にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

30歳になる前に『アイドルマスター』を見る。第一話『これからが彼女たちのはじまり』

 30歳になりかけている。20代はあっという間に過ぎてしまった。そしてやり残してしまったことも沢山ある。あれやこれや、もっとしておけば…と後悔もある。
 でも、もしかしたら、まだ取り返せるものもあるんじゃないか?
 30歳になるまでにまだ間に合うことってあるんじゃないか?
 あった。
 まだ間に合うことが。
 アイドルマスター』のアニメ、俺はまだ見ていない。
 多くの人が俺に勧めた。
 いつか見るよ。そのいつかはまだ来ていない。
 来ていないならば、つかみにいくときじゃないか。
 いまこそやるのだ。
 アイドルマスター」(2011)を全話見る。
 30歳になるまで、3週間。
 間に合うか。いや、間に合わせるのだ。
 これが20代が終わる前にやらなきゃいけないことなのだ。

 なんて書いたけども、要するには30歳になるまでに『アイドルマスター』を見ようって企画です。
 アイドルマスターはほとんどゲームは未プレイですし、ソシャゲもやってないです。
 この無印アニメ版は前に6話くらいまで見たけども、途中で止まってしまいました。
 なので、改めて、見てみようという話です。
 アイドルマスターは本当弱者も弱者でございますので、ファンからしたら何を言ってるんだこいつと思うところも多々あるとは思いますが、優しい目で見ていただけたら…
 では感想です。
 

『第1話 これからが彼女たちのはじまり』

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 第一話は夜明け前から始まった。
 まだほんのりと明るいだけの世界を天海春香が自転車で進んでいく。
 アイドルを舞台にしたアニメだけども、でもキラキラした世界からは程遠い。
 765プロは雑居ビルの三階で、しかもエレベーターはこわれているから階段でいかないといけない。
 芸能事務所というけども、入り口ドアはすりガラスで、なんとも入りづらい雰囲気。そういえば、レイザーラモンRGが泌尿器科あるあるで「だいだい雑居ビルの二階」って歌っていたけども、この雑居ビルの一階はチェーン店ではない居酒屋で、そして二階は何が入ってるかわからない…。
 「765」という屋号も、テープで貼っているだけで、芸能事務所ってよりは貧乏探偵事務所な雰囲気である。
 でも「どうぞー!」と天海春香菊地真が案内して、その貧乏弱小事務所が一瞬光り輝いて見える…。なんと素敵なオープニングだろう!


 第一話の構成はドキュメンタリータッチだ。「アイドル」って黒背景にテロップが出て、「ポーン」とピアノが鳴って…といわゆるNHKで放送されている『プロフェッショナル~仕事の流儀~』の演出のパロディ。しかしそのパロディを通して出されるテロップは「トップになれるアイドルなんて一握り」であるという厳しい現実である。
 765プロに所属しているアイドルを密着取材するという体裁の1話で、印象的なのは取材者の声がけされて、テロップ表記になってる点だ。そもそも「アニメ」で「ドキュメンタリータッチ」はどうやっても成立が難しい。なんせ「カメラ」で撮影されていない「絵」(アニメにおける撮影の概念は一度取っ払っていただけたら…)に「カメラ」の存在を感じさせるという、なにそれ…という難題だ。ゆらゆらとカメラの手ブレのようなエフェクト演出も最近ではよく見る手法だけども、それを全編するにはあまりに手間だし、意識させすぎるのもトゥーマッチだろう。
第一話では双海姉妹がカメラのレンズを触ろうとする場面で手ブレ演出があったけども、それくらいでそれ以外のシーンはドキュメンタリーの撮影という設定だけどもまるで固定カメラで撮影されたように進めている。意図的に「手ブレ」的なことでカメラを存在を出さずに、取材者が喋っているけどもその音声は消されてテロップで処理するというやり方は、取材者の声という存在を消すことで逆に存在感を増させ、そしてそれに対して登場人物がカメラ目線で回答をするというやり方で「カメラ」の意識、そしてアニメの中で「ドキュメンタリー」という難しい難題をクリアしている。

 しかし第1話からなんとトリッキーな手法だろう!!と思ったけども、見進めているうちになるほど~となっただけども、とにかくこのアイドルマスターは登場人物が多いのだ。13人のアイドルを登場させて、それぞれのキャラの区別を表現して、そしてそれぞれの抱えている問題を表現をするなんて、普通にやったら1話24分でできるわけないのだ。しかし13人のアイドルは出さなきゃいけない。この時点で原作ゲームが稼働してから6年経っている。ファンは13人のアイドルを求めている。でもただ登場させるだけでは知らない人置いてけぼりになる。どうすれば、紹介できる?どうすれば…の悩んだ末がこのドキュメンタリータッチって、トリッキーだけども最適解じゃないか!


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しかし13人のアイドルたちはまだまだ、本当に何者でもない。「アイドル」という言葉から想像するキラキラした場面は一切でてこない。
レーニングにオーディション、ライブの前座に店頭での手売り。
まさに下積み。下積みがこれでもかこれでもかと出てくるのに、なぜか辛い気持ちにならないのは、それを一生懸命取り組むそれぞれのキャラクターの姿勢や行動がほほえましかったり、素敵であったり、ぐっときたりするから…なんて思ったけども、とりあえず私は店頭で全然売れない自分のCDをそれでも笑顔で売ろうとする天海春香さんの姿勢にぐっときていたのだ。
私はライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフルというラジオ(現:アフター6ジャンクション)が大好きなのだけども、その中で『泥水特集』というのがあった。今でこそ、地位を確立したライムスターだけども、それでも昔は泥水を飲まされるような仕事も沢山あったよ…!と振り返る特集で、笑いながらもぞっとするような仕事に切なくなるような瞬間もあったりで好きだった。続編であった放送作家の妹尾匡夫さんの『泥水特集』もまた大変な話ばかりで(例えば、ラジオドラマ生放送当日に脚本書きを依頼されるとか)もうそれまたえぐかったのですがある時まではやっぱり「泥水」はすすらされるようなと思っていた。
それはやっぱり相手がなめている…って言っちゃうと乱暴だけども、まあなめていい相手であったり、丁寧に言えば価値や力をまだ示せれていないから、どうつかっていいかわからなくて、結局雑に使われているってことになるんだけども。でもとにかくそういう時期は大変である。
『アイドル』ってなんですか?と聞かれて、まだ何者にもなっていない女性達は思い思いのことを言う。
それこそ、自分を認めさせるためというのもあれば、自分を変えたいというのもあるし、家計を支えたいというのもあれば、トップシークレットだというのもある。そして「それが夢だから」というのもある。
まだ何者でもない。夢は夢である。
でも、大きなこと小さなこと、叶う叶わないは別にしても、私達は夢を持っている。
そして私達はみんな何者でもないのだ。
だからこそ何者かになろうとする彼女たちはすでに輝き始めている。

エンディングでは歌が流れる。でもそれは練習スタジオで練習している風景だ。
スポットライトはない、蛍光灯の明かりだ。ステージ衣装じゃない、動きやすいジャージ姿だ。
まだ何者でもない。
これからが彼女たちのはじまりなのだ。


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あと最後のカメラを回していたのが実は主人公でしたってのは叙述トリックっぽいですよね。フェイクドキュメンタリーといえば『放送禁止』シリーズがありますけども、その製作者の長江俊和さんが書いた小説で『杜の囚人』("掲載禁止"に収録)をなんとなくおもいだしました。いや、全く違う話ですし、何にも似てないですけども、カメラを持っている人が思っていた人と違うかったって1点だけなんですが…。


二話へ続く。