にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

なんて言うておりますけれど。

気がついたら1ヶ月もブログを書いていなかった。書いていなかったからと言って何が起きるわけでも罰せられるわけでも人生がこれ以上悪くなるわけでもないけども、なんとなくこのまま放置しているのは嫌だと思ってこうして書き始めた。

 

私の人生は相変わらずだ。相変わらず最低である。この4日間は増薬した抗うつ剤が身体に合わなくて緩い地獄を味わっていた。頭痛と耳鳴りと倦怠感。そんなのに苦しんで、結局減薬をしてそれでも身体から薬が抜けるまでは苦しい時間がずっと続いていた。

 

とはいえ新しく飲み始めたら抗うつ剤イフェクサーの効き目は抜群だ。調子が良くなった。本当に調子が良くなった。

前はサインバルタエビリファイを飲んでいて、調子が良かったのでエビリファイを飲むのをやめたらそれからはまた鬱に回帰して、まあ日頃は最悪だし、身体も動かねえしと踏んだら蹴ったりだったけども、イフェクサーを75mg飲んだ瞬間に頭の中はクリアになって身体の倦怠感もましになった。

というわけで改めて「鬱やん私」となったりした。薬が驚くほど効いて鬱やん私となったのだった。

 

2017年の夏からもう社会に出られていない。正確には2016年の段階でメンタルクリニック通いもしていたし、2015年の秋には一度カウンセリングも行った。そもそもを思うと中学生の頃にスクールカウンセリングに行ったり、高校の頃、学校を1ヶ月近く休んでたり、なんだかんだと元々から私は精神的には弱い部分があって、それをなんとかなんとかしていたのだと思う。

まあ、こういうのだと、頑張って社会復帰するよ!と言うオチだと私にとっても読んでる人にとっても心地よいのだと思う。

しかしながら、現状はまだまだ道のりは遠い。

私はたった二日外に出たら身体が動かなくなる。

しんどいとかじゃないのだ。本当に身体が動かなくなる。寝続けしかなくなる。

人から見りゃそりゃ怠惰に映るだろう。寝続けてる人なんて。俺だってそう思うよ。でもそういう状態になってしまうのだ。

 

社会復帰するよ!なんて口で言うのは簡単だ。簡単だし、みんなもそれを望んでいる。

でも、なかなかうまくはいかない。それどころか簡単に寝込む私を見て苛立ってもいるだろう。元気な時は元気なくせにって苛立ってるだろう。

 

私はたまに、本当たまに、もう全てが嫌になってしまう。なんでこうなってしまったんだろうと。

多分、過去には山のように理由と原因があって、そして生まれ持った脳みそにも原因がある。

それらを乗り越えていこう、というのも、いうだけなら簡単なのだ。

でもそうはいかない。現実は果てしなく難しいことの連続だ。

 

ただ社会復帰したいというのは本音だ。私のためではなく、家族のためにしたい。もう両親は60を超えていて、父親は癌にもなって、母は過労でどうにかなりそうだ。

私はなんとか社会復帰して、私もなんとか生きていけるというところを見せなきゃいけない。そうではないと、60を超えた両親の重荷にこれからもなり続ける。

 

こういう場合、自分のために頑張った方がいい、だなんて意見もある。でも、自分のためになんか頑張れない。少なくとも私は。

社会になんて戻りたくない。本音を言うとそうだ。でも、それでも社会復帰せねばと思うのは両親のためだ。とにかく私は恩を返したいのだ。

 

だから、なんとか生きねばならないし、なんとかせねばならない。

私はハロワに通っているし、そして病院にも通ってる。少しずつだけども、道筋は、ほんの少しだけど見えてきた気がする。

 

簡単に病気は好転しない。簡単に日々は変わらない。簡単に生活はよくならない。簡単に人生は上向かない。

それでも、なんとかやろうと思う。

なんとかはなんとかだ。もがくしかない。思えばずっともがいていた。でもさらにもがかなきゃならない。もがき続けなきゃいけない。

今年私は30を超える。

両親にはいつまでも心配させてはおけないのだ。

30を超えた息子をいつまでも。

 

f:id:gachahori:20200126013204j:image

告知!『いきなりショートショートと、よむよむショートショート』に出ます

皆様こんにちは、両目洞窟人間29歳男性です。年末をいかがお過ごしてしょうか。年末は誰しもに平等に降り注ぐと言われています。そして師走というように、どちゃくそ鬼(ハイパー)忙しい時期でもありますね。年末降り注ぐ言うたかて、そんなの味わってる場合やないんや。そんな方もおられますよね。

 

両目洞窟人間はそんな平等に降り注ぐ年末にあるイベントに出ることになりました。

しかも明後日開催です。Twitterでは告知やらしていましたがこういう風にブログ書いておくべきだったと反省しております。

 

そんな明後日に参加するイベントはバケツエンターテイメントさんという朗読劇や即興小説を得意とされる方が主催の『いきなりショートショートと、よむよむショートショート』というものです。

 

場所は京都の喫茶フィガロという場所。

日にちは2019年12月21日(土)の19時からです。

 

お値段は1500円。

 

私こと両目洞窟人間はいきなりショートショートの方で即興で与えられたお題をもとにショートショート小説を書くことになっています。

つまりは突然小説を書くのです。フリースタイルラップみたいなものです。

めちゃくちゃ緊張していますが、人間発電所で言うところのYou need heart to play this game 気持ちがレイムじゃモノホンプレイヤーになれねえってことで心をハーコーにして挑もうと思います。

 

では再度詳細。

 

『いきなりショートショートと、よむよむショートショート。』

◆2019年12月21日(土)
◆19時〜(開場は18時30分)
◆喫茶フィガロ
◆1500円(1ドリンク)

『いきなりショートショート

出演者

柴井貫喜常・両目洞窟人間・横林

『よむよむショートショート

出演者
宝亭お富・横林

 

予約はこちらのフォームから

https://www.quartet-online.net/ticket/ikiyomu20191221

 

明後日ですが、もしお時間とお金の余裕とショートショートにご興味がありましたら京都のフィガロまでぜひお越し下さい。

 

あと、残念ですがバケツさんはこのイベントを最後に活動を停止するそうです。

バケツさんの朗読劇やイベントはとても楽しいものでしたので、とても残念です。

バケツさんはとても素晴らしい作品を今回も披露すると思いますのでぜひ。

これを逃すとバケツさんの新作をいつ見られるかわかりませんよ!

 

では皆さま、平等に降り注ぐ年末を共に生き延びて、無事新年を迎えましょう。

その前に、このイベントにてお顔を見ることが出来たなら、それほど幸せなことはありません。

 

f:id:gachahori:20191219175956j:image

両目洞窟人間筆者近影より。

マルチ商法を誘ってきたクラスメイトはFacebookで幸せアピールまき散らしてる。

発達障害だから〜なんて言いたくないんだけども「これを持っていってお願いね〜」と母からお願いされていた荷物を、直前まで覚えていたのに気がついたら忘れてしまっていて、それに気がついた母が激怒っすわ。

まじでやってられないなあ…と、私が思う事じゃなくて母が思ってることだと思うけども、それでもやってられない。

何がって、さっきまで覚えていたのに簡単に忘れちゃう自分の脳みそにやってられなくなるし、もうなんつうか、なんつうかだよ(この言い回したまに、というかよく出てくるな)

 

先日、テレビで発達障害特集!なんてやってたけども、はちゃめちゃに絵画の天才の子供が出てきていて、私はそれだけで悲しくなったのだった。

発達障害特集!だなんて言っても結局のところ、天才じゃねえと表舞台には出させてもらえないのだ。

 

障害者雇用で仕事を一通り探したけども、殆どが前職よりもはっきりいって給与額は下がるそうで、それも悲しくなったりした。

働かせてもらうだけありがたいと思えってことなんだろうか。

お前らみたいな能力の低い人たちを雇うのだから、お金はこれくらいでいいでしょってことなんだろうか。

それともただの被害妄想なんだろうか。そうなんだと思いたい。

 

ただ、普通の人としてやっていきたかっただけなんだけどなー。

なんでこうなったんだろう?

なんでこうなっちゃったんだろう。

人からたくさんバカにされてきて、怒号が飛び交う家で育ってきて、それなりに頑張ってきて、その結果が29歳無職鬱病発達障害男性ってなんやそれ。

 

ただ普通になりたかった。

普通になりたかったんや。

普通の人生を送りたかったんや。

普通の幸せってのを手に入れたかったんや。

でも、足掻いて足掻いての結果私はこんな場所にいる。

どうやらまだまだ足掻かないといけないらしいです。

そうじゃないと駄目なんだってさ。

 

絶望だけはせずになんとか頑張ろうなんて思ってたけども、ひねくれることだけはなんとかないように頑張ってきたけども、まだ頑張らないといけんかーと途方にくれてます。

 

こんなことなら、もっと怒っておけばよかった。ヘラヘラなんかしなきゃよかった。ひねくれればよかった。嫌われることたくさんすればよかった。

まっとうに生きようとしただけなのに、人にダメだと烙印を押されるくらいなら、もっとたくさんやっちゃいけないことをやればよかった。

 

耐えられないなあと思っても死ぬのは怖いし、死ぬつもりもないし。

だから延々とただただ続くだけー。

これが延々と続くだけー。

 

ただそれだけのことです。

それがたまにたまらなくつらくなります。

『ファイヤー・イン・パラダイス』を見た!

Netflixで11月1日から配信になったドキュメンタリー『ファイヤー・イン・パラダイス』を見た。

 

f:id:gachahori:20191102185546j:image

 

めちゃくちゃに恐ろしいドキュメンタリー映画であると同時に不謹慎な言い方だが、あまりにも恐ろしいディザスター映画でもある。

なんせ街一つが山火事で焼失するという話なのだ。いや、話じゃない、事実だ。

この事実を、この映画では当時の映像と生存者のインタビューを交えた構成で伝えてくる。

いかにして、山火事が発生して、あっという間に街が焼失したのかを。

 

f:id:gachahori:20191102185943j:image

 

映画の始まりは"その日"の直前から始まる。

場所はカリフォルニア州の人口約2万人の街パラダイス。

そこで暮らす人々の映像から始まる。

何気ない日々。

そしてそれは続くものだと思われていた。

天気予報も「乾燥が続きます。注意してください」くらいのことしか言わない。

 

その日は突然始まる。

朝7時。

その山火事は発生した。

そしてその火事は瞬く間に広がっていく。

最初は「いつもの山火事だろう」と思っていた人々もいる。

しかしそのスピードは恐ろしく早く、気がつけば街の側までやってくる。

そして救助を求める電話が鳴り響く。

「裏庭が燃えている」

 

空は瞬く間に煙に覆われる。朝だと言うのに日の光は一切入ってこない。まるで夜のような暗さだ。

しかしその一方であちこちで火の手があがっている。

小学校にも煙が入ってくる。

子供達を避難させるためにスクールバスに乗せる。

人々は車で逃げようとする。

しかしその数はあまりに多くあっという間に渋滞が出来上がる。

煙に包まれ、あちこちが燃え盛る中、車は動かない。どこにも逃げることができない。

 

f:id:gachahori:20191102190641j:image

 

スクールバスの中にも煙が入ってくる。

その煙の中、酸欠ゆえに"眠たくなる"子供達。

バスの運転手は自身のシャツを破って簡易なマスクを作る。

バスの中に一本しかなかったペットボトルの水でその布を濡らしていく。

一緒にバスに乗っていた先生は心の中で祈る。

「もし、死ぬとしたらせめて窒息死で死ねることを」

 

50メートルもの高さの火が人々に迫る。

車で逃げることが不可能であると分かった警官たちは人々に車を捨てるように言う。

でも逃げる場所はどこにもない。

大きめの駐車場に人々を集める。

火が迫る。

消火活動をしていた消防士は消火を諦め、近くにあった建物の扉を壊して、その中に人々を入れる。

その時、裏手にあったプロパンガスに引火する。

カメラはその時の音を収録している。

まるで戦場かのように爆発音が断続的に響く。

 

炎でできた竜巻が見える。

お婆さんはまるで「聖書に出てきた黙示録のようだ」と言う。

ある警官は避難民をパトカーに乗せる。

しかし火の手に囲まれる。

必死の決意で炎で覆われた道路を猛スピードで突っ切る。

 

それは全てあっという間の出来事だった。

あっという間に、街は消えてしまった。

 

f:id:gachahori:20191102191431j:image

 

1万以上の建物が焼失した。

死者は88人。

そして行方不明者は1000人にもなるという。

足が不自由だという友人の家を訪ねる人が現れる。

彼が回すカメラには車の中で亡くなったその友人の姿を写す。

生き延びた先生はパラダイスにあった街を訪ねる。

教室はすっかり焼け爛れている。

子供達の絵も灰になってしまっている。

 

別の街に避難している子供達は不安を訴えている。

子供達が描く絵には「火事の前後」を示すものがある。

そこには街が一瞬にして消えてしまったことを描いたものがある。

 

一瞬にして職も家も失った人も少なくない。

多くの人が未だに避難生活を余儀なくされている。

警官は語る。「元の生活を取り戻すのは大変だろう」と。

 

カリフォルニアでは山火事が多発している。

その度に消防士は「未曾有」だと語ってきた。

「未曾有」が当たり前になってはいけないと語る。

原因は環境破壊にあることを指摘する。

 

近年、日本でも大きな災害が続く。

明らかにそれは酷くなっている。

そしてそれが毎年のように当たり前に起こる。

しかしこれを当たり前にしてはいけない。

 

このドキュメンタリーは遠いカリフォルニアのパラダイスで起こった出来事だ。

しかし、これを他人事だと見ることはできない。

このような災害はいつか私たちの身にも起こる。いや、すでに起こっている。日本中の至る所で、世界中の至る所で。

どれだけ個人レベルで備えなんかしていても、どうしようもないようなことが既に起こっている。

もうそれは既に起こっているのだ。

両目洞窟人間のウィークポイント・シャッフル

書きたいことは何もないんだけども、文章を書いておかないといざという時に書けない気がして、とりあえず手を動かしている。

いや、本当書きたいことはなんもなくて、さっきから「書こうかなー」と思いながらトロとパズルをやったり、HASAMI groupの「夢の泡立ち」を延々と聞いたり、テレビで石田ゆり子荒井由実の「卒業写真」を歌ったりするのを聞いたりしていました。

書きたいことはなんもない。

まじでなんもない。

頭の中ってものを可視化できるのならば、私の頭の中はまじで空っぽで、そこから出てくる文章なんて無なのではないのでしょうか。

そして無を書き散らした後、死にたくなったりしないのかなと思ったりします。

でも、なんとなく書かなあかんなと思っていて、それはだいぶ書くことから遠ざかっていたから、だいぶ人間力が低下している気がして、要するには感情や思考の出力の仕方が下手になっている気がするのです。

 

書くことって要するにはぼんやりと思っていることを形作る作業というか、一本の木から仏を掘り出す作業なんじゃないかと思っていまして。おいおい、お前、自分の文章を「仏」って言いやがったか?と。いや、私は自分の文章を仏だなんて思ってはいないけども、でも一本の木から何かを掘り出す作業に近いのではないかと思っています。

 

形のないところから形をなんとか作る作業が文章を書くことだとしたら、私はその作業を大きくサボっていたので、かなり思考が弱っている。感情の出力が下手になっている。人間力が弱っている。そんな気がするのです。

 

でも、書くことって同時に弱点を見せる作業だとも思っていて、ハウス・オブ・ザ・デッドというガンシューティングでボス戦の前になると「ボスの弱点はここだよ!!」と教えてくれるのですが、それを書くたびにやっている気がする。

私が書いたものを繋げていけば、私の簡単な殺し方がわかるんじゃないかとも思うのです。

 

でも、なんで書かなきゃいけないか。それも書いてこんな誰でも見ることができる場所に公開しなきゃいけないか…って、ここでつらつらそれっぽく語ることもできるだろうけども、結局私は弱点を見せたいんだろうし、もしくは弱点を共感してほしいんだろうし、何よりここで書くのが一番簡単で楽なんだろうと思う。

 

だから、私はここに365個以上の記事を公開している。日々を公開している。日記を公開している。感想を公開している。小説を公開している。戯曲を公開している。辛かったことを、しんどかったことを、楽しかったことを、何にもなかった日を、何かあった日を公開している。

 

私はどこかの誰かに私の文章が届くことを祈っている。多分それは私は一人じゃないと思いたい、その願いの成れの果てで、それはとても気持ちが悪いし、ただどうしようもなく切実なものだ。

 

私が好きなミッフィーの話の中に「うさこちゃんはじょおうさま」というのがある。

そこでミッフィーはある国の女王になることを願う。

でも一番やってあげたいことは「悲しんでる人がいたらそっと側に寄り添ってあげたい」という。

私はそこまでのことはできない。

寄り添うことなんてできない。

私は私でいっぱいいっぱいだ。

でも、この吐き出しまくった何かがどこかの誰かに届けばと思う。その瞬間だけは何かは忘れられるような。

私が多くの文章を読んできて、そう感じたような。

そんなのが書くことができればと思う。

 

なんて、書きたいことは何もないなんて言いながらもう1400字も書いている。

結局は何もないわけじゃなかった。

もやもやしている頭の中は空っぽに見えたけども、そのもやを封じ込めれば何か文章めいたものになるのだ。

私は空っぽだと思いがちだ。

私は空っぽじゃないと思うために書き続けた方がいいのだろうと思う。

弱点を晒し続けたらいいのだと思う。

それがどこかの誰かに届いて、一瞬でも何かを与えられたら。

そんな傲慢さに似た願いだけども、叶うことをどこか夢見ている。