にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

アイ・ワナ・ビー、関西のつじあやの。

 後輩から誕生日プレゼントにウクレレを貰った。ウクレレである。ハワイアン楽器こと、ウクレレである。弦が4弦しかないウクレレである。なによりも今年の最重要作品の一つである(個人的)『リラックマとカオルさん』のハワイ回でリラックマが演奏していた楽器ことウクレレである。

 私はすっかりテンションが上がってしまった。そりゃもう『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のビョークが歌っていたように心臓の高鳴りはエンパイアステートビルを超えてしまったのだ。

 私はその場で早速ウクレレの練習に取り掛かった。大学時代のサークルの同窓会だったにも関わらずである。久しぶりに会う友人、先輩、後輩がいたのにも関わらず、次々とご飯が運ばれてくるのにも関わらずウクレレを弾き続けたのであった。

 ウクレレはギターとは違う。当たり前だけども違う。なので最初はその勝手の違いに戸惑っていたが、コードを確認しながら弾き始めると、その音の可愛らしさにすっかり夢中になり練習を続けた。黙々と練習を続けた。声が遠くなっていった。ウクレレと私しかその場にはいなかった。そう、つまりはゾーン。ゾーンに私は突入したのであった。

 気がつけば1時間経っていた。先輩がもう時間なので帰ると言い、しまったと思った。ウクレレに夢中になりすぎて会話を、交流を、人間関係を私は疎かにしてしまったのだった。

 開放弦を鳴らすと音がぽろんとウクレレから鳴った。可愛らしい音だった。

 

 一晩遊んだ翌日、帰路につこうと思い京都の祇園四条駅に向かっていた時、鴨川が見えた。

 私は鴨川でウクレレを練習したい欲に襲われた。いや、場所はどこでもよかった。ウクレレをとにかく練習したかったのだ。ウクレレを弾きたい。少しでも長くウクレレを弾きたいと思ったのだ。

 川の流れの音が響く橋の下で、私はウクレレを弾き始めた。今の時代、ネットを調べると色々な曲のコードを見ることができる。それを調べては弾いていった。

 ミッシェル・ガン・エレファントフジファブリックくるりゆらゆら帝国レディオヘッド、クイーン。色々と弾いてみる。時代を感じるアーティストの選択である。それでも弾いてみる。まだ下手なので上手くは弾けないが、それでもかろうじて曲の形になった時はたまらなく嬉しい気持ちになった。

 時間が刻々と経っていった。私はそれを無視した。

 鳩が集まり始めた。私はそれを無視した。

 ステディカムを持った外人が私を遠くから撮っているようだった。私はそれを無視した。

またもや私はゾーンに突入したのだった。ウクレレと私だけのゾーンに。そう、ゾーンに。

 

 the pillowsのfunny bunnyを弾くことにした。サビのコード展開が細かくてなかなか弾けずに、繰り返し何度もそこを練習した。

 気がつけば昼の12時になっていた。お腹も空き始めた。それでも弾いていた。何故ならばゾーンに突入しているからである。そうゾーンに。ゾーンに突入すると、なによりも目の前のことが優先されるのだ。この場合の優先されるべき事柄はもちろんウクレレだった。

 funny bunnyのサビの練習し続ける。

『君の夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ。』

そう、誰かのおかげでもなく、自分の手でこの曲を弾けるようになるためにも何度も練習をした。

 隣に女性二人組が座った。

 声が聞こえた。

 「あの人、川辺でウクレレ弾いてはるなあ〜」

 その瞬間、ゾーンが途切れ、妙に恥ずかしい気持ちになった。鳩にたかれても、外人にステディカムで撮られても消えなかったゾーンがその瞬間消失した。

 それでも気にせず弾いてみる。しかし一度戻った自意識は過剰になっていくばかりであった。

 

 「俺は関西のつじあやのになるんや!」と私はウクレレを貰った瞬間に叫んだ。

 しかし、つじあやのは関西出身だったし、練習を鴨川でしていたようだ。

 私はつじあやのになれなかった。ちょっとした言葉に、はんなりした言葉に、心が揺れてしまうような人間であったのだ。

 

funny bunnyのサビの終盤の歌詞が目に飛び込む。

 『風の強い日を選んで走ってきた』

 私は荷物をそそくさとまとめて電車に飛び乗った。

 風が、少々強い気がした。

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『夜の浜辺でひとり』を見た。(もしくは浜辺で眠ることの危険性)

日々の生活はある程度繰り返しの中で成り立っている。と、今更なことを私は考える。その考えすらも繰り返し考えている。ルーティン。ルーティン。

お腹が空く。ご飯を食べる。煙草を吸う。散歩をする。本を読む。友人に会う。喋る。お酒を飲む。そして眠る。

その繰り返し。日々はその繰り返し。

しかし時間は過ぎていく。日々は繰り返しの中で消費され、気がつけば私たちは老けていく。

気がつけば遠くの方へ辿り着いている。でも自分が遠くに来たかなんてわからない。

まだ過去にとらわれているかもしれない。過去にとらわれたまま、過去を清算もできずにただ遠くに来ているだけなのかもしれない。

 

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ホン・サンス監督の『夜の浜辺でひとり』を見た。久しぶりに入ったTSUTAYAでジャケットに惹かれて借りた。ジャケットを見るまでは知らなかった映画。でも、見終わる頃にはとても大好きな映画に変わっていて、見終わって12時間経った今もなお映画が心の中で漂い続けている。

 


映画監督との不倫スキャンダルによって海外に逃げた女優は、異国の地で日々を過ごす。煙草を吸い、先輩と喋り、公園を歩き、本を買い、異国の人とご飯を食べる。女優は映画監督から届いたメール「土曜の昼にはそちらにいく」が気がかりで仕方ない。また会いたいと思っている。そんなことを先輩に喋る。そして浜辺にたどり着く。夜の浜辺に。

 


それからしばらく時間が経つ。本国に戻ってきた女優は旧友と再会する。カフェで喋り、酒を飲む。女優は酒癖が悪いようで酔った勢いで叫ぶ。「誰も愛される資格なんてないのに」。

 


翌日、女優は旧友の先輩と仕事を再会する兆しを見せる。先輩を見送った後、また浜辺にたどり着く。その浜辺で眠りこけた後、そこに"ある人"が現れる。

 

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構成は海外でのパートと、帰国してからのパートで別れている。しかしどの場所にいても、妙な居心地の悪さがある。気まずさではなく、そこが彼女の居場所ではないような感じが。映画自体はとても穏やかで、胃を締め付けるようなシーンはあまりない。しかし、ずっとそこが彼女の居場所ではないといった雰囲気は漂い続けてる。

海外では異邦人として。そして韓国に戻ってきてからも、他者として。なによりも、彼女自身がその目の前の世界を生きていないような気がする。

女優は絶えず過去の残響を生きているような気がするのだ。

 


 

主演のキム・ミニは本作の監督ホン・サンスと不倫関係に陥ったそうで、韓国では一時期大きなスキャンダルになったそうだ。この映画はその後に作られたもので、役名は違えどこの映画はキム・ミニをまんまトレースし、そしてホン・サンスをまんまトレースしたようにしか見えない。

 


じゃあ、そういったメタ的に楽しむ映画かと言えば、そういうわけではない気もする。たしかに私小説的である。しかし、主人公がキム・ミニ演じる女優だからか、ホン・サンス監督の物語になっていないのだ。

ここには男の気持ちの悪い自意識はあまり投影されていないように思える。そのかわりに、スキャンダルの後を生きるキム・ミニの姿をただ切り取っていく。キム・ミニがそこにいる。ただそれだけで恐ろしいほど豊かな映画になることに驚かされる。

煙草を吸う、映画を見る、歌を歌う、酔いつぶれる、横になる。どの姿も素晴らしく決まっていてそれだけで映画は映画として成立して豊かになる。豊かな映画というものがどういうものかわからないけども、目が離せない魅力と魔力のようなものがずっと漂い続けている。

 


決まりまくっているキム・ミニに対して、終盤に現れるあの人物の情けなさったら。とにかくみっともないのだ。そして混乱状態に陥っている。これを男女の違いと分けるのは簡単だろうけども、そうはしたくない。

多分、ホン・サンスがそのまま現れているから、彼はひどく情けないのだろう。自罰的な私小説的なシーンだ。

「個人的な映画はつまらないですよ」

それを主演女優に言わせて、自分の映画の撮り方はこうだと解説するその男の姿は、ホン・サンス自身の情けなさや混乱が現れているのかもしれない。そして自分にはこうすることしか出来ないと言っているのかもと。

 


でも、シーンは思わぬ途切れ方をする。

そして、目を覚ました女優は、啜り泣きながら浜辺を歩いていく。その姿はカメラから遠くなっていき小さくなる。そして暗転。

 


あっけに取られながらも、なんとも言えない悲しみにとらわれてしまった。

会えるのも、言いたいことを言えるのも、夢の中だけだったら、どうやって生きていけばいいのだろう。

ただそれでも日々を生きていくしかないのだろうか。夢から覚めた私たちは夢を忘れて生きていくしかないのだろうか。それでも眠たくなってしまうのに?

 

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変わった映画だ。話運びもそうだし、極端な長回しも、時折挟まる妙なズームを使ったカメラワークもそうだし、時折現れる謎の人物の使い方といい、手触りは変わったものを見せられている気になる。

ただ、変わった映画だと切り捨てるには勿体無い、それどころか、私は前述したようにだいぶこの映画が好きになってしまったみたいだ。見終われば、話運びも、長回しも、変なズームも、謎の人物も、全てが愛おしい。

 

 

 

異国の地でも、母国でも、場所は違うだけで生活は、日々の動作は繰り返される。空腹と食事、煙草、お喋り、飲酒。

場所は違えど人は自分から逃げる事はできない。過去は付きまとってくるし、後悔からは逃れられない。過去の残響音からは逃れられない。

眠りの中でその残響音が最大に響いた後は、ただふらふらと歩くしかないのだ。啜り泣きながらもただその場を離れるしかない。浜辺は眠るには危険すぎる。眠るならばもっと安全な場所を探さないといけないのだ。

 

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調べ物がくしゅう。(或いは29歳初日の朝の話)

 29歳になって最初の日の朝は、両親の怒号から始まった。

 実家に帰省中の私は今、リビングで日々、雑魚寝をしている。部屋がないのだ。狭い団地の中で、四人の大人が寝るスペースはあまりない。

 朝のリビングで始まった喧嘩に目を覚ました私は、その喧嘩の理由も自ずと知ることになる。

 父は膵臓癌を理由に今働いている場所から退職するように言い渡された。9月には退職になるという。それに先立って父はハローワークに行き、退職時の雇用保険がどれくらいの期間貰えるのか?と聞いたそうだ。

 しかし想定していた期間よりも短い期間しか貰えないと言ったのがどうやら喧嘩の始まりだったらしい。

 「そう言われたのだから仕方ないだろ」と父は言う。

 しかし、そうやすやすと引き下がってはいけないのだ。お金のことはきちんとしなきゃいけないのだ。

 私は起きてすぐに「じゃあ調べちゃる」と調べることにした。

 

 先日『ニューヨーク公共図書館』という映画を見たときに、自主的に調べ物をするニューヨーカーの姿が頭にこびりついていたのだ。そして調べること、それが何よりの力になるとあの映画から教えてもらった気がしたのだ。

 わからないことがあったら調べる。それが立ち向かう術になるはず。

 

 というわけで厚生労働省が出しているPDF資料をじっと眺めながら、雇用保険に関するあれこれを調べた。1時間ほど調べて、結論が出た。

 父がハローワークで言われたことは大間違いだった。雇用保険は想定通りの長い日数貰える。

 

 「これこれこうだから、ちゃんと言えば雇用保険はこういう条件になるから、期間はこれくらいになるはず」と答えた。父は納得したみたいだった。

 それから父は仕事に出かけていった。それを見送った後、頭が重たくなった。オーバーヒートしたみたいだった。

 

 トム・ヨークの新曲が発表された。MOTHERLESS BROOKLYNというエドワード・ノートンが監督・脚本・主演を務める映画に使われる音楽だそうだ。それを聴きながら、私は横になった。頭がとにかく熱くて、しんどかった。

 調べ物をしたということを、Twitterに書いたら友人から「総務向いているのでは?」とリプライがきた。

 熱くなった頭を抱えながら、総務になりたいなと思った。そういう仕事が向いているのだったら、やってみたいと心から思った。

 でも、1時間の調べ物で頭がオーバーヒートするような現状はなんとかしないといけない。

 私はトム・ヨークの消え入りそうな声を聴きながら横になった。

 なかなか寝付くことができず、時間がかかった。

 夢を見た。起きたときには忘れているような夢だったけども、嫌な夢だったらしくて少し気分が悪かった。

 

 私の29歳はこうして始まったのだった。

 

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ジョーン・ディディオンと29歳男性。

 29歳である。昨日は28歳が終わってしまうとただをこねる文章を書いた私も、1日が過ぎて晴れて29歳になった。

じたばたしても時間は過ぎる。あっという間に過ぎる。そうして私は29歳になってしまった。

28歳の最後の日はジョーン・ディディオンのドキュメンタリーを見ることから始まった。

ジョーン・ディディオンはアメリカの作家で、60年代から70年代に注目され、その後は映画脚本や小説等多岐にわたって活動した。

彼女のドキュメンタリー『ジョーン・ディディオンザ・センター・ウィル・ノット・ホールド』がNetflixにあったので見た。

そもそもジョーン・ディディオンになぜ興味を持ったかと言えば、山崎まどかさんのツイートからだ。これまたNetflixで見ることができるローリングストーンズ誌のドキュメンタリーで映画監督キャメロン・クロウが若い時に「ライターを目指すならばジョーン・ディディオンを読むべきだ」と勧められたと語っていたという趣旨のツイートをしていたのだ。

その時に、ジョーン・ディディオンの名前を知った。そう言わしめる彼女の作品を読んでみたいと思ったが、ちょうど深夜なので読むことができない。そんな中、Netflixに彼女の半生を追ったドキュメンタリーがあると知り、見てみようと思ったのだった。

「ライターを目指すならばジョーン・ディディオンを読むべきだ」

私はライターを目指しているわけではない。

しかし、書くことは大好きで、今もこうして書いている。できることなら書くことは続けたい。続けるには先人の偉大なる仕事に触れなければならないと思っている。

言葉を操る人々の仕事を。多くの紡ぎ出された言葉を知りたいと思う。そうして、なるべくそれを消化し、自分の力にしたいと思う。情熱だけでは続けることができない。いくら趣味とはいえ、体力も筋力も必要だ。

だから知りたいと思った。ジョーン・ディディオンという作家の作品を。そして彼女自身を。

 

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ドキュメンタリーは彼女の半生を追うものだ。投稿エッセイで優勝した彼女はヴォーグで働くようになり、結婚し、退職をして、そしてカリフォルニアに移住する。そこで60年代の狂騒を目撃し、それを本にまとめ上げる。

ベツレヘムに向け、身を屈めて」と題された本は、60年代を切り取った書物として注目される。

その後も多彩な仕事に手を出していく。映画製作に小説家としての活動。それからジャーナリストとして海外を飛び回るようにもなる。

しかし2003年に娘が倒れる。集中治療室での治療の最中、夫が心臓発作で亡くなる。

そして娘もその後、39歳の若さで亡くなる。

 

彼女の半生を追ったこのドキュメンタリーから浮かび上がるのは書くことの業を背負った者の人生だ。書くことに取り憑かれたと言ってもいいかもしれない。書くことで時代を切り取り、様々な事件を切り取り、描写してきた彼女は夫と娘の死を書くことで乗り越えようとする。

しかしそれにすがっているというよりはそうするしかないというように見えた。といってもこのドキュメンタリーを見た上であるが。

この時に書かれた作品は『悲しみにある者』『さよなら、私のクィンターナ』という作品になっている。

 


チャーミングな女性である。身振り手振りを交えて言葉を話す。時折見せる笑顔が高齢ながらもとても可愛らしく思える。

しかし、書く言葉、文章、作品はとても冷静で淡々としていて、それでいてディティールとイメージに彩られ、そして何よりそこに流れていたであろう空気が真空パックされている。

ドキュメンタリーを見て、ジョーン・ディディオンさんの作品が読みたくなった私は1時間かけて市内で一番大きな図書館に行ってその読める本『60年代の過ぎた朝』を読んでみた。そして読んだ時の印象は上に書いたものである。

ジョーン・ディディオンさんの本を読んでいていちばんの印象を書くのを忘れていた。何よりだけども「声がいい」のだ。

文章を読んでいて声がいいというのも不思議なことだけども、とにかく声がいいと思えた。

声がいい文章なんてどうやったら書けるのだろうか?わたしにはそれが不思議で仕方なかった。

そしてこの声の良さに惹かれて私は3時間ほどずっと読みふけっていた。心地いい時間だった。

 


ジョーン・ディディオンさんのことは全く分かっていない。まだ本も途中までしか読めていない。ドキュメンタリーを見たくらいだ。だからジョーン・ディディオンさんのことをもっと知りたいと思う。この声の良さを知りたい。耳が心地よくなるような文章を書くにはどうすればいいのだろうか?その不思議はまだ不思議のまま、わたしの目の前に存在し続ける。

 


28歳最後の日はジョーン・ディディオンさんに捧げた。

書くことを続けたいと思ったからだ。

しかし、私の文章はまず声として響いているのだろうか?

そしてもし声として響いているのなら読んでいる人にはどんな声で響いているのだろうか。

キンキンと響く声なのか、低い声なのか。不快な声なのか。心地いい声なのか。

わからない。

ただ、心地いいものにしていきたいと思う。

ジョーン・ディディオンさんの本から聞こえてきた声の良さを自分の中にも取り込めたらと思う。そんなことが可能なのかわかないけども、それでもできることなら頑張ってみたい。

 


私は29歳になってしまった。親がケーキを買ってきてくれたので、ろうそくに火をつけて願い事をして火を吹き消した。

「病気を治すことと、仕事を見つけること」

そんなことを願ってみた。

私はやっぱりふつうに生きれるならばふつうに生きたいと思っている。

同時に書くことはここ数年で見つけた私の居場所の一つだとも思っているので続けていきたい。

なるべく、ではなく、必ず続けていきたい。

せっかく見つけた場所なのだ。その場所を手放すのはもったいない。

 

ジョーン・ディディオンさんの『60年代の過ぎた朝に』の冒頭、こんな文章から始まる。

「私たちは生きるためにみずから物語をつくり、それで自分を納得させる。」

生きるためには自ら物語を作る。それがジョーンさんには書くことというものを通してだったのかもしれない。

私が書くことを居場所だと思えたのも、書くことで混乱に満ちた人生を物語化することができ、それで納得することに成功したからかもしれない。

ならば尚更手放してはいけないのだ。書くことを。物語を作ることを。

 


29歳という数字はなかなかに重たくて、もうすっかり私は大人になってしまったのだなと思う。でもその一方で大人になった実感なぞなくて、頭の中では幼児の私が暴れまわっている。もしかしたらそれは行動して現れているかもしれない。

だからこそ書かなければならないと思う。大人になるため、なんていうのは大層なことだけども、29歳になってしまったことをちゃんと直視するためにも、この人生を把握するためにも、混乱し続ける脳みそを抑えるためにも、書くことは必要なのだと思う。

 


ケーキを食べて29歳になった。それから眠りにつこうとしたが、頭と心は妙に跳ねまくっていて、寝付くことができない。不安と不安を打ち消すように心が躁状態になっている。その騒ぐ心はただじっとしていても収まることはない。薬を使っても収まらない。ただ、ただ書くしかない。

そんな私は私を助けるために文章を書いている。それをあまつさえ、人に見えるようにしている。

せめて人に見せるものであるならば、それがいい声で届いていることを願いたい。でも、そんなこともないのだろうという諦めも少しある。だからもっと読まなきゃいけなくて、だからもっと書かなきゃいけないとも思う。

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そうして28歳が終わっていくのでした。

おぎゃあ、おぎゃあと泣き叫んで生まれ落ちた私も気がつけば28歳になっていて、明日には29歳になる。光陰矢の如し、なんていうけども、矢の速度で例えた人は相当あるあるが上手かったのだと思う。放たれる矢を見て「いやー人生のスピードも矢っすね」なんてあるあるじゃないか。レイザーラモンRGが歌い上げるあるあるじゃないか。

というわけで日々のスピードが矢のような私も明日には29歳になってしまう。ということは28歳が終わってしまうということだ。なんということだ。私はまだ何も成し遂げてないじゃないか!!

 

世にはばかる28歳男性というのはどういうライフスタイルを送っているのだろうか。行きつけのバーが一つくらいあったりして、ゴルフをして、なんなら家族も持って……なんてことは一つも私は手に入れることはなかった。いや、そんなものが欲しいわけではないけども。それでもそんなものが一切手に届かないものだとは思わなかった。

その代わりに手に入れたものは障害者手帳であった。私は精神障害者の3級であると国から認定されてしまった。

なんてことを書くと湿っぽい話かしらと思う人も多いと思うけども、そういう話がしたいわけではないことをお伝えしたい。あくまでも私はこれまでのことをあっけらかんと言いたいのだ。

つまりはこうだ。私は27歳で休職をして、28歳で退職をし、障害者手帳を手に入れた。そんなことになってしまったとお伝えしたいのだ。どんどん人生が悪くなっていっている!!

 


にしてもこんなことになろうとはと日々思う。そしてこれからの人生、どうやって生きていけばいいのやらとも思う。

あんまり考えないようにしてるけども、結構ヤバめな状況なんだよね。私。

明日には29歳になるわけだし。無職歴も一年になるし、そして障害者手帳ホルダーで、発達障害で、未だに抗うつ剤もがばがば飲んでいてって……うーん!なかなかな状態!

 

しかし、そうなんだけども、たしかにそうなんだけども、その割には私の性格はまっすぐな気がする。こんなことになっているけども、結構まっすぐなのだ。自分で言っちゃあおしまいよ!って感じやけども、それでもまっすぐよ。私の性格。

 


さっきゴルフだの家族だの、言ったけども。欲しいわけではないのだ。しかし、なんていうかそういういわゆるちゃんとしている大人になれなかったなあと思うことは沢山ある。

ちゃんとした大人。そんなのになりたかったかどうかといえば、そんなことはないけども、それでも就職してからの数年間はちゃんとした大人にならなきゃ!と思っていたのだ。頑張っていたのだ。その結果がこれなわけやけども。およよ。

 


というわけでだらだらと書いてきて何が言いたかったかといえば、私は負け続けてきたのでした。28年間。素直に負け続けてきたのであった。

 


でも、敗北感なんてのは不思議となくて、逆にあるのは、まあそれでもじたばたとなんとかやっていくしかないという気持ちである。

死にかけのセミがそれでも地べたを這いずり回っている状態を想像してもらえると助かるのだけども、そんな状態なのだ。セミファイナル。

 


負け続けてきたけども、それでもぶわーと這いずり回ってる。

成し遂げれてねえ!なんて言ったけども、じゃあなにかを成し遂げたかったかといえばそんなことはない。

何者かになりたかったか、なんてこともない。

普通の幸せが欲しかったか……と言われたら少しはあるけども、それも今は全然思わない。

今自分にあるのは、負け続けてきたからこその何もなさと、それゆえの自由な気持ちだ。なんて書くと恥ずいですね。なんだよ、自由な気持ちって!!

 


でも、そうで。自由な気持ちに近い。昔はなにかをすればすぐに叩かれていたけども、叩く人も年々減ってきた。

昔は叩かれる度にへこんでいて、萎縮したけども、今はそんなこともない。

自由な気分になってる。そんな気持ちになっているのはこんな状態からしたら不思議だけども、そうなのだ。そうとしか言いようがないのだ。

 


つうわけで29歳に私はなる。明日には無慈悲になってしまう。もう立派な大人ってやつで、しっかりもしっかりにならなきゃいけないけども、そんなことはさておいて、色々とこれからもじたばたと回り続けてやりてえなと思ってる。

 


ここ数ヶ月、脚本を書いていた。いつ上演するか未定の脚本。色々と最初はあれこれ考えていたのだけども、結果として20代を総括するような脚本になってしまった。

敗北の歴史!という感じの20代だった。

一度はコテンパンに負けてしまった。

もう嫌になる程負けてしまった。

でも、まだ立っている。

まだ、歩けてはいる。

何にも持ってないけども、それでも身はある。頭は動き続けてる。喋れる。飛び跳ねることもできる。

負け続けた先にもまだ人生はあった。

そしてその結果、私は自由な気持ちになっているのだ。

負け続けたことに辟易したこともあったけども、素直に認めたら楽になったのだ。

障害者手帳の取得と脚本を書くこと。それが重なった。

そしてそのおかげで、なにもないけども、その軽さのありがたみを少しはわかったような気がしたのだった。

 


というわけで28歳は終わっていく。どんどんと終わっていく。1秒1秒終わっていく。

まだ何にもしてないのに!と思う。

まだ色んな人に感謝も伝えてない!

まだカラオケでアデルの曲を歌えるようになってない!

読んでない本も沢山あるし!

見てない映画も山ほどあるし!!

それは全て29歳の宿題にしようと思う。

 


28歳は敗北を認めるまでの一年だった。今思えばだけども。

28年間の積み重ねてきたものをもう一度見直して、そしてそれを認める一年だった。

じゃあ29歳はどうしたい、なんてことを思うと、少しは勝ちたいよな、なんて贅沢なことを思う。

どういうことが勝ちになるか、わかんないけども、それでも、ああ、勝てたなあーなんて思えることがあったらいいなと思う。

 


勝ち負けで人生を進めるのはしんどいことだと思う。でも、一度くらい、一度くらいは勝ちたいよね。そうなんだよ、俺は勝ちてえんだよ!負け続けてきたからさ!一回くらいは勝ちたいんだよ!!

まだのんびりしたくねえんだよ!

ちゃんと向き合っていきたいんだよ!

人生とか生活とかそういうのに!

ちゃんと向き合って、それで日々をこなしていきたい。まだ負けたくない。沈みたくない。ちゃんと、生きたい。生きていきたい。

成功だとか、幸せだとか、そんなことはいい。でも、ちゃんと生きていきたいと思う。そこから逃げない一年にしていきたい。

 

なんて大口をまた叩いてしまった。昔から大口ばっか叩いてるよ、あなたは。「聞き飽きたぜお前のでけえ口」なんてライムスターは言っていたぜメーン。

 

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