にゃんこのいけにえ

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ダファー兄弟『ストレンジャーシングス2』を見た!

ダファー兄弟「ストレンジャーシングス2」を見た!Netflixオリジナルドラマ。全9話。

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 なんせストレンジャーシングス2である。あのほとんど期待されてない中、突如として現れ、そして瞬く間に世を席巻したあのストレンジャーシングス1の続編である。
 1の衝撃ったらなかった。スティーブン・キングが脚本を書いて、大友克洋が作画をした「マザー2」というべきようなドラマに俺の感受性は完全ノックアウト。
 毎日夢中になってむさぼるように見たのを覚えている。
 全8話というコンパクトさも素晴らしかった。
 その2である。全9話。またもやコンパクトですばらしい。

 


 では2はどうだったのか。
 27歳男性は完全降伏でした。
 めちゃくちゃおもしろすぎるでしょこれ。
 1から1年(ちゃんと劇中でも1年後という設定)、あの町で、またもや大事件が発生する!というもろ「続編」な話の始まり。
 そして「1」からの後の世界を丹念に描きこむ序盤の高揚。
 比較的きれいに話は終わっていた「1」であったけども「ああ、そういえば・・・こんな問題が残ってたよな・・・」と次々現れる。
 そして何よりも反対側の世界から帰ってきたウィルである。
 あの「1」の最後、一瞬見えた不穏な気配。
 1年後、その不穏な気配はさらに濃密になっていく。

 

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 マイク、ダスティン、ルーカス、ウィルというぼんくら少年団たちと新たな転入生のマックス、署長の元に訪れる新たな事件、亡くなったバーバラの罪悪感に苦しむナンシー、そしてイレブンの行方。
もうこの1話だけで「あの続き」が見ることができるという多幸感に満ちている。
そして、その多幸感は裏切られることも、低迷することもない。

 


ばらばらに展開していたそれぞれのピースが次第に一本の線になっていくストーリーテリングの見事さ。
そういったパズル的な面白さも素晴らしいのですが、キャラクター同士が新たな交流により成長していく様にも心を打たれる。
彼らはそれぞれは弱い存在であるし、何度も間違ったことをしてしまう。ぶつかり合うこともある。でも、彼らは乗り越えていく。そのなけなしの勇気を出す姿に27歳男性はぐっときてしまう。

 


今回、一番ぐっときたキャラクターはスティーブ。あの嫌みなジョックスがなんと男気溢れるキャラになることか!
一度は嫌みに描いたキャラクターをここまで立たせる制作陣の愛も素晴らしいし、そこには人は行動によって変わることができるというメッセージが込められている気もする。
あんなにくそ野郎だったのに、今度はくそガキたちを率いて守って、そして送り出すメンターになる・・・!こんなの泣きますわ・・・。

 


その一方でまんべんなくキャラクターを愛を持って描きながらも、容赦無く酷い目に遭わせるスティーブン・キング的な筆致も相変わらずだ。
今回もまじかよ・・・って展開があっていい意味で「酷い!」ってなってしまった。この容赦のなさも素晴らしい。
各キャラクターの濃密どはスティーブン・キング的であるけども、今回はそれに加えて「エイリアン2」や「エクソシスト」的な展開もあって、相変わらずのジャンルマッシュアップっぷりが素晴らしい。
個々の要素はどこかで見たことあるけども、あまりのマッシュアップの上手さに手触りは「ストレンジャーシングスオリジナル」としか言いようがない。そして表面的なマッシュアップに終わらず、個々のキャラクターとストーリーを描ききっているからこそ、オタクの趣味公開なドラマでは終わってないのだと思う。

 


徐々に徐々につながっていき、緊張感がピークに達して、そこであえての異質回の7話を挟んでのラスト二話のスピード感ったら!
もうこの二話を見ずに2017年のポップカルチャーを語ることはできないんじゃないでしょうか。
海外ドラマ黄金期と言われていますが、なぜ黄金期と呼ばれているかをはっきり示している二話だったと思う。
ドラマは映画と違って当たり前ですが長い。映画は1時間半で終わるのに、ドラマとなれば見終わるまでに9時間もかかる。
でも、長いというのは強みになるわけです。人物の描き込みは長ければ長い分描ける。ディティールも詰め込むことができる。
そして今回のストレンジャーシングスのラスト2話で感じたのは、映画だと最後30分のクライマックスが2時間に引き延ばされた場合何が起きるのか?という証明になっていると思う。
二時間クライマックスなのだ。もうどうにかなってしまいそうなほどの緊張感なのだ。
そのなかに9話分のあれやこれやがつめこまれている。伏線は回収され、あのときの台詞が響き渡り、傷ついたものは立ち上がり、最強の悪とついに対峙する。
そりゃもうあがらないわけがない。泣かないわけがない。
もう強く強く拳を握って二時間見続けた。
最高でした。

 


それからエピローグの素晴らしさも。この大騒動が終わって、それぞれに日常が戻ってくる。
子どもたちも成長している。楽しさも切なさも入り乱れる。
ポリスの「見つめていたい」が鳴り響く中、みんな少しだけ大人になる。その甘酸っぱさに僕はすっかりやられてしまって両手を天に突き上げてしまった。
この後味の良さこそ「アメリカ映画」だったなと思い出していた。

 


かつて井筒監督は「面白い2なんてバック・トゥー・ザ・フューチャーだけや!」と言っていたけども、ダファー兄弟もいろんな続編映画を見てきただろう。
面白い続編映画もあれば、面白くない続編映画はそれ以上に沢山あって、がっかりしたこともあっただろう。
「俺たちならばここはこうするのに!」と歯がゆく思っていたのかもしれない。
ストレンジャーシングス1が大ヒットして、自分たちが「2」を作れることになったとき、かつて見てきた続編映画が頭によぎっただろう。
「どんな続編映画があの頃見たかったか」
「どんな続編映画があの頃の俺たちを熱くしたか」
それからこう思っただろう。
「最高の続編作ってやろうや」

 


ストレンジャーシングス2は「ストレンジャーシングスシーズン2」ではない。
あくまでも「ストレンジャーシングス2」なのだ。
それはあの頃の続編映画へのリスペクトと「俺たちも最高の続編映画を作ってやる」という気概なのだと思う。
そしてその通りの続編を前作からたった1年で作り上げてしまったダファー兄弟にただただひれ伏すしかない。
2017年最高のポップカルチャー
最大級におすすめ。

 

 

それから。
今作の最高のキャラクターはなんといってもボブおじさん。
登場したときはあまりのさえなさに「えー」となるのだけども、劇中最大のヒーローはボブおじさん。
人をヒーローにするのは行動と勇気である。
それをボブおじさんから教えて貰ったような気がして、この先も生きていきたいなと思うのでした。

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納屋に閉じ込め火をつける 爽健美茶

・納屋に閉じ込め火をつける 爽健美茶

 

・血管辿ってローマ着く 爽健美茶

 

・孤独を知って強くなる 爽健美茶

 

・下あごちぎって銭入れる 爽健美茶

 

・リニアに轢かれて粉になる 爽健美茶

 

・モザイク越しにブツがある 爽健美茶

 

・鎖骨の窪みに湯葉うめる 爽健美茶

 

・本屋の前で焚き火する 爽健美茶

 

・チャイナドレスは寒すぎる 爽健美茶

 

・胸の谷間に銀河見る 爽健美茶

 

・バイクの荷台にCHAGE乗せる 爽健美茶

 

・信長絶対サイコパス 爽健美茶

 

・いかれた奴らとバンド組む 爽健美茶

 

・無理がきかない歳になる 爽健美茶

 

・ひじとワイパー 入れ替える  爽健美茶

 

・光が射さない森にいる 爽健美茶

 

ヒョードルノゲイラ、オセロする 爽健美茶

 

・悲しみ癒すの 手間かかる 爽健美茶

 

・米兵 ナイフで林檎むく 爽健美茶

 

・鍋焼きうどんで腹満たす 爽健美茶

 

・指紋で"HELP"と書き記す 爽健美茶

 

・寺を燃やして暖をとる 爽健美茶

 

・アヘンを巡って国滅ぶ 爽健美茶

 

・トトロが首を引きちぎる 爽健美茶

 

・野性の掟を叩き込む 爽健美茶

 

・涙を拭って前を向く 爽健美茶

 

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短編小説『あの子は象牙の橋から飛び降りた』

 象牙で作った橋を渡った町で17歳になった私は、自転車を漕いで夕日に照らされた図書館に本を返しに行く。
 大半が埃をかぶった本ばかりの図書館に読みたい本はもう無くて、私は何度も何度も好きな本を借りてはそれを読み返す。
 頭の中に浮かぶ黒板にその本の言葉を初めから最後まで書けるくらいまで読んでしまって、好きな本にも飽きてしまって、私はいよいよ埃のかぶった図書館で孤独になってしまった。
 孤独になるとどうでもいいことばかり気がついてしまう。
 毎日、見かけるおじいちゃんの歯が残り4本であること。
 壁に貼られたこの町の地図をじっとよく見ると、小学校の裏にあった謎の施設がただの浄水施設であったこと。
 そしてスティーブン・キングのItが置いてある棚の後ろに謎の扉があることに気がついてしまう。
 私はその扉をじっと見る。高さ30センチにも満たない小さな扉。
 何のための扉なんだろうか。
 どうせ読みたい本もないからその扉のことを考える。
 それで思いついたのは安易だけども「不思議の国のアリス」のことだった。
 あの扉の向こうには不思議の国が広がっている。
 私は似合わない青いドレスを来て、背が縮んだり、気の狂った帽子屋とお茶会をしたり、トランプの兵士に首をはねられたりする。あの扉の向こうにはそれが待っている。
 どうせここにいてもつまらないし、いっそのこと首をはねられてもいいななんて思う。


 竹宮先生が家にやってきたのは図書館でそんなことを考えた二日後だった。
 「海野ー。元気にしてるか」
 はい、先生。元気ですよ。
 「そうかー。これ、各教科のプリントまた持ってきたから、来週までにやっておくんだぞー」
 そう言って分厚いプリントの束を渡す。私は今週分のプリントを竹宮先生に渡す。
 「おー。お前はちゃんとやるなー。どうだ、わからないところはあったか?」
 はい。最後のページに、今回わからなかったところをまとめています。
 「じゃあ、これ、また先生聞いてくるから。あ、英語なら俺答えられるな。これはな」
 紙にしてもらえた方が助かります。
 「海野、そんな冷たいことを言うんじゃないよー。先生も一応英語の先生だってところを見せたいわけよー」
 ごめんなさい。でも。
 「あーわかってる。わかってる。ちょっと冗談を言っただけだよ。先生あんまり面白くないから。すまんな」
 いえ。全然。
 「・・・どうだ。学校へは戻れそうか」
 私はしばらく黙って、それで、次に何を言うか考える。
 「はい!戻れます!」違う。
 「もう少し、かかりそうです」違う。
 「先生、早く出ていってください」違う。
 私はしばらく悩むが言葉は出てこない。だから別のことを聞く。
 ・・・竹宮先生、清水さんはどうしてますか?
 「清水か。まあ・・・元気にしているよ」
 嘘つき。


 「こんな町大嫌い」ってあと1年我慢すれば出て行けたのに、清水さんは耐えられなくなって象牙でできた橋から飛び降りてその下を流れる川に着水。
 でも、死ぬことができなくて、町の真ん中にある病院で飛び降りてからずっと入院している。
 その病院からは清水さんが飛び降りた象牙の橋と川が見える。
 自分を殺してくれなかった橋と川を清水さんはどんな風に見ているんだろう。
 逃げ出したかったのに、町の真ん中に縛られている清水さんはどんな気持ちなんだろう。
 「清水さん、よくなるといいですね」
 私は本心を言う。
 竹宮先生も笑って「そうだよな」って言って、そして家から出て行く。
 清水さんにはよくなって、この町から逃げ出してほしい。
 でも、当分の間、この町に縛られたまんまだ。

 

 今日も昼前には図書館に行って、プリントを仕上げていく。国語数学科学歴史英語。
 ザラ紙のプリントを仕上げながらスティーブン・キングの「It」の隣にあるあの小さな扉のことを考える。
 30センチの小さな扉。
 私は14時前に科学のプリントを仕上げて、かばんを椅子に置いたまんまにして、その扉の前に向かう。
 この扉の向こうには不思議の国が広がっていて、私の首ははねられる。そんな期待が広がる。
 扉に手をかけて、開いてみる。
 そこには不思議の国は無い。でも、ヒモがぶら下がっている。
 蛍光灯を消せるようなヒモが。
 引っ張ったらどうなるんだろう。そんな疑問が頭に浮かんで、それで、私は実行する。
 カチっと音と確かな手応えを感じる。


 何も起きない。
 図書館には何も起きていない。
 もう一度引っ張るけどもやっぱり何も起きない。
 私はどうでもよくなって扉を閉めて席に戻って、世界史のプリントを解くことにした。

 


 17時になって家に帰ろうと思い席から立つ前に携帯を見ると、清水さんからLINEが入っていることに気がついた。
 「橋 壊れた」
 何を言っているかわからなくて私は返信をせずに自転車に乗る。自転車で町を駆け抜けていると家に帰る途中で人だかりと車が沢山集まっているのに気がつく。
 なんだろうと思うと、いつもなら見えているものが見えていないことに気がつく。
 象牙でできた橋が壊れて落ちている。
 清水さんが飛び込んだ川に象牙の橋がばらばらになって散らばっている。
 誰かが大きな声で言う。大変なことになったぞー。
 ヘリコプターの轟音が響き渡っている。
 私は携帯を取り出して清水さんに返事をする。「そうだね」
 清水さんから返事。
 「海野 橋 壊したでしょ」
 何言ってるの?と返すが、返事はそれから返ってこなかった。


 数時間後、清水さんは容体が急変して亡くなる。

 

 竹宮先生がまた山のようなプリントを抱えてやってくる。
 「海野-。元気でやっているか」
 ええ、まあ。
 「そうかー」
 そしていつも通りの会話を竹宮先生と交わす。一通り話した後に竹宮先生が私に言う。
 「あの橋、そろそろ新しいのができるらしいな」
 もう、半年ですもんね。
 「半年か、遅すぎたくらいだよなあ」
 半年。
 橋が壊れて、清水さんが亡くなって半年。
 橋が壊れても、清水さんが亡くなっても、私は何も変わらなかった。この町も何も変わらなかった。
 清水さんの「海野 橋 壊したでしょ」って言葉が怖くて、私はその後に、図書館に行ってあのヒモのことを聞く。
 すると「これは換気用のスイッチでして」とくだらない回答が返ってきて私はほっとする。
 じゃあなんで清水さんはあんなことを言ったんだろうと思うが、何かが清水さんに見えたんだろうと思う。
 清水さんはベッドで横たわりながら、あの橋が壊れるのを見た。
 そのとき、清水さんの目に映った私はどんな風に橋を壊したんだろうか。

 「次の橋、何で作られるか聞いた?」竹宮先生が言う。
 いえ。知らないです。
 「真珠だって。くだらないよな」
 そう言って先生は家を出て行く。
 もうすぐ私は高校3年になるはずだけども、まだ学校にはいけそうにない。

 私はまだ図書館に通っている。昼前の光を浴びる図書館に。
 図書館の机でプリントを解く。国語数学科学歴史英語。
 世界史を終えた頃には17時になっている。
 家に帰ろうと思ったが、その前になんとなく思い立って今日は本を一冊借りようと思う。
 埃を被った本がずらっと並んだ棚の間を歩く。
 この町に住む老人たちに向けてチューニングされた図書館だから、たいていは興味のない本ばかりだ。
 その中でも、じっと見ていると何冊か興味があるものが出てくる。 1冊、2冊手にとる。
 すると誰かが見つめている気がする。
 振り返ると、遠くに清水さんが立っている。
 清水さんは笑顔で手招きしている。
 私は清水さんに近づいていく。
 清水さんは「It」の隣にあるあの小さな扉に前に移動していく。
 私は清水さんを追いかける。
 清水さんは扉を開けて、あのヒモを握る。
 清水さん、それは、換気用のスイッチだから何に意味もないんだよ。
 清水さんがヒモを引っ張る。
 カチ。図書館が停電する。
 カチ。どこかで何かが壊れる。
 カチ。どこかで誰かが死ぬ。
 カチ。どこかで誰かの叫び声が聞こえる。
 カチ。カチ。カチ。カチ。カチ。
 清水さんはヒモを引っ張り続ける。
 そのうちに、この町は全て壊れる。
 何もかもなくなって、砂になって、風が吹いてどこかへ飛ぶ。


 カチ。

 最後の音の後に、図書館の明かりがつく。
 そこに清水さんの姿はなくて、閉館を告げるアナウンスが館内に反響する。
 私は自転車を漕いで家まで帰る。
 その道中、あたりを見回す。
 この町は何も壊れていない。
 それにほっとしながら、どこかつまらなく思ってしまって、そんな自分のことを少しだけ嫌に思う。
 すると腰に違和感を感じる。
 清水さんが荷台に腰掛けて、私の腰に腕を回している。
 清水さんは泣いている。
 清水さん、何にも壊れなかったね。
 清水さんは泣きながらうなずく。
 私たちはそのまましばらく何にも壊れなかった町を自転車で走る。 元象牙の橋の近くを通ったら真珠の橋がまさに工事中で「来月開通予定!」とでかでかと書いている看板が目に飛び込む。
 その看板から清水さんを少しでも遠くへ離してあげるために自転車のペダルを強く漕ぐ。
 すると腰に回された腕がぎゅっと力が入った気がする。
 清水さん。
 「何?」
 せっかく死んだんだから、この町から出て行きなよ。
 「あはは。それもそうだね」
 そう言って、私たちは坂道を下っていく。

 

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デヴィッド・フィンチャー『マインドハンター 』を見た!

Netflixオリジナルドラマ「マインドハンター」を見た!

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休職中27歳男性は最近、カウンセリングを受けている。
自分のことはわかっているなんて思いながら、実際受けてみるとしゃべり方の癖やらから「あなたってこういう人なんですね」と理解していなかった「自分」ってのが見えてきてとても面白い。
で、27年僕として生きていた僕ですら、わかっていなかった僕を、カウンセラーが50分くらいの会話でわかっていくにはある程度の精神のルールを把握しなければいけないわけです。
なんと複雑な仕事なんでしょうか。
しかし、世の中にはもっと複雑な仕事があります。
それは犯罪者の心理を把握しようとする仕事。
それもとびっきり、残虐で異常な犯罪者の。


トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」で一躍注目を浴びた犯罪プロファイリング。それがもう30年近く前ということに驚いてしまいますが、このドラマはそれからさらに20年前の1970年代が舞台です。
まだ犯罪プロファイリングなんて言葉すら生まれてなかった時代。
異常殺人鬼は「生まれもっての怪物だ」と思われていた時代。
ある1人の若手FBI捜査官が好奇心から異常殺人鬼のエド・ケンパーに会いに行きます。
エド・ケンパーはとても知的なしゃべり方をする。つまり「会話が通じない怪物」ではないことを知ります。
エド・ケンパーが提示した「自身の殺人のルール」を衝撃を受けたFBI捜査官は「異常殺人鬼の心理を学ぶことで異常殺人鬼の犯罪の抑止になるのではないか」と思います。
それから端を発して各地の刑務所に拘留されている殺人鬼に会いに行くのでした・・・。

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本作は「セブン」ソーシャルネットワーク」「ゴーン・ガール」のデヴィッド・フィンチャーがプロデュースとそして全10話中4話も監督をつとめている。
フィンチャーが作るドラマだからただ事にはならないだろうと思いましたが、やっぱりただ事にはなってませんでした。
映像のルックがゾディアック以降のフィンチャー作品と同じく、暗くそれでいて艶っぽい映像。エンドクレジットにはshot on REDと出るようにフィンチャーの近作と同じくカメラにはデジタルカメラのREDを使っている。
PEAK TVと言われているように近年ではドラマのクオリティが馬鹿高くなっていて「これはドラマじゃない10時間の映画だ!」みたいな宣伝がされることがありますが、これも勿論そういうような言い方ができます。
しかし、これはそんなレベルではないのではと思ってしまいました。というのも挑発的で大胆でそれでいて精密な物語作りなのです。


マインドハンター」の大部分を占めるのは異常殺人鬼との面会のシーン。長ければ20分近く主人公たちと殺人鬼は取り調べ室で喋り続ける。その話題はわかりやすい犯行の動機だけではなく、現実の会話と同じようにあちらこちらに逸れていく。しかし、その逸れていく会話にすら「殺人鬼」としてのバックボーンが見えるものになっている。もしくは主人公たちの思想、戸惑い、挑発、ミス、もろもろ。

これらの会話劇はわかりやすいものではなく、必死にこっちがついて行かなければならないほど、突き放す。まるで心理を理解しようとする主人公たちを翻弄する劇中の殺人鬼たちのように。
脚本とショーランナーをつとめたのはショーペン・ホール。
彼は演劇出身の脚本家だそうです。にしても会話の描き方が凄まじすぎるだろとは思うのですが。


フィンチャーは「キャラクターを描きたい」と言っていたそうですが、にしても凄まじすぎる。
会話が凄まじかったフィンチャー作品といえばアーロン・ソーキン脚本の「ソーシャル・ネットワーク」がありましたが、あのラップバトルのような台詞の応酬ではなく、こちらはどっちかと言えばミニマルミュージックっぽいっていうか、徐々に積み重なっていって倍音で気がついたらとんでもない音ならされている感じというか。

 


基本的には「異常殺人鬼」との面談が主で、たまに主人公たちはその面談で得た知識を元に、発生した事件も解決しようとする。
しかし、ここでも特殊な作りをしていて、まずよくある「事件発生時」の映像は一切流れない。どんな風に被害者が殺されて・・・と言ったものは流されない。
視聴者も主人公たちと同じく他者からの会話(もしくは写真)でその事件を知っていくことになる。
つまりはドラマ的に「派手」になるものを削いでいくわけです。

「派手」になるものを削いでいくといえば、このドラマは毎回わかりやすい引きがあるわけではありません。いわゆる「クリフハンガー」と呼ばれるような「え!こんなこと起きたらどうすんの-!」みたいな主人公たちを宙ぶらりんにさせるようなことは一切ありません。
毎度、毎度淡々と終わっていくのです。

平易な言葉ながらも難解な会話、派手を廃した作劇、わかりやすい引きの撤廃、これが面白いのでしょうか、はい、めちゃくちゃ面白いんです。

 

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序盤は調査が軌道に乗っていくまでをテンポよく、そしてブラックユーモアを交えて描いていく。この辺はこんな内容のドラマなのに結構笑えます。
中盤は発生した事件を解決するために奔走する姿がスリリングです。特に容疑者に取り調べを行うだけの回があって、めちゃくちゃ面白い。
そしてその一方で、次第に疲れ果てていき、闇に取り込まれていく主人公たち。
終盤は調査で行った「ある行為」を巡って「モラル」が試される。調査のためには踏み込んでいいのか?いわゆる深淵を覗いているものは覗き返されているってやつじゃないのか・・・って思っていたらラストですよ!!!ラスト!!!
「いや、お前深淵をのぞき込んでいたつもりかもしれないけども、まだ覗いたことになってないからな?」って深淵側から突きつけられるラスト!
その瞬間、このドラマ初、画面がブレて、音楽がばーん!鳥肌わっさー!!
うーわー!全部フィンチャーの手のひらだったー!!と机ばんばんしたくなりました。

そして最後の最後にはこれすらも「嵐の前」であることが示されて、終わり。
凄いドラマだ・・・と思わず呟いてしまいました。

これまでが完全に抑制されていたからこその、衝撃にやられてしまいました。もう本当こういうの弱い。


そのほかでいいますと、音楽使いの見事さ。雰囲気と合わないような70年代ロックをあえて流すことで生まれるグルーヴ感強めのシーンの数々が気持ちいい。
編集の切れ味、映像の構図の切れ味もたまんないものがあります。

なによりも「会話劇」というものが好きな人はぜひ触れてほしい作品だと思いました。平易な言葉でどこまで描けるのか?会話を積み重ねていくこととは?ということを突き詰めたような作品ですので。

シーズン2の制作が決定されているそうですが、次はどこまで行ってしまうのでしょうか。
勿論次もフィンチャー監督回がありますようにと願うばかりです。

アン・ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』を読んだ!

アン・ウォームズリー「プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」を読んだ!

 

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カナダにあるコリンズ・ベイ刑務所。そこで読書会が行われた。
刑務所で読書会と聞いてもあまりピンとこない。
そもそも刑務所にある本なんて、中がくりぬかれていてその中に武器が入っていてるんじゃないですか。
聖書の中にプラスチックスプーンを削ってナイフにしたものを忍ばせておいて、食堂に皆が集まるときにその聖書を持って行く。ターゲットはマイケル。奴は俺の妻と子供を殺した。俺はその復讐のためにこの刑務所に入ったのだった。俺は聖書を開く、くりぬいたページの一部が目に入る「汝の敵を許せ」。くそが。俺は小さくつぶやき聖書からナイフを取り出す・・・
ってシーンでくらいしか、本って出てこないイメージじゃないですか。
しかしながら、刑務所で読書会は成立したのです。
本書はその読書会にボランティアとして参加したジャーナリストのアン・ウォームズリーによるノンフィクション本である。

 

 

僕はこれまでのところ刑務所に入ったことはないのですが、映画やドラマで見る刑務所ってめちゃくちゃ荒れているので、僕なんかが入った日には「おいフィッシュ!(新入りのことをフィッシュと呼ぶ)てめえの趣味はなんだ?」「あ・・・う・・・読書とか映画です・・・」「なんだおめえ!ここは幼稚園じゃねえぞ!ママのところにかえって乳でも吸ってな!!」と煽られるか、何年もの渡ってけつを掘られ続けるか、もう悲惨な末路しか見えない。辛い。

どうやら現実の刑務所も同じようで、話すことといえば皆、犯罪歴の自慢ばかりだそう。そして傷害事件もしょっちゅう起きているよう。人間関係も同じ人種や同じようなグループで固まってばかりだそう。

しかし、読書会が行われることで刑務所内に変化が起きていく。
読書会に集まるのは様々なバックグラウンドを持つ人々だ。
食堂で介しても話をしないような人々。
しかし彼らは読書会においては同じ一冊の本を読んだ仲間。
彼らは読んだ本に対して様々な意見をぶつけていく。
それは「受刑者が読書会?」という偏見に満ちた作者、そして僕をも驚かせるようなものだ。
それどころか受刑者たちは読書会以外でも本の話をするようになる。読書会のメンバーを見つけたら、近寄って「あの本はどう思った?」と話しかけるようになる。
それに対し作者はこのように綴る。
「今や、彼らが夢中になっているのは麻薬ではなく読書なのだ」

 

 

昔、僕は年上の人に「本なんて読んだって意味が無い」と言われたことがあった。本を読むという行為をあざけ笑うような口調だった。僕はそのとき、何もいうことができなかった。本を読むのは好きなのに「意味がない」と言われた時に、それに対する回答ができなかった。

 

 

受刑者たちは毎月読書会のための本を読む。
「スリー・カップス・オブ・ティー」「月で暮らす少年」「夜中に犬に怒った奇妙な事件」「ニグロたちの名簿」「かくも長き旅」「ガーンジー島の読書会」「サラエボチェリスト」「戦争」「ガラスの城の子どもたち」「怒りの葡萄」「賢者の贈り物」「警官と賛美歌」「賢者の旅」「第三帝国の愛人」「天才!成功する人々の法則」「スモール・アイランド」「もう、服従しない」「ポーラ―ドアを開けた女」「ありふれた嵐」「6人の容疑者」「ユダヤ人を救った動物園」「またの名をグレイス」そのほかにも沢山。

 


これらの本は様々なテーマを取り扱っている。
「他者を救うこと」「人種問題」「読書を行う意味」「戦争」「人間性」「貧困」「刑務所」「自己啓発」「宗教」「異国の地」「実際の事件」「女性」
彼らは本を読み、本の中に含まれているテーマを読み解こうとする。そしてその過程で彼らは自分自身の人生を見つめ直していく。

受刑者の1人がどの本が好きか?と聞かれこう答える。


「どれが好きっていうのではなくて、本を一冊読むたびに、自分のなかの窓が開く感じなんだな。どの物語にも、それぞれきびしい状況が描かれているから、それを読むと自分の人生が細かいところまではっきり見えてくる。そんなふうに、これまで読んだ本がいまの自分を作ってくれたし、人生の見かたをも教えてくれたんだ」

 


刑務所なので、トラブルはつきものだ。受刑者もトラブルに巻き込まれることもしょっちゅうだ。しかし、その最中でも本の登場人物の信念の強さに救われたと気持ちを漏らす場面もある。
物語が時としてきびしすぎる現実を生きる上で支えになることがある。

 


本書を読む上で心地よいのはその読書会の場面だ。
受刑者たちが課題図書をどう読んだかを熱っぽく語る場面を夢中になって読んだ。
何かを熱っぽく語るということはその中にはその人の自分の言葉がある。それが行き交う読書会の静かな熱狂と興奮に触れると僕も読書会に参加したいという気持ちになる。多分、本書を読んだ人は全員そうなると思う。

 


刑務所の読書会という突飛なシチュエーションのノンフィクション本であるが、実のところは「読書」を巡る私たちの話でもある。
なぜ、これほどまでメディアが溢れても読書はすべきか。
「本を読んだって意味がない」って言われた時、回答できなかったけども、今ならその答えを言える気がする。
「私には必要だ」と。
人生は複雑だ。受刑者でなくても、人間性を奪われていると感じる生活をしている人も多くいるだろう。
読書は人間性を回復してくれる。
読書は知らなかった世界を見せてくれる。
読書は私自身を教えてくれる。
400ページもの本だけども、読み終わってすぐに「もっと本が読みたい」と強く思い、そのまま積んである山ほどの本から一冊抜き取りまた別の本を読み始めた。
そういえばこの本はこんな引用から始まる

 

「読みかけの本を残して出所してはいけない。戻って続きを読みたくなるからだ。――刑務所の言い伝え」

 

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年