2020年8月4日、Loft project主催で"『呪怨:呪いの家』ヒット記念!呪いの緊急生配信"というトークショーが行われました。
タイトルの通りNetflixドラマ『呪怨:呪いの家』に関するトークショーでした。
このドラマをとても楽しみました。そしてこのドラマについてもっと知りたい!知るならとことん知りたい!とこのトークショーの配信チケットを買い、2時間半のトークショーの間、ひたすらメモを取りまくっていました。
以下はその配信を見ての内容のメモになります。
これは自分の趣味として取っていたメモで、公開するつもりも全くありませんでした。有料の配信のため、道義に反すると思ったためです。自分のために取ったメモのため、読みづらい部分も多くあります。
しかしメモを改めて読み直したところ『呪怨:呪いの家』に関する興味深いことが多く語られていると思ったため、公開しようと思った次第です。
トークショーの配信から一年近く時間が経ったことから、このメモも公開してもいいかも…と思いましたが、関係者からもしだめですとなったらすぐに消します。
2020年8月4日
『呪怨:呪いの家』ヒット記念!呪いの生配信
【出演】
高橋洋(映画監督、『呪怨:呪いの家』 脚本)
平山夢明(小説家)
山口綾子(怪談師)
三宅唱(映画監督、『呪怨:呪いの家』 監督)
「そもそも呪怨:呪いの家はどのように始まったか?」
高橋「一瀬隆重さんから2019年に話があった。
一瀬はそもそも呪怨のオリジン、起源を作りたいと思っていた。Vシネ版が産まれる前の話をやりたい。これが一番最初のアイデア。」
「Vシネからのキャラクターを作ってきたが、それは飽きられている。別の角度からやりたい。」
「つまりは昭和の終わりから平成の始まり。
まだJホラーと名前が付く前の時代。」
95年はJホラーの企画が通り始めた頃。
理由は阪神大震災とサリンによる不安から→それによりホラーの企画が通る。
宮崎勤事件が起きているころの空気がJホラーにつながる。
高橋洋→Jホラーの揺籃期が作りたかった。
だから伽椰子、俊夫は出てこない。→しかしそれを思わせるものはある。
Vシネ版ももともとは清水崇は実際の事件を敏感に感じ取って、作られた作品。
やるからにはオリジナルに敬意を払いたい。
Vシネ版の姿勢とそれはずれていないと思う。
荒川良々、こういった役柄は珍しいのでは?
→本を書いている最中から一瀬隆重の中に主人公からは荒川良々のイメージがあった。
一瀬さんは舞台をよく見に行っていた。
しかし荒川良々がこれまでやっていた演技はコメディ的なもの。
どういうものかわからない…と高橋洋は感じていた。
高橋洋→作家に見える役者をキャスティングするのは難しい。
女優霊の柳ユーレイは中田秀夫監督が抜擢した。
柳ユーレイは監督に見える人。
荒川さんも結果として作家に見える人に写った。
平山夢明「大丈夫か?って思ったけどもベスト。呪怨は作り込みではなくドキュメンタリーホラー。しかし見知った人が出てくると困る。荒川良々は不気味に見える。それが真ん中にいて動き始めることに生々しさがある」
山口綾子「呪怨のファンからするとこれまでの答え合わせをするつもりだったのに、このNetflixは呪怨シリーズの中でも新しいものだと思った」
→呪怨は手数がめっちゃ多い。または話の展開が早い。これほど話の展開が早い邦画は仁義なき戦いしか思いつかない。最終的な落とし所が恐怖であることが発明だったのでは。
高橋洋「断片的な群像劇であることは今回も意識していた」
脚本を書く時はどういう風に?
一瀬隆重が大きな流れを組んで作った。30分1話で、どういう風にするかの構成した。
高橋洋はその構成に実録犯罪テイストをどんどん入れていった。2人でキャッチボールした作品。
M君(宮崎勤)が深夜番組プレステージをカーステレオで流していた。そういうエピソードを入れる。
三宅唱監督がさらに入りこむ。
M君がカセットを返してというときの手の動き→これは本当の宮崎勤には出来ない。
→だから宮崎勤とは違う人ということであると演出している。
平山夢明「湿度とは言えないが、重力みたいなものを感じる。それは高橋作品には感じる。いつの間にか引っ張られるような」
山口綾子「1話1話の終わり方が良かった。エンディングの曲凄かった」
エンディングの曲は一瀬隆重が見つけた。
アイヌの民謡。
ソンカイヨ。→ネズミが小鼠を従えて、餌を見つけようとするけども捕まる歌。
ソンカイヨ→子供を従えて。
この意味は偶然。
高橋「この想像のさせかた。とてもよい」
平山夢明「タイトルバックのイメージは、あの根が五芒星のように見えて魔界のように感じた。人間が産まれる前から遥かにあるもの。何か巨大な意図を感じる終わり方」
高橋洋「あれが一番怖いという人もいれば、あれに癒やされて見る」
平山夢明「ワンスアポンアタイムインアメリカを見たときに沢田研二がかかって死ぬかと思った」
平山夢明「あれ、ふいに彼とドライブしてて、あれが流れたら嫌だよね」
清水崇監督から感想はありましたが?
→高橋洋「まだ話せていない。でも僕は犬鳴村は絶賛した」
高橋洋「犬鳴村は凄えなって思った。病院の中で幽霊が出るシーンは特に。」
脚本はどれくらいの期間で作った?
去年の1月から3月、4月まで。
でも、監督が決まってからもぎりぎりまで。
6話ラストはぎりぎりまで迷った。
最初ははるかが歌手としても成功して、舞台裏に行ったらえらい目にあうってラスト。
最終的にはブリーフ男に襲われる。
平山夢明「まさかパンツ男に襲われて終わるなんて」
山口綾子「あのスピード感がいやだった」
平山夢明「通り魔みたい」
屋根裏で孕まされた女は本庄はるか?
→高橋洋「セカンドシーズンじゃないとなんともいえない。しかしセカンドシーズンはまだ決定していない。Netflixの反応次第」
一瀬隆重は凄く喜んでた。一時期ベストテンの2位まで行った。
しかし韓流にはかなわないってなりました。
やっぱホラー映画はそうだよね。
平山夢明「CM凄くよかった。思いっきりぶん殴りにいってるのが。本気を感じた」
コマーシャルの表現は若い人はそれでも大丈夫なのか?
→山口さんは学校の怪談世代だから慣れている。けども今の時代は自主制限だからCMを見るだけでも気持ちがあがった。
小田島のお父さんと6話のユウサクの死に方が印象的だったけども、あれは霊圧でしょうか?
→高橋洋「あれは1シーズンの中でも、棺の中で異様な顔で死んでいるのと同じくらい賛否両論」
消えちゃうやつはどうだった?
→平山「あれはありだと思った」
平山夢明「あの辺りの表現にヘレディタリーを思った。話の離陸はリアルなんだけども、コアの部分はホラー独自のものが欲しくなるから、ああいうのは基本的にはあんまりに好きじゃないけども、これに関しては好き」
山口「怪談新耳袋の"記憶"を思い出した」
高橋洋「あれって霊圧かわからないですけども。あれって昔、アメリカの田舎であった。アンブローズ・ビアスが書いてる。いかにも実録みたいに書いてるけども、それで都市伝説のようになっている。」
→
消えた2人は共通していることは妊娠した女を差し出そうとして、しくじってしまった。
それで消されてしまった。
平山「1話目じゃなくて6話だからグルーブがかかっていていい」
山口「初歩的な質問だけども「呪怨は本当の話」ってのはどこまで本当?」
→清水崇は市井で不倫の果てやネグレクト等の起きている陰惨な事件に触発されている。
→それとサカキバラ事件等をかけあわせた作品。
ホラーはある種の教訓があるからいい。
平山「ホラーは幸せになれない場合の検証例をいくつも出していく。薬の効能書きみたいなもん。薬だけだから死にますって書いてるのは。僕らが頑張ってるのは、こういうことをしたら幸せになれないってカードを積み重ねていってるんだよ」
ここで高橋洋監督・脚本による短編映画『彼方より』が上映される。
引用元
ハイナー・ミュラー『ハムレットマシーン』、『マクベス(改作)』
トマス・ド・クインシー『マクベス劇中の門口のノックについて』
「彼方より」を鑑賞して。
高橋「最後のイナゴの大群はいま問題になっていること。聖書レベルの危機は国連が本当に言ってること。
アルプスを超えて→正しくはヒマラヤなんだけども、教えてくれた人がアルプスって言ってて間違えてるけどもリアルを撮った。
画面撮りはiPhoneで撮った。
ディスプレイ上を再撮影すると妙に立体的に見える。→これはまだまだいけるんじゃないの!
沖島勲捧ぐ→フィクションの形でディスカッション映画を作っていて、沖島勲さんがやっていたことに近いことに仕上げの段階で気がついたので捧げた。
最後に歌う歌はエンリオ・モリコーネのエクソシスト2のリーガンのテーマ→しかし音程が外れているってのは著作権対策。」
山口「あえて、リモートの悪いところを残しているのか?」→電波状態が悪くてフリーズしたのはたまたまなった。しかし"権力の手先を逆さ吊りにする"という台詞を言うと、何故かなるのでそのまま使った。
平山「リモート映画を作ると映画が死ぬんじゃないか?ってことに対する対抗なのか?」
→榎本さんが言った「リモート映画は映画の死を加速させる」と言っていたが「リモート映画についてできることあるんじゃないか?」と思い、彼方よりを作った。まだまだできることがあると思う。
三宅唱監督がついに登場。
ここで観客からの質問に回答していく。
「黒い女はなんですか?」
→三宅唱監督「現場では、黒い女は誰が演じるか?と解釈した。ちゃんと読んでいくと聖美を演じた里々佳さんが演じるべきだろうとなった。しかし聖美が過去に見えていたかどうかは実際にはわからない。しかし物理的には聖美が似ている必要があると思い、里々佳さんに黒く塗って演じてもらった。黒く塗った里々佳さんに小田島の子役の子が泣いちゃったってのがありました」
高橋「里々佳さんの目だから眼力が出たってのがありましたね。Jホラーとして新しいいろんなことをやったけども一番うまく行ったのは黒い女だと思う。説明するとつまらなくなっちゃうけどもこれは異界から来た何か。
もともとはイナゴの大群情報を教えてくれた知り合いの子供が新宿御苑の大きい木を3周したら突然消えた。探し回ったら、子供は見つかったけどもかぼちゃの頭をした人間の絵を描いていた。木を3周していたときにかぼちゃの頭をしたものに連れ去られたと言った。5年前の話」
「わけのわからないものに出会った子供がかぼちゃの何かと解釈した」
そういえばと、平山「人間って物凄い硬いもので叩かれるとかぼちゃみたいになるんですよ。」
山口「かぼちゃの幽霊を見たことがある。心霊写真に白い煙でできたかぼちゃが写っていた。拡大したらおじいさんや子供やらが大量に横に密集したのがかぼちゃのように見えた」
→高橋「アルチンボルドのだまし絵みたいですね」
高橋洋「新宿御苑の話を聞いたときに思い出したのは、知り合いの美術さんが新宿スバルビル前で早朝に解散したときに、新宿の目の近くで頭はかぼちゃ、そして身体は針金のような人がひょこったんひょこったんとすれ違った。くるっと振り返ると周りの通行人が見てみぬ振りをしていた。新宿に異形のものがいるんじゃないか笑」
高橋洋「つまりはわからないものに出会った時の形象化である。しかしかぼちゃにすると笑っちゃうから黒い女にした」
平山が三宅監督に「一時期、呪怨シリーズは味がなくなった中でよく作ったなと思った。後半のエンディングの曲とロケ地が潜在意識的に残るようなものがあった(ブレア・ウィッチ・プロジェクトを思い出した)あれはどこで撮った」
三宅唱「いっていいかわからないけども北海道の神の子池という場所。自分は行っていない。それをいっていいかわからないけども。エンディングの曲を最初に聞いたとき、アイヌの歌という情報をもってきいたけども、なんていうか、普通の曲のような楽しいやいいという感情ではなく、違う場所で感情を感じるような曲だと思った」
平山「あのエンディング曲があることによって、重みがついたような気がする。幸せな出会い」
三宅監督「怪談師の方と初めて話します」
山口「三宅監督はホラーが好きですか?」
→三宅「とても怖がりです」
自分の怖がりな部分がホラーを作るのに活かされているか?
→三宅「こわがりだと、基準がゆるくならないか?と心配だった。しかし一瀬隆重プロデューサーと詰めを相談しながらつくった。怖いな怖いなと思いながら作った」
平山「脚本は一瀬隆重と高橋洋の共同ということであったが、現場でも一瀬さんがかなりこだわったところはあったか?」
三宅「白い服の女が話数を重ねる中でどのようなグラデーションを重ねていくかをどういうテクニックで見せるかを共通させた。現場ではバージョン違いもいくつか撮った。それをやる余裕があった。トータルでは休みを入れて6週間強あった。しかし個人的にはもう少し欲しかった。30分という尺とはいえ、やることが1シーン1シーン物理的にやることがあったので、結構やることは沢山あった。まいにちフルでつかった」
山口「呪怨って有名な家がもともとあるが、別の家を選んだ理由はありますか?」
三宅「清水崇監督が撮ってたあの家はもう無い。駐車場に変わった。だから新しい家をさがした。ロケハンで何軒も回って決めた。しかしもうすでにこの家も取り壊されている。事前に取り壊しが決まっていた。というわけで好き勝手やった。好き勝手やるのが前提だったのでそれで探した。」
平山「荒川さんがこういう役は珍しいと思うがどうだったか?」
三宅「荒川さんは最高だった。ご本人もコメディタッチではないので戸惑ってはいたが、笑いはないですと伝えていたし、一緒にやって一個のシーンで10個のリアクションができる細かい演技ができる人。だから、トーンを決めたり、キャラの雰囲気が決めれたと思う」
平山「過去のトラウマや引力に縛られた人」
三宅「現場では小田島のキャラに笑っていた。例えば葬式であのことを言うのはこれ言う!?と笑ったりした。しかし棺桶で写真を撮るか撮らないかは悩んだ。ト書きではなかったが、これをやると超えてしまうからやめようと言った」
平山「彼氏の死に顔とお父さんが霊圧で死ぬシーンはどうやった?」
三宅「死に顔は難しかった。あけてちょうど見えるカットは使わないようにして、順番変えて、タイミングをずらす必要があると思ってそうした。玉手箱方式だとまずい。消えるところはシナリオだとあれじゃなかった。現場的な事情で変わった。
高橋「最初は正気を失って路上で車にひかれる。それはやめて突拍子もないものにした」
平山「あるいみ歌舞伎の見得を思った。おまえたちが見ているのはホラーなんだよ!と突きつけるシーン」
三宅「屋根裏が必然的に高い。最初に屋根裏にあがるところで派手な劇伴がかかる。映画がはじまるぞ!と映画に一歩踏み出すようなシーンで気に入っている」
平山「あの屋根裏が禍々しい魔のジェネレーター」
高橋「シナリオではどれくらい照明やカメラワークの指示はあったか?それはほとんどないが、家でミチコが霊視をするシーンは、軽く描いた」
三宅「脚本のト書きの書き方や文のリズムでこういうカット割りなのかなと感じた。文に演出してもらったと思った」
「デジタルでの撮影や画面設計にはどういう狙いが?」
→「オファーを受けた時点で人間ドラマや実録犯罪や本当にあった話として撮って欲しいという意図があったので、いわゆるJホラーの作法でやるのは違うんだろうなと、気がついたらJホラーに入っている。ドラマシーンはドラマ、ホラーシーンはホラーとぱきっと切り替えるのも違うから、バランスをぼやかすことを考えて撮った」
カメラマンと三宅監督がリチャード・フライシャーの十番街の殺人を見返したのはなぜ?
→具体的に活かそうというわけではないけども、直感的にただのホラーじゃない、だだのホラーっていい方も違うんだけども、ノワール映画を見ておいた方がいいと思った。
平山「見ていて、自分たちの世界と地続きにある感じがぞくぞくして面白かった」
三宅「地続きが自分も一番怖いと思ったのでできてよかった」
山口「呪怨 呪いの家というタイトルですが、あえて原点であるとタイトルにしなかったのは意図があるのか?」
→高橋「呪怨 呪いの家というタイトルになったのは伽椰子とかの死んだ人の話ではなく家という場所の話になったから、そのタイトルになってよかったと思う」
アメリカのタイトルは呪怨オリジンズ。→エピソード0的な狙い方。
平山「反響はあったか?」
→三宅「一回、全力でTwitter検索をした。楽しかった。ユーチューバーがびびってるリアクション動画が最高に楽しかった。すっごい参考になった」
Twitterで中国語で見ると面白いって感想があった。音声が中国語とか選べる。
英語の声優さんよりも中国の声優さんの方が声色が似ている。あと声優さんの演技が違うのが面白い。
ちょっと違うなとおもいつつ、面白いと思った。
「海外の視聴者から感想はあったか?」
→三宅「呪怨オリジンズで検索した。総体として、伽椰子と俊夫君がこの20年世界で愛されていたことを知った。子供の頃のトラウマだよ!と言っている人がいたりした。公開前に日本の歴史的ディテールがあるけども、それが海外の人は抜けるけどもどうなるんだろうか?と思った」
高橋「海外の人は酒鬼薔薇事件のシーンをドラマの中で知る、それはどう思ったのだろうと思った。」
高橋洋「インフェルノ蹂躙は埼玉愛犬家連続殺人事件は元にしていない。自分の想像力で作った」
Jホラーは猟奇事件から想像力を広げて作られていった。
質問「クレームはあったか?」
→高橋「お客さんが怒るのは自由だから。しかし作り手として表現の中に倫理は持ち込まない。大事なことと芸術は別と小津安二郎の考えに立って作った」
三宅「自分もスタンスとしては同じ。なんでしょうね、僕は今回の作品でやることで考えることがあった。今まではそういう事件から目をそむけていた。過剰なくらいに。しかし今回は思いっきり見てやろうと思ったし、その中で、うーん言葉を選ぶけども、そうしてよかった、それは世の中の見方としてと思った。趣味として持ちたいとは思わないが、そういうことがあると考えるのは大事だと思った」
高橋「お客さんが受け入れるものを考えるのは倫理や道徳ではなく落とし所として考えている」
平山さんの倫理許容範囲の考え。
→小説で書くときは台詞のカギカッコの中は無政府主義にしている。ただ自分の倫理は一個ある。今言ってはいけない言葉を使ったときに、だからその人間はだめなんだとは描かない。そういう言葉は使うがだからだめとは言わない。言葉を使った人はだからだめなんだとは断罪しない。暴力や無慈悲なことをしている人それはいいとは描かない。
非倫理には立たない。
読む意味のないものになってしまうから描かない。
平山「ラストのえっという終わり。シーズン2を匂わせた終わりだけどもまだ何にも言えないんですよね」
三宅「はい、なんにもいえないっす」
高橋「何の約束もできないけども、このあともし展開があるとしたら、次のポイントになるのは1999年の清水崇監督が呪怨を撮り始めるという点」
平山「Jホラーはヘレディタリー等に影響を与えた。また今作で新たなフォーマットができたんじゃないか?」
三宅「今回89年の年号の切り替わりが抜けているけども、そこをやってほしいと友達からリクエストされた」
高橋「飛ばした時期に、取り扱ってはいないが八王子のナンペイ事件、八王子愛犬家殺人事件もあるね。しかし昭和の終わりから平成の始まりってめちゃくちゃ突出して悪いわけじゃない」
平山「世間がホワイトニングされた中で、凶悪事件のシミが目立ったのと、そこに地震が目立ったのと、これまでは戦中派はそういう耐性があったけども、そろそろ無くなっている時期だった」
コロナはホラーになんの影響が
→平山「断絶感。人は一人では生きれないということ。高橋さんがやってるホラーに文学性を加えて深度を深めて提出するってのは大事」
平山「三宅監督はこれを撮ってて楽しかった?」
三宅「楽しかったです。ホラーは緊張感が必要だったので各部どれが緩んでもいけない。映画作りが楽しいと思った」
平山「一瀬さんは強面のイメージだけどもどうでしたか?」
三宅「各部の仕事に対してリスペクトがあった。そしてだめなことはだめと言うので、やりやすかった。一瀬さんはごまかさない。質問をすると何らかの回答がでるので、一緒に物を作るには楽しい人だった」
高橋「一瀬さんは本当に三宅監督を信頼していた。俳優陣の一番いいところを引き出してくれた。今まで一瀬さんが組んだ監督とは違うところが三宅監督にはあった」
三宅監督「俳優それぞれも職業は同じでも違う人間なので、それに合わせて考えるのが楽しいと思っている。今回もいろんな女性がでているけども、ひとくくりするのには雑すぎる。一人ひとり違う業もある。だからこそ一人ひとりちゃんと見た。」
山口「女性のことで考えたのが、聖美が襲われるシーンがあったが、普通は女性がやられていやなことなのに、襲っている側が笑ったりしていて悪い人に見えないようにしたのは?」
三宅「あれは悪意を全面に出したいわゆる不良漫画的なものではなく、自分たちがやっていることが凄く悪いことだと思っていない。やっているときは大したことだとはおもっていない。やったことにやったことの重大さに気がつく。それが自分にはより怖いと思った」
一番たいへんだったシーンは?
「スケジュール的に後半から撮った。だからいろんな登場人物の最初のシーンが死体からだった。逆から撮っていくのが大変だった。聖美の彼は初日が水死体から。でも大変だったのはそんな感じ」
「みなさんが最近見たホラーのおすすめは?」
高橋「最近はコロナの影響で出不精で、配信や家にあるDVDに頼っていて、新作は見ていない」
平山「ジャックビルドハウスが面白かった。人間で建てるんですよ。あれは結構面白かった。あとネットでエクソシストを見返して面白かった」
高橋「本当の意味での社会派ホラーが日本でも撮られたと樋口さんが批評していた。その前例がエクソシスト。それは嬉しかった」
山口「今、配信で色々と見ることができるのは、見る側としては嬉しいが、ネットで映画を見ることはどう思いますが」
高橋「映画館で見るのはいいですし、映画館も大変だから行ってほしいとおもうけども、それでもネットで見るのはだめだとは思わない。映画館はノンストップで見れるし、DVDはデータとして受け取るものに感じる。しかし造り手として勉強しなきゃいけないからデータとして見るのは大事だし」
三宅「絶対に映画館で見るほうが楽しいと思ってる。しかし今は映画館にはいけてない。呪怨呪いの家も家で見るとか携帯で見るってなったときに、いつでも消せるという環境の仲でどう作ったらいいかと思った。しかし高橋さんの脚本が怖いと思ったからそれを信じた。配信となったときに、脚本が大事になるし、これからは物語がもっと面白いものが大事になると思う。配信では物語を意識して、映画館では他のことができると思う」
高橋「呪怨呪いの家は従来の呪怨の家のような話ではなく、どんどんやばい家に近づいていくという構成した。三宅監督が禍々しいものにどんどん近づいていく演出ができていてよかった」
呪いってなんなのか、みなさんの解釈は?
高橋「三宅監督の演出で印象だったのが、家に踏み込んだ人だれしもが呪われるわけでもないし、転換点も完全としていない。呪いという言葉だと強いが、暗示に近い。人間は暗示をかけられたら、その人がやろうとおもっていなかったけども、ぽつんとたれたインクのように、大きなシミになっていく。呪いは暗示であり、暗示は誰でもできることなんだ」
平山「呪いはマイナス方向への想像力だ。マイナスであるゆえに振り払うことができない。その人の中に住み着いてはじっと待って弱ったときに吹き出てくる。またこれは呪いなんだよと思うことで思考停止ができる」
平山夢明と精神科医が出している狂いの始まりで「部屋を巣」にすると狂う。きれいにするとましになる。
きれいにしないとだめになる。
人間の理性ではなく動物性のところに安心感をもとめる。
匂いをつけたくなる。
山口「いいこともわるいことも思い込みであれば呪いである。自分も怪談ライブをするときにのどぬーるスプレーがないとしゃべれないと思いこんでいた。一回忘れたときにライブが出来て脱却することができた」
平山「これは呪術的思考である。子供は道路のペイントを踏まないようにしたりする。それが過剰になるとやばい」
三宅「演出するときも、キャラの1個の行動が呪いのせいなのか、その人のせいなのか、そんな簡単なスイッチじゃなくて、しかもオンオフではなくグラデーションであるということを意識した。見る人にはそのグラデーションの具合を見てもらえるとあの世界を楽しめると思う。どっちと考えると、答えがない」
「みなさんそれぞれが考えるJホラーの定義とは?」
高橋「Jホラーはメディアがつけた定義。ヌーベルバーグも自分たちが行ったことでない。メディアが行ったこと。作り手は引っかかってる。特にJ。海外の人が日本伝統の~って言われると、いやいやいや黒沢清や鶴田法男達で参照していたのはたたりや回転、つまりは19世紀のアングロサクソンが作った作品なんだ、それを踏まえて本当に怖いホラーを作ろうとした。そういう意味では復興運動なんだ。1960年代にそういうホラーが作られたけども、あまり大きな流れにならなかったものを、いつかこれでいけると思いやってきた。Jホラーは日本伝統を踏まえたものではない。アングロサクソンが作ったホラーを復興したもの。そして一人ひとりがやってきたことは違う。パッケージングされると違和感がある」
平山「リングや呪怨の昨今、頭からしっぽまで徹底的に怖いものを作ろうとした作品なのかなと思って、手法なのかな?とは思う。真摯に真面目に力こぶ入れて作ったものであるのかな」
山口「かっこつけてもしょうがないので、私にはJホラーの定義は言えない。小さいときからJホラーの数々を見て楽しんできた。定義は自分で見つけてください」
三宅「きれいにはしまらないけども、単純にJホラーのJは日本であり、日本の話をやるものなんだとは思っていた。Jホラーには今回しか関わっていないけども、色々と見て、やっぱ「日本」というのがでかいなって思った。Jホラーを見たあとは自分の住んでいるここを考えてしまう」
高橋「今回、雨を降らせるってことを三宅監督がこだわっていたけども、それって和なじめっとした雨とうけとられるかもしれないけども、やばいときって、水回りがやばいとはありますが、アングロサクソンが考えているスピリチュアル的なことでも雨は出てくる。日本、日本じゃなくても霊的な想像力は共通しているものがある。
ラルゴ館というやばい屋敷がある。どこかにやばい屋敷があって、それを探すってのは自分たちが88年にやってて、それが呪怨呪いの家に反映されて、アングロサクソン的な場所だけではなく東京にもあるんだと。88年にプレステージという深夜番組で、知り合いがラルゴ館の話をした。それを宮崎勤が録音してカーステレオで流していた。こうやってやばい話は繋がっていく。そして自分でも描いていて、そういうことにぞくぞくする。結局Jホラーはそういうぞくぞく感をかもしだせるかなのかと思っている」