あと1時間後には『アベンジャーズ エンド・ゲーム』を見ている。自分でも急展開で驚いている。というのも、そもそも今日は病院だと思ってたのでその準備をしていたら、病院の予約は明日で、そのせいで今日がまるまる空いてしまった。
ので、なんとなく映画館に来たらエンドゲームのチケットが取れてしまった。そしてあと1時間後には映画が始まっている。
その気持ちを整理しようと今この文章を打ち始めている。
アベンジャーズ…というかマーベル映画と私というものをふと考えると始まりはやっぱり『アイアンマン』だった。確か、受験が終わった時に見たんじゃないだろうか。その時はあまりに面白くて「本気を出したハリウッド映画すげー」なんてことを思ったりしたのだった。まだジョン・ファブロー監督の名前も、主演のロバート・ダウニー・ジュニアの名前も認識してないころだ。今思えば「本気を出したハリウッド映画」が凄いんじゃなくて「本気を出したマーベルが凄かった」ということに気がつくのはまだ先のことだった。
私はアイアンマン1には熱狂したものの、それほど熱心なマーベルファンになるということはなく、次に熱狂のタイミングが訪れるのは『アベンジャーズ』のころになる。
2012年。
大学生だった私はアベンジャーズに案の定やられてしまった。友人とビームを出すアイアンマンとそれを盾で反射させるキャプテンアメリカのモノマネをしたのを今でも覚えている。
ぼんくらな大学生だったのだ。
演劇サークルの卒団公演で「アッセンブル〜!」と叫んだことも覚えてる。
友人の家でアベンジャーズのDVDを見たのも覚えてる。
2012年は色々な映画があった。桐島、部活やめるってよ。バトルシップ。エクスペンタブルズ2。そしてアベンジャーズ。
僕らの周りではそれらの会話で持ちきりだった。
アベンジャーズの後はマーベル映画は映画館で見るってのが当たり前になってきて、映画を見てはファミレスに行って「あーだこーだ」と喋りまくっていた。
世間じゃそれほど評判良くない『マイティ・ソー ダークワールド』は卒業して京都を離れる友人と見に行った。きゃっきゃ言いながら見たから、世間の評判の悪さがそれほど理解できてない。あの映画を思い出すと、友人と楽しかった瞬間の方が強く残ってるからだ。
大学5回生の頃。就活も失敗続きで、未来も見えなかった頃。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を見に行った。自転車で遠くの映画館まで行って見に行った。
タイトルが出た瞬間に号泣した。ぼんくらな自分を肯定されたような、そんな気にさせられる映画だった。結局三回見に行った。今でも大好きな映画だ。
その頃、大きなビジョンが公開される。フェイズ3の大枠だ。これを見ながら「どんなんだろうなー」と友人と朝の学食を食べながら話したりした。
その時は遠い未来のことのように思っていた。
気がつけば社会人になった。
えげつないくらいしんどい案件を任されて、気が狂いそうになっていた頃、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.2』が公開された。
仕事帰りに見に行って、ボロボロになるまで泣いた。「メリーポピンズってさぞかしいい男なんだろうな!」って台詞、ラストの「イエー!!」という咆哮を思い出すたび、やっぱり泣きそうになる自分がいる。
適応障害になって休職し始めて半年経ったころ、『アベンジャーズ インフィニティーウォー』が公開された。
公開日の朝、友人と見た。
終わった後、何にも喋れなくなった。
これから一年も待たされるの?とびびった。
友人と楽しく遊ぶつもりが、思いのほか映画のダメージが強くてどよーんとした記憶がある。
そのあと、後輩も合流して、あーだこーだと映画について話した。大学時代からずっとやってること変わってない。
大学時代から今に至るまで、要所要所でマーベル映画が側にいた。私たちはそのモノマネをして、あーだこーだと考察をして、また馬鹿話をした。
ふと思う。マーベル映画が無かったらどうなっていたんだろうと。
多分、同じように馬鹿話はしていたはずだ。
でも、友人とアイアンマンとキャプテンアメリカのモノマネなんてしなかっただろう。
友人と延々と喋り合うこともなかっただろう。
フェーズ3のことでそのころ何してるかなーなんて話もしなかっただろう。
東京に出てきてからマーベル映画について話せる友人もできなかったかもしれない。
年上の友人と『アントマン&ワスプ』がここで公開される理由について考察をすることなんてなかったかもしれない。
家族で『ドクター・ストレンジ』を見て、額に卍みたいなサインが出てくるマッツ・ミケルセンを見て笑うこともなかったかもしれない。
人生にifなんてなくて、起こったことしかない。
でもやっぱり思うのは、マーベル映画は確実に人生を楽しくしてくれたのだ。
ここに書ききれなかった思い出もたくさんある。忘れてしまったこともたくさんある。
これから一生覚えてるような思い出もある。
『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』が公開された時、一時は人生の岐路が重なりばらばらになっていた友人たちとまた集まって京都のMOVIXで見に行った時、「今アッセンブルしてるな!」なんてアホなことを思った。
マーベル映画はそれぞれのキャラクターがアッセンブルしただけじゃなく、僕らの人生も友情もアッセンブルしてくれた。なんてことを書くと流石に恥ずかしい。
でも、本当そうなのだ。確実に側にいてくれたのだ。
なんてちょっと感傷的なことを書いてしまった。恥ずかしい気持ちで今はいっぱいだ。書かなきゃよかったとも思う。
でも、今しか書けないことだ。あと30分でエンドゲームが始まる。それを見てしまったら全てが変わる。
10年間、いろんなことがあった。
浪人をして、大学生になって、5年も通って、社会人になって、休職して、無職になって…
大枠の人生の隙間にまた沢山の書き切れないことがある。沢山の思い出がある。
そしてその側にはずっとマーベル映画があったのだ。
そしてそれはあなたも同じだと思う。
私たちの10年はマーベル映画とともにあった。
私たちはそれぞれの人生を生きてきた。
そしてその側には同じマーベル映画がいてくれたのだ。
だから共通の思い出ができた。
共通の話題ができた。
共通の人生を一瞬ではあるけども歩めた。
私たちはアッセンブルすることができた。
いよいよ、あと30分だ。
3時間後、どんなことを思っているんだろう。
10年を返せよ!と激怒しているんだろうか。
それとも、笑ってスクリーンを見ているんだろうか。
全くわからない。
けども、とりあえず生きてこの日を迎えられたことを感謝したい。
私はこの10年生きてきた。
そして一つの区切りを今日見るのだ。