にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

30歳になる前に『アイドルマスター』を見る。第二話『“準備”をはじめた少女たち』

30歳になるまでにアイドルマスターの2011年のTVアニメシリーズ版を見ようという企画を突然ぶち上げてしまったわけですが、早速後悔をしています。
 アイマスを見るのは全然後悔していないのですが、ここのところやらなければいけないこと、やりたいことをめちゃくちゃに積み上げてる中で、アイマスを30歳になるまでの3週間で見るとぶち上げてしまったわけですから、てんやわんやしております。
しかし、一度言ったのですからやり通して見たいものです。
30歳になるまでの期間ですが二週間を切りました。
まじで頑張ろうと思います。
いろいろな意味で。
では、第二話の感想です。

第二話『 “準備”をはじめた少女たち』

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 765プロはお金がありません。それは所属しているアイドル達が全くオーディションに通らんからで、それは大変困る。
 ってなわけで宣材写真を取り直そうとする。今の宣材写真は社長が「ええやんええやん!」とハリウッドザコシショウの肯定の勢いで押し出しているけども、それは奇抜がすぎてどうもオーディション向きではないようだ。
 ってなわけで、撮り直す。宣材写真を撮り直す。
 しかし宣材写真って難しい。なんせ「自分」を写真に封じ込めなきゃいけないからだ。って、その封じ込めたい「自分」ってやつは一体何だ。どうやったら自分を封じ込めれるんだ。

 話は少し変わる。突然だけども9mm parabellum bulletのアーティスト写真を見てほしい。

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こんなんとか

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こんなんとか

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いよいよこんなんとか。


勢いが物凄いのだ。
それは音が流れない写真の中で「自分たちがかき鳴らしている音楽はこんなんで、なんならライブパフォーマンスはこんな感じっすよ」ってのを封じ込めている。
これを見て、チルアウトミュージックなバンドだとは思わない。
激しく、ある種衝動性すら感じさせる音楽が聞こえてくる。
それはこの写真を見ている間は想像だ。
だけども想像させた時点で成功はしている。
私達はこんなバンドだ。だからこんな写真を撮る。

しかしその一方で難しいのは9mm parabellum bulletが自分たちの売りに気がついてなかった場合のことだ。
9mmさんが「俺たちの可愛らしい一面を見てくんねえかな????」って、楽器を置いて、ふわふわ~~な写真を撮り始めて、音楽ナタリーに掲載されたら、そりゃ今の9mmさんだったら「一体どうしたんだ?」ということで反響ありそうだけども、残響record所属し始めた頃にこれをやられたら、「なんかバンド名の割に、ふわふわしてるね~~」って思って、ふわふわが聞きたい人は近寄ってくるんだけども聞いたらふわふわじゃないし、逆に衝動的で激しいのが聞きたい人は近寄ってこないから困っちゃうよね。



水瀬伊織は宣材写真に残すべき自分に迷う。水瀬伊織はプライドが高く、ずけずけとすぐに物を言う。アイドルで成功したい理由も「父や兄に認めされたい」と述べている。
しかしその態度の一方で手にはいつもうさぎの人形を持っている。
人形を常に持ち歩く姿はどう見ても子供っぽく写ってしまう。
しかし、彼女のそれはキャラ付けのそれではない。

うさぎの人形は友達であり、家族であり、精神の安定に欠かせないものだからだ。

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スヌーピーが出てくる漫画こと『ピーナッツ』ではライナスといういつもブランケットを持ち歩いている登場人物が出てくるけども、そこからとった『ブランケット症候群』というものがある。
ブランケットじゃなくてもいい。
常に何か「同じもの」を持ち歩いていないと不安になってしまう症状である。
しかし病気ではないし、これが単体の病気ではない。
それに多かれ少なかれみんなブランケット症候群みたいなもんだ。
トイレに入るときですら携帯電話をイジっているのも、かばんに好きなキャラクターのキーホルダーをつけるのも、職場のデスクの上に好きなぬいぐるみを置くのも、ブランケット症候群的なものだ。
だから水瀬伊織はブランケット症候群だ!!!!と製作者が意図したものを今更「発見」だと勘違いして喜びたいわけじゃない。そもそも「発見」じゃない。
演出だ。
キャラクターの側面だ。
水瀬伊織がプライド高く、大人びた立ち位置に立とうとするのに矛盾するように抱きかかえられたチャイルディッシュなうさぎの人形。
そこに混乱している水瀬伊織の内面を垣間見る。そしてそこに私達は水瀬伊織の魅力を感じる。
しかし水瀬伊織はその魅力に気がついていない。
だから水瀬伊織は一度手からその人形を離す。
そして「大人っぽい」と自信が思うメイクと衣装を着替えてみる。
でも結果は完全に失敗してしまう。

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自分らしくあればいいんだよ、なんて世の人は簡単に言う。
でも大体の人はそのままの自分なんて大嫌いだろう。そのままの自分なんて変えたいと思っている。
第一話で複数人のアイドルが「自分を変える」ことが目標と語っていた。
でも、否定したい自分の部分にこそ「魅力」があることも往々にしてある。
だからこそ自分らしくあるなんて認めるのは難しい。
だって私の嫌いな部分が「あなたの魅力」だなんて言われても納得できない。
そして大体の場合、人は新しく見つけてしまったと思ってしまうものの方が大事にしてしまうのだ。
だから付け焼き刃な「大人」に水瀬伊織はなろうとしたし失敗してしまう。
でもプロデューサーは叱りはするものの、否定はしない。
水瀬伊織達の魅力は何なのかを決めつけるではなく、立ち止まって、一緒に考えることにする。
それは「迷い」のように見える。
実際迷いである。
これが彼女の売りだとは言えないのは迷っている部分だ。
その部分を水瀬伊織にも「なによ」と言われるわけだけども、30歳になりかけている私はこんな風に迷っているときに一緒に立ち止まって考えてくれるプロデューサーの姿にこそやさしさとそして「大人」を感じる。
水瀬伊織たちとプロデューサーは立ち止まって他のアイドルの宣材写真の撮影を見るうちに、一人一人が違う撮られ方をしていることに気がついていく。
星井美希は自由奔放に振る舞う。しかし動き出せば、誰もが認めるほどの圧倒的な天才性を発揮していく。
その一方で天海春香はその真っ直ぐさと笑顔、そして少しのドジが魅力に写る。
菊地真は可愛いものが好きだから、可愛いものを身に着けたいと言っている。でも、一度自分自身の「男前」な部分を外に溢れさせたら、カメラマンのアシスタントが卒倒するほどの魅力を発揮する。


一人一人が持っている魅力は違う。そしてその持っているものは今さっき身につけたものじゃない。
その人の人生で培われていったものだ。一人一人の人生の中で積み上げられていったものだ。
それは気に入っていない部分かもしれない。他人の持っているものがどうしても魅力的に見えるときもある。
でも、その魅力的に見えた他人が「持っていなくて」、自分にはうんざりするほど持っているものこそ魅力はあるかもしれないのだ。
高槻やよいは衣装ではなく、自分の私服で、それも母が付けてくれたアップリケ付きのパーカー姿で宣材写真を撮る。でもそれこそが高槻やよいの魅力なのだ。
そして水瀬伊織はもう一度ずっと一緒だったうさぎの人形を手に取る。そしてそのうさぎの人形と一緒に宣材写真を撮っていいか?とプロデューサーに聞く。
ああ、いいぞとプロデューサーは応える。


エンドクレジットでは水瀬伊織の人生が垣間見える。財閥の娘として産まれながらも孤独な中で、いつもそばにいたのがそのうさぎの人形だったことがわかる。一緒に食事を取り、遠くへ行くときもそのうさぎの人形と一緒だ。
人形が怪我をしてしまったときは不慣れな裁縫で「手術」もした。
一緒だったのだ。いかなるときもうさぎの人形と水瀬伊織は。
だからこそ、一緒に撮った宣材写真は水瀬伊織の魅力が封じ込められいて、私はそれを見ながら泣きそうになっている。

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