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『空の大怪獣 ラドン』を見た!

空の大怪獣 ラドン』を見た!1956年の映画。監督は本多猪四郎特技監督円谷英二

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炭鉱で謎の殺人事件が…!一時は労働者同士の諍いかと思われたその事件の犯人の正体は謎の巨大ヤゴ"メガヌロン"だった!!
時を同じくして、空では音速で飛び回る謎の飛行体の存在が確認されていた…!謎の飛行体は戦闘機を破壊し、旅客機を墜落させ、そして人々を襲い始めた…!謎の飛行体の正体とは一体…!!


と、その飛行体の正体はタイトルにもなっているようにラドンなわけです。この映画を見て初めて知りましたが「プテラノドン」があっての「ラドン」という命名だったのですね。知らなかったな。そういえば、子供の頃はラドン温泉ってこのラドンだと思っていたのですが、ラドンガスってのが浴槽内に流し込まれてる温泉のことをラドン温泉っていうんですね。こちらも知らなかったな。
話は少しずれましたが、ラドンといえば、最近だと『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)にも出ていました。あのラドンさんです。街を自身の羽ばたきの風力で破壊したり、戦闘機と戦ったりしてました。そういえばこのキング・オブ・モンスターズで戦闘機と戦う中で、音速で飛びながら回転するという描写は『空の大怪獣 ラドン』からの引用だったのですね。しかも、1956年当時は技術的に直接は映像化出来なかった部分を作るというサービス精神が発揮されたシーンだったのですね。今回『空の大怪獣 ラドン』を見てやっと気がついたりしました。

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ラドンといえばこの「ラドンもそうだそうだと言っています」という画像がネットミーム化していて、ちょっとラドンちゃん可愛いじゃんって扱いになってますし、僕もそんな扱いでラドンに接していたわけですけども、この単独主演作品である『空の大怪獣ラドン』を見て、めちゃくちゃ考えが変わったというか、端的に言えばラドンかわいそうすぎるよ~!とかなしくなっちゃったわけです。
というのもラドンが飛び回れば、街が壊れちゃうわけですけども、それは悪意があるわけではなく、巨大で音速で飛び回るがゆえにその衝撃波でいろんなものを破壊してしまうということだったのです。しかし、飛び回り続ける限り被害はどんどん広がり増えていく。そのために駆除せねばならないというわけです…。かわいそう!!



映画は冒頭、炭鉱での突然の殺人事件から始まります。そのトーンは結構おどろおどろしく、怪奇映画風味が意外と強めなのに驚きました。そして話が進むうちに、炭鉱夫を殺していたのはなんと巨大なヤゴみたいなやつだった!!捜索に行った人々が次々に襲われるシーンは怖い。特に離れないようにロープを結んでいたから、このままでは引きずり込まれる…!と急いでそのロープを切って、なんとか電話で助けを求めようとするも、追いつかれ断末魔の叫びをあげるところは怖かった。直接的なグロテスクな描写はないものの、死体の首が皮一枚しか繋がっていないという説明がぞっとする。
最近は黒沢清監督の本を読んだり、インタビューを見たりしてるんですけども、黒沢清監督が映画の原体験は怪獣映画で、怪獣映画は怖い音楽で始まり、恐ろしい怪獣が現れて、人々が死んでいき、街が破壊されていく…そんな怪獣映画を見て「映画は恐ろしいものだ」と強く刻まれたそうです。
そんな黒沢清監督の証言を読んだからじゃないですけども、『空の大怪獣ラドン』を見ながら怪獣映画は恐怖映画でもあるのだなと思いました。
特にそんな恐怖映画としての高まりが最高潮に達するのが、家で主人公とヒロインが喋っていたら、なんの前触れもなく巨大ヤゴこと"メガヌロン"が庭から現れて部屋に入ってくるシーンです。
それまでメガヌロンが現れるのは「炭鉱の奥深く」だけという勝手に思い込んでいたルールが否定されて、家の庭というあまりに日常的な場所から現れて部屋に上がり込んでくるのはかなり気持ち悪いシーンでした。鳴き声なのかずっと「ミュルミュルミュル」と高く不安になるような音が聞こえてくるのも気持ち悪い。
ただ、このメガヌロンをラドンの幼虫のようなものだと思っていました。それは『シン・ゴジラ』の一番最初に現れるのが実はゴジラだった…という展開に驚いてしまって、印象深いってのもあって「これがシン・ゴジラのあの展開の元ネタだったのか…」と思っていたら、全然メガヌロンとラドンは関係なかった!
途中、主人公が落盤事故に巻き込まれ、炭鉱の奥深くに取り残されるのですが、そこがなんとメガヌロンの巣なのです。あいつは一匹じゃなかった…という絶望感が物凄いんですけども、さらにやばいのがめちゃくちゃにでかい卵を見つけてしまうんです。あの巨大なメガヌロンが消しゴムのカスに見えるくらい巨大な卵。そしてその卵が割れて、中から出てきたのがラドン!そしてそのラドンは生まれてくるなり、近くで這っていたメガヌロンを食べ始めるのです…!
このシーンの何が恐ろしいって、あのメガヌロン一匹倒すのにめちゃくちゃに大変だったのに、大勢いやがった…と思ったら、もっとでかい生き物がいて、それはあのメガヌロンを捕食している。つまり、人間が思い込んでいる食物連鎖のピラミッド構造があっという間に書き換えられていく絶望感です。
あのやべえ巨大ヤゴのメガヌロンがただ捕食されているだけだなんて!


クライマックスはラドンが福岡市を襲うシーンです。1956年の映画ですが、今見ても十分驚いちゃうくらい衝撃波で破壊される街並みの特撮が物凄かったです。吹き飛ばされて転がりまわる車にぐにゃりと簡単に折れ曲がる鉄骨、簡単に落ちていく大きな橋に一枚一枚飛び散っていく屋根瓦!!それに崩壊するビルの中を人が逃げ惑っているなんてシーンはどうやって撮ったのでしょう!wikiを見たらビルのミニチュアの中に鏡を置いて撮ったそうですが、そう言われても全くわからなくて、「凄いなあ…」と感嘆するばかりです。
とはいえ、今見るこの時代の特撮映画は恐ろしいシーンというよりキッチュで可愛らしい印象も抱いてしまいました。70年の間に、映像技術は進歩して、そして「フォトリアル」に映像を作っていくことが良しとなり、そしてそれが知らぬまに自分の中にも評価基準としてあることをこの映画を見ながら思うのでした。
でも、やっぱ1950年代半ばの福岡市内のミニチュアセットの中を、ミニチュア戦車が走り回って、当時のカルピスの看板を踏み潰しながら、ラドンに砲撃するシーンは超かわいいって言っちゃうよ。
その一方で、福岡市内を戦車が猛スピードで駆け抜けていく映像がやばかった。当時はこんな映像が撮れたんだな…。あと逃げ惑う人の必死さがうますぎてまだこの映画は戦後10年だもんな、そうだよなーと思ってしまいました。
そして燃え盛る福岡市の映像は、戦時中に植え付けられた空襲で焼け落ちる街のトラウマを刺激するものだったんだろうなと思ったりした。
ただこんな風に自分たちのトラウマも娯楽へ変換し楽しんでいたんだなと思うと、ほへーと思ったり。今でも大変な出来事の数年後にその出来事を描いた映画が作られたりするけども、またそれとは違う文脈だもんな。911テロで言うところの『ユナイテッド93』(2006)の文脈じゃなくて、あのみんなが灰まみれになったり紙が舞い散る光景を落とし込んだ『宇宙戦争』(2005)の文脈というか。

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ラストは阿蘇山に潜むラドンに向かって、阿蘇山を延々と砲撃するシーンが始まる。とにかく延々と砲撃する。思わず結構ながいなあ…と思ってしまうほど砲撃したと思ったら、ついには阿蘇山が噴火。溶岩が吹き出て、これにはラドンも大絶叫。
そして溶岩がどろーっと流れていくんですけども、この溶岩もぷくっぷくっと泡立っているし、その表面は燃えているしで、何をどうしたらこんなものが撮れるんだろう…!凄え!!
そして何より死にゆくラドンの姿です。溶岩に包まれ、身体に火が移り、もんどりをうって苦しみ、そして息絶えていく…その演技があまりにもすごくて呆然としてしまいました。本当に命のある怪獣を燃やして撮っているかのような…そんな演技が凄まじく、そして悲しい気持ちになりました。
ただ、生まれてきただけなのに、ただ身体が大きくて、風圧が凄かったからってこんな目に合うなんて…なんて悲しいのでしょう。
人から教えてもらえましたが、有名な裏話としてラドンを操作していたピアノ線が炎で焼ききれてしまい、それが結果的にあのような動きにつながったそうです。でもそれがOKになった。それを受けてなのか、それとも役者陣は先に撮影していたのか、わかりませんが、死にゆくラドンの姿を見る主人公たちはただただ辛い表情をして、なんにも言わないのです。
そして燃えて死んでいくラドンの姿を映しながら「終」の文字。
わー!いい切れ味!
「そうだ、そうだ」と言わないラドンの主演映画は、思ったよりも切ない終わり方をして、意外とラドンって悲しみを背負ったハードボイルドみがある怪獣だったんだなーと考えを改めたりしたのでした。
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「終」