にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

『ストレンジャーシングス3』を見た!

ストレンジャーシングス3』を見た!やっと!!

 

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4が配信され、もう一ヶ月以上経つ中、やっと3を見終わりました。

早く見ておけばよかった…!なんてベタな感想を早速言っちゃう始末。

まあ、海外ドラマ見るの遅いのは今に始まったことじゃないのですが…。

それはそれとして、本当面白かったです!

なんて、楽しいドラマなんだ!と終始ワクワクしっぱなしでした。

ドラマ、と言ったけども、鑑賞後の後味は「いい映画を見たなあ…」という気持ちそのもの。

別に映画が上、ドラマが下、というわけではありません。

しかし、やっぱり鑑賞後の後味は「いい映画を見た」その時の気持ちに近かったのです。

ここのところ、気持ち的にも金銭的にも映画館に行けていない私は、そんな映画への欠乏感をやっと解消できたような、そんな気持ちにもなりました。

 

3までやってくると、いよいよスケールも大きい…!

とはいえ、終わってみるとクライマックスの舞台はショッピングモールだけなんですよね。

作り込んだショッピングモールのセットに対して、スケールが小さいなんて絶対言えないけども、でも見ている時の感覚はショッピングモールと言う限定的な空間で起きているとは思えないほどのスケール感。

 

その一端はクロスカッティングの巧みさはあると思う。

同じショッピングモールでも、A班、B班、C班に登場人物が別れ、そして秒単位でころころとそれぞれの状況の変化を見せていく。

この高揚感ったら!

あるゴールに向かって、それぞれの行動が相互に作用していく気持ちよさがクライマックスは続いていく。それも1時間近くも!

 

クライマックスが1時間続く、というのもよくよく考えれば凄いことで、この時間配分はドラマだからこそできることだよなあと思う。

丁寧な物語のセットアップ、いわゆる小さな点のような物事がどんどんつながっていく面白さ。バラバラだった登場人物たちが物理的、心理的にも共闘する面白さ。もうだめだ…!って瞬間を救う所謂ラストミニッツレスキューの「やったー!」という感覚。伏線が回収されていく面白さ。

面白いってなんだろう?と思いますが、ある種の面白いの正解がここにはあるのではないか、と思うような、そんな高揚感がクライマックスにはありました。

 

3まで行くとですが、やっぱり積み重ねた時間がもたらすキャラクターへの愛着もひとしお。

あいつがこうなってる!こいつがあんな活躍を!と一次が万事嬉しいことばかりだし、仲が良かった奴らが揉めるとやっぱり悲しい。

 

それでも3の最大の魅力的なキャラクターになったのはやっぱりスティーブなんじゃないかと思う。

1では嫌なジョックス止まりだったのが、2での思わぬ活躍に続き、3ではもう魅力魅力魅力!みんな大好きスティーブになってやんの!

同じバイト先の同僚(かつ同級生)のロビンとのコンビも気持ちいいし、何よりダスティンとの関係性も最高。

ティーブってキャラが育ってるのは、ドラマならではって思えるし、同時に高校だとジョックスで学校のキングだった男が、社会に出て何もかも失いつつも、高校では見つからなかった自分の魅力と新しい友達を見つけるまで物語にもなっている。

ある意味、硬直化した関係が多い中ではスティーブは描きやすくて、だからスティーブパートが今作は多かったのかなと思ったりもした。

 

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なんせ、少年少女たちは付き合い始めてるし、イチャイチャしてるしでホッパー署長じゃないけども見ていてこっちまでイライラしちゃったよ!

でも、そんなイライラしていた時期のホッパー署長のあるもので、まさかあんなにボロボロと泣かされるとは思わなかった。

 

田舎町を舞台にしたホラー物語で、人も沢山死ぬし、暴力も多く、血も流れ、最後は巨大な怪物も現れる。

そんな話だけども、最後は心と心の交流に落ち着くのに、改めて驚いたというか、ああストレンジャーシングスってこういう作品だったなあと思い出した。

根幹にあるのは優しさであり、小さな心の交流の積み重ねであることをスケールが大きくなっても忘れていない。

だから不器用な男が残した言葉に私はボロボロと泣いてしまったのだと思う。

世界を救おうとも、最後に残るのは人と人とのほんの些細な言葉なのだろう。

 

 

というわけでやっと3を見たという感想でした。

4、めっちゃ楽しみですが、ちょっとだけ寝かせておきたい気持ち。

なんせ、今は3の余韻をまだ楽しみたいのです。

あんなに楽しいネバーエンディングストーリーを初めて聴いた気がするなあとか思いながら、しばらくはこのドラマの余韻に浸りたいなあと思うのでした。

 

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お医者さんに相談だ

今から月に一度の精神科の診察なのだ!

とりあえず、なのだ!と強く言ってみる。

5年通っても精神科という言葉はなんとなくどぎつい気がして、なのだ!って語尾で誤魔化してしまう。

鬱だけならともかく、発達障害もあるもんだから、鬱はわからないけども、発達障害は一生付き合っていかなきゃいけない。

発達障害は結局社会の変容から生まれた"病気"って話もあるけども、そうだと思っていても、社会がこのままである限りは、私は「社会的」にはめんどくさい部分がある人間だという思いで生きていかなきゃいかんわけで、そしてそのことにはまだ正解めいたものは自分の中で確立できてない。

自分のままでいいのだ!!って思いたいし、そう言えるのが良いのはわかってても、社会と自分のズレみたいなものは存在してるわけだから、それを実感するたびに、心は折れちゃうわけです。

仕方ないと思って生きていくのが一番いいのでしょう。

全ては仕方ないことです。

仕方ないししょうがない。

それでいいのだと思います。

 

 

さて、診察を前にお医者さんに相談することを書こうと思う。

頭が混乱しがちなので、いざ目の前で何にも準備していないとしどろもどろになるだけだ。

なので書くことでお医者さんに相談することを準備をしようと思う。

今月は結構弱っていた気がします。毎月弱ってるんだけども、今月の弱りの原因としては、急激な気温の上昇は大きい。

そのほかにも、祖母の家でポツンと一人になってしまい、結構手持ち無沙汰な気持ちになったのも大きい。

夏の暑さには慣れていくしかないにしても、手持ち無沙汰感をなんとかしたい。

一方で手持ち無沙汰な気持ちになる日は調子がいい日になる。

調子がいいから、余計に今の自分の状況に焦ってしまって、気持ちがつらくなってしまうのでしょう。

調子がいい日が出てきたってのはやっぱり、回復期に差し掛かってるってことでもあるから、いいことでもある。

調子がいい日はそんな自分を痛めつけるように自分を見るんじゃなくて、映画でも見に行けばいいんでしょうね。

って書いていてやっと思えたというか、調子がいい日は自罰的な気持ちになりがちで、日中がとにかく苦しくなってしまう。

みんな働いているのに……なんて気持ちになってしまう。

なんていうか、もっと好き勝手にいきればいいのになあ。

 

 

調子が悪い日は依然として多くある。特に今月は睡眠がうまくいかない日が多くて、その結果翌日も苦しい気持ちになってるってのが多かったように思える。

ただ、睡眠薬が身体に合わないことが多いので、ここは睡眠薬を処方してもらうのではなく、睡眠導入剤くらいにしてもらうか、それか今のままのようにここは無視するか。

でも睡眠は結構人生の根幹の気もするし。ここがうまくいかないとしんどいってはもちろんあるので、睡眠導入剤の処方をお願いするのは悪くないと思う。

 

まとめると

・調子がいい日の過ごし方の相談(調子が悪い日は寝込むしかできない)

・睡眠の相談

をお医者さんにしたらいいのかなと思う。

 

 

もっと調子が良くなったら、就労移行施設もしくは作業所に通うのも検討していきたい。

本当は夏くらいをめどにと思っていたけども、うまくいかなかったなあ。

これからも頑張る…というか頑張らなくてもいいから、一日、一日の波が大きくない、精神や体の調子の平穏な日がやってきてほしい。

そんで、それが毎日のように続いてくれたら何もいうことはありません。

 

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フィジカル鍛えて、身体も物語も鍛えていきたいってわけ。

両目作業日記 2022/08/02

ここのところ、ある「テーマ」をもとに小説を書くお題があって、そのことについて考えているけども、うまい具合にそのお題に対する物語が思いつけないでいる。
私は大喜利が大好きなのだけども、お題に対して全然回答が出てこない芸人さんってこんな感じなのかなって思ってしまった。あちらはもっと大変だと思うけども。
答えが出ないのは生きるか死ぬかだと思うし…。

大喜利といえば、私はバッファロー吾郎がやっていた『ダイナマイト関西』が大好きだったのだけども、問題チェンジになるとケンドーコバヤシが毎回「モンチェンですね」と言っていたのが凄く好きでした。
ダイナマイト関西は結局もうやらないのだろうか。というかバッファロー吾郎での活動はもうあんまりないのだろうか。
ダイナマイト関西』で大喜利を、『バトルオワライヤル』でモノボケの面白さを知った私は少し寂しい気持ちになっています。



寝込みまくっていたら、また太ってしまった。
Tシャツ一枚でいるとプロレスラーみたいな体型だなと思ってしまった。
とはいえ、プロレスラーは筋肉であの体型を作っているわけだから、シンプルなデブな私がそんなことをいうのは申し訳ない。
でも、ここからガチで筋トレをしたら私はめっちゃマッチョになるんじゃないかって鏡にうつる自分を見ながら、そんなことを考える。
ジムに通い、器具で体を痛めつける。
スクワットも自重でやらずに、ダンベルを持っておらおらおら~とやる。
そんなことを思うと見事なマッチョになった私が想像上では生まれているんだけども、現実はなかやまきんに君の家でできる筋トレ動画、それも一番簡単なやつをやるのが関の山です。
というか、筋トレがそれほど好きじゃない。運動が好きじゃない。
運動をどこか嫌ってるのは、多くの人がそうであるように、体育にいい思い出がないからで、これからもうっすらと運動と筋トレを嫌いながら生きて行くのだろうと思う。



人と話していて、創作と創作理論とフィジカルの強さの話になった。
理論で固めていても、最終的にはフィジカル(それは実際のフィジカルでもあるし、創作的なフィジカルでもある)の強さになるんじゃないかという話。
村上春樹も長編を書くのはまじ辛い、フィジカルの強さまじ重要、だから俺はマラソンしていると言っていた。
私は5000字くらいの小説なら書けるんだけども、それ以上になると途端に破綻に向かってしまうのはフィジカルの弱さもあるのかもと思った。
5000字くらいだとちょうど走り抜けれるって感覚がある。
でもそれ以上になると、ばてばてになってしまうし、同時に物語も足腰が弱った感じになってるなあってものしか書き上がらない。
私は5000字くらいの作品を強くしていきたいって気持ちがある一方で、もしかしたらいつか3万字、もしくはそれ以上、くらい書かないと語れない話が書きたくなった時のためにも、フィジカルを強くしなきゃいけないんじゃないかと思う。
というか、いまもフィジカルを強くしていくのはやっぱり重要なんだろう。
5000字駆け抜けているとはいえ、それはいまできているだけで、出来なくなる可能性だってあるわけだし。
そう思うとやっぱり筋トレをしなきゃいけないよなあと思う。同時に物語を書く上でのフィジカルも強くしなきゃとも思う。
物語を書くフィジカルは、実際に書くのも大事だし、読むのも大事。
「俺は本を読むことで心を研いでいる」とゲーム・オブ・スローンズの登場人物も言っていた。
私はあのドラマをシーズン2の1話で止まっている。
見る体力もつけなければならない。


テーマに対して何にも思いついていないけども、また喋るねこは出てくるんだろうなって思っている。
その喋るねこの影で、怪獣がちらちらとこちらを見ている気がする。
テーマに対して、喋るねこと怪獣が出てくるような物語を書くフィジカルが私にはあるんだろうか。
考えてもわからないから今日もなかやまきんに君の動画で体を動かしたい。
「世界で一番楽ないい汗かいています。パワー」


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喋るねこちゃんを考えよう。

小説を一本書きました。

とはいえ、公開はまだ先になりそうです。

好きな感じの話が書けました。

また喋るねこちゃんが出てきます。

喋るねこちゃんの話しか書けない身体になってしまっているので、困っていますが、喋るねこちゃんの話ならどんどん書ける気がしています。

これからも喋るねこちゃんの小説を書いていきたい。しゃべるねこちゃん作品集を出せるくらいには書いていきたい。

 

 

その一方で祖母の四十九日が終わりました。実際のは少し先ですが、お寺さんが来られてのは先日終わってしまい、なんだか寂しい気持ちです。

一ヶ月と少し前はまだ生きていたんだなあと思うと、不思議な気持ちになるというか、この一ヶ月と少しは、とても長い期間のようでもありましたし、あっという間だったような気もしました。

でもやっぱり寂しいなと思います。

それほど気が滅入ることは減ってきたのかもしれませんが、ふと訪れる不在の感覚がちょっと強くなったような気がしました。

 

 

相変わらず祖母の家にいます。

祖父と祖母が遺した庭に水をやったり、家でご飯を作ったり、庭でできた野菜を食べたりしています。

ふと何にもない時間が訪れます。

昔なら誰かがいた時間ですが、誰もいないし何もない。

今日はそんな日でした。

なので小説の直しをやったり、晩ごはんを作ったり、庭に水をやったりしました。

何かをしていると、気は紛れます。

気を紛らわしたいな。

このことだけじゃなくとも、自分は長い間悲しい気持ちばっかり見つめていました。

ちょっと疲れちゃったなと思います。

 

 

多分、悲しい気持ちはあまりじっと見ちゃだめなんだと思います。

見ているだけで自分をさらに傷つけてしまったり、切り刻んだりしちゃうからです。

私はそれをしすぎたなと思います。

喋るねこちゃんの小説しか書けないって言ってるのも結局そういうことなんだと思います。

どんな風に生きていても悲しくなっちゃう期間があるとしたら、それでも悲しい感情を直視し続けるのは危険なことかもしれません。

決して忘れられなくても、見えないような生き方ができなくてもいい。

視界の端に見えているくらいにしか生きれなくてもいい。直視し続けることに比べたらと思います。

 

喋るねこちゃんのことを考えよう。

それは今、とても有効なことかもしれない。

私は喋るねこちゃんを考えたい。

喋るねこちゃんを考えることはもしかしたら今生きていられる、そんな足腰の部分になっているのかもしれないと少しだけ思ったりするのです。

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キャンディプロジェクト『星の王子とうたかたの日々』を見た!

キャンディプロジェクト『星の王子とうたかたの日々』を見た!
私が見たのは配信で、薔薇組の方を見ました。


タイトルのように『星の王子さま』と『うたかたの日々』をマッシュアップした作品。
とはいえ、私は両作品とも未読です。両作品とも買ってるのに読んでない……。まじで読んでおけばよかった…。
さて、まず書いておかなきゃいけないのは、友達が出てる舞台ってことなので、もうその目線はめっちゃあるんですけども、それはそれとして、見て凄く良かったです。
多分『うたかたの日々』の成分だと思うのですが、中盤からの怒涛の不幸の連続に「ひぃ~~~」と恐れおののきながら見ました。
あれほど幸せだった人々が不幸におちていくなんて……そりゃ幸せだった頃を見ていたときは「なんだよ~おい~」って見ていましたけども、とはいえ不幸になっていく様を見ているのは結構辛いものがありました。
主人公コランの妻クロエは肺にバラの花が咲くという奇病にかかってしまい、その病気を止めるため高価な花を買い足していく。
裕福だった主人公は徐々にお金を失い、人に嫌われる仕事をし、その果てにクロエは死んでしまうという血も涙もないようなストーリー。
しかもその過程で、友人たちも不幸になっていくというもう不幸の何掛けだよ!と思ったり。

でも、それを見ているのが星の王子さまというのがいいなあとおもった。
星の王子さまは恋愛というものを知りたくて、地球にやってきて、そしてコランとクロエの恋愛をみる。
幸せの絶頂から、不幸のどん底まで、恋愛のすべてを見る。
その中で星の王子さまは思うのだ。恋愛とは?幸せとは?不幸とは?死ぬとは?不幸のどん底で生きるとは?
同時に私も考える。
人はいつか死んでしまう。それを不幸と言ってしまうならばだけども、いつか不幸になってしまうのに、どうして幸せになろうとするのだろう。
そしてなんで恋愛なんてするのだろうか。恋愛ってそんなに幸せなんだろうか。
自分も星の王子さまのように考えたりする。
この物語に星の王子さまがいて良かったなあと思う。
コランとクロエの物語を最後まで見ていてくれる星の王子さまがいてくれてよかったと思う。
不幸な物語でも、誰かが見ていてくれるのは凄く幸せなことだと思うから。


不幸な物語でも、後味が悪くないというか、そこに美しさを感じるのは、舞台上に散った花束があり、バラが咲いた美しい死体があり、そこに人生と花の儚さがあり、そして最後の最後に幸せだった瞬間を思い出すからだろう。
もしかしたら人生の幸せな瞬間はとても短いのかもしれない。
それでも、その一瞬、たった一瞬だけでもあれば、それは凄く幸せなのかもしれない。


星の王子さまとうたかたの日々のマッシュアップだけじゃなく、その他も異常な量の色々がミックスされていて心地よかった。
特に序盤はm-floも流れるし、近大のキンコン西野もあるし、youtuber的なものもあるし、有名な言葉「きれいな女の子相手の恋愛、そしてニューオ ーリンズの音楽、つまりデュ ーク・エリントンの音楽。ほかのものは消えていい。なぜなら醜いから。」はものすごいテンションで叫ばれる。
その無節操さが楽しくて仕方なかったです。舞台を見ているな~と思ったりした。
同時に配信だと伝わりづらい楽しさの部分でもあったから、やっぱり生で見たかったなーと思ったりしました。


それとこれは友達の目線なんですけども星の王子さま役ののいさんとハツカネズミ役のフーさんのコンビが凄くいいなあと思った。
二人が出てくると一気にポップになって、楽しくなっちゃう感じ。
見ながら「この二人が探偵だったりトラブルシューターをするような舞台が見たいな~」と勝手なことを思ったりしました。
楽しそうだもの、見てみたいです。


とりあえず原作の『星の王子さま』と『うたかたの日々』が強烈に読みたくなる舞台でした。
今回、コロナウイルスの影響で全ステージをやりきることができなかったそうで、とても残念だと思いました。
コロナめ……。配信もぎりぎりで見てしまって本当にごめんなさい……。
それはそれとして、キャンディさんはどうやってマッシュアップする二作品を選んでるんでしょう。
毎回、よく思いつくなあ。
DJの二枚使いのように、この作品とこの作品のBPMは同じだ!と思ったりするのかなあ。
いつか機会があればそんなことも聞いてみたいです。