にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

進捗日記 2019年4月26日『アベンジャーズ/エンドゲーム』

睡眠薬を飲んでも、朝4時には絶対に目がさめる。というのもここ半年近くこの時間に朝ごはんを食べるようになってしまって、そのせいで自然に目が覚めてしまうのだ。ので、今日も4時に一旦起きて、朝ごはんをもそもそと食べて、薬を飲んで、また眠りにつく。

いつか薬を飲んでも朝まで深く眠れたらなと思う。

 

昼頃、病院に行こうと思い準備をし始めたとき、予約票をふと見たら明日だったことに気がついた。あららと思い、今日がまるまる空いてしまったので、どうしようかな、そうだ『アベンジャーズ/エンドゲーム』でも見に行こうと電車で二駅のショッピングモールまで行った。

 

映画館まで向かう途中、グラニフがあったので覗いてみると欲しかったミッフィーのTシャツがまだあったので買った。唯一成人男性でも着れそうなデザインのやつだと思ったけども、ミッフィーのTシャツを着てる時点でよくないのかもしれない。

いや、そんな人の目を気にしてばかりだったから病んでしまったのだった。好きに生きるべきなんだろう。というわけでTシャツ買いました。

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それから映画館について、チケットを買う。1時間半後だったので、ドトールへ。

本でも読もうかと思ったけども、今からアベンジャーズエンドゲームを見るんだと思うと居ても立っても居られなくなり、マーベル映画と私という文章を書いた。

マーベル映画と私。 - にゃんこのいけにえ

 

書き終わったら20分前だったので、映画館へ。

アベンジャーズ/エンドゲーム』を見た。

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ネタバレ厳禁ということで、何も書かないでおこうと思う。

ただあるシーンで僕は声を上げて泣いてしまった。周囲にお客さんがいるにも関わらず声を上げて泣いてしまった。

アベンジャーズ インフィニティウォーの後編ではなくて、これはアイアンマン1から始まる10年のマーベル映画の最終回だった。

直前に10年を振り返る文章を書いていてよかった。この10年がどれだけ楽しい10年だったかを思い出せたし、映画を見ている間もずっと感謝でしかなかった。

あのラストシーンにたどり着いた瞬間、本当に本当に10年見続けて良かったと思ったのだった。

控えめに言っても名作だと思う。

 

劇場をふらふらと出て、ソファーに座り込んで、そしてまたボロボロと泣いてしまう。感情のコントロールが効かなくて、そのままサイゼリヤに行って、でもTwitterにも何かを書くということすら出来ず、とりあえずは10ccのI'm not in loveを聴き続けた。

 

弟から「エンドゲーム見た!?」と電話。

そこから1時間延々とこの映画について話し合った。話しても話しても、語りたいところが出てきた。今度、一緒に日本語吹き替え版を見に行こうと約束した。

 

上の世代にとってのスターウォーズが、私たちにとってはマーベル映画だったんだろうなと思う。

いつしかマーベル映画は生活の一つになっていたんだなと思う。

10年間本当にお疲れ様でしたと言いたい。

マーベルのおかげで楽しい10年でしたよ。本当に。

 

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マーベル映画と私。

あと1時間後には『アベンジャーズ エンド・ゲーム』を見ている。自分でも急展開で驚いている。というのも、そもそも今日は病院だと思ってたのでその準備をしていたら、病院の予約は明日で、そのせいで今日がまるまる空いてしまった。

ので、なんとなく映画館に来たらエンドゲームのチケットが取れてしまった。そしてあと1時間後には映画が始まっている。

その気持ちを整理しようと今この文章を打ち始めている。

 

アベンジャーズ…というかマーベル映画と私というものをふと考えると始まりはやっぱり『アイアンマン』だった。確か、受験が終わった時に見たんじゃないだろうか。その時はあまりに面白くて「本気を出したハリウッド映画すげー」なんてことを思ったりしたのだった。まだジョン・ファブロー監督の名前も、主演のロバート・ダウニー・ジュニアの名前も認識してないころだ。今思えば「本気を出したハリウッド映画」が凄いんじゃなくて「本気を出したマーベルが凄かった」ということに気がつくのはまだ先のことだった。

 

私はアイアンマン1には熱狂したものの、それほど熱心なマーベルファンになるということはなく、次に熱狂のタイミングが訪れるのは『アベンジャーズ』のころになる。

2012年。

大学生だった私はアベンジャーズに案の定やられてしまった。友人とビームを出すアイアンマンとそれを盾で反射させるキャプテンアメリカのモノマネをしたのを今でも覚えている。

ぼんくらな大学生だったのだ。

演劇サークルの卒団公演で「アッセンブル〜!」と叫んだことも覚えてる。

友人の家でアベンジャーズのDVDを見たのも覚えてる。

2012年は色々な映画があった。桐島、部活やめるってよバトルシップ。エクスペンタブルズ2。そしてアベンジャーズ

僕らの周りではそれらの会話で持ちきりだった。

 

アベンジャーズの後はマーベル映画は映画館で見るってのが当たり前になってきて、映画を見てはファミレスに行って「あーだこーだ」と喋りまくっていた。

 

世間じゃそれほど評判良くない『マイティ・ソー ダークワールド』は卒業して京都を離れる友人と見に行った。きゃっきゃ言いながら見たから、世間の評判の悪さがそれほど理解できてない。あの映画を思い出すと、友人と楽しかった瞬間の方が強く残ってるからだ。

 

大学5回生の頃。就活も失敗続きで、未来も見えなかった頃。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を見に行った。自転車で遠くの映画館まで行って見に行った。

タイトルが出た瞬間に号泣した。ぼんくらな自分を肯定されたような、そんな気にさせられる映画だった。結局三回見に行った。今でも大好きな映画だ。

 

その頃、大きなビジョンが公開される。フェイズ3の大枠だ。これを見ながら「どんなんだろうなー」と友人と朝の学食を食べながら話したりした。

その時は遠い未来のことのように思っていた。

 

気がつけば社会人になった。

えげつないくらいしんどい案件を任されて、気が狂いそうになっていた頃、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.2』が公開された。

仕事帰りに見に行って、ボロボロになるまで泣いた。「メリーポピンズってさぞかしいい男なんだろうな!」って台詞、ラストの「イエー!!」という咆哮を思い出すたび、やっぱり泣きそうになる自分がいる。

 

適応障害になって休職し始めて半年経ったころ、『アベンジャーズ インフィニティーウォー』が公開された。

公開日の朝、友人と見た。

終わった後、何にも喋れなくなった。

これから一年も待たされるの?とびびった。

友人と楽しく遊ぶつもりが、思いのほか映画のダメージが強くてどよーんとした記憶がある。

そのあと、後輩も合流して、あーだこーだと映画について話した。大学時代からずっとやってること変わってない。

 

大学時代から今に至るまで、要所要所でマーベル映画が側にいた。私たちはそのモノマネをして、あーだこーだと考察をして、また馬鹿話をした。

ふと思う。マーベル映画が無かったらどうなっていたんだろうと。

多分、同じように馬鹿話はしていたはずだ。

でも、友人とアイアンマンとキャプテンアメリカのモノマネなんてしなかっただろう。

友人と延々と喋り合うこともなかっただろう。

フェーズ3のことでそのころ何してるかなーなんて話もしなかっただろう。

東京に出てきてからマーベル映画について話せる友人もできなかったかもしれない。

年上の友人と『アントマン&ワスプ』がここで公開される理由について考察をすることなんてなかったかもしれない。

家族で『ドクター・ストレンジ』を見て、額に卍みたいなサインが出てくるマッツ・ミケルセンを見て笑うこともなかったかもしれない。

 

人生にifなんてなくて、起こったことしかない。

でもやっぱり思うのは、マーベル映画は確実に人生を楽しくしてくれたのだ。

ここに書ききれなかった思い出もたくさんある。忘れてしまったこともたくさんある。

これから一生覚えてるような思い出もある。

 

アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』が公開された時、一時は人生の岐路が重なりばらばらになっていた友人たちとまた集まって京都のMOVIXで見に行った時、「今アッセンブルしてるな!」なんてアホなことを思った。

マーベル映画はそれぞれのキャラクターがアッセンブルしただけじゃなく、僕らの人生も友情もアッセンブルしてくれた。なんてことを書くと流石に恥ずかしい。

でも、本当そうなのだ。確実に側にいてくれたのだ。

 

なんてちょっと感傷的なことを書いてしまった。恥ずかしい気持ちで今はいっぱいだ。書かなきゃよかったとも思う。

でも、今しか書けないことだ。あと30分でエンドゲームが始まる。それを見てしまったら全てが変わる。

10年間、いろんなことがあった。

浪人をして、大学生になって、5年も通って、社会人になって、休職して、無職になって…

大枠の人生の隙間にまた沢山の書き切れないことがある。沢山の思い出がある。

そしてその側にはずっとマーベル映画があったのだ。

そしてそれはあなたも同じだと思う。

私たちの10年はマーベル映画とともにあった。

私たちはそれぞれの人生を生きてきた。

そしてその側には同じマーベル映画がいてくれたのだ。

だから共通の思い出ができた。

共通の話題ができた。

共通の人生を一瞬ではあるけども歩めた。

私たちはアッセンブルすることができた。

 

いよいよ、あと30分だ。

3時間後、どんなことを思っているんだろう。

10年を返せよ!と激怒しているんだろうか。

それとも、笑ってスクリーンを見ているんだろうか。

全くわからない。

けども、とりあえず生きてこの日を迎えられたことを感謝したい。

私はこの10年生きてきた。

そして一つの区切りを今日見るのだ。

進捗日記 2019年4月25日『キャプテン・マーベル』

睡眠薬をたまに飲む。というのも眠ることができたりできなかったりするからです。

昨日は一日起きていたのですが布団に入っても全く眠くならない。ってことで睡眠薬を飲んだら、コロンと寝てしまった。

ちなみに私が今服用している睡眠薬は先日Twitterで「デートの時に青い飲み物出されたら、それにはこの睡眠薬が入ってる!」と指摘されていたやつと同じだった。およよ。

 

睡眠薬を飲んで、起きた時の睡魔が物凄い。引っ張られるような強烈な睡魔を引っ張り返すように、外に出て缶コーヒーを買って、家に帰って飲みながらぼんやり。

暑くなってきたのでceroのsummer soulを聞いたりしていたら、結局寝てしまった。布団の上でsummer soulを聴くと気持ちよくなりすぎてしまう。

 

ユニクロに行って服を買った。暑くなってきたし、色々と必要になったのもあったし。

薄手のパーカー、無地の白Tシャツ、イームズチェアがプリントされたTシャツ、それに靴下とパンツ。

着てきた服が汗だくになってしまったので、早速フィッティングルームで着替える。

買った薄手のパーカーがよくて、結構気に入った。

6000円ほど使う。しかし、色々買って6000円なので安いなあと思う。ユニクロと無印でしか服を買わなくなったなあ。同い年の人達は一体どこで服を買っているのだろう。全く想像がつかない。

 

今日が最終回だったので『キャプテン・マーベル』を見た。

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思わず泣いてしまった。人生でくじける度に何度も立ち上がってきたその姿に泣いてしまった。

能力があるからヒーローになれるのではなく、その立ち上がる姿勢こそヒーローなんだ!という一連のシーンでボロボロ泣いた。

立ち上がらなきゃなあと思う。私もいつまでもくじけている場合ではない。

女性として抑圧されていた人が解き放たれる瞬間がヒーローとしての覚醒につながる構成ええですね。こんな風にヒーロー映画としてのカタルシスとテーマを同時を伝えることができるんだ!なんて思ったりしました。

内容も謎めいたミステリー的展開もあれば、ボディスナッチャーな展開もあれば、90年代アクション風味なシーンもあれば(特に岩肌での空中戦はインデペンデンス・デイを思い出して凄く嬉しい気持ちになった)、前日譚としての面白さもあれば、バディものとしての気持ちよさもあれば、スタートレック的な異星人との交流とあれな、ヒーロービギンズな面白さもある…ってよくもこんな要素が全部まとまってるなあと思った。

「マーベル」って社名じゃん、どうやって理由づけるんだろうって思ったら、なるほど〜な理由でそれもよかったですね。

ナイン・インチ・ネイルズのTシャツが欲しくなりましたね。あれ時期的にはダウンワードスパイラルくらいの時期ってことなんだろうか。

トゥルーライズの立て看板もあったしそういうことなんだろうなー。

久しぶりに映画を見たけども、映画って楽しいですね。本当楽しい。今は生活をどんどん小さくしなきゃいけない時期だけども、たまには映画館に行って、こういう派手な映画を浴びるのもいいなあと思いました。

にしてもサミュエル・L・ジャクソンサミュエル・L・ジャクソンしてるのって本当いいですね。台詞回しが本当音楽的で耳に気持ちいい。久しぶりに『パルプ・フィクション』が見たくなりました。

楽しい気持ちになりながら帰った。惜しむべきは90年代音楽にもっと造詣が深かったらなーと思いました。

R.E.Mのman on the moonくらいしかわからなかった。宇宙の話をしている時にこの音楽が流れるのよいですね。

映画を見て楽しい気持ちになりました。見るまではまた気落ちしていたけども、だいぶましになりました。エンドゲームいつ見に行けるかな。早いうちに見に行きたいです。

 

今日の写真

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進捗日記 2019年4月24日(読書めちゃ楽しい)

昨日、夕方まで死んだように寝ていたのもあって、全く眠ることができず。朝まで『ディファレンス・エンジン』をパラパラ読んだり、有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERを聞いたりする。

 

今日はあちこちの喫茶店に行った。といってもご当地喫茶店なんてのは一件だけでほぼチェーン店。その先々でずっと『ディファレンス・エンジン』を読み続けていた。

突如として読書ハイになっている。とにかく読書が楽しくて楽しくて仕方ない状態だ。これになった原因は、無の時間が訪れると気落ちしてしまうからというのがあって、それに対抗するために物語の世界に没入していたら、気がついたらどんどん本が読めていたというのがある。

今日は結局『ディファレンス・エンジン』の上巻を読みきったので今月は十二冊も読んでいる。あと6日で何冊読めるだろう。

しかし、これまで本は本当に読んでこなかった。たまに読んだりしていたけども、読書家とは程遠かった。今は読書をしている時間がたまらなく楽しい。一瞬だけでも自分のことを忘れて世界に没入できるのが楽しい。書くことや物語について考えるのが楽しい。なんてことないディティールが頭にこびりつくのが楽しい。読み終わったあと、余韻の中で自分なりの感想をひねり出すのが楽しい。読書めっちゃ楽しい。

でも、本当まだまだ読んでみたい。読んだことない作品ばかりだ。

とりあえず『ねじまき鳥クロニクル』の第3部と『ディファレンス・エンジン』の下巻をまずは読み切りたい。

それから家にある本だと『ファイト・クラブ』も読みたいし、樋口恭介の『構造素子』のネタ元になった東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』も読みたい。それからまだ知らない本に出会いたい。なにぶん、わからないことばかりだ。知らない本ばかりだ。とりあえず出会えるならもっと出会って読んでいきたい。

こんな風に読書に没頭できる時間なんて、この先どんどん無くなるだろうし、今、それができるならどんどんやっていきたい。

あとネットを見ていると、結構疲れることが多いのだけども、読書はそんなことない。読書で気分を害することまじでない。そりゃえぐい描写に「うわぁ」となったりすることはあれど、ネットを見ながらこの世界を憂いてしんどくなるってことはない。

とにかく、読書をしている限りは次々と読んでいきたいって気分でいっぱいになる。

多分、こんなハイ状態もいつかは切れてしまうとのだと思うけども、それでも続けれるうちは続けて、それで一冊でも多く、身体の中に染み込ませたい。

 

今日は先輩にあった。ご飯を食べてけらけら笑ってすごく楽しかった。人と会ってる時が一番楽しい。でも、そんな時により楽しい気持ちになれるのってカルチャーの話をしている時だと思う。あれが好き、これが好きって話をしている時ってなんであんなに楽しいんだろ!

それができるように続けていきたい。読みたいな!って思ってるうちに一冊でも多く読んでいきたい。そんな気持ちになっています。

 

ディファレンス・エンジン』上巻、読みづらいといわれていて、最初は面食らう瞬間も多かったけども徐々に設定が入ってきたり背景の世界がわかるようになってくると、蒸気と悪臭漂う産業革命時のロンドンを歩かされている気になる。そうなると『フロム・ヘル』を今度こそはちゃんと読まねばって気にもなる。たくさん、読めてない本があって、たくさん読みたい本が増えていってる。

どれだけの本に出会えるだろう。とりあえずアンテナを高くして、読みたいものを増やしながら、そして出会えるものはどんどん出会っていきたい。

 

明日でキャプテンマーベルの上映が終わるみたいだ。駆け込みで観に行こうかなあ。

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進捗日記 2019年4月23日(お気持ち表明)

さて、毎日書いている日記だけども、最近はどうしたものかと思い続けている。こうやって日々を記録を垂れ流すことによって、私はなにをしたいのだろうかと。

言い換えれば「日記でなにを表現したいのだ?」ということである。日記を書いて書いて書いて、1ヶ月が過ぎた。しかし、書いても書いても書いても現れるのは「凡庸な日常」だ。

言うなれば「それが表現できた」ということなのだろう。凡庸な日々を生きているということが表現できた。それでいいじゃないか。

同時に、日記なんてやめてネットに数多あるような「エッセイ」を日々書いたらいいじゃないかという思いもある。しかし、それほど私は世界に対して「お気持ち」を発信したいとは思ってはいないと、ここまで書いて思い始める。

凡庸な日々でもいいから、それを積み重ねていくこと。それを通じて、両目洞窟人間という人間の人生のログを残すこと。

それでなにかを表現したいだなんて、思わない方がいい。

ログはログで、凡庸な日々は凡庸な日々だ。

ただただ生活は続き、人生は一日一日終わりへと近づいていく。

そのことを書こうと思う。

 

これは進捗日記だ。なんの?もともとは小説の。でも、最近は書けていない。どうして?なにを書いたらいいかわからないから。

じゃあなぜ進捗日記なんて言い続けるの?人生の進捗日記という言い訳を用意してるんですよ。

人生の進捗日記?

そうです。人生の進捗日記。進んだり、戻ったりする人生の進捗日記。

僕の好きな本に中原昌也の『中原昌也作業日誌』ってのがあって、作業日誌と言う割には、作業どうこうよりも、日々、物を買って、売って、映画を見て、本を読んで、音楽を聴いて、演奏して、小説を書いて、絵を描いて…みたいなそんな本があって、でも、読んでるうちに膨大な日記の中から浮かび上がってくるのはその中原昌也さんの人生で。

そんなものをやりたいと思って、この進捗日記を書いている。

じゃあ、その通りやったらいいじゃない。1000字近くも渡って、ぐだぐだなにかを書くことなかったじゃない。

その通りだと思う。でも、たまには迷ってしまうのです。

なにに?

書くことに。日々、日記を書いたりすることに。そんなことにすら迷ってしまうのです。

僕は。

あっそう。

 

じゃあいつも通り、進捗日記を書こうと思います。

 

今日もほぼ寝続ける。なんだか妙にしんどくて、物事を進めることが困難な日だった。

借りてきた映画も見る元気がなくて、結局見ることができず。

夕方、返しに行く。

そばとカツ丼を食べてからドトールにこもって、樋口恭介の『構造素子』を読む。

樋口恭介『構造素子』を読んだ! - にゃんこのいけにえ

感想を書く。でも相変わらずエモーショナル先行でなんのこっちゃって感想だ。ちゃんとした感想を書けるようになりたいという一方で、こういうエモーショナルなものは湧き上がらないと書けないから、湧き上がったというだけ、素晴らしかったのだと思う。

構造素子、とてもよい本でした。

 

構造素子の影響で『ディファレンス・エンジン』を買う。

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蒸気機関で駆動する社会というのが読みたくなったのでした。

 

米を買って、家に帰る。

スクワット100回とお風呂に入って人間性を回復させる。

 

という感じが、僕の今日の進捗日記。相変わらず凡庸な日々だ。

でも、凡庸な日々を積み重ねることで何かにたどり着きたい。成功だなんて望んじゃない。でも、人生がA地点からB地点に行ったというときにその移動推移を観れるようなログがあってもいいじゃないか。

というわけで、私は今日も進捗日記を書きました。

明日も書いていこうと思います。