にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

最近の私と地味ハロウィンに行ってきたという記事。

傷病手当金という僕のライフラインの書類を病院からもらい、そして郵便局に行って郵送した帰り、ヴェローチェにてこの文章を書いている。先週、退職届を出してから一週間、まだ色々と問題は山積みである。

たとえば、今住んでいる場所は借り上げ社宅なのだけども、そこを引き続き住むには礼金をまた払ったり、3ヶ月分の家賃を払わないといけないとかで、その金策にいそしまなければならない。またはやはりなんだけども、金銭的に豊かな状況じゃないので、どうやって日々を過ごしていくかを考えねばならない。とりあえず傷病手当金が出る半年の間、どうやって生きていこうかと考える日々でございます。

正直言うと、お金が全然無い。なのに、実家に帰る選択をせず、関東に残る選択をしたのはとにかく同じ病院で治療を続けたかったというのがある。今の病院で治療をある程度までしてからでも戻るのはいいのではないかと思った。

まあ、その選択のせいで、また色々と困難にぶつかってしまっているわけだけども、とりあえず当面のことはさておいて、色々と困難が過ぎ去ってくれたらいいと思う。

お金もないけども、あんまり無駄遣いやらせずに、生きていけばなんとか生きていけると思う。

まあぎりぎりなので、色々と売ったり、しなきゃいけないんだろうなとは思うけども。

 


地味ハロウィンに今年は参加した。去年はちょうど病気になって、実家に帰ったりしていたのもあって参加できなかったんだけども、今年はちょうどまだ関東にいたのもあって、参加することができた。

一昨年前は「熱あるのにバイトに出てる奴」で出たのですが、今年は以下の仮装で参加した。

 

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「万全の準備で夜行バスに乗り込んだのに全く眠れない人」。

ポイントはお茶とポイフルとおにぎりが入ったコンビニの袋です。

現場ではやや受けでしたが会場をふらふらしていると、いろんな人にわかるーと言ってもらえたりして嬉しかった。

そのほかにもいろんな仮装をしている人に出会えました。

 

 

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コメダ珈琲のロゴ。


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ジョン・ウー映画で鳩を飛ばすスタッフの人

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映画雑誌の切抜きをめっちゃしてる人と、ジョン・ウー映画スタッフの人の奇跡のコラボ

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ユニクロのマネキン

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サンデージャポンの人

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お風呂から上がったらスリッパが無くなっていた人

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精進料理を作る人

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飼い猫を探している人

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ベンザブロック喉からの人

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街頭配布を断れない人

 

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富士登山舐めてる人

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バチェラーの人

 

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二日酔いの人

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水道会社のマグネットの人

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泥酔するギャル

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オールスター感謝祭で苦いお茶を飲む女優とADさん

 

その他にもたくさんの仮装に出会うことができました。毎回思うことだけども、普段この人たちはどこにいるのだろう。みんな驚くほど発想力が豊かで素晴らしいなと思う。こんな人たちが普段は普通の人として擬態して生きているのだと思うと、なんだかぞくぞくするものを感じる。そしてその人たちが一気に集まる場所がこの地味ハロウィンだと思うと、この場所はなくなって欲しくないなとおもった。

今回、人が集まりすぎて入場規制がかかったり、場内も物凄い人で身動きができなかったり、メディアの取材もいくつか入っていたりと色々過渡期な雰囲気が充満していたけども、この名もなき人々が発想力だけで勝負に出る場はずっとあったらいいなと思う。だってそっちの方がいいじゃないですか。外にでればめちゃくちゃやってるハロウィンばかりなんだし・・・。と思ったりする。

うぇいうぇーいできない人たちが楽しめる場がこんな風にあるっていいよねと改めて思ったりしました。来年以降自分含めてどうなるかわかんないけども、またあるのならば参加したいなとおもいました。

 

相変わらずお金はないし、日々も好転していないけども、地味ハロウィンのように、発想力で日々を打開していきたいなと思ったりする、メンタルクリニック帰り。

これからも楽しいことやエモいことをたくさん考えていきたい。まだまだたくさんやれることはある気がするのです。

 

追記

高校3年間の文化祭というエモーショナルな仮装で参加されていた少年Bさんによる現場レポートも面白いのでぜひ。

http://raira21.hatenablog.com/entry/2018/10/30/072959

今日、会社に退職届を出してきた。

空っぽな感じだ。とりあえず今は空っぽな感じ。この感覚、就活を終えたときと同じだ。就活を終えたときも空っぽな感じになったのだった。今日、僕は会社に退職届を出してきた。

退職の理由は休職期間満了につき。間に合わなかった。といえば間に合わなかった。今は病院から3時間くらいしか動いちゃだめだと言われていて、そんなんじゃ働けないってことで退職の運びになったのだった。

諸々の手続きの話を聞いた。辞めるとなるだけでも、沢山の手続きがいる。それを必死に頭を動かして聞いていたけども、どこまで聞けたかなんて相変わらず自分の脳を疑っているので、信用はならない。でも、辞めるってのは大変なことだと思った。

思えば、就活の終わり際で拾ってもらった会社だった。2年かけた就活の最後にたまたま拾ってもらった会社だった。それからなんとか頑張っていたんだけども、3年目の夏に適応障害になってしまって、そのまま休職することになった。

適応障害になった理由は色々あった。でも、何も成せていない自分が職場にいるのが耐えられなかったのだろう。日に日に職場にいるのが辛くなって、そして最後は倒れてしまった。そこまで気負わなくてもよかったのかもしれないけども、最初の会社というのもあって、気負いすぎてしまったのだった。

空回りに次ぐ空回りで、だめだったなあと思う。ずっと空回りしていた。からからと空回りしていた。

退職となったけども、次なんてまたわからない。とりあえずは活動時間を伸ばしていくだけだと思う。活動時間をちょっとずつ伸ばしていって、また求職活動ができるようになったらいい。

お金をもらえるのはあと半年くらいだから、それまでになんとかしなきゃなあと思う。そう思うと、またプレッシャーになってしまうからあんまり考えてはだめだと思う。なるようにしかならない。全てはなるようにしかならない。だめだったら、だめなときだ。できることを全てやろう。

自分はこの職場では何にも成せなかったけども、次は何かできればなあと思う。こんな自分でも何かできる場所があるのだろうか。たまに不安になる。というかずっと不安だ。夜も眠れなかったりする。不安で夜が包まれる日もある。終わったのではなくて、始まったばかりだということを痛感する。

でもまあやるだけなのだ。過ぎ去ったことは全てわすれて、できることを探していくのだ。

2015年働くことが決まったときはとっても嬉しかった。でも、大変な目にあったりした。2016年東京に転勤になって、友達もそれからどんどんできて、頑張ったりして、そうしているうちに2017年は大変な仕事に捕まってしまって、それが終わりかけの頃に倒れてしまった。

もしもっと要領がよかったらこうはならなかったのかなあと後悔もする。

もしもっと出来る人だったらこうはならなかったのかなあと後悔もする。

でも、そんなこと考えてもしかたない。

終わってしまったのだ。全ては終わってしまったことだ。

これからのことを考えよう。

まだやらなきゃいけないことは沢山ある。

提出しなきゃいけない書類、市役所にも行かないといけないし、お金の手続きも沢山。

まだまだやらなきゃいけないことは沢山ある。それが終わるまではやめたことにはならない。

 


たまに思う。この人生の意味はなんなのだろうと思う。たまたま生まれてきて、それなりに愛されて育ってきて、沢山失敗して、たどり着いた先が今日だ。

まだ終わっちゃいないはずだと信じたい。

まだ始まってもいないと言いたい。

そんなキッズ・リターンな気持ちで今はいる。

いつか、今日のことをあんなこともあったなんて振り返ることができたらなと思う。

こんなこともあったなんて振り返れたらと思う。

そのためにも日々を着実に進めていこう。

ちゃんと日々を生きよう。

生きれていない日も沢山あるんだ。今は寝続けてしまう日もあって、眠れない日もあって、薬漬けな状態なんだ。でも、それも、忘れることがいつかできたらいいなと思う。

これからも辛いことは沢山あるだろうし、楽しいこともまた沢山あるだろうと思う。

どこで、それを体験するかなんてわからないし、いつそれを迎えるかもわからない。

全てはわからないことだらけだ。

 


上司と最後、握手をしたりした。またどこかでと言われた。どこかで会えたときに、元気にやっていると言えたらいいなと思った。

元気にやっているって言えるのは難しい。元気でいれるのは本当はとても大変なことなのだ。だからこそ今は元気にやっていますといえるようになろう。

今は、まだだけども。いつか言えるようになろう。

 


2018年10月25日。会社に退職届を出しました。今は空っぽだ。でも、空っぽだと思っていた自分の中から、沢山の物語が生まれたように、また沢山の書きたいこともやりたいことも見つかるだろう。

今はわからないけども、日々を生きていけば沢山のことが見つかるだろう。

日々を生きよう。とにかく日々を生きていこう。

元気でやっていますと言えるように日々を。

『あみこ』を観た!

そういえば、最近ですが、『あみこ』という映画を見てきた。

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山中瑶子という1997年生まれの若干21歳の女性が、19歳から20歳にかけて作った映画だという。内容はあみこという女子高生に好きな人ができるけども・・・って話だ。なんだ普通の話じゃねえかと思った人、違うんだ、あらすじはあえて魅力的に書いていないだけなんだ。なんでそんなことをしているかというと、それくらいの先入観で見て欲しいからなんだ。もう前情報はこれくらいにして映画なんて見たらいいと思うんだ。僕はそれくらいの前情報で見て、ぶっ飛ばされてしまった。「あみこ、凄く、いい映画」見終わってからはその三語しかしゃべれなくなってしまった。

 


というわけでここからはネタバレあり。まあ「カメラを止めるな!」みたいにネタバレを踏んでしまうと魅力が下がる映画ではない。しかし、なんつうか、情報が溢れちゅう時代なので、めっちゃ若い監督がとったなんか評判になってる映画くらいの情報で見た方がいいような気もする。

 

 

 

で、僕はこの映画に打ちのめされたわけなのですが、それは僕がレディオヘッドが好きで、相対性理論が好きで、ナンバーガールが好きで、『(500)日のサマー』が好きだからというのがある。レディオヘッドはあみこが劇中聞いている音楽だ。ロータスフラワーという曲を聞いているシーンが出てくる。そこでロータスフラワーって!と俺は興奮してしまった。レディオヘッドの歴代のアルバムの中でも最も難解で人気がないキング・オブ・リムスに収録されている曲じゃないか。アルバムのリードトラックとはいえ、そこまで人気がある曲じゃない。要するに、それを聞いている時点で、あみこの地方サブカル少女っぷりがもう痛いくらいに伝わってくる。そしてそれに気がつくのがアオミくんという男の子だ。音楽を通して、意思の疎通がとれたというか、もっと言えば、運命共同体くらいに思っちゃうのって、これってあれじゃん、「(500)日のサマー」じゃん!あの映画ではスミスだったけども、長野県であみこはレディオヘッド運命共同体と思っちゃう。まあ、音楽以外にもアオミくんのニヒリストな部分とあみこの諦念感が合致してしまったというのもあるけども、とりあえず運命共同体だと思ってしまう。ただし、あみこだけ。

結局、アオミくんは大衆文化とあみこが評する先輩に取られてしまう。それどころか、その先輩のヒモに成り下がる。そしてアオミくんが言うのは「俺が好きなのはサンボマスターだし」と。

がーんだ。でも、あみこ、趣味で人を簡単に好きになってはいけない。なんてことを言えるわけもない。10代の頃は趣味が合うなんてことは奇跡に近いことなのだ。運命共同体に思っちゃうのだ。地方でくすぶっているサブカル少女は余計にそんなことを思っちゃうのだ。

長野県から、東京へあみこは行く。そのときの服装はセーラー服に、コートとマフラー。この服装を見て「セーラー服は戦闘服やん」と思ってしまった。バイ相対性理論である。相対性理論いうても、アインシュタインの方じゃ無くて、やくしまるえつこの方で、もっと言えば真部脩一在籍時の相対性理論の「地獄先生」だ。セーラー服は戦闘服なのだ。いつだって女子の戦闘服なのだ。好きな人に会いに行くのだから、戦闘服で行くわなと思ってしまった。

勝手に好きになって、勝手に思いをたぎらせて、それで悶え苦しみ、走り抜け、気がついたら東京へって、そんな行動をするあみこのことを見ていたら、気がついたときには俺の魂はナンバーガールのライブアルバムを再生していて、向井さんが「そんなあの子のことは透明少女」って言って、ぎゃぎゃぎゃぎゃがぎゃぎゃぎゃと田淵ひさ子のギターが聞こえた気がした。透明少女だ。あみこは透明少女だ。レディオヘッドが好きで、セーラー服で武装した透明少女だ。そんなあみこに俺こと28歳男性はやられていた。完全にやられていた。打ち抜かれていたのだ。あみこの言動の全てにやられてしまったのだ。

衝動的かと思ったら理性的、と思ったら衝動的。そんなあみこの言動は、このままこの映画の作りにも言える。衝動的に撮られているようで、理性でコントロールされたカットの数々。かと思えば、衝動的に撮られたとしか思えないカットもしくは編集のテンポ。この2つが共存している映画なのだ。めちゃくちゃメロディと歌詞がいいけども、ところどころ荒削りとしか言い様のないパンクバンドの1stアルバムのような映画だった。でも、映画なんて衝動的で作れるもんじゃない。山中監督は衝動性を理性でちゃんとコントロールしている監督であると思った。どこがってわけじゃないけども、なんつうか、独りよがりになっていない、開けた視点があるように思った。それは「面白い映画を作ってやる」という気概なのか。初めての映画作りという必死さが産み出したものなのか。3日しか無かったという編集段階での勢いなのか。SNSで見つけたという役者達のフレッシュな演技がもたらすものなのか。切れ味の鋭い台詞が貫くものなのか。とにかく俺には何がどうなって産み出されたかなんてわからない。でも、その全てが詰まっているのがこのあみこという映画なのだろう。俺はとにかくこの映画の持つエネルギーに打ちのめされた。

俺自身の話になってしまうけども、小説を書いている身としてはもっとやらなきゃという思いになった。何がってわけじゃないけども、これくらいのエネルギーをぶち込まなきゃと思った。ぶち込むのだ。エネルギーを。あみこの躍動を納めたこの映画のように、俺もぶち込まなきゃいけないと思った。

そんな風に、思わせる映画だった。

感想としては以上で、酷い感想だ。でも、とにかく衝動的に記したい気分になったので、ここに書いた。出来不出来なんてわからない。俺は山中監督のように、理性ではコントロールできてないのかもしれない。けども、とりあえずあみこを見た衝動だけは記しておきたいと思った。

不出来な感想で申し訳ない。ただ、あみこは素晴らしい映画だ。ぜひ見て欲しい。

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ただなんかいいなって空気も書き記すのだ!

さすがに徹夜明けでは小説なんて書けないってことに気がついた。そんな私は現在徹夜明けの今、ドトールにいる。一昼夜、友人達とたこ焼きパーティーをして、ミニスーパーファミコンパネルでポンカービィメトロイドをやって、プリキュアをわいわい言いながらみて、冗談を言い合って、煙草をばかすか吸って、サイゼリヤでご飯食べて、今である。帰った方がいいのは火を見るより明らかなのだけども、気がついたらドトールにいた。そして今、疲労感に包まれている。強烈な疲労感だ。でも、何が最善なのかが、判断できていないので1時間かけて一駅分くらい歩いたろかとも思っている。もはやどうかしている気がする。しかし、そういう衝動性に襲われているのだ。そういうところをなんとかしていきましょうねとカウンセラーに言われたばかりなのだが、楽しいことがあるともう頭がそれで一杯になってしまう。楽しいことなんて日々あるわけじゃないから、楽しいことがあるとそれを食らいつくしてやろうと思ってしまうのだ。楽しいことって本当楽しいですよね。こんな時間を幸せって呼ぶのだろうなと思ってしまった。幸せだったのだ。もうこういう時間のために生きているのだなと思った。なので、まあ家に帰っちゃうと余韻が消えちゃうような気がして、帰りたくない・・・となっちゃうのだ。そういう人なのだ。仕方ないのだ。アライさんはそういう人間なのだ。けものフレンズのアライさんってこんなこと言わないよね。ビッグダディみたいなことは言わないのだ!

 


というわけで今はドトールの二階、喫煙席で煙草を引き続き吸いながら、この文章を打っています。最初は小説でも書いたろかって思ったけども、徹夜明けの頭は何にも回らない。代わりにBUCK-TICKのJUST ONE MORE KISSを爆音で聞いている状態です。ジャスワモアキス。小説が書けないけども、徹夜明けの頭にBUCK-TICKは最高ですね。BUCKーTICKはいつ聞いてもかっこええですね。そこまでBUCKーTICKファンじゃないけども、BUCKーTICKはいつ聞いてもかっこええなと思ってしまう。なんでだろう。そんなことばかり考えてしまう。なんでやろ。イナザワくん。イナザワくん。今日もまた、ビールを飲もうではないか。とスムースにナンバーガールへ移行する僕のiPhone

 


先日『あみこ』って映画を見て、それはもう、僕の心を串刺しにするような素晴らしい映画で、感想も別途あげようと思ってるくらい良かったのだけども、それよりも、それよりもだよ。ここで書きたいのは、映画鑑賞後にトイレに行って、出ようとしたら入り口が開いて、見るとひげ面の男性が開けてくれていたので、会釈して出て行ったんだけども、後々Twitter見てたら、そのひげ面の男性が「あみこ」のポスターを持って最高でした!とか言ってたんですよ。その男性の名前、曽我部恵一って言うんですけども。

あばばばっばばばばばばばば!!

僕は自分の神様のような曽我部恵一さんに知らぬ間に会釈していたのだった。なんてことだ。曽我部恵一さんに救われてきたこの人生。高校時代の辛いときを救ってくれたテレフォンラブ。友人と別れた後に寂しくなって聞いた青春狂想曲。就職してからのヘビーローテーションになっていたセツナ。脚本を書いてしまうほど大好きなSTARS。そんなことが走馬燈のようにしゅばばばばばと駆け巡る。ああ、なんてことだ。神様、なんてことが起きるのだ。そしてそんなことに限って、事前準備なんて一切ないのね神様。というわけで曽我部恵一さんに知らぬ間に会釈していたという話です。あばばばばっばばばばばばば!

 


しかし、このことに気がついた瞬間、はちゃめちゃに嬉しくて、結局夜は眠れず。一睡もできなかった。神様のような人に会釈していたのだ。会釈だよ。すげー。

 


というわけでそんなことがあったり、友人達と楽しい瞬間があったりと、最近は絶望ばかりだった人生にもまだいいことってやつがあるみたいです。絶望せずにまだまだやっていこうな。こんな楽しい気持ち、また忘れちゃうかもしれないから、こうやって書き記しておく。忘れないように、強く思い出せるように。そんなことをすると伊藤計劃のハーモニーを思い出す。感情を引き出す装置としてのブログ。俺は日に日に感情がアップデートされて、すぐにへこんでしまうから、それ以上に幸せだった日のことをこんな風に書き記しておこうと思ったのだった。よかった。人生、まだまだ上々やで。まだまだ楽しいことあるで。それを忘れんように生きていくんやで。っしゃぁっ!!うぉら!!あっしたっ!!!

感電するような書く喜びを

書けてしまった感覚があった。前に「アイム(ノット)ミー」という小説を書いたときに初めて小説を書けたという感覚があった。それは錯覚だったのかもしれないし、こんな物ぐらいで小説を書いたなんて思うんじゃ無いと言われるかもだけども、自分の中では書けたという感覚があった。それ以降だ。それ以降、小説が書けない。

 それから一本「どてらねこのまち子さん」の話は書いたけども、所謂普通の短編小説が書けなくなってしまった。どうしたらいいかわかんなくて毎日のようにドトールに行ってはポメラを開いて、書こうとするけども、画面は真っ白のままだ。

 画面は真っ白!頭も真っ白!わー!とはしゃいでみたけども状況は何一つ変わらない。変わっていくのは自分の周囲の状況ばかりだ。

 先日、会社と面談があって、正式に辞めることが決定した。休職期間が満了となってしまったのだ。というわけでそのまま流れるように辞めることが決定してしまった。辞めることになってしまい、現状は住む家がどこになるのか、これからの収入源は、というか次の仕事は、と問題が山積みになっている。そのことに気が取られているのかもしれない。物語の中で誰かを救おうとしても、まずは自分が救われたいのだ。

 まずは自分が救われたい。という感覚が最近ますます強くなっている。夜中、目が覚めると強い無能感が襲いかかってくる。それに対抗する手段は1つだけだ。有吉弘行のサンデーナイトドリーマーを聞くしかない。最近はサンドリを聞かないと眠れない身体になってしまった。基本人の悪口だけども、それを聞かないと眠れない身体になってしまっている。

 村上春樹が本を書きたいなら本を浴びるように読めと言っていたけども、本も全く読めない。集中力が全く続かない。最近は集中力が全く続かなくて、まともに本を読むことすらできない。文章が頭に入ってこないのだ。どうかしてしまっている。そんな人間に物語が書けるのだろうか。否って感じがする。

 というわけで絶賛スランプ中だ。自分がこの間書いた脚本で「アマチュアにスランプはおこがましい」って台詞があったので、ブーメランのように刺さっているけども、めちゃくちゃスランプ中だ。

 物語を書くことだけでなく、人生を送るという点でもスランプ中だ。全方位にスランプだ。もうめちゃくちゃスランプだ。1つ1つ問題点を見つけて解決していくしかないのだけども、それでも今はそれ全てがAKIRAのラストの鉄男みたいに巨大化した塊のように私を襲ってくるような感覚がある。要するに超しんどいです。はい。

 最近は身体の調子も以前よりはよくはない。全体的に重たい。体重が増えたってのを抜きにしても、全体的に絶不調だ。これから冬に入っていくのに、大丈夫なのだろうか。私は冬を越すことができるのだろうか。

 不安ばかりで申し訳ない気持ちだ。もうなんていうか、手詰まり感が強くてどうしたらいいかわからないのだ。できることはなんでもする。毎日、3時間動くのは続けている。時折、週に1度2度、寝込む日がそれでもやってくる。もっと動けるようになりたい。そもそも、私が最初に診断された発達障害適応障害抑鬱という流れがマシになってきているのかすらわからない。もう自分で自分がわからない。私の頭はどうかしているはデヴィッド・リンチマルホランド・ドライブのキャッチコピーだ。

 抗うつ剤をばかすか飲んで、時折ねこのぬいぐるみを使ってラジオをして、なんとか生きようとしている。この間、そのラジオの中で、大きな幸せが自分にやってきたらいいのにと思わず言ってしまった。大きな幸せ。それが何なのかすらわからない。でも、そんなものが存在して自分の元にもやってきたらいいのになんて思う。自分はこの日のために生きてきたんだと思えるような幸せ。でも、そんな幸せなんてやってくるわけがない。突然ふっと自分の元に降りてくるわけなんてない。そして死にたくもないから生き続けるしかない。

 小説がまた書けるようになりたい。それだけだ。こんな風にはき出したりしたら、かけるようになるだろうか。自分の思いをはき出したら書けるようになるだろうか。わからない。でも、何かをわかるようになるためにはまずははき出すしかないのだ。

 自分だけ人生が停滞している気がする。そんなことを今は思っている。思ってもしかたないことを思っている。でも、これからだって思いたい。28歳男性はもう若くないのかもしれないけども、それでも自分はまだこれからだって思いたい。

 私は、死ぬほど絶望はしていないし、死のうなんて思っていない。死ぬとしたら事故死とかくらいだろう。だから、なるべく生き延びてやろうと思う。けども、そんな風に生き延びるために強く生きれたらと思う。

 強く生きて、生きた先で、また小説が書けたらと思う。書かなきゃ生きている意味が無い。物語を紡いでいる瞬間に味わったあの幸福感をまた味わいたいのだ。

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