最初に聞いたのはミッシェル・ガン・エレファントの『エレクトリック・サーカス』だった気がする。ミッシェル・ガン・エレファント解散のシングルで、それを公式サイトの45秒しか試聴できないやつで聞いた。
当時は言語化できなかったけども、チバユウスケの歌声とアベフトシのギターのカッティングがかっこいいなってその45秒の試聴で思ったりした。
何故『エレクトリック・サーカス』にたどり着いたかは、今となってはわからないけども、TSUTAYAで『エレクトリック・サーカス』を借りた記憶がある。それをCD-Rに焼いて、中学校の放送の時間に流したような気もする。
次に『ミッシェル・ガン・エレファント』の名前を聞くのは、中学校二年生から通っていた塾でだった。その塾は本体があったんだけども、その入塾テストの成績が悪くて、そこは入れなくて、二駅くらい行った先にある、系列の個別指導塾に通うことになった。
そこでは基本は問題集を解いて、合間で大学生のバイトの先生が教えてくれるみたいな感じで、でも私はめちゃくちゃおしゃべりで、よく怒られつつも、日ごとによって変わる大学生の先生に話しかけたりしていた。
「好きな映画とかありますか」とか「好きな音楽ありますか」とか、そんなことをよく聞いていた。カルチャーが好きになっていく中学生だったから、カルチャーの話をとにかくしたくて仕方なかった。
ある日、私についてくれたのがゴスっぽい雰囲気の女の先生で、その人にもいつものように「好きな音楽はありますか」って聞いた。そしたら返ってきたのが「ミッシェル・ガン・エレファント」だった。
その人はミッシェル・ガン・エレファントのライブにも何度も行って、凄かったことを伝えてくれた。
「何から聞いたらいいですか?」って聞いたのかもしれない。その人は「最後に出たライブ盤を聞いたらいい。最初の曲から最後の曲まで全部入ってるから」って教えてくれた。
塾からの帰り、TSUTAYAでその先生が言っていたライブ盤『Last Heaven's Bootleg』を借りて、持っていたCDウォークマンに入れて再生ボタンを押した瞬間、一曲目『トカゲ』の格好いいギターが聞こえた。
それからミッシェル・ガン・エレファントは当たり前のように私の人生に存在するようになった。
でも覚えている音はスタジオ録音の曲よりも、そのライブ盤の音の方が多い。
高校生になって、軽音楽部に入った。他校と一緒にライブをすることがあった。
他校で格好いいバンドがいた。その人達が演奏していたのがミッシェル・ガン・エレファントだった。
凄くかっこよくて、高校生の頃、よく憧れていた。
高校生の頃、ミッシェル・ガン・エレファントのバンドスコアを買ったりして、試しに弾いてみたりした。学校のバンドでやるのは結局叶わなかったような気もする。
卒業したあと、またバンドのメンバーで集まった時、ミッシェル・ガン・エレファントをやろうって話になって『ゲット・アップ・ルーシー』をコピーした。
カッティングが結構難しくて、私はおぼつかないリズムと手で演奏をして、必死に歌った。
上手くいったかは覚えてないけど、楽しかったような気はしている。
大学生で演劇をしていた時に、劇が終わった時に流す音楽にThe Birthdayの『なぜか今日は』を提出した。劇にとてもあっている曲だと思ったからだった。「なぜか今日は殺人なんて起きない気がする でもその裏側には何かある気もする」ってサビの歌詞が似合う舞台だった。私は音響ブースにいて、劇が終わって暗転すると、再生ボタンを押して『なぜか今日は』を流した。「今日はありがとうございました」と劇団員が言う後ろで、チバユウスケは歌っていた。
大学の頃、もう一つ所属していた映画サークルで幹部になった三回生はサークルブログを書かなきゃいけなかったんだけども、幹部としての期間も終わりに近づいて、最後に書いたブログでは『ダニー・ゴー』を引用した。
何かが終わっていく中ではぴったりな曲のように思えたからだった。
大学生らしいセンチメンタリズムだったと思う。
中学生の頃はCDウォークマンで、高校生の頃はMDウォークマンで、大学生の頃は何千曲も入るようになったウォークマンで、社会人になってからはサブスクで聞いていた。
ミッシェル・ガン・エレファント。ROSSO。The Birthday。
youtubeやニコニコ動画にはライブ映像が上がっていた。
アベフトシの弦が切れて、チバユウスケの声が枯れる、解散ライブの『世界の終わり』を何度も見た。映画のようだと思った。
社会人になってから、ミッシェル・ガン・エレファントの解散ライブのDVDをやっと買って、一時期は毎晩のように見ていた。
『ドロップ』から始まるのがかっこよくて、何度も見返した。
鬱になって、家にこもりがちになっていた時に、The Birthdayだけを聞く時期があった。
The Bithdayの曲はとても優しく聞こえた。私はその優しさが好きで、繰り返しThe Birthdayの曲を聞いていた。
当時、フォロワーさんと文通をすることになった時、なんとなくそのことを書いた。
多分、それほどまでにThe Birthdayは優しく聞こえていたんだと思う。
祖母がある日倒れた。
どうしたらいいか分からなくなったときに、脳裏に浮かんでいたのはThe Birthdayの『愛でぬりつぶせ』って曲だった
なあ パンクス
グチってばっかいねえで
愛で 愛でぬりつぶせ
ってフレーズを何故か思い出していた。
倒れてからあっという間に祖母は亡くなってしまった。
去年の終わりに、小説を書いているフォロワーさんに、小説のディテール詰めのためとして高校の軽音楽部時代の頃を沢山聞かれた。
色んなことを話しているうちに、軽音楽部時代のことを沢山思い出していた。
その頃、父がガンの進行で寝たきりになっていた。
私は父の介護をしながら軽音楽部時代のことをモチーフにした小説を書いていた。
当時出来なかったミッシェル・ガン・エレファントのコピーを小説の中でやっていた。
書いている最中、ずっと「デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ」を聞いていた。
書き上げた小説に『デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ』とまんまのタイトルをつけて、ネットに発表をした。
発表から数日後に父は亡くなった。
その最中に、長らく連絡を取ってなかった友人から「読んだ」と連絡があった。色々を思い出して心に元気を貰ったと言ってくれた。
辛い中で、それがとても嬉しかったのを覚えている。
The Birthdayの曲に『爪痕』というのがある。一説にはアベフトシのことを歌った曲だとも言われている。
忘れてしまおうと思ったけど
爪痕 消えなくて 消えなくて
忘れてしまいたいと思ってたけど
爪痕 消えなくて 消えなくて
忘れてしまった時間も沢山あって、逆に忘れてしまいたいことほど沢山覚えている。
自分にとってミッシェル・ガン・エレファントもThe Birthdayも特別で、でも同時に当たり前に存在しているものだった。
両バンドともライブを見ることがなかったから、イヤホンの奥の存在だった。
だからこそ、チバユウスケの訃報はショックと共に、まだ実感という実感がわかない。
あなたの作る音楽をまだまだ聞きたかったと思うと共に、これからも私はあなたが作った音楽を聞いていくんだと思う。
何にしても、あなたの音楽は当たり前のようにずっと私の側にいました。
あなたの訃報で、その当たり前だった日々をちょっと思い出してみたかったのです。
あなたがいたからこそ、当たり前だった日々に。
限りなく夏は続くと思っていたよ。