にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

2021年8月21日周辺の私から。

・火曜日に祖母の家にやってきた。それから土曜日までの四日間、ほぼ寝てばかりだった。

 

・実家で父親と応対しているうちに、心がきゅっと小さくなっていたのが、元の大きさに戻そうとするみたいな四日間の眠りだった。

 

・でも、まだ回復してはおらず、むしろぼんやりする時間が余計に増えてしまって、心は沈んでしまっている。昨日はシャワーを浴びながら、自分の口から思ってもみない恐ろしい言葉が出てきて、しばらく呆然としてしまった。

 

・鬱になって4年。色々と長引いてることで、私は相当参ってるのかもしれない。

 

・参ってるといえば、市役所に基礎疾患持ちってことでワクチンの応募書類を送ったけども一切返答がない。あちらも慌ただしいのかもしれない。どこかで諦めた気分になってる。それくらい世の中がどうかなってしまってるのをやんとなく感じてる。

 

・日々、どうしたらいいんだろう、と不安になってばかりだ。とはいえ、どうすることもできない。私は私にできることをやるだけ。ってことで、相変わらずどこにも出かけてないし、何にもしていない。私は不要不急な存在やからと去年の春頃は、そういってふざけていた。でも、いよいよ本当にそうで、何かをするってことはリスクにつながると思うと、もともと遊んでもいなかったけども、余計に何にもしないことを選択している。

 

フジロックが始まった。初日、私は布団の中で配信を聞いていた。起き上がれなかったから音だけを聞いていた。OKAMOTO'Sとドレスコーズyonigeくるりを聴いた。どれもとても良かった。

 

・中学生の時、世界で一番好きだったバンドのくるりのライブを久しぶりに見た。HOW TO GOから始まったそのライブを見て、私はとても感動をした。感動といっても、泣いたというよりは、凝り固まった心のコリをほぐしてもらったような、やっと固まっていたものが水に溶けたような、そんな気分になった。

 

・やっぱりくるりは大好きだ、と思った。

 

・そんなことをTwitterに書こうとしたら、フジロックへの批判のツイートを沢山見てしまう。この時期に開催したこと。集まる大勢の観客への批判。意思表示をするミュージシャンへの批判。多くの意見。

 

・新型コロナウィルスが蔓延してから、私は何度も何度もこういった気分になってきた。こういった気分ってのは、私の好きなものが批判されることで生じる苦い気持ちだ。

 

・音楽も演劇も映画も友達と集まることも、全て批判の対象になって、私はその度に苦い気持ちになってきた。私だけじゃなく、多分、多くの人がそうだろうと思う。苦いだけじゃ収まらなく、もっと否定された人、実際にそれで食っていけなくなった人もいるだろうし、何かに"負けてしまった"となった人もいるだろう。

 

・この時期にフジロックを行うことの良し悪し、ということを考えると私は……とここで何かの立場を表明しないといけないことがとても辛い。違うのだ。別に表明をしたくないわけじゃない。むしろ、表明をしてしまうことで消えてしまう考えであったり、見えなくなってしまうグレーゾーンのことを気にしてしまう。

 

・そもそもで言えば、私が好きなものは、何かの立場を表明するために好きになったわけじゃない。私が文化を好きなのは、これら愛してる文化がなかったら、私の人生はクソだったってことだ。

 

・4年前に私は鬱になった。文化を愛していても、鬱になることは避けることができなかった。でも鬱になっても、文化があるから、文化が作ってくれる細い道を歩いて、なんとか4年後のここまでたどり着いた。

 

・クソみたいな人生だっていったけども、クソみたいな人生で、友達に出会えたことや、友達と楽しい瞬間があったのは同じような文化が好きだったからだったり、文化がきっかけで出会えた人も沢山いる。

 

・私にとって私の愛する文化は、人生を生きていくための命綱だったし、歩いて行くための道だったし、世界の中を歩き回るパスポートだったりした。

 

・そんな文化がこの2年間、何度も何度も燃え上がってるのを見た。文化を愛する人たち同士が歪みあったり、叩き合ってるのも見た。

 

・私はすっかり疲れ切ってしまっていた。

 

・ウィルスは自己増殖だけを目的に動く。そこに意思もないし悪意もない。どれだけ私たちが苦労をしたか、我慢をしたか、それを汲み取る情もない。

 

・だからそのことを考えたら、もちろん答えはある方向に出る。

 

・それでも、それでも、とてもいい演奏を私は聞いた。ドレスコーズが歌う「愛に気をつけてね」に感動した。yonigeのダウナー感に心を惹かれた。バンドセットに振り切ったくるりのライブに、これを生で聞けたらと思った。

 

・今日はサンボマスターが放つ強い言葉と音楽に涙を流した。envyの音に一気に好きになった。サニーデイ・サービスのギターとベースとドラムで同時に音を鳴らしたらこんなに素敵なんだよと魅せるシンプルで熱くかっこいいライブに心をときめかせた。今は、ナンバーガールのライブを待っている。

 

・同時にずっと罪悪感も付き纏っている。批判はより過熱化している。医療関係者からのふざけるなよといったツイートも見た。

 

・身が引き裂かれるような思いが日に何度も訪れる。何度も何度も何度も。何か、割り切ったしまえばいい。そう思ったりもする。でもそうもいかないから苦しい。

 

・それでも、私は、その瞬間、やっと感動したのだ。二週間前、思い詰めて涙が溢れ出ていた私が、大好きなミュージシャンが演奏する音楽を聴いた時に、やっと、やっと、感動したのだ。

 

・2021年フジロックサニーデイ・サービスのライブ、最後の曲は"青春狂走曲"だった。

この曲のサビはこんな歌詞だ。

 

"そっちはどうだいうまくやってるかい こっちはこうさどうにもならんよ 今んとこはまあそんな感じなんだ"

 

・私はどうにもならない日々を過ごしています。でも、どうにもならないなりに、やっています。やれてないことが多いけども。

そちらはどうですか?多分、そちらも本当に大変だと思います。今、大変じゃない人なんて誰もいないですもんね。だから、凄くしんどいこともあると思います。もし、なんとか乗り切れたら、またどこかで会いましょう。その時はまた好きな文化の話とかくだらない話とか、そんなことを大きな声で笑いながら話しましょうね。

 

・2021年8月21日周辺の私から。