にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

ねこのイデア。

・「○○にゃんね〜」って言うてる。31歳になったのに、語尾ににゃんね〜って言うてる。

 

・ぶりっ子をしているわけではなく。にゃんとか言うしかない、ってくらい落ち込んでばかりな日々と時間と瞬間が続いていて、私は落ち込むと「○○にゃんね〜」と言う。にゃん、って言うことで途端に辛い気持ちが和らぐような気がしている。

 

・気だけかもしれないけども、気に頼らなければ何に頼ればいいというのだろうか?気にたよるしかないにゃんね。

 

・昔から、ねこが好きだった。とはいえ、どちらかといえば本当のねこではなく、ねこのキャラクターの方が好きだった。

 

・そもそも本当のねこは「にゃんね〜」なんて言わない。言葉も喋らないし。全ては概念のねこ。私はねこのイデアを愛している。

 

・時折、現実逃避的にねこのことを考える。言葉を喋るねこのことを。そのねこが存在している世界のことを。

 

・わんにゃん銀行わんにゃん支店。

 

・そんな単語が頭によぎり、私はしばらくそれを愛でていた。わんにゃん銀行わんにゃん支店。かわいい。

 

・何度も考えていくと、犬と猫が銀行をしているのは経営統合したからかしらとか、わんにゃん支店って何故本店ではないのか、それはやっぱり経営本部が移転したからでは、とか思っていく。

 

・これをちゃんとした話にしたいなって思う。くだらないけども、わんにゃん銀行わんにゃん支店の歴史を書いてみたいと思って、銀行の平成史について書かれた本を買う。

 

・ちゃんとしたことから、くだらないものを生み出したいなんて思う。それでそんな本を買う。でも疲れていて本が読めない。寝込んでいる日々では読める本とかが限られている。

 

・ちゃんとしたい、と願ってるしちゃんとした行動もとりたいと思っている。でも、それができない。体力は続かず、心は落ち込み、睡眠時間だけが延びていく。わんにゃん銀行の話は結局書けなかった。

 

・どうしたらよかったんだろう?って思う。多分すべきだったのは、まずはわんにゃん銀行についての妄想をもっと膨らませるべきだった。そしてその膨らんだ妄想を一気呵成に書き上げるべきだった。書き上げたのちに資料を読めばよかった。それから修正してもよかった。まずは書けばよかった。

 

・わんにゃん銀行わんにゃん支店のことを本当は書きたかった。書き上げたかった。でも、今はできそうにない。

 

・そんなふうな挫折感を何度も何度も味わってる。力が尽きてできなかったことがこれまでの人生で繰り返しあった。私はその度にできなかった選択肢を選びとっているのだろう。

 

・私はこういう風にしか、生きていけないって思ってやっぱりやっていくべきだろうなって思う。やりたい事はたくさんあれど、本当にできるのは数少ない。

 

・むしろ出来ないから、やりたいことを出来るように変容させたり、縮小させたりしなきゃなって思う。こうだったら出来るかもしれないって考えたりだとか。

 

・やりようはあるかもよ。って私は私に言う。

 

・でもやっぱり、もっと身体が動いたらなって思う。動かなくて、寝込むことが多い日々に悔しさを感じてる。こんなことがなかったら私の人生はどうなっていただろう?出来ている選択肢を選べた私の人生はどんなふうに?

 

・でもそれは考えても仕方ないことだ。もしもなんてない。選択肢はあったかもしれない。でも選べなかった。これからも選べないことが多いだろう。

 

・少ない選択肢で、最善をやっていくしかない。その都度で最善だと思う選択肢を選ぶしかない。

 

・そして、何より、選べなかったことをそれほど悲しむことはない。

 

・いつか今まで選べなかった選択肢を選べる時がくるかもしれない。やりたかったことができる時がくるかもしれない。わんにゃん銀行わんにゃん支店を書ける日がやってくるかもしれない。

 

・「猫の手も借りたいにゃ〜」なんて繁忙期の時にはついつい言っちゃうわんにゃん銀行わんにゃん支店の行員達。

 

・それを考えると、私はとても楽しい気持ちになる。私が愛しているのはねこのイデアだ。そのイデアが動き回ってるのを考えるのがとても好きだ。

 

・私の愛しているねこのイデアをちゃんとこの世に残せたらって思う。だから、悲観せず、出来る範囲で頑張っていくしかないにゃんね。

 

・やっていくしかないにゃんね。