にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

だからもっと写真を撮ろう、両目さん。

どうもー両目洞窟人間でーす(ある時からスターであることを引き受けた星野源の名乗りの言い回しで)

気がついたら30歳です。昔ならドントトラストオーバー30と、30歳以上は信じるなって言われていましたが、そんな30歳以上は信じるな洋子の話は信じるなって状態なんですけども、自分がそっち側に来てるなんて未だにわかってない。
でも、この間15年通っている美容院に20歳そこそこの新人さんが入ってきたんだけども、その人と喋ったら「うわー、私は30歳になってるんだー」と10歳違うことから生じるジェネレーションギャップにびっくりしたりしました。
ちょうどその時話題にあがっていたのがGENERATIONS from EXILE TRIBEだったんですけども、これは物語だったらメタファーかなにかだと思うんですけども、そういうことじゃないみたいです。
ただ、私も20歳から10年経ったんだ。30歳なんだと思ったりする。
でも20歳の頃よりは、なんか色々とやっとできそうな気分にもなっているのも確かなのです。
20歳の頃は、周囲にもっと怯えて暮らしていた気がするし、自分はこんなことしていけない、あんなことしていけないっていう無意識の制限をかけていた気がします。無意識の制限は、自分を締め付けているものというより、ゲームにおけるマップ端の見えない壁のようなものです。この先はいけないよというもので、私にはその見えない、あちら側には行けない壁を色々と作ったり、勝手に出来上がったりしていたなと思います。
でも、本当は行けたりするはずなんです。
無意識の壁は、本当は存在しないはずなのです。

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20歳前半の頃、私はiPhoneを買いました。それが4だったと思います。
私はそのiPhoneでたくさん写真を撮りました。
そしてそれをフィルターにかけて、TwitterやらFacebookやらにあげていました。
今見ると、過剰なフィルターに雰囲気!ってのを詰め込んだ写真。
Facebookでつながっている知り合いから、事あるごとに揶揄されました。
「お前のキャラ的にこういう写真は撮ったらいけない」とか「なんかいけすかない」とか。
まあ、いけすかない写真はいけすかない写真だったんですけども、でも当時は「そうだよな」って思ったりして、そうして写真の投稿の頻度は減ったりしていました。
でも、あるときに、高校の友人が私の写真を見て「ええやん。カメラ買ったら?」と言ってくれて、その時は「お金ないからなー」と返答したんですけども、その言葉はずっと残ってました。
揶揄よりも、その「ええやん」のパワーはすごかったのです。
高校の頃から私のことを知っている友人がその写真を見て、お前のキャラ的にどうとも、いけすかないとも言わずに「ええやん」と言ってくれたことは、凄く凄く大きなことだったように思います。

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だから社会人になって、初めてのボーナスで私はカメラを買いました。
フジフイルムのX-T10というカメラでした。
それを買ったときも「今スマホあったら十分だろ」とか「社会人なんだからカメラ買うくらいならいいスーツを買ったほうがいい」とか「カメラ買ってもすぐやめるよ」とか言われました。
でも、結果としてだけどそのカメラを買ってからの方が沢山写真を撮りました。
あれから5年経ったけども、カメラは未だに手放していません。
写真の技術は思ったより上がらなかったけども、でも写真を褒められることは思ったよりも沢山ありました。
ある時、友人が専門学校の課題で写真集を作るってなったときに、「私の写真」で写真集を作りたいと言ってくれました。
そしてそれから、私の沢山撮りちらしていた写真は本当に写真集になったのです。

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ふと思います。あのときの「キャラに合わない」ことってなんだったのでしょう。
もし「キャラに合わないから」なんて言葉を鵜呑みにしていたら?そもそもキャラに合わないとは?
キャラクターには設定って言葉があります。キャラクターの性格や好きなこと嫌いなことを書き記したものです。
あの人の見ている私の設定資料にはそんなものはなかったのでしょう。
あの人の言葉を鵜呑みにしていたら私はあの人の考える「私の設定」に押し込められていたのだと思います。
でも違う。
あの人が私を書いたわけじゃない。
私を書き続けているのは私なのです。ずっと書き続けている私なのです。
そして設定は書き換わり続けます。好きだったものも嫌いだったものも変わっていきます。
私はキャラクターじゃない。一度決まったものだけでその後生きていくわけじゃない。
もっといえば決まった設定すらもない。
だから本当は何をしたっていい。書き足していってもいい。
何をしたっていいはずなのです。


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去年実家に帰ってきてから、少しの間、写真を撮ることから遠ざかっていました。
いろんなことがあったし、新型コロナウィルスも流行ったしで、写真を撮る機会がぐーんと減ったからでした。
でも、やっぱりまた撮りたいなってどこかでは思っていました。
それに撮りたい写真もまた色々と思ってきたのです。
デジタルのぱきっとした写真じゃなくて、アナログのぼんやりとノイズが乗っていてもいいから、そういう写真の方が好きだな自分も撮りたいなって思うようになっていました。
昔はぱきっとした写真が好きだったのですが、ふとだんだんそちらの方がいいなと思うようになってきたのです。
家の中に、安っぽいフィルムカメラがありました。
フィルムを買って、写真を撮ってみました。
現像に出そうとしたら、カメラが壊れてしまってフィルムの巻き上げができなくなり、カメラ屋さんにフィルムは回収できたけども、このカメラはもう使わない方がいいと言われました。
写真は現像できていました。
相変わらず私の撮っている写真は相変わらずでした。
でも私は自分が撮る写真が好きです。
久しぶりに撮って、現像で出来上がったそれらの写真を見て、私は私の写真が好きだと思えました。
自分が作ったもの、写真は風景にカメラを向けてシャッターを切っただけのものとはいえ、それでも自分の作ったもので好きと言えるものがあるのはやっぱりいいものだなって思いました。
だからもっと写真を撮ろう、両目さん。


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