にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

NOPEを見た!(もしくは見ると取り憑かれることについて)

NOPEを見た!ネタバレめちゃしまくり感想です。



見る、という行為は文字通り主観的である。それゆえに自分が見たものが信じられないということが起きるわけだし、逆に「自分の見たものを信じすぎてしまう」ということもある。
人は自分の見たいものしか見ないという言葉もあるように、見るは信じるとイコールであるし、見ることは信じることだ。
NOPEは見てしまったがために取り憑かれてしまう、そしてそれに人生をかけてしまう、その上であまりにひどい目に会うという話だと思った。
具体的には「惨劇の中、直立した靴」だし「夜空をかける謎の光」だ。
自分の見たものはなんだったのだろう?あのあり得ないものはなんだったのだろう?
それを言葉にすれば「奇跡」であるし、その「奇跡」を目撃すると、人は我を失う。
元いた世界に帰れなくなってしまう。
見ることは恐ろしい。
人を変容させてしまう行為であるし、同時に目をつむらない限り、もしくは背けない限りはずっと生きている限りやり続ける行為でもあるからだ。


NOPEの空からやってくるものは「奇跡」でもなんでもなく、それは意思があるのかさえわからない、ただ人を食らう謎の生き物だったわけです。
あの惨劇を生き延びたアジア系元子役、現テーマパークのオーナーはそこに集めたお客さんと一緒に、あっという間に食べられてしまう。
でも何より残酷なのは、あのチンパンジーによる惨劇を生き延びたものの、顔の皮膚が剥がれたあの元女優も呼んでいたことだと思う。
元オーナーは彼女に何を見せたかったのだろう?
それはあのチンパンジーの惨劇で直立していた靴のような「奇跡」がこの世界にはまだあるということかもしれない。
その「奇跡」を手懐けている自分の姿かもしれない。
その「奇跡」に希望を見せたかったのかもしれない。
しかしその「奇跡」はこちら人間サイドの勝手な思い込みであり、ただの人を食らう生物だった。
「奇跡」というものを都合よく解釈してしまったがゆえに、テーマパークでの惨劇は起きた。
普通に考えれば恐ろしいものをなぜ「奇跡」と思い込めたか。
やはりそれは「直立した靴」を見てしまったからだと思う。
そして、その場にいて、顔の皮を剥がされてもかろうじて生き延びた彼女に見せたかったのだろう。
この映画を見ていて、あまりのやりきれなさを感じたのはこの部分であって、人生の幸と不幸が釣り合わない、その辻褄のつかなさこそ、ホラーであると思ったりしたのだった。


世界初の映画は馬が走る姿を捉えたものだった。
その逸話が繰り返されるようなクライマックスは興奮したからこそ、その撮影した映像が見たかったと思うが、一応IMAXで撮った、そして映画館で流れているそれこそが「撮った映像」ということかもしれない。
でも、それだと上がり切らねえなとちょっと思ったりした。
撮影素材を見たという、生の感覚が足りないっすよとは思ったりした。
ただ、そこから映画というものから、写真へさらに遡っていくラストよ。
映画が1秒24コマの写真が連続するならば、空に浮かぶそれをたった一瞬捉えた写真はすべての映画の原点だ。



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スーパーカーのナカコーさんのTwitterの感想でも書かれていたことだけども、中盤の惨劇が起き、家に血の雨が降り注ぐ中、カーステレオから聞こえてくる音楽がVaporwaveのようにピッチとテンポが落ち、リバーブがかかって鳴り響いているのはとてもかっこよかった。
サントラにはそのバージョンの音楽が収録されている。なんと素敵な!
Vaporwave的なものが、レトロでも近未来でもない、片田舎の中で使われるのは、超センスがいいじゃん、最高じゃん、と私はなったりしたのでした。