にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

進捗日記 2019年4月25日『キャプテン・マーベル』

睡眠薬をたまに飲む。というのも眠ることができたりできなかったりするからです。

昨日は一日起きていたのですが布団に入っても全く眠くならない。ってことで睡眠薬を飲んだら、コロンと寝てしまった。

ちなみに私が今服用している睡眠薬は先日Twitterで「デートの時に青い飲み物出されたら、それにはこの睡眠薬が入ってる!」と指摘されていたやつと同じだった。およよ。

 

睡眠薬を飲んで、起きた時の睡魔が物凄い。引っ張られるような強烈な睡魔を引っ張り返すように、外に出て缶コーヒーを買って、家に帰って飲みながらぼんやり。

暑くなってきたのでceroのsummer soulを聞いたりしていたら、結局寝てしまった。布団の上でsummer soulを聴くと気持ちよくなりすぎてしまう。

 

ユニクロに行って服を買った。暑くなってきたし、色々と必要になったのもあったし。

薄手のパーカー、無地の白Tシャツ、イームズチェアがプリントされたTシャツ、それに靴下とパンツ。

着てきた服が汗だくになってしまったので、早速フィッティングルームで着替える。

買った薄手のパーカーがよくて、結構気に入った。

6000円ほど使う。しかし、色々買って6000円なので安いなあと思う。ユニクロと無印でしか服を買わなくなったなあ。同い年の人達は一体どこで服を買っているのだろう。全く想像がつかない。

 

今日が最終回だったので『キャプテン・マーベル』を見た。

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思わず泣いてしまった。人生でくじける度に何度も立ち上がってきたその姿に泣いてしまった。

能力があるからヒーローになれるのではなく、その立ち上がる姿勢こそヒーローなんだ!という一連のシーンでボロボロ泣いた。

立ち上がらなきゃなあと思う。私もいつまでもくじけている場合ではない。

女性として抑圧されていた人が解き放たれる瞬間がヒーローとしての覚醒につながる構成ええですね。こんな風にヒーロー映画としてのカタルシスとテーマを同時を伝えることができるんだ!なんて思ったりしました。

内容も謎めいたミステリー的展開もあれば、ボディスナッチャーな展開もあれば、90年代アクション風味なシーンもあれば(特に岩肌での空中戦はインデペンデンス・デイを思い出して凄く嬉しい気持ちになった)、前日譚としての面白さもあれば、バディものとしての気持ちよさもあれば、スタートレック的な異星人との交流とあれな、ヒーロービギンズな面白さもある…ってよくもこんな要素が全部まとまってるなあと思った。

「マーベル」って社名じゃん、どうやって理由づけるんだろうって思ったら、なるほど〜な理由でそれもよかったですね。

ナイン・インチ・ネイルズのTシャツが欲しくなりましたね。あれ時期的にはダウンワードスパイラルくらいの時期ってことなんだろうか。

トゥルーライズの立て看板もあったしそういうことなんだろうなー。

久しぶりに映画を見たけども、映画って楽しいですね。本当楽しい。今は生活をどんどん小さくしなきゃいけない時期だけども、たまには映画館に行って、こういう派手な映画を浴びるのもいいなあと思いました。

にしてもサミュエル・L・ジャクソンサミュエル・L・ジャクソンしてるのって本当いいですね。台詞回しが本当音楽的で耳に気持ちいい。久しぶりに『パルプ・フィクション』が見たくなりました。

楽しい気持ちになりながら帰った。惜しむべきは90年代音楽にもっと造詣が深かったらなーと思いました。

R.E.Mのman on the moonくらいしかわからなかった。宇宙の話をしている時にこの音楽が流れるのよいですね。

映画を見て楽しい気持ちになりました。見るまではまた気落ちしていたけども、だいぶましになりました。エンドゲームいつ見に行けるかな。早いうちに見に行きたいです。

 

今日の写真

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進捗日記 2019年4月24日(読書めちゃ楽しい)

昨日、夕方まで死んだように寝ていたのもあって、全く眠ることができず。朝まで『ディファレンス・エンジン』をパラパラ読んだり、有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERを聞いたりする。

 

今日はあちこちの喫茶店に行った。といってもご当地喫茶店なんてのは一件だけでほぼチェーン店。その先々でずっと『ディファレンス・エンジン』を読み続けていた。

突如として読書ハイになっている。とにかく読書が楽しくて楽しくて仕方ない状態だ。これになった原因は、無の時間が訪れると気落ちしてしまうからというのがあって、それに対抗するために物語の世界に没入していたら、気がついたらどんどん本が読めていたというのがある。

今日は結局『ディファレンス・エンジン』の上巻を読みきったので今月は十二冊も読んでいる。あと6日で何冊読めるだろう。

しかし、これまで本は本当に読んでこなかった。たまに読んだりしていたけども、読書家とは程遠かった。今は読書をしている時間がたまらなく楽しい。一瞬だけでも自分のことを忘れて世界に没入できるのが楽しい。書くことや物語について考えるのが楽しい。なんてことないディティールが頭にこびりつくのが楽しい。読み終わったあと、余韻の中で自分なりの感想をひねり出すのが楽しい。読書めっちゃ楽しい。

でも、本当まだまだ読んでみたい。読んだことない作品ばかりだ。

とりあえず『ねじまき鳥クロニクル』の第3部と『ディファレンス・エンジン』の下巻をまずは読み切りたい。

それから家にある本だと『ファイト・クラブ』も読みたいし、樋口恭介の『構造素子』のネタ元になった東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』も読みたい。それからまだ知らない本に出会いたい。なにぶん、わからないことばかりだ。知らない本ばかりだ。とりあえず出会えるならもっと出会って読んでいきたい。

こんな風に読書に没頭できる時間なんて、この先どんどん無くなるだろうし、今、それができるならどんどんやっていきたい。

あとネットを見ていると、結構疲れることが多いのだけども、読書はそんなことない。読書で気分を害することまじでない。そりゃえぐい描写に「うわぁ」となったりすることはあれど、ネットを見ながらこの世界を憂いてしんどくなるってことはない。

とにかく、読書をしている限りは次々と読んでいきたいって気分でいっぱいになる。

多分、こんなハイ状態もいつかは切れてしまうとのだと思うけども、それでも続けれるうちは続けて、それで一冊でも多く、身体の中に染み込ませたい。

 

今日は先輩にあった。ご飯を食べてけらけら笑ってすごく楽しかった。人と会ってる時が一番楽しい。でも、そんな時により楽しい気持ちになれるのってカルチャーの話をしている時だと思う。あれが好き、これが好きって話をしている時ってなんであんなに楽しいんだろ!

それができるように続けていきたい。読みたいな!って思ってるうちに一冊でも多く読んでいきたい。そんな気持ちになっています。

 

ディファレンス・エンジン』上巻、読みづらいといわれていて、最初は面食らう瞬間も多かったけども徐々に設定が入ってきたり背景の世界がわかるようになってくると、蒸気と悪臭漂う産業革命時のロンドンを歩かされている気になる。そうなると『フロム・ヘル』を今度こそはちゃんと読まねばって気にもなる。たくさん、読めてない本があって、たくさん読みたい本が増えていってる。

どれだけの本に出会えるだろう。とりあえずアンテナを高くして、読みたいものを増やしながら、そして出会えるものはどんどん出会っていきたい。

 

明日でキャプテンマーベルの上映が終わるみたいだ。駆け込みで観に行こうかなあ。

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進捗日記 2019年4月23日(お気持ち表明)

さて、毎日書いている日記だけども、最近はどうしたものかと思い続けている。こうやって日々を記録を垂れ流すことによって、私はなにをしたいのだろうかと。

言い換えれば「日記でなにを表現したいのだ?」ということである。日記を書いて書いて書いて、1ヶ月が過ぎた。しかし、書いても書いても書いても現れるのは「凡庸な日常」だ。

言うなれば「それが表現できた」ということなのだろう。凡庸な日々を生きているということが表現できた。それでいいじゃないか。

同時に、日記なんてやめてネットに数多あるような「エッセイ」を日々書いたらいいじゃないかという思いもある。しかし、それほど私は世界に対して「お気持ち」を発信したいとは思ってはいないと、ここまで書いて思い始める。

凡庸な日々でもいいから、それを積み重ねていくこと。それを通じて、両目洞窟人間という人間の人生のログを残すこと。

それでなにかを表現したいだなんて、思わない方がいい。

ログはログで、凡庸な日々は凡庸な日々だ。

ただただ生活は続き、人生は一日一日終わりへと近づいていく。

そのことを書こうと思う。

 

これは進捗日記だ。なんの?もともとは小説の。でも、最近は書けていない。どうして?なにを書いたらいいかわからないから。

じゃあなぜ進捗日記なんて言い続けるの?人生の進捗日記という言い訳を用意してるんですよ。

人生の進捗日記?

そうです。人生の進捗日記。進んだり、戻ったりする人生の進捗日記。

僕の好きな本に中原昌也の『中原昌也作業日誌』ってのがあって、作業日誌と言う割には、作業どうこうよりも、日々、物を買って、売って、映画を見て、本を読んで、音楽を聴いて、演奏して、小説を書いて、絵を描いて…みたいなそんな本があって、でも、読んでるうちに膨大な日記の中から浮かび上がってくるのはその中原昌也さんの人生で。

そんなものをやりたいと思って、この進捗日記を書いている。

じゃあ、その通りやったらいいじゃない。1000字近くも渡って、ぐだぐだなにかを書くことなかったじゃない。

その通りだと思う。でも、たまには迷ってしまうのです。

なにに?

書くことに。日々、日記を書いたりすることに。そんなことにすら迷ってしまうのです。

僕は。

あっそう。

 

じゃあいつも通り、進捗日記を書こうと思います。

 

今日もほぼ寝続ける。なんだか妙にしんどくて、物事を進めることが困難な日だった。

借りてきた映画も見る元気がなくて、結局見ることができず。

夕方、返しに行く。

そばとカツ丼を食べてからドトールにこもって、樋口恭介の『構造素子』を読む。

樋口恭介『構造素子』を読んだ! - にゃんこのいけにえ

感想を書く。でも相変わらずエモーショナル先行でなんのこっちゃって感想だ。ちゃんとした感想を書けるようになりたいという一方で、こういうエモーショナルなものは湧き上がらないと書けないから、湧き上がったというだけ、素晴らしかったのだと思う。

構造素子、とてもよい本でした。

 

構造素子の影響で『ディファレンス・エンジン』を買う。

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蒸気機関で駆動する社会というのが読みたくなったのでした。

 

米を買って、家に帰る。

スクワット100回とお風呂に入って人間性を回復させる。

 

という感じが、僕の今日の進捗日記。相変わらず凡庸な日々だ。

でも、凡庸な日々を積み重ねることで何かにたどり着きたい。成功だなんて望んじゃない。でも、人生がA地点からB地点に行ったというときにその移動推移を観れるようなログがあってもいいじゃないか。

というわけで、私は今日も進捗日記を書きました。

明日も書いていこうと思います。

樋口恭介『構造素子』を読んだ!

樋口恭介の『構造素子』を読んだ。

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あらすじは以下の画像から

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面白い本だった。しかしどのように感想を書けばいいかわからない。ネットの海にはこの本の構造を解説している文章、自身の人生と引き合わせて書いている感想があった。

今更、構造の解説や僕の人生と引き合わせた感想なんていらないと思う。

だから、どう書けばいいかわからない。

しかしどうしても何かを書きたい。なぜならば読んでしまったからだ。誰にでも読める本はない。しかし誰かには読める本はある。そう言う風なことをツァラトゥストラは言ったそうだ。

誤読だったとしても私はこの本を読んだ。そして何かを語りたいと思う。それは虚栄心や自尊心を満たすためではなく、読んでしまったから、その感情の果てに気持ちを吐き出したいからと言うことを付け加えたい。

 

そもそもなぜ読もうと思ったか、といえばTwitterを見ていたらこの画像が流れてきたからだ。

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『これは学園ラブコメです』という本で最初に引用されるのがこの『構造素子』の文章だそうだ。こういった文章のことをエピグラフっていうそうですね。勉強になりました。

で、これを読んだ時に何か惹かれるものがあって、次の日には図書館でこの本を借りていました。その直感は当たっていたなと思いました。

売れないSF作家だった父が残した草稿を息子が読んでいる…という体裁の小説である。

その草稿を読むというのが、本書の8割を占めている。

ここで軽くネタバレになるのだけども、その草稿には生まれてこなかった命についての記述がある。そして亡くなってしまった父の人生がある。

その草稿を通して息子は対話をしていく。死んでしまった父と、生まれてこなかった兄と。

対話といっても霊的なことではない。

全ては物語の中で行われる。

物語がそうさせる。

 

草稿にはさまざまなものが引用されている。SF小説哲学書宇宙戦争のラジオドラマ、ミュージシャンのワン・オートリックス・ポイント・ネヴァーのインタビュー。

それらが浮かび上がらせるものは何か?

世界そのものであって、そして物語を語るということではないか?

とここまで書いていて、両目洞窟人間はかなり動揺をし始めている。言い切る…ということがかなり危険な行為であることを知っているからだ。言い切ってはいけない。本はそもそも読めるものではない。誤読の先にしか物事を考えることはできない。

だから、言い切ることはやめよう。

この本で書かれた世界はなんであったかをまずは整理しよう。

雪の日の思い出が語られる。

雪の日に、橇(そり)を持って丘を登り、そして下っていく。瞬間は永遠になる。

降る雪の結晶は一つ一つが異なる結晶を持つ。

その結晶を眺めることは異なる宇宙と世界を見つめることになる。

亡くなった父ダニエル・ロパティンは本を通して、宇宙を見てきたと語る。エドガー・アラン・ポーH・G・ウェルズジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

息子のエドガー・ロパティンは父から勧められた本を読むことはあまりなかった。父から勧められた本で繰り返し読んだものはデカルトの『方法序説』だったと語る。

父はSF作家としては売れなかった。時代遅れの作品を書き、それは誰にも読まれなかった。

父は作家を辞め、小さな新聞社の記者になった。

その父が死ぬ前まで書いていた草稿。『エドガー曰く、世界は』。

タイトルから分かるように世界を書こうとした物語だ。

物語はあったかもしれない人生を書く。

あったかもしれない人類史と二人の生活を書く。

それは滅亡する。第一回目の人類。

第ニ回目の人類は自らで物語を語り、生み出していく。そうすることが人類であるかのように。

しかしその第ニ回目の人類は、異なる物語を語り始める人物の登場により、滅亡にいたる。

そして滅亡した先に、草稿は終わる。

 

草稿は終わらないことで、無限の可能性を見せる。

それでも続きを書く。エドガー・ロパティンは書こうとする。

その中に、亡くなった兄を見る、亡くなった父を見る。

父がなにを書こうとしていたかを明らかにするために、父が読んでいた物語を読む。

父と息子の対話が始まる。物語を通して、物語を書くことによって。

生まれることは死を意識することである。

生まれた瞬間から世界の終焉は定められている。

世界の終焉を迎えた者の声を聞くこと、それが物語を書くことなのだ。

息子は書き始める。物語の続きを書き始める。

物語の声を聴いて、兄の、父の、幽霊達の声を聴いて物語の続きを書く。

物語を書くことは世界の終焉と対決することなのだと思う。

世界の終焉とは大きな世界の終焉ではなく、一人一人の人間が迎える人生の終わりであり、その人が迎える人生の終わりこそ、世界の終焉である。

その一人一人が迎える世界の終焉に対して、周りの人間ができることは喪に服すことである。

喪に服す。それは彼らの人生を語り直すこと。言葉によって語り直すことだ。

その一方で発声での語りというのは、残っていかない。

だからこそ記述が必要なのだ。

世界は終わってしまった。ならば、その世界を語り直すことが必要なのだ。

物語は残っていく。物語は何度も語り直される。物語は何度も生まれ変わる。

人は死ぬ。いつか死ぬ。絶対に死ぬ。世界は終わる。世界の終焉を迎える。

だから、物語は語られなきゃいけない。死ぬからこそその、幽霊達の声に耳を傾けなければいけない。

物語を語るということは世界をもう一度捉えるということだ。目の前の世界をもう一度捉えることだ。

それは一つ一つが異なる雪の結晶を見つめることだ。

それは雪の日の思い出を何度も反芻することだ。

それは生まれなかった兄に思いをはせることだ。

それは父が残した草稿に耳を傾けて、遅すぎた対話をすることだ。

 

書くということ、失敗に失敗を重ねることだ。冗長な表現を生み出すことだ。回収できなかった伏線を残すことだ。陳腐な表現を使うことだ。破綻した物語を語ることだ。

それでも、それでも物語は語られなきゃいけない。

物語は語られるべきなのだ。

世界を捉え直すために。

生きなかった方の人生へ思いをはせるために。

生まれなかった者の声を聞くために。

死んでいったものの想いを知るために。

一つ一つ異なる完璧な結晶を見るために。

そして宇宙を見るために。

 

 

構造素子

構造素子

 

 

 

進捗日記 2019年4月22日(1日寝続ける)

よく覚えていない。

というのも、一日中寝続けていたからだ。

とにかくまた身体のギアがローに入ってしまった私は延々と寝続けていたのだった。

そりゃもう、延々と、延々と、延々と、眠ってしまっていた。

 

樋口恭介さんの『構造素子』を読んだり、有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERを聞いたり、くらいしかしてない。

とにかくしんどくてあとは何にもできなかった。

病院に行く予定だったけども、それすらも行けず。

何をしているんだ私は…。

人生が全く前に進まないな!!うわー!!!