小説、全然思いつかない。そういうものなので、とりあえずは自動書記スタイルでもいいから、文章を打っていこうと思う。
自動書記スタイル。向井秀徳はよく「獣のようなスタイルで」っていうけども、自動書記スタイルと書くと、私の脳内には眼鏡をかけてスーツ姿の男性がタイプライターをかちゃかちゃしている絵が浮かぶ。
ステレオタイプな映像って気がする。でも、私が思うものってだいたいステレオタイプだ。天才的な色鮮やかな発想など全然できないのだ。
現に小説も全然思いついていないわけだし。天才はすぐに思いつくという思い込みがある。
ダウ90000の蓮見さんとか物凄い数のネタを書いているらしいし、私なんてまだ70本くらい短編を書いたにすぎない。もっと書かなければと思う。
それはそれとして、私は家で小説が書けない。どこかに行かなきゃ小説が書けない。例えばそれはドトールだったり、タリーズだったりするわけだけども、そういう場所でポメラ開いてかちゃかちゃしないと小説が書けない。
家でなぜ小説が書けないんだろう。1つには家族の目が気になったりするからってのがあるし、2つには集中力がないってのがある。2つの集中力が大きいな。
とりあえず集中力がないのよ、今だってスマホを触りたいって気持ちを必死に押さえて文章を書いている。
家だとどうしても「だらっと」してしまう。それが嫌で喫茶店に行く。喫茶店だととりあえずポメラと向かわなきゃいけない。スマホにさえ手を伸ばさなきゃ、ポメラをかちゃかちゃと打つしかない。
またダウ90000の蓮見さんの話だけども、蓮見さんは家でネタを書くことができるらしい。凄い。私にはできない。天才だ。家で何かをできるのは天才だ。
オードリーの若林さんはよくタリーズでネタを書いていると言っている。先日Netflixで配信開始になった『Lighthouse』でも何日もタリーズに行っては「ネタが思い浮かばねえなあ」と嘆いたりしていると言っていた。「バカリズムだったらもう思いついているぞ!」と自分を説教しているらしい。私も思う。蓮見さんはもうネタを書いたぞ!って言いたくなる。
というわけで全然、小説思いついていないです。毎回、0を1にする行程はどうやっていたかなって思う。全く思い出せない。
毎回、どうやって小説を書いているんだろう。
なんかぱんっと弾けるような一瞬があって、その後はずっとぐにゃぐにゃとこねていたら、最終的には完成しているって感覚がある。
弾けるような一瞬じゃないけども、書き出しは面白くありたいなって思う。
できれば一行目からエンジン吹かしているような文章が書けたらいいなって思う。
実際、そんな文章が書けたら、あとは完成まで持って行けたりする。
推進力を持った文章さえ書けたら、あとはその勢いを絶やさずいけば、完成まで至る気がする。
問題はそんな文章が毎度生み出せるわけじゃないってことだ。
サイコロを5コ回して、全部ゾロ目が出るみたいなことを毎回期待するのはちゃうやろとなる。
ある程度の技術とか方法論は培っておかなきゃって思うのはそういうことで、感覚派でやってて、ある程度それがやれちゃうと、感覚は詰まった時に困っちゃうな~って思うわけです。
ってのが、自動書記スタイルで書いた小説が書けないっていう嘆きの文章です。