双極性障害とはいえ、軽躁と呼ばれるレベルのものだ。それ自体はめちゃくちゃ大変ってことじゃない。
それよりも、これまで鬱病という診断で、鬱病の薬を飲んでいたのだけども、全然調子が良くなく、なんなら一日動いたら、その次の日は寝込んでるみたいなのばっかだったのが、双極性障害の薬を飲むことになって、調子がだいぶ良くなっている。
2017年に精神をやってしまったのだけども、双極性障害の薬を飲んで、6年ぶりに「5日連続」で外に出ることができた。
私は感動すると同時に、この6年はなんだったんだろうという気持ちになったりした。
6年、そう6年である。
決して短い時間じゃない。
私はこの6年間、「5日連続」で外に出ることすら叶わなかったのだ。
それが、診断が双極性障害に変わって、薬が双極性障害のそれに変わった瞬間に「5日連続」外に出ることができた。
そのあっけなさに、私はどう気持ちを置けばいいかわからない。今も全然わからない。
6年間誤診を受けていた。というのはまた難しいところだ。
軽躁だったのがややこしかったみたいだ。
要するにもっと「双極性障害」として、派手な症状が出ていればそうだとわかったけども、私のそれは地味でわかりづらかったみたいだ。
思えば最初の病院では「心身症」から始まってる。次は「適応障害」、よく喋ることができるから「鬱」ってのも「ADHD」であることもわからなかったとさえ言われた。
今の病院は三つ目。正直今回のことがわかったのも父が亡くなったというのが大きい。
父との関係性や看病の生活が亡くなったことで終わり、じゃあ私の精神状態や身体状態も良くなるだろうと思っていたそうだが、全然良くならない。
それでやっと「双極性障害」じゃないか?と疑いが出たというわけらしい。
診断を下すのは難しいのだと思う。
私は自分の症状が派手だったら良かったのかなと思う。
そしたら、もっとわかりやすかったのにと思わないわけではない。
今はADHDを抑える薬と双極性障害の薬、それから精神安定剤を飲んでる。
そう書くと私も一介のメンヘラだなあと思うわけですが、実際そうなのだから仕方ない。
この6年間、失うことばかりだったような気もする。
仕事も失ったし、生活はままならないし、祖父も祖母も父も亡くなった。
仕事をしていない30代男性って結構風当たりも強い。サンマルクカフェで話しかけてきた老人に和やかに対応していたら30代無職だとわかるや否やに説教されたこともあるし。
そうじゃなくても、仕事していないと、社会との接点もどんどん薄くなっていく。
社会というか、他人と接点がないって結構恐ろしいことで、それが希薄な私はちゃんと生きれているだろうかと思う。
ちゃんとは生きれてないんだろうな。
ただ、私は私なりに頑張ってはいるのです。
たまに凄く悔しくなって、たまに凄く悲しくなって、たまに凄く怒りそうになるけども、それでもそっちに感情を持ってかれたくなくて、私はなるべくそれと戦いたいと思う。
お笑いコンビのDr.ハインリッヒがインタビューで「自分の中にいる子供を悲しませたくない」と言っていたけども、私も近い感覚がある。
私の中に小さな私がいて、その私が喜ぶようなことをしてあげたいのだ。
その私が喜ぶのは喋るねこだとか、友人とダラダラしてる時だとか、映画を見てる時だとか、料理がうまくいった時だとか、家族と仲良くやれている時だとか、そういう時で、悔しくなったり悲しんだり怒り狂ったり、そういう時ではないのだ。
私はその小さな私を可愛がってあげたい。
私はなるべくその為に頑張りたいと思う。
6年間、いくら失ってしまったという感覚はあっても、その悲しさに身も心もとられてしまってその場から動けなくなることだけは避けたい。
小さな私はそれを喜ばないだろうから。