にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

24歳男性、ままごとの『わが星』を見たけども未だ感想がまとまらないから、鑑賞直後から自分の身に何が起きたかの覚え書き

ままごとの『わが星』があまりにも素晴らしかったので、もう一度見に行くことにした。

というわけで今回は2回目を見に行く前に『わが星』を見終わってからの自らの行動を改めて振り返ろうと思う。
すべてはこの作品のせい。


・鑑賞中
 
 ・開始5分も経たずに涙があふれる。
 ・メガネが涙でどんどん汚れてしまって前が見えなくなる。
 ・思わずかばんの中からティッシュを取り出さざるを得ない状況に。
 ・終いには泣き声が出そうになったので口を手で押さえての鑑賞。


・鑑賞直後
 
 ・終演に対して思いのこもった拍手をするが、涙をたっぷり吸ったティッシュを持ったままだったことを忘れていたため、ティッシュの繊維を飛び散らす異常事態。申し訳ない気持ちにいっぱいに。
 ・物販コーナーで初演のDVDを購入。なんの躊躇もなく購入。社会人になってよかったと思った瞬間。
 ・二回目が見たいとチケットを買おうとするも、まだ買えないことがわかり外へ。
 ・とにかくこの思いを誰かに伝えたいと弟に電話。「これまでの人生で触れてきた映画、音楽、演劇、漫画いろんな創作物の中でも5本の指に入るくらい大好きな作品」と伝える。
 ・電車内でこの作品に関するインタビューを読みあさる。
 ・その最中、劇中起こった出来事を改めて活字で追体験することになり、終わりのない悲しみに襲われ、車内で泣く。
 ・家へ向かう道すがら、明かりがちらちらついたマンションを見て、わが星を思い出して泣く。
 ・帰宅後、買ったDVDの裏面のあらすじ説明を読んで泣く。
 ・この日からこの作品に関するリツイートをしまくる。うざがられるくらいリツートをしまくる。


・1日後
 
 ・寝ても覚めても『わが星』のことばかりを考える日々。
 ・朝起きて、ご飯食べながら、わが星のOPを見たり。
 ・「手をつないでいい?」って台詞に朝食食べながら泣く。
 ・Twitterにあがっていた『クレヨンしんちゃん』風に書いたわが星の絵をみつけてまた泣く。
 ・涙が止まらない。
 ・でもなんで泣いてるかわからない。
 ・移動中は□□□の00:00:00 


・それからやったこと

 ・宇宙入門書を購入
 ・『わが星』二回目の予約
 ・□□□のアルバムの大量借り

・これからしようと思ってること。
 ・『わが星』二回目の鑑賞
 ・わがままの他の作品の鑑賞
 ・ソーントン・ワイルダーの『わが町』の戯曲の購入。
 

・『わが星』関連動画

わが星のOP


『わが星』オープニング - YouTube



岸田國士賞授賞式での多幸感あふれるライブ。


岸田戯曲賞授賞式 2010-04-12 - YouTube


・□□□(クチロロ)の『00:00:00』


(クチロロ)/00:00:00 short ver. - YouTube



・□□□が『わが星』ワークショップを経て作り上げた楽曲『いつかどこかで』


口口口 クチロロ ''いつかどこかで [Album Version]'' 2012 - YouTube

ドキュメント 24歳男性、西田藍さんの握手会に参加する。

10日前くらいには書いてたんだけども、あまりの文章の支離滅裂さや内容の気持ち悪さに公開をためらっていたのだけども、なんとなく「まあ、ええやろ」と自分の中で良くない方の納得が生じたためにアップ。

 

以下が24歳男性のドキュメンタリーである。

 

 

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日々があっという間に過ぎていく。というか、なんていうの、人生ってあっという間ね。

今まで勝手に日々を過ごしてれば知識も体力も魅力もついてくると思ったけども、そんなことなくて、どれもこれも努力せねばいけないものだとは私は知らなかった。
といっても24歳男性は24歳男性なので、ある程度もう知っていた。知らなかったという言葉遣いはこの文章の流れとして気持ちいいから言い放ったもので、本当は知ってる。だから辛い。悲しい。
 
 24歳男性は気がつけばSNSの中毒になっていた。
 そもそも、携帯のメール時代から特に特定の相手がいるわけでもなく、自分の時間を多く割けるような人もいない自分が自由な時間を手にしたらどうなるか、といえばSNSでござんした。
SNSでも私が特にはまってるのはTwitterである。
Twitterだけは2009年から止まることなくやってる。
Twitterばかりしすぎて、最近は私はどうも薄っぺらな人間により成り果てたように思える。
もっと本当は博覧強記な人間になりたかったはずなのに、気がつきゃ映画と音楽をふにゃらかと呟くだけの24歳男性になっていた。
そりゃだめだよ。
博覧強記になるんやと決めたならばもっといろんな本を読むんだ。もっと知識を得ることに喜びを感じるんだ。
 
そんなことを心で強く願ってるのに、結局SNSをゆるく使って、致命的に時間だけを浪費していく。それはなんとも言い難く哀しい。
 
 
 ええと今回この文章を書こうと思ったのは西田藍さんのトークライブに行ってきたよという話がしたかったのに、結局よくわかんないことをつらつらと書いてしまっている。 
 でも、これも一応繋がりがあることなのだよ。多分だけども。
 西田藍さんを知ったのは去年の今頃だったはざだ。
 僕がちょうど就活ノイローゼになって自分自身に自信をめちゃくちゃに失っていたころだった。
 西田藍さんを知ったのもTwitter上でだった。
 度肝を抜かれたのだった。
 それは西田藍さんの好きなものに対する熱だった。
 私は恥ずかしいことに、と恥ずかしがらなくてもいいかもしれないけどもダイノジ大谷のオールナイトニッポンリスナーでもございましたので、いくら隠し通してもなんやかんやあり続けるものが人を好きになる理由が一つあって、それは熱量なんですよ。
 熱量。
 熱量と言えば、ある人にある好きなものがあるとしよう。それを好きという思いの強さ。そしてそれを人に発信する強さや勢い。それらがどうかしてるのを熱量が高いと思ってるのですけども、西田藍さんは本当に熱量が高かった。
 僕は本を読んでるふりをしていた読書家だったから、海外SF小説吾妻ひでおのこと、そして制服のことを熱く熱くTwitter上で語る姿に、もうそりゃときめいた。なんて熱量だ、この人は!
西田藍さんといえば本当にお綺麗な方でそちらのフックもものすごいですが、同時に書く文章もとても魅力的で「もっと読みたい!」と思うようなご飯でいうとこの食べ応えがある文章を書く人だったので、ブログも読むようになったりとどんどん活動を追うようになっていったんですよ。
 
とここまで書いてめちゃくちゃに気持ち悪いことに気がついた。俺は何を書いてるんだ。
 
とりあえずばすーっと間をカットしまして、先日のゲンロンカフェで行われた大森望さんと西田藍さんのトークライブに行ったのです。
 
トークライブの最後にはDVDを買った人のみにチェキ会+握手会。
ええとDVDを買っちゃったよね。そりゃもう俺のこの金が西田藍さんの活動資金になってくれたら万々歳だと思い買ったよね。後悔はないよね。思えばこんな風にアイドルを応援するようなこと俺は初めて。握手会も初めて。
というわけで最初に写真撮影があったわけですよ。
あの西田藍さんが目の前にいて「ポーズどうしますか?」と聞いてくるわけですよ。
24歳男性はただただ「普通で…」と何の色味もない無難な答えをしてしまったら、西田藍さん笑顔でうさちゃんピースよ。アイドルよね。その瞬間、おもったよね。人類はアイドルに従わざるを得ないね。
俺はピースしたんだけども、これまた「俺、いじるんめっちゃ得意なんですよwww」って自分から言っちゃうテニサーの大学二回生くらい面白みのないピース。でも西田藍さんは超笑顔。
凄いよね。職場で真夏の熱で曲がった線路くらいにしか口角があがらないため、気持ち悪い笑顔にしかならない俺と違い、西田藍さんの笑顔まじで笑顔なのよ。高橋優が見たら「世界の共通言語じゃん」って歌い始めるくらいに笑顔なのよ。
で、どきまぎしてたら撮影終了ね。
そしたら今度はサインよ。DVDのジャケットにサインよ。
ファンとしてはこのサインの時間が全てだと思ったわけですよ。
就活ノイローゼでどうしようもなくなってた時に西田藍さんの存在を知って、俺ももう一度頑張ろうと思った事。突然、深夜に始まった過去の絵をアップして最終的にそれを燃やして「イニシエーションだ」と呟く流れを見た俺が何故か泣いてしまったこと。先日のコラムまじでよかったですよってこと。
いろいろなことが頭の中を駆け巡るわけ。
でも、もう声が出ない。サラダ油一気飲みした?ってくらい声が出ない。
「名前なんて書きますか?」
「あっ、ひゃ…○○○でお願いします」
言語中枢バグりながらも名前を伝えたことで声が出せるようになった。
そこから畳み掛けていこうと思った。心の中のスタローンが今しかねえと俺の勇気という名の冷凍肉を殴り始めた。
 
「あの…!まじで心から尊敬してます!」
 
言えた。24歳男性、言えた。
24歳男性、頑張って毎日生きてるのに「頑張りなよ〜」とよく言われる24歳男性が本当に頑張った瞬間。
 
そしたら西田藍さん、「えー!本当嬉しいですー!」ってさあ答えてくれるとか、まじアイドル。偶像崇拝って意味の方でまじでアイドル。
「あの、本やら好きなものに対する熱量や知識に本当尊敬してます…!」
 
そしたら竹書房のスタッフさんが「じゃあこういうDVD出すってなった時どう思った?」
って聞いてきて、思わず出たのが「あー!こんなパンチもあるんやー!ってことです」って言ったら西田藍さんが「しゅっしゅ!」って空パンチし始めた時、本当その時、歴史が動いたなって思った。ペリーかな?ってくらいに人の心の鎖国を解いていくね。凄いよね。完全に開国しちゃったもんね。
 
そしたら最後握手することになったんだけども、その手の柔らかさったら。
無印で商品にすべきじゃないかってくらい柔らかかった。
すんごい柔らかかったね。
「応援してます!」って本心で言ったよ。
というか本心しか出てなかったけども、さらに、さらに本心。むき出し。
 
で、会場出たんだけども、その瞬間に手足震えてるのに気がついた。
ぷるぷる震えてた。
あー、本当に、西田藍さんにあったんだー。って震えてた。
気がついたら天下一品に行ってしまったくらい、わけがわからないことしてしまった。
というわけで西田藍さんの握手会最高だったって話。
だからどうした?って話だけども、俺には受胎告知くらいやばい出来事だったんだよ。
凄かったよー!
 
 
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以上です。
ドキュメント性をもっと高めると、この文章は夜中12時以降に書きました。
平日のです。
翌日、めちゃくちゃ会社あったのですが「こうしちゃいれねえ!」と書きました。
どうかしてました。

生きてるって感じの日記

 せめて長文でだだだだだだっと文章を書き散らすときくらいは自分の気持ちいい感覚を優先させていきたい。
 ということで、毎回こういう出だしかもしれないけどもネット上で文章を書くのが苦痛で苦痛でしかたなかったのだけども、やっぱり唐突に訪れる書きたい、いや書き散らしたいよく。多分それはa.k.a自己顕示欲や自意識ってやつなんだと思うけども、それでも俺は書き散らしたい。稚拙でまとまりのない文章を書き散らしたい。そうじゃないと何かが上手くいかない気がする。気が狂うというわけじゃないし、この世界ともやっていけてないわけじゃないけども、それでも書き散らさなあかん。そうやって己の中にあるものを吐き出さなあかん時がある。それが今。
ということで俺は今、台風が来ていて強い雨粒が窓をべしべしとリズミカルにたたきつけているさなか、もしくは自分の手で作った生姜焼きを面白くない顔で食べたあとにこれを書いている。
もうすこし現状の話をしておいたほうがいいかもしれない。
今は2015年の5月12日。火曜日。時間は22時。
もう少しで寝なきゃいけない。なぜならば明日も会社にいかなきゃならないからだ。

昨年まで私は就活をしていた。いや、正確に言うならば今年の初めまでは就活をしていた。
現状、会社に行くと行ったことから想像がつくように、私は今会社員で社会人だ。
毎日スーツを着て、外を出歩いている。
新入社員でまだまだ全然何もわかっていない人間である。

奇跡的に社会人になれたはいいものの、日々朝を起きて「今日も自分のポンコツがばれないように」と祈ってる。嘘である。
でも、それは嘘だとしても自分のポンコツがばれないように、ばれないようになんとか日々頑張ろうとしているはずだ。
でも結局、根の部分はなにも変えられない。社会人になったからといってすぐに変わるもんじゃない。
ポンコツはすぐに顔を出そうとする。
私は今日もやらかしてしまった。
やらかして朝から自室で唸っていた。
「ううううううう」と気が小さな私は唸りその合間に「死んでしまいたい」とちょいちょいで挟む。

ちょうど昨日、SAWの1を少し見なおしたから思うけども「生に感謝していないわけじゃない」
先日も親にご飯をごちそうした。
初任給で。
よく出来た息子プレイを行ったのだ。
親にごちそうすることで「親に感謝…ここまで育ててくれた親に…マジ感謝…」と胸にかねてからあったリスペクトの炎を積極的に灯にいったわけだけども。
でそういうことをすると「生に感謝」するわけで。
そもそも私の言いたい「死にたい」とは“五体がばらばらに引き裂かれてモータルコンバットの必殺技的な状況になること”じゃなく、“とにかくメンタルが弱ってるから安らぎが欲しいです…。え?死ぬとか?五体バラバラ?ふざけるんじゃねえよ馬鹿野郎。死にてえわけねえだろ!!”ってことです。
というわけで死にてえわけじゃねえけども、ちょいちょいでメンタルは弱っている。
もともとメンタルは弱りがち。Syrup16gが言っていたように「心なんて一生不安さ」の一生不安。息するように不安。
それがとにかく続いてる。
それがとくに増大するのがポンコツがばれた瞬間。
突然ポンコツってバーン!となんの前触れもなく飛び出る。
よばれてとびでてじゃじゃじゃじゃーん。出てくんじゃねえよ馬鹿野郎。まだお呼びじゃねえっつってるんだろ馬鹿野郎。
というわけで日々突然飛び出るポンコツに対処する日々。

だからあれよ、家に帰る道のりは反省会よ。
「あーまじで辛いなーやばいなー」
とここまで書いて不安になったからあれだけども所謂ブラック企業に勤めているわけじゃないことだけは言っておく。
この辛いなーは自分自身の問題である。
社会に出て以来自分自身の信用のなさと戦い続けている感じ。
自分自身の信用のなさってあれよ?「俺を認めろー!」ってやつじゃないよ。
俺が俺を信用していないという話。
だから常にバグがめっちゃある俺というロボットを"俺"が必死に操縦している感じ。
最初の一ヶ月はガンダム立つ。みたいな。エヴァの1話な。歩けただけで奇跡。
社会も「本当にあいつ動くんだ…」みたいな感動で迎えてくれるわけだけども、それだけじゃだめじゃないですか。
やっぱり宇宙で戦うことが求めらたり、アンビリカルケーブルが切れたあとも戦い続けてラスト1秒でやっと使徒殺したり、そういう活躍というか歩けただけじゃダメ、それから先の景色が見てみたいというわけじゃないですか。
ということで俺も自らを操縦して「じゃあ見せてやるよ!その景色!」って思った瞬間に自爆スイッチオン、ちゅどーんタツノコプロって感じの行動をとっちゃうわけよね。


だからまあ、日々お前もっと頑張れー!がんばれー!ってことですし、俺も「っしゃあ!」と市原隼人のように自らを奮い立たせて頑張るぞー!となってるけども、その気合とメンタルは釣り合うかと言ったらそうじゃなく、気合はあっても落ち込むときは落ち込むようね。そうよね。私そうよね。
っていう感じです。はい。

というわけでそんな落ちこんでるときに、せめて気持ちだけはリゾートにいるような気分になりたいよねってことで聴いてくださいTahiti80でhey joe


Tahiti80 - Hey Joe - YouTube

24歳男性の肥大化した自意識を抑えるたったひとつの冴えたやりかた。

下書き保存で溜まっていく映画の感想が20を超えたあたりから数えられなくなった。



なぜここまでまじめに取り組まない進研ゼミのように溜まってしまったのだろうか。
映画を見ると感想を書きたくなり、Twitterには書く。そして今度は長文だと思いブログを開き書き始めると何故かわからないが途中あたりで毎回飽きる。
というより、なんていうか「もやもや」する。
恥ずかしくなる。
文章の体裁ばかりを気にして、自分がその映画を見てどう思ったかが消失してしまう。
書くのがそもそもストレスになり下書き保存。
そして世に出ない映画の感想がたまっていく。
しんどいしんどい。


そもそも、元々私はええかっこしいなのだ。
ええかっこしいなので、映画を見ている時も顔の横に指を起き「ふむふむなるほどなるほど」と知ったような表情をしている。
しかしそもそも私は涙腺が壊れただけの24歳男性で、世間をあっと言わせるような鑑賞眼も、人々を酔わせるような文章も書けないはずなのだ。

なのに、映画を見て「いざ、感想を」と思うと心のなかの文豪が邪魔をする。
「ちみ。その文章で恥ずかしくないのかい」

恥ずかしいです。


私は、かしこくない。
かしこくない人間だ、ということをちゃんとわきまえてなければならない。
じゃないとすぐに私は背伸びをしてしまう。
何かを知ったふうなことをすぐに言ってしまう。


そんな風な自意識なんてどこかへ捨て去って、浜村淳さんのように映画を語っていきたい。
ありがとう浜村淳です


というように最近はまた自意識に苛まれている。
というか自意識やばくないですか。自意識ってなんであんなに人を苛むんですか。
なぜ自意識なんてめんどくさいものがあるんですか。
自意識なんてめんどくさい。こんなめんどくさいものを捨てたい。
捨てるにはどうすればいいんだろうか。

しかし捨てることはできない。なぜならもう自意識は俺の中でばっちばちにつながっているからだ。むりに引き剥がそうとしたら死んでしまう。ライク亀の甲羅。
でもなんとかしたい。
そうだ。めんどくさいにはめんどくさいものをぶつければいいんだ。
同じ速度でめんどくさいものとめんどくさいものをぶつけることで新たなものを生まれるのでは。
その結論に至った俺は、団地で練習するにはめんどくさい楽器「ピアニカ」を買ってしまった。
自意識が肥大化した24歳男性vsめんどくさい楽器「ピアニカ」
日が鋭く差し込む12:00。
俺はピアニカのケースを開ける。
ぺぽー。と生ぬるい音が団地に鳴り響く。
生ぬるく安っぽいその音が俺の過敏になった自意識を抑えていく。




ぺぽー。
ぱぴー。
ぷぽー。



ああ。なんとも気の抜けた音だろうか。
この音の前では俺のぎっちぎちになった自意識も無意味。無価値。
俺は膨れ上がった己ではなく、等身大の24歳男性に戻っていく。
ありがとうピアニカ。
I love youピアニカ。
thank you forピアニカ。




というわけでピアニカにはまっています。
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演奏して気持ちいい曲はロッキーです。


Gonna Fly Now (ロッキーのテーマ) - YouTube

24歳男性、『問題のあるレストラン』第1話を見て、大いに泣く。

『問題のあるレストラン』第一話見た!

内容の話に入る前に、どうしてもいいたいのが、この日本に住む俺を含む男性陣はとにかくこの一話だけでも見たほうがいい。
これから全話通して見るのは時間も体力も無いし…って人でも、一話だけなら見る事ができるはずだ。
どうしてもこの一話だけでも、男性陣に見て欲しい。
理由は男性のどうしようもなさと罪としか言いようのないものがここに詰まってるからだ。男性である我々がいつか起こしてしまうかもしれない罪や暴力。
そしてそれによって心を破壊されることの救いのなさ。
ここに出てくる糞野郎な男どもに成り下がる前にこの一話を見たほうがいい。
この一話を自らの血と肉にするべきだ。そして糞野郎であることを自覚し、少しでもそんな人間にならないように努力をするべきなんじゃないだろうか。


と書くと固そうなドラマに思われそうだけども、そうじゃない。全体的には軽妙なトーンで作られたコメディドラマだ。だけども、メッセージはかなり重いしずどんとくる。


第1話で描かれてるのは五月という女性が男性社会の中で心身共に徹底的に破壊される様だ。五月は「会社の嫌な奴たちを日本刀でばっさばっさと殺す夢ばかり見ていた」と泣きながらに言う。
そのシーンはキル・ビルのような軽妙さがあるが、受ける印象は真逆だ。演じてる菊池亜希子がユマ・サーマンのような刀使いをするミスマッチさが彼女を周囲がそこまで追い詰めてしまった悲惨さが浮き彫りになっていく。
叫びながら社長を刀で貫くシーンのころにはただただ涙が溢れ出ていた。
悔しくて。悔しくて。
妄想の中でしか、やり返せない自分が悔しくて。こんな妄想をするように追い詰めたあいつらが憎くて。

五月の趣味である料理のレシピ帳。その端に書かれた日記にこんな一文があった。

「無意識に人を傷つける人の前では、こっちが悪意をもたなきゃいけない」


真木よう子演じる主人公である田中たま子は親友である五月のその夢を果たしてあげるように氷水を同僚にかけていく。
いい気になっていた男たちが氷水をかけられてあたふたするこのシーンは爽快感がとてもあり、ドラマ内で溜まった溜飲は一気に下がる。
しかし社会から「生きていくな」と言われたような絶望を味わった女性のせめてもの恨みを果たすには、この社会では氷水をかけるくらいのことしか出来ない現状に歯がゆさも感じたのも確かだった。


氷水をかけるくらいのことしかしてないから歯がゆさを感じるわけじゃない。
ライフルを乱射して同僚を殺す真木よう子を見る事が出来たらそりゃ「yeah!!!」と拳を突き上げて、拍手をしてブラボブラボーとより爽快感あるシーンになったかもしれない。
でも、問題はそこにあるんじゃない。
氷水をかけたのもロング・グッドバイ劇中のセリフを引用すると「せめてもの憂さが晴れるってもの」ってくらいだ。

だから24歳男性としてこのドラマを見てすべきことは氷水のシーンで溜飲を下げるだけで終わらずに、自分自身と戦い続けることなんじゃないかと思った。
どっちにしろ歳は取る。
どんどん鈍感になるだろう。
だからと言って糞野郎になっていいわけじゃない。
だからこそ忘れちゃいけないことがたくさんあるはずだ。
そんな糞野郎にならないように自分自身を絶えず持ち続けることこそが、このドラマを見た俺がやることなんじゃねえだろうか。


と色々書いたけども『問題のあるレストラン』1話は本当面白かった。えっ!?と驚く冒頭から、現在と過去が交錯する構成にドキドキしたし、出てくる糞野郎どもにイライラしたしあの行為にはまじで悔しくて涙溢れたし…。悔しくて何度も涙が出たってフィクションでなかなか無いよ!というか現実だよ!!現実なんだよ!!
だからこそ忘れちゃいけないんだよ!


まあ、こんなこと言ってますが「onちゃん」こと安田顕がオカマの役で出ずっぱりで、二階堂ふみは機嫌悪そうで、キュートな真木よう子を終始見る事が出来るだけでも大満足なんですよ。

あと東出くんが半端ねえ。この東出くん半端ねえ。
思わずかっけえ!と夜中に叫ぶ24歳男性。
それでは今日はこんな感じでございます。