にゃんこのいけにえ

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『団地妻 迷い猫』を見た!

『団地妻 迷い猫』を見た!監督サトウトシキ。脚本は小林政広。1998年のピンク映画。公開時のタイトルは『新宿♀日記 迷い猫』

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先日見た高橋洋監督の映画『霊的ボリシェヴィキ』があまりに個人的なストライクゾーンぶち抜き映画だったので、以前ハマっているわけですが、その出演者の中で私がとにかく今気になっている俳優さんが長宗我部陽子さんです。あの怖い映画『霊的ボリシェヴィキ』では杖をついて、謎の実験の責任者という立ち位置で、とにかくただならぬ風貌で、こんな俳優さんがいたなんて…!と衝撃を覚えたわけです。あの映画の異様な緊張感の一部を担っていたのはこの人だったのではないか……と思ったり。

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↑突然異様に笑ったりして、めっちゃ怖い長宗我部陽子さん。

というわけで、気になったら他の作品も見てみたい!と思い、あちらこちらを調べていたらデビュー当初はピンク映画に出演されていたとのこと。そしてその作品群が評判いいので、見ること出来ないかしら…と思っていたらなんとgyaoで見ることができました。ありがとうgyao。あとgyaoには他にも見たかったピンク映画がいくつも公開されていて見なきゃ…!と思ったよ。意外とgyaoは穴場なのかもしれない。
ではここからは感想です。gyaoにも一応あらすじは書かれていますし、ネタバレも無いのですが、それを知らずに映画を見たら結構驚いちゃったのですね。
というわけで相変わらずネタバレを回避したい方はここでさようならです。またどこかで会いましょう。


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長宗我部陽子さんが平泉成さんにある理由から喫茶店で取材を受けています。

似合っていないサングラスをかけた女(長宗我部蓉子)が中年の男(平泉成)に取材を受けている。
何の取材かわからない。昼下がりの人気のない喫茶店で回るテープレコーダーを前に、女がぽつぽつと喋り始める。
真夜中の街角に立ち始めたこと。真夜中立ち始めた理由は夫が夜勤を始めたからだ。夜勤を始めた理由はパソコンに凝り始めたからだ。その周辺機器を揃えるために収入の良い夜勤で働き始めたのだ。
女と夫が団地に住んでいる。女が働いている気配はない。女と夫は夫婦である。当然のようにセックスもしている。しかしそれ以外の日常の空気はどこかぎこちない。両者ともどこか何かが欠落しているような気配すらある。
女は夫は夜勤の夫を待つために真夜中に街で立ち始めた。でも女が真夜中立っていると、当然のように男が声をかける。
その中の男と、女は関係を持つ。
その男と身体の相性が良かったから、その後も何度も身体の関係を持つ。
そのことに女の夫は気がついていたのかも知れない。
女は「気がついていたはずありませんよ。絶対」というが、女が街角で身体を売り始めたころから、夫は女に暴力的なセックスを求めるようになる。
それどころか、直接的な暴力も受け始める。顔がぼこぼこになるまで殴られたあとも女は身体を売る。
それから住んでいる団地の駐車場で子供用の金属バッドを見つけた女は、それを持って家に帰る。
そして家に帰ってきた夫を金属バットで何十回も殴り続ける…


女は映画の冒頭でこう言う。「自分のことわかっている人なんているんですか?」と。
私達は自分のことをわかっているようで、わかっていない。何がしたいか、何をしたくないか。どうやって生きたいか。本当は何が欲しいか。
それを言語化するのは難しい。
しかしそういった感情を言語化できないままでいると、圧倒的な言語化できないもの頭を巣食う。そしてその言語化できない空白部分によって、自分の行動は進んでしまう。なぜこんな行動を取ってしまったんだろう。なんでこんなことしたんだろう。やってしまったことが、自分のやりたかったことかもと納得させようにもやっぱり違う気もする。
女の冒頭の問いにつながる。
「自分のことをわかっている人なんているんですか?」
もちろん、女はわかっていない。それゆえに、その行動は理解されないし共感もされない。


女は夫を殺したあとに、海に行く。海が見たかったからと言って突然海を見に行くのだ。別に死体を捨てるわけではない。
なんなら死体はまだ自宅のバスルームに放置したままだ。
でもなんとなく見たかったからと、海に行く。
それから東京に戻ってきて、何度も身体を重ねた男に会う。死体の処理を頼むが嫌だと言われて自分でやることにする。
ホームセンターで電ノコを買ったりする。
その話をしているときに突然女は笑い始める。
「おかしいんですよ。夫のクレジットカードを使ったんですけども。もう死んでるのにカードが使えて」
記者は「何もおかしくないですよ」という。
「いや、おかしいですよ」と女は言う。

バラバラにした死体は「井の頭公園」は捨てる。「井の頭公園」は家から離れているから足はつかないと考えていたが、結局すぐにわかってしまう。
とはいえまだ女が殺した証拠はない。だから警察の取り調べで、容疑を認めることはない。
なぜ?と聞かれて「癪だったんですよ」と言う。
それから女は父のお墓参りに行く。
なぜ?と聞かれる。
「群馬にあって、遠くってなかなか行きづらかったから」という。
それから実家にも帰れる距離にいたが、実家には戻らずビジネスホテルを泊まり歩く。
そしてそれから今度は日本海に行く。
なぜと聞かれる。
日本海見たことなかったんですよ」と言う。
日本海の近くの民宿に泊まったことも。いい民宿だったと。でも、その頃から指名手配され始める。
「日本中から追われているような気がして」とも言う。
それから東京に戻ってくる。そしてあの男に会う。
そしてラブホテルで会う。
男は「あんたの共犯者になりたくない」という。
でも「抱いてほしい」と女は言う。
男から2万円もらって、そして2人はセックスに及ぶ。

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夜の街に立っていた女として連想するのは97年に起こった「東電OL殺人事件」だ。あれも何故そんなことをしていたのか「わからない」女性の事件として伝えられた。井の頭公園にバラバラ遺体を捨てたとして連想されるのは未解決事件である「井の頭公園バラバラ殺人事件」だ。
この映画は90年代に起こった事件を想起させていく。が、その事件の映画化ではない。ただそうやって一線を超えてしまった人のわからなさを断罪するでも共感するでもなく、そういう女がいたと伝えていく。
どう演じるのも難しいこの女を長宗我部陽子さん(当時は長宗我部蓉子名義)が演じている。何かが欠落しているが、モンスターではない、ただ共感はできないが、断罪してはならないと思わせる女性を針の穴に糸を通すような正確さで演じている。

しかしピンク映画というか、完全に90年代の単館映画のそれで、むらむらしたいな~って思ってみた人は怒ったんじゃないだろうか。
「実用性」で、言うと完全に使えない(何がとはいわないよ)んだけども、セックスや暴力があるこの世の側面を描くにはこういったことでしか描けない物語だよなあと思った。
だからピンク映画という見方ではない、gyaoの中で見るにはちょうどいいのかもと思った。
なんかエロくないぞ!でも、ちょっとこの寂しさはわかるぞ…となる人が一人でもいたらいいよね。それは面白いよね。


女は最後にやっとわかったという。
「お父さんが欲しかったのかな、と。頼れる、甘えさせてくれるそういう人。優しい、それでいて強い、しっかりした、お父さんみたいなそういう人が欲しかったんじゃないかって。でも、そんな人いやしないんですよね。この世の中にそんな人。1人だっていやしないんですよね。」
やっとそのことがわかったのだと女は言う。
ちょうど取材用にまわしていたテープが止まる。
記者の男は取材を切り上げる。
記者はこれを記事にするべきがどうか迷っている。記者はずっと困惑しているからだ。共感も、断罪もできない。どう見ていいかわからない。モンスターとして見ることも出来ない。被害者として見ることも出来ない。加害者として見るには、ノイズが多すぎる。どう見たらいいのかわからない。
女は「でも記事にしてほしい。こんな馬鹿な女がいたって知らせてほしい」という。

女はそれから歩く。コツコツと靴音を響かせながら新宿を歩いていく。迷いもなくずーっと歩いていく。
道路の向こう側には警察署がある。そこに行くための横断歩道の前で信号が変わるのを待つ。
映画の最後は信号が切り替わるのをただ待つ女の顔のアップだ。
この女は何を考えているんだろうか?
1時間、私達はこの女の話を聞いたはずだが、それでも結局は、わからない。
安易に人をわかることはできない。
本人ですら、わかってなかったのだ。
他人にも観客にもわからない。
それは本人にもわかってないのかもしれない。
それもわからない。
何にもわからない。