休職しはじめたのが去年の8月。2018年の5月をもって9か月休職していることになる。私は9ヶ月間も社会から離れた場所で生きている。
前は一日外出ただけで体力は無に帰して、全く動けないみたいな日が何日もあった。
一週間のうち、家に居るのが5日か6日みたいな日もあった。
徐々に回復してきたのか3日出れるようにはなってきた。
この前、いつものように睡眠薬を飲んで、布団に潜り込んだら、復職のことを考えてしまった。
このまま体力が回復していったら、戻らなきゃいけないだろう。
でも、その途端に怖いと思ってしまった。
また、コミュニケーションに疲れ果ててしまうのではないかとか、いろいろミスをしてしまって、何にもしゃべれなくなってしまうのではないかと思うようになった。
気がつけば、怖くて怖くて動けなくなってしまった。
最近の自分は面白くない。
昔に比べたら面白くない人間になってしまっている気がする。
そんなことを友人に言ったら、そんなこともなかったでと言われた。
昔の自分を神格化してしまっていた。
昔の自分もそんなことなかったのだ。
多分、今はきばっていたものが、するすると溶けて、素の自分に近づいているだけなのだ。
素の自分ってのがどんなのかわかんないけども、本当はそれほど頑張りたくない自分が本当なのかもしれない。
頑張りすぎていたのだ。
27年間。
とにかくついて行こう、負けないようにしようと頑張りすぎてしまっていたのが今の自分になってしまったのだ。
時が止まったような日々を過ごしている。
世間では夏が終わって秋になって冬になって春になって夏になりかけているけども、僕の時間だけはとまったようになってる。
世間に戻るというのは未だに怖いと言う感覚が染みついている。
自分を押し殺して、毎日を過ごしていくのがやっぱり怖い。
だからこれからはその恐怖を払拭しないといけない。
止まった時間を再び動かさないといけない。
いつまでもこうしているわけにはいかない。
実家に戻っている。
今回は一ヶ月は戻ろうと思って、長めに時間を取った。
危惧していた父親との軋轢もなかった。
父親も前みたいに「首になる」とかそんなことは言わないようになった。
「やめてもいいよ」と言うようになった。
でもなんとなくまだやめたくないと思う。でも、戻るのは怖い。
そんな風に身動きがとれない。
実家ではなるべく家事をした。少しでも、自分が何かできると証明するように家事をした。
そんなことでもいいから、自分は無価値ではないと思いたかった。
価値のない人間に生まれた覚えはなくて、でも誰からも「できそこない」のレッテルを張られることが多い私は気がつけば自信を失い休職するはめになってしまった。
そんなことはないと思いたい。
自信過剰でいいから自分に価値はあると思いたい。
何かを成し遂げるなんて大きなことは言わなくていい。
ただの自分でいいから、認められたい。
それが難しいことはわかってる。
でも、なんとか、それを達成したい。
この文章を難波のドトールで書いている。
煙草を吸いながら。灰皿には吸い殻が三本。
読書をしていたがいまいち乗り切れない。
この本が面白くないのか、自分が乗り切れないだけなのか、それすらもわからない。
家にいるのが嫌になって外に出てみたけども、結局はこうしてドトールにいくだけだ。
こんな時間がいつか何かに変わるのだろうか。
こんな何にもない時間がいつか何かに変わる瞬間はあるのだろうか。
これまでも、変わってきたことはあった。
瞬間瞬間で何も無いと思っていた時間が変わることはあった。
だから信じるしか無い。
今はねじ巻きの時間だ。
巻かれたねじが解放されるのを待って、一日一日を過ごすしかない。