なんだか身体や心がそわそわすると思ったら、前回新作を書いてからもう1ヶ月経っていたのだった。
1ヶ月!あっという間やねえ〜と私はゆるい口元でそう呟いて、できればこの口元がねこ的なものであったらばと願うが、それは通じぬ願いであることも知っている。
同時に身体や心のそわそわは、1ヶ月も長文を書いてなかったことのそわそわであることも気がついているのだった。
「全て熟知、マイブラザー」とジム・ジャームッシュの映画『ゴースト・ドッグ』からのセリフを引用してみたくなる気持ちを引けらかしつつ、全部気がついてる、私はそうと言う。
長文を書いてなかった。それにより、身体と心がそわそわしていたのだった。
原因がわかっているならばすぐ解決すればいいじゃないかと思いの皆様、それは待ってくだせえってもんでございます。
というのも、ただ、長文を書けばいいってもんじゃないのです。
今読んでいるような気持ちを書き殴った長文もそりゃいいっちゃあいいのですが、出来ることならば、私は小説が書きたい。
出来ることならば短編小説が書きたいなと思うのです。
しかし、短編小説製造機としての私の打率はそれほどよくなくて、結構悩んだり、無の時間を過ごした上でやっと一作が生まれるくらいなものです。
職業作家だったらやっていけないくらいのんびりしたペースでしか、作品を生み出せません。
ただ、私は職業作家ではなく、ただの30代一般男性なので、気兼ねなくぼーっとできるわけです。
で、ぼーっとしすぎたのが、今、今、今。
長文書いてねえわあ…と身体と心がそわそわしてしまってる今というわけです。
さて、中身のない長文ですが、私としてはやっぱり短編小説を書きたいって思うのです。
が、毎回、毎回、生み出せるわけじゃない。
けども、文章を書くってことはしておいた方がいいなとは思う。
X(旧Twitter)に書き込みをすることもあるのですが、今更だけども140字で何を書いたらいいかわかんない気持ちになる。
私は文章に余分な言葉をつけたい気持ちにめっちゃなってしまうけども、140字はそれができなくて困ってしまう。
っていうストレスも抱えていたんだなって今、長文書いてて、やっとわかったりしてる。
長文をやっぱ書くべきだ。
毎日、いや、毎日はしんどい。出涸らしになる。でも週に一から二は長文が書きたい。
長文を書くことで何故か解消されるストレスもあると思うし、私は実際、なんか解消されてるような気持ちになってる。
長文いいね。書いていこうね。
だから、本音を言えば、ギター弾きがなんとなくギターを弾くように、トラックメイカーがなんとなくサンプルをいじったり、MPCを叩くように、そんな気持ちで文章を書きたい。
その先に、人様に公開しても恥ずかしくない小説が書けたら嬉しいと私は思ったりする。
また短編小説は書きます。
けども、今は書けないから、とりあえずこの長文を垂れ流す。
この長文のどこかの音が、気持ちいいなって思えて、それが、新作に繋がれば私は嬉しいと思ってるけども、今のところ繋がるかどうかなんてわからない。
それでも書いてみるしかない。
どちらにせよ、書くことでしか身体と心のそわそわも解消できないし、新作も書けないのだ。