2024年が始まって一ヶ月が経とうとしているけども、まじかよって感じで、そのスピード感に早速ついて行けない感じなんだけども、そもそもこのスピード感は外的なものなのか、内面的なものなのか、それすら計りかねている。
というのも年を取ると、時間を早く感じるって言うし、実際の実感としてそれはあるし、その要因は心拍に由来するとかも片耳で聞いて片耳で受け流したりした。
だから「1月早いなあ」って言っても「え、そんなことなかったですよ」とそこらへんを歩いているティーンエイジャーに言われたら、私は「そうですよね。ははは。何を言ってたんでしょう私は。ふへへ」と最後はビートたけしがたまにやる恥ずかしそうな笑いを私もやってしまうのだろう。
しかし、私の体感としては一月早かったなとなってしまう。いくらティーンエイジャーがそんなことなかったと言っても、30代一般男性の私は感覚として時間がどんどん加速している。
だから一月が物凄い勢いで過ぎてしまったことにちょっと絶望している。
こんなことじゃ、2024年もやべえ勢いで終わっちまうぞ。
そんな予感が既に漂っている。
2024年がやべえ勢いで終わってしまうというのならば、ある程度の抵抗はしておきたいと思う。
例えば「一秒、一秒を無駄にせず生きよう」と心がけることとか。
「一秒も無駄にせず生きる」ってのは最近『一流シェフのファミリーレストラン』シーズン2を見ていて出てきたことであって、最初は「やだ怖いこと言うわ」と思っていたのだが、そこに付随する文脈で「いいこと言うじゃん」に変わった言葉でもある。
そうやって、私は言葉に対する価値観を簡単に変えてしまう。
それがいいことなのか、恥ずべきことなのかわからない。
だまされそうだとは思う。
だから緊張感を持っているつもりだけども、その緊張感は他人からすると薄いかもしれない。
話がずれていく。どんどん時間を無駄にしている。
「一秒、一秒を無駄にせず生きる」なんてことをするのは不可能かもしれないけども、そうやって生きていくのを心がけたいとは思う。
だって、どうやらあっという間に時間は過ぎ去っていくみたいで、それを止めることはどうしたってできないみたいだし。
過ぎ去っていくならば、その時間の中でどう生きていくべきか。
どうやって生きていけばいいんでしょう。
ねえ。
私にはさっぱりです。
ZAZEN BOYSが12年ぶりにアルバム『らんど』を出した。
何周か聞いたけども、めちゃくちゃかっこいいなと思う。
けども12年ぶりなんだと思う。
前作『すとーりーず』からそんなに時間経ったってちょっと思えない。
前作が2012年。
2012年、私はまだ大学生で、その頃のことは、手に届く範囲の過去だと思っているけども、もう本当は全然手が届かない場所にいってしまった過去だということ、結構な頻度で忘れてしまっている。
大学の頃からめっちゃ離れてることにたまに凄く驚いてしまう。
けども高校生の頃から離れているのは全然納得する。
中学も高校も遠く離れた過去だけども、大学と社会人なりたての頃が遠い過去なのは、全然納得ができない。
時間がぎゅんぎゅんに進んでいく。
離れた場所で生きている。
私は今、就労移行に通い始めていて事務のおじさん、事務おじさんになろうともがいている。
そんな未来がやってくるなんて全然思ってなかった。
今の自分からすれば事務おじさんになるのも大変で、事務おじさんになろうともがいているのがおかしいとも思う。
けども、そうなってしまった。
そうなってしまったからにはそうやって生きていくしかないし、その日々をやっていくしかない。
それはそれとして、その日々のスピードが早いことには驚いている。
スピードを下げることはどうやら叶わないみたいだから、解決方法は日々の中でやりたいことをやるになるんだろうけども、それがどうしたらいいかわかってない。
やりたいことってなに?ってなったら自分はやっぱりどこかで小説の新作が書きたいって思ってる。
だから一日の中でどこかで書く時間を取らなきゃって思うけども、こんな生活なのに、それを取るのがなんか難しい。
事務おじさんになったらより難しくなるだろうから、そうなったらいよいよ書き続けることはできるのかな。
そんな不安もぐるぐると渦巻いている。
けども、そんな未来に不安を感じていても仕方なくて、今の自分はとりあえず、事務おじさんになるべくもがくことと、書くことの両立で、その合間にちゃんとインプットもしなきゃね、とか考えると「うわーきゃー」とパニックになる。
過ぎゆく時間、インプットとアウトプット、書き続けるには読書をちゃんとしましょう。沢山考えているうちに、身動きが取れなくなって、一月はもう終わりそうです。
私はとりあえず書きたいな、新作を、できれば新作を書きたいなと願いながら、今日も何も書けていない。