にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

短編小説『ネヴァー、エヴァー、キャッチー、ミー』

 

 あのイタリアで起きた大使館テロを解決したのはまみこ先輩らしいよ。
 と大学の時の友人の鎌田から聞いたときは、最初げらげら笑って、どんな話だよーあのまみこ先輩がーうそだろーあはははは、えーしんじられねーとひとしきり驚いた。
 ってかそれ本当なのかよ。
 「嘘みたいだけど、本当らしいぞ」
 で、鎌田から別れたあともまみこ先輩がテロを解決したなんて想像がつかなかったから、帰りの電車の中でなんどもふふふ、ふふふと笑ってしまったのだった。

 

 まみこ先輩は「あの」を「あのう」と発音するようなやわらかい語尾とそのやわらかい語尾がそのまま顔になったような人だった。
 まみこ先輩とまじめな話をしているときだった。こっちの案の方がやりやすいと思います。と提案したら「確かに。・・・かに」と両手でピースサインを作ってかにを突然表現する人だった。
 卒業式の日に「まみこ先輩のこの4年で一番の思い出ってなんですか」って聞いたら「一人暮らしして初めての冬にこたつの中でハーゲンダッツ宇治抹茶味を食べたことかな」と言った。
 そういう人だった。


 だからテロだ、テロを解決しただ、全く想像がつかなかった。
 まみこ先輩が?あのまみこ先輩が?
 でも、強引に想像してみる。
 テロリストに占拠された大使館。そこに歩いて行くまみこ先輩。
 まみこ先輩は深々と頭を下げる。「こんにちはあ」
 それで渡すのだ。「これ京都土産の生八つ橋の宇治抹茶味です。ぜひぜひどうぞお」
 テロリストは生八つ橋を食べる。「アーオイシイネー。ウマイネー。ヒトジチ、カイホウスルネー」
 まみこ先輩は「やったーやったーやったー」と両手を挙げて
 テロリストも「ヤッターヤッターヤッター」と両手を挙げて。
 人質も「やったーやったー」って・・・馬鹿か。


 俺はあまりの馬鹿みたいな想像に嫌になりながらも、まみこ先輩がテロを解決するとなったら、これくらいだよなとしか思うことができない。
 一体どうやって解決したんだよ。


 「まみこ先輩って、今、宇宙開発の指揮を取ってるらしいよ」
 と大学の時の友人の川島から聞いて、またげらげら笑ってしまった。
 「はあ?前に聞いたのは大使館テロを解決したって話だったんだけど」
 「まみこ先輩が?テロ解決?そんなわけあるかよ」と川島もげらげら笑い始めた。
 で、川島が言うところには、次世代のロケット開発に携わっているようだった。
 それ本当なのかよ。まみこ先輩が指揮っていくら何でも、若手すぎるだろうし、そんなわけないだろ。
 「嘘みたいだけど本当らしいぞ」
 それ、テロの時も聞いたんだよな。

 


 まみこ先輩が宇宙開発の指揮を取ってる?
 全く想像がつかない。
 「あのお、火星に、行きたい。・・・わん」とこっそり「台湾」ってワードを織り交ぜてはふふふと一人笑っている。そんな様子を見るNASA職員。
 「ごーとぅーまーず。おー」
 片手を挙げて気合いを示すまみこ先輩。
 「OH!!」と賛同するNASA職員。
 そしてロケットは打ち上げの日。管制室で腕組みをして推移を見守るまみこ先輩。
 「3,2、1!!」
 ロケットは打ち上がり沸き立つ管制室。
 「やったーやったーやったー」と喜ぶまみこ先輩
 「ヤッターヤッターヤッター」と喜ぶNASA職員。
 「ヤッターヤッターヤッター」と喜ぶ宇宙飛行士たち・・・馬鹿か。

 

 

 俺の想像力が貧困だからか、それともまみこ先輩ってフィルターが強すぎるのか?
 とにかくテロも宇宙も全くもってまみこ先輩とつながりそうにない。
 「でも、本当らしいよ」
 じゃあ、どっちが嘘なんだよ。
 ってかどっちも嘘じゃねえの?

 


 「まみこ先輩ってスーパーヒーローになったらしいよ」
 と大学の時の友人の森山が言っててさすがに笑うよりも前に「嘘だろそれ」と言ってしまう。
 「嘘じゃねえんだって!!」
 テロを解決した話と宇宙開発した話を伝えると森山は「はあ、そっちの方が嘘だろ。だってまみこ先輩だぞ」って言う。俺には全部つながらねえけども。
 「いや、この間でけえビル火事あったじゃん。そのときに、謎の人物が救出ってニュースになってたじゃん。あれがまみこ先輩らしいんだって」
 あはははは。さすがに嘘だ。まみこ先輩は火どころか暑いのですら苦手だったのに。
 「いや、本当なんだって、山崎が現場にいたらしいんだけども、火が回ってきてもうだめだってなった時に壁をぶち壊して助けてくれたのがまみこ先輩だったらしい」

まみこ先輩が壁をぶち壊して人々を助けた?
全く想像ができない。
壁を素手で破壊するまみこ先輩。
「みんなー逃げるんだー」
爆発するビルを背に人々を助け出すまみこ先輩。
「やったーやったーやったー」
「やったーやったーやったー」
「やったーやったーやったー」
いい加減にしよう。

 


その後も、まみこ先輩が今何しているという情報は錯綜した。
「今は小説家になったらしい」「あのSNSを立ち上げたのはまみこ先輩らしい」「海外を一人旅しているらしい」「新型アシモの開発に携わってるとか」「海外で映画化が進行しているらしい」「自走式戦車になったらしい」「殺人で捕まったとか」「魔法使いになったんだって」「殺し合いのゲームを勝ち抜いたとか」

どれが本当なんだか。

 


ある日、道でまみこ先輩とばったり会った。
「おー久しぶりー」
まみこ先輩は全く変わってなかった。
まみこ先輩は元気ですか?
「元気だよー。すごくー」
そうですか。まみこ先輩は今何をしてるんですか?
「あ、うぉーきんぐー」
今って言ったんですけども、今じゃなくて。
仕事とか。
「あー。それはねー」
その時、携帯の着信音が鳴り響く。まみこ先輩が携帯を取り出す。
「あー、もしもしー。はいー。はいー。わかりましたー」
まみこ先輩は携帯を切ると「ごめんー仕事入ったからーまた会おうねー」
と走り出した。
まみこ先輩が角を曲がって、その姿が見えなくなった途端に白い煙が勢いよくその角の先から噴き出した。
そしてごごごごと体を震わせるような音が響き渡り、その音は空へと飛んでいく。
その音の先に空高く消えていく一点の光。
その光が俺にはまるでまみこ先輩に見えたが、これもまた俺のくだらない想像力のせいかもしれない。

 

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27歳男性、おててのしわを見てもらって一喜一憂

 昨日掲げていた目標のうち会社への書類提出を無事終えた私はそれだけで意気揚々としていた。なにせ数ヶ月ぶりに社会的なことができたのだ。この社会的な行動を行うまでにかなりの紆余曲折(書類を見失いふて寝をしてしまい1日潰す)があったが、社会的な行動を久し振りに行えたこと、それは褒めていこうではないか。ビバ私。ビバ社会的行動。

 

 

そんな社会的27歳男性が歩いていると偶然手相占いを見つけたので、普段なら素通りするがなんとなく今日に限っては気になったので見てもらうことにした。

 

「あららら!あなたの手相すごいですよ。あら1000人に一人ですよ」

とすごい手相を持っているらしく「強運ですよ。ほんと。凄い」

「これまでもいろんな事故を回避している」

「30歳からどんどん運気がよくなっていく」

とべた褒めでそれはもうふふふーんといい気になっていたのですが、「今年いい年じゃなかったですか?」と聞かれて、いや100%いい年ではなかっただろってと思い「いや、よくなくて、今、実は休職してまして…」と言ったらその後「もうね、いろんなところ受けた方がいい」「ピンときたところ、どこでも行った方がいい」「とにかく行動あるのみだから」とどうやら「休職」ではなく「求職」だと思われていたらしく、めちゃくちゃ転職指南をされてしまった。

ただ、クリエイティブなことが向いているとか後々あなたは独り立ちをするとか、普通のところにいるとしんどいかも…と言われて「およよ…」となってしまった。

転職なのか…。と言っても全く見えないし…。

その前に復職だし…。と迷いは尽きない。

 

あと29歳までに結婚した方がいいとのことです。もうすこしでもモテキが来るとのこと。まじか。夜明けのBEATをかける準備はできてるから、みんなで俺を担いで10年に一度のモテキ神輿やるぞ!今度は俺が誰かのモテキになるんだ!

 

 

 

「直感を信じて色々行動的になるのですよー」と言われたので、とりあえずやりたいことをやっていこう。

俺は自分に都合のいいオカルトは信じていく方なんだ。「おててのしわを見ただけで何がわかるというんですか?」な上岡龍太郎さんのようにオカルト嫌いにはなれないよ…。わしのような弱弱はおててのしわに頼るしかねえんじゃ。おててのしわが「よっしゃ!動いていけ!人生回していこうな!」っていうんならそれに頼らざるを得ない弱弱なんじゃ…。

 

 

とりあえず、やりたいことということで気になっていた文学フリマに一度行ってみようと思います。人生のレンジを広げていくぞ!うぉら!まだ見ぬ未来に進むぞ!

 

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ふて寝する27歳男性は未来に目を向けている。

「褒められたかったんじゃないですか?」とカウンセラーに言われてハッとしてしまった。それから今感じてる悩みが全部そこに起因しているのだと気がついてそのあっさりさと馬鹿馬鹿しさに嫌になってしまった。

 

 

 先日、1回目のカウンセリングがあった。少しでもこれからの人生をよくしていきたい27歳男性としてはなにかを掴むために、そして自分というのを捉え直すためにカウンセリングに行ったのであった。

 

 しかし、カウンセリングが始まると私はどんどん思いもよらぬことを言ってしまって、もうぐちゃぐちゃの内面がどんどん出てしまった。

 そうしているうちに冒頭の発言になるのだ。

 涙が溢れそうになったがぐっとこらえて「そうですね」としか言えなかった。

 

 

 褒められてこなかったわけではないのに、なんでこんな気持ちが強いのだろうか。

 何をそんなに渇望しているんだろうか。って思ったけども渇望してるってことは乾ききっているんだろうよ。そこは否定しなくてもいいところだよ私よ。

 

 

 たまに作ったもの等を褒められたりするんだけども、それはなぜか自分のことのように思えなくて。なんか分離しているような気がする。

 色々な成功体験があったはずなのに、それも自分のことのように思えなくて、やっぱり分離している。

 

 この分離感は一体なんなのだろうかと思う。

 

 

 自己肯定感を司る部分が機能不全に陥っていて、その代わりの自己否定をする機能はガンガン動作しまくってるような。

 なんつうか、なんつうかだよなー。

 

 

 なんとなく虚無感がほにゃらかと漂っていて、それが無くなったらいいなと思うけども、当分はそんなこともないのかな。

 とりあえず人生を回せ回せ回せー!と自分に言い聞かせてみる。回せるかわかんないけども、言い聞かせるのはいいことだろう。多分。

 

 

 会社に出す書類を6畳の部屋で無くしてしまって泣きそうになった。

 いつもそうだ。大事なものを無くしてしまう。そういう病気でございと言われたらそうなんだけども、それでもどうすればいいかわけがわからなくなってふて寝をしてしまった。

 今回のふて寝をする27歳男性、はっきりいって惨敗。

 と選挙の後の麻原彰晃のコメントを引用したところで結局書類は見つかってないし、ただただ無力感が溜まる一方でございます。

 

 

 タマフルを聴いていたら日常の中に気持ち良さを作っていくことが大事って話が上がっていたのでこれは実践していきたいってことで明日したいこと。

 ・会社に提出する書類の作成と発送

 ・メンタルクリニックに提出する書類の作成と発送

 ・HHhHの続きを読む。

 

 というようなto doリストだ。

こういう風に可視化をすれば出来る出来てないがわかってよいのではなかろうか。えっへん。と人類が遙か前に気がついていることに今更気がついた私はそのことには目も向けず、遙か先の未来を見通す。

全ては日常のために。

日常こそが全て。生活こそが全て。

 

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離脱症状あばばばば

火曜日にメンタルクリニックに行く予定だったのが体まったく動かなくて、あーこれは無理だ無理だ無理ってなって「すいません予約を変更でお願いします」って頼んだら、木曜に変更になって「あ、はい、ありがとうございます」ってまた寝転んでから気がついたけども、抗うつ剤がその日で切れてしまっていたのだ。

木曜日の夕方までは抗うつ剤から無い状態で過ごしていたわけだけども、水曜の昼あたりからひどいことになっていた。
そもそも、ベース体がだるい上に、薬が切れた症状が体に襲いかかってきたのだ。
これを離脱症状っていうらしいんだけども、僕は離脱症状であばばばばばってなっていた。
具体的には手足のしびれたり、耳なりがきぃーんとしたり、体に力が入らなかったり、要するにやばい。
一番近い体の状態は高熱出た時のやつ。だから高熱出たと思って体温計ではかってみたけども平熱よりもちょっと低いくらいでなんだこれおいとなってしまった。

そして木曜日、メンタルクリニックに向かうために電車に1時間揺られていたのですが、地獄かと思った。辛すぎて目つきがやばくなっていたと思う。辛すぎて目つきがやばい小太り27歳男性、はっきりいって地獄。ヘルボーイ


というわけで薬を無事に処方して貰った僕はそのままぐいっと飲んで、5時間くらいしたらやっと収まってきて、なんとかなりました。
離脱症状めちゃくちゃ怖いので、薬は切らしちゃいけないなって。本当、うん、まじで。

 

 

 

そんな離脱症状に苦しんでる最中、相変わらず正常な反応ができないので図書館に行きました。
そこで2時間近くユリイカ大根仁特集号を読み込みました。
00年代の好きなドラマ三本がすいかと木更津キャッツアイそして大根仁監督のアキハバラ@DEEPなのです。
そのほかにもフジテレビの伝説的な深夜番組の「演技者。」やテレ東深夜の「湯けむりスナイパー」そしてテレ東ですら放送できなかった伝説のバラエティ番組「美しい男性!」と00年代はとにかく大根仁ワークスを追っかけていた気がします。
(といいつつも、多大な評価を受けている30ミニッツシリーズは見てなかったりなので、熱心とは言えませんが・・・)

 

https://youtu.be/dssYaG31Dls

↑2009年の美しい男性より。

最高の映像がここにある。

 

 


そして2010年のモテキに「わぁーっ!」となって、2011年の映画モテキで心にぐさぐさきまくってほっぺたの内側を噛みすぎて血を出してしまったことも記憶に新しい。
愛の渦は先日閉館した京都の立成シネマの座椅子な座席でぐへーおもしれーとなりながら見たり、2015年は仕事始めたてで辛かった時期にバクマン。を見て心励まされたり。
あと二回ほど大根仁さんのイベント「テレビマンズ」にも行きました。
大学を卒業間近の時に大阪でやったテレビマンズでは相方の岡宗さんが急病で欠席したため、急遽大根仁ワークスを振り返る回になって、そこで爆音の中見た演技者。の「激情」最終回に圧倒されたりしたのでした。

 

なによりもここ何年もずっとずっと停滞しているような気になっているんだけども、その度に見返したのがドラマ『モテキ』の最終回の自転車のシーンだったのでした。

 

フジくんがイースタンユースの男子畢生危機一髪を聴きながら自転車を走らせて「今度は俺が誰かのモテキになるんだ!」と叫ぶ姿は自意識でぐるぐるしていた自分にも深く突き刺さって、俺もぐるぐるしてる場合じゃねえ!と何度も俺も自転車を漕いだわけです。

 

https://youtu.be/BIwycxcuXjQ

 

まだ停滞しているし、自意識もぐるぐるしっぱなしだけどもモテキのあれがなかったらもっとひどかった気がする。

「今度は俺が誰かのモテキになるんだー!」と叫ぶフジくんが俺の中で自転車をこぎながら叫んでくれるお陰でなんとかやれている気がします。

 

 

ユリイカを読んでいたらそんなことを沢山思い出してしまいました。
大根仁監督のブログも読みあさっていたなー。
世の中に溢れる面白いことを沢山知ったのは大根仁さん経由でした。
というわけで、なんつうか初心に戻ったような気分で、今は体力が落ちてるけども、あの頃みたいに夢中であれこれ摂取したい衝動が高まったのでした。
やってやるぞー。

 

と誓った次の日は金曜。
一日、体がだるくて寝てつぶしてしまう。
治ってほしいな。本当。まじで。

 

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「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を見た!

 

「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を見た!

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オークションで偶然競り落とした写真のネガを現像してみたら、どれもこれも傑作ばかりでおいおいこれを撮ったのは誰だよって調べたらヴィヴィアン・マイヤーというもう亡くなった元乳母の女性だった・・・!なぜこの女性は生前15万枚もの作品の撮りながらも一枚も世間に発表しなかったのか!そもそもこのヴィヴィアン・マイヤーという女性は一体どんな女性だったのか・・・!

 

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ヒップホップ用語でフックアップというものがありますが、いわゆる「お前のライブまじ最高、本当最高だからさ、今度俺の前座やってよ」みたいな先輩が後輩の引き抜いたり立てたりして後輩は感謝~としちゃうやつですが、この監督は偶然見つけた写真があまりに最高すぎたので「これを俺1人のものにしておくわけにはいかねえ!美術界!フックアップしろ!!」と頼むのですが美術界は「え~このヴィヴィアン・マイヤーってやつしらねえから無視っすわ」と拒否ったので「じゃあもう知らねえぞ!!」と監督は自身のブログに「偶然見つけた写真が大傑作だった件wwwwww」なんてタイトルでヴィヴィアン・マイヤーの写真を紹介したら世間は「やっべやっべ、なあ、展示会してくれや、一生一緒にいてくれや」って感じにニーズが高まって、展示会開いたら「過去最高に人が来ちゃいました~」と盛り上がるマイヤー熱。
というわけでブログのタイトルあたりに完全嘘を盛り込みつつも、この監督さんはヴィヴィアン・マイヤーのフックアップを見事にしちゃうわけです。


しかし、ここで強烈な不在となるのが、当の本人ヴィヴィアン・マイヤー。
ヴィヴィアン・マイヤーはいずこへ・・・?
と引っ張るまでもないことなので書きますが、ヴィヴィアン・マイヤーは既に亡くなっていたわけです。
というわけでここから監督は調べます。生前のヴィヴィアン・マイヤーってどんな人だったの?


どちゃくそ写真の才能があったヴィヴィアン・マイヤーは乳母であった!
というわけでかつてのお世話になっていた家族の元に行く。
口々に語るのは変な人であったというのだ。
自分の部屋は新聞紙でいっぱいにするわ、歩き方も変だわ、1人だけ30年前の格好をしているわ、髪型は変だわ。
そしてヴィヴィアン・マイヤーという女性はフランス人であると言いながら、実は生粋のニューヨーク生まれニューヨーク育ちであったことも判明する。
なんなのだこの人は!一体どうなってるんだ!

 

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そして映画が進むにつれて、彼女の生い立ちがさらに明らかになる。
なぜフランス人と名乗っていたか、そしてなぜ写真を発表しなかったのかも。
ここで、映画は感動的な盛り上がり方をする。
ヴィヴィアン・マイヤーは祖母がフランス人の女性であって、フランスにも二度訪れていたことがわかる。
そしてその現地の現像屋に写真の印刷を頼んでいたこともわかる。
そこで彼女は言っていた(ヴィヴィアン・マイヤーはかなりの収集癖があった女性であったため、メモ、レシート、新聞の切り抜きとため込んでいたがその中には自分の声の録音も残っていた)
「いい作品もあるので現像してほしい。つや消しでお願いしたいと」
ヴィヴィアンは闇雲に撮っていたわけではなく、彼女自身は自分の作品の価値をわかっていた。そして世間に作品として仕上げた上で発表しようと考えていたことがわかるのだ!
つまり監督がやっていることはヴィヴィアン・マイヤーの写真を現像し発表しているこの現状こそ生前ヴィヴィアン・マイヤーが望んでいたことだったのだ!!


アンビリバボーならば、ここで感動のBGMじゃーん!涙目の剛力彩芽どぉーん!設楽さんが「いやーこんなことってあるんだね~」で日村さん「そうだねー」でコンビ愛どーん!で盛り上がるわけですけども、ここから映画は思わぬ方向に向かう。

 

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それはヴィヴィアン・マイヤーの心の闇に迫っていくのだ。
かつて世話を受けた子供たちがヴィヴィアン・マイヤーから受けたひどいことが語られていく。
その中でヴィヴィアン・マイヤーが男性恐怖症を煩っていたこと、それから推測するにヴィヴィアン・マイヤーはかつて男性になにかひどいことをされたのではないかとも。

そして監督は晩年ヴィヴィアン・マイヤーが過ごしていた地域に行く。
晩年のヴィヴィアン・マイヤーはゴミを漁って生きていたと、道行く人に暴言を放っていたとも。

そしてかつて乳母に行っていた家族と偶然遭遇したときのことだった。
その家族は用事があったのでヴィヴィアンとすぐに離れようとした。そのときにヴィヴィアンは言うのだ。
「行かないで」と。

 

ヴィヴィアン・マイヤーとはどんな女性だったのだろうか。
彼女はあまりに強すぎる感受性を持った女性であったことがわかる。
そして病的な強迫性に支配されていたことも。
どこか壊れていたことも。
とても難しい女性だったことも。


僕はヴィヴィアン・マイヤーを人ごとのように思えない。
彼女のことを「変な人」と切り捨てることはできない。
それは自分のことを高く見積もっているのではなく、誰しもがヴィヴィアン・マイヤーのような人間であると思うからだ。
誰しもが「何か」輝ける才能を持っているとする。
その才能は人の心を打つことができる。
でも、それは日々の生活の中で、摩耗していきアピールをすることはできない。
もしその才能に自覚しながらも、世の中に出すことができないというのはどういった精神状態になるのだろうか。
ゆっくり肉をそぎ落とすという拷問があるけども、そんな気分だったんじゃないだろうか。
その一方で人は強すぎる感受性を摩耗していき削り落とすことでこの世界になんとか順応できるかもしれない。
生活や仕事に対応できるのかもしれない。
でも、それを削ることができず、といって世界と手を取り合ってはしゃぐこともできなかったら?
ヴィヴィアン・マイヤーは知性的な人間であると言われていた。
多分わかりすぎたのだろう。世界が見えすぎたのだろう。
自分の感受性じゃこの世は地獄だったのかもしれない。


晩年の孤独になった姿が叫び出したくなるほど胸をかきむしられるのは、誰しもがたどる終わりかもしれないからだ。
the pillowsのストレンジカメレオンの「僕と君の過ごしたページは破り去られ」て、誰も自分のことなんてわかってくれない。
「行かないで」と言ったのは言葉通りでもあり、私たちがそれぞれ思う「この世から1人にしないで」と強く願う強い気持ちなのだ。


映画は彼女撮った写真が今や全世界を回り続け、もう名も無い女性ではなくヴィヴィアン・マイヤーが写真家として確立した状況を映す。
ヴィヴィアンが訪れたフランスの小さな村でも展示会が開かれることになり、そこに訪れた人々はかつての自分の姿を見つけて喜ぶ。
写真集も発売されて、人々はヴィヴィアン・マイヤーの写真を見ることがいつでもできるようになった。
先日見たロロの「父母姉僕弟君」でいうところ、ヴィヴィアン・マイヤーがこの世に残したものは漂い続けて誰かの心をたたいたのだ。
だからヴィヴィアン・マイヤーがやったことなんて絶対に無駄なんていいたくない。
ヴィヴィアン・マイヤーの強すぎる感受性やその人生は撮った写真に刻まれて今なお誰かの心をノックし続けている。
それは強く感動的だ。

でも、やっぱり生きている時にヴィヴィアン・マイヤーは評価されたらと思う。
彼女のとげの中を進むしかなかったような人生を知った後では、彼女の人生がもっと幸せだったらとあったかもしれないもしもを考えてしまう。
でも、それはかなうことない。
そして多くの人々がとげに満ちた人生の果てに誰にも見つからず死んでしまうことを思うと、見つかったヴィヴィアン・マイヤーはとても幸せだったと思う。
でもやっぱり、生きているときにしか人間は幸せになれないんじゃないだろうか。

 

 

だから、僕にできることは何か素晴らしいものを見つけたときはそれを自分のできる限りのフックアップをすることなのかもしれない。
自分には「俺のステージに立てよ」なんて言えない、そもそもステージなんて持ってない。
でも、自分の声は誰かに届くかもしれないのでちょっとだけ大きな声で叫んでみる。
そういう風にして、少しでもつたなくともフックアップできればと思う。
生前少しの賞賛も得ることができなかったヴィヴィアン・マイヤーのことを考えたら、少しでも生きているうちに賞賛をあげていきたい。
死後評価して喜べるのは当の本人ではないのだ。

 

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