『エルデンリング』をクリアした!
みよ!エルデの王になったぞ!!
フロム・ソフトウェアのゲーム『エルデンリング』をクリアしました。
ラスボスが本当はちゃめちゃに強くて何度も"You Died"の文字を見ては「うあああ・・・・・・」と何度も心が折れたけども、2時間かけてやっと倒せたときは「やった・・・・・・!やったよー!!」って結構大きめの声で叫んでしまいました。
日常生活を送っていて、こんな大きめの達成感を味わえることができるのかと感動したものです。非日常クラスの達成感。多分これに匹敵するのは難しい登山とか、格闘技の大会で優勝とかじゃないかなあ。知らないけども。
それでも、それくらいの達成感を、自宅で大きな声で「やったよー!!」って叫ぶくらいの達成感がありました。
それにしてもラスボスに至るまでの道のりも本当に大変でした。
意気揚々とリムグレイブの地に降り立つも、そこら辺の兵士に斬り殺されたり、犬にかみ殺されたり、湖があるやん~って行ったらドラゴンがいて焼き殺されたり、坑道に入ればどでかい岩の巨人に踏みつぶされたり・・・。
宝箱があるやん!ってあけたら"もくもく~"って煙が立ち上がって、ええ~って思ってるうちに知らない遠くの場所に転送されて、槍を持ったでかいシャコみたいな奴の糸ファンネルミサイルで何度も殺されたときは、本当に心が折れたし、やっとのことで生き延びた・・・と思ったら目の前にどでかい腐った湖があったときはちゃんと絶望もしました。
今度は地下奥深くにやってきた・・・と思ったら、どでかい蟻がいて「気持ち悪いな~」と思いながら遠くから弓で攻撃したら、一匹が弓をかいくぐって迫ってきたときは「うわー!気持ち悪いよー!!」って本気の声で叫びました。
東の城で行われてると壺のおじさんが言っていた戦祭りに参加してみたら、倒さなきゃいけないどでかいラダーン大将が突然空に消えて、え、どこにいったの?って思っていたら、大将自らが燃えさかる隕石として落下し、爆発に巻き込まれて死んだときはしばらく呆然としました。
ある場所の地下には捕まっている魔法使いがいたので、助けてあげようと思って攻撃ボタンを押したらそのまま殺してしまって「くそがよ・・・」と言われながら死なれた挙げ句、後々「あの人に頼み事を聞いて貰って」とその殺してしまった人に頼み事をするイベントがあったときは罪悪感で胸が一杯になりました。
自走式のアイアンメイデンに捕まり取り込まれて死んでしまい、うわーと思っていたら、突然溶岩がたぎる場所に転送されていたときはしばらく呆然としました。
階段登ってるだけでどでかい鉄球に押しつぶされました。
髪色を水色やピンクとか、普段絶対にできない色にしたりしました。
苦戦したボスが後半のエリアで平気でモブキャラとして歩いていた時は「はぁ?」と殺意が湧きましたし、そいつをなんとか倒したときは「上手くなったなあ・・・・・・」と感慨にふけりました。
前が見えないほど吹雪いている雪山を迷っていると、突然ドラゴンに出くわして咆吼一発で殺されたときは呆然としてしまいしばらくコントローラーが触れませんでした。
血まみれの転送門を見つけたときは「なにこれ・・・」と思いましたし、行ってみたら銀色のカエル顔の敵が沢山三角座りでいたときは「なにこれ・・・・・・」と思いながら、一掃しまくって秒速で稼ぎまくりできゃっきゃしました。
こんだけレベルあげたし余裕でしょ、って思ったらその後にでかいカラスに瞬殺されたときは呆然としてしばらく呆然としました。
でかい熊に捕まれて雑巾絞りのように殺されました。
君は猫背やなあって思ってたけども、蛇背やったんやねって思いました。
壺のおじさんが火山で「いやー強くなろうと思ってて」と言ってた時はかわいいなあと思いました。
小さいラニ人形を拾って、かわいいアイテムやね、って思ったらしゃべり出した時は魔法少女アニメの第一話みたいな「この人形しゃべるやんか」って驚き方をしてしまいました。
これでラストかなあって思ったら、暗転が開けた後に映画『イントゥ・ザ・ストーム』みたいな状況になっていて呆然としてしまいしばらくコントローラーが触れませんでした。
マレニアだけゲームシステムが『Bloodborne』になってるのは解せない。
壺おじさんの最後の願いに切なくなっちゃいました。
色んな武器を試した挙げ句、結局ラダーンの武器が一番馴染むね、って思って各地をラダーン武器で制圧していって、最終的にラスボスもラダーン武器で倒したときは「ラダーン武器との旅だったんだなあ」と思ったりしました。
エンディングを見ながら、玉座に座るピンク髪の私を見て「ギャルがエルデの王になったみたいだなあ・・・・・・」と思ったりしました。
エルデの王になるための旅は思い出せば、あれこれ思い出せるほど、とても楽しい旅でした。
王になったギャル。髪色自由政権樹立。
さて『エルデンリング』と全然ジャンルもやることも違うゲームですが、プレイ中に思い出していたゲームは『リターン・オブ・ジ・オブラディン』という60人の死因を突き止める謎解きゲームです。
私はあのゲームが大好きで10数時間を駆け抜けるように熱中してクリアしたんですけども、その10数時間のプレイ時間、ずっと頭をフル回転で使わされているような感覚になったゲームだったんですね。
誰が死んでいるのか。死因はなんなのか。頭をフルで使ってひたすらゲームと向き合う。頭が熱くなるくらい考えて、考えて、はっ!!!と閃いた時の気持ちよさ。
それが10数時間続く。
もちろん大変ですけども、こんなに考え続ける時間ってこんなに濃厚に濃密になるんだって思ったものです。
そして『エルデンリング』にも同じような感覚を覚えました。
何十、いや何百かもしれない強敵達はボタンを連打しているだけでは倒せません。
いくらレベルをあげても、そこらへんにいる犬にかみ殺されることだってざらです。
だから、全く気を抜けない。
もっといえば、それぞれずっと対策を考えさせられながらゲームと向き合うことになります。
こいつはこういう攻撃をしてくるから、武器はこういうのがいいな。
簡単に死んでしまったら別の防具を試してみよう。
敵の動きはこうだから、このときはこういう動きを試してみよう。
沢山のトライ&エラーを常に要求されます。
そしてそれは頭の中でもですし、コントローラーの入力というフィジカル面でもです。
連打をしてしまうことで、プレイヤーの動きに隙が産まれてしまうから、連打をしないように手の動きを抑制しようとしたり、瞬時にどちらに逃げるかを考えてボタンを入力したり。
人間って一瞬のうちにこんなに考えて動くことができるのか…と思います。実際は手を動かしてるだけですけども。それでも驚くほど瞬間瞬間で判断がせまられる。
それも全て能動的です。やらされているのではなく、目の前の壁を乗り越えるためにはどうすればいいか。頭と手をフル活用して、壁を乗り越えることと向き合う。
そんな壁を乗り越えれた時、「うおーやったぞー!」と達成感を感じます。しかもそれぞれ登り方の違う壁がたくさんあるのです。
それはそれは濃密で濃厚な時間になっちゃうわけです。
でもどうしてもその時は乗り越えられない壁もあります。そしたらその場から逃げる。
そうです、逃げることもできます。
逃げることも、また考えた末の決断です。
『エルデンリング』は壁に立ち向かうことも、逃げることも、もっと先で出会うはずの強敵に立ち向かうのも自由です。
今は無理だ!と思って強敵に背を向けて、逃げ出したとき、そこには見たことない場所があり、まだ知らないものがあります。
それを見ること、知ることがまた楽しいのです。
死にゲーと称されるこのゲーム。死にゲーという言葉だけ聞くと何も楽しくなかったり、ひたすら奪われたり、ひたすら苦難を味わうような印象がありますが、実のところは喜びに満ちたゲームなのだと思います。
考える喜びと、正確に身体をコントロールする喜び、そして知らないことを知っていく喜び。
それこそこのゲームにおける祝福なのではないかと思うのです。
さてそんなクリアした『エルデンリング』ですが、私は2キャラ目を作ってまた1から始めています。
最初とは違う職種や武器を使って、また探索をし始めています。
面白かったから。というのも理由ですけども、まだまだ『エルデンリング』の世界に浸っていたいとも思うからです。
正直、わからないことばかりです。ストーリーも世界観も、その世界の歴史も。
一週目で沢山知ったはずだけども、それはまだ全然断片で、頭の中で全然繋がっていない。
だから、私は一週目で知ったことを携えて、また狭間の地に戻っています。
そして各地をまるで歴史が好きな人が観光に行くように見ていっています。
ここはもしかしてこういう場所だったのかなあと思ったり、こういう敵が多いのはこういうことかなあと思ったりしています。
作り込まれて、沢山折りたたまれている『エルデンリング』の世界をどういうことだろうと考えて走り回るのもまたとても楽しいです。
このゲームは説明的では全然ありません。
延々と会話が続くムービーもありませんし、会話を延々と聞き続けることもありません。
あるのはアイテムのテキストやキャラクターの少ない会話。そして街並みや、キャラクターやボスの名前。それらの情報が少しずつ見えてくる「こういうことなのかも」といういくつもの物語。そうしているうちに世界への解像度が増していく。
あなたはその思いを抱いて、戦ってきたのですね。私はとある瞬間、自然とその思いを抱いてる。
ドラマ『ウエストワールド』S1の中で、アンソニー・ホプキンス演じる男が「自分だけが気づいたと思える細部を発見するから、またここを訪れる。細部に恋をする。”自分が何者か”という話に興味はない。彼らは自分を百も承知だ。"別の自分"を体験したくて来るのだ」と言います。
『エルデンリング』はまさにそのようなゲームでした。
物語もディティールも、マップの作りも、まるで自分だけが発見したかのような喜びに満ちている。制作者との知恵比べに勝ったと思わされる瞬間もある。
現実世界の私はローリングをすることもできないですし、誰かと戦うことなんてありません。そもそも暴力は嫌いですし。
それでも『エルデンリング』の世界では私は鎧を着込み、自分の身体よりもでかい剣を振り回し、敵の攻撃をかいくぐって、何度も死闘切り抜けます。
突然「エルデの王になってください」と言われ、それからの120時間は私だけの、私だけの冒険でした。
だから、私は『エルデンリング』のことを冷静に語ることはできません。
自分の冒険譚はいつだって輝いていて、誇らしく見えるものなのです。