前に通っていた心療内科に通わなくなったのは「ADHDですね」と診断された後、即座に「じゃあ薬出すので、飲んでください」と言われたからで、えーそんなすぐに治さないといけないものなんですかと疑問を持ったから「薬飲まないといけないですか?」って聞いたら「え、治療方針に文句あるんですか」みたいな顔をされて、それは被害妄想だったかもしれないけども、それで行かなくなってしまった。
あのとき、貰った薬を見ながら路上で涙がぽろぽろ溢れてきたわけだけども、その理由をうまく言葉にできないままであった。
一年後の今こたつでぼんやりしていたら、そのときの怒りがふつふつと湧いたので俺はポメラを取り出してだだだだと書き殴っている。
要するに切れたのは「なんだよ、俺は社会的に治療しなきゃいけない存在なのかよ」ってことで、そこに腹がとにかくたってしまったのだった。
まあ、その後の仕事でいろいろやらかしたことを考えれば、ちゃんと治療しておくことの方が大事だったのかもしれないけども・・・
でもやっぱり「社会的に治療すべき存在」みたいに扱われたことはとてもショックで、ここから投薬に移るまでの過程をちゃんと埋めてほしかったのだ。
「こういう理由なので、薬を飲みましょう」とか嘘でもいいから「社会的に治療するってことじゃなくて、これはあなたが生きやすくするためのやつですよ」みたいなことを、かりそめのやさしさでもいってほしかった。心に毛布をかけてほしかったのですよ。おら!薬飲めや!!ってやるんじゃなくて。
先日、メンタルクリニックで心理のテストを受けた。どうなんだろう。「意外とできた」みたいな話もあれば、なんかもにゃもにゃ言われたところもあったので、どうなんだろうって。まだ結果待ちです。
今、僕は自分のことを知ろうとしている。
くそマジ無理限界って自分のことを思いすぎて自己肯定感も無く生きてきたから、こうなっちゃったので、何が向いてるとか、そもそも向いているものが無くても生きていけるみたいなことにしたいわけです。
というか、そもそも、そう言ってるレベルじゃなくて、休職中なので、社会に出れなくなっているわけですから、再び食べれるようになるにはどうしましょうってことです。
「嫌なことがあるけども我慢しましょうー」で三年行くと無理になるってことに気がついたので、ここからの40年をどうするかですよ。まじで。
今日、渋谷に行った。
って書くと「うわ、ラブ&ポップっぺえ!90年代っぺえ!」ってなっちゃうな。大阪で生まれた男やさかいな。
まあ、所用で渋谷に行ったんですけども、人多すぎて汗止まらなくなって、吐き気も止まんないし、サラリーマンは「おめえじゃあ話にならねえんだよぉお!!」って駅員に叫んでるし、その近くではカップルが濃厚なキスをしているしで、もう何だよ地獄の釜開いてんじゃん!ってなって、疲れ果ててしまった。
そんで逃げ込んだ昔ながらの喫茶店でずっと舞城王太郎の「ビッチマグネット」を読んでいた。今日は家にあったこの本を手に外に出た。今日は渋谷に出る前から一日めちゃくちゃLOWなテンションであったので「面白いだけの本は今日きっついな、あと麻薬カルテルルポもきっついな」ってことで本を積み上げている俺の家の本の針葉樹林を見たら、この本がぴっかーって光っていたので抜き取ってきたら大正解。
去年、心身症になったときもこの本をひたすらに読んでいた時があって、片耳が急性難聴になって、耳鼻科で待っていた不安な時もこの本を読んでいた。
あのときはそしてぼろぼろと泣いたのだった。
「ときどき悲しくて、ときどき悲しくない」
これは主人公がカウンセリングを受けて、鬱のテストの回答をめちゃくちゃに答えるシーンのところで出てくる文章。
「ときどき悲しくて、ときどき悲しくない」なんて、本当なんてことない文章なんだけども、これを見てぼろぼろ涙が出た。
僕はときどき悲しくて、ときどき悲しくない。
ずっとそんな気持ちだったのだ。
一年ぶりに開いた本でもそのページにさしかかった。僕はやっぱりときどき悲しくてときどき悲しくないままだった。
でもそれ以上に、カウンセリングで支離滅裂になる主人公の姿が、他人事に見えなかった。
自分を矮小化されたくない。自分でこれってそういうことか?と考えて、じゃあこれが原因かって思ってしまうのが嫌で、というか過去のことや、家族のことを引きずっているってのを今のおかしくなっている理由になるのが嫌な感じというのが、自分の状態のような気がした。
この前に二回目のカウンセリングがあった。
そこでも僕はまたどうしようもなくなっていた。支離滅裂になって、カウンセラーの顔も見ずに、ずっとテーブルの木目ばっかりみて、突然しゃべっている途中で激高したりして。
「いじられるのが嫌なんです」
「それ、前も言ってましたね。本当に嫌なんですね」
「そうなんですかね」
「人って本当に思っていることって二回以上言うんですよ」
あー、僕はいじられるのが嫌なのかーと27歳になって気がついた。
でも、それ以外の処世術を知らないから「どうしたいいんですか?」って聞いたら「嫌なら嫌って言うんですよ」って言われて「やり方、わからないです」って答えたら「練習しましょう」ってなった。
例:1.カウンセラー、僕をいじる
2. 僕、嫌だと伝える
3. カウンセラー、その反応を返す。
で、やってみた。
僕は「あーそれ、言われるのほんまは嫌で」って言った瞬間に、心の重しがなんか軽くなった気がして、それで涙がぼろぼろ出てきて、えーこんなに簡単に嫌って言うだけで楽になるもんなんですかーって拍子抜けしながら、涙をぬぐった。
「こんな簡単に変わるものなんですか」
「これが、認知行動療法です!」ってカウンセラーは楽しそうに言ってたのであーいいなーって思ったのだった。
その後に見た夢の中に父親が出てきた。
父親は僕のことをまた正論と称してめちゃくちゃに言ってきた。
僕は夢の中で、必死に言葉を選びながら反論した。
夢の中でなら、なんとか言えた。
言えたのだった。
明日、また実家に帰る。しばらく帰る。
その間、この治療を生かすことができたらいいなと思う。
もう変わりたい。本当に変わりたい。
ザ・ピーズの実験4号に出てくる「君と最悪な人生を消したい」って歌詞、そんな君はいないけども、俺も最悪な人生は消したい。
どうせ辛いんだったら、ちょっとでもコントロールとれる辛さの方がいい。
最悪な人生を消したい。
高校の時は「こんな人生いつまで続くんやろう」って思ってたし、大学の時も「こんな人生いつまで続くんやろう」って思ってたし、社会人の時も「こんな人生いつまで続くんやろう」って思った。
少しくらい、ましになったなってそろそろ思ってもいい頃だと思う。
何かを成し遂げたいわけでも、大きなことをやりたいわけでもない。ただただ馬鹿にされずに生きていたいだけ
他人のストレスのはけ口になりたくないだけ。
他人のマウントポジションの相手になりたくないだけ。
他人が安心する材料に僕を利用してほしくないだけ。
そんな普通の願いが一生かなわない気がする。ずっと人生のコントロールを誰かに握られている感じ。
それを少しでも自分のものにするために、こんな場末で長文をまずは書いている。
少しでも、こんなことでも、最悪の人生を消していきたいのです。