Dr.ハインリッヒの単独ライブ『波動告知』を見た。
凄かった。いや、凄かったとしかいえないのだ。1時間のライブだったのだけども、終わった頃には笑いすぎて頬が痛くなっていたし、奔放なイメージの濁流によって脳が熱くなってしまっていた。
Dr.ハインリッヒの漫才を何に例えたらいいのだろうか。見終わった後にふと思ったのは「高熱を出して寝込んでいるデヴィッド・リンチが見る夢」だったのだけども、違う気がするし、「デヴィッド・リンチが監督した日本昔ばなし」というのもうまく伝わらない。
ましてやシュールでひとくくりにするのはしょうもなさすぎる。しかし過度に言葉を修飾しすぎて、今から見るという人を怖がらせたくもない。
何よりそれはDr.ハインリッヒのお二人の佇まいを阻害している気がするからだ。
佇まい。そう佇まいなのだ。とにかく二人の佇まいが物凄くかっこいい。ミッシェル・ガン・エレファントを出囃子に颯爽と登場する姿に鳥肌が立ってしまった。ロックスターという言葉が廃れてもう久しいけども、それでもこの言葉を使うならば、ロックスターだったのだ。ロックスターが颯爽と登場し、マイクの前に立ち、そして漫才を繰り広げる。摩訶不思議な漫才を披露する。そして唐突にその漫才は終わって、また立ち去っていく。その佇まいのかっこよさよ!!
これまで、ぶっ飛ばされたとか、摩訶不思議とか言っているけども、観客を置いてけぼりにするわけではない。それどころか要所要所にえぐいくらいに突き刺さる言葉をぶち込んでくるのだ。
「メイキャップの話ではないですよ。あなたも仮面をつけて生きているんです」
「なにかを失ったわけではないのに、なにかを取り戻そうとしている」
「香港返還」
「新進気鋭の露出狂」
「あなたもなにかを作るメンバーに知らず知らずに参加している」
「独特の間合い」
「こんにちはー!!こんちは。こんにちはーーー!!」
「私はどの時代にも行きたくないし、何もしたくない」
こんなの序の口で、脳を揺さぶられるような言葉がDr.ハインリッヒの漫才には詰め込まれている。
そして言葉だけではなく、その言葉を紡ぎ合わせて広げられるイメージの豊かさったら!純文学のようで、絵本のようで、屏風絵のようで、夢のようで、何にでもないような。そしてなによりだけども、物凄く面白いのだ。とにかく笑ってしまうのだ。なんで笑っているかわからないけどもとにかくおかしい。本当におかしい。笑ってしまう。頬が痛くなるほど笑ってしまう。センス優先的なものじゃない。めちゃくちゃにお笑いしていることもちゃんと記しておきたい。
1時間のライブだったけども、1時間でよかったというか、もうこれ以上続いたら体調が悪くなるんじゃないかってくらい笑ったし、なにより見える世界が変わりすぎる気がしてしまった。そしてこのライブを見ることができて本当に良かったと思った。心の奥底からノックアウトしてしまった。
自分も変な短編小説を書いていたりしたけども、全然満足しちゃだめだと思った。というか自分のやっていたことがどれだけ浅瀬でやっていたかを思い知らされて恥ずかしくなった。Dr.ハインリッヒが作り出すハードコアなのに、ちゃんと面白いというものを見てしまった以上もっと頑張らなければならない。
ハードコアでありつつ、ちゃんと受けるものは作れるのだ。
単独ライブのタイトルは『波動告知』。波動についてはYouTubeに上がっているDr.ハインリッヒのトークライブ「ディアローグハインリッヒ」で語られているので、そちらを参照していただくとして、このライブを見た人は全員「波動」を感じたのではないだろうか。
これは決してスピリチュアルな話じゃない。確実に「波動」を感じるようなライブだったのだ。
1時間で9本の漫才。途中フリートークゾーンも幕間VTRも休憩もなし。ストイックな構成。
見た人に問いたい。「波動を見たかい?」と。私は見た。そして、あなたも見たはずだ。
アートワークにも言及したい。フライヤーやポストカード等を作成したのはヘンミモリさん。Dr.ハインリッヒの世界観を汲み取り、そしてめちゃくちゃかっこいいものを作っていて、これに心底痺れてしまった。
ヘンミモリさんとDr.ハインリッヒのコラボをこれからも見続けたい。この先、どんな作品を作り上げていくのだろう。とにかく楽しみは尽きない。
ライブを見終わってから、毎日、ミッシェル・ガン・エレファントを聴き、ディアローグハインリッヒを見て、そして漫才の内容を反芻している。それでも足りない。
とにかくまた見たいのだ。Dr.ハインリッヒの漫才が見たい。
また見る日まで、また波動を浴びる日まで、生き続けなきゃいけない。
生きる希望すら湧いてくるような、ものすごいライブだった。
ライブの始まりは彩さんのこんな言葉から始まった。
「やあ、信徒たちよ!」
私もすっかりDr.ハインリッヒの信徒の一人だ。