にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

短編小説『終末のランチ~複眼豚のカツ丼編~』

 ぐわんぐわんごうん。ぐわんぐわんごうん。
 月曜日から金曜日まで、朝から晩にかけて、巨大迷路型コンピューターで仕事をするのはとても大変なことでした。
 背骨さんは中央<システム>の末端職員なため、地図を片手に巨大迷路型コンピューターを文字通り右往左往し、バルブを締め、また右往左往し、バルブを緩め、そんな仕事をし続ける日々にすっかり疲れ果てていました。
 ぐわんぐわんごうん。ぐわんぐわんごうん。
 巨大迷路型コンピューターでの仕事は危険です。
 行方不明者が3日連続で出ました。
「気をつけて仕事をしろよ」と上司が言いますが、言うだけなのです。
 現に背骨さん達の使っている地図はアップデート前のものなのです。
 危険性を言うならば早く地図も書き直したのを配るべきなのです。
 とはいえ、背骨さんは末端職員ですのでそんな声は届くわけもなく、また声をあげる勇気もなく、一日一日を緊張感を持って過ごすだけでした。
 金曜日の仕事が終わり、背骨さんはエレベーターに乗って帰宅します。
 自宅がある地下35階まで降りていく時間は長く、その間に張り詰めていた緊張が解けて、ずーんと疲れが背骨さんを覆いました。
 ぐわんぐわんごうん。ぐわんぐわんごうん。という巨大迷路型コンピューター内部の音を1日中聞いているせいで、頭の中でも常に鳴り響いている状態です。
 地下35階に到着し、ぎゃりぎゃりぎゃりと音を立てる鉄柵を開け、青白い蛍光灯の下、落書きだらけの通路を歩き、自宅のドアバルブを緩める頃には「この休日は外の世界に出て、美味しい物を食べるぞ」と背骨さんは思ったのでした。


「というわけで、みみこさん、この土日空いてたら、久しぶりに外の世界に行かない?カツ丼食べに行こうよー」と背骨さんは壁掛け蒸気電話で、友達でねこのみみこさんに聞くのでした。
 みみこさんは「カツ丼!いいですにゃ!土曜、空いてますにゃ!行きましょうにゃ~」とノイズ混じりの音質越しに言うのでした。
 中央<システム>が市民の通話の傍受をしているので、どうしても音質がノイズまみれになってしまうのです。中央<システム>が盗聴しているのは公然の秘密だったので二人(一人と一匹だけども、以後は"二人"の表記で記す)は特に気にしていませんでした。
「じゃあ、みみこさん、明日の11時に地下3階でいいー?」
「いいにゃよ」
「あ、レインコートとガスマスク忘れちゃだめだよー」
「もちもちなのにゃ。替えのフィルターもいるにゃよね」
「そうだねー日帰りだけど、いると思う」
「はいにゃ。じゃあ明日。楽しみですにゃ」
「こちらこそ。じゃあ明日ねー」
 背骨さんが受話器をかけるとぷしゅーと蒸気が吹き出しました。


 地下世界を上下に繋ぐエレベーターは、一度地下三階で行き止まりになるよう設計されています。
 そこから外の世界に行くには手続きや、除染作業、持ち込み検査等があるからです。
 なので背骨さんとみみこさんは一度地下三階の広場に集まったのでした。
 広場と手続き窓口は繋がっており、多くの人が椅子に座って待っていました。
 広場の壁にかけられた蒸気式掲示板からぷしゅーと蒸気がはき出され、鈴の音が鳴り、ぱたぱたぱたと案内表示を変えていきます。
 広場の中央には巨大なビジョンがあり、絶えず映像が流れていました。
「水道工事は私たちにおまかせ」と作業着を着たおじさん達がほほえむCMと「自殺病予防のために手洗いうがいを」と注意喚起する公益CMと「火葬場が満杯で申し訳ありません」という公益CM、それから「飛行機だって鬱になる」と航空会社のCMが流れていました。
 ビジョンに流れるCMを延々と眺めていると、蒸気がはき出され、鈴の音が鳴り、蒸気式掲示板がぱたぱたぱたと入れ替わり【118】と表示されました。
 背骨さん達が呼ばれたのでした。
 窓口に行くと分厚い眼鏡をかけた職員が鉛筆を削りながら待っていました。
「今日は地上に何の用ですか?」
「観光ですー」
「何日間?それとも日帰り?」
「日帰りの予定ですー」
「じゃあ、住民番号をこちらに提出してもらって。帰ってきた時は必ず除染ゲートを通ること」
「はいー」
 背骨さんは住民番号カードを提出します。
 職員がそれを見ながら、尖りきった鉛筆で書類に必要事項を記入していきます。
「ちなみにだけど、今日はどちらの方まで」
「旧遊園地地区に行く予定ですー」
「じゃあ、黒い森を通りますね。ビーコンは持ってますか?」
「はい」
「暗くなったら森を通るのは気をつけてくださいね。最近物騒ですから」
「そうなんですかー」
「増えてるんですよ。失踪が」
 職員の鉛筆の先がぼきっと折れ、職員が舌打ちをしました。


 地上に向かうエレベーターは、いつも使っているエレベーターよりも白く輝いていました。やはり地上に向かうのは違うなあと背骨さんは思いました。
 地上階に着くと、また扉があり、そこは除染場となっていました。
 除染場をくぐり抜け、もう一枚扉を開けると、そこにはレインコートを着て、ガスマスクをつけた職員がいて背骨さんとみみこさんが到着するやいなや「レインコートとガスマスクの着用をお願いします」とくぐもった声で言いました。
 背骨さんとみみこさんは背負っていたリュックからレインコートとガスマスクを取り出して、レインコートを羽織り、ガスマスクを装着します。
 みみこさんはねこなので、みみこさんの着るレインコートの頭上部分は猫の耳が入るよう飛び出ています。
 背骨さんはそれを見て、かわいいなあと思ったのでした。
 職員は二人がガスマスクとレインコートの着けるのを見終えると、ハンドルを緩めて、ドアを開きました。
 ドアの隙間から徐々に光が入ってきました。
 二人が普段目にしている蛍光灯とは違う光でした。
 光に目をしばしばとさせながら、光の向こうに歩いて行くと、そこは外の世界でした。
 ゆっくりと光に目を慣らしていくと、荒れ果てた旧時代の街並みと、どこまでも続くどんよりと曇った空が見えました。
 空からは、灰の雪が降っていました。
 背骨さんはリュックから地図を取り出し、みみこさんに見せます。
 ここから少し離れた場所にある旧遊園地地区にあるカツ丼屋さんに行くのが今日の目的ですが、そこにいくには黒い森を通らなければなりません。
 地図上の黒い森は、黒い円で表現されていました。
 背骨さんが黒い森に指を指すと、みみこさんは「うん」と頷きました。
 しばらく歩いて、荒れ果てた旧時代の街並みを通り抜け、旧時代の道路をしばらく歩くと黒い森にたどり着きました。
 二人は立ち止まって黒い森の入り口を見ました。
 黒い森の入り口からは暗闇があふれ出していました。


 ぱきっ、ぱきっ、と背骨さんはカプセル状の使い捨てビーコンを落としていきます。
 黒い森は昼間でも暗闇があふれています。夜に近づけばなおさらです。
 なので、帰り道がわかるようにビーコンが必要なのです。
 ビーコンは暗闇の中で薄黄色く輝いていました。
 帰り道はその明かりと、携帯信号受信端末で信号を確認しながら帰るのが、外出時の基本的な行動になります。
 背骨さんがビーコンを落としていく一方で、みみこさんはハンドル付き懐中電灯で明かりを照らしていました。少し明かりが弱くなると、みみこさんはハンドルを回します。するとまた明るくなりました。
「この森って、熊が出るらしいね」
「ええっ!それは怖いですにゃ」
「出たらどうしようねー」
「どうしましょう。私、にゃんにもできませんよ」
「懐中電灯のレバースイッチを切り替えて、ハンドルを回してみー」
「あ、はいにゃ」
 みみこさんが懐中電灯の右に出っ張っているレバーを下に降ろして、ハンドルを回すと懐中電灯から「あぎゃあああああああ」と叫ぶようなサイレンが響きました。
 その音が響くと二人がいる頭上から多くの鳥が飛び立っていきました。
「一応、これで動物は逃げるらしいけども・・・・・・」と背骨さんが言いました。
「私、動物にゃので、とても嫌にゃ音ですにゃ・・・・・・」
「あ、ごめんごめん!動物は本当苦手な音みたいだね」
「凄い嫌にゃ音です。昔あった悲しいことを今思い出しています」みみこさんは自分だけ給食を配って貰えなかった日のことを思い出して、少し泣いていました。
 その音は動物の潜在的な悲しみに作用する音なのです。
 そのため国によっては法律で禁止されています。
 二人はまたしばらく歩きました。
 すると遠く向こうから光がゆらゆらと近づいてきました。
 二人は立ち止まり、みみこさんが懐中電灯の光を円を描くように回しました。
 すると向こうの光も円を描くように回りました。
 どうやら意思疎通ができる生き物のようです。
 近づいていくと、そこにはゴシックロリータドレスで、肩から猟銃を下げ、ランタンを持った背の高いガスマスクをつけた女性がいました。
 背骨さんとみみこさんは会釈をしました。
 そのゴスロリ服の女性も会釈を返し、そして通り過ぎ、背骨さんとみみこさんが来た道を歩いて行きました。


 徐々に光が増えてきました。黒い森をもうすぐ抜けることができそうでした。
 黒い森を抜けると、大きな観覧車がそびえ立っていました。
 旧遊園地地区に到着したのです。
 背骨さんとみみこさんは観覧車を眺めました。
 あらゆる箇所が錆び、ぼろぼろになっていました。
 観覧車は当然動いてはいませんでしたが、風が吹く度にゴンドラがゆれ、軋む音が響きました。
 観覧車のゴンドラ乗り場の入り口には、ピエロが笑顔で手を振っている看板がありました。
 ピエロには吹き出しがあり何かを叫んでいるようでしたが、経年劣化のせいで「無」を叫んでいました。
 観覧車からまたしばらく歩くと、何にもないひらけた場所に出ました。
 その場所は観覧車がまだ元気に動いていた頃、多くの車を停めることができる駐車場でした。
 今では、アスファルトはすっかりぼろぼろになり、草木が生い茂っています。
 草木をむしゃむしゃと啄む巨大な黒い影がいくつも見えます。
 その巨大な影の一匹が、背骨さん達の存在に気がつき振り向きました。
 巨大な豚です。
 人なんて簡単に丸呑みできるほど大きな身体をした豚がそこにいました。
 その豚の顔の中心にはいくつも目玉がありました。
 複眼がぎょろ、ぎょろ、と背骨さんたちを見つめます。
 いわゆる複眼豚と呼ばれる品種でした。
 背骨さん達はずっと存在は知っていましたが、見るのは初めてで「大きいねえ」「そうですにゃあ」と感想をもらしました。
 複眼豚はぶふいいいぃー!と高い声で鳴きました。
 その鳴き声はとても大きく、背骨さん達の背後の観覧車がゆらめき、ぎしりと鳴くほどでした。
 複眼豚は突如背骨さん達に向かって走り出しました。
 複眼豚は巨大ゆえにのろまに見えますが、足はとても早いのです。
 背骨さん達は「あっ」と思った瞬間には、もうすぐそばまでやってきていました。
 危うし!のところで、複眼豚は電気柵に引っかかり、高圧電流が複眼豚に流れました。
 複眼豚は「ぶふぃいぃー!」と泣き叫びました。
 あまりの高圧電流が流れ、動けなくなってしまったのです。
 複眼豚は手足をばたつかせます。その度に地面が揺れます。
 背後の観覧車もぎしぎし軋みます。
 ばちばちばちっ!と電流が流れる音が背骨さん達にも聞こえます。
「ぶぶぶっ!ぶふふいいいぃー!!!」
 1オクターブ上の声で泣き叫んだ直後、ぱぽんっ!と複眼豚の身体が破裂しました。
 大量の血液と臓物が飛び散り、背骨さんとみみこさんは複眼豚の血液を頭から被りました。
 電気柵の下にちぎれた豚足が4つ残っていて、香ばしい匂いと立ちこめる煙が漂っていましたが、風が吹くと匂いと煙は消えて、4つの豚足はころりんと倒れました。


 背骨さんとみみこさんはリュックからタオルを取り出して、ガスマスクとレインコートについた血や臓物をぬぐいました。
 早速災難でしたが、外に出ると言うことはこういうことなので、まあいいかと二人は思っていました。
 また少し歩くと[カツ丼]と書かれたのぼりがぱたぱたと揺れていました。 
 そののぼりの後ろには物置小屋がぽつりとありました。
 背骨さんとみみこさんはお互いに顔を見合わせて頷きました。
 物置小屋の赤色の扉を開けると、蛍光灯に照らされた地下に続く階段がありました。
 背骨さんとみみこさんはその階段を下っていきます。
 階段を降りきると踊り場があり、そこの壁にはビールを持った水着を着た女性のポスターが貼ってありました。
 旧時代の遺物です。
 階段を降りきると、茶色の引き戸があり、その上には「カツ丼 緑石」と蛍光灯に照らされた小さな看板がありました。
 引き戸を開けると、除染場があるので、まずはそこで身体を除染します。
 それが終わると、赤色のランプが点り、もう一つの引き戸をやっと開けれるようになりました。
「すいませーん」と引き戸を開けながら背骨さんが言います。
「はいよぉ!」と薄暗い店内から声がしました。
「二名なんですけども大丈夫ですか」
「いけるよお!あ、ちょっと待ってね!」と言われたのでしばらく待っていると、バチンと音がして、突如真っ白な光が目に飛び込んできました。
 巨大な蛍光灯がいくつも天井に吊られていて、そこから目に痛いほどの光が放たれていました。
 元々は巨大なバスルームだったようで、壁や床はタイル張りでした。
 そこにテーブル席がいくつかと、カウンター席。
 そのカウンターの向こうには厨房がありました。その厨房に店主の緑石さんは立っていました。
 店内にはラジオが流れていて「昨日の自殺者は7人でした」といつものようなニュースが聞こえてきました。
「暗くてすまなかったねえ!今日はあんたらが初めてのお客さんでよお!」店主の緑石さんは頭に鉢巻きを巻きながらそう言います。
「いえいえー」
「どこでも座りなすって」
「じゃあー」と言って、カウンター席に背骨さんとみみこさんは横並びで座ります。
 カウンター席に座ると、ガスマスクを外して机のわきに置き、ラミネート加工されたメニューを手に取ります。
 と言っても食べるものはもう決まっていたので、すぐに伝えました。
「複眼豚のカツ丼の並1つと小1つ」
「はいよ~!」
 と言って店主の緑石さんはカツ丼を作り始めました。


 カウンター席に座って10分ほどすると「はいよ!」と複眼豚のカツ丼が運ばれてきました。
 どんぶりからはみ出しそうなカツは人工鶏卵で綴じられており、もう見ているだけでよだれが出てきます。
「いただきます」
 カツをかぶりと頂きます。
 なんと美味しくも複雑な味でしょう。
 荒れた自然界で生き抜き、絶滅を免れ、そして荒れた自然に自らの身体を適応させてきたという進化の歴史が層となって口の中で広がります。
 自然界に適応すべく身体を巨大化させ、複眼へとなった豚。
 その筋肉質な身体から固い肉を想像していましたが、食べてみると肉が思ったよりも柔らかく、背骨さん達は驚いてしまいました。
「複眼豚は、でかいし、目も多いから、肉が固いと思ってたんっすけども、結構柔らかいんっすね」
「意外と柔らかいでしょう。なぜだかわからないんだけども、僕は、多分複眼の方が情報を沢山処理しているからか、肉は柔らかいんじゃないかなって思ってるんだよね」店主の緑石さんが腕を組みながら答えます。
「そうにゃんだ」
 みみこさんがカツをがぶりと囓ります。
 人工鶏卵が赤ん坊を包む毛布のように複眼豚のカツを優しくまとっています。
 地下世界で培養された人工鶏卵がこんなに美味しく、そして優しくなるとは!
 そのおいしさ、また優しさに「うう~ん」とみみこさんは唸ってしまいました。
 人工鶏卵とカツに染みている甘辛タレもなんとご飯が進む味なのでしょう。
 そんなご飯は地下世界で人工太陽光を存分に浴びて育った良作米。
 もちもちとした米がいつも食べているペースト米とは全然違います。
「おいしいにゃ~」とみみこさんも思わず顔がとろけながら言ってしまうのでした。
 背骨さんも苦労してここまで来た甲斐があったな~と思いました。


「ここでカツ丼屋を営むのは大変じゃないですか?」背骨さんは複眼豚のカツ丼を食べ終わった後、店主の緑石さんにそう聞いてみました。
「そりゃあ大変だよ。基本的には自給自足だし、何でも自分でしなきゃならないし、なによりあの豚を育てて捕まえるのも大変だしね」
「じゃあ、にゃんでここで生活してるんですか?」みみこさんが聞きます。
「うーん。たまたまの成り行きなんだよね。やりたかったわけじゃないけども、向いてたし、この生活も嫌いじゃ無いんだよね」店主の緑石さんは腕を組みながら答えるのでした。
「そうにゃんですね」
「そういえば、ここに来るときに、複眼豚が電気柵にぶつかって爆死してましたよ」
「え、本当かい。血まみれなのは、そういうファッションじゃなかったんだね。ありゃー電圧をあげすぎたなー」
「豚を育てるのも大変にゃんですね」
「大変だよ。でも、あんたらみたいにわざわざ来てくれる人がいるからやってられるよ。本当だよ」
 店主の緑石さんはにっこりと笑うのでした。


「ごちそうさまです。美味しかったです。ありがとうございました」
「おう、また来てよ!」
 店を出て、階段を上がり、物置小屋の外出ると、もう日が傾き始めていました。
 急いで帰らないといけません。
 背骨さんはリュックサックから携帯信号受信端末を取り出して、スイッチを入れました。
 び、、、び、、、び、、、と間隔の空いた音が聞こえます。
 より音が大きく、そして感覚が狭くなればビーコンの信号が近い証拠です。
 背骨さんは携帯信号受信端末を、みみこさんはハンドル付き懐中電灯を手に持ち、また黒い森に入っていきました。
 二人は一歩一歩、黒い森を進んでいきます。 
 び、、び、、び、、と音を聞き、懐中電灯で地面に落ちているビーコンを照らし、歩いて行きます。
 行きよりも日が傾いているせいか、より暗闇が強くなっています。
  暗闇の中で懐中電灯の光と薄ぼんやりとした黄色を放つビーコン。そして電子音と草と土を踏みしめる音。
 それだけの抽象性の強い世界に徐々に取り込まれていくようでした。
 背骨さんはだんだんぼんやりしていきました。
 カツ丼を食べたのもあって、眠気もやってきたのです。
 大きなあくびをしたその瞬間。
 びーーーーーーーーーと携帯信号受信端末の音が鳴り叫びました。
 故障をしたかと思い、背骨さんは携帯信号受信端末を叩きます。
 しかし音は鳴り響いたままです。
「あっ」とみみこさんが声をあげます。
 みみこさんの持つ懐中電灯の光が地面に落ちたビーコンを照らしました。
 等間隔に落としていたはずのビーコンが、突如何かを囲むように並べられていました。
 ビーコンが囲んでいるもの、それは大きな木でした。
 その大きな木を見上げるように光を当てます。
 枝からいくつかの影が垂れ下がっていました。
 光に照らされると、その影は生き物の皮でした。
 様々な動物の皮が垂れ下がっていました。そのうちのいくつかは人間の皮でした。
 背骨さん達の目の前にある皮は人間ので、苦しみ叫んでいるように見えました。
 苦しみ叫んでいるように見える穴にはビーコンが1つ差し込まれていました。
 びーーーーーーーーーと携帯信号受信端末がなり続けています。
 ぐるるるるるるるる。
 大きな生き物の鳴き声が聞こえました。
 みみこさんがその鳴き声の方に懐中電灯の光を向けます。
 そこには直立した熊がいました。
 左手にはビーコンが握られていました。
 そして熊の右肩からはライオンの顔が生えていました。
 そうです。熊ライオンです。
 右肩から生えたライオンは息苦しそうに「ぐるるるるるるる」と鳴きました。
「はうっ。はうっ。はうっ」と熊側が息をしています。
 みみこさんは懐中電灯の右に出っ張っているレバースイッチを切り替え、ハンドルを回し始めました。
「あぎゃあああああああ」とサイレンが鳴り響きます。
 動物には生理的に気持ち悪く、潜在意識の悲しみに訴える音です。
 熊ライオンが「があああうううう!!」と叫びます。
 右肩のライオンからは涙が溢れ出していました。
 みみこさんも「えーーん!えーーん!」と泣いています。
 それでもハンドルを回す手は止めません。
 ここで止めてしまえば、食い殺されてしまうかもしれないのです。
「がああああああう!!!!!」と熊が吠えました。
 熊は左手で、右肩のライオンを殴り始めました。
 ライオンは「ぐうう」とうなりました。右肩のライオンの顔からは鼻血が溢れていました。
 その異様な行動にみみこさんは思わずハンドルを回す手を止めてしまいました。
 瞬間、熊の目が光りました。
「がああああああああああああ!!!」熊とライオン、それぞれが吠えて、二人に向かってきました。
 背骨さんは終わったと思い、みみこさんは2シーンほど走馬燈を見ました。
 だーん!
 銃声が鳴り響きました。
 血がぴしゃっと二人のレインコートにかかりました。
 きーんと耳鳴りが鳴り響きます。
 熊ライオンの周りに血の煙が漂います。
 熊ライオンの熊とライオンのつなぎ目辺りに大きな穴が空き、血がどばどばと溢れ出していました。血が黒い森の暗闇に流れていきます。
「あぐうううう!?」と熊ライオンが叫びました。
 また銃声が鳴り響きました。
 次の瞬間、熊ライオンからぶちぶちぶちとライオンがちぎれ落ちていきました。
 熊は「ぐうっ?」と唸り、ちぎれたライオンを確認しようと視線を動かそうとしました。すると目がぐるんと回転して、血を吹き出しながら、地面に倒れてしまいました。
「大丈夫?怪我はない?」
 まだ銃声によって耳鳴りがする中、声がする方を振り向くと昼間にすれ違ったゴシックロリータ服の女性が猟銃を構えてそこにはいました。
 その女性は皆様お気づきでありますように、ゴスロリマタギだったのでした。
 ゴスロリマタギはこの黒い森で熊ライオンが悪さをしていると聞き、ここ数日森を彷徨っては熊ライオンを探していたのでした。
「間に合って良かったよ。もう少しで皮にされてしまうところだったね」
 熊ライオンの仕留め方として、熊とライオンのつなぎ目を狙うのが一番なのですが、なかなかここを狙い撃ちするのは難しいのです。
 ゴスロリマタギは黒い森の暗闇の中からでも、このつなぎ目を狙い撃ちすることができる腕前を持った仕事人なのでした。
 すごいぞ、ゴスロリマタギ
 背骨さんとみみこさんはお礼を言いました。
「いいよいいよ。君たちは帰る途中だろ?森の外まで送っていくよ」
「あ、ありがとうございます」
 ゴスロリマタギの先導に二人は付いていくことにしました。
「それにしても君たちは何故この黒い森に?」
「複眼豚のカツ丼を食べに行ってたのにゃ」
「なるほど。旧遊園地地区か。美味しかっただろ」
「はいにゃ」
「よく、食べに行くのかい?」
「いえ、けども、日々のストレス解消に食べに行きたいなと思ってまして」と背骨さんが答えました。
「・・・・・・全然関係ないけども、君たちは熊ライオンの肉って食べたことある?」ゴスロリマタギが聞きました。


 ぐわんぐわんごうん。ぐわんぐわんごうん。
 月曜日から金曜日まで、朝から晩にかけて、巨大迷路型コンピューターで仕事をするのは大変なことでした。
 背骨さんは中央<システム>の末端職員なため、地図を片手に巨大迷路型コンピューターを文字通り右往左往し、バルブを締め、また右往左往し、バルブを緩め、そんな仕事をし続ける日々にすっかり疲れ果てていました。
 ぐわんぐわんごうん。ぐわんぐわんごうん。
 今度の休みは外の世界に行こう。
 地下35階まで降りていくエレベーターの中で背骨さんはそう思いました。
「というわけで、みみこさん、今度の土日空いてる?熊ライオンのジビエ料理食べに行こうよ」