例えばの話〜(嵐の"言葉よりも大切なもの"の櫻井くんのラップより)
どうも、両目洞窟人間です。
皆様、11月になりましたね。時の過ぎゆくスピードについていけない間に、夜風の風速に身も心も冷え切ってる今日この頃です。
そういえば10月末はハロウィンでした。日本でもハロウィンが定着してきましたね。今年はコロナウィルスの影響であんまり街で騒がなかったみたいですけども、まあ元々私は街で騒ぐハロウィンはやったことないのでどちらにしてもそちらのハロウィンはメディア経由で見たことしかないです。
私もハロウィン前はそわそわはしてしまいます。それは地味ハロウィンがやってくるからです。
地味ハロウィンはデイリーポータルZが主催していて本家ハロウィンではやらないような地味な仮装をするイベント……なんて説明もいらないほどに、こちらも定着しつつあるイベントになってきました。
私もネットで初めて地味ハロウィンの存在を知った時は「こんな仮装ありなんだ!」と興奮しました。なんといっても、スターバックスの店員ってだけでも許される場があるってことに感動してしまって、なんとしても参加したい!って思ったりしました。
2016年には東京転勤もあり、現地での参加が叶い友人達と参加しました。
その時は「熱あるのにバイトに出たやつ」ってので参加しました。楽しかったです。
それから地味ハロウィンの季節が来るたびにそわそわしていました。今年はこんなのやろうかなあれやろうかなと考えるのも楽しいものでした。
でも、その一方で「これは受けるかな、これやったら受けるかな」と考え始めてる自分もいました。
受けることを考えるのは全然悪いことじゃありません。むしろ受けることを考えるのは良いことです。
でも、その思いが強くなりすぎて、ふと最初の店員さんのモノマネを見て、俺も店員のモノマネがしたい!と緑色のエプロンを買った時のような興奮を忘れていた気がしたのです。
地味ハロウィンも細かいあるあるを追求する流れになる中、それを追い求めていく中で自分の初期衝動を見失っていました。
去年、実家に帰ってきて、もう本家のイベントに参加はできないとなった今、一番最初の初期衝動に戻るべきではないか、いまこそ初期衝動で仮装をするべきではないか!
というわけでやりたい仮装をやることにしました。
ミッフィーちゃんです。
私はミッフィーちゃんが大好きなので、好きなミッフィーちゃんの仮装をしたかったのです。
そして好きなミッフィーちゃんをやるので原作の再現をすることにしました。
ダンスするミッフィーちゃん。
そして私が好きな話でもある自転車に乗るミッフィーちゃん。
その再現をするために、弟の自転車を借りてやってみました。こちらです。
だんだん楽しくなってきたので、原作にはないミッフィーちゃんの写真も撮っていきました。
ストリートのミッフィーちゃんです。
水道工事をするミッフィーちゃん。
タバコのことを"ヤニ"と呼ぶミッフィーちゃん。
人を殺す暗示かける殺人鬼役で黒沢清の『CURE』に出演した時のミッフィーちゃん。
というわけで楽しく仮装をして、写真を撮りました。
写真を撮ってくれた弟は「なんでこんなことを……」とずっと呆れていましたが、私はとても楽しかったです。
このミッフィーちゃんの仮装をするために、ミッフィーちゃんっぽい服を探して歩いて1時間かけてセカンドストリートに行ってみたり、プラスチック板を買ったり、かつてのバイト先のコンビニでミッフィーちゃんの画像を拡大コピーしたり、お面を作る過程で昔やった紙人形を作るバイトの経験が役立ったり……なんか作る過程も色々あったけど、ミッフィーちゃんの仮装、すごく楽しかったです。
田我流さんの『ゆれる』って曲が好きです。その中の歌詞で「社会から見れば窓際の人 でもいつに生まれても俺は俺だと」というのがあります。
社会から見たら窓際だし、実際大変な状況と状態なんだけども、それでも、自分を楽しませることを続けたいって、ミッフィーちゃんの仮装を通じて思いました。
また楽しいことしたいです。もっともっと楽しいことがしたいです。
最後にミッフィーちゃんというキャラクターを創作した偉大なる作家ディック・ブルーナさんに改めてありがとうございましたって気持ちを添えて。まあ、こんな仮装はブルーナさん困惑か怒ると思うけども。でもブルーナさんの作ったミッフィーちゃんというキャラクターに出会った子供の頃からずっとずっと今もやっぱ大好きだなって思うのです。
ミッフィーちゃんは読者と目を合わせるために前を向いてること。
使う色は少なくすること。
そんなブルーナさんのミッフィーを描く際のルールを意識しながらやりました。
ブルーナさん、ありがとうございました。