「今の先輩を救えるのは矢部嵩だけっすよ」と後輩は言い放った。
インドカレー屋でナンを齧りながら「最近は虚しくて、映画で何人死んだかを数える動画ばかり見ている」と言った直後のことだった。
後輩は常々、矢部嵩という作家がいかに素晴らしいか、そして僕に読むべきかを語っていて、前にあった時も「先輩は読むべきです」と言って一冊買わされてしまったのだが、生粋のめんどくさがりの僕は手をつけることもなく、その本は部屋で石に生える苔同然になっていた。
休職中で毎日人生辛いBOYだった僕は救われるために家に帰るとその苔同然になっていた矢部嵩の本を読むことにした。
本の名前は『魔女の子供はやってこない』。角川のホラー文庫から出ている本だ。
下手なあらすじを僕が書く前に、本の裏表紙の写真を添付したいと思う。
数ヶ月この本を苔同然にしていた僕が言うことじゃないけども、この裏表紙のあらすじで「おおっ」となったら、もう読むべきとしか言えない。
むしろここで嫌悪感が出ると、本編を読むのは難しいかもしれない。本当は読んで欲しいけども。人には趣味趣向があるのだ。
とりあえず読み終わった後の僕の感想をお伝えしたい。
矢部嵩『魔女の子供はやってこない』を読んだ!とりあえずこのあらすじで「へっ!?」ってなった人は全員読んで。人は血の詰まった靴下のような扱いで死ぬ!吐瀉物は激しく撒き散らされる!夢も希望もなくなるほど鬱展開もある!笑っちゃうほど暗黒なのに意外にも最後には止めどない感動が襲いかかる! pic.twitter.com/iYH64RqmPH
— 両目洞窟人間 (@gachahori) 2017年10月2日
矢部嵩の『魔女の子供はやってこない』は面白い本って以上に今の自分を助けてくれた本で、それもありのままでいいなクソダサなやつじゃなくて、27年を安易に生きてきた僕の頭をバッチーンボコボコ〜と殴ってきながらも、殴られすぎてハイになって「よっしゃー新しい世界見えてきた!」って感じ…
— 両目洞窟人間 (@gachahori) 2017年10月2日
これだけでいい気もするけども、つづけて感想を書きたいと思う。
この本はとにかく人が死にまくる。とにかく死ぬ。いっぱい死ぬ。銃で頭が弾けて、毒で身体が溶けて、死体を切り刻んだり、圧縮したり。
とにかくそう、人が死ぬ。
角川ホラー文庫なので人が死ぬ。
でも、ポップに人が死ぬ。原色使いのカラフルなイラストのようなポップさで人が死ぬ。人が死ぬシーンにそれほど嫌な雰囲気は漂わない。
教科書の隅に人が死ぬ漫画を描いたり、捕まえた蟻をペットボトルに石と一緒に詰めて振って殺したり、タイタニックで人がスクリューに当たってくるから落ちるシーンで笑ってたような子供だった人はこの人の死の描き方の距離感にとても好感が持てると思う。
で、そういうような人は多分どこかで生きづらさを感じていると思うのです。
そんな人は第1話の人がポンポン死ぬ展開に笑った後に、第2話の人は死なないが友人を家に招く回にめちゃくちゃ胸が詰まると思う。
自分に自信がなくて、他人から見たら僕なんてつまらない人間ではないのかと怯えまくっていた子供の頃の感覚を呼び起こすような回でとても胸が詰まった。
しかし2話の後半では友人との忘れられない一夜を思い出させるような優しい展開があり、前半のクライマックスとも言える第3話に突入する。
第3話では主人公と魔女がある願いを叶えるために右往左往するわけだけども、それがあまりにはちゃめちゃで笑いが絶えない回になってる。葬儀場というこの世で1番厳かにしなければ行けない場所で大暴れするクライマックスは笑いが止まらなかった。ティキャッティー!
この回ではそんな大暴れに笑ってしまう一方、はじめての徹夜した時感覚を思い出させてくれたりする。なんで、あの感覚を言葉に出来るんだろう。あの時感じた感覚や感触を文章に出来るんだろうってうっとりした。
それから、ラストはまさかの感動が待ってる。いい話を読んだような気になる。めちゃくちゃしているのに。
ここで前半が終了するわけだけどここまでで傑作なのか確定しているのに、まだまだ怒涛の後半はなだれ込む。角川ホラー文庫としての顔が出てくる。
4話目では痒みが襲い続ける奇病にかかった少年に手術を受けてもらうよう説得するために、その少年の死んだ母のふりをして病室に訪れるという回なんだけども、とにかく読んでるだけで痒くなるような生理的感覚に訴えまくってまじやばい。
僕はこれをモスバーガーで読んだことを後悔したくらい掻き立てられる生理的嫌悪。
ルビふりの演出がキマりまくってるので、是非ともここは実際に読んでもらいたいところ。
そんでオチも怖い。痒みは止まらないし背筋がゾッとしてるし、とにかく感覚は敏感になったところに、問題作の第5話。
これは多分史上初のホラーだと思うのだけども、これは家事ホラーなのだ。
ある主婦が一週間出かける時間を作るために、主人公がその主婦に成りすますんだけども、外から見れば完璧に思えたその家庭はまるで地獄のような場所であった…。
読み終わるや否や、母に向かって申し訳ねえ…って気持ちがめちゃくちゃに生まれてしまったくらい、一人の主婦が家事に、生活に追われ続け心が死んでいく過程が描かれていく。
食事の支度に、掃除に、子供達の世話に、生理的に無理な夫との関係に。
全国の子供達にこの回を読ませたら、こんなに家族を作ることが地獄ならばもう一人で生きていきたいと思って少子高齢化に驚異的な加速度をかけることができる名ホラーになっている。
そして何より終盤の展開。血も涙もない展開に胃の奥が重たくなり、僕はしばらく呆然としてしまった。
厭な話というのがしばらく前に流行ったけども、圧倒的に厭な話だと思うので、厭な話ファンは必読。
そして最終話である。
ここまでそれぞれの話の概要もどきしか描いてこなかったけども、本編では主人公の冴えない女の子と友人の魔女のぬりえちゃんとの関係がこれでもかと描かれる。彼女らはとても素敵な友情で結ばれているわけだけども、そんな関係にも終止符が打たれてしまう。
ぬりえちゃんが元にいた世界に戻るというのだ。
それにより、動揺してしまった主人公はぬりえちゃんと喧嘩してしまい、その上さよならドラえもんのように一人でもやっていけると証明してみせようとして、取り返しのつかないことをしてしまう。結構まじに取り返しのつかないこと。うえっ。と声が出てしまうくらいまじに。
ここからある女性の一生が語られていく。誰にでもあるような人生。出会いがあって別れがあって進学があって就職があって結婚があって家族ができて月日が経って別れがあって不幸があって怒濤のように一生が語られる。
でもその中心人物は常に空虚なものを抱えている。
その女性の周りで不幸が起き、別れが起きる。
その女性もかつてのような若さは無い。
もう人生も締めくくりに差し掛かっている。
そんな時に1番好きだった友人がやってくる。
まともに生きたくてもまともに生きることはできなくて、自分は思っていたようないい人間ではなくむしろクズであることがわかって、人には誇れるような人間では無いとわかったのならば、その道に進んでいいと言ってくれる友人が。
最後に主人公はある選択を求められる。
その選択を選んでしまったから、その正しくない選択を選んでしまったから。
でも、主人公はその正しくなさで救われたのだ。
正しくない選択肢でしか救われなかったのだ。
世界から見れば間違っているかもしれないけども主人公にとってはそれは正しくなくて、1番正しい選択肢だったのだ。
そして小説はある文章で締められる。
その文を読み終わったあと、呆然として、それから涙がとめどなく溢れた。
こんなに優しい終わり方をするとは思わなかったから。
こんなに正しくない人たちにとって優しい終わり方をするなんて思わなかった。
とここまで長々と書いたのに、僕はこの本の魅力を少しも語れていない気がする。
今まで読んだことのない文体のことや、各話のディティールの素晴らしさ、主人公の思考の共感性、そしてぬりえちゃんという素敵でやばい魔女の魅力。
何も伝えることができてない。
こんな文章で読む人が増えるなんて思わないけども、もし少しでも興味を持ってもらえたら幸いであって、読んでもらえたらと思う。
後輩から「救われますよ」と教えてもらったのは正しくて、僕はこの本を読んでたしかに救われたのだ。
人生が好転したわけでも、幸せになったわけでもないけども、この本がこの世にあるってことだけで自分の中の何かは救われた気がしたのでした。
正しくない人にこそ読んで欲しい。
大好きな一冊です。