にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

短編小説『ニドマキは喋るのをやめない』

「結局さ、竹本さんは最後まで俺のことが好きだったと思うのよ。でも、あえて俺のことを思って振ったんだよ。そうだよ。絶対」と言いながらニドマキは俺の家の冷蔵庫から勝手に取った卵を割って、かちゃかちゃと箸でかき混ぜる。

 ニドマキのこの勝手な振る舞いも三日目にして、もうあきらめの境地に達したというか、指摘するだけ無駄だと諦めた俺はベッドに寝転びながら、奴のどうでもいい持論を延々と聞き続けている。

 


 三日前、ニドマキは突然俺の家にやってきて「フラれたから泊めてくれない」と勝手な理由で上がり込み、それから三日間は奴の独壇場だ。

 ニドマキは口を開けば、竹本さんという奴の元カノがいかに素晴らしい人間であったかを語り、そして時に怒りで感情のミキサーが狂い、竹本さんがいかに酷い人間だったかを語ったと思うと、ごめんごめんごめんと何度も謝りながら泣いたりするのだった。

 俺は最初こそ頷いていたが、20分もすればどうでもよくなってきて、部屋にある読みまくった漫画をまた最初から読み直したり、スマホでどうでもいい天気の情報や、Twitterの最新トレンドを漁ったり、そんなことでニドマキの演説を聞き流すことに終始したのだった。

 ニドマキは「なあ、アラタはどう思うんだよ」と俺に意見を求めるが、知ったこっちゃない。そもそも俺は竹本さんなんて女性を知らないし、なんならニドマキと友達になった覚えもない。

 

 

 

 ニドマキと再会したのは1週間前、近所のスーパーで俺が粗挽きミンチ肉を買いに行ったときのことだった。

 「おい!アラタ!アラタじゃん!」と突然、大きな声で叫ばれた。振り向くと、そこには金髪と黒髪のバランスが見事なプリンになった汚らしい男がいた。

 「俺だよ!俺!覚えてねえの!?」

 「誰?」

 「俺!ニドマキ!高校が一緒だったニドマキ!」

 そう言われても全くピンと来なかった。いぶかしげにニドマキと名乗る男を見つめていたら「え!覚えてねえの!3年の時、よく顔会わしてたじゃん!」

 まだわからなかった。

 「3年の時、俺、2組で、アラタは1組だったじゃん!俺、鳥屋の友達だったから、よく1組に顔出してたじゃん!」

 とか言い始めてやっと思い出した。元バスケ部かなんかの調子者の男。

 バスケ部を引退か、首になった後、鳥屋とかいう無口な男とよくつるんでいた奴だ。

 でも、こいつと話したことは一度もないはずだった。

 「俺、お前と話したことないよな」

 「え!まじで!?」

 ニドマキは信じられないような表情をした。

 「喋ったことあるって!」

 「どこで」

 「あれだよ。ノート1回借りたじゃん」

 ノート?

 「国語のノート!まじで単位やべえってなった時に、俺が必死こいて頼んだら、貸してくれたじゃん!」

 「はあ」

 国語のノートの貸し借りの話をし始めたけども、俺たちの年齢はもう28歳になっていた。10年前のことだ。今更貸し借りしたノートのことを覚えている28歳がどれだけいるだろう?

 「え!アラタってこの辺住んでんの?」

 めんどくさいことになったと思った俺は、なんとか話をずらそうとした。

 しかしこのニドマキって人間のめんどくささと記憶力の高さはどうかしていた。

 俺の全く覚えていない俺の話を延々とし、そして自分が今、パチンコで生計を立てているって話まで一気呵成に繰り出し、そして気がついた頃には。

 「アラタの家行っていい?」

 くそ野郎が。

 


 その日は、ニドマキを家にあげることは絶対にしなかった。「仕事がある」とか言ってごまかした。でも、家の前まではついてこられた。外からどこの部屋か丸見えなアパートに戻る姿もニドマキは目撃していたはずだ。あげなかったけども、俺がどこの部屋に住んでいるかは覚えたはずだ。10年前のことを昨日のことのように覚えている奴だ。こんなこと覚えるの造作もないだろう。

 そして俺は1つ嘘をついた。「仕事」なんてなかった。俺は無職だった。6年勤めた会社を俺はその時辞めていた。理由は特になかった。ただ辞めたかった。一度会社勤めというものから解放されたかったのだ。だから仕事なんてなかった。それでもニドマキを家にあげなかったのは面倒なことになるなと思ったからだった。そしてその予感は的中した。

 


 その日、その時、俺はちょうど白シャツにアイロンを当てていた。6年間やってきた習慣はもはや精神安定剤へと変わり果てていた。丁寧に、そして力を均等にかけ、白シャツを伸ばしていたその瞬間、奴はやってきた。そして泣きながら「もう駄目だ!」と叫び、先ほどのような理由を口にしながら部屋にあがりこんだ。俺の精神安定は一瞬にして崩れ去った。それから三日経った。

 ニドマキは部屋から出ようともせず、延々と喋り続けた。延々と喋り続けるのを聞いたせいで「竹本さん」は俺の夢にまで出てきた。

 「竹本さん」は黒髪ロングヘアーの身長がすらっとした女性で、くしゃっとした笑顔をし、そして何をするにしても肯定するような人間だったそうだ。

 俺の夢の中に出てきた「竹本さん」は俺が無職を選んだことも肯定してくれた。そしてくしゃっとした笑顔でこういうのだった。「私が頑張るから、アラタくんはゆっくり休んでいいよ」。

 そんな都合のよすぎる人間がこの世にいるはずがない。そんな童貞の妄想のような人間がこの世にいるはずが。

 

 

 

 俺は三日間の間、ずっと疑念を抱いていた。ニドマキの語る「竹本さん」というのは実像とかけ離れているのではないかということを。ニドマキは自分にとって都合のいい「竹本さん」を作り出しているのではないかということを。ニドマキは「なんでフラれたんだ」と時折叫んでいたが、それこそが答えで、何をするにも肯定していたわけではないのだ。彼女はもう疲れ果てていたのだろう。出て行ったこと、それが答えだ。そもそも28歳にもなってパチンコばっかりやってる人間のことを肯定する女性がこの世のどこにいる?

 ニドマキは「竹本さん」を曲解していたのだろう。ニドマキの中で都合のいい「竹本さん」がふくれあがり、めちゃくちゃ失礼なことをしまくっていたのだろう。今の俺にしているみたいなことを。

 結果、そのズレが最大限に広がった時、ニドマキはフラれたのだ。ざまあみやがれ。そして「竹本さん」こんな男と離れて正解だよ。この世にはもっといい男が沢山いる。頭をプリンにしたパチンコばかりやって自分の話ばかりしまくる男なんかじゃなく、もっとましな男が。

 


 味付けも何もしていないプレーンオムレツを作りながらニドマキは「竹本さんは俺のこと好きだったはずなんだ」と言い続けていた。そして「アラタはどう思う?」と時折付け加えた。

 何にも思わないよ。なんて言うと、こいつは泣き始める。1日目に嫌というほど味わった。だから俺は言う。

 「竹本さんはお前のこと最後まで好きだったと思うよ」

 そう言うとニドマキは満面の笑みになって「やっぱそうだよな!!」と喜んだ。

 どうでもいい。

 そしてもう限界だと思った。

 もう今日こそはこの家から出よう。ニドマキの話を聞き続けていたらこっちの精神がどうにかなる。

 俺はアイロンをかけてある白シャツを一枚選ぶ。

 「あれ!どっか行くの?」

 「散歩に行ってくる」

 「俺もついていっていいかな?」

 ふざけんなよ。お前から離れるために散歩するんだよ。

 「ってかさ、アラタ、仕事はどうしたの?」

 三日も居座って自分の話をし続けたニドマキもそろそろ気がつき始めたようだ。

 もし、俺が無職だとばれたら、ニドマキはどう思うだろう。

 ニドマキのことだ。「仕事に行かなくていいなら俺の話を聞いてくれよ!」と喜ぶだろう。くっそ。全部ニドマキが来てから、おかしくなっていく。

 俺は静かにただ暮らしたかっただけなんだ。仕事から離れてただ静かに暮らしたかっただけなのに。

 


 その時、インターフォンが鳴った。

 「はーい!」とニドマキが叫ぶ。なんでお前が叫ぶんだよ。俺はため息を付きながらドアを開く。

 するとそこには黒髪ロングヘアーですらっとした女性が立っていた。

 間違いない。

 「竹本さん」だ。

 いや、なんでここに?

 「すいません。ニドマキがここに来ていないですか?」と竹本さんが言い終わるか、言い終わらないかのタイミングでニドマキは「竹本さああああん!!!」と叫んでいた。

 ニドマキは泣き崩れていた。

 はあ?

 


 気がついた頃には、ニドマキと竹本さんと俺はテーブルを囲んでいた。竹本さんはニドマキが話していた人物よりも、とても知性的で理知的で落ち着きのある人物だった。

 しかし困ったことにこの女性はニドマキのことがどうやらとてつもなく好きなようだった。なんで?疑問は広がり続ける。しかしその答えを提示する前に話は前に進み続ける。おいおい、せっかくなんだゆっくりやろうぜ。そう思うが竹本さんも、どうやら自分勝手に話を進める性質らしい。

 竹本さんはパチンコばかりするニドマキを一度懲らしめてやろうと「別れる」と言って、家を飛び出したそうだ。と言っても、元々竹本さんは別に家を借りていたらしく、そこに戻っていただけだった。なんでそっちに行かなかったんだ?と尋ねると「考えが及ばなかった」とニドマキはくしゃっと笑いながら答えていた。馬鹿が。

 少し懲らしめるつもりで、家を離れ、昨日戻ってみたらニドマキはおらず、最初はパチンコにでも行ってるのかと思いきや、全く帰ってこなくて、今朝になって竹本さんの不安は最高潮。あちこち探しに出かけたそうだ。竹本さんはそりゃ走り回り、そして泣き崩れ、それでも立ち上がり、そしてふと思い出したそうだ。「あのアパートに俺の友人のアラタが住んでるんだ」と言っていたことを。

 馬鹿野郎。友人でもなんでもねえぞ。と言いたかったが、竹本さんは話しながら涙ぐむし、ニドマキは「俺のために・・・なんて馬鹿なんだ俺は・・・ッ!!」と泣きながら太ももを叩くし、なんだこれ。

 もう付き合ってられねえと、俺は「まあ、見つかったんだったらいいじゃないですか」と言うと竹本さんは「ありがとうございました!!!」とお辞儀を何度も繰り返し、ニドマキも「本当ありがとう!!!」と叫ぶ。何をありがとうと言われているのかさっぱりだ。

 ニドマキは「俺、もう、パチンコばっかりしねえ。ちゃんと働くから!竹本さんの貯めに働くから!!」といい、竹本さんは「うん!うん!」とウソ800を飲んだドラえもんのようにうなずき続け、俺は帰った帰ったと気持ちを押し殺しながら、二人を玄関先まで誘導。

 「アラタ!本当ありがとうな!また遊ぼうな!!」と言って、ニドマキはドアをしめた。遊んでいたつもりだったのか。あの野郎は。こっちの生活を三日間めちゃくちゃにしたことをただ遊んでいたと言いやがった。くそ野郎め。

 


 そして静寂が訪れた。

 はぁ。やっと静かになった。やっと一人になれた。

 俺は三日間のノイズからやっと解放された。ニドマキがいなくなった部屋はこんなに静かなのかと驚いた。静かすぎて耳が痛いほどだった。

 自由になんでもできる。ただニドマキがこの部屋に残していった惨状をまずは片付けないといけない。

 ふとフライパンの上を見ると、そこにはニドマキが作っていた味付けのしていないプレーンオムレツが残っていた。

 俺は舌打ちをする。そして、ため息をついて、そのオムレツを皿に移し、食べることにした。

 一口食べる。味付けを何もしていないので、文字通り味気が全くなかった。

 くっそ。ニドマキめ。最後の最後までうるさい奴だった。

 三日ぶりに訪れた静寂はとても心地がよく、俺は背伸びをする。

 しかし、どこか居心地が悪く、妙に寂しい。寂しい?馬鹿な。俺はその考えをかき消す。ただ居心地が悪いのは確かだ。

 そしてニドマキが残していった味気のないプレーンオムレツがその居心地の悪さを更に加速させる。

 俺は居心地の悪さをかき消すように、冷蔵庫からケチャップを取り出し、プレーンオムレツに大量のケチャップをかけた。

 そうして食べたオムレツは、もはやただのケチャップで、俺はどうしようもない気持ちになり、残り半分はゴミ箱に捨てたのだった。