にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

イエスは水をワインに変えて、クリストファー・ノーランはジャンボジェット機を爆破した。

TENETを見ました!と言っても、公開日に見たので、実は一ヶ月前に見てたのです。
それで本当は弟とやっているPodcast『はぐれラジオ純情派』で感想回でもやろうと思って準備もしていたのですが、なかなか色々と都合が噛み合わなくて結局今の今までできずじまいになっております。
本当はラジオの中で、クリストファー・ノーラン監督についてあれこれ言いたい!って思ってたのですが、結局録れず仕舞いなので、ここに書こうと思います。
本当は『TENET』の感想を書こうと思っていたのですが、このクリストファー・ノーラン語りたい~っていう前段部分が長くなったのでここだけ独立させてしまいました。すぐオタクは話が長くなるんだから…。
では長いですが、よろしくおねがいします。


f:id:gachahori:20201019070833p:plain

クリストファー・ノーラン監督はなぜ「本物」にこだわるのか?


まず始めにですが、TENETの大きな感想なのですが、本当に面白かったです。
観客席に座りながら、中盤からの展開に興奮してしまって、一度頭をつかんで、うわー!ってなってしまいました。
興奮すると身振りにでちゃう30歳男性。もっと落ち着いていきたいですね。
でも、極端なことを言うと「私はこういう見たこと無いものが見たいから映画が好きなんだ!」と映画が好きな理由、それも映画をどんどん見ていく中でわかるようになってきた味の方ではなく、子供の頃に映画を見て覚えた原始的な興奮を私は『TENET』で思い出しました。
子供の頃に映画を見て覚えた原始的な興奮。
それに関連するようにクリストファー・ノーラン監督は今作『TENET』公開に合わせたインタビューでこの様に語っています。

 「映画を見直して参考にする必要もないほど、もう私の一部になっているんです。行ったことのない場所へ行くような気分で、子どものころに感じた映画とのつながりを再現しようとしました。まったく新しい場所へ連れて行かなければならないので、誰もオリジナルの新しいジェームズ・ボンドをつくることなど不可能なのです。だから私は、自分なりのボンド映画をつくろうとしたのではありません。子どものころにスパイ映画を観て感じた、壮大なスケールのエンターテインメントの興奮を自分なりにつくり出そうと試みた映画です」

www.esquire.com


しかし『TENET』を見た観客はわかると思いますが『TENET』は「007」シリーズのようなスパイ・アクションとはかなり違います。
『TENET』の感想の多くは「難しかった…!」となっている人も多く、ネット上には考察記事が考察動画が溢れています。
『007』の興奮を、自分なりに作り出そうと試みた映画が『TENET』につながる。
そのインプットとアウトプットの形の違いは一体なんなのでしょうか。
むしろ、こう言ったほうがいいのかもしれません。
現代の観客に『007』を見たときのような興奮を味わってもらうにはどうしたらいいのか?



なんて大見得を切りましたが、その答えは持っておりません。
『メイキングオブテネット』も買えませんでしたし。
だから、ここからはノーラン監督作品と、そして今作TENETがしようとしたことからちょっと自分なりに考えてみようと思います。
願うことならば狂気に陥らない想像になっていることが望ましいです。


f:id:gachahori:20201019070938j:plain


クリストファー・ノーラン監督の映画にはとても熱いファンが大勢いるように思えます。
もっと言い方を変えれば「信者」がそれこそ世界中にいるように思えます。
私自身、高校生の頃に映画館で『ダークナイト』を見て、それはもう、物凄く興奮しました。
見終わって、売店ダークナイトの下敷きを買って学校に持って行ったくらいですし、『普通のバットマンとちゃうねん!』と叫んで父を連れて二度目の鑑賞に行ったのも覚えています。
英語を読めないのに、脚本をネットで見つけて必死に読もうとしたりもしました。
その後も、事あるごとに『ダークナイト』めっちゃおもろいねん~って大学生になっても言ってました。
それくらいの行動をさせる映画だったのですね。
でも、同時に『ダークナイト』は徐々に徐々に、映画以外の部分で評価を落としていっている作品でもありました。
男性がダークナイトのDVDを流しながらしたり顔で女性に「これはこうでねあれはああでね」と語る。
この東村アキコ東京タラレバ娘』の1シーンは度々ネット上を駆け巡るのを見ました。
未だに延焼しているこのシーンですが、同時に「ダークナイト」が信者うるさい映画になっていったのも事実です。
「このトラックはシカゴの街中で本当に一回転させたんやで」
ヒース・レジャーは役作りのためにモーテルにこもったんやで」
私も度々こういったダークナイトトリビアをしたり顔で語ったりしていました。
こういう風に熱く語りたくなる一方で、その「信者」の行動に周りの人がどんどん辟易していき、徐々に『ダークナイト』は映画外で評価を下げることになっていった…そんな風に思えます。


その後もクリストファー・ノーラン監督は野心的な映画を作り出して行きました。
夢の中での強盗を描いた『インセプション』、ブラックホールの中に入り、5次元の映像化までしてしまった『インターステラー』、歴史的な事実を異なる時系列を並行させて描いた『ダンケルク』。(ダークナイトライジングは、好きだけども、ここでは一旦置いておきましょう。デシデシバサラバサラ)
これらの野心的な作品は公開されるたびに熱狂を生みました。実際に大ヒットもしました。そして信者もどんどん増えていきました。
私も公開のたびに見に行っています。で、毎度、観客席で熱狂したり、立てなくなるほど泣いたり、サントラ聴き込んだり、インタビュー読んだり…。
結局のところ、私もノーラン監督の信者なのだろうと思います。
しかしなぜ、ノーラン監督は「信者」を生みやすいのでしょうか。
もちろん映画監督のファンというのはいつの時代もいます。
しかし現代ではノーラン監督がぶっちぎりでファンが多いように思えます。
それは『TENET』の予告を見ても明らかです。
「分かりづらい」予告編が通ってしまうのです。
それは「クリストファー・ノーラン監督」の新作だったら見に行く、その層が多いからというのも一因に思われます。
しかしファンを超えて「信者」にしてしまうクリストファー・ノーラン監督の映画の魅力とは一体なんなのでしょうか?


f:id:gachahori:20201019070957j:plain


唐突ですけども、イエス・キリストは信者の目の前で奇跡を見せたといいます。
「水」を「ワイン」に変えて、水面の上を歩いたとされています。
まあ、ここを信じる信じないは、別なんですけどもイエスを信じるようになった、それはその「奇跡」を目の当たりにしたからでしょう。
かたやクリストファー・ノーラン監督は劇映画の中で、IMAXカメラを持ち込みました。
シカゴの街中でトラックを一回転させました。
街中にあるビルを爆破しました。
バカでかいセットを作って一回転させました。
5次元をCGではなくセットで表現しました。
本物の戦闘機を飛ばしました。
ついにはジャンボジェット機をビルに突っ込ませました。


何もノーラン監督はイエス様だ!と言いたいわけではありません。「奇跡」を起こしているんだとも言いたいわけではありません。
これらの映画の中で行ったことは、公開時から大きく喧伝されています。
少しその映画に興味を持ったら、その情報が入るほどに。
その繰り返されている主張は一体なんでしょうか?
それは「この映画で映っているものは本物だ」ということです。
「本物」。
本当にこれらのことは行われた。これらのスペクタクルは行われ、カメラ、しかも現状最大級のカメラであるIMAXカメラで写し取られた。
その姿勢に対してクリストファー・ノーラン監督は「CG嫌い」と評されることもあります。
信者の多くも「このシーンのこれはCGではないんだ!本物なんだよ!」と言います。
水は本当にワインに変わった。イエスは本当に水面を歩いた。
その奇跡を目撃したように、ノーラン監督は「本物」を映画の中に刻み込んだと、その奇跡を叫ぶわけです。


なぜクリストファー・ノーラン監督は「本物」を使って撮影しようとするのでしょうか。
本当にCGが嫌いだから?
いや「CGが嫌い」と短絡的にCGを否定するのは、ここでは違います。
CGは特撮の一種です。楽をして映画を作る行為のことではありません。
技術の進歩により、映画が表現できる領域が広がっています。
その結果、今目の前に映っている映像が「本物」なのか「CG」さえ本当は判断がつかなくなっている状態です。
しかしその一方で「これはどうせCGだろう」と否定的な言葉も、今なお多く聞かれる言葉です。
むしろ多くの「これはどうせCGだろう」という言葉は明らかな「派手なシーン」を指して言っているのだと思います。
でも、本当はそういうシーンでも様々な映像技法が使われているわけです。
「CGだろう」と指しているのが「エフェクト処理」くらいなことだってありうるわけです。
しかし、そんなことはだいたいの観客にとってはどうでもいいことです。
目の前に映っているものは「本物」か「CG」か、見分けがつかなくなっている。
技術の進歩もわかっている。
そう言った中で観客は目の前の映像への信頼を失っていっているのかもしれません。もっと言えば、なめている状態なのかもしれません。
そういった観客が大半なのだ。
クリストファー・ノーラン監督はそれを理解しているのかもしれません。
だからこそ言うのです。
映画に映っているものは「本物」であると。
それは「奇跡」のアピールではありません。
むしろこういった方が正しいでしょう。
ハッタリ、と。


f:id:gachahori:20201019071016j:plain


クリストファー・ノーラン監督が『ダークナイト』の前に撮った映画『プレステージ』では、奇術師(マジシャン)同士の対決が描かれていました。
奇術師は目の前で信じられないことを行います。私達観客はそれを見て驚く。
奇術師は驚かせることが仕事です。しかし観客は残酷なもので見慣れた奇術には飽きてしまう。それどころかなめていくのです。
そうして『プレステージ』の奇術師は斬新な奇術を追い求めます。
誰も見たことがない奇術を。
そしてその果てある「技術」に出会います。そしてそれに伴うトリックを思いつくのです。
それは「本物」を使って「奇術」を行うこと。
むしろ観客は種も仕掛けもある「奇術」だと思い込んでいる。
しかしそれは「本物」であった。というのが『プレステージ』という作品になります。
これはクリストファー・ノーラン監督の映画そのものなのではないでしょうか。
「本物」を使って「奇術」を生み出す。
プレステージ』劇中では「本物」であるというのは劇中の観客に伏せられていますが、映画を見ている観客は「本物」だったことが衝撃的なポイントになります。
「本物」を使って「奇術」を生み出していた。
「本物」を使って「映画」を生み出していた。
クリストファー・ノーラン監督はそれを意図的に喧伝するのです。
「私の映画は本物が映っている」
それは「技術自慢」でも「CG嫌い」でもありません。
全てはハッタリです。
そのハッタリは、今の目の肥えた観客に「自分の映画は驚くことができる」と伝えるために。
自分の映画にはまだ「奇術」があると伝えるために。
そして「本物」が写り込んでいる、その面白い映画を見た観客は「信者」へとなっていくのです。

しかし何故クリストファー・ノーラン監督はそのようなハッタリをするのでしょうか。
それは冒頭のクリストファー・ノーラン監督のインタビューにこそ、答えのようなものがあるように思えます。

 「映画を見直して参考にする必要もないほど、もう私の一部になっているんです。行ったことのない場所へ行くような気分で、子どものころに感じた映画とのつながりを再現しようとしました。まったく新しい場所へ連れて行かなければならないので、誰もオリジナルの新しいジェームズ・ボンドをつくることなど不可能なのです。だから私は、自分なりのボンド映画をつくろうとしたのではありません。子どものころにスパイ映画を観て感じた、壮大なスケールのエンターテインメントの興奮を自分なりにつくり出そうと試みた映画です」


「子どものころにスパイ映画を観て感じた、壮大なスケールのエンターテインメントの興奮を自分なりにつくり出そうと試みた映画です」

クリストファー・ノーラン監督の子供の頃に見た『007』。クリストファー・ノーラン監督の目には紛れもない「本物」が写り込んでいました。いや、当時の観客にとっても「本物」がそこにはありました。
もちろん、その当時の映画も多くの技術が投入されています。トリックもエフェクトもあります。
でもまだ多くのことが「本物」でやらなきゃいけなかった時代だからこそ、その目の前に映し出されたものは「本物」だったからこそ、そこにクリストファー・ノーラン少年も当時の観客も大きなスケールとエンターテイメントの興奮を感じ取ったのです。
それを今の、目のこえた観客に提示するにはどうすればいいか?
そのためのハッタリなのかもしれません。
手で持つこともかなわないくらい重たいIMAXカメラで映画を撮ろうとすることも、街中でスペクタクルなシーンを撮ろうとするのも、大きなセットを作るのも、ジェット機をビルに突っ込むのも、そして何よりそれらを喧伝するのも、全ては今の観客に「壮大なスケールのエンターテイメントの興奮」を自らの手で作り、そして観客に届けるためなのです。

自分が幼い頃に見たものの原始的な興奮を再現するにはどうしたらいいのか?
それは多くの作り手が悩んでいることだと思います。
過去にオマージュを捧げるような作品を作ることもあれば、「新しい」作品を作ろうと模索するものもいる。
ここに答えも良し悪しもありません。
クリストファー・ノーラン監督はかつての興奮を自らの手で作るために本物を可能な限り用意して、そしてハッタリをきかせて喧伝することを選びました。
『TENET』で言えば本物のジャンボジェット機が突っ込まなくても本当はいいはずなのです。そんなにド派手にしなくたっていいのです。
でもそうじゃない。
自ら作り出す作品になめられない場所を作るために、その奇術を成功させるために「種も仕掛けもない」ということを喧伝する必要があるのです。
その試みは成功しているかどうかわかりません。
でも私は『TENET』を見て「あーこういう見たことないものを見たいから映画が好きなんだ!」と思いました。
私は相変わらずクリストファー・ノーラン監督の術中の中なのかもしれません。

f:id:gachahori:20201019071041p:plain