にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

立命芸術劇場の『俺たちの非日常に告ぐ』を見た。

去年の12月に見た後輩の芝居の感想です。
本当は見た後にすぐ書いたのですが、なんとなくアップするのが恥ずかしくてずっと下書きにいれていました。
でも、もういいですよね。そんな気がしたので、今更ですが感想をあげます。






 立命芸術劇場の『俺たちの非日常に告ぐ』を見てきました。作・演出は葛山陽平。


 立命芸術劇場といえば劇作家の土田英生や24のジャック・バウアーの吹き替えでも知られる小山力也が所属していたことでも知られる演劇サークル…という前置きはさておいて、僕が数年前まで所属していた演劇サークルでございます。
 公演の案内が来るたびになんだかんだで見に行っているのですが、今回は自分が三回生だったことに入団してきた後輩の卒業公演。
 時間が経つのは早いんやねと思いながらも、見た今回の内容。あまりに凄く刺さったからなんとかしてこのブログに感想を残したいと思い、つらつらとまとまりのないことを書こうと思います。
 
 
 あらすじはある一室に集う数人の男女。彼らは平日は社会人として生きながらも金曜日の夜はその部屋に集まりアネスト団として活動していた。とはいえアネスト団だから何をするわけでもなく、カードゲームで遊んだり、スマブラで遊んで罰ゲームをしたり。つまりこの部屋は日常を忘れて非日常を楽しむ大人の秘密基地であった。
 ある日いつものように集まり思い思いに遊ぶ彼らであったが、ある新入団員の登場により、次第に彼らの非日常が揺らぎ始める…


 泣きました。僕、この作品を見ながら後半はほぼほぼずっと泣いていました。
 とにかく刺さりまくりました。
 もう何でこんなに刺さってるのかと思うくらいに泣きました。
 凄く良かった。
 
 秘密基地に集まり、戦隊物のような点呼を取り、子供の頃の遊びに興じるいい年をした彼ら。
 その姿は本当に子供のように見えるのに、時折顔を覗かせるのが彼らにとっての日常。
 仕事のことや生活のこと、そしてこれからの人生の不安。
 仕事終えて、一室に集まってスマブラではしゃぐ姿は、かつて小学校から帰ってきて友人の家でスマブラで遊んでいた姿のようである。
 でも、かつてと全く違うのはそんな風に夢中で遊んでいても日常の不安が時折顔を出して、非日常を破壊していく。
 気がつけば非日常に全く浸れなくなってしまっていた。

 
 このアネスト団を主催する男は秘密基地を作りアネスト団を立ち上げる意図を独白するシーンでこう言っていた。
 「戦わなければならない」
 アネスト団は何と戦っているのか。それは日常だ。
 ままならない日常だ。なんの夢もなく、なんの面白みもない日常だ。
 私たちはそれぞれの日常を戦っている。
 人から蔑まれ、人から罵られ、人から笑われ、人を蹴落とし、人をあざ笑い、人を嫌いになり、人とぶつかり合いながら、この日常を戦っている。
 私たちはいつの日か、かつて憧れていたヒーローのように振る舞えなくなった。かつて放課後存在していた非日常はどこかへ消えてしまった。
 主催の男は非日常をもう一度復活させようとする。
 でも、それは難しいことだった。



 アネスト団は解散する。そして他の誰もいなくなった秘密基地を新入りの男が歩きまわる。
 日常に潰されてしまったその空間を改めて見ると、なんと光り輝いて見える。
 男は歩き回る。わくわくするものに囲まれた空間を。かつて存在した非日常が詰め込まれたその部屋を。
 そして叫ぶ
「ビー!!アネーーースト!!!」
 何度も何度も叫ぶ。
 いなくなった皆を呼ぶために叫ぶ。
 一人じゃ日常と戦うことが出来ないから。
 皆とじゃなければ戦うことなんてできないから。
 
 
 「子供のままではいられないけども、大人になりきれない大人ってことでいいですか」
 ラストのこの台詞で更に泣いてしまった。
 子供の頃に非日常に戻ることはできない。
 どうしたってあの頃とは違って空想に浸りきれず現実に引き戻されてしまう。
 でも、だからと言って遊びを止めなきゃいけないわけじゃない。
 大人になりきれない大人として精一杯生きることだってできるはず。
 
 また月曜日から現実は襲いかかってきてその時僕は疲れ果ててしまうのかもしれない。というか多分疲れ果てちゃうだろう。
 でもこれからも大人になりきれない自分を否定せずそれでも生きていこうと思った。
 そしてその時には今の"大人"という立場を使うこともいいんじゃないか。
 そんな優しい視点に満ちたラストが素敵だった。


 今年社会人になってしまって、昔のことを忘れて日々戦わねばならないことに疲れちゃってた自分にとっては、今年出会った作品で鑑賞中もうどうしようもなく刺さった作品でした。
 大好き。

『心の桂文枝を解き放て!』エージェント・ウルトラを見た。

エージェント・ウルトラ(監督ニマ・ヌリザデ。脚本マックス・ランディス)を見た。
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ジェシー・アイゼンバーグ演じるボンクラコンビニ店員が実はCIAの特殊訓練を受けたエージェントでしたー!というわけで襲いかかってくるやつを皆殺し!皆殺し!舐めてた奴が殺人マシーンでしたわー!うわー!

な映画を期待して見に行ったら、思ったよりそうじゃなかった。いや、そうだったんだけども。

それ以上に強いなーと思ったのが恋愛映画としての側面。
映画序盤から言いたいのに言い出せないプロポーズをいつ言うの!?っていう作りになっている。いつ言うのってそりゃクライマックスなんだけども。

空想好きで勤務中にマリファナ巻いちゃうようなボンクラコンビニ店員だった主人公は自身のコンプレックスを乗り越え、そして彼女の過去を全て肯定して、指名手配されても、友達が殺されても、家が破壊されても、ただただひたすら突き進む(途中投げ出しそうになったり、家に帰ったりするけども)。
心折れそうになりながらも何故そこまでぼんくらなのに頑張るかって、そりゃ愛しているからだよ!愛する彼女のためだからだよ。まってろ彼女。俺の全てはお前なんや。というわけでそんな邪魔するやつらはちぎってはぽい。ちぎってはぽい。『ボーン・アイデンティティー』以降のそこにあるものを武器にしてのアクションでこれでもかとちぎってはぽい。(序盤のスプーンは超フレッシュでしたね。『グリマーマン』でセガールが見せたクレジットカードで人殺し以来の衝撃。)
そして終盤は『イコライザー』ばりにホームセンターで殺し合い。コスメ商品で、ランプ売り場で、ちりとりで、冷凍肉で、そしてハンマーで。おらっおらっおらっ!!
余談だけどもこの辺のバイオレンス描写は大好きなゲーム『ホットラインマイアミ』っぽさもあって好みでした。ジョン・レグイザモ宅の地下室のブラックライトの雰囲気とか凄く『ホットラインマイアミ』っぽかったなー。全然雰囲気違うんやけども。まあとにかく私がいいたいのはハンマーで全力で顔を叩くと人は死ぬという当たり前の事実をちゃんと映像化している映画はいい映画。ザ・レイドGOKUDOとか。ザ・レイドGOKUDOとか。

というわけで主人公マイクは彼女を取り戻すべく、自身のパニック障害で行けなかったハネムーンのハワイで着る予定だったアロハシャツに身を包み、彼女へのサプライズ花火を武器に使い、館内放送でへなちょこながら愛を叫び、数多のも死体の山を築き上げ、自身もボロボロになり、そしてなんとか救いだした彼女。
でもそんな彼女を救い出したはいいものの、警官隊に包囲されてしまうそんな最悪の状況へ。でもその瞬間主人公と彼女を照らすパトランプの光と彼らを狙うレーザー照準がまるでイルミネーションのように美しいものに見える。それはこの地獄めぐりが終わったからか、それともいいタイミングだからか。もちろんプロポーズに。渡される指輪。そこで流れるケミカル・ブラザーズのSnow。 Your love keeps lifting me. Lifting me higher.
どんなに最悪な状況でも、あなたがいてくれたら人生はとても最高。
私はこの瞬間に涙を抑えることができませんでした。
あまりに尊く、そして美しい瞬間。
こんな風に誰かを思えたらと心から羨ましく思った。

この映画はアクション映画じゃない。じゃあなにといえば恋愛映画だし、もっと言えば要するにこれはとても残虐な新婚さんいらっしゃいな映画。
僕の心の桂文枝は二人のイチャつき具合に「なんやそれ!」と椅子から転げ落ち、ジャケットを投げ捨て、靴を投げ飛ばしても、顔はめっちゃにこやかというそんな気持ちになる一本でした。大好き。


The Chemical Brothers - Snow

ブログ書きたい。

久しくですが、感想を書くという行為から遠ざかっていました。

ちょぼちょぼとTwitterでは書き散らしていましたが、いざ感想を長文で書くぞ!と意気込むとその意気込みはあっという間にしぼんでしまい、そのあと訪れるのは結構な重さの自己嫌悪。
私に感想を書く資格なんてない…物語を多面的に見ることが出来、理論的に物事を語れる人間じゃなければ…感想なんてかけない… 
何故かわからんけども、そんな気持ちがここのところずっとあり感想を書くことが出来なかったのだった。
 
 
あとそもそもこんな風に長文で自分の気持ちを表現することも久しくしていなかった。
ここのところ自意識が酷いことになっており「素人が長文で自分の気持ちを表現して何がおもろいねん、寒い、寒い、寒い。」と嫌がっていたけども、心にどんどん積もり積もっていく、なんか言いたいことめっちゃ積もっていく。
ブログを書いて喜ばれるのは西島秀俊クラスの人間か圧倒的な個性(何かしら)がある人だけ。
それ以外は書いちゃだめだ。という意識isあった。
でも、もう書いてみたい。
全然面白くもないし、日常をどよんと過ごす人間による素人のどうでもいい戯言が続く文章ななると思うけどもそれでも書きたい。
 
という気持ちになってます。
では聞いてください。
bloodthirsty butchersでJack Nicolson。

マームとジプシーの『cocoon』を見てきたよ

やあやあやあ。24歳男性は未だに関東地方にいる。故郷であった土地を離れて数ヶ月。未だに借り物な日常をいきておる。

 
しかし故郷であった土地よりもこの関東地方が素晴らしいのは演劇の話題作が次々と公開されている状態であろう。
さすが関東。やはり地元とは違うね。やっほいね。
先日、私がどちゃくそに感動してしまった『わが星』もそうだけども、他の場所でやらないようなあまりにクオリティが高い作品をやってる土地、それが関東。
めっちゃいいね。関東、それだけで愛せるね。
 
 
というわけでマームとジプシー『cocoon』を見てきたよ。場所は池袋。あの池袋ウェストゲートパークの隣にある劇場で見てきたよ。IWGPだね。からまわるベルベットの空だね。
 
"マームとジプシー。といえば「リフレイン」の手法を用いた作品が有名…"
という文章を何度読んだだろうか。
だいたい往々にして話題作はサブカル系雑誌に劇評がのる。地方都市に住む私はそれを貪るように読んでいた。「へー、マームとジプシーって"凄い劇団"があるんだー」いつか見てみたい。行動力も金もなかった私には程遠い世界だった。
しかし偶然関東に住むことになり、なんとTwitter上でチケットの受け渡しやらというSNSやん!21世紀やん!なこともあり、マームとジプシー『cocoon』のチケットを手にいれることができた。
あの劇評でたくさん読んだことがあったマームとジプシー。あらあらどんな風な作品なんだろうかとどきどきしていた。
そして何より今作は今日マチ子の『cocoon』の舞台版。どうなるのか全く予想がつかなかった。
 
劇の本編に行く前に、今日マチ子の話も少しだけ。
どうも『センネン画報』ダイレクト直撃世代です。
ということで私は高校生の頃に『センネン画報』を読んでしまった人間だから今日マチ子に対しては全面降伏気味なんだけども、それでも『cocoon』は全面降伏どころじゃなく、もう国の一部を持って行っていいよ、ってくらいには完全にやられた。
cocoon』を読んだのは遅ればせながら今年だったんだけども、もっと早く読めばよかったって思ったし、あと読む最中に背筋が伸びたんだよな。こんな作品をだらだら読んじゃだめだと背筋を伸ばして読書。その価値がある漫画。今更私が言うことではないけども、これは名作。
 
 
そんな名作をマームとジプシーが舞台化。というのは2013年の初演時に既に大きな話題になっていたし、やっぱりどうしても観たい作品であってけども、そこは地方都市。見れなかった。
 
 
で、観た。
めちゃくちゃ打ちのめされた。
見る前は池袋来たし「大勝軒」でも劇見たあとに寄るかーと思ってたけども見たあとはそんな余裕すらなくなってしまってすぐに帰宅してしまった。
あと物販で今日マチ子の『いちご戦争』、ユリイカ今日マチ子特集号、それからcocoonの初演時を一冊にまとめた本。
それを買ってしまった。散財をしなきゃと思った。その時は。少しでもこの作品の凄みを理解したい。そのためには今自分が持ってるテキストだけじゃだめだ。今日マチ子とその周辺についてもう少し理解しないとこの作品を噛み砕けない。そう思って散財。そういう作品
 
 
この作品でもリフレインが使われてまくっていた。
冒頭部の高校生活。
この作品のこの部分を友人に話してる最中に「桐島、部活やめるってよみたいな感じ?」って言われたけども、そうかも。
でも、もっとシーンを細切れにして、もっと繰り返すスピードが速い。でも次第に各々の高校生活が立体的に浮かび上がる仕組み。
繰り返す動作、繰り返す言葉は、繰り返す日常に。
「テスト勉強やった?」
「あのお菓子屋さん美味しいらしいよ」
「後輩がもめてる」
「バレーの試合」
「騎馬戦」
日常、日常、日常。
 
 
そんな彼女らが戦況の悪化により、ガマで看護隊になる。
その日々は前半部の慌ただしさとはまた異なる慌ただしさを持つ。
一気に死の匂いが濃くなる。
彼女らは小さなステージを慌ただしく走り回る。「看護婦さーん」と兵隊が呼ぶ声。慌ただしく走り回る。ノイズが次第にまじる。
それも繰り返す。繰り返す。
繰り返す動作、繰り返す言葉は、繰り返す日常に。
そして私はあっという間にあの日常が破壊されていたことをしる。
あの前半部のくだらないことで笑いあっていた日々を。
 
繰り返しが生活を産む。
繰り返しが記憶になる。
戦況の悪化でついにガマを追い出された彼女らは戦場の中を走り回ることになる。
小さなステージを走り回る。走り回る。走り回る。
名前を叫びながら、光が舞う中を、何度もぶつかり、身体も舞いながら。
目に見えて役者の方々も疲労がたまっていくのがわかる。
その状態で友人が一人死を選ぶ。
彼女らはその友人の記憶を思い出す。
それは前半部の学生生活の頃のシーン。
走り回り疲労が溜まった状態で再び演じられるそのシーンたちは、まるで切実な記憶のようであった。
もう一度戻りたいと心から願うあのころの記憶。
戻りたい。戻りたい。
でも、あの頃と全然違うということを「肉体の疲れ」が証明してる。あの頃と全然違う。
 
 
走り回り、走り回り、走り回る。
そしてこの作品は終わる。
繰り返すことで日常を作り出し、走り回ることで舞台上に戦争を作り出し、肉体の疲労で戦争が日常を破壊することを作り出す。
今日マチ子の『cocoon』を元にしながらもまた違うアプローチの作品になっていた。
 
劇中、これが沖縄であることも、1945年に終わったあの戦争であることも明言はされない。
それどころか2015年現在との繋がりを強調してくる。
遠く離れた人の話だと、自分には関係のない悲劇の話だと、そんなわけないだろうと。
あの時の彼女らはまるで自分の学生時代のようだった。だからこそ戦争の混乱に落とされる彼女らの思考は「私がいつかたどるかもしれない」思考のように思えた。
 
 
cocoon』本当に凄まじかった。その一方で個人的に"繭の中"というテーマがまだ噛み砕けてない(自分の中でうまく落とし込めない)のでこれは上演終了後に買った今日マチ子の『いちご戦争』を読んで噛み砕きたいところ。『cocoon』本当によかったです。
 
 
 
箇条書きスペース
 
・音楽がクラムボン。ひかりfrom hereを使った演出に泣く。
・役者陣がすんごい。青柳いずみさんの存在感。菊池明明さんのマユ、かっこよかったな…。
・青葉市子さんの声と佇まいはあの展開になった時こんなに切実になるとは思わなかった。
・「どこで死のう?どこで死のう?」ってセリフがもう本当に強かったな
・双子も「さとうきび」を食べて弁解する時の声が本当にかわいそうだった。
・こんな感じでまだ自分の中で渦巻いてます。この作品。
・見てよかったー。

24歳男性、ままごと『わが星』を見て大好きが止まらなくなる。

ままごとの『わが星』二回目見てきた。

二回目の方が冷静に見れるかなと思ったけども、案の定顔がぐしゃぐしゃになるくらいまで泣いてしまい結局冷静な鑑賞なんて一切できなかった。
 
 二週間ぶりの鑑賞だったし、買ったDVDも見まくったり、劇中使われてる□□□(クチロロ)の『00:00:00』だけならずわが星のワークショップを経て作られた『いつかどこかで』も聴きまくってたせいもあって、初見のなんだかよくわかんないけども「新鮮味」と「衝撃」に溢れた鑑賞ではなかった。当たり前だけども。
 でも、それでも涙がだばだば出てしまった。
 それでも目が離せなかった。
 90分があっという間だった。
 時間の流れが劇中と同じように早く早くなっていったようだった。
 だからこれはギミックに頼りきっただけの話なんかじゃないと思う。
 「新鮮味」と「衝撃」だけに支えられた作品なんかじゃない。
 だから目が離せなかった。だから涙が溢れ出た。そう言い切りたい。そう言い切ろう。
 
 
 僕はこの作品が心から大好きだ。
 団地の一室の話が、宇宙の話になって、女の子に恋する少年の話がいつしか時間を超えていく壮大な話へ変貌していく様が大好き。
 □□□の音楽が大好き。
 ちーちゃんと月ちゃんの友情が大好き。
 いびつなままごとに興じる二人が大好き。
 そのままごとが次第に人生に変貌するのが大好き。
  僕もそんな風に生きていけたらいいな。
 そんな風に生きていけたらいいな。
そんな風に思ってしまうから大好き。
 会話がいつの間にかラップに変貌するのが大好き。
 突然踊り出すのが大好き。
生活が躍動するみたいで大好き。
 少年がもっと早くもっと早くと宇宙で一番早くなるのが大好き。
 その瞬間がまるで自転車で初めて一人旅をするような軽やかさしかなくて大好き。
 気がつけば終わりが目の前に来ているのが大好き。
 全ては始まりそして終わっていくのが大好き。
 そして月ちゃんの手紙が読まれずに燃えていくのが大好き。
 そしてあの時に埋めた多くの光がぶわーっと広がるのが大好き。
 月ちゃんの気持ちは結局、言えなかったし読まれなかったけども、でも伝わってるんだよ。広がった光みたいにぶわーっと伝わったんだよ!と泣きながら思ってしまったから大好き。
 おばあちゃんが大好き。
 自然とこの間、僕の祖母が僕に電話してくれたこと思い出すから大好き。
 祖母っていうか、おばあちゃんって呼んでるんですけども「地震怖くなかった?」って聞いてきて僕泣きそうになって。
 就職前も「頑張るんやで」と握手してくれたおばあちゃんのことを思い出してしまうから大好き。
 そのおばあちゃんとちーちゃんが一緒に回ってる時のはしゃぎ方や、ちーちゃんがおばあちゃんの肩を揉みながら歩くところとか大好き。
 お姉ちゃんも大好き。
 ちーちゃんばかり見られて不憫な目にしか合わないお姉ちゃんが大好き。
 ちーちゃんと喧嘩してばっかなのに、「好きも嫌いもない、だって家族でしょ」ってちーちゃんに言うお姉ちゃん大好き。
 先生の家庭訪問の時に先生を三角座りで見てるのがちーちゃんのことをおもってるのか、本当は先生のことがちょっと気になってるのかが曖昧な感じのお姉ちゃん大好き。
 「先に燃えるのは私だよ。だってお姉ちゃんだし」とそういうところでお姉ちゃん感を出してくるお姉ちゃん大好き。
 お父さんとお母さんも大好き。
 繰り返す日々がラップになり躍動するあのシーンが大好き。
 繰り返す日々こそが宇宙って感じじゃないですか。あの家こそがわが家であり、わが星というのがぐっと伝わるあのシーンが大好き。
 お父さんもお母さんも家族を見守る表情の柔らかいこと柔らかいこと。それが大好き。
 ツイッターでこの家族をクレヨンしんちゃんっぽく描いてる人がいて、「確かにそうだ!」ってなったことを思い出したから、あの絵を描いた人が大好き。
 ちーちゃんがなんだかんだで昔の自分を見てるようだし大好き。
 子供時代特有の人に遠慮しないやつ感。それが際立ちまくってて大好き。
ちーちゃんの「手、繋いでもいい?」が本当に泣けてしまって大好き。
 あのセリフは本当にあかんのだよ。
 何かを刺激するのだよ。
 その涙腺を刺激してくるのは「手、繋いでもいい?」の絶妙な言い方だと思う。 そんな素晴らしいセリフ回しとお子様もいらっしゃるのに10歳の子供にしか見えない端田新菜さんが大好き。
というかキャストの皆様、本当に凄い。
歩き回って、ラップして、踊って、生活をして、リズミカルに、正確に。
あんな舞台を一ヶ月半もやって。凄い。
そんな凄いところが大好き。
で、前評判だと「ラップ演劇」と聞いてたから「チェケラッチョー」的やつかそれか「ウェッサイ」な感じか?と身構えて言ったら、日常会話が自然とラップになるという俺の予想の斜め上をいくかつ、日常会話がラップになるという興奮を味あわせてくれた柴幸男さんのこと大好き。
制作の皆様の機敏な働きも大好き。
席の誘導の仕方や雰囲気を壊さない声のボリュームに佇まいが素晴らしくて大好き。
 物販の方も丁寧に商品を説明してくださって大好き。
 三鷹市芸術文化センターの駅から離れてるから「遠いなあ…」と若干嫌になるのに、いざ着いてみたら雰囲気最高だし、スタッフの皆様は丁寧だしで三鷹市芸術文化センター最高すぎないかってなるから大好き。
 物語のクライマックスで一度10秒の休憩が入って00:00:00が始まるのが大好き。
 初演に比べての穏やかさと終焉感が増したクライマックスが大好き。
 あそこでちーちゃんと月ちゃんが一度中心で手をつないで回るのが大好き。
 「死んでく私が見ているの」「そう」のくだりが本当に大好き。
 自転車で回るのが大好き。
 間に合ってよかったと心から思えるから大好き。
 見終わったあと、人生の見え方が変わるから大好き。
 みんながそれぞれ生きているんだなと思ってしまうから大好き。
 マンションの灯りを見ただけで涙が止まらなくなってしまうから大好き。
 これだけこれだけ大好きって言っても、全然言えた気がしないから大好き。
 
 
24歳のこの時期に出会えてよかったと思えるから大好き。
そして今後の人生の節目節目でまた出会いたいと思うから大好き。
 そして一人でも多くの人がこの作品に出会えたらなと思う。
 そして誰かにとっての大好きな作品になったらいいなあ。
 
 
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