にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

『イレイザーヘッド』を見た!

イレイザーヘッド』を見た!

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1976年、デヴィッド・リンチ監督の映画。

難解な映画だと勝手に思っていたけども、全然そうじゃないというか、「倫理的に完全にアウトなことだけども、その気持ちはわかってしまうし、そのわかってしまうこともまた嫌だな……」ってことについての話だった。
生理的に気持ち悪い、けどどこか気持ちも良い映像と、延々とごおごおおおおおおと鳴り続けるノイズ。
気持ち悪くて最悪なのに気持ちよくて最高な映画だった。

見ている最中、なんとなくsyrup16gの『明日を落としても』な気持ちになる映画だなって思った。
というか主人公が「いや、もう俺死んじゃった方がよくない?死んで、その頭が鉛筆の上についてる消しゴムになる方がまだこの世界のためになるくない?」ってどんどんネガティブ入っちゃっていく。
そもそもそうやってネガティブ入るのもかなり身勝手な話…というか、突然子供ができて「いや俺、認知したくないよ」ってよく聞く話のやつ。
しかし子供ができたことで(しかもその子供が……と、いや倫理的にその話題がまずきちい~ってな話)もう俺の人生はい、おーわり!って本当勝手なんだけども、そうやって人生の先行きが一瞬にして見えなくなることをここまでの表現で見せられると、超面白いんやから。ほんまに。

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ロマン・ポランスキーの『反撥』を思い出したりした。ほぼ自室だけで進んだり、現実と妄想の境目がわかんなくなったり、あとはきっしょい料理が出てくるところとか。そしてなにより性にまつわる恐怖を描いた映画ってところが。

しかし『反撥』は安全なはずの自室が崩壊していく…というのが異性からの性的な侵入への恐怖のメタファーなホラーだったのに対して、『イレイザーヘッド』は性によって降ってきた現実に振り回されるホラーって感じ。(なんでもいいけども、メタファーって言うのってなんかはずかしい)
その上、異性を「救済」の対象って描いてるのが根本的に異なる部分なのかもって思った。
イレイザーヘッド』のそれはあまりにも勝手な願望で、勝手に幻滅して、あんなことになってしまうのですが。
だから『イレイザーヘッド』の恐怖ってあまりにも男性的な身勝手な恐怖をとことん描いてて、でもそれをこんな風に語られたらうわっ凄いってなってしまった。

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特にめちゃくちゃ感動したのがラジエーターガールが登場するシーン。
ラジエーターの奥が光り始めて、電球が一つ一つ点灯して、そしてステージに奇妙な女が…ってめちゃくちゃかっこよすぎて「うわー!」って嬉しくなった。すっごいかっこいい展開とかシーンとか、もっと言えば一つ何かを超越してしまった瞬間、みたいなものに触れてしまうと物凄く感動する。
この映画見てよかったーってなる。
そんでなりました。


『反撥』は1965年で『イレイザーヘッド』は1977年の映画。なんで年数を書いたかといえば、正直『反撥』面白いけどもホラー表現が出てくるときに音がバァーーーンって鳴る演出が今見るとダサいなって思ったりして、たまに当時の観客の気持ちってのを仮想想像しながら見たりしたのですが、『イレイザーヘッド』そんな必要が無いほどまじで死ぬほどかっこいい映画だった。惚れ惚れしちゃうくらいかっこいい映像と音の使い方。未だにカルト映画最前線走れるやんけってくらい超かっこいい。毎晩見れるくらい、かっこいい。でも毎晩は見たくない。
特にあの赤ん坊の病気に気がつくシーンで「うわ、最悪や」ってなったので毎晩は見たくない。
でもあのシーンもショッキングな恐怖表現と、ようやく現実に気がつくってのを同時にやっってて肝が冷えたよ。
良く出来てるよ。そして最悪だよ。


イレイザーヘッド』って間違ってる感情や倫理の話だけども、でもちゃん作り手はこの感情は間違ってるとわかってると思う。
でも現実じゃこんな感情抱えきれんから、映画にして表現するしかねえ、映画なら間違ってるこの感情も気持ちもなんとか表現できる、だから表現するんやって感じの映画で本当超良かった。
間違った感情も表現物にすることで、昇華されることもあるんだなあって歴史的なカルト作品を見ながら思ったのでした。
めちゃくちゃ大好き。

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