にゃんこのいけにえ

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トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』を読んだ!

 トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』を読んだ!

 

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 生きる力だとか、能力至上主義だとか、スキルがこれくらいないと生きていけないとか、そういうことが日々、間欠泉のように吹き上がっています。

 私は社会からドロップアウトしてしまって数年経ちますが、ハローワークの人に「社会に戻るなら、これくらいのスキルはあります、といえるような資格を取っておいたほうがいい」と言われたりもしました。

 使える人材じゃないと、生きていけない。

 そんなことを考えると息が詰まっちゃいそうになりますが、「生きていくのに必要なスキル」って一体なんだろう?って思います。

 これはそれこそ人によって定義は違うでしょう。

 仕事によっても、年齢によっても、価値観によっても違うと思います。

 私は批判をしたいわけじゃないです。

 ただ、例えばですが、90年以上生きてきた、あの戦争を生き延びて、そして戦後の荒波を乗り越え、今やひ孫がいるような私の祖母が携帯を上手く使えないことをスキルがない人だと定義していいのか?なんて思ったりします。

 生きる力で言えば、私の祖母は今の私よりもとても大きいはずで。でも携帯やリモコンが使えないだけでスキルがないと断ずるのは何かがゆがんでいる気がするのです。

 

 

 

 トーマス・トウェイツの『ゼロからトースターを作ってみた結果』を読みながら様々なことを思いました。そのうちの1つが上記に書いてあることです。

 なぜこんなことを思ったかと言えば、私たち、つまりほぼ今を生きる全ての人は『ゼロからトースターを作る』ことはできないからです。

 ごつごつとした岩を見ても、どれが鉄鉱石かなんて判断はできないですし、それを鉄に変えることはできません。

 いろはすの容器を気持ちよくひねって潰しても、プラスチックを作ることはできないですし、あの容器がなぜそれほどまでにやわらかいのかは説明できないですし、あの容器を再現するようにつくることはできません。

 持っているiPhoneをいくら使いこなせても、それを作ることはできません。

 ガラケーですら上手く使えない祖母を「こうしたら使えるよ~」なんて言っても、その簡単な機種だと断じているガラケーがどのように作られているか。もっと言えば、なぜこの機械で電話ができて、写真が撮れて、インターネットが繋がるか、それを説明できたり、作ることは叶わないわけです。

 しかし、この本の著者であるトーマスさんは果敢にもゼロからトースターを作ろうとします。鉄を作るために鉄鉱石を採取しに行き、プラスチックを手に入れるために原油をなんとか手に入れれないかと模索したりします。

 気の遠くなる、本当に、気の遠くなるような作業の果てにトースター(らしきもの)はやっと作れます。

 ただ、それは(らしきもの)と書いたように"らしきもの"ですし、300円で売っているようなトースターには全く敵わない見た目をしていますし、たった300円ほどのトースターを再現するのに15万円以上もかかってしまったと言うのです。

 とかくトースターを作るのは難しい。そしてトースター1つを作るのにも、恐ろしいほどの技術と化学の歴史が詰まっているとトーマスさんは実感するのです。

 

 

 

 この本は、トーマスさんがゼロからトースターを作る過程の話でもありながら、今や当たり前に溢れている物や当たり前の価値観が揺るがされるような本です。

 当たり前に溢れている物は当たり前に作られた物ではない。

 そこに至るまで、人類の技術の発展の歴史があり、人類の勉学の歴史があり、人類の楽をしたいという気持ちが繋いできた歴史があります。

 そしてそれによって、人一人では作ることも敵わないようなものが溢れる世界が出来ているのです。

 そこで思い出したのは『フォールアウト』というゲームや『マッドマックス』と言った映画です。

 あれらの作品は核戦争後の世界を舞台にしたポストアポカリプスものと呼ばれています。 文明は崩壊し、生き残った人々は旧文明の残りを利用し生き延びている・・・というものですが、その一方で核戦争が起きてしまうと文明の継承は行われないという説もあります。

 蓄積されてきた文明や学術は消え去った後、人々はあれらの作品のように旧文明の遺物を本当に使いこなすことができるのでしょうか?

 私は『マッドマックス怒りのデスロード』に出てくる世界が終わった後でも、車をデコる、つまりは芸術は文明が崩壊しても産まれるんだという心意気には希望を感じています。

 しかしそれは本当に産まれるのでしょうか?

 もし全てが失われてしまったら、もう旧文明の遺物ですら使いこなすことはできないのではないでしょうか。

 


 この本はそんな危機意識をあからさまに打ち出している本ではありませんが、それでもそんなことを思ってしまったのです。それほどまでに今、そこにある家電をゼロから作るというのは難しい。なんせ、著者は鉄を抽出する作業をするために現代の本では技術が最先端すぎて、自分には使いこなせず、16世紀の本を読んで「これが一番勉強になった」と言ったのですから。

 

 

 

 それはそれとしてこの本はとても面白いです。ゼロからトースターを作る過程で、トースター1つにも、こんなに化学と技術が詰まっているんだ!と興奮しちゃいます。

 作品の雰囲気は違えど『ブレイキング・バッド』の初期だったり、映画『オデッセイ』や原作の『火星の人』のような化学って凄いし化学って面白い!が詰まりまくっています。私はめちゃくちゃに化学が苦手ですが、それでもすらすら読めてしまうというか、もはやこんな魔法みたいなことを人間は会得して、そして様々なものを作り出しているのか・・・・・・と改めて感動してしまいました。

 子供の頃に読んでいたら、化学への向き合い方がもっと変わっていたんじゃないかなって思います。それほどまでにとてもわくわくする一冊です。

 


 そして何より、読み終わった後、世界が一変してみえるのです。

 今座っている椅子も、この文章を書いているテーブルも、アイスコーヒーが注がれたコップも、窓も、空気清浄機も、ドアも、電線も、車も、街も、全てが全て違った景色として見えてきます。

 そしてそれらは一生、私一人では作ることができないものばかりです。

 そんなものの中で囲まれて生きていること。そしてそれを可能にしてきた人類の歴史のこと。

 「当たり前じゃねえからな!当たり前じゃねえからなこの状況!」とめちゃイケ加藤浩次の名言を思い出したりしました。

 

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 その上でやっぱり生きていくスキルとはなんだろうと思ったのです。

 私はそれこそゼロからトースターを作ることができれば、凄い人間力だ・・・・・・と思います。しかしそれはまたそれです。

 そんなこんなでこの本を読んで、生きていくのに必要なスキルは・・・・・・「結局わからないなあ……」と思いつつ、それでもこの世界というのは凄まじくてそして奇妙で、膨大な歴史の上にあって、大勢の人々が色々頑張っていてやっと成り立っているものなのだ、と思うことだけは絶対に忘れないようにして生きていこう、と思ったのでした。