『PERFECT DAYS』を見た。
ネタバレ厳禁なタイプの映画じゃありませんが、終盤付近のことも書いているので気をつけてお読みください。
EVISBEATSの名曲に『ゆれる feat.田我流』がある。生活の些細な瞬間に自身の心が"ゆれる"のを歌った曲だ。そこに「今日は残りの人生の始めの1ページ」というフレーズがある。いつだって遅くないって意味にも取れる。同時に人生という限りのある時間のなかでも新しい始まりはあるという風にも聞こえる。
PERFECT DAYSのラストでも思っていたのはそういうことだった。
トイレの清掃員をしている平山という男のだいたい2週間くらいの生活を追った映画だ。
平山の日々はルーティンに次ぐルーティンである。
早朝、老婆が外を掃く。その音で毎日決まったように起きる。布団を片付けて、昨日読んでいた本を直す。歯を磨いて髭を整えて服を着替える。育てている草木に水をやって、玄関先で鍵とガラケーとカメラを手に取り、アパートを出る。アパートの外で缶コーヒーを買って、車の中で飲む。車で移動中はカセットテープで昔の洋楽を聞く。
仕事場であるトイレにつくと、丁寧に掃除をする。何ヶ所も回って、各地で丁寧に掃除をする。
昼ごはんはいつも神社の中のベンチで食べている。昼ごはんはコンビニで買ったサンドウィッチだ。
たまに木から芽が出ているとそれを持って帰っている。
平山は木漏れ日が好きで、それを写真で撮る。スマホでもガラケーでもなくフィルムカメラで。
夕方には仕事を終えて帰宅する。
帰ると、着替えて、自転車で銭湯に向かう。
銭湯でお風呂に浸かり、のんびりした後、また自転車で浅草に向かい、浅草の地下街の飲み屋に入る。そこではいつものメニュー。レモンサワーとつまみ。
しばらくそこで過ごして、家に帰る。
家に帰ると、読書をする。
眠たくなるまで本を読む。
毎日夢を見る。
休日は平日よりも少し遅くまで寝ている。といっても朝には起きている。
仕事着や服の洗濯をしに、コインランドリーに行く。
カメラ屋でフィルムの現像と、新しいフィルムを買う。
家で撮った写真の選定をする。
いい写真があれば残し、よくなければ破り捨てる。
古本屋に行って、100円の文庫を買う。
夕方になれば小料理屋に行き、歌の上手いママが作る料理を食べる。
平日と休日。
平山はこのルーティンで生きている。
映画は平山のルーティンとそのプロセスをひたすら見せていく。ルーティンとプロセスを見せていくという点では今年のデヴィッド・フィンチャーの『ザ・キラー』も想起させる。行動を繋いでいくだけでも、映画は成立するし、なんなら凄く"映画的"になる。
この平山の日々を描いた映画のタイトルは『PERFECT DAYS』だ。
完璧な日々。
しかし世間でいう理想的な生活や成功した生活からは程遠い。
むしろ平山の仕事は蔑まれてもいる。
(その描写も散りばめられている)
映像としては表現されていないが、酷い状態のトイレも勿論存在している。
そんな仕事と、少しばかりの自分のための時間。
それのどこが平山にとって完璧な日々なのだろうか。
中盤、平山の妹が現れる。平山の妹は運転手付きの車に乗ってやってくる。
どうやら平山も昔は上流階級の出だったことが示唆される。
しかしそこから出てしまったこと。父親とはうまくいかなかったこと。
そして妹にも「トイレ掃除」の仕事は理解されていないことがわかる。
平山が何故、その家を出たのかわからない。
もしかしたら、平山は若い時に精神を病んでしまったのかもしれない。
その行き着く先として、あまり誰ともコミュニケーションを取らなくても仕事ができる場所として清掃業を選んだのかもしれない。
それはわからない。
あくまでもわたしの想像に過ぎない。
ただ、妹が去った後、平山は少し泣いているように見える。
平山の心のうちはわからない。
思うに、平山にとってのこの確固たるルーティンは平山が生きやすく生きるための、最小限の防波堤なのではないだろうか。
完璧に制御された生活を送ることで、平山の心は守られる。
だからこそ、シフトが崩れてしまい、忙殺されて、その生活ができなかった時に、ちゃんと憤っていたのではないだろうか。
勿論、あんな風に朝から晩まで働かされたら怒りたくもなるだろうけども、それ以上にあのシーンは平山の世界が壊れてしまったような感覚があった。
平山の世界はそこにただあるのではなく、守り作られてきたものだ。
終盤に、ある男が出てくる。
それは平山が休日行く小料理屋のママの元夫だ。
平山はママとその元夫が抱擁しているのを見てしまい、思わず逃げ去ってしまう。
夜の川沿いで、その男と平山は再会する。
その男は「癌が転移し、もう長くなくて、元妻に会いたくなった」と言う。
そして「影って重なると濃くなるんでしょうか?そんなこともわからないまま死んでいくんだなあ」とも。
平山はその男と影を重ねてみて「濃くなっていますよ」と言ったりする。「何もわからないまま死んでいくなんて、そんなことはないですよ」とも。
死の匂いが急激に立ち込める。
元夫は平山と同世代に見える。
平山の世界だっていつまで続くかわからない。
翌朝、いつものようにルーティンを重ね、家を出て、職場まで車を走らせている時、ニーナ・シモンの『feeling good』を聴きながら、平山は笑っているような泣いているような顔を浮かべる。
It’s a new dawn,
it’s a new day,
it’s a new life for me
And I’m feelin’ good
それは新しい日、新しい人生を歌った歌だ。
けども、それはいつまでも続くものじゃない。
いつか終わる。意味もわからず、あっという間に終わってしまう人生。
それでも、新しい日やってくる。
生活は続く。
今日は残りの人生の始めの1ページ。
平山は今日も生きているのだろう。
彼自身を守るためのルーティン、完璧な日々を続けて、生きているのだろう。
***
カンヌ映画祭で主演男優賞を取った役所広司の素晴らしさは言わずもがな。
セリフは全体通しても20行くらいしかないだろう。それ以外、全て所作で"平山"というキャラクターを見せていくのだから、凄まじいとしか言いようがない。
朝起きて、布団を片付ける。その動きだけで、この人はこの人の世界があると思わせる。その説得力よ。
元夫を演じる三浦友和も本当たまらない。今年は『ケイコ 目を澄ませて』も良かったですけども、今作の存在感、死を前にし人生を振り返る人の切なさを演じ切っていたように思える。
役者の使い方もユニークで良かった。
一言評を添えてくる古本屋の店主役の犬山イヌコも良かったし、毎回、平山が昼ごはんを食べる時に近くに座ってるOL役の長井短はセリフないけども存在感がとても良かったなと思う。
***
これは単純に思い出したことだし、とても失礼な当時の認識があったことを前提置かなければいけない話なのだけども、radioheadが特集されているビッグイシューを買おうと、販売員の人に話しかけたら「レディオヘッド、いいですよね」と言われたことがあった。
私は驚いてしまった。
言いづらいのだけども、ビッグイシューの販売員をしている、いわゆるホームレスの人はレディオヘッドを知らないと、勝手に思い込んでしまっていた。
本当失礼な話だ。
そしてショックを受けた。私と同じようにレディオヘッドを知っている人もホームレスになってしまうことに。
その後の、ビッグイシューのある号で、その販売員の人が自らの半生を振り返っていた。
元々は外資系のIT会社で働いていたが、うつ病になり、解雇。その上、離婚もされ、あれよあれよのうちにホームレスになったとのことだった。
その後、ビッグイシューの販売員を経て、社会復帰に向かっているという内容だった。
平山さんを見ていて、ふと思い出したのは、あのビッグイシューの販売員のことだった。
街にふと出会う人にも、その人の世界があって、誰もがその世界を大事に生きているのだと思う。
ついつい、属性であったり職業であったり、置かれている状況、立場で、他人のことをなんとなくわかったようになりがちだけども、そんなことは全然ないのだと思う。
ほとんどの人の世界を知らずに生きていくけども、今、ふと通り過ぎた人にも世界がもちろんある。
それを知ることはない。
けども、持っているのだ。誰しもが自分を守るための世界を。