にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

両目洞窟人間のおすすめ自作短編集。

どうも、みなさまこんにちは、両目洞窟人間です。

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↑両目洞窟人間近影。

 

私は短編小説を時折書いておりまして、時折このブログ「にゃんこのいけにえ」にアップしています。しかし、ブログの性質上、どんどん潜ってしまいせっかく書いたのに埋もれてしまってやきもき。

というわけで今まで書いたやつでおすすめなやつをこのページにまとめておこうと思います。

いわゆるおすすめ自作短編集ってやつです。

ではいきましょう。

 

 

短編小説『世界を燃やしてほしかった』 - にゃんこのいけにえ

『世界を燃やして欲しかった』

あるどこにでもいる夫婦。でも二人には敗れた夢があって…。

あるバンドのある曲にオマージュを捧げた作品です。(小説の最後にyoutubeのリンクを乗っけているのがネタバラシ部分)

だいぶ初期に書いた作品ですが、未だに評判が良いです。

 

短編小説『The victim』 - にゃんこのいけにえ

『The victim』

奇病かつ難病にかかってしまった女性の話。生きづらさが最大限に高まっていた時に書いた短編小説です。

 

短編小説「岸田くんの小指を潰したい」 - にゃんこのいけにえ

『岸田くんの小指を潰したい』

こんなタイトルですが恋愛小説です。恋人の小指を潰したい女の子の話です。私自身恋愛というものがあんまりわかっておらず、愛ってなんだろうな…ってのを突き詰めた結果、小指を潰すという話になりました。こんなあらすじですがいい話です。

 

短編小説『ダンボール箱のさとこさん』 - にゃんこのいけにえ

ダンボール箱のさとこさん』

突然ダンボールをかぶって出社してきたさとこさんとそれを見守る若手社員の話です。これも生きづらいって気持ちの時に書きました。ダンボール箱をかぶったさとこさんのビジュアルが評判で結構この作品が好きって言ってくださる人も多いです。これもなんだかんだでいい話です。

 

短編小説『あの子は象牙の橋から飛び降りた』 - にゃんこのいけにえ

『あの子は象牙の橋から飛び降りた』

象牙の橋がある街に住む不登校の女の子の話です。後輩曰く、これが一番好きだそうです。雰囲気がね、よいですね、これは。僕も好きです。これもいい話ですね。

 

短編小説『2147年のスーベニア』 - にゃんこのいけにえ

『2147年のスーベニア』

荒廃した未来で、旧奈良に旅行に行くカップルの話です。これが一番好きっていう人も多いです。のんびりディストピアSFもしくはディストピア日常系。これも雰囲気が、よいですね。僕も大好きです。

 

短編小説『未来人、ニュータウンへ』 - にゃんこのいけにえ

『未来人、ニュータウンへ』

彼女に別れを切り出そうとしたら、彼女が実は未来人だったというお話です。これが一番好きという声もよく聞きます。こんな出だしですが、めちゃめちゃよい話です。「こんな話を無料で読めて申し訳ない」という感想をいただきました。なんて恐れ多い。手っ取り早く素敵な話が読みたい方はこれがおすすめです。

 

短編小説『笑いながら、へんな歌って言った。』 - にゃんこのいけにえ

『笑いながら、へんな歌って言った』

ナンバーガールを軸に、後輩男子と先輩女子との恋とも愛ともつかない関係性の話です。不器用な人に刺さる話みたいです。これも評判がいいです。『iggy pop funclub』を聴きながら読むともっとよいです。

 

短編小説『マッドサイエンティストになれなかった』 - にゃんこのいけにえ

マッドサイエンティストになれなかった』

学校に馴染めない女の子がマッドサイエンティストになろうと夢見る話です。個人的には思い入れが物凄くある小説ですが、同時にとてもバランスが悪いのも事実。とはいえ、これも刺さる人には刺さるみたいです。個人的な生きづらさシリーズの中で一旦の頂点を迎えた小説です。

 

短編小説『ランプ・妖精・ミルクフランス』 - にゃんこのいけにえ

『ランプ・妖精・ミルクフランス』

突然、妖精さんが見えるようになった女性が、妖精さんに導かれるままに神戸に行く話です。

一皮向けた!と言われるようになった作品です。これが好きって人も多いです。はっきりとした希望が描かれているので、初めて読むならこれがおすすめです。

 

短編小説『アイム(ノット)ミー』 - にゃんこのいけにえ

『アイム(ノット)ミー』

私という一人称に悩む女性の話です。これはめちゃくちゃ評判がいいです。"名文"という評価もいただきました。これを書いたあと、しばらく抜け殻になってしまったほど、自分の中でも初めて「書けた!」と思えた作品です。

これも素直におすすめしたい作品です。

 

短編小説『私じゃ、魔女になれない』 - にゃんこのいけにえ

『私じゃ魔女になれない』

外回り中の女性が魔法のステッキをたまたま拾ってしまったらゴスロリ魔法少女コスチュームが脱げなくなってしまったという話です。

賛否両論を呼んだ話です。個人的にはめっちゃ大好きなのですが、これはおすすめしづらい。

ただ、このグルーヴ感、後半のグロ展開は大好きなのです。多分、好きな人は好きなはず。

 

短編小説『ハローワールド!!!』 - にゃんこのいけにえ

『ハローワールド!!!』

壊れたキティちゃんのポップコーンマシーンみたいな歌声を持つ女の子が音楽に出会う話です。キラキラした青春ものです。個人的にめちゃくちゃお気に入りな話です。キラキラ青春ものなので、キラキラしたいなーって時に読んでいただけると幸いです。

 

どてらねこのまち子さん『Also sprach Zarathustra』 - にゃんこのいけにえ

どてらねこのまち子さん『Also sprach Zarathustra』

私が書いているどてらねこのまち子さんというシリーズの一作。基本的にはどてらを着たねこのまち子さんがあちこち行くという話ですが、この『Also sprach Zarathustra』はまち子さんシリーズの中でも一番評判がよいです。

内容はまち子さんがドトール哲学書を読んでいると……という話。多分、思いもよらぬ展開になります。

基本的に1話完結ですので、これから読んで大丈夫です。

 

 

以上の作品がおすすめ作品になります。

何か気になったタイトル、あらすじ、気の迷いがあれば、読んでいただけたら幸いです。

鬱の大波に飲み込まれて気がつけば沖にいる。

普通に生きていきたいだけなんですけども、その普通ってやつのハードルが異様に高かった!!

というわけで29歳男性は今現在、タリーズカフェで震えている!!

何故ならば鬱の波が押し寄せているし、胸は締め付けられるし、お先真っ暗な気持ちになっているからだ!!

ナイン・インチ・ネイルズだったら「Help me…I'm in hell」と曲にするところだけども、ナイン・インチ・ネイルズではない私はこのように今、文章を打っているのだ!!せめて救われようと文章を打つ!打つ!打つ!!!

 

鬱が突如とぶり返してきたのは先日の父、関東の一人暮らしの家にやってくるの回から、なんだけども、まあそれ以来とにかく生活はボロボロになっている。

まともなご飯も食べてないし、部屋は荒廃していくし、3日も寝続けるし、一体どうしたもんだい。

人と会う用事がある時以外は死んだように生きてる。死ぬように生きたくはない!なんて歌ったのは中村一義だけども、俺も俺もー!と思いつつ現状は死ぬように生きている29歳男性。

 

とにかくなんとかこんな状態から抜け出したいんだけども、なかなか抜け出せない。だから鬱なんだね。そうなんだね。と思うけども、もう2年も苦しんでるんじゃー、そろそろ良くなっておくれやー!と思うんだけども、そうはいかないみてえっすわ。

めちゃくちゃ苦しいけどもその苦しみに理由がないところが凄え鬱って感じで、理由のない鬱の波に飲まれております。せめてこれを乗りこなせたらと思うけども、そんなサーフィンは習ってない。サーフィンU.T.S.U.

 

先週も酷い鬱に襲われたので、もうこの鬱にはハードコアな映画をぶつけるしかねえ!!って思って三池崇史の『殺し屋1』をみたんですよ。

そしたら効果はてきめんだ!!

だいぶ鬱はましになったというか、映画を見ている間と見終わって数日はなんとかなりました。

でも、また数日経ったら寝続ける生活になって、それからまた鬱の波ですよ。

ちょうどええところはないのか。人生にちょうどええところはないのか。

 

そういえばTwitterを見ていたら10年を振り返る……みたいなのが流行っていて、みんな色んな10年があるなーと思っていたけども、俺の10年は……!?と思ったら、なんか気恥ずかしくなって書けなかった。

なんか10年を要約するのが怖くなってしまって、書けなかったよ。

自意識こじらせ太郎だから、10年を140字にまとめてたまるか!!みたいな気持ちもあるんですよね。

すごくうざい自意識やねえ。

いつだって頭の中で鳴り響く自意識に振り回されてるよー。

まあ、10年を振り返るのが流行っていた時は寝続けている時だったのでそれどころではなかったのですが。

 

昔、鬱の時は「本を読んだ方がいい」なんて自分で書いていた。というわけで本を読んだ方がいいんだろうなと思いつつ、本を開く元気がまだわかなくて、こうやって文章を打ち続けている。

文章を書いたら少しは気がまぎれるかな……と思ったけども、紛れているのか?これは紛れているのか?

紛れているかわからない。でもここで文章を打ち終わると鬱の波がまたどっとくると思うと、打ち終わり!!なんて言えない。

うーん、なんぎやねえ。

 

生きてるって大変だと思う。本当大変だと思う。

僕はこれからもこの扱いづらい頭と体を、なんとか動かし続けて、生きなきゃいけないんだろうなーと思うと、そりゃターミネーター1のラストばりに暗雲が立ち込めるわけだけども、それでも、なんとかやっていかねばならない。

いつだって心に希望を、未来に火を……

だって思いたいけども、いや、今きっつい!

きっつい今をなんとか乗り越えてえ!!

鬱の波をなんとか乗り越えてえすわ!!

 

いつか、鬱とかそういうことから解放されたいです。

ただただ幸せだなーと思いたい。

なんとなく辛いみたいな状態から脱したい。

もう何年もこんな状態なんですよ。

いい加減、いい加減もうええやろ。

もうええやろ。人生のイベントとしては長すぎる気がする。でも、多分、長いんだろうね。一回こうなったらなかなか抜け出せないのが鬱やものね。

 

それでも、こうやって文章を打っていたらなんとかなってきている気がする。少しは落ち着いてきたような気がする。

いや、気がするでいいのだ。それでもいいから、気がするでもいいからそれをなんとかほれを積み上げて今日を生き延びよう。

日々を生きるしかないんですよ。

それしかないんですよ。

 

普通に幸せになったら、幸せだなーって思うのだ。

公園のベンチで、なんてことない街角の喫茶店で、図書館のあ行の前で、天下一品の注文待ちの間で、地元の耳鼻科の前で、寝る前の少しの時間で、相対性理論のアルバムを聴いてる時で。

そんな時に幸せだなーと思いたい。

でも、今はまだどうやら無理みたいだ。そして引き続き悲しくなった私は2000字も文章を書いて、答えも何も見つからない。

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父が多弁で多動だから、発達障害の私はめちゃくちゃ辛い。

 とにかくこの頭と身体は生きづらい。要はどうやら私は発達障害を持ってるわけなんだけど、それで未だに一週に一回や二回は一日中寝込んでて、それはまあ、基本的に毎日が休みという竹内まりや級に毎日がスペシャルな状態では全然大丈夫だったわけだけども、実家から家族がやってきて東京観光となると話が変わってきてしまった。

 話は変わるが……というか、話を追加するが、うちの父親はどうやら何かしらの精神疾患があるなと思っていて、私はアスペルガーと踏んでいるのだけども、まあとにかく父親というのは多弁かつ話は飛びまくり、見たものすべてに刺激を受け、そしてその上多動なわけです。

 その一方、発達障害で刺激に弱く、空気を読みすぎるという性質を持つ私が父親と一緒にいると、まあダメージを受ける。 

 その上、東京観光……ということで、雑多で人がとにかく多い街並みを通り抜け続けた結果、翌日倒れてしまいました。

 

 メンタルクリニックに1週間に1回は倒れるんです。って相談しても「体力つけましょう」くらいしか言われないんだけども、もう今回のではっきり思ったのは、これ体力関係ないっていうか、だって30前の私と一緒に行動していた癌で闘病中の父親がぴんぴんしていて、私が倒れるってこんなの体力の問題じゃないじゃん。

 頭の機能由来のものじゃん。ってことで、もうとにかくダメージを受けまくってしんどかったです。

 

 で、一日中、寝込んでいたわけだけども、とにかく頭の中で思考がはちゃめちゃに飛び回っていて、それがまた異様にしんどい。

 頭の中で思考がモッシュしてるんですよ。ぐわーってモッシュしてんすよ。全然休まんないの。

 一日中、改めて寝込んでいて、自分の思考の止まる瞬間のなさにびびった。

 というか、体力が落ちるとそれを辛く感じることがわかった。

 身体が動かないのに、頭の中だけが延々と騒がれると辛い。まじしんど〜。

 延々とうるさいのだ。頭の中が静まる瞬間がないのだ。

 

 発達障害のひとは疲れやすいらしい。昔からずっと疲れやすかった。騒いで騒いで突然倒れての繰り返しで、昔から山ほど約束を破っての繰り返し。

 何をしてるんだろうって思うよ。本当。

 会社も倒れて行けなくて…っての多かったし。有給は倒れてしまった日で使いまくって、無くなるし、それで上司に怒られるし、なんだよこれ。

 とにかく、もうこの頭と身体のせいで日々がしんどすぎる。うんざり。本当もううんざり!!

 

 なまじ人と会話できるから「発達障害には見えないですね」なんて言われる。

 障害が強い方なんじゃないんだろう。

 でも、全然だめ。日常生活をまともに送ることがとにかくむずい。いつもぎりぎりで、綱渡りを強いられてるような状態で、結果落ちてどーん。次の日はお亡くなりになりました。そんなの繰り返し。

 昔、新しい環境になるたびに吐き気が止まらなくて、それも慣れてないからだと思ってたんだけども、今思えば空気を読みすぎていたのだ。とにかく空気を読みすぎる。その割に失敗をする。失敗したこともわかってる。だから辛くてどうしようもない。

 人との会話も延々と音ゲーをやってる感覚に近いというか、いいタイミングで正しいボタンを押しているような感じだ。グレイト!エクセレント!!バッド!バッド!!バッド!!!

 そんなことを書くと会話嫌いなんすか?って感じだけども、会話は好きなのだ。とにかく会話は好き。

 でも、それも雑談なら大好き。人の話を聞いたり、要約したり、話を広げたりするのは大好きだし得意だと思う。

 でも、いわゆる上の人と会話をするのはしんどい。音ゲー。まじ音ゲー。そして父親のようなめちゃくちゃな会話をする人に当たったらもう大変。昔の上司がそういうタイプだったので、まじ辛かった〜。

 

 私も話があっちいったりこっちいったりしてるけども、要するに多弁で多動なタイプと空気を読みすぎるタイプの発達障害の相性まじ最悪ってことです。

 どうにかなんないですかね。

 私は困っています。心から困っています。

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短編小説『とうめいな、たましい』

 むかし、というか、いつだったか忘れてしまったが正しいのだけども、多分ネットで私はある言葉を唐突に読んでしまった。

 「透明な魂が救われることはない」

 それを読んだ時は「透明な魂ってなんだよ。中2っぺえ~」と思って流した。でも、なんとなくその言葉は心に引っかかっていて・・・というか記憶の奥底に保存されてしまっていて、たまに、ふとした瞬間に思い出すのだった。

 透明な魂。

 そもそも魂というものがあるのかどうかさえ不確定なのに、それが透明だなんて。てか魂に色の概念あったのかよ。

 透明な魂って一体どういうものなんだろう?

 言葉を思い出す度にふとそんなことを考える。でも日常は考えなきゃいけないことでいっぱいだ。だから私は忘れてしまう。あっという間に忘れて、そして、またたまに思い出すのだった。

 「透明な魂が救われることはない」

 


 魂といえば、人は死んだら21g体重が減る、それは魂の重さなのだ・・・みたいなことも読んだことがある。魂って重さあるんだ-と思っていたけども、あとあと「それ、嘘らしいよ」という記事も読んだことがある。結局どっちなのかわからないけども、私としては多分嘘なんだろうなと思っている。特に理由はないけども、なんか「魂」ってものがあんまり信じれないってのが大きい。

 魂ねえ。と思う。本当に魂ってものがあるとしたら、人の身体ってのはその乗り物にしか過ぎないってことになって、なんかそれはロボットみたいだと思う。それよりは脳が~臓器が~血が~という風に構成されてるだけの生き物である・・・と考える方が私の中では理にかなっている気がした。といっても全然身体の構成もわかってないけども。

 


 というわけで魂否定論者だった私も気がついたら社会人。新卒で入った会社には同期が何人かいて、その1人がゆめちゃんだった。入社初日、がちがちに緊張していた私に初めに話しかけてくれたのがゆめちゃん。笑うと矯正器具が見える女の子だった。同い年だったけども、ゆめちゃんはどこか幼く見えた。外人がゆめちゃんを見たらティーンエイジャーだと勘違いしたと思う。というか日本人でもそうらしくて、あるとき「私、未だに年齢確認されるんだー」と少し自嘲気味に笑いながらゆめちゃんは言っていた。

 ゆめちゃんと私は営業だったけども、部署が違うから普段はあんまり顔を合わすことはなかった。でも会社でばったり会ったら喋ったり、時間があったらお昼を食べたり、たまには同期飲み会なんかもあったりして、そこでは私はゆめちゃんの隣に座り喋ったりしたのだった。要するには私とゆめちゃんは同期の中でも一番仲がよかった。

 しかし仲がよいと言っても、友達にならないのが社会人たるところで、休日遊びに行くことはなかったし、喋ると言ってもプライベートのことをお互いそこまで喋っていたわけではなかった。

 ゆめちゃんと私は冷たい言い方をすれば体のいい話相手だったのだ。

 


 ゆめちゃんはまじめだった。いつも手にはメモ帳。どんな話にもうなずいて、わからないことがあったら質問をして。凄かった。全力で社会人をやっていた。

 私は不真面目な根っこを持っていたようで、そこまでは社会人できなかった。私はよく怒られていた。

 「木村(言ってなかったけどもゆめちゃんの名字)を見習え!」とよく言われた。へいへーいと頭を下げながら、確かになあと思ったのだった。

 ゆめちゃんはいつも真面目だった。いつも全力だった。いつも笑顔だった。

 いつも。いつも。

 


 ゆめちゃんは自分で自分の命を絶った。

 高いところから飛び降りて、ぐしゃぐしゃになった。

 


 その日もいつも通りだったそうだ。

 会社に来て、今日はどこどこに行きますとホワイトボードに書いて、「いってきます」と外回りに出かけた。

 でも帰ってこなかった。

 会社で「遅いなあ」とかのんきにみんなが言ってる頃、ゆめちゃんはぐちゃぐちゃになっていたのだ。

 というわけで、ゆめちゃんは二度と帰ってこなかった。

 私たちはゆめちゃんにさようならも言えなかった。

 


 ゆめちゃんは遺書の1つも用意してなかったから、結局何で死んだのかわからなかった。仕事が嫌で~みたいな話も聞いたし、プライベートが実はうまくいってなかったらしい~みたいな話も聞いたし、なんかの呪いだ~みたいな話さえ出てきたりした。

 でも結局はわからなかった。ゆめちゃんがなんで死んだのかなんて。

 まあ、この後、色々と会社はゆめちゃんの遺族と大変なことになったらしいけども、それについては私は知らない。

 ゆめちゃんが死んだと聞いて、私の心もぽっきり折れてしまった。ある日、会社に行く気がなくなって、ベタに会社と反対方向の電車に乗って、ベタに海なんて見に行っちゃったりして、ベタに海見てもつまんねえなとか思ったりして、それからはベタに無断欠勤の嵐。ある日、携帯電話に上司の怒号と解雇通達が留守電で残ってたけども、私はその頃もう実家に戻っていた。

 親にもめちゃくちゃ怒られた。でもそれすらもどうでもよくなっていて、私は日々の不真面目に過ごした。一日中毛布にくるまって寝たり、起きてもベランダで煙草を吸ったり、高校ジャージ姿で近所のコンビニに行って煙草を買ったり、歩き煙草をしながら家に戻ったりした。

 


 で、ここからだけども、よくこういう話だと死んだ人が枕元に立ったりする。生前言い残したことを伝えに来たり、なんなら呪いにきたり。でもそんなことはなかった。少なくとも私の所にはゆめちゃんは来なかった。

 私はすやすやと眠れた。びっくりするくらいすやすや眠れた。

 まあ、ゆめちゃんが幽霊になったとしても私のところには来ないだろう。

 だって、幽霊にもなって体のいい話し相手くらいだった人にわざわざ会いに来ることなんてないだろうし。

 それに来たかったとしても私の実家は知らないだろう。私たちはプライベートの話をそれほどしなかったし。

 

 

 

 でも、ゆめちゃんの夢は見た。

 夢の中で、私とゆめちゃんは会社員じゃなくて、高校の同級生だった。

 それで文化祭の準備をしていた。出店の看板を一緒に作っていた。出店はたこ焼き屋さんだった。

 夕方の教室だった。夕日が窓から差し込んでいた。教室には私とゆめちゃんしかいなかった。沢山の空っぽの机を移動させて、ブルーシートをしいて私たちは看板を作っていたのだった。と言っても、作業はほとんどゆめちゃんばっかりやっていた。私はほとんどあぐらをかいていただけだった。

 ゆめちゃんは絵を描くのが凄くうまかった。ちゃっちゃっちゃとどんどん看板に絵を描いていった。私はそれをあぐらをかいてずっと眺めていた。

 「ゆめちゃん。絵上手いね。芸大行けるって」と私が適当に言うと、ゆめちゃんはこちらを振り向いて笑った。矯正器具が光っていた。

 


 起きてまず思ったのは「ゆめちゃんの夢って!」という韻の踏みっぷりに笑ったりしたんだけども、でも本当はちょっとだけ泣いてた。ゆめちゃんが絵が上手かったかなんてしらない。ゆめちゃんがどんな大学に行っていたかもしらない。でも、なんとなくその夢は妙に立体的だった。そんな過去が一瞬あったと思うような手触りだった。少なくとも私の夢の中のゆめちゃんは絵が上手くて、多分芸大に行って、それで・・・どうなったんだろう。夢の中のゆめちゃんは死を選んだんだろうか。ゆめちゃんにとって死は避けられないものだったのだろうか。ゆめちゃんは絶対高いところから飛び降りなきゃいけなかったのだろうか。ゆめちゃんはぐちゃぐちゃにならなきゃいけなかったのだろうか。

 結局、わからなくて、私は財布を持ってコンビニまで行く。高校ジャージを着た20代女性という社会性なんてない姿で煙草を買いに行く。

 


 買った煙草を歩きながら吸っていたらあの言葉を唐突に思い出す。

「透明な魂が救われることはない」

 透明な魂。

 ゆめちゃんはもしかしたら透明な魂の持ち主だったのかもしれない。

 馬鹿みたいな連想をしてしまう。でも、その考えはどんどん深度を増す。

 透明な魂を持っていたゆめちゃん。透明な魂ってのがどんなのかわかんないけども、魂があるならば、そしてその魂に色があるならば、ゆめちゃんは確実に私の魂よりは透明なはずだ。

 それも半透明なんかじゃなくて、凄く綺麗なビー玉みたいに透明。

 多分、そんな魂をゆめちゃんは持っていたのだ。

 煙草の煙を吐く。

 でも、そうだとしたら、最悪だ。

 「透明な魂が救われることはない」としたら、そんなことってあるかよと思う。

 透明な魂を持っていたが故に救われることなくて、結局死を選んだとしたら、ゆめちゃんはとても馬鹿だ。

 大馬鹿野郎だ。

 魂なんて濁らせばよかったのだ。

 どぶにつけて、ペンキにつけて、あとなんだろう、なんでもいい、カレーの鍋でもタールでもなんでもいい。とにかく汚せばよかったのだ。汚してしまえば良かったんだ。

 高いところから飛び降りることなんてなかった。

 ぐちゃぐちゃになることなんてなかった。

 死ぬことなんてなかった。

 ゆめちゃん。

 私の同期で、がちがちに緊張していた私に話しかけてくれて、私の体のいい話相手になってくれて、私より真面目で、幼く見えて、笑うと矯正器具が光っていて、それで、それで。

 何があったかなんてわからない。

 透明な魂がどうのこうのも、寝起きの私の頭が結びつけたただの戯れ言かもしれない。

 それでもね、死ぬことはなかったと思うんだよ私は、ねえゆめちゃんってば。

 あー。と煙草の煙を吐く。煙は少し漂って消えていく。

 

 

 

 それから一度だけ、だいぶ後になって私はもう一度ゆめちゃんの夢を見た。

 私とゆめちゃんはやっぱり高校生だった。

 お昼休み。

 何故か解放されている屋上で一緒にお弁当を食べていた。

 ゆめちゃんは私に言う。

 「今度ね、芸大を受けようと思うんだ」

 ゆめちゃん、受けなよ、絶対受かるって。と私が言うとゆめちゃんは笑う。

 そしたら矯正器具が光っていて、それを見ながら私はゆめちゃんが芸大に受かることを信じている。

 

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映画って面白いね『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を見た!

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を見た!!

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クエンティン・タランティーノ最新作ですよ!やっぱりタランティーノ最新作となるとわくわくしちゃいます。私が中学生の頃、キル・ビルが公開されてR-15指定だったので、劇場では見れなかったのですが、TSUTAYAの店頭で流れていたDVDの本編を食い入るように見たり、レンタル落ちになったVHSを店員さんに頼み込んで買った記憶があります…。

そんな自分語りはさておいてタランティーノの9本目の長編映画

そんな最新作の舞台は1969年のハリウッドでございます。

1969年のハリウッドで何があったか、といえば「シャロン・テート殺人事件」なわけです。

シャロン・テート事件とは……なんてことはもう散々語り尽くされているわけですけども、先日読んだジョーン・ディディオンさんの『60年代の過ぎた朝』でも大きく触れられていました。

あの本でも大きく語られていたのは、結局ヒッピーカルチャー(もしくはカウンターカルチャー)が大きくなっていった果てにこの事件が起こり、そして60年代は終わってしまった……ということでした。

時代の終わりを告げる事件…というのはどういうことでしょうか?

タランティーノはインタビューで「ある種の純粋さが消えてしまったんだ」と語っています。

時代に終わりを告げる事件とはそういうものなのでしょう。

純粋さがその事件によって消えてしまった。もしくは消えてしまっていたことを明確に伝える。それがその事件の最大の加虐性なのかもしれません。

 

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そのある種の純粋さが残っていたという1969年のハリウッドをこの作品では完全再現します。

昨今よくあるCGでの再現ではなく、一部1969年の街並みがまだ残っている場所をブロック単位で封鎖して、そしてそこを徹底的に1969年に作り変えるというなんとも力をかけた徹底ぶり。

そんな風に作り込んだ1969年のハリウッドなので遠景ショットで見せる!人々を歩かせる!!そして何より車で移動する!!

この移動ショットの多幸感ったら!

街歩きもそうだけども、街をドライブしている時こそ、その街の空気のようなものを感じたりするわけです。その時代の音楽が鳴り響いたりするなか、移動することによってその時代、その場所にいると強く感じるわけです。

時代とは、その街とは、有名な建物やランドマークだけではなく移動にこそあるんだ!という強い思いが移動シーンの多くからも伝わってきます。本当移動シーンが気持ちいいのだ!!

 

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そんな中で1969年のハリウッドを主に右往左往する主人公が落ち目の俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)とそんなリック・ダルトンのスタンドダブルを務めるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。

主にこの二人の何でもない日々が描かれていくのです。

かつて映画で主役を張っていたリックの姿はどこへやら。今はドラマの単発の悪役仕事ばかり。アル・パチーノ演じる妙なプロデューサーから「イタリアに行って、あっちのウェスタンに出たらどうだい?」と言われ「わしはもう落ち目や!!」と泣いちゃうリック。それをよしよしするクリフ。そんな冒頭からもう素敵。

リックとクリフの関係がずっと良いのです。つまり、何が言いたいかといえば「友情」って最高やん?ってことで…。タランティーノがここまで純粋な友情を描いたのも本当初めてなんじゃないだろうか。

映画はそんな二人の日常を追いかけていきます。セリフを覚えたり、お酒を飲んだり、ドラマの撮影に行ったり、街をドライブしたり、犬に餌をあげたり、テレビを見たり、ラジオを聞いたり、ピザを食べたり、そんな日常を描いた描写のなんと豊かなこと!

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は『わんはり!!』とタイトルがついてもいいほどの日常系映画なのです。

  途中からリックもクリフも二頭身キャラに見えてくるような。「もうだめだー!」「サングラスで目を隠そう」「うん!そうする〜」と微笑ましいやりとりは日常系アニメのそれ。そして全編を貫く日々の豊かさには山田尚子監督のアニメを見ている時(特にけいおん!たまこまーけっとの頃のような)を思い出したりもしました。

 

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そんなリックのとなりに引っ越してくるのがロマン・ポランスキー監督とシャロン・テートなのです。

映画はリックとクリフの日常のほかに、シャロン・テートの日常も織り交ぜてきます。

パーティに行くポランスキー監督とシャロン・テート(この時にディープ・パープルのHushが流れる!)。後年、ポランスキー監督が映画化する『テス』を本屋に受け取りにいくシャロン・テート。そして何より、シャロン・テート自身が出演している映画を観に行くシーンのマジックのかかりっぷりったら!!

スクリーンに映っているのはシャロン・テート本人で、それを見つめているのはマーゴット・ロビー演じるシャロン・テートという少し変わった構図なのに、そこには間違いなくマジックがかかっているのです。映画ならではのマジックがそこにはかかっていて、私はこのシーンで涙を流してしまいました。

 

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シャロン・テートはなによりも「シャロン・テート殺人事件」という痛ましい事件の被害者としてその名が歴史に刻まれてしまいした。

語られるときはチャールズ・マンソンと一緒に語られます。チャールズ・マンソンはその主義主張が未だに語られます。なんならファンもいるそうです。でもシャロン・テートを今、事件の被害者以上に語る人がどれほどいるでしょうか?

全ての事件において、被害者の人生は語られることはありません。ある大量殺人事件の翌日、犯人の主張がワイドショーで朝から流されていたとき、本当心の底から嫌悪してしまいました。

本当は犯人の主張なんか流してはいけないのです。無視すべきことなのです。なぜ、大量に人を殺した者の主張がこの世に残っていくのでしょうか?

そして被害者の声はその犯人の声の前ではかき消されたままなのでしょうか?

  タランティーノシャロン・テートにも日常があったこと。未来を夢見る女優だったことを本当優しく描きます。シャロン・テートを被害者ではなく、本当ひとりの人間として描くことで救い出そうとするのです。

しかし、その日はやってきます。そう1969年の8月9日が。

 

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で、ここからはネタバレ。

1969年の8月8日から、リックとクリフ、そしてシャロン・テートに何があったかを丁寧に描いていきます。リックとクリフの長きに渡る雇用関係が終わりを迎えそうなこと。そして彼らは最後の飲み会を開こうとしていること。その一方でシャロン・テートも友人達と楽しくご飯を食べたりします。しかし画面には時間のテロップが差し込まれ、その日のその時間に近づいていくことを示唆します。

そうして真夜中、マンソンファミリーの数人がシャロン・テート宅にやってきます。

シャロン・テートはこのまま襲われるのか……と思ったところで、リックが「車の音がうるせえ!!」とブチ切れます。

その結果、なんとマンソンファミリーの数人はリックをターゲットに変更するのだった!!

映画館で「えー!!」と叫びそうになりました。

どうなるんだ……!と思っていたら、ここからなんと、びっくりするような展開の数々!!

私は劇場でめちゃくちゃ笑ってしまいました。

やりすぎ?

いやいや、やりすぎなんてもんじゃないよ。

物語を使った復讐というのは、人形遊びで人を殺すシーンをやるように、少し居心地が悪いのも事実です。

でも、それを超えて、やりすぎるくらいにこのシーンを作ったのは何よりの復讐だったのです。

それは実際は映画に描かれている以上の暴力をシャロン・テートにふるった彼らへの。そして彼らの名前が歴史に刻まれてしまったことへの。何よりの復讐なのです。

しかし、リックが「火炎放射器」を持ち出したときは腹を抱えて笑ってしまった。人生何が役に立つかわかりませんね。

 


しかしその過程でクリフは負傷してしまいます。そのクリフにリックがこう語りかけるのです。

「いい友人だ」

それに対してクリフはこう返すのです。

「努力してる」

なんと素敵なやりとりなんでしょうか。

最後になるはずだった飲み会。

でも、多分、リックは明日は煙草とお酒を持って病院に行くんだと思います。

二人の後日談が俺は見たい。

また二人でゲラゲラ笑ってたらいいなー。

 


そして映画はこの後、もっとも素敵な瞬間を迎えます。

リックがシャロン・テートの家に招かれるのです。

そこには本当の歴史ならば殺された4人がいます。シャロン・テートのお腹の中には赤ん坊もいます。

彼らは無事だっただけでなく、事件とは無関係になったのです。

この映画の中で、映画という物語の中で、被害者というレッテルすらも剥がしたわけです!

 


そしてそこにタイトルが出ます。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と。

「むかし、むかし、ハリウッドでーー」

 

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現実はそうではなかった。1969年の8月9日に事件は起きた。シャロン・テートは殺されてしまった。

でも、映画の中ならば。物語の力さえあれば過去は変えられる。世界をもう一度作り、彼女を救うことができる。

そしてこの映画の中でシャロン・テートは生き続けるのです。

事件も知らず。マンソンファミリーも知らず。生き続けるのです。

ある種の純粋さが失われてしまった1969年の8月9日。

でもおとぎ話の中でなら、その純粋さは失われずに済む。生き返らせることができる。

これはもはや巨匠という立場になり、お金も潤沢に使うことができるタランティーノだからこそ作れるおとぎ話でした。

物語を語るには強いディティールが必要です。

1969年の空気どころか、埃さえも再現した世界だからこそ、シャロン・テートを、純粋さをスクリーンの光の中に蘇らせることができたのです。

これは映画の魔法を信じ切ったタランティーノによる渾身の一作です。

1969年のハリウッドを再現した映画であり、アメリカの夜のように映画製作内幕ものであり、シャロン・テート事件の映画であり、とても優しいおとぎ話であり、そしてなによりとても面白い映画なのでした。

劇場の明かりがつく頃、つまりは2019年の日本に戻った頃、潤んだ目でなんて面白い映画を見たんだ!と思いました。

こんな映画の魔法が見たいから、私は映画を見るのかもしれません。

 

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