にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

『フロム・ヘル』を15年かかって読みました。

 アラン・ムーア原作、エディ・キャンベル作画の『フロム・ヘル』を読み終えた。
 この本買ったのが、浪人生の頃で、もう15年近く前のことになる。
 その頃『ウォッチメン』にハマっていて、その流れで刊行された『フロム・ヘル』も買ったのだけども、全然読むことができなかった。
 それは浪人生で勉強が大変だったからというわけではなく、ものすごく読むにはハードルが高い本だった。
 早々に挫折し、いつか読みたいと思う一冊になっていた。
 その本をやっと読み終えた。
 何度も、チャレンジしては挫折してしまっていたのだけども、15年かかって、先日、突然読み終えることができた。
 15年!
 大変な年月が過ぎてしまった。
 それくらい積んでいた本があなたにもありますでしょうか。
 15年かかるって、と思いますが、良いように言えば、読み切るくらいの経験値が15年かかってやっとついていたのかもしれない!
 とはいえ、読もうと思えば19歳の頃には読めていたとは思います。でも多分、やっぱ当時は読めなかったと思うんだよなー。



 で、遅すぎた読書で『フロム・ヘル』を読んだ感想だけども、凄い本だった。
 こんな凄い本あるんだってくらい凄い本だった。
 で、同時にこの本のこと1割くらいしか理解していないのだと思う。
 切り裂きジャック事件というよく知られている事件を扱いながらも、なんというか、それだけで済まないというか、もっと恐ろしいものを読んだ気がする。
 気がするとしかいえない。
 何を読まされたのだろうとも思う。
 ひたすらに続く魔術的なことを語っている第4章なんて「もう勘弁してください」って気持ちになったし、殺人行為をひたすら描写する第10章は「うわあ……」と引きまくりだったし。
 けども、終わってみると世界、そう世界をまるまる詰め込んだ本を読んだという感覚になっている。
 世界を読んだ…としかいいようがない。
 勿論、世界を本にすることは限りなく難しいことだと思う。
 でも、世界というものを本にしたとしたら、それは『フロム・ヘル』の形をしているんじゃないかと思う。


 あまりネタバレになることは書けないけども、終盤のあるシーン、ある怒りを表すシーン、このためにこの本はあったんじゃないかと思う。
 切り裂きジャック事件という手垢が付きすぎた題材。同時にその手垢で蹂躙されてきた人もいる。
 その人達を救済するシーンなんじゃないかと思う。
 それができるのは物語で、それを描くにはこれほどまでの大きな物語が必要だったのだと思う。


 というわけでやっとこさ『フロム・ヘル』を読みました。
 『ウォッチメン』しか読んだことない弟には「より読みづらくなったけども同時に凄くなった『ウォッチメン』」と言って紹介しました。
 いや、凄い一冊だと思う。
 アラン・ムーア凄かったからこのあと『ネオノミコン』も読んだのですが、そちらもまた凄い一冊でした。
 また元気あったら感想書くね。
 それじゃあ、ほなほなね。

もう1月が終わりそう、そのスピードで死にそう。

 2024年が始まって一ヶ月が経とうとしているけども、まじかよって感じで、そのスピード感に早速ついて行けない感じなんだけども、そもそもこのスピード感は外的なものなのか、内面的なものなのか、それすら計りかねている。

 というのも年を取ると、時間を早く感じるって言うし、実際の実感としてそれはあるし、その要因は心拍に由来するとかも片耳で聞いて片耳で受け流したりした。

 だから「1月早いなあ」って言っても「え、そんなことなかったですよ」とそこらへんを歩いているティーンエイジャーに言われたら、私は「そうですよね。ははは。何を言ってたんでしょう私は。ふへへ」と最後はビートたけしがたまにやる恥ずかしそうな笑いを私もやってしまうのだろう。

 しかし、私の体感としては一月早かったなとなってしまう。いくらティーンエイジャーがそんなことなかったと言っても、30代一般男性の私は感覚として時間がどんどん加速している。

 だから一月が物凄い勢いで過ぎてしまったことにちょっと絶望している。

 こんなことじゃ、2024年もやべえ勢いで終わっちまうぞ。

 そんな予感が既に漂っている。

 

 

 

 2024年がやべえ勢いで終わってしまうというのならば、ある程度の抵抗はしておきたいと思う。

 例えば「一秒、一秒を無駄にせず生きよう」と心がけることとか。

「一秒も無駄にせず生きる」ってのは最近『一流シェフのファミリーレストラン』シーズン2を見ていて出てきたことであって、最初は「やだ怖いこと言うわ」と思っていたのだが、そこに付随する文脈で「いいこと言うじゃん」に変わった言葉でもある。

 そうやって、私は言葉に対する価値観を簡単に変えてしまう。

 それがいいことなのか、恥ずべきことなのかわからない。

 だまされそうだとは思う。

 だから緊張感を持っているつもりだけども、その緊張感は他人からすると薄いかもしれない。

 話がずれていく。どんどん時間を無駄にしている。

「一秒、一秒を無駄にせず生きる」なんてことをするのは不可能かもしれないけども、そうやって生きていくのを心がけたいとは思う。

 だって、どうやらあっという間に時間は過ぎ去っていくみたいで、それを止めることはどうしたってできないみたいだし。

 過ぎ去っていくならば、その時間の中でどう生きていくべきか。

 どうやって生きていけばいいんでしょう。

 ねえ。

 私にはさっぱりです。

 

 

 

 ZAZEN BOYSが12年ぶりにアルバム『らんど』を出した。

 何周か聞いたけども、めちゃくちゃかっこいいなと思う。

 けども12年ぶりなんだと思う。

 前作『すとーりーず』からそんなに時間経ったってちょっと思えない。

 前作が2012年。

 2012年、私はまだ大学生で、その頃のことは、手に届く範囲の過去だと思っているけども、もう本当は全然手が届かない場所にいってしまった過去だということ、結構な頻度で忘れてしまっている。

 大学の頃からめっちゃ離れてることにたまに凄く驚いてしまう。

 けども高校生の頃から離れているのは全然納得する。

 中学も高校も遠く離れた過去だけども、大学と社会人なりたての頃が遠い過去なのは、全然納得ができない。

 時間がぎゅんぎゅんに進んでいく。

 離れた場所で生きている。

 私は今、就労移行に通い始めていて事務のおじさん、事務おじさんになろうともがいている。

 そんな未来がやってくるなんて全然思ってなかった。

 今の自分からすれば事務おじさんになるのも大変で、事務おじさんになろうともがいているのがおかしいとも思う。

 けども、そうなってしまった。

 そうなってしまったからにはそうやって生きていくしかないし、その日々をやっていくしかない。

 それはそれとして、その日々のスピードが早いことには驚いている。

 スピードを下げることはどうやら叶わないみたいだから、解決方法は日々の中でやりたいことをやるになるんだろうけども、それがどうしたらいいかわかってない。

 やりたいことってなに?ってなったら自分はやっぱりどこかで小説の新作が書きたいって思ってる。

 だから一日の中でどこかで書く時間を取らなきゃって思うけども、こんな生活なのに、それを取るのがなんか難しい。

 事務おじさんになったらより難しくなるだろうから、そうなったらいよいよ書き続けることはできるのかな。

 そんな不安もぐるぐると渦巻いている。

 

 

 

 けども、そんな未来に不安を感じていても仕方なくて、今の自分はとりあえず、事務おじさんになるべくもがくことと、書くことの両立で、その合間にちゃんとインプットもしなきゃね、とか考えると「うわーきゃー」とパニックになる。

 過ぎゆく時間、インプットとアウトプット、書き続けるには読書をちゃんとしましょう。沢山考えているうちに、身動きが取れなくなって、一月はもう終わりそうです。

 私はとりあえず書きたいな、新作を、できれば新作を書きたいなと願いながら、今日も何も書けていない。

 

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文学フリマ京都8が無事に終わったのだった!!

文学フリマ京都8が終わりました。個人的には無事に終わった。大変だったけども、なんとか終わったよ。といっても私は出店しているだけで、イベントとして成立させているスタッフさんたちの努力は計り知れない…。本当に感謝です…。
というわけで文学フリマ京都8は終わり、私の出店も無事終わったのでした。
楽しかった!!!


文学フリマに参加するのは三回目で、文学フリマ京都は初めての参加。
とりあえず、伝えたいのは、本当来てくださった皆様本当にありがとうございましたということです。
友達が来てくれて嬉しかったり、文学フリマで知り合った人が来てくださったり、かつて文学フリマで本を買って面白かったなーと思っていた人が来てくださって「うわわー!」となったり、いつも来てくださる人も来てくれて「本当ありがとうございます…」という気持ちになったり。
他にも新規の方が買ってくださって嬉しかったり、声掛けで買ってくれて嬉しかったり、色々と嬉しい気持ちになる日でした。




後輩が差し入れでくれたアンパンマンチョコ。めっちゃ嬉しい。


というわけで、今回は全体で29冊売れました。
本当上々だし、よく売ったと思うのですが、同時にもっと売りたかったという思いもあります。
とはいえ、これ以上売るのはどうしたらよかったのかとも思ったり。
とりあえず、ブースの見栄えをもっと工夫したり、見本誌をちゃんと置いたりとそういうことはしなきゃなと思う。
そういうところの改善はまだやりやすいから。
というのもやっぱり大半の人は「しゃべる猫が出てくる小説を売ってます」と言っても反応はないわけです。
反応される量を増やしたいけども、そのためにはどうしたらいいかはよくわかっていません。
とはいえ「しゃべる猫が出てくる小説」だから、気になって来てくれる人もいるのも事実。
その中で、声掛け、ブース作りを考えていかなきゃなとは思います。


でも何よりは両目洞窟人間って名前をもっと売らなきゃなと思う。
それが一番むずかしいかもしれないけども、面白い作品を書いて、ちゃんと世に発表していきたいなとは思います。
それをしていくにはインプットが不足しているとも思うので、今年の目標はちゃんと読んで、ちゃんと書くってことをしていきたいです。
今、早速、乗代雄介の『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』を読んでるけども、文章が躍動しまくっててやばい。面白すぎる。
乗代雄介と自分を比べるんじゃないよと思うけども、乗代雄介凄すぎて、ちゃんと落ち込んでしまう。
でも読んで書いていかなきゃなと思う。頑張るよ。


今回はブースからあまり離れることができなかったので、事前に目星をつけていた本を高速で買いました。
本当はいろんなブースをゆっくり見て回りたいけども、なんせブースに立ってるのほぼ自分だけなので、なかなか離席し辛い。
今回、弟が来てくれたので10分ほど離れたけども、その間に一冊売れたと知ってやっぱり悔しい気持ちになったもの。
本は自分の手で売って、感動をめちゃ味わいたいのだ……。
まあ、ほしい本が買えて良かったです。
早速読んだエリーツ8のスランプ特集が凄まじくてひええ~となってしまった。
あと感傷マゾさんのブースで「前のインターネットノスタルジー、最高でした」と伝えれたのも嬉しかった。
面白かった本を面白かったです!とその本人に伝えられるのも文学フリマのいいところですね。



ほぼ一日立ちっぱなしだったのでへろへろになってしまい、みやこめっせから出たあと、ゴッドタンマジ歌のロバート秋山の「抜きゃいいじゃん」を何故かまた聞いてしまって、いい曲だな~って思いながら、その後、スーパーカーのHIVISIONってアルバムを聞きながら「YUMEGIWA LAST BOY」最高やんかと今更なりながら、ドトールへ行き、ささやかな打ち上げをしました。
とりあえずやりきった自分、よくやった。


www.youtube.com



文学フリマ、次は秋頃の大阪のに参加できればと思っています。
その時は新刊『両目猫舌通信Vol.7』が作れたらと思います。
そのためにはまた新作を作りたい。
新作作るには、色々とインプットしたい。
インプットするためには日々を頑張っていきたい。
とりあえず頑張りたい!もっとやっていきたい!って気持ちでいっぱいです。


改めてですがブースに立ち寄ってくださった皆様、買ってくださった皆様、本当にありがとうございました。
本当嬉しかったです。
また面白いと思ってもらえるものを作れたらと思います。
頑張るぞー。

文学フリマ京都8に出店します。

どうもこんにちは、両目洞窟人間です。

文学フリマ京都8に出店します!
文学フリマ京都とは2024年1月14日に京都市勧業館みやこめっせ 1F 第二展示場で開催される文学作品展示即売会です。
時間は11:00〜16:00まで。
入場は無料となっております。


それにしても文学フリマとはなんでしょう。ということなのですが、公式サイトに記述があります。
それがこれ。

文学フリマとは、文学作品の展示即売会です。
出店者が「自分が〈文学〉と信じるもの」を自らの手で販売します。
作品の内容は、小説・物語・詩・俳句・短歌・ノンフィクション・エッセイほか、評論・研究書など多岐にわたり、対象年齢やジャンルも実にさまざまです。


自分が文学と信じるもの…と言われると、ちょっとハードルが高い気もしますが、私はここのところずっと短編小説を書いてきたので、今回もそれをまとめたZINEを販売しようと思います。

というわけで今回の新作短編小説ZINE『両目猫舌通信Vol.6』の表紙がこちら。


どことなくフランク・オーシャンのblondみたいですね。


そうか?
というわけで今回はこの『両目猫舌通信Vol.6』を持っていきます。
収録作品は『ねこマジシャンのイリュージョンショー』、『笑いながら、へんな歌って言った』、『I saw a savior』、『夜のメロディ』の四作品です。
そんな四作品に書き下ろし前書き、後書きをつけて、全44ページ。300円で販売します。
音楽が通底に流れているような一冊になりました。
もし良ければぜひぜひです。

私はどこに出店しているのか?

そんな疑問を勿論お持ちですよね。
というわけで出店場所はこちら。

い-39

地図での場所はだいたいこちら。


このあたりのい-39におりますので、もしよければここに来ていただけたら…と思います。


これまでの『両目猫舌通信』もVol.1~Vol.2、Vol.4~Vol.5も持っていきます。(Vol.3は完売してしまいました…)

京都の文学フリマは初めてでどうなるのだろうと緊張しているし、最近は左の肋骨の下らへんがなんか痛むし、色々と大丈夫だろうかと思っているけども、もし来てくれるならそれ以上に嬉しいことはないです。

頑張るよー。

今回の応援ソング。

www.youtube.com
ゆらぴこさんの『とぅいんくるクロニクル』。佐々木喫茶さん、作詞作曲。めっちゃいい曲でずっと聞いてます。

短編小説『ねこのまち子さん、フレンチクルーラーを食べる!!』

「今日はよろしく頼むにゃ」
 自由猫猫党(じゆうにゃんにゃんとう)の元党首は我々取材陣と握手をしながらそう言った。
 元党首の笑顔と肉球の柔らかさが印象的であった。
 元党首が一人がけのソファーに座る。
 スタッフが照明を元党首に向けると、元党首は「眩しいもんだにゃ。いくらやってもこういうテレビの取材には驚いてしまうにゃ」と静かに言った。
 私の手には元党首に聞きたいメモが握られていた。
 自由猫猫党という政党の軌跡。
 それは猫と人間の関係の軌跡であったとも言える。
 かつてその第一線にいた自由猫猫党の元党首に聞きたいことは沢山ある。
 しかし、どれから聞けばいいのか。
 私は緊張していた。
 その私を見て、元党首が口を開いた。
「緊張しているのかにゃ?」
「ええ、ふがいないですが」
「こんな場、緊張するにゃっていう方が無理な話だにゃ」
 元党首はにゃっにゃっにゃっと笑った。
「緊張しているなら、甘い物でも食べたらどうにゃ?」
「甘い物ですか」
「私はいつも食べているんだよ。緊張しているときはにゃ
「つかぬことをお聞きしますが、元党首は緊張しているとき、どんな甘いもの食べているのですか」
ミスタードーナツフレンチクルーラーだにゃ」
ミスタードーナツフレンチクルーラー?」
「そう。あれはいいものだにゃ」
 自由猫猫党の元党首は舌なめずりをした。
 それは一匹の政治家としてではなく一匹の猫として顔であった。


○○○


 ねこのまち子さんは立って歩くことができ、喋ることもできたので、当然のようにミスタードーナツに行くのでした。
 ミスタードーナツに行って、大好きなフレンチクルーラーを食べようとしましたが、陳列棚が高すぎて、ねこのまち子さん一匹では手が全然届きません。
 なので店員さんに頼むのです。
「あの、店員さん」
「あ、ねこちゃんだ」
「あの、フレンチクルーラーが食べたいのにゃ」
「ふふふ。フレンチクルーラーが好きなんだー。ポン・デ・リングじゃなくていいー?」
フレンチクルーラーでいいのにゃ」
「はーい。あ、一つでいい?」
「いいのにゃ。あと」
「あと?」
「コーヒーを冷まし気味のホットでほしいにゃ」
 まち子さんはフレンチクルーラーとホットコーヒー(冷まし気味)を頼んで、レジに向かいます。ポシェットからがま口財布を取り出しました。
 店員さんからお会計を聞くとまち子さんはがま口財布を、ぱかっと開けて、小銭を取り出し、釣り銭受け皿にダンクシュートするようにたたきつけました。
「身長が低くて、乱暴な受け渡しになっちゃうこと、申し訳なく思うにゃ」
「いいよ。いいよー。なんでも人間サイズなのがよくないんだから」
 まち子さんはテーブルに向かいました。それから、ぼろぼろの赤いソファーに座って、しばらく待っていると、さっきの店員さんがトレイに乗せたフレンチクルーラーとホットコーヒー(冷まし気味)を持ってきてくれました。
「ありがとうなのにゃ」
 まち子さんはそうお礼をして、コーヒーに砂糖とミルクを入れて、かき混ぜて、マグカップを持ち、一度ふーふーと息を吹きかけたのちに、まだ熱いと判断し、トレイに戻しました。
 まち子さんは猫であるが故に猫舌でした。
 無理はしないのもまたまち子さんだったのです。
 まち子さんはフレンチクルーラーをもきゅもきゅと食べます。
 美味しくて「ふにゃにゃにゃにゃ」と笑いがこぼれます。
 まち子さんは思います。こんな美味しいものを食べられるのは幸せだと。
 これでミスタードーナツが、立って喋るねこに優しい店内設計だったらにゃ。
 まち子さんは思うのでした。


○○○


 自由猫猫党(じゆうにゃんにゃんとう)の党首は街頭でチェーン店におけるねこの利便性の悪さについて声をあげていました。
松屋の券売機は高すぎて、私たち猫は触れもしないのですにゃ!」と自由猫猫党の党首はマイクに向かって叫びます。
 社会に増えてきた、立って喋るねこ。
 彼らの社会参画が進む以上、あらゆる分野での環境改革が必要でした。
 しかし、彼らは少数であったため、まだ大きく問題が取りざたされるのは難しくもありました。
「社会には参加しろと言う。でもお昼ご飯も私たちは満足に食べることができないんですにゃ!これはどういうことにゃ!」
 自由猫猫党の党首が更に声をあげます。
「そうにゃ!そうにゃー!」
 野次馬のねこからも声があがります。(それにしても、野次馬のねこって、馬でねこだからややこしいですね)
「自由猫猫党!ねこのくせにー!」
 人間原理主義派を唱える日本刀を持った反自由猫猫党支持者の男が叫びながら登場。
「覚悟ー!」
 あやうし自由猫猫党!
 でも、大丈夫なのです。
 自由猫猫党の党首はねこ故に、身軽だったので、日本刀を持った男の手首にするりとあがり、するどい爪をぎゅんっと突き立てました。
「痛いっ」と日本刀を落とす男。
「確保ー!」一気にSP達が男を確保します。
「自由猫猫党は死なず。ねこだからにゃー!」自由猫猫党の党首は叫ぶのでした。


○○○


「といった暗殺未遂事件も当時はありましたね」私は自由猫猫党の元党首に語りかける。
 自由猫猫党の元党首は頬に手を置き、黙っている。
 元党首にとっては命を狙われた事件だ。
 嫌なことを思い出させているか。
 メモを握る手にも力が入る。
 すると自由猫猫党の元党首は「にゃっにゃっにゃっにゃっ」と笑い出した。
「元党首……?」私は思わず聞く。
「いやいや、あの当時は、本当風当たりが強かったものだと思い出していたのにゃ」
 メモによれば暗殺未遂事件だけでなく、脅迫も頻繁にあったそうだ。
 それでも自由猫猫党の元党首は笑っている。まるでいい思い出を懐かしむように。
 自由猫猫党の元党首は目を少し拭う。少し笑いすぎて泣いてしまったようだ。
「あの頃は、大変だったにゃ」
「今でこそ、ねこの権利はあの頃よりも拡大していっています」
「まだ発展途上であるけどもにゃ」
「はい。けども、あの頃は今よりも大変だったのは間違いないことですよね」
「そうにゃ。あの頃はねこの権利拡大も当然主張していたし、もう一つ大事な政策があったにゃ。それがまた大変だったのにゃ」
「あの政策のことですね」
「はいにゃ。あれも、大変だったにゃ」
 そういうと、また自由猫猫党の元党首は「にゃっにゃっにゃっにゃっ」と笑い始めた。


○○○


 まち子さんはミスタードーナツフレンチクルーラーをもきゅもきゅと食べています。
 ポシェットから文庫本を取り出します。
 チャック・パラニュークの『ファイトクラブ』でした。
「にゃんにゃんにゃん……」と読み進めていきます。
 まち子さんはデヴィット・フィンチャーが監督した『ファイトクラブ』の映画が大好きだったのです。
 なんといっても、あのラストシーン。
 美しいにゃ……と思い、あのラストシーンが原作ではどう表現されているか気になって、原作を買ったのでした。
「あ、ねこちゃん。本を読んでるんだー」店員さんがまち子さんの近くのテーブルを拭きながら話しかけてきます。
「はいにゃ」
「うわ。ファイトクラブじゃん。懐かしい~」
「知ってるのにゃ?」
「知ってる知ってる。映画も見たし、原作もちゃんと読んだよー」
「へ~」
「ラストが違うんだよね~。映画と原作」
「え、ええ!」
「あれ、知らなかった?」
「知らなかったにゃ!私の楽しみを!」まち子さんは怒りで我を忘れてしまい、野生化してしまい、店員さんの手首に向かってジャンプをし、爪を立てようとしました。
「覚悟っ」
 でも、するりと避けられてしまいました。
 今、何が。
 そうです。店員さんは合気道使いだったのです。
 店員さんはスラム街育ちでした。
 スラムでは自分の身は自分で守らなければいけませんでした。
 自分の身を守るために、ストリートの合気道、通称「ストリート合気道」を身につけたのでした。
 店員さんはまち子さんの攻撃をするりと交わし、まち子さんの手を掴むと、くるんとひねり、空中でまち子さんを一回転させ、元の席に座らせました。
「はっ。今、私は何を」野生化から我に返ったまち子さんが言います。
「ネタバレくらいで怒るようじゃ、まだまだ獣だよ」店員さんがそういい、全てを思い出したまち子さんは「ごめんなさいにゃ」と謝りました。


○○○


 しかし過去には映画のネタバレが元で事件が起きたりしているのです。特に人間の社会では。
「なんで刺し殺したのにゃ!」ねこ警官が若い女子大生を取り調べています。
 その女子大生はなんと彼氏を刺し殺したのでした。
「ディズニープラスでファイトクラブを見ようって言ってきたのはあいつだったんです。なのに、なのに、見てる最中に突然ネタバレしてきたんです」
「もしかして、後半のあの展開を……」ねこ警官が聞きます。
 女子大生は頷きました。
「それはあかんにゃ……」ねこ警官が苦い顔をします。
「ネタバレさえなければ、幸せなカップルでいられたんです。なのに、あいつが言うから、私もかっとなって包丁で……うわーん」わっと泣き出す女子大生。
 ねこ警官は女子大生の背中にさすります。
「ちゃんとネタバレされたと証言するんだにゃ。証言次第では情状酌量の余地もあるのにゃ……」
 ねこ警官の目も少し潤んでいるように見えました。


○○○


「なんでネタバレで人や猫の楽しみが奪われなきゃいけないんですにゃ!我々自由猫猫党はネタバレに立ち向かっていきますにゃ!」自由猫猫党の党首も声をあげます。
 横行するネタバレによる犯罪。
 与党がその対策に本腰を入れて乗り出さない中、それを食い止めるべく自由猫猫党が掲げた政策の一つがネタバレ対策でした。
 自由猫猫党は「STOP!ネタバレ~ネタバレはあらゆるものを破壊します~」とポスターを作ってネタバレによる犯罪を食い止めようとしていますが、先ほどの店員さんのようなネタバレをしてしまう人もまだまだ後を絶ちません。
 一方で「ストリートじゃネタバレは通用しねえ。ネタバレを超えてくる作品だけが本物」という意見が強いのも事実でした。
 なのでストリート出身の店員さんはネタバレをしてしまうのです。
 生まれ育ちは違うゆえに、このような行き違いはどうしても起きてしまうのです。
 ストリートの王とも評される、圧倒的なカリスマミュージシャンである山崎まさよしも自身の楽曲「セロリ」でこう歌っています。


 育ってきた環境が違うから
 好き嫌いはイナメナイ
 夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね


 これは育ってきた環境による「ネタバレ」に対する感覚の違いを上手く言語化した一例であると、今では皆さんご存じのことかと思われます。
 ストリート育ちの山崎まさよしの混乱がよく伝わってきますね。
 サビではストリートの王である山崎まさよしはこうも歌うわけです。


 Ooh 頑張ってみるよやれるだけ
 頑張ってみてよ少しだけ
 なんだかんだ言ってもつまりは単純に
 君のこと好きなのさ

○○○


「ネタバレ防止法が可決された時はどう思いましたか」
「まあ、私も、やれるだけ頑張ったんだにゃ、そう思ったにゃ」
「改めて聞きます。そこまでしてネタバレを止めたかった理由はなんですか」
「うーん。なんだかんだ言っても単純に作品のことが好きだったからですにゃ」
「その単純な思いだけで政治をすることはできるのでしょうか」
 私の問いに元党首はひげをさすりました。
 それから、しばらく黙った後に、口を開きました。
「私がやりたかったのはネタバレの禁止だけじゃないんだにゃ」
「というと」
「その先に本当にやりたかったことがあるのにゃ」


○○○


 店員さんに『ファイトクラブ』の原作と映画の違いネタバレを喰らってちょっと落ち込んでいるまち子さん。
 ストリート出身の店員さんもさすがにちょっと自責の念にかられています。
 ふとあることに気がついた店員さんは「あ、ちょっと待ってて」とバックヤードに行き、しばらくして出てくると手に文庫本が握られていました。
「はい。ねこちゃん。これあげる」
「なんですかこれは」
チャック・パラニュークのサバイバー。ファイトクラブの作者の別の小説」
「えっ」
「これは映画化されてないから、ネタバレを喰らう可能性は低いよ」
「くれるんですか?」
「突然のことだし、凄く物語的に都合がいいように聞こえるけども、都合良く私がちょうどこの本持ってて、都合良くちょうど読み終わったところだったんだよね。だから貰ってくれると都合がいいんだよねー」
「なんて都合のいい展開でしょう!ありがとうございます!」まち子さんは喜び、本を受け取ります。
 まち子さんと店員さんは見つめ合い笑い始めます。
 その笑い声はどこか「メタメタメタメタメタ」と言っているようにも聞こえました。
 まち子さんが店員さんからのプレゼントに喜び、すっかりホットコーヒーが冷めたその頃、自由猫猫党の街宣車ミスタードーナツの近くを通っていきます。
「あ、自由猫猫党だにゃ」
「自由猫猫党だね」
 まち子さんと店員さんは窓ガラスの向こうの景色を見ます。
 そこにはビル街が広がっていました。
 自然とまち子さんと店員さんは手を繋いで、その景色を見ていました。


○○○


「私がやりたかったこと。それは、ねこと人間が友情を育める、そんな社会だったのですにゃ。そのための障壁を減らしたかったのです。ねこに合わせた社会の変化やネタバレ禁止法も全てはねこのためだけではなく、その向こうの、ねこと人間の友情のためにやってきたことだったのですにゃ」
 私は確信した。
 今日のインタビューはこの言葉を引き出すことにあったのだと。
 ねこの社会参画を進む中で、その道を進みやすいように政治の世界から整備していったのは自由猫猫党だった。
 その道のりは決して平坦なものではなかった。
 多くの障壁がそこにはあった。
 その都度、ねこ達、そして自由猫猫党はその障壁と立ち向かうこととなった。
 人間との対立も幾度とのなくあっただろう。
 しかしこのねこ、元党首はずっと信じていたのだ。
 ねこと人間の友情を。
 だが、私達はまだ完璧な状態とは言い難い。
 しかし、それを追い求めたねこや人々は多くいたこと。
 彼ら、彼女らの勇気、そして活動の先が、今、私達が生きているこの世界であることを、忘れてはならない。
 自由猫猫党の元党首はこう語る。
「私がやりたかったのは人間をおとしめることではなく、ねこがねこらしく生きることができる世界の構築だったにゃ。それはまだ道半ばかもしれない。私が生きている間には達成されないかもしれにゃい。けどもそれに対して私は絶望はしていません。いつかねこがねこらしく生きることができ、人間と友情を育むことができる社会が成立するという希望が私にはあるのにゃ。私にはそれで充分なのにゃ」
 
 

映像の世紀 バタフライエフェクト
ねこと人間の友情~世界を変えた自由猫猫党~
       
              終
            制作・著作
            ━━━━━
             ⓃⒽⓀ