『ブレイキング・バッド』を見終わった。
見始めたのが2014年。
見終わったのが2021年。
7年もかかってしまった。
本国アメリカでの放映年数が6年ほどらしいので、それよりも長くかかってしまった。
どうして、そんなにかかったか・・・なんてことに大きな理由はない。
私の怠惰であったり、移ろぎな心だったり、社会人になったり、鬱になって重たい話が見られなくなったり、色々理由はあるけども、決定打はない。
ただ私はブレイキング・バッドに近づいて、そして離れて、やっと戻るまでに7年かかったというだけの話なのだ。
にしてもかかりすぎだよ。
7年もかかったけども、面白くなかったとか、惰性で見ていたとか、そんなことは一切ない。
世評通りの面白さだったし、最終話のあのラストシーンまで見た今では「名作」だと断言することができる。
友人は「このドラマはどんどん凄くなるよ」と言っていたけども、あの大きな盛り上がりを見せるシーズン4を更に超える終幕が待っているだなんて思いもしなかった。
特にシーズン5の後半は、何十時間も付き合ってきた物語や登場人物だからこその重たさが特に素晴らしかった。2時間で終わってしまう映画ではできない、ドラマだからこそ、ドラマだからできる作品だったと思う。
なんて、書いていますが、ブレイキング・バッドの素晴らしさについて何をしたり顔で語ってるんだ、今更何を言っているんだ、もう世の中に溢れているじゃないかと私の中のわたしが責め立てる。
なんならスピンオフのベターコールソウルが佳境にさしかかっているという話を聞くのに、ブレイキングバッドめっちゃよかったよー!と叫び走り回るのはアホみたいなものだとも思う。いや、アホである。
とはいえ、私にとってはやっと見終わった最新作品なのだ。7年もかけてやっと見終わったのだ。それは、その感情は、大事にしたい。
それに、7年で大きく変化してしまったこともある。
私は大学生から社会人に、それからメンタルに不調を抱えた30代に。
そして父が癌になった。
父が癌になったことは以前にも書いたことがある。
あれからも父は治療は続けているが、なかなか好転はしていかない。
正直なことを言うと、父と上手く喋ることができない。
父は以前にもまして、応対するのが困難な人になってしまった。
思っていることを一方的にまくし立てるようになった。
以前からそういう一方通行な会話をしがちな人であったが、癌になってからは、自分の思い通りにほんの少しでもならないと怒るようにもなっている。
私は辟易してしまい、先日口論にもなった。正直、父とどう接したらいいかわからないことだらけだ。
父に『ブレイキング・バッド』を勧めたのは半ば冗談であったし、落ち込んでいる父に何か面白い作品に触れて欲しいという思いからもあった。
『ブレイキング・バッド』を勧めたのは父が癌になった直後、2019年の末だったと思う。それから父は一気『にブレイキング・バッド』も見たし『ベター・コール・ソウル』も見た。
さらに言うと麻薬ものが気に入ったみたいで、『ナルコス』も全部見たみたいだった。
『ブレイキング・バッド』勧めておいてなんだが、私が見てない間に、父はあっという間に勧めたものを全部見てしまった。
「強迫観念に囚われる。全部見なきゃと思う」と父は言っていたが、それでも全部見切るのは凄いと思った。
父の癌は肺に転移しているかもしれないとのことだ。抗がん剤治療も飲み薬から点滴に変わり、より大きくなっていく肺の影に対抗すべく、今度は父の胸のあたりに24時間点滴ができるように管を刺すらしい。最近ではこんな話を聞くのも辛く、どう聞けばいいかわからない。
『ブレイキング・バッド』の終盤ではウォルターの癌が再発する。
弱々しくなっていくウォルターの姿を見るのは辛かった。
私はウォルターの姿に父を重ねていた。
父は教師だったし、年齢も60過ぎくらいだ。ウォルターと遠いわけではない。
まあ、父は歴史だし、麻薬を作れるわけじゃない。
ただ、抗がん剤の副作用でスキンヘッドみたいにはなっている。
7年前、私はこんな風に『ブレイキング・バッド』を見るなんて思わなかった。
7年かけてやっと『ブレイキング・バッド』を見終わったあと、父に「"ブレイキング・バッド"を見終わったよ」と伝えた。
すると父と「面白かったやろ!」と私が勧めたのも忘れて嬉しそうにしていた。
それから「あのシーンがよかった」とか「あのチキン屋とクリーニング屋をやってたあの俳優は凄い」とか「完璧なラストやろ」とかそういう話を私たちはした。
久しぶりに、本当に久しぶりに、父と喋っていて楽しいと思えた。
それだけでも、7年もかけて、やっと『ブレイキング・バッド』を見終わって、本当によかったと思った。