にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

進捗日記 2019年3月30日

夜、またしても眠れず。全然寝付けない日の夜って異常に過ぎるのが早い気がする。結構な時間眠れないので、なんならその時間を使って映画でも見たらって思うけども、目的は寝ようとすることなので起きようとすることでない。なので、結局は寝たいのだけども眠れないってのがしんどいんですね。

で、朝まで結局起きてしまう。昼から予定があったので、適当に起きていようかなと思ったけども、諦めの感情とともに気がついたら寝てしまいがっつり寝坊してしまった。およよ。

 

移動中『私に天使が舞い降りた!』の9話を見た。いつも通りの感想になるけどもみゃー姉が可愛いってことしか出てこないんだよな〜。

といいつつ9話まで見てしまったので何だかんだ気にいってるのかもしれません。私はそれを認めるのが怖いのかもしれない。

 

中野まで行き、先輩がやってる花見に合流。

行くとこたつがあった。

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あとは例のごとく酒を飲んで食べてわっしゃーいとなり、喋ったりボードゲームをやったり、朝方までわーいわーいと遊んでしまいました。

泥酔の中先輩宅で眠る。

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進捗日記 2019年3月29日

夜、あんまり眠れず。1日起きていたのに全く眠りにつくことができなくて困ってしまった。眠れなくて段々思考もネガティブな方向へ向かう。なんで働けていないんだろうとか、このまま無職を続けていていいのかとか。いや、いいわけないのは気がついてるんだけども!よくないに決まってるだろうが!うぉら!!

しかし今はまだ働けそうにないってのが余計にしんどい。だいぶ回復していて、外に出れる時間も長くなってきた。以前は三時間を目安に……だったけども1日動いても次の日しんどいって日もだいぶ減ってきた。まあ週に二日寝込んでいる日がまだあるけども、それでもだいぶマシになってきた…(というようなことを僕は何回言い訳のように言い続けてるんだろうか?)

しかししんどいと思うことや、働けていなくてぼんやりした日々を送っているのは甘えているんじゃないかと思うし、誰かに甘えていると怒られるのが怖いと不安でびくびくしてしまう。誰に!?と思うのだけども、うちなる世間というやつがいつも厳しい目で自分を見ているのです。

本当はそんなこと思わずのびのびやるのが一番なんだと思うのですが、しかしこの夜はそれがつらくてだいぶネガティブになってしまった。

結果眠れず。連続でマックス・リヒターのon the nature of daylightを聴き続けるとか、町山智浩さんのグッドフェローズ解説を聞くとか、有吉のサンドリを聞くとかするも眠れず。

最終的にファンメイドのブレードランナーの世界観で流れていそうなアンビエント音楽動画を流したら、眠りについたけども朝5時だった。

ネガティブな気持ちとの折り合いをつけていきたいです。

 

10時ごろに目がさめるけども、気温が一気に低くなったせいか異様にダウナー。身体も心も怠くて動かず。

今日は夕方過ぎまで横になり続けていた。あかんではないか。あかん日だったのだ。

そのため行こうと思っていた病院は先送り。来週の月曜には行きたいですね。

 

夕方過ぎからのそのそと動いて渋谷へ移動。

移動中『私に天使が舞い降りた!』の8話を見る。服を買うのにもひと騒動なみゃー姉可愛い!最後の最後に出てきた中二病発症当時のみゃー姉の姿も可愛い!みゃー姉は可愛い!

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だめな女の子が好きという一種の異常性癖がこのアニメによってどんどんあらわになっていく。しかしみゃー姉は可愛いのだ。可愛いから仕方ないのだ。

 

サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』の『バナナフィッシュ日和』をちょろっと読む。

『バナナフィッシュにうってつけの日』ではなく『バナナフィッシュ日和』となっているのは、柴田元幸翻訳のやつだからです。10年前にモンキービジネスという柴田元幸さんが出していた雑誌がありました(今もあるのだろうか)

それで一冊まるまる『ナイン・ストーリーズ』の時からあってそれを10年前に買っていたのでした。読もう読もうと思いつつ、引っ越しの時も持ってきては読まず……。しかしフラニーとズーイを読んでサリンジャー読みたい欲が高まり、今回引っ張り出して読み始めたというわけです。10年前に読んでおけよって話なのですが、唯一その時に読んだ『バナナフィッシュ日和』に衝撃を受けすぎて、その後の話が読み進めれなかったんですよ…。

ナイン・ストーリーズをワン・ストーリーにしてしまうほどの『バナナフィッシュ日和』は大傑作だと思うし、人生で一番好きな短編をあげろと言われたらこれをあげるかもしれない。

今回改めて読むと会話のリアリティにハッとなる。一見読みづらいんだけども、会話の情報が欠けた感じやリズム感は普段私たちが日頃話している会話そのもので、サリンジャー先生めっちゃ上手いなあ…と思ってしまったのであった。

18歳の時に『バナナフィッシュ日和』は読んでたわけだけども、もっとちゃんと向き合っていればなあと思ってしまった。今向き合えばいいって話なんですけどもね。

 

読んでる途中に渋谷に到着して、年上の友人が待つバーへ。そのバーは変わったバーというか、ADHDバーというやつである。店員さんも集まるお客さんもADHDという、そういうバーである。私はADHD傾向にあると診断されたりしてまして、結構生きづらい生活を送ってきまして…と散々そういうのは書いていたわけですが、冷やかしで行ったわけではないというのは伝えておきたい。というわけで友人と最近あった生きづらいと思ったことを話し合った。弱音をたくさん吐けてだいぶ気持ちが楽になりました。弱音を肴に飲むお酒も美味しかったりするのです。

 

23時近くまで遊んで、帰りの電車に乗る。

目の前でサラリーマンが吐いた。

 

家に帰って今日もお風呂に入る。

スクワットは85回達成。(40回+45回)。フォームを見直したら腰への負担がだいぶマシになった。あとスクワットも一週間前に比べたらやりやすくなっている気がする。とりあえず目標は休みなく100回できるようになることです。

 

昨日の寝る前に脚本のことを少し思いつく。凄く下らない会話が最終的に人を救う…ってまんまフラニーとズーイに影響を受けているけども、ドラマチックな出来事で人が救われるってのは山ほどあるから、くだらないこと、それこそ菓子パンのことを話し合ってるうちに救われるみたいな話が書きたい。そんなことを思ったりした。

 

ceroのpoly life multi soulを聞くと、一番聴いていた去年の夏頃のことを思い出して、既に懐かしい気持ちになってしまう。団地の階段でタバコを吸いながら聴いていた日のことを思い出してはセンチメンタルとも違う妙な感情になってしまいます。

 

 

 

 

進捗日記 2019年3月28日

 真夜中、全く眠ることができず。ぼんやり過ごすのもなんなので、Netflixでドキュメンタリーでも見ようと思い立つ。寝れない夜はNetflixでドキュメンタリーを見る癖が僕にはあるのです。今日見たのは『アルファ碁』というタイトルそのまま、アルファ碁という囲碁のAIと人間との戦いを描いたドキュメンタリー。これがあまりに面白くて、かすかに漂っていた眠気が全て吹き飛んでしまうほどであった。AIの開発者のプロジェクトX的な開発秘話や高揚感。人間として、そしてトップ棋士としてのプライドをかけた戦い。それを見つめる人々の狂騒など。めちゃくちゃ面白い要素が詰まりまくったいいドキュメンタリーだった。といいつつ、半分くらいまで見たところで、あんまりにも面白いので中断。そういう癖もある。あまりに面白いとなぜか止めてしまうことがあるのですが、そういうことありませんか。続けて見ると「わー!」と興奮状態になるのを自分で抑えようとしているのか、それとも飽きっぽいからなのか。よくわかんないですが、止めてしまいました。

 


しかし、眠れないのでJ.D.サリンジャーの『フラニーとズーイ』を読むことにする。めちゃくちゃ面白い。というわけで軽く読むつもりが『フラニー』を読み終わってしまう。そのまま『ズーイ』を読みたい気持ちを抑えながら、いったんは寝ることに。

 今日の睡眠BGMも勿論サンドリのコーナーまとめ。今日はサム・スミスのコーナーを聞いた。そろそろ繰り返し聞きすぎてどのネタも諳んじれるくらいになってきた。なんか安眠にいいラジオのコーナーまとめがあれば知りたいです。

 


 5時すぎに寝たのに9時前には目が覚めて、そのまま着替えて、メンタルクリニックへ行った。傷病手当金の書類を出して、そしたら11時。コンビニでご飯を食べて、どうしようかと思い、代々木公園に行くことを思い立つ。そのままコンビニでお酒とビックフランクを買って、とぼとぼ歩く。

 道中、アフター6ジャンクションの『車椅子特集』を聞いた。凄くいい特集だった。アイドルの方が今後は車椅子をライブに取り入れていきたいと言っていて、凄くぐっときたのだった。

 


 代々木公園についた。桜がちらほら咲いている。やっぱなんや言うて桜は直接見ると綺麗だなと思う。

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桜はさておき、噴水の前に座って、酒を空ける。1人花見をスタートさせる。と言っても酒をぐびぐびやりながら、好きな音楽を聞き続けるくらいしかやることがない。FOALSを聞いたり、花澤香菜さんを聞いたり、トム・ウェイツを聞いたり。吉田拓郎の『今日までそして明日から』を聞いて泣きそうになったりする。

 しかし1人花見って意外と面白くないなあと思ったりする。やっぱり私は酒が好きなのではなくて、誰かと飲むときの酒が好きなんだなと思いつつ、2杯目も行く。ぐびぐびぐびー。

 酔いがだいぶ回ってくる。周りにカラスが集まってきて、眼球をくり抜かれないか心配になる。鳥が反旗をひるがえしたら人類なんて一発でダメになるってヒッチコックの映画でも描かれていたし、俺知ってる。

 


 1時間半ほど1人花見をして、べろんべろんに酔った俺は室内に入りたくなり、原宿のドトールへ。煙草を吸おうと思ったら、酔った勢いで煙草をどこかに落としたことに気がつく。へこむ。

 仕方ないので『フラニーとズーイ』の『ズーイ』を読み始める。

 

 しかし原宿のドトールにいる人、大半が上着を腕通さずに羽織っているだけで、なんか怖いと思ってしまう。いや、28歳男性なのでそれが流行りだってことはわかっているのですが、彼らは上着がずり落ちる心配とどう戦っているのだろうと気になってしまった。

 


 2時間ほど滞在の後、ヤニが切れたので外に出て煙草を買って、改めて渋谷の方へ歩き別のドトールへ籠もる。街に出ても行く場所がドトールくらいしかない。お金持ってるわけじゃないので、買い物もできるわけではないですし・・・映画も高いのでおいそれと見に行けず、結局ドトールにこもってばかりになる・・・。

 読書の続きをしたり、1日外に出ている疲れからぼんやりしたり、Twitterを延々と見たりしているうちに結構時間が経ってしまう。

 


 疲れて1時間ほどぼーっとしていたが、ちゃんと背筋を伸ばして『ズーイ』も読む。名作やんけ!!

 とりあえず感想を書いた。

 一切合切太陽みたいに輝くーーー『フラニーとズーイ』を読んだ! - にゃんこのいけにえ

 

 その後帰路へ。電車が激混みで、汗をめっちゃかいてしまい、気分が悪くなる。この時期は薄手とはいえコートを羽織っているから、満員電車だと暑くなってしまうなあ。

 家に帰ってご飯を食べて、スクワットを80回(40回+40回)する。なんか腰が痛い。フォームが悪いのかしら。ちゃんと正しいフォームを見て、それ通りにしているつもりだけども、違うんやろうなあ。悲しい。とりあえず1週間スクワットやったわけだけども、最初に比べたら回数をこなすのが徐々に楽になっていってる気がする。とりあえず100回を目標に続ける。一ヶ月チャレンジだと30日で250回までいかないといけないのですが、それをめざすと腰をいわすので、徐々に増やしていきます。

 


 1日外に出ていたのでだいぶ疲れてしまった。

 明日も明日で別の病院にいかねばならない。身体のあちこちが不調でうひゃーとなる。 

一切合切太陽みたいに輝くーーー『フラニーとズーイ』を読んだ!

J.D.サリンジャーフラニーとズーイ

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映画評論家町山智浩さんの本でウェス・アンダーソンの『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』はこの小説が元になっていると読み、俄然興味がわき、本棚に刺しっぱなしだったこの本を抜き取って読み始めた。数年前に古本屋で買ったままそのままになっていたのだ。積ん読しておいてよかった。数年スパンで急に読むという周期がやってくることもあるのだ。まあ、それはそれとして、読み始めるとこれがとても面白い。数年スパンで寝かしていたのを後悔した。もっと早くに読んでおけばよかった。それこそ、20代前半に。

 この本は『フラニー』と『ズーイ』の二部構成になっている。フラニーとズーイは兄妹だ。フラニーは20歳大学生の女の子でズーイは25歳の俳優の男の子。フラニーのパートでは彼氏と久しぶりにあったフラニーのある失敗が描かれ、ズーイのパートではぼろぼろになったフラニーとズーイの対話がメインとなっている。

 さて読んでいる最中、思い出した本がある。舞城王太郎の『ビッチマグネット』だ。話が似ているというわけではない。しかし感受性が強すぎる女性が出てきて、その子は極度の混乱状態にあって、言ってはいけないとわかりつつ周囲の人をつい傷つけてしまう言動をとってしまう・・・。そのようなシーンが出てくるからか、いや精神性が近い物があるからか、私は感受性の近いところを揺さぶられている感覚におちいった。『ビッチマグネット』では病院にいった主人公がカウンセリング中に渡されるアンケートをめちゃくちゃにするシーンがある。「わたしはときどき悲しいし、ときどき悲しくない」。フラニーの一挙一動にその言葉が頭を過ぎった。そしてそんな混乱状態をもっと酷くして、より精神を嵐の中にぶん投げたみたいな女性がフラニーさんだ。

 他者よりも感受性が強く、そして周囲の欺瞞や薄っぺらさが「分かってしまう」が故にもう我慢ならない。そして何よりもそんな分かってしまう自分のことが嫌いで仕方ないという点に28歳男性は胸をつまらせた。私も「わかった」のだ。とりあえず28歳男性はフラニーさんのような言動を取るわけではないけども、この生きづらさには馴染みがあったのだ。

 ええ、説明をくどくどするよりも、私が読んだ瞬間に電撃が走った台詞を抜き出します。

 「私はただ、溢れまくってるエゴにうんざりしているだけ。私自身のエゴに、みんなのエゴに。どこかに到達したい、何か立派なことを成し遂げたい。興味深い人間になりたい、そんなことを考えている人々に、私は辟易しているの。」

 もうなんと素晴らしい台詞なんだろうか。1961年の作品なのに、右も左も意識が高いこの今の時代でも通用する台詞。誰もが承認欲求を満たすことに右往左往している(そしてそれは私も)状況に冷や水をぶっかける台詞。

 ライムスターの名曲H.E.E.Lで「きれい事にはケンカふっかける。美談にだって冷や水ぶっかける。誰も言わねえからぶっちゃける。お前のいらだちを救ってあげる」という名リリックがあったけども、それを思い出した。この言葉ことH.E.E.Lだよ!

 私自身、溢れまくっているエゴにうんざりしているし、肥大化していく私自身のエゴにもうんざりしている。こういうものから解放されたらどれだけ楽になれるだろうか。そんなことを思った。

 さて『フラニー』ではフラニーさんは彼氏との会話で絶えきれず色々なものに冷や水をぶっかけた挙げ句、精神のバランスを崩し、失神するところで終わる。

 


 続く『ズーイ』はぼろぼろになり実家で廃人同然になっているフラニーを兄ズーイが会話を交わすという内容だ。話は次第に議論めいてくる。フラニーさんは宗教に救いを求めている。そして始まるのは宗教論・・・ということで、ちょっと取っつきづらい部分があるのは確かだ。

 しかし、ここを!ここを!乗り越えて欲しいんだ!

 延々と続く議論の果てに、この世の全てが、輝く。

 そう。

 一切合切が太陽みたいに輝くのだ!

 イースタンユースというバンドの曲で「一切合切太陽みたいに輝く」という名曲があるけども、それを思い出してしまった。あらゆるものが、そのこの世の全てが輝くのだ。

 輝くってどういうことやねんってことですが、それは読んでのお楽しみということで。私はここで思わず泣いてしまった。。

 とかく私ももしくはあなたも厭世的な物の見方をしているかもしれない。他人のエゴに、自分のエゴに辟易しているかもしれない。なんなら私は未だ精神が不安定だし、ずっとフラニーの言葉にだいぶ共感して読んでいた。でもそれじゃダメなんだ。進まなければいけないんだ。部屋の真ん中で泣き続けていたらだめなんだ。もう一度世界を捉え治さないといけないんだ。

 その内に籠もった世界をぶっ壊して、再構築する。それも特別なことが起こるのではない。言葉で。交わされる言葉で。その言葉で書き換えていく。そのクライマックスはどうしようもなくエモーショナルだ。そしてそのクライマックスに打ち震える人は内にフラニーを抱えた人だ。さっきの台詞にどうしようもなくうなずいてしまった人ほど、読んで欲しい。

 色々と思い出すことが多い。例えば昔東京ポッド許可局で交わされた名回『オンリーワン論』で出てきた人々は皆「ワン・オブ・ゼム」であるということ。

 先日TBSラジオで放送された「SCRATCH」というドキュメンタリーで出てきた他者と一線を引くことに対する問題提起。

 昨年見た『勝手にふるえてろ』で自意識をこじらせたヨシカが最終的にたどり着く場所。 菊池成孔がラジオの中で病んだリスナーに向けて放った「あなたはとても一般的な人です」という言葉。

 まだまだ出てくるだろう。

 つまりは繰り返しになるがとても今日的な物語なのだ。

 強く強く、今なお響く今日的な小説だ。

 

 

 

 1961年に発表された小説であるが、今なお輝きを失うことのない青春小説の名作だ。

 私は20代前半に読んでいればと思ってしまった。

 しかし、今、フラニーと同様に精神がぼろぼろな今だからこそ、心にすっと入ってきたのかもしれない。

 そしてそれは全国に、全世界に今なおカウチで苦しみ続けるフラニーはいるはずなのだ。 そんな人に届けばいいなと思った。(名作だから届けばなんていうのはおこがましいかもしれないがそれでも)

 私は、フラニーが抱きかかえていたあの小さな本のように、この本を持って歩きたい。忘れそうな時、大事なことを忘れそうなとき、太ったおばさんのことを忘れてしまった時に、もう一度読みたい。

 

フラニーとズーイ (新潮文庫)

フラニーとズーイ (新潮文庫)

 

 

 

進捗日記 2019年3月27日『私立探偵、パンダを見に行く』

 昼過ぎに目が覚める。起きた瞬間、しまったと思う。毎朝9時に起きるのを目標にしているので、大寝坊である。しかし、その後も昼飯を食べたあとに眠たくなってしまい3時過ぎまで寝てしまう。

 税務署に電話をかける。一個問題が解決して安心する。しかしつかれてしまった。公共機関に電話かけるのってなんでめっちゃ緊張するんでしょうか。自分が罪人になったような気分になってしまう。

 弟から「マーベルの映画、インフィニティーウォーまで見たよ」ってLINEが来たので、電話をかける。30分ほど話す。マーベル映画のあれやこれやとか、最近の僕のこととか。

 僕は「私に天使が舞い降りた!を見ているよ。全然面白くないけどもみゃー姉がかわいいって一点突破で6話まで見た!」って話をすると「面白くないのによくそこまで・・・」と言われる。

 


 外に出る。図書館へ行く。『明るい夜に出かけて』と町山智浩の本を借りる。

 松屋で飯を食べた後、ドトールへ行き、アフター6ジャンクションを聞く。『ドライブイン探訪』という本が紹介されていて凄く気になる。近くの図書館にないかと調べたら借りられているし、予約待ちということで買おうか悩む。1700円+税。少しするなあと思いつつ、ここでこういうのを買うのを控えると文化的に死ぬをような気もする。とりあえずは家に山ほど詰んでる本を読むことから始めましょうねと自分を諫める。

 町山さんの本を読む。一本の映画を文化面や歴史面、映画史面とあらゆる方向性から解説するのを読むとやっぱこの人の文章は面白いなーとなるし単純に見たい映画がどんどん増えていく。見たい本や見たい映画が順当に増えたところで閉店時間になったので店を出る。

今日も一駅歩く。今日はアルコ&ピースD.C.GARAGEを聴きながら歩く。モグラ云々の話についつい笑ってしまう。良い意味でくだらない回だった。

家に帰宅後、スクワットを75回(30回+35回)やる。汗だくになったので、そのままお風呂に入って、全能感を高める。お風呂に入るとわし最強やなって気持ちになりませんか。私はなります。

 


FOALSのA Knife In the Oceanを聞いたりして「めっちゃええ曲やなー」となる。

今日もみゃー姉を愛でるタイムということで『私に天使が舞い降りた!』の7話を見る。

相変わらずストーリー的にはぴんとこなかったり、面白くはないんだけども、でもこういうのは面白さを求めちゃだめな気がします。空気を面白がりにいく姿勢。それが求められている気がする。今回も面白いのか面白くないのかわからなかったけどもみゃー姉はかわいかった。みゃー姉がかわいい。その一点突破で7話まで見たけども、そろそろ血と暴力の世界に戻りたいという気持ちも湧いてきた。止まっている『アンブレラアカデミー』の続きでも見るか・・・。

 


見終わって、FOALSを流しながらなんとなく言葉をポメラに打ち始めたら良い感じだったので、そのまま1500字ほど書く。『私立探偵、パンダを見に行く』という短編だ。

それこそこちらも何にも起こらない作品であるし、文体芸としても成立していない。

個人的にはちょっと不服な点もめっちゃあるのだけども、完成したらとりあえず出すという曽我部恵一スタイルに乗っ取って、出しました。

出した後に読むと終わり方に自分でも「なんやこれ」となったので、まあいいんではないでしょうか。とりあえず当面は「なんやこれ」と思っても、書こう、そして出そう。

 


というわけで進捗日記を書き進めてから初めて小説が書けた。しかしこんなんでは満足できねえ。ちゃんとしたのを書きてえ・・・って思うのでまだ続けます。求められているかわからないけども、それでもやるんだよ!の姿勢で。

 


明日はメンタルクリニックに行って書類を出せたらいいなと思っています。あと明日はやっと傷病手当金が入ります。やったね。ちゃんとお金の使い方を吟味するんだよ。無駄遣いしちゃダメだよ。