にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

『夜の浜辺でひとり』を見た。(もしくは浜辺で眠ることの危険性)

日々の生活はある程度繰り返しの中で成り立っている。と、今更なことを私は考える。その考えすらも繰り返し考えている。ルーティン。ルーティン。

お腹が空く。ご飯を食べる。煙草を吸う。散歩をする。本を読む。友人に会う。喋る。お酒を飲む。そして眠る。

その繰り返し。日々はその繰り返し。

しかし時間は過ぎていく。日々は繰り返しの中で消費され、気がつけば私たちは老けていく。

気がつけば遠くの方へ辿り着いている。でも自分が遠くに来たかなんてわからない。

まだ過去にとらわれているかもしれない。過去にとらわれたまま、過去を清算もできずにただ遠くに来ているだけなのかもしれない。

 

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ホン・サンス監督の『夜の浜辺でひとり』を見た。久しぶりに入ったTSUTAYAでジャケットに惹かれて借りた。ジャケットを見るまでは知らなかった映画。でも、見終わる頃にはとても大好きな映画に変わっていて、見終わって12時間経った今もなお映画が心の中で漂い続けている。

 


映画監督との不倫スキャンダルによって海外に逃げた女優は、異国の地で日々を過ごす。煙草を吸い、先輩と喋り、公園を歩き、本を買い、異国の人とご飯を食べる。女優は映画監督から届いたメール「土曜の昼にはそちらにいく」が気がかりで仕方ない。また会いたいと思っている。そんなことを先輩に喋る。そして浜辺にたどり着く。夜の浜辺に。

 


それからしばらく時間が経つ。本国に戻ってきた女優は旧友と再会する。カフェで喋り、酒を飲む。女優は酒癖が悪いようで酔った勢いで叫ぶ。「誰も愛される資格なんてないのに」。

 


翌日、女優は旧友の先輩と仕事を再会する兆しを見せる。先輩を見送った後、また浜辺にたどり着く。その浜辺で眠りこけた後、そこに"ある人"が現れる。

 

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構成は海外でのパートと、帰国してからのパートで別れている。しかしどの場所にいても、妙な居心地の悪さがある。気まずさではなく、そこが彼女の居場所ではないような感じが。映画自体はとても穏やかで、胃を締め付けるようなシーンはあまりない。しかし、ずっとそこが彼女の居場所ではないといった雰囲気は漂い続けてる。

海外では異邦人として。そして韓国に戻ってきてからも、他者として。なによりも、彼女自身がその目の前の世界を生きていないような気がする。

女優は絶えず過去の残響を生きているような気がするのだ。

 


 

主演のキム・ミニは本作の監督ホン・サンスと不倫関係に陥ったそうで、韓国では一時期大きなスキャンダルになったそうだ。この映画はその後に作られたもので、役名は違えどこの映画はキム・ミニをまんまトレースし、そしてホン・サンスをまんまトレースしたようにしか見えない。

 


じゃあ、そういったメタ的に楽しむ映画かと言えば、そういうわけではない気もする。たしかに私小説的である。しかし、主人公がキム・ミニ演じる女優だからか、ホン・サンス監督の物語になっていないのだ。

ここには男の気持ちの悪い自意識はあまり投影されていないように思える。そのかわりに、スキャンダルの後を生きるキム・ミニの姿をただ切り取っていく。キム・ミニがそこにいる。ただそれだけで恐ろしいほど豊かな映画になることに驚かされる。

煙草を吸う、映画を見る、歌を歌う、酔いつぶれる、横になる。どの姿も素晴らしく決まっていてそれだけで映画は映画として成立して豊かになる。豊かな映画というものがどういうものかわからないけども、目が離せない魅力と魔力のようなものがずっと漂い続けている。

 


決まりまくっているキム・ミニに対して、終盤に現れるあの人物の情けなさったら。とにかくみっともないのだ。そして混乱状態に陥っている。これを男女の違いと分けるのは簡単だろうけども、そうはしたくない。

多分、ホン・サンスがそのまま現れているから、彼はひどく情けないのだろう。自罰的な私小説的なシーンだ。

「個人的な映画はつまらないですよ」

それを主演女優に言わせて、自分の映画の撮り方はこうだと解説するその男の姿は、ホン・サンス自身の情けなさや混乱が現れているのかもしれない。そして自分にはこうすることしか出来ないと言っているのかもと。

 


でも、シーンは思わぬ途切れ方をする。

そして、目を覚ました女優は、啜り泣きながら浜辺を歩いていく。その姿はカメラから遠くなっていき小さくなる。そして暗転。

 


あっけに取られながらも、なんとも言えない悲しみにとらわれてしまった。

会えるのも、言いたいことを言えるのも、夢の中だけだったら、どうやって生きていけばいいのだろう。

ただそれでも日々を生きていくしかないのだろうか。夢から覚めた私たちは夢を忘れて生きていくしかないのだろうか。それでも眠たくなってしまうのに?

 

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変わった映画だ。話運びもそうだし、極端な長回しも、時折挟まる妙なズームを使ったカメラワークもそうだし、時折現れる謎の人物の使い方といい、手触りは変わったものを見せられている気になる。

ただ、変わった映画だと切り捨てるには勿体無い、それどころか、私は前述したようにだいぶこの映画が好きになってしまったみたいだ。見終われば、話運びも、長回しも、変なズームも、謎の人物も、全てが愛おしい。

 

 

 

異国の地でも、母国でも、場所は違うだけで生活は、日々の動作は繰り返される。空腹と食事、煙草、お喋り、飲酒。

場所は違えど人は自分から逃げる事はできない。過去は付きまとってくるし、後悔からは逃れられない。過去の残響音からは逃れられない。

眠りの中でその残響音が最大に響いた後は、ただふらふらと歩くしかないのだ。啜り泣きながらもただその場を離れるしかない。浜辺は眠るには危険すぎる。眠るならばもっと安全な場所を探さないといけないのだ。

 

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