合わせる。

 


(1)ある事柄について話すこと。また、その内容。

(2)古くから語り伝えられてきた話。

(3)作者の見聞や想像をもとに虚構として作られ、相手に語る形式で書かれた散文作品。

 


という風な3つの意味にわかれている。私がこれまで書いてきたことを照らし合わせるならば(1)「ある事柄についての話」と(3)「私の見聞や想像をもとに虚構として作られて、相手に語る形式で書かれた散文作品」ってことになるんだろう。

なるほど。おー。と今まで書いていた「物語」っつうものはこのように分類されるのか、と納得する。もしくは納得したような気になる。

 


しかし物語の意味は突き止めたけども、肝心の私が書きたい物語ってものは全くわからないままだ。私はどんな物語が書きたいのだろうか。国語辞典で「私の書きたい物語」なんて意味も載っていないし、こんな悩みを大人の男性が抱えているということすら、社会と大きくずれていて気持ち悪い気がする。

 


と、書いたところで私は「はぁっ!」と思い当たる。社会と大きくずれているという今、自分が書いた言葉に「はぁっ!」となる。

そうだ、私は社会と大きくずれてしまった人の物語を書きたいのだ。

 


なんて行き当たって見るものの、それは物語ではなく「テーマ」ってやつなんじゃないか?って疑念がわき上がる。

 

 

 

テーマ[Thema〔ドイツ〕]

[名]

(1)主題。題目。また、中心課題。

(2)音楽の主旋律。主題。

 

 

 

手元にある明鏡国語辞典での「テーマ」の意味はこのようになっている。やっぱりそうだ。社会からずれてしまった人ってのは「テーマ」の方だ。主題。題目。また、中心課題ってやつだ。物語を書くときに「テーマ」は大事だ。しかし「テーマ」を中心に据えすぎるのはどうしたものか。それを表現するために物語を書こうとするなんて、拡声器を持って自分の持論を長々と言うてるのと何が違うのだろうか。

とやっぱり、わけがわからなくなってきたので、一度アイスコーヒーを飲もうと思う。といっても、ペットボトルのアイスコーヒーで、なんなら氷は入れていなくて、ただの冷蔵庫で冷やしたペットボトルのコーヒー。ネスカフェの無糖のコーヒーを飲む。特に眠たいわけではないけども飲む。飲んでいると祖母が「ちょっと手伝って~」と声をかけてきた。そう私は今、祖母の家にいて、祖母の家の手伝いをしているのであった。私は手伝いをする。神棚においてある植物の水をかえて、また神棚に戻す。そうしてまた戻ってきたら「小説」の意味を国語辞典で引いたらええんちゃうと思い立つ。

 

 

 

しょうせつ【小説】

[名]

筋の展開や登場人物の心理・考えなどをとおして社会や人間の姿などを表現した散文体の文学。近代文学の一形式。

「短編小説・時代小説」

 

 

 

わかったような、わかってないような気になりながらも、私は少しだけ納得はする。過程を通してなんか最後に見えてくる・・・みたいなことな気がする。

AからF地点に行くとして、その行程をいかに面白く見せるかが小説というか私の好きな物語なのでは、と早合点しはじめるが、でもそれは多分正しい。

語りが上手い人ってのがいて、AからFについた時、そのFからの景色はそれほど綺麗じゃなくても、その行程があまりに面白くて楽しかったって気分になる人もいる。そしてF地点の景色が大事なのではなくて、AからFに行くその行程こそが大事だったのだって、そんなことを思わせてくれるような語りの上手い人。まあ、芸人のラジオを思い浮かべながら今は書いているんだけども。オードリーとかアルコ&ピースとか。

でも、多分そんな好きな芸人の語り口と、明鏡国語辞典に書かれた小説の意味ってのは近いところにあるのかもしれないくて、そしたらば私は好きなラジオのような小説が書けたらなーと思う。語り口が楽しくて、聞き終わったらなにかが立ち上がってくるようなそんなものが。

 


と思ったところで、どうやって物語を書いたらいいかは思い出せないしわからない。できればこの2000文字近くの思考から何かが立ち上がればいいなと思うけども、ここから見えてくるものは何もなくて、私はしばらく呆然としていたら祖母から庭掃除のお願いされたから、そっちに向かって雑草を抜いて、気持ちの良い汗をかく。もうすぐ、夏ですね。

 

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Podcast「はぐれラジオ純情派」について

お久しぶりです。両目洞窟人間29歳男性です。名前の後ろに年齢をつけていく、ナンバーガール中尾憲太郎スタイルを取り始めた頃は23歳だったのですが、あっという間にもう30歳前でびっくりしますね。
そんなことはさておいて、最近、Podcastをはじめました。
「はぐれラジオ純情派」という名のPodcastです。


喋っている人は私、両目洞窟人間とその弟です。
2020年になり、なんかしたいな、特にラジオやってみたいな、って気持ちが抑えきれなくなった私は、その場にいた弟を半ば強制的巻き込む形で初めたのでした。
まず、両目洞窟人間が誰か知らないのに、その弟って一体誰なんだよって話ですが、日本のあるところに住んでいる文化系な趣味が全面に出すぎている男性二人だと思っていただければ幸いです。

そんな「はぐれラジオ純情派」ですが、気がついたら15回もやっていました。いわゆる1クール超えってやつです。
15回も何を話してきたかといえば、特に実のある話はしておりません。
私と弟が好きなカルチャーの話を延々としております。
これまで話してきたカルチャーは
・映像研には手を出すな!
ドロヘドロ
・イドインベイテッド
・ミスター・ロボット
・ナイブス・アウト
シネマ歌舞伎阿弖流為
・おにぎりの具
・楽器のベース
・リーマン・トリロジー
・髑髏城の七人
ナンバーガール
・ミッドサマー
・ピクニックに持っていって一番盛り上がるのはシャボン玉
・あつまれどうぶつの森
・筋トレ
・ギャルと恐竜
波よ聞いてくれ
・ザ・ループ
などなどです。
その時々に興味があることをだいたい30分から1時間喋っております。
いろいろなカルチャーの感想を話し合っています。本当ただただ兄弟で最近のおすすめを話し合っているようなラジオです。
録音場所も実家(団地)です。実家の弟の部屋やらリビングやら場所も会話もゆるゆるでやっております。

今の所、月イチコーナーとして「月間映画感想~げつえいかん~」をやっています。
毎月一本、新作映画を映画館に見に行ってその感想を話すというものです。
これまでナイヴスアウトとミッドサマーをやりました。
三本目をやりたいなってところでコロナウイルスの驚異により、未だできてはいません。近々なんとかしてやりたいですね。
ちなみにコーナー名ですが、いいのがあればそちらに変えたいと願っています。
「げつえいかん」の発音は「月桂冠」と同じです。



聞ける場所ですが、意外とあちこちのサイトで聞けるみたいです。
例えばApplePodcast。

はぐれラジオ純情派

はぐれラジオ純情派

  • 両目洞窟人間
  • Hobbies
  • USD 0
podcasts.apple.com


そしてSpotify
open.spotify.com

google podcastでも聞けます。
podcasts.google.com


今の所、週一で更新しております。兄と弟、どちらかが実家を出ない限りは週一で更新し続けると思います。当分は出られそうにないので週一更新は続きそうです。

本当喋りたいから喋っているって感じの番組ですので、なにかをするときのBGMや移動中のお供、少し心寂しい日の雑音として使えると思います。

どれから聞いたらいいの?ってもし思われたら、興味がある話題をしている回、もしくはその時の最新回を聞いていただければです。
ここのところは自宅にずっといるので雑談メインですが、それはそれで聞きやすいとの評判です。


「はぐれラジオ純情派」に対する感想や意見、そして普通のお便り(うわ!ラジオっぽい)がありましたら、以下2パターンで声を届けることができます。

1、メールを送る。

hagujunradio@gmail.com

はぐじゅんラジオで覚えてください。

2、ツイッターのDM。

両目洞窟人間(@gachahori)のDM欄を開けております。


どちらか使いやすい方で、ぜひぜひです。


ではこれからも「はぐれラジオ純情派」をどうぞよろしくおねがいします。