そして、人生は続くって言葉が好きだ。最初に聞いたのはいつだったかわからない。星野源かなって思ったらエッセイ集の名前は「そして生活はつづく」だった。
たしかその中で、このタイトルにしたのは松尾スズキの作品のラスト、悲劇に満ちた物語の終わりが「そして生活はつづく」で締められていて感動したというものだった気がする。
今手元に本がないので、正確な引用はできないんだけども、私の記憶の中ではそんな風になっている。
その本を読んだのもいつだったのだろう?
私の人生も、生活も続いて、その本を読んだ瞬間からは遠く離れてしまった。
『怒り新党』の最終回を見た。とても笑って、時折泣きそうになって、でも涙が出そうになったらくだらない瞬間で笑って、とてもいい最終回だった。
『怒り新党』を見ていたのは大学生の頃だった。それからあっという間に時間が過ぎていった。過ぎたあとの時間を思い出すことはなかなかできなくて、思い出さなくていい嫌な記憶や、強烈な瞬間ばかり思い出してしまう。
でも数多くのくだらなくて、思い出せない幸せで楽しい時間があったなって『怒り新党』の最終回を見ながら思い出していた。
実家の深夜に見たり、誰かの家で飲んでる時に流れていたら、祖父の家で見たり『怒り新党』って意外と見ていたなあと思ったりしていた。私はとても好きだった、でも当たり前すぎて思い出してこなかった時間のことを思おうとしている。
またそんな時間があったらいいなと思う。
そして今ある、そんな時間をちゃんと大切にできたらと思う。
いつでも、目の前の時間はあまり当たり前にやってくるからその大切さに気がつかなかったりする。だからわかってない。何度も思い知らされてるのにすぐにわからなくなる。
そして人生はつづく。つづいた先が昨日の『怒り新党』で、それは番組にとっても、あの三人にとっても、制作陣にとっても、そしてテレビの前で見る人(もしくは見逃し配信で見る人)にとっても、久しぶりにまた集まった、貴重な一瞬だった。そしてまたばらばらに私たちの人生は続いていく。
人生の形はとても歪で、私はその歪さや、人それぞれに違う形に時折戸惑ったりする。思ったような形にならない私の人生にもうんざりすることもある。でも、それでも、歪な人生をつづけていきたい、そしてそれぞれの人がそれぞれの歪な人生をつづけていってほしいなって思った。
もしよかったら、いつかその話が聞きたいなって思った。それぞれの歪さを聞かせて、なんて思う。
私は、やっぱり人生を続けていきたいなって思った。
人生は続く。寂しいことも悲しいことも沢山詰め込んで。でも本当に楽しい時間って沢山あったよね。またそんな時間に集まりたいね。また集まるためにばらばらの歪な人生を続けていきましょうね。