にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

引っ越しすることになった。

 引っ越しすることになった。といっても同じアパートの一階下の階にだけども。

 というのも、今まで住んでいた場所は借り上げ社宅で、退職後も病院に通うためにそのまま住み続けたかったのですが、それをすると初期費用ということで30万ほどかかるとなって、どっひゃーとなっていたのですが、その話を聞きに不動産屋に行ったら、同じ場所だと「それくらいかかってしまうのですが、新たに契約し直すということでアパートの下の階に住むということでしたら、色々諸々の特典で15万くらいに抑えられます」となり、即決。

 というわけで引っ越しすることになった。といってもアパートの下の階なので、業者は頼まず、そんで今住んでいる場所も今月末までは住めるので、ゆったりと引っ越しをしていこうと思う。というわけで相変わらず、いろんなことが起こり続けている。休職からの退職に加えて、引っ越しということで、日々疲れ果ててしまって最近はまたよく眠り続ける日々が復活。今日も夕方くらいまで寝てしまっていた。今、慌てて起きて一駅先のドトールにてこの文章を書いている。ドトールにいすぎて、どの街に行ってもドトールを探すようになってしまった。

 


 保険も切り替えないといけない。今入っている社保から、国保に切り替えようと思っているのだけども、そうすると傷病手当金が受けられないとなって、慌てて社保の方に相談したら、そんなことはないということがわかって安心した。1年以上社保に入っていたら傷病手当金を受けることができるとのことであった。ひとまず安心したが、本当にもらえるのかどうか未だに不安である。しかし社保の人が、国保に切り替えても大丈夫ですよと言ったのだ。それに乗っかるしかない。社保と国保だと払う額が月々1万ちょいも違うのだ。これは無職には辛い。なるべく国保に切り替えさせて欲しい。そんなことを考えていたらまた気持ちがもやもやしてくる。最近は気持ちがもやもやしっぱなしだ。あんまり休まる時がなくて困っている。

 


 小説を久しぶりに書いた。ここのところ、自分の苦悩をなんとか小説に落とし込もうとしては失敗ばかりしていたんだけども、一度そういうことから離れて、思いっきりくだらないものを書こうと思って書いてみたら、書けた。1つ前の記事の「私じゃ、魔女になれない」という作品である。タイトルはスカートの『静かな夜がいい』という歌に出てくる「僕じゃ魔女になれない」ってところから引用した。この曲を聴きながら書いていた。魔女ものだと矢部嵩先生の『魔女の子供はやってこない』がベスト級に好きで、読み直したらそういうニュアンスも入っていた。後はカードキャプターさくら的なものもやっぱり入っていた。ナンセンスとグロが大好きなのですが、そういうのが詰まった小説になったと思う。自分ではめちゃくちゃ好みです。

 


 最近は小説もなかなか読めない。なんていうか、疲れてしまって読めない。というわけで、自分で読める小説を自分で生産している節がある。自家生産スタイルなので、そんなものを面白いと言ってくれる人がいるのは嬉しいことだと思う。書いている時は楽しいという感情しかなくて、まあたまにめんどくさくて仕方ないという瞬間もあるけども、でもおおむね楽しいという感情で書いていて、それは自分の喜びのものだから、そんなものが世界のどこかの人を少しでも楽しませているってのはなんか奇跡に近いものを感じてしまう。まあ、素人物書きが何を言っているんだという話だけども、これは書いておきたいと思った。

 


 友人が家にやってきて、一晩話したりした。友人の人生の話を聞いて「人生のままならさ」を感じたり、そしてそのドラマチックさに圧倒されたりした。人にはそれぞれの人生があって、それはままならなくとも、それぞれにドラマチックなのかもしれないと思った。そんな風にして圧倒されたりしていた。いろんな人に会ってきたつもりだけども、それぞれにそれほどの人生があるとしたらとてもそれは凄いことで、たまにそのことに圧倒されそうになる。人生の濃度ってやつに頭がくらくらする。生きているといろんなことがある。何もないと思っている人生も語り直すと凄くドラマチックなのかもしれない。そしてドラマチックじゃなくても、それはそれで素晴らしい人生なのかもしれない。

 


 もやもやして早めに眠ろうと思った日、mogwaiを聴きながら寝たら凄く心地よかった。mogwaiは素晴らしいバンドだなと改めて思った。高校生の頃くらいにポストロックがめっちゃ流行ったのもあって、相変わらずポストロック大好きなのですが、ポストロックの祖みたいなmogwaiはやっぱよいなあと思ったのでした。

 

 

 

 障害者手帳をもらえるかもしれない。というか相談に行ったら、ぽんと申請用紙をもらってしまった。使える物はなんでも使って生き延びたろうという気持ちでいる。しかし、あまりに簡単に物事が進むかもしれないことに対して、やっぱりいささかの恐怖は抱いている。障害者手帳をもらえるということは健常ではないですよということであって、自分はやっぱりそうなんだと認識するのは辛い。しかし、働けなくなって1年。もうそろそろ認める時期になってるのかもしれない。働くというのが健常だってわけじゃないけども、それが難しかった自分はそんな風なハンデを持っていると言うことが今後の人生において楽なのかもしれない。自分もままならない人生を送っている。だからこそままならなさを認めるのが楽になる一歩なのかもしれない。

 友人が「お前がおかしいと思ったことは一度もない」と前に言ってくれた。それが嬉しかった。おかしいとおかしくないの境界線は一体どこにあるのだろう?そして一体自分はどこに立っているのだろう。わからない。自分がどこに立っているのかも。

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