にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

デヴィッド・フィンチャー『マインドハンター 』を見た!

Netflixオリジナルドラマ「マインドハンター」を見た!

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休職中27歳男性は最近、カウンセリングを受けている。
自分のことはわかっているなんて思いながら、実際受けてみるとしゃべり方の癖やらから「あなたってこういう人なんですね」と理解していなかった「自分」ってのが見えてきてとても面白い。
で、27年僕として生きていた僕ですら、わかっていなかった僕を、カウンセラーが50分くらいの会話でわかっていくにはある程度の精神のルールを把握しなければいけないわけです。
なんと複雑な仕事なんでしょうか。
しかし、世の中にはもっと複雑な仕事があります。
それは犯罪者の心理を把握しようとする仕事。
それもとびっきり、残虐で異常な犯罪者の。


トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」で一躍注目を浴びた犯罪プロファイリング。それがもう30年近く前ということに驚いてしまいますが、このドラマはそれからさらに20年前の1970年代が舞台です。
まだ犯罪プロファイリングなんて言葉すら生まれてなかった時代。
異常殺人鬼は「生まれもっての怪物だ」と思われていた時代。
ある1人の若手FBI捜査官が好奇心から異常殺人鬼のエド・ケンパーに会いに行きます。
エド・ケンパーはとても知的なしゃべり方をする。つまり「会話が通じない怪物」ではないことを知ります。
エド・ケンパーが提示した「自身の殺人のルール」を衝撃を受けたFBI捜査官は「異常殺人鬼の心理を学ぶことで異常殺人鬼の犯罪の抑止になるのではないか」と思います。
それから端を発して各地の刑務所に拘留されている殺人鬼に会いに行くのでした・・・。

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本作は「セブン」ソーシャルネットワーク」「ゴーン・ガール」のデヴィッド・フィンチャーがプロデュースとそして全10話中4話も監督をつとめている。
フィンチャーが作るドラマだからただ事にはならないだろうと思いましたが、やっぱりただ事にはなってませんでした。
映像のルックがゾディアック以降のフィンチャー作品と同じく、暗くそれでいて艶っぽい映像。エンドクレジットにはshot on REDと出るようにフィンチャーの近作と同じくカメラにはデジタルカメラのREDを使っている。
PEAK TVと言われているように近年ではドラマのクオリティが馬鹿高くなっていて「これはドラマじゃない10時間の映画だ!」みたいな宣伝がされることがありますが、これも勿論そういうような言い方ができます。
しかし、これはそんなレベルではないのではと思ってしまいました。というのも挑発的で大胆でそれでいて精密な物語作りなのです。


マインドハンター」の大部分を占めるのは異常殺人鬼との面会のシーン。長ければ20分近く主人公たちと殺人鬼は取り調べ室で喋り続ける。その話題はわかりやすい犯行の動機だけではなく、現実の会話と同じようにあちらこちらに逸れていく。しかし、その逸れていく会話にすら「殺人鬼」としてのバックボーンが見えるものになっている。もしくは主人公たちの思想、戸惑い、挑発、ミス、もろもろ。

これらの会話劇はわかりやすいものではなく、必死にこっちがついて行かなければならないほど、突き放す。まるで心理を理解しようとする主人公たちを翻弄する劇中の殺人鬼たちのように。
脚本とショーランナーをつとめたのはショーペン・ホール。
彼は演劇出身の脚本家だそうです。にしても会話の描き方が凄まじすぎるだろとは思うのですが。


フィンチャーは「キャラクターを描きたい」と言っていたそうですが、にしても凄まじすぎる。
会話が凄まじかったフィンチャー作品といえばアーロン・ソーキン脚本の「ソーシャル・ネットワーク」がありましたが、あのラップバトルのような台詞の応酬ではなく、こちらはどっちかと言えばミニマルミュージックっぽいっていうか、徐々に積み重なっていって倍音で気がついたらとんでもない音ならされている感じというか。

 


基本的には「異常殺人鬼」との面談が主で、たまに主人公たちはその面談で得た知識を元に、発生した事件も解決しようとする。
しかし、ここでも特殊な作りをしていて、まずよくある「事件発生時」の映像は一切流れない。どんな風に被害者が殺されて・・・と言ったものは流されない。
視聴者も主人公たちと同じく他者からの会話(もしくは写真)でその事件を知っていくことになる。
つまりはドラマ的に「派手」になるものを削いでいくわけです。

「派手」になるものを削いでいくといえば、このドラマは毎回わかりやすい引きがあるわけではありません。いわゆる「クリフハンガー」と呼ばれるような「え!こんなこと起きたらどうすんの-!」みたいな主人公たちを宙ぶらりんにさせるようなことは一切ありません。
毎度、毎度淡々と終わっていくのです。

平易な言葉ながらも難解な会話、派手を廃した作劇、わかりやすい引きの撤廃、これが面白いのでしょうか、はい、めちゃくちゃ面白いんです。

 

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序盤は調査が軌道に乗っていくまでをテンポよく、そしてブラックユーモアを交えて描いていく。この辺はこんな内容のドラマなのに結構笑えます。
中盤は発生した事件を解決するために奔走する姿がスリリングです。特に容疑者に取り調べを行うだけの回があって、めちゃくちゃ面白い。
そしてその一方で、次第に疲れ果てていき、闇に取り込まれていく主人公たち。
終盤は調査で行った「ある行為」を巡って「モラル」が試される。調査のためには踏み込んでいいのか?いわゆる深淵を覗いているものは覗き返されているってやつじゃないのか・・・って思っていたらラストですよ!!!ラスト!!!
「いや、お前深淵をのぞき込んでいたつもりかもしれないけども、まだ覗いたことになってないからな?」って深淵側から突きつけられるラスト!
その瞬間、このドラマ初、画面がブレて、音楽がばーん!鳥肌わっさー!!
うーわー!全部フィンチャーの手のひらだったー!!と机ばんばんしたくなりました。

そして最後の最後にはこれすらも「嵐の前」であることが示されて、終わり。
凄いドラマだ・・・と思わず呟いてしまいました。

これまでが完全に抑制されていたからこその、衝撃にやられてしまいました。もう本当こういうの弱い。


そのほかでいいますと、音楽使いの見事さ。雰囲気と合わないような70年代ロックをあえて流すことで生まれるグルーヴ感強めのシーンの数々が気持ちいい。
編集の切れ味、映像の構図の切れ味もたまんないものがあります。

なによりも「会話劇」というものが好きな人はぜひ触れてほしい作品だと思いました。平易な言葉でどこまで描けるのか?会話を積み重ねていくこととは?ということを突き詰めたような作品ですので。

シーズン2の制作が決定されているそうですが、次はどこまで行ってしまうのでしょうか。
勿論次もフィンチャー監督回がありますようにと願うばかりです。