にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

引っ越しすることになった。

 引っ越しすることになった。といっても同じアパートの一階下の階にだけども。

 というのも、今まで住んでいた場所は借り上げ社宅で、退職後も病院に通うためにそのまま住み続けたかったのですが、それをすると初期費用ということで30万ほどかかるとなって、どっひゃーとなっていたのですが、その話を聞きに不動産屋に行ったら、同じ場所だと「それくらいかかってしまうのですが、新たに契約し直すということでアパートの下の階に住むということでしたら、色々諸々の特典で15万くらいに抑えられます」となり、即決。

 というわけで引っ越しすることになった。といってもアパートの下の階なので、業者は頼まず、そんで今住んでいる場所も今月末までは住めるので、ゆったりと引っ越しをしていこうと思う。というわけで相変わらず、いろんなことが起こり続けている。休職からの退職に加えて、引っ越しということで、日々疲れ果ててしまって最近はまたよく眠り続ける日々が復活。今日も夕方くらいまで寝てしまっていた。今、慌てて起きて一駅先のドトールにてこの文章を書いている。ドトールにいすぎて、どの街に行ってもドトールを探すようになってしまった。

 


 保険も切り替えないといけない。今入っている社保から、国保に切り替えようと思っているのだけども、そうすると傷病手当金が受けられないとなって、慌てて社保の方に相談したら、そんなことはないということがわかって安心した。1年以上社保に入っていたら傷病手当金を受けることができるとのことであった。ひとまず安心したが、本当にもらえるのかどうか未だに不安である。しかし社保の人が、国保に切り替えても大丈夫ですよと言ったのだ。それに乗っかるしかない。社保と国保だと払う額が月々1万ちょいも違うのだ。これは無職には辛い。なるべく国保に切り替えさせて欲しい。そんなことを考えていたらまた気持ちがもやもやしてくる。最近は気持ちがもやもやしっぱなしだ。あんまり休まる時がなくて困っている。

 


 小説を久しぶりに書いた。ここのところ、自分の苦悩をなんとか小説に落とし込もうとしては失敗ばかりしていたんだけども、一度そういうことから離れて、思いっきりくだらないものを書こうと思って書いてみたら、書けた。1つ前の記事の「私じゃ、魔女になれない」という作品である。タイトルはスカートの『静かな夜がいい』という歌に出てくる「僕じゃ魔女になれない」ってところから引用した。この曲を聴きながら書いていた。魔女ものだと矢部嵩先生の『魔女の子供はやってこない』がベスト級に好きで、読み直したらそういうニュアンスも入っていた。後はカードキャプターさくら的なものもやっぱり入っていた。ナンセンスとグロが大好きなのですが、そういうのが詰まった小説になったと思う。自分ではめちゃくちゃ好みです。

 


 最近は小説もなかなか読めない。なんていうか、疲れてしまって読めない。というわけで、自分で読める小説を自分で生産している節がある。自家生産スタイルなので、そんなものを面白いと言ってくれる人がいるのは嬉しいことだと思う。書いている時は楽しいという感情しかなくて、まあたまにめんどくさくて仕方ないという瞬間もあるけども、でもおおむね楽しいという感情で書いていて、それは自分の喜びのものだから、そんなものが世界のどこかの人を少しでも楽しませているってのはなんか奇跡に近いものを感じてしまう。まあ、素人物書きが何を言っているんだという話だけども、これは書いておきたいと思った。

 


 友人が家にやってきて、一晩話したりした。友人の人生の話を聞いて「人生のままならさ」を感じたり、そしてそのドラマチックさに圧倒されたりした。人にはそれぞれの人生があって、それはままならなくとも、それぞれにドラマチックなのかもしれないと思った。そんな風にして圧倒されたりしていた。いろんな人に会ってきたつもりだけども、それぞれにそれほどの人生があるとしたらとてもそれは凄いことで、たまにそのことに圧倒されそうになる。人生の濃度ってやつに頭がくらくらする。生きているといろんなことがある。何もないと思っている人生も語り直すと凄くドラマチックなのかもしれない。そしてドラマチックじゃなくても、それはそれで素晴らしい人生なのかもしれない。

 


 もやもやして早めに眠ろうと思った日、mogwaiを聴きながら寝たら凄く心地よかった。mogwaiは素晴らしいバンドだなと改めて思った。高校生の頃くらいにポストロックがめっちゃ流行ったのもあって、相変わらずポストロック大好きなのですが、ポストロックの祖みたいなmogwaiはやっぱよいなあと思ったのでした。

 

 

 

 障害者手帳をもらえるかもしれない。というか相談に行ったら、ぽんと申請用紙をもらってしまった。使える物はなんでも使って生き延びたろうという気持ちでいる。しかし、あまりに簡単に物事が進むかもしれないことに対して、やっぱりいささかの恐怖は抱いている。障害者手帳をもらえるということは健常ではないですよということであって、自分はやっぱりそうなんだと認識するのは辛い。しかし、働けなくなって1年。もうそろそろ認める時期になってるのかもしれない。働くというのが健常だってわけじゃないけども、それが難しかった自分はそんな風なハンデを持っていると言うことが今後の人生において楽なのかもしれない。自分もままならない人生を送っている。だからこそままならなさを認めるのが楽になる一歩なのかもしれない。

 友人が「お前がおかしいと思ったことは一度もない」と前に言ってくれた。それが嬉しかった。おかしいとおかしくないの境界線は一体どこにあるのだろう?そして一体自分はどこに立っているのだろう。わからない。自分がどこに立っているのかも。

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短編小説『私じゃ、魔女になれない』

電車が走る度に揺れる喫茶店の中で、私はアイスコーヒーを飲んでいた。身体を冷やすのはよくないと言っていたのは誰だっけな、私の母か、それとも佐藤江梨子か。多分、佐藤江梨子だな。多分、そう。佐藤江梨子がなんかそんなことを言っていた気がする。

私の母ならこう言う。

「アイスコーヒー?身体が冷える?なにそれ?そんなことより飲むと寝れなくなっちゃうわよ」

多分こうだ。

そして佐藤江梨子に多大なる信頼を抱いているわけではないので、私はアイスコーヒーを飲んでいる。身体をめちゃくちゃに冷やしまくっている。疲れた身体にはアイスコーヒーが一番いい。と言ってもアイスコーヒーが好きなわけじゃ無い。ガムシロップの味が好きなのだ。私はコーヒーに混ぜ合わせて下の方にたまるガムシロップが好きなのだ。

そんな話はどうだっていい。私の話はどうでもいい。私の目の前には魔法のステッキがあって、私はそれをどうするか悩んでいる。

茶店に入る、15分前、道端で拾った魔法のステッキ。

魔法のステッキだと一目見てわかったのは、子供番組にでてきそうな星が先端についた白っぽいステッキだったからだ。私はうわー懐かしーと思って、大人げなくそれを拾って、誰も見ていないのを確認して振ってみたら、私の服が一気にゴスロリに変化して、うわ、魔女になってしまったやんか。と思ってしまった。

営業の外回りの途中なのに、魔女に私はなってしまった。

スーツに戻らない限りは外回りも継続できないので、喫茶店に入っている。私の服は依然としてゴスロリのままだ。

27歳女性が今、ゴスロリの格好で、喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいる。目の前には魔法のステッキ。ああ、なんてことだ。こんなのを見たら母はどういうだろうか。

「あ、なんか、イメチェン?それはそれとして、今日の晩ご飯はコロッケよ」

多分、これくらいだ。私の母は、こういう感じだったことを思い出していた。

佐藤江梨子だったら私のこと心配してくれるだろうか。いや、佐藤江梨子は私のことなんて知らない。私が佐藤江梨子のことを一方的に知っているだけだし、佐藤江梨子に挨拶しても、グラビア界の後輩が挨拶に来ただけだと思われるし、というかゴスロリで挨拶ってなんだよ、キャラが濃いとか影で言われるんだ多分。私はどちらにせよ、詰んでいる。

こんなことならば、ステッキなんて拾うんじゃなかった。そして振るんじゃ無かった。

外回りの途中で、ステッキなんて見つけるんじゃ無かった。服がゴスロリに変わるなんて。ゴスロリだ。黒のゴスロリ服だ。ゴシックロリータだ。せめてもの救いはロリータ服じゃなかったことだけだ。でも、それも小さな差異だ。月曜日の15時に、ゴスロリになろうが、ロリータになろうが、それはどちらでもいいことだ。差異なのだ。問題はいつスーツに戻れるかなのだ。後、2件回らなければいけないのに、私はどうすればいいのだろうか。

とりあえず、会社に電話をすべきか、いや、いつ服が元に戻るかわからない。しかし、戻る気配は今のところ0だ。というか会社に電話って何を伝えたらいいんだ。

「すいません。ステッキを振ったらゴスロリになっちゃったんですけども」

「はあ?もう二度と会社に来なくていいよ」

OK、余裕。何にも伝えることができない。

まあ、順当に行って会社への説明は「高熱が突如出た」になるだろう。それだ。それで乗り越えよう。というか今、会社がどうのこうのなんて、関係ない。ステッキを振ったら私の服がスーツからゴスロリに替わってしまったという方がやばい。人生を揺るがしかねない事態に今巻き込まれていることをもっと自覚した方がいい。

からんと音をたてて、氷が溶ける。わかりやすい時間経過。時間は経てども経てども未だにゴスロリのまま。

しかしゴスロリを着てみたら、なんていうか息苦しいし暑い。そして、何より周りの目線が怖い。こんな服初めて着たのだ。こんな服これまで着たこと無かった。着ようという選択肢がなかった。しかし、今日は着ている。ステッキを振ったからね。

どうしよう。私、この先もずっとゴスロリなのかな。ここでえーんと泣けば、魔法は溶けるのだろうか。

というか、この服は脱げるのだろうか。魔法で着せられた服は着脱可能なのだろうか。

私は、お手洗いに行く。がたんがたんと電車が通る音。喫茶店が揺れる。

お手洗いの中で、少しだけゴスロリ服が脱げるか、試してみるけども、服と皮膚がくっついていることを確認して、ははーん、魔法やなこれはとなって、席に戻って、私はえーんと泣く。

えーん、えーんと泣いていたら、店員さんがやってきて、紙ナプキンを一枚置いてくれた。ありがとう店員さん。

端から見れば、ゴスロリ女が泣いている状況。これはただのメンヘラだぜ。どうしたもんだぜ。

くっそ。ステッキさえ振らなければ。しかしあのときは、どうかしていたのだった。仕事のストレスが私を一時の童心に帰らせたのだった。ステッキ振ってえい。しゅばばばーんと服がゴスロリに。返してよ、私のスーツ。

しかし、どうしたものか。どうしたものか。どうしたらいいのか。私にはわからない。

とりあえず、iPhoneのインカメラで自分の姿を確認してみる。

着慣れていない感が凄まじい。

はあとため息をついて、またえーんえーんと泣いてみる。また店員がやってきて、紙ナプキンを一枚。そして、これはサービスですとコーヒーのお代わりをついでくれた。

ありがとう店員さん。この喫茶店をひいきにするよ。

しかしまあ、どうしようと思っていると、私の持っていた鞄ががさがさと揺れるのを確認。この展開は、あれだなと思う。魔法のステッキを振って、こうなったってことは、そういうことだろうなと思う。

そう思って、鞄を開けると、そこには猫のぬいぐるみが入っている。入れたはずのない猫のぬいぐるみが入っている。

そして猫のぬいぐるみが喋りだす。

「選ばれし魔法少女よ!世界を救うのだ」

あーきたきた。そういう展開ね。あー。もうばちくそにめんどくさい展開やんけ。

私はとりあえず鞄を閉める。

鞄ががさごそ動くけども、気にしない。もう私は、これ以上めんどくさいことにまきこまれたくないのだ。

大変だった就活を経て、入った会社で慣れない営業を延々とやってきて、彼氏にはフラれ、最近はなんで生きてるの私ってなってたよ。確かになっていたよ。

でも、さあ、現状が嫌だってのはずっと言っていたけども、魔女になりたいってわけじゃないじゃん。現状否定して次の一手が魔女なわけないじゃん。

鞄は相変わらずがさがさ動くので、鞄に蹴りを入れる。

私はため息をついて、コーヒーを飲む。ガムシロップを入れ忘れたので、ただ苦いだけであって、後悔をする。

すると頭の中に声が響き始めた。

<聞こえますか・・・私の声が聞こえますか・・・>

聞こえません。

私はイヤホンをする。音楽でも聞こう。システム・オブ・ア・ダウンくらいラウドってたら、大丈夫だろ。

音楽を再生。

<あっ、ちょっと、うるさいですね・・・あの・・・本当・・・大事なことなので・・・静かにしてもらえたら・・・>

システム・オブ・ア・ダウンをさらに大音量で流す。私の耳VS頭の中に鳴り響く声。

<あの・・・本当・・・聞いて・・・まじで・・・頼みます・・・>

頑張れシステム・オブ・ア・ダウン。私はこれ以上やっかい事を引き受けたくないのだ。

<あの・・・まずいことになったのです・・・世界が・・・このままでは・・・壊れてしまうのです・・・>

しるか。世界なんて壊れてしまえばいい。

勝手に人にゴスロリ服を着せて、何が選定だ馬鹿野郎。

と、システム・オブ・ア・ダウンを聴きながら、アイスコーヒーを飲む。

<あの!!!聞いてください!!!あの!!!佐藤江梨子が!!!佐藤江梨子が!!!>えっ、佐藤江梨子がなんだって?

私は思わず、頭の中で聞き返してしまった。

佐藤江梨子が悪の魔法使いにそそのかされてしまって、巨大化してこの世界を壊そうとしています!!>

はぁ?なんだそれと思ったのも束の間、喫茶店がずずーんという地響きの音ともに今までに感じたこと無い揺れを感じる。

その瞬間、鞄の中から、猫のぬいぐるみが飛び出してくる。

佐藤江梨子の攻撃が始まったにゃ!!」

そして、ステッキが私の手に吸い付く。はぁ?と思っているうちに、気がついたら足は喫茶店の外へ向かっている。走り出している。

人々がわーきゃー言いながら逃げ出している。その方向とは真逆に、走って行くと、巨大化した佐藤江梨子がビルとビルの隙間から見える。

佐藤江梨子はビルに向かって、張り手を繰り出す。何度も何度も繰り出す。ビルの中から叫び声が聞こえる。

気がついたら猫のぬいぐるみが私の周りをふわふわ浮いている。

「・・・・・・・・・・・・・・にゃ!・・・・・・・・・・・・にゃ!・・・・・・・・・・・・・・・・・にゃ!」

「えっなんて?」

猫の声が群衆の叫び声にかき消される。

「ステッキを拾ったのは偶然じゃないにゃ!魔法使いになる運命だったのにゃ!そのためにあそこに仕込んでおいたのにゃ!」

耳元で猫がでっかい声で言う。

あ、そうですか。

「で、どうするの?私、戦うの?」

「戦うにゃ!」

「無理でしょ。だって、巨大化した佐藤江梨子だよ。自衛隊に任せようよ」

「大丈夫にゃ!ステッキを佐藤江梨子にかざして、魔法の言葉を叫べば攻撃できるにゃ!」

「魔法の言葉?」

「ぱぴぷぺぷるるん、ぺるるん、ぽろろん。きるえむおーる。肉片になっちゃえにゃ!」「ぱぴぷぺ・・・?えっ?」

「最悪、肉片になっちゃえ-!だけでいいにゃ!」

「あ、わかりました」

私はステッキを巨大化した佐藤江梨子に向ける。

「えーと、肉片になっちゃえー」と気のない感じで言うと、ステッキの先の星が急速回転。ぐるるうるるるるる。ばびゅーんとビームが発射。

あららと思っているうちに、ビームは佐藤江梨子の右肩に着弾。右腕がその衝撃で、もげて、右腕が地上に落下。それと同時に、地上にあった車がぺっしゃんこ。ぴぃーぴぃーぴぃーと車の防犯ブザーが衝撃と共に鳴り響く。

右肩から血が噴き出した佐藤江梨子は「いってえええええ!」と叫ぶ。血が、あらゆる場所にまき散らされる。

当然、私のいる場所にも降りかかる。私は佐藤江梨子の血で血まみれゴスロリ27歳女性。

「あの、死んでないんだけども」

「そりゃそうにゃ!気もちが入ってないからにゃ!」

「気持ち?」

「そう!絶対殺すという意思にゃ!!」

「絶対殺すという意思?」

巨大化した佐藤江梨子を絶対に殺すという意思を持たないといけないみたいだった。

しかし、私にはそんなことできない。だって、佐藤江梨子は私に冷たいものを飲んじゃいけないって教えてくれた。そのほか、なんだろう、あ、キューティーハニーの実写版は評判悪いけども、私には面白かったとか、海老蔵の件はやっぱかわいそうだよねとか、いいからだしてまんなとか、そういうことが頭を過ぎる。

「あいつは、もう悪の魔法使いに乗っ取られた佐藤江梨子なのにゃ!昔のことは忘れて、改めてステッキをふるにゃ!」

猫がうるさい。

ふと、佐藤江梨子を見る。血を吹き出して、ビルにもたれかかる佐藤江梨子

そして、佐藤江梨子は体勢を直す。

そして私たちを絶対殺すという顔でこちらに向かってこようとしていた。

このままでは私は佐藤江梨子に殺される。

その瞬間、私の中に、覚悟が決まった。佐藤江梨子さん。ごめんなさい。でも、私はやるしかないんです。帰ったらまたキューティーハニーを見直すから!

「肉片になっちゃえーー!!」私は思いの丈を全て乗せて叫びながらステッキを振る。

その瞬間、きらっとステッキの先の星が光る。星が回転して、青空一杯に星座が広がる。

その星座はまたステッキの先の星に集約されて、そしてそこから放たれる真っ白なビーム。そのビームは佐藤江梨子の土手っ腹を打ち抜いて、後ろのビルに直撃。

佐藤江梨子は「わぁっ?わぁ?わぁあ?」と起こった出来事を理解できないようであった。その直後、佐藤江梨子の身体がぼこぼことふくれあがって、そして爆発した。

肉片と血液があたり周辺に飛び散る。

肉片と血液の雨の中、猫が私に語りかける。

「やったにゃ・・・でも、これは始まりにすぎないにゃ・・・奴らはまた世界を滅ぼそうとしてくるにゃ・・・」

猫はこれがはじまりだと言いたげであったけども、私の意識はもう別に移っている。私は佐藤江梨子の肉片と血液を浴びながら猫のぬいぐるみに聞く。

「ねえ、血まみれで最悪だから、このゴスロリ服を脱ぎたいんだけども、いつになったら脱げるの?」

「それは使命を果たした時にゃ」

くそかよ。

私は、猫に向かって、ステッキを振りかざす。

「肉片になっちゃえー」

星が回転して、空に星座が浮かび上がる。

そして光ってるあれがデネブアルタイルベガ。

光っている星々をつなげると星座が浮かび上がる。私はその星座を見ながらきれいだなと思ったのでした。

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最近の私と地味ハロウィンに行ってきたという記事。

傷病手当金という僕のライフラインの書類を病院からもらい、そして郵便局に行って郵送した帰り、ヴェローチェにてこの文章を書いている。先週、退職届を出してから一週間、まだ色々と問題は山積みである。

たとえば、今住んでいる場所は借り上げ社宅なのだけども、そこを引き続き住むには礼金をまた払ったり、3ヶ月分の家賃を払わないといけないとかで、その金策にいそしまなければならない。またはやはりなんだけども、金銭的に豊かな状況じゃないので、どうやって日々を過ごしていくかを考えねばならない。とりあえず傷病手当金が出る半年の間、どうやって生きていこうかと考える日々でございます。

正直言うと、お金が全然無い。なのに、実家に帰る選択をせず、関東に残る選択をしたのはとにかく同じ病院で治療を続けたかったというのがある。今の病院で治療をある程度までしてからでも戻るのはいいのではないかと思った。

まあ、その選択のせいで、また色々と困難にぶつかってしまっているわけだけども、とりあえず当面のことはさておいて、色々と困難が過ぎ去ってくれたらいいと思う。

お金もないけども、あんまり無駄遣いやらせずに、生きていけばなんとか生きていけると思う。

まあぎりぎりなので、色々と売ったり、しなきゃいけないんだろうなとは思うけども。

 


地味ハロウィンに今年は参加した。去年はちょうど病気になって、実家に帰ったりしていたのもあって参加できなかったんだけども、今年はちょうどまだ関東にいたのもあって、参加することができた。

一昨年前は「熱あるのにバイトに出てる奴」で出たのですが、今年は以下の仮装で参加した。

 

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「万全の準備で夜行バスに乗り込んだのに全く眠れない人」。

ポイントはお茶とポイフルとおにぎりが入ったコンビニの袋です。

現場ではやや受けでしたが会場をふらふらしていると、いろんな人にわかるーと言ってもらえたりして嬉しかった。

そのほかにもいろんな仮装をしている人に出会えました。

 

 

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コメダ珈琲のロゴ。


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ジョン・ウー映画で鳩を飛ばすスタッフの人

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映画雑誌の切抜きをめっちゃしてる人と、ジョン・ウー映画スタッフの人の奇跡のコラボ

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ユニクロのマネキン

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サンデージャポンの人

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お風呂から上がったらスリッパが無くなっていた人

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精進料理を作る人

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飼い猫を探している人

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ベンザブロック喉からの人

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街頭配布を断れない人

 

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富士登山舐めてる人

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バチェラーの人

 

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二日酔いの人

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水道会社のマグネットの人

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泥酔するギャル

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オールスター感謝祭で苦いお茶を飲む女優とADさん

 

その他にもたくさんの仮装に出会うことができました。毎回思うことだけども、普段この人たちはどこにいるのだろう。みんな驚くほど発想力が豊かで素晴らしいなと思う。こんな人たちが普段は普通の人として擬態して生きているのだと思うと、なんだかぞくぞくするものを感じる。そしてその人たちが一気に集まる場所がこの地味ハロウィンだと思うと、この場所はなくなって欲しくないなとおもった。

今回、人が集まりすぎて入場規制がかかったり、場内も物凄い人で身動きができなかったり、メディアの取材もいくつか入っていたりと色々過渡期な雰囲気が充満していたけども、この名もなき人々が発想力だけで勝負に出る場はずっとあったらいいなと思う。だってそっちの方がいいじゃないですか。外にでればめちゃくちゃやってるハロウィンばかりなんだし・・・。と思ったりする。

うぇいうぇーいできない人たちが楽しめる場がこんな風にあるっていいよねと改めて思ったりしました。来年以降自分含めてどうなるかわかんないけども、またあるのならば参加したいなとおもいました。

 

相変わらずお金はないし、日々も好転していないけども、地味ハロウィンのように、発想力で日々を打開していきたいなと思ったりする、メンタルクリニック帰り。

これからも楽しいことやエモいことをたくさん考えていきたい。まだまだたくさんやれることはある気がするのです。

 

追記

高校3年間の文化祭というエモーショナルな仮装で参加されていた少年Bさんによる現場レポートも面白いのでぜひ。

http://raira21.hatenablog.com/entry/2018/10/30/072959

今日、会社に退職届を出してきた。

空っぽな感じだ。とりあえず今は空っぽな感じ。この感覚、就活を終えたときと同じだ。就活を終えたときも空っぽな感じになったのだった。今日、僕は会社に退職届を出してきた。

退職の理由は休職期間満了につき。間に合わなかった。といえば間に合わなかった。今は病院から3時間くらいしか動いちゃだめだと言われていて、そんなんじゃ働けないってことで退職の運びになったのだった。

諸々の手続きの話を聞いた。辞めるとなるだけでも、沢山の手続きがいる。それを必死に頭を動かして聞いていたけども、どこまで聞けたかなんて相変わらず自分の脳を疑っているので、信用はならない。でも、辞めるってのは大変なことだと思った。

思えば、就活の終わり際で拾ってもらった会社だった。2年かけた就活の最後にたまたま拾ってもらった会社だった。それからなんとか頑張っていたんだけども、3年目の夏に適応障害になってしまって、そのまま休職することになった。

適応障害になった理由は色々あった。でも、何も成せていない自分が職場にいるのが耐えられなかったのだろう。日に日に職場にいるのが辛くなって、そして最後は倒れてしまった。そこまで気負わなくてもよかったのかもしれないけども、最初の会社というのもあって、気負いすぎてしまったのだった。

空回りに次ぐ空回りで、だめだったなあと思う。ずっと空回りしていた。からからと空回りしていた。

退職となったけども、次なんてまたわからない。とりあえずは活動時間を伸ばしていくだけだと思う。活動時間をちょっとずつ伸ばしていって、また求職活動ができるようになったらいい。

お金をもらえるのはあと半年くらいだから、それまでになんとかしなきゃなあと思う。そう思うと、またプレッシャーになってしまうからあんまり考えてはだめだと思う。なるようにしかならない。全てはなるようにしかならない。だめだったら、だめなときだ。できることを全てやろう。

自分はこの職場では何にも成せなかったけども、次は何かできればなあと思う。こんな自分でも何かできる場所があるのだろうか。たまに不安になる。というかずっと不安だ。夜も眠れなかったりする。不安で夜が包まれる日もある。終わったのではなくて、始まったばかりだということを痛感する。

でもまあやるだけなのだ。過ぎ去ったことは全てわすれて、できることを探していくのだ。

2015年働くことが決まったときはとっても嬉しかった。でも、大変な目にあったりした。2016年東京に転勤になって、友達もそれからどんどんできて、頑張ったりして、そうしているうちに2017年は大変な仕事に捕まってしまって、それが終わりかけの頃に倒れてしまった。

もしもっと要領がよかったらこうはならなかったのかなあと後悔もする。

もしもっと出来る人だったらこうはならなかったのかなあと後悔もする。

でも、そんなこと考えてもしかたない。

終わってしまったのだ。全ては終わってしまったことだ。

これからのことを考えよう。

まだやらなきゃいけないことは沢山ある。

提出しなきゃいけない書類、市役所にも行かないといけないし、お金の手続きも沢山。

まだまだやらなきゃいけないことは沢山ある。それが終わるまではやめたことにはならない。

 


たまに思う。この人生の意味はなんなのだろうと思う。たまたま生まれてきて、それなりに愛されて育ってきて、沢山失敗して、たどり着いた先が今日だ。

まだ終わっちゃいないはずだと信じたい。

まだ始まってもいないと言いたい。

そんなキッズ・リターンな気持ちで今はいる。

いつか、今日のことをあんなこともあったなんて振り返ることができたらなと思う。

こんなこともあったなんて振り返れたらと思う。

そのためにも日々を着実に進めていこう。

ちゃんと日々を生きよう。

生きれていない日も沢山あるんだ。今は寝続けてしまう日もあって、眠れない日もあって、薬漬けな状態なんだ。でも、それも、忘れることがいつかできたらいいなと思う。

これからも辛いことは沢山あるだろうし、楽しいこともまた沢山あるだろうと思う。

どこで、それを体験するかなんてわからないし、いつそれを迎えるかもわからない。

全てはわからないことだらけだ。

 


上司と最後、握手をしたりした。またどこかでと言われた。どこかで会えたときに、元気にやっていると言えたらいいなと思った。

元気にやっているって言えるのは難しい。元気でいれるのは本当はとても大変なことなのだ。だからこそ今は元気にやっていますといえるようになろう。

今は、まだだけども。いつか言えるようになろう。

 


2018年10月25日。会社に退職届を出しました。今は空っぽだ。でも、空っぽだと思っていた自分の中から、沢山の物語が生まれたように、また沢山の書きたいこともやりたいことも見つかるだろう。

今はわからないけども、日々を生きていけば沢山のことが見つかるだろう。

日々を生きよう。とにかく日々を生きていこう。

元気でやっていますと言えるように日々を。

『あみこ』を観た!

そういえば、最近ですが、『あみこ』という映画を見てきた。

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山中瑶子という1997年生まれの若干21歳の女性が、19歳から20歳にかけて作った映画だという。内容はあみこという女子高生に好きな人ができるけども・・・って話だ。なんだ普通の話じゃねえかと思った人、違うんだ、あらすじはあえて魅力的に書いていないだけなんだ。なんでそんなことをしているかというと、それくらいの先入観で見て欲しいからなんだ。もう前情報はこれくらいにして映画なんて見たらいいと思うんだ。僕はそれくらいの前情報で見て、ぶっ飛ばされてしまった。「あみこ、凄く、いい映画」見終わってからはその三語しかしゃべれなくなってしまった。

 


というわけでここからはネタバレあり。まあ「カメラを止めるな!」みたいにネタバレを踏んでしまうと魅力が下がる映画ではない。しかし、なんつうか、情報が溢れちゅう時代なので、めっちゃ若い監督がとったなんか評判になってる映画くらいの情報で見た方がいいような気もする。

 

 

 

で、僕はこの映画に打ちのめされたわけなのですが、それは僕がレディオヘッドが好きで、相対性理論が好きで、ナンバーガールが好きで、『(500)日のサマー』が好きだからというのがある。レディオヘッドはあみこが劇中聞いている音楽だ。ロータスフラワーという曲を聞いているシーンが出てくる。そこでロータスフラワーって!と俺は興奮してしまった。レディオヘッドの歴代のアルバムの中でも最も難解で人気がないキング・オブ・リムスに収録されている曲じゃないか。アルバムのリードトラックとはいえ、そこまで人気がある曲じゃない。要するに、それを聞いている時点で、あみこの地方サブカル少女っぷりがもう痛いくらいに伝わってくる。そしてそれに気がつくのがアオミくんという男の子だ。音楽を通して、意思の疎通がとれたというか、もっと言えば、運命共同体くらいに思っちゃうのって、これってあれじゃん、「(500)日のサマー」じゃん!あの映画ではスミスだったけども、長野県であみこはレディオヘッド運命共同体と思っちゃう。まあ、音楽以外にもアオミくんのニヒリストな部分とあみこの諦念感が合致してしまったというのもあるけども、とりあえず運命共同体だと思ってしまう。ただし、あみこだけ。

結局、アオミくんは大衆文化とあみこが評する先輩に取られてしまう。それどころか、その先輩のヒモに成り下がる。そしてアオミくんが言うのは「俺が好きなのはサンボマスターだし」と。

がーんだ。でも、あみこ、趣味で人を簡単に好きになってはいけない。なんてことを言えるわけもない。10代の頃は趣味が合うなんてことは奇跡に近いことなのだ。運命共同体に思っちゃうのだ。地方でくすぶっているサブカル少女は余計にそんなことを思っちゃうのだ。

長野県から、東京へあみこは行く。そのときの服装はセーラー服に、コートとマフラー。この服装を見て「セーラー服は戦闘服やん」と思ってしまった。バイ相対性理論である。相対性理論いうても、アインシュタインの方じゃ無くて、やくしまるえつこの方で、もっと言えば真部脩一在籍時の相対性理論の「地獄先生」だ。セーラー服は戦闘服なのだ。いつだって女子の戦闘服なのだ。好きな人に会いに行くのだから、戦闘服で行くわなと思ってしまった。

勝手に好きになって、勝手に思いをたぎらせて、それで悶え苦しみ、走り抜け、気がついたら東京へって、そんな行動をするあみこのことを見ていたら、気がついたときには俺の魂はナンバーガールのライブアルバムを再生していて、向井さんが「そんなあの子のことは透明少女」って言って、ぎゃぎゃぎゃぎゃがぎゃぎゃぎゃと田淵ひさ子のギターが聞こえた気がした。透明少女だ。あみこは透明少女だ。レディオヘッドが好きで、セーラー服で武装した透明少女だ。そんなあみこに俺こと28歳男性はやられていた。完全にやられていた。打ち抜かれていたのだ。あみこの言動の全てにやられてしまったのだ。

衝動的かと思ったら理性的、と思ったら衝動的。そんなあみこの言動は、このままこの映画の作りにも言える。衝動的に撮られているようで、理性でコントロールされたカットの数々。かと思えば、衝動的に撮られたとしか思えないカットもしくは編集のテンポ。この2つが共存している映画なのだ。めちゃくちゃメロディと歌詞がいいけども、ところどころ荒削りとしか言い様のないパンクバンドの1stアルバムのような映画だった。でも、映画なんて衝動的で作れるもんじゃない。山中監督は衝動性を理性でちゃんとコントロールしている監督であると思った。どこがってわけじゃないけども、なんつうか、独りよがりになっていない、開けた視点があるように思った。それは「面白い映画を作ってやる」という気概なのか。初めての映画作りという必死さが産み出したものなのか。3日しか無かったという編集段階での勢いなのか。SNSで見つけたという役者達のフレッシュな演技がもたらすものなのか。切れ味の鋭い台詞が貫くものなのか。とにかく俺には何がどうなって産み出されたかなんてわからない。でも、その全てが詰まっているのがこのあみこという映画なのだろう。俺はとにかくこの映画の持つエネルギーに打ちのめされた。

俺自身の話になってしまうけども、小説を書いている身としてはもっとやらなきゃという思いになった。何がってわけじゃないけども、これくらいのエネルギーをぶち込まなきゃと思った。ぶち込むのだ。エネルギーを。あみこの躍動を納めたこの映画のように、俺もぶち込まなきゃいけないと思った。

そんな風に、思わせる映画だった。

感想としては以上で、酷い感想だ。でも、とにかく衝動的に記したい気分になったので、ここに書いた。出来不出来なんてわからない。俺は山中監督のように、理性ではコントロールできてないのかもしれない。けども、とりあえずあみこを見た衝動だけは記しておきたいと思った。

不出来な感想で申し訳ない。ただ、あみこは素晴らしい映画だ。ぜひ見て欲しい。

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