にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

あのどうぶつの森の中で集まろう。

全く外に出られない日々が続いている。

というのも、両目洞窟人間さんは29歳男性なんだけども、いろいろあって無職男性でもあるのだ。今は実家にいるのだけども、家族が色々と活動をしている中、無職男性があちこちいってウイルスに感染して家族に移してしまったら大変だ、というわけでかれこれ3週間ほど不要不急の外出をしていない。

インドア派ではあるけども、それでもここまで家に篭るのは流石に初めてだ。その上、本日緊急事態宣言が出てしまった。まだまだ家に篭らないといけない。

 

今はADHDの薬であるところのストラテラを増薬したタイミングなので、体調がうまくいかず、寝込んでしまうことも多い。体調が良い時は家族の晩ご飯を作ったり、洗濯をしたりする。

それからなるべく毎日、スクワットとプランクyoutubeで見つけたボクササイズ動画を見ながらボクササイズの真似事をして、最低限だけども身体を動かしている。

なるべくだけども、日々をなんとか生きていこうと思いつつ、うまくいっているかはわからない。

 

そんな生活の中でルーティンになってるのが「あつまれ!どうぶつの森」をプレイする時間だ。弟がダウンロード版を買ったので、私もプレイさせてもらっている。

籠っている日々だけども、ちょうど「どうぶつの森」があってよかったと本当に思う。

 

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ヘレディタリーのエンディングのようなテントから始まった無人島での生活は3週間ほど経って大きく変わってきている。

ゲームを起動させると、まずは届いた手紙をチェックする。自分が通販で頼んだ品物も届いている。服や雑貨、そしてレコード。

それから島の友達からの手紙。嬉しいことが書かれている手紙をそっとお気に入りに登録する。

島の服屋のエイブルシスターズに向かう。新商品を確認したり、試着したりする。こういう服を今度は試してみようかなって思ったり、今後使えるかもしれない服や靴を買う。

それから家に戻って一度着替える。

今日はどんな服で出かけようかなって考える。

冷え性気味の総務課の人っぽい服装で今日は出かけてみようと思う。

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いい感じに落ち着いた雰囲気でよい。お礼のプレゼントに紅茶や入浴剤を送ってくれそうな人みたいな雰囲気が出て満足する。

昨日はアニメで見た巫女のコスプレにチャレンジするフランスから来たオタクみたいな服装をしていたとはまるで思えない。

 

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服装も髪の色も日常では全く変化させないのに、日によってめちゃくちゃ変えている。気分によって赤にしたり、ショートにしたり、くくったり、ピンクにしたり、楽しんでいる。

そもそも、両目洞窟人間は29歳男性なので、こんなふうな女性ものファッションを楽しむことはこれまでなかったんだけども今は自然と楽しんでいる。おしゃれをしたいという俺の中のアン・ハサウェイが騒ぎ出している。

 

今日のファッションを決めたあとは、家の前の花に水をやる。たくさん花を植えたので、すべてに水をやるのには時間がかかる。それでも欠かさず全てに水をやる。

その過程で雑草を抜いたり、生えすぎた花を間引いたりする。

庭を手入れしていたら、もっと花を植えたいと思ったりする。もう少し、庭を素敵にしたい。

なのでたぬき商店に行く。

まめきちつぶきちが切り盛りしている商店で本日の雑貨を見て、気に入ったらいくつかは買う。

それから花の種も買う。チューリップとパンジー、それからアネモネ

その日は白のアネモネを買う。

家に戻って、種を撒いて、また水を撒く。

花が咲くのは数日後。現実から考えると早いけども、すぐに結果が出ることが当たり前のゲームでは異例の遅さだ。それでも数日後に花が咲くのが楽しみになっている。数日を待つことができる。

 

村の人々に挨拶をする。

ヤンキーあがりのアネッサ。最初は苦手な人かもと思っていたけども、話しているうちに徐々に仲良くなってきた。

たまにアネッサがトレーニングをしているのが目に入った。身体を鍛えたいと思っているのかーとその日は思った。

数日後、たまたまバーベルのDIYレシピを入手した。鉄鉱石がいくつかあれば作れるそうだ。

そのレシピを手に入れた時にアネッサの顔が浮かんだ。あげたら喜ぶだろうか。

バーベルを作って、アネッサにあげる。喜んでくれたような気がする。

後日、アネッサの家を訪ねるとバーベルが置いてある。私がプレゼントしたやつだ。嬉しいと思う。

アネッサは私にあだ名をつけていいか?と聞いてきた。いいよ、と答えると「じゃあリーダーだ!」と言ってきた。そんな柄じゃないよ〜と思いつつ、アネッサからそう呼ばれるのは嬉しいと思った。

 

ニコバンちゃんに出会った時に、この子と仲良くなりたい!と思った。

ニコバンちゃんは「島一番のくいしんぼうってなのりたい」と言っていて可愛らしい。

なので果物をあげたりする。そのほかにも似合いそうな服をあげたりする。

ありがとう〜と言われて少し照れたりする。

ある日、ニコバンちゃんが「引っ越して、他の島のご飯を食べてみたい〜」と言う。私は思わず「いやだ!残って!!」と言ってしまった。

「まだまだボクと遊びたいんだね〜!じゃあ残るよ〜!」と言ってくれて安心したと同時に、少し罪悪感が残ってしまった。ニコバンちゃんを引き止めたのは完全な自分のエゴだと思いつつ、やっぱりまだまだニコバンちゃんと遊びたいと思う。

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住民に挨拶をしたあと、島をふらふらする。

地面にはたまに怪しげな場所があるから、そこを掘ると化石が掘り出せる。

化石を見つけると博物館へ向かう。

そこには館長のフータがいる。フータは化石の鑑定ができる。

博物館にまだない化石だと寄贈してほしいな〜と訴えてくる。もちろん寄贈する。

するとフータは喜ぶし、それから鋭い目をして、化石について話したいと言う。

その熱くなっている様子がとても可愛らしくていつも話を聞きたいと思う。

フータは化石とサカナは熱く語るけども、虫は苦手なようで、虫を持っていくとびびり、そして「キモチワルイ……」と震えはじめる。

そんな様子もまた可愛らしくて、たまに気持ち悪い虫を捕まえるとイタズラでフータのところまで持っていって見せて反応を楽しんでしまう。

それでも、彼の博物館は物凄く素晴らしい。

あれだけ苦手な虫も丁寧に展示されている。

いくら苦手でも大切に管理する。そのフータの言葉に偽りはなくて、彼の職業倫理は素晴らしいと思う。

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島の北西の海岸の先には、露天風呂を設置した。ただ、露天風呂を置いただけでは、「露天風呂」としての雰囲気が出なくて、少し悩む。

何かが足りない。何かディティールが必要だと思う。

その時に竹の壁を作れるようになる。

それを二枚ほど、目隠しとして露天風呂の前に建てると、途端に雰囲気が出る。

露天風呂が「露天風呂」しはじめたことに満足して、スクリーンショットを撮る。

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「露天風呂を作った」ということを役場の前にある掲示板に書き込みをする。あとでプレイするだろう弟が気がついたらいいなと思う。

それからいくつか素材を集めたり、空を飛ぶ風船を落としたり、魚を釣ったり、DIYで作ったり、気ままに島に物を置いたり、部屋を作り込んだりする。

 

やることは沢山ある。やれることも沢山ある。

 

4月になって、桜が咲き乱れる。

家から一歩も出ていなかった僕はゲームの中の桜を見て綺麗だと思う。桜を見て、いいなと思う。

お花見セットが作れるようになったので、桜の木の下にお花見セットを置く。ゲームの中だけど、少しだけお花見をする。

 

1週間経つと、桜の花びらが舞いはじめた。桜吹雪だ。もう少しすると桜はすべて散るのだろう。なんともはかない。でもこの1週間のために、来年に向けて桜の木を増やしたり、整えたりしておきたいと思った。もうすでに来年のことを考えていた。

 

マイデザインで、ニューオーダーブルーマンデーのジャケットを作った。

それを部屋に飾った。

そういえば、こんなことがやりたかったんだと思った。

恥ずかしいんだけども、こんなサブカルっぽいことをしたかったんだなって思ったりした。

どうぶつの森だけども、ゲームの中だけども、それができてとても嬉しかった。

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調子に乗って、島の旗にまでしてしまった。ピーター・サヴィルに届いてほしいと思った。

 

 

この先、どうなるかわからない。

自分の人生が暗中模索なのは慣れていたけども、まさか世界全てがこんなことになるなんて思わなかった。

これからどうなるんだろう、私はどうしたらいいんだろう。そんな疑問や不安に押し流されそうになる。

だからこそ、どうぶつの森を起動する。

 

好きな服に着替える。

今日は髪の色を変えてみる。

友達に話しかける。

友達にプレゼントをあげる。

花を植える。

花に水をやる。

部屋に物を置く。

部屋を好きな物で埋め尽くす。

海に行く。

海でぼんやりと波の音を聞く。

雑草を抜く。

木の枝を集める。

DIYにチャレンジする。

島に公園を作る。

島に露天風呂を作る。

疲れたらそこでやめる。

また明日を楽しみに待つ。

 

この時期にどうぶつの森が発売されたのは偶然以外の何物でもないけども、この時期に発売されて本当に良かったと思う。

明日を楽しみできる。

この時期にそれが楽しいと思える「あつまれ!どうぶつの森」に出会えて本当に良かったと思うのだ。

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世界がそれを許さなくても、私の魂はその邪悪な行為でしか救われない 映画『ミッドサマー』を見て。

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公開から数週間経った今でも『ミッドサマー』のことを考えてしまう。もっと言えば『ミッドサマー』で感動してしまったことに対して考えてしまう。私は確かにあの映画で感動してしまった。しかしそれと同時に重たい罪悪感も抱えてしまった。あの映画で提示される救いはとてつもなく邪悪なものだ。しかし劇中の主人公ダニーはそれによって途方もなく救われる。それと同時に私も救われてしまった。多分、あなたもそうだろう。

 

 

 

ここで振り返っておきたいのはダニーは何をもってして救われたかである。ダニーは今まで属してした社会やコミュニティを捨て、スウェーデンの奥地にあるホルガ村のコミュニティに属すことになり救われるのだ。そしてその時に行う選択は彼氏を生け贄として焼き殺すということだ。

今まで属してした社会やコミュニティを捨て、新たなコミュニティ―しかも限りなくそれはカルトである―を選択する。どうしたって90年代のオウム真理教を思い出す。出家と称して全てを捨て去り教団に人生を捧ぐ人々に戸惑ったことを忘れるほどまだ時間は経っていない。オウム真理教だけではない、様々なカルトや理解できない(もしくはしたくない)コミュニティはそれ以前にもそれ以後にもあった。Netflixの検索窓に「宗教」と打ち込むとそういったドキュメンタリーがいくつか出てくる。

ダニーの目線で語られるからこそ、救いとして映っているがこれは私たちが混乱してあざけわらったカルト信者の行動そのものだ。それなのに何故、この映画はダニーだけでなく私たちの心にも救いをもたらすのだろう。

 


映画の冒頭の時点でダニーは既にもう何もかもが遅かった状況にたたき込まれている。双極性障害を持った妹が引き起こした無理心中によって妹だけでなく父と母、つまりは家族全員を失う。それによって筆舌にしがたい絶望にたたき込まれる。

しかしここでダニーに救いの手は差し伸べられない。一見差し伸べてるように思える彼氏クリスチャンだが、その言葉はただの「正論」だ。正論は文字通り正しい。しかし正論ではダニーの心は救えない。そもそもだが正しさで絶望に陥っている人は救えない。正しさは心が健康な時にこそ機能する。正しくない状況が続いたからこそダニーは絶望に落ちてるのだ。妹が家族を皆殺しにした後に、今更正しさに何の意味があるのだろう?

 


そもそもクリスチャンはダニーと別れたがっている。映画の冒頭では別れることを友人と相談している。その時に無理心中事件が起きてしまったから、別れることができなくなってしまっているだけだ。これは優しさではなく、ただばつが悪いからだ。全てを失ってしまった彼女を見放すのは確かに後味が悪いだろう。

 


しかしその関係性こそ、ダニーをまた苦しめる。家族を失ってしまった後、残ってしまったコミュニティもダニーの悲しみを受け止めることはできない。必死になんとかやりすごそうとするが、家族の死という重たい影は生活にずっと付きまとっている。呼吸は過呼吸になり、時間感覚さえ断絶されていく。コミュニティという団体芸の中ではダニー個人の感情はないがしろにされ、ドラッグを断ることすらできない。

 

 

 

しかし一方でクリスチャンのコミュニティの原理もわかる。誰も「メンヘラ」の相手はしたくないのだ。冒頭示されるようにダニーは映画が始まった段階で「薬」を飲んでいる。ダニーが以前から精神的に不安定であり、冒頭のクリスチャン達の会話はそれに辟易していて「別れてもっといい女と付き合えよ」と言っているのだ。もっといい女。エロい女だなんて言っているけども、根底にあるのは「精神的に安定している女」のことだ。精神的に不安定な人となんて付き合いたくない。誰しもそう思っている。そしてその不安はダニーも感じている。冒頭の友人の会話で、ダニーはクリスチャンが私のことを疎ましく思ったらどうしようと話している。そもそもクリスチャンはダニーのことを受け入れていない。ダニーの持つ不安も、恐怖も、そしてトラウマも受け入れること無く、ただ正論を話す。耳障りのよい正論を。

 


ホルガ村にたどり着いた後もダニーとクリスチャンは一応恋人同士であるというフォーマットで動く。しかしそれは形式上のもので、もう心なんて通い合っていない。いや、既に通い合っていなかった。それは映画の冒頭の時点で既にそうであったし、もしかしたら付き合った時から通い合っていなかったのかもしれない。それでも形式上恋人として動く。しかしホルガ村の雰囲気、空気、倫理、ルールが次第に彼らの関係をほどいていく。

 


ダニーはホルガ村に馴染んでいく。観光客であり、外部の人間であったダニーも、ホルガ村で食事に参加し、そこでのしきたりを見てしまい、食事を作ることに誘われ参加もする。ホルガ村に徐々に取り込まれていく。

そして極めつけはあのダンスバトルで、そこでずっと着ていたTシャツとジーパンからホルガ村の服に着替える。ドラッグを飲んだからか、それとも踊りが持つ非言語性からかダニーは踊り狂ううちに多言語であるホルガ村の住人の言葉すらわかるようになる。

 


そしてダニーはホルガ村の女王になる。ドラッグの影響でまるで呼吸しているかのように見える花びらを体中にまとい、身体は完全に「ホルガ村」に染まってしまう。女王になった後の食事の時間ではダニーの動きに村民の動きが連動する。彼女の動きと世界が連動し始める。

 


しかしその時に連動しないのは誰だったか。彼氏であるクリスチャンだ。この時点でドラッグを盛られているのもあり、クリスチャンはうつろになっているのもあるが、ダニーとクリスチャンの動きは連動しない。そしてホルガ村に着いてから、隣同士だった席も遠く離されてしまう。ダニーは遠くからクリスチャンを見て、クリスチャンもダニーを遠くから見る。ダニーはホルガ村の人々と話せるようになったが、それと同時にクリスチャンとはもう会話をしなくなる。しかしまだ恋人だったのだ。それでもダニーは信じていた。

 


ホルガ村の策略により、クリスチャンは村人とセックスをする。それは生殖行為という目的だけに特化したセックスだ。快楽やコミュニケーションとしてのセックスではない。元いた世界とは全く異なるセックスだ。しかしそれをダニーは目撃してしまう。そのおぞましさに、ダニーは泣き叫ぶ。最後の心の糸が切れてしまったのだ。家族を失って、筆舌しがたい絶望の中、世界との接点であったクリスチャンの裏切り。座り込んで泣き叫ぶダニー。その時、ホルガ村の人々はダニーと一緒に座り込み、そして泣き叫ぶ。一緒になって泣き叫ぶ。声は大きくなり、涙もあふれ出る。言葉は一切かけない。ましてや正論なんて。

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ディック・ブルーナ氏が書いたうさぎのミッフィーちゃんという絵本シリーズの1つに「うさこちゃんはじょおうさま」がある。うさこちゃん(日本では2つの出版社より販売されていて、講談社より出ているものは彼女をミッフィーと呼び、福音館書店から出ているのは彼女をうさこちゃんと呼んでいる)が想像の中で国のじょおうさまになることを考えるという話だ。新しい物ができたときにテープカットをしたり、国民から来た手紙に一枚一枚返信を書いたりしたいとうさこちゃんは考える。そしてあるページでうさこちゃんはこう考える。

 

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「でも、なにかわるいことがおこって だれかがかなしんでいるとき こんなふうにそばにいって なぐさめるのも じょおうさまです」

 

 

 

女王であるダニーが慰められる、という逆の立場であるが、私はこのシーンでこのページを思い出してしまった。ただそばにいて、一緒に泣いてくれる人。

今のオタクの言葉で言うところの「激重感情」を笑うでも、たしなめるのではなく、ただ受け止めてくれる人。それをダニーはずっと欲していたのだ。映画冒頭から続いていたダニーの悲しみはここでやっと受け止められる。やっとだ。ダニーはやっとここで悲しみを受け止められる人たちに出会ったのだ。

 


このシーンは感動的であると同時にとても恐ろしい。一緒になって同じ感情を共有するという行為そのものは自己啓発セミナーやカルト教団の勧誘となんら変わりない。そもそも個人の感情を共有するなんてのは本当は不可能だ。個である感情を他人に受け渡すなんて無理な話だ。しかし、皆で同じ感情を持つということは集団という幻想を抱かせてくれる。そこに私という個人は消失していく。今まで苦しかった「私」から抜け出すという幻想を。

 


目的化されたセックスを終え、我に返ったクリスチャンであったが、ホルガ村の村民に襲われ、薬を更に盛られてしまう。弛緩効果があるのか、身体を動かすことも喋ることもできない。

ホルガ村の祭りはクライマックスを迎える。生け贄を捧げる儀式が始まる。村にやってきた外部の肉体と村人の肉体を焼くのだ。ダニーは選択を迫られる。抽選で選ばれた村民とクリスチャン、どちらを生け贄に捧げるか?

 


勿論、わかっている。

 


クリスチャンを殺すしかない。

 

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クリスチャンは死に値する人間だったか?確かに彼は屑だ。軽薄な行動や言動も多い。不愉快にさせるのは人の論文テーマをパクろうとする場面だろう。その場その場で上手くやってきて、上手くいってきた人間特有の面倒くささとプライドの高さが鼻につく。ダニーの目線で見てきた私たち観客は、そのダニーへの誠実ではない行動の数々が嫌で嫌で仕方なくなっている。

しかしそれでも生きたまま焼かれるというのはあまりに非倫理的だ。そこまでの罪をクリスチャンが犯したか?いや、犯していない。クリスチャンはどこにでもいる屑で、どこにでもいる普通の青年だ。だから彼が生きたまま焼かれるという結末にオーバーキルを感じる人も勿論いるだろう。

 


しかし、ダニーからすれば、そしてダニーと目線を共有してきた観客にとって、クリスチャンは生きたまま燃やさなければならないのだ。なぜなら彼は不誠実だったからだ。彼は私をことを理解してくれなかった。彼は私の苦しみを全くわかろうとしなかった。絶望を理解せず、絶望に歩み寄ろうともせず、それどころか絶望を矮小化しようとした。絶望を正論で押し込めようとした。

 


ダニーはクリスチャンを生きたまま燃やす。黄色いテントに火がくべられる。痛みを感じない薬を飲まされていたはずの村民が炎に包まれる瞬間、絶叫しはじめる。痛みは感じる。ホルガ村はユートピアなんかではない。ホルガ村は血を定期的に必要とするカルトだ。

近親相姦によって産まれた子供が描く落書きから都合の良い言葉を勝手に産み出して聖典を作り出している狂ったシステムによって成り立つカルトだ。

苦痛の叫び声に村民たちがシンクロをして、叫び声をあげる。ダニーも泣き叫びながら歩く。

火は燃えさかる。クリスチャンも火に包まれる。

しかしラストカット、ダニーは映画の中で初めて笑顔を見せる。素晴らしく美しい笑顔を。クリスチャンは彼氏であり、これまで属していたコミュニティであり、社会の象徴でもあり、そしてこれまでのダニーの人生だった。

それを燃やして殺したダニーは、ダニーであることから遂に解放された。そこに途方も無い解放感が宿っている。邪悪な解放感が。

 


このラストカットをアリ・アスターは脚本のト書きでこのように書いている。

「ダニーは狂気に墜ちた者が味わえる喜びに屈した。ダニーは自己を完全に失い、ついに自由を得た。それは恐ろしいことでもあり、美しいことでもある」

 

 

 

この映画が提示する解決方法は間違っている。社会的にも倫理的にも間違っている。ホルガ村はユートピアなんかじゃない、血に飢えた恐ろしいカルトだ。

それでも間違ったことでしか救われない魂がある。救われない絶望がある。アリ・アスターはその絶望を知っているのだろう。物語の中だけでも絶望を治癒するしかない。物語にはそれができる。間違ったことで救われる人を描くことができる。それでしか救われない絶望を描くことができる。

 


この映画に強烈な嫌悪感を抱くのも、強烈な不快感を抱くのも間違っていない。そしてその一方でこの映画に強烈な救いを感じるのも間違っていないのだ。

私はこの映画に救いを感じてしまった。確かな救いを感じてしまった。

その救いが、たまらなく恐ろしい。

 

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人生で、一番、最高です。

ADHDってことがまたまた改めてわかったので、ストラテラを飲むことになった。

まずは40mg。朝に20mg。晩に20mg。まだ身体に馴染んでいなくて、軽い頭痛と倦怠感に日々襲われている。あとは気持ちもまた落ちている。

 

コロナウイルスで不要不急な外出はしてはだめとなってしまい、無職29歳男性は極力家にいるようにしている。そして祖父が入院していて、そのため家族の誰かが何かしらの病気になってはいけないため、私はリスクにならないようにじっとする日々だ。

 

身体がしんどく、気持ちも落ち込んでいて、家から出られないとなると、だんだん人生に対して希望が持てなくなっていく。

この先、こんなことがいつまで続くんだろう?なんてことを思ってしまう。

たまにこういうことを思ってしまう。

弱っている証拠だ。

 

 

そして、物凄く寂しくなってしまった。

家族以外の人に会いたいと言う気持ちが強くなっていった。

結果なんだけども、マッチングアプリを始めてしまった。

 

プロフィールを埋めて、写真を載せた。

それらを全て見て、こんなやつのこと、良いと思う奴が現れるとは思えないと思った。

今の状況からして、マッチングアプリ向けな人ではないのだ。

そして、同時に自分もマッチングアプリを使って人を品定めしているような状態がだんだん気持ち悪くなってきた。

人を品定めするような、そんな人間大それた人間では私はない。

もうやめたい。

 

えっちな動画を見ていた。メンヘラな女性が出ていた。その女性がえっちなことをしている最中に「人生で、一番、最高です」って叫んだ。

凄く感動した。

この瞬間、この女性にとっては人生で一番最高だったんだと思うと凄く感動した。

私も人生で一番最高なことがこの先の人生でも起きてほしいなって思った。

 

祖父の見舞いに先日行った。

祖父は喋れなくなっていて、しおしおになっていた。

私の言っていることがわかっているかわかんなかったけども何か少しでも元気付けれることを言おうと思った。

「寝るときに言う、羊が一匹ってあるやん。あれって日本語で言ってもダメなんだって。sheepがsleepに聞こえるからっていう英語特有のやつなんだって」

祖父からは何の反応もなかった。

 

 

 

2020年1月に見た映画・ドラマと読んだ本と漫画、たまに、聞いたラジオ。

2020年1月に見た映画・ドラマと読んだ本と漫画、たまに、聞いたラジオ。

 


・1月

 

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1日 

ドラマ『ウォッチメン』#1(Amazonプライム)→全く知らないウォッチメンでびびる。

ドラマ『キングダム』#1(Netflix)→韓国時代劇meetsソンビ。思った以上に権力闘争多めだった。ぺ・ドゥナはやっぱり可愛い。

 


2日

映画『スコット・ピルグリムvs邪悪な元カレ軍団』(Netflix)

漫画『三月のライオン』14〜15巻→14巻でハチクロメンバーが揃って号泣。15巻で桐山くんの恋の話で号泣。

 


3日

ラジオ『tbsラジオあるある年跨ぎ』→にゃんぞぬデシのあるある曲が良かった。あるある→唐揚げ屋、何かしらの金賞を取りがち。

テレビ『内村さまぁ〜ず 鳥居みゆき密着ロケ第5弾 前編』→突然インドに行った。久しぶりにナトゥ踊る忍者伝説の名前を聞いた。

映画『m:i:3』(関西テレビ)

 


4日

テレビ『内村さまぁ〜ず 鳥居みゆき初登場回』(Amazon)

読み始めた本『泣き虫しょったんの奇跡』(100pまで)

ラジオ『上坂すみれのハートをつければかわいかろう』2019年12月29日放送回

 


5日

ドラマ『ドラキュラ伯爵』#1(Netflix)

アニメ『映像研には手を出すな!』#1(NHK)

読み始めた本『誰が音楽をタダにした?』(50pまで)

 


6日

アニメ『傾福さん』

アニメ『ケムリクサ』#1

ラジオ『アフター6ジャンクション(2020年1月6日OPトーク)』→ナイキのマラソンシューズの話。坂道を走っているようなつま先走りになる靴。宇多丸、staging of silenceというアートに魅了される。

読んでいる本『誰が音楽をタダにした?』(第二章まで)

テレビ『千原ジュニアの座王 新春スペシャル』→R藤本が30人の芸人のトップに。

 


7日

ラジオ『アフター6ジャンクション (2020年1月7日OPトーク)』→ラジオできるかな?の流れで宇垣総裁がニャンちゅうのモノマネをしていた。耳が幸せになった。

読んでいる本『誰が音楽をタダにした?』(第5章まで)』

短編映画『リッチーとの一日』(監督:ショーン・クリステンセン) →これはvimeoでみた。字幕無しだったので、台詞はわからず。ただいい映画だった。ショーン・クリステンセン監督はシドニー・ホールの失踪という長編映画も撮っているみたい。そちらも見てみたい。

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8日

ラジオ『アルコ&ピースD.C.GARAGE(2020年1月7日)』→新年恒例のすごろく企画。すごX(エックス)。神に近づく酒井ちゃん。最終的に靴下が水を弾く展開でめちゃくちゃ最高だった。

ラジオ『アフター6ジャンクション (2020年1月8日)』17時50分〜19時まで。→橋Pのめちゃくちゃなプレゼン。ドラムロールの概念を壊そうとする10分間。マンダロリアンを絶賛する宇多丸。特撮のDNA展が平成ガメラ三部作で気になる。地方映画の奥深さ。

 


9日

映画『シュガーランドの亡霊たち』(Netflix)

→ドキュメンタリー短編映画。友人がISISに加わったことに苦悩する米国出身のイスラム教徒たち。何故こうなってしまったのか。そしてあの楽しかった頃にはもう戻れないのか。今はもうそこに彼がいないことを突きつける終盤が胸を締め付ける。

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ドラマ『ミスターロボット』S1#1(Amazonプライム)

ラジオ『アフター6ジャンクション 2020年1月9日 ラジオできるかな〜OPトーク龍が如く7発売直前!名越Pゲスト回』→エコーでとにかく遊ぶ回。ラジオできるかなの終わりでエコーがかかりまくった状態でCMに入るのが面白かった。宇内さんと宇多丸さんのトークがまるで警察24時のボイスチェンジみたいで進むくだりも好き。「今日は何食べたの?」「おもち〜」はめちゃくちゃ好き。

名越さんの話めちゃくちゃ面白かった。海外でも売れてるけども、あくまでも日本の大人の男の子に向けているのは捨てないようにしようというのはおおーとなった。龍が如く7がとにかくやりたくなった。最後に今後の展望でノンバーバルなものもやってみたいと言っていて、きになる。

 


10日

ドラマ『ミスターロボット』S1#2

ラジオ『creepy nutsオールナイトニッポン0 (2020年1月8日放送回)』→ケ韻コスギのセンチュリートゥエンテ韻ワン

 


11日

アニメ『ドロヘドロ』#1(Netflix)→うわー!!!これは大好きどころかもはや恋に落ちたレベルのやつだ〜〜!!!思わず二回連続で見た。めちゃくちゃ最高すぎる。マンガも読みたい。これは凄すぎ。

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12日

アニメ『ドロヘドロ』#1 →我慢できなくなって3回目。

アニメ『映像研には手を出すな!』#2  →最強の風車!!今週も当たり前のように神回ってやつで、もうどうしたらいいんですか…!と叫び出しそうになった。

マンガ『マイ・ブロークン・マリコ』作:平庫ワカ →ネットで全部読んでいたけども、改めて本で一気に読み返した。ぼろぼろ泣いてしまった。やっぱ凄すぎる。この漫画、大好きなのよ。本当好きなのよ。上手く言えないけども、こんな感情になったことないはずなのに、私はこの感情をどこかで見たことある気がするんだよ。

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13日

ドラマ『ミスター・ロボット』S1#3

テレビ『内村さまぁ〜ず 鳥井みゆきインド旅後編』

 


14日

映画『ミスター・ロジャースのご近所さんになろう』→めちゃくちゃ良かった。ぼろぼろ泣いてしまった。この世界で必死に善であろうとした子供番組の司会者のドキュメンタリー。

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ドラマ『ミスター・ロボット』S1#4→禁断症状描写がイカれてて最高だった。コマ落ちに、長回し1カットに、奇妙な構図と面白い映像と話運びに興奮した。

 


15日

ドラマ『ミスター・ロボット』S1#5

漫画 林田球ドロヘドロ』一巻 

ラジオ『アルコ&ピースD.C.GARAGE(2020年1月15日放送回)』→平子さんの家で忘年会。ディンオカ、ガチリスナー疑惑。

 


17日

アニメ『映像研には手を出すな!』#1

漫画『ドロヘドロ』一巻

 


18日

漫画『ドロヘドロ』二巻

アニメ『ドロヘドロ』#2

 


20日

アニメ『イド:インヴェイデッド』#1〜#3

舞城王太郎脚本のアニメ。凝った謎をすぐ解き明かしたり、独白を積み重ねることで世界の成り立ちを理解しようとするの、めちゃくちゃ舞城王太郎っぽい。

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21日

小説『煙か土か食い物』120Pまで。

短編映画『ジャックは一体何をした?』→デヴィッド・リンチ監督作品。殺人事件容疑がある猿を取り調べる警官…。突如始まるミュージカルシーン、そして衝撃のラストに笑ってしまった。いちいち言い回しがハードボイルド小説風なのもおかしい。

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ドラマ『セックス・エデュケーション』#1

 


22日

ラジオ『アルコ&ピース D.C.GARAGE』2020年1月22日放送回。

 


23日

ドラマ『GIRI/HAJI』#1〜#3

 


25日

ドラマ『ミスターロボット』#6〜#7

→殺人シーンにFKA twingsの『Two Weeks』を流す演出がやばかった。いわゆるそういう派手なシーンの演出も凄いんだけども、対話シーンのセリフ選びや、シーンの終わり方、カメラアングル、何もかもが「かっこいい」。

アニメ『ドロヘドロ』#3

→リビングデッドデイ!意外とさっくり進めてびっくりした。エンディングが極悪なサザエさんって感じになっててそれも良い〜

アニメ『へんたつ』#4

 


26日

ドラマ『ミスターロボット』S1#7〜10

→色々と物凄いドラマになってきているのだけども#9から#10への話の運び方がやばすぎた。アンチカタルシス、なんて言い方があるけどもこのドラマを追っていた人が一番見たかったであろう瞬間を空白にしてその後の混乱を描く#10がとにかく凄まじかった。この#10で執拗に描かれる勧善懲悪のない世界、言うなれば誰も彼もが傷ついて孤独で病んでいるというのが真に描きたかったことなのでは…というのはS2になってその輪郭が濃く描かれて納得する。とりあえずシーズン1完走。21世紀のファイトクラブやね〜と思ってたらwhere is my mindをピアノアレンジで流したので製作者からの「わかれよ〜」というメッセージは受け取ったつもり。そしてあの映画でこの曲が流れるのがラストだとしたら、このドラマはその先を描こうとしているのかもしれない。ビルが美しく倒壊した後、全てが瓦礫になってしまった後の日常を。

 


ドラマ『ミスターロボット』S2#1〜#2

というわけで、シーズン2を見始めたけども、急激に映像表現も物語の語り口もギアを変えてきてびびった。あの変わった語り口だったシーズン1ですら「ドラマ」の範疇に収まっていたことに気がつかされる。シーズン2はサム・エスメイルが全話監督だそうだけども、もう最初からアクセルベタ踏み。ついてけない奴は置いていくぞ!掴まれ!!な気合いが凄まじい。散漫に撮ってるシーンが一切無いというか、どのシーンも気合い十分…なんていうと抽象的だけども、普通なシーンが一切無い。どのカットも落ち着かないように撮っている。つまりは安心するカットがない。常に緊張感を孕み、他者との関係性を拒み、観客に感情移入すらさせない。こんなダウナーな作品がアメリカで広く受け入れられたことがとにかくやべえなと思う。「ウォール街を占拠しろ」というあの空気がまだ生暖かった頃に製作が開始されたとはいえ、それが実際に起きてしまったら…?をこんなふうに描くとチバユウスケじゃないけども「ワンダーランドはここじゃないから」と言いたくなるよ!一体この物語はどこに向かうのだろう?

 


アニメ『映像研には手を出すな!』#4

→嗚咽漏らして号泣。

 


28日

ドラマ『ミスター・ロボット』S2#3〜4

 


29日

ドラマ『ミスター・ロボット』S2#5〜8

→6話めちゃくちゃ凄すぎ。冒頭シットコムのパロディから始まってなんだこれ!?となるんだけども、それが現実逃避のためだったとわかる展開でうわあ……となるとか、もうそれだけで現実逃避展開が好きな私はやられてしまったんだけども、中盤にはえげつない長回しがあってそのサスペンス演出にやられてしまって、もうこれ以上やばいのきたら終わっちまうぜ…と思ったらラストはこのドラマのタイトル意味回収という凄まじい完成度。こんなのやって大丈夫なんか?と思ってたら次の7話はちょっとトーンダウン。そうだよね〜と油断していたら、ここでまさかの大どんでん返し。あまりのどんでん返しにまじで三半規管おかしくなって、吐きそうになってしまった。なにがなんだか…!凄すぎるってこのドラマ!!

 


30日

漫画『映像研にはは手を出すな!』五巻

→うー!すげー!!と読み終わって唸ってしまったほど、凄すぎー。5巻で焦点当てられているのは音…って漫画で音!?となるんだけども、ちゃんと音が鳴ってる。というかアニメにおいての効果音とは?そしてよい音の演出とは?というのが丸々一巻使って示されるわけだけども、それをこんなふうに表現するなんて!!かっこよすぎるよ!!!

プロデューサー金森さんの活躍もどんどんと物凄いことになっていて、作ってから発信するには?という点ではどんな創作している人も一読の価値ありってやつなのでは。

浅草さんがドラえもんみたいな感じの絵柄になって登場したの笑った。あと赤点ぎりぎりの点数…やっぱり勉強はそんなにできないのか…テストは苦手そう浅草さん。地頭は回るんだけども、興味があることばっかりだったりして、ことテストだと苦手っぽいのよね浅草さん。

 


31日

ドラマ『ミスター・ロボット』S2#9〜12

→というわけでシーズン2を見終わりました。うおー。凄かった…。シーズン1はまだ牧歌的だったのだ…と言いたくなるほど、どんどん展開はえぐくなるし、演出の切れ味もやばいことに。

社会をひっくり返したらどうなるの?と、どんどん悪化する社会情勢もさらりと描かれて、それに伴ってドラマのスケールも大きくなるし…。あの小さなゲーセンでやっていた頃が懐かしいぜ…となりつつ、エリオットなみに目を見開きながら見続けるシーズン2でございました。

10話終わりの引きの絵での長回しのかっこよさや、8話でのアンジェラがカラオケでtears for fearsを歌いながら、一方ではハッカー連中がハッキングをしているカットバックとかかっこよすぎて鳥肌たった。

というかこんなにかっこいい映像表現連発するとか、サム・エスメイル監督やばすぎるのでは?というかやばいから、こんなの作ってるわけだけども。やばすぎる。どうかしてる。こんなのがテレビで流れてたとか、やばい。アメリカ強すぎる。

 


ドラマ『ミスター・ロボット』S3#1〜2

→シーズン3に突入。1話からまたえぐい長回しあり。そしてどんどんやばくなっていく社会情勢。そんなのまで描きつつ、語り口はスマートさを増していく…。うーん。凄すぎるよ〜。

1話の終わり、daft punkのtotchの使い方がかっこよすぎた。あの曲の変わった構成と会話の流れがリンクしていく演出とか凄すぎる。脚本書いてる時から頭の中でこの曲が鳴ってなかったら作れないよ!どうやって脚本をまず書いてるの?教えてよ、教えてよサム・エスメイルとミスター・ロボット脚本チーム!!

 

 

 

1月のまとめ。

まとめてみてわかったけども、いろいろなものに手を出しすぎ。飽き性がひどい。本をちゃんと読みきっていない。2月は買った本をちゃんと読み切りましょうね。

1月、特にはまっていたものは『三月のライオン』、『ドロヘドロ』、『映像研には手を出すな!』、『ミスター・ロボット』でした。

一方で映画館には一回も行かず。というか行けず。抗うつ剤切り替わりのタイミングやらで寝込む日が多かった。2月はこの波がましになればよいなと思う。

 

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→どこで読んだか忘れたけども、社畜ねこという漫画もよかったです。連載化してほしい。


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→金森さんのダンスめちゃ好き。

 

繰り返し繰り返してる。

 調子が良い日と悪い日を延々と繰り返してる。馬鹿みたいに調子が良くなって馬鹿みたいに調子が悪くなる。その繰り返し。ループ&ループ。アジカンのループ&ループがもう16年前の曲だって知ってた?私は今気がついた。あの曲は実は深夜ドラマの主題歌になっていた。『駄目ナリ!』という読売テレビで放送されていたコンビニを舞台にした深夜ドラマ。私は好きだった。でも最終回を見た記憶がない。多分見逃したのだろう。その主題歌がループ&ループだった。

 

 延々と繰り返す。調子が良い日と悪い日を。身体が動かない。昔、会社もそれで休んだ。「身体が動かないんです」。有給はそういう休みで全部消えた。上司は身体が動かなくて休んでるってことを鼻で笑っていた。わかってはくれなかった。でも会社に来いとも言わなかった。多分、サボり癖のある社員だと思っていたのだろう。

 

 延々と繰り返してる。こんなことを延々と繰り返してる。人と会う時だけ元気になってるけども、その最中から馬鹿みたいに汗をかいて、家に帰ったら案の定倒れて、ってなんだこれは。頭がオーバーヒートしているのかもしれない。でも頭がオーバーヒートした時の対処方法はネットのどこにも載って無くて、ひたすらに横になり続けるしかない。

 

 苦しいー。殺してくれー。という気持ちに度々になる。横になっている間、まともに動けない身体で、熱くなった頭を抱えながらそう思う。こんなことがずっと続くならばもう断ち切ってしまいてえと思うが、それは言うだけで死ぬ元気はさらさらない。とはいえ、これが続くのはもうあまりに辛くてどうしたらいいかわからない。

 

 なんせ、ただ外に出ただけでこんなことになってしまう。29歳の男性がただ外に出ただけでだ。おかしい。本当おかしい。

 外に出ただけで、寝込む日々が続くなんてそんなのおかしいのだ。

 それでいて、どうしたらいいかわからない。どうやって対処したらいいかわからない。これに効く特効薬もどうやらないみたいだし。

 

 ネットで調べたら「ストレスを減らしましょう」なんて出たけども、どうやって減らせばいいんだ。もう会社は辞めて、社会とも接点ほぼないのに、これ以上何を減らせばいい。もう減らすものなんて一切なくてあとは増やすしか本当はないんだけども、そんな最低限の状態でとストレスを日々感じてるのだとしたらもうそれは生きていくことに向いていなさすぎるのではないかと思う。

 

 いつかこんな状態が本当に無くなることを願ってるけども、多分そんなことは絶対なくて、一生向き合わないといけないのだろう。

 だとすると対処方法なんてのも本当は身につけなきゃいけないんだろうけども、自分一人ではどうしたらいいか実のところわかってない。ちゃんと理解してろよって話だけども、あまりにもあっさり倒れてしまうのと、動けていた昔の記憶のせいで理解に苦しんでいる。

 

 たまにこれは精神の病ではなくて、肉体的な病なのかと思ったりくる。そうだったらいい。それならば対処方法はあるし、なくても病気の輪郭がはっきりする。

 今はあまりにはっきりしない。なんにもわからない。ただわからない中で、突然しんどくなって、倒れるの繰り返し。何にも面白くありません。

 

 いつかこういう苦しいことから解放されたら、その時はやりたいことがあります。どこか遠くへ行きたい。一人で旅がしたい。

 でも今は旅先で倒れてしまうことが怖くて、そんなに遠くへいく勇気もわかない。

 こんなことがずっと続くと、多分歩いて5分先のコンビニに出歩くのが大きな冒険になってしまう日がやってくるのだろう。

 そんな日がやってきたらどうしましょうか。

 とりあえずトリバコは一生見なくなるんだろうなと思う。

 今も見たことないけども。そもそもだけども、あまり旅行は好きではないから。

 

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