にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

Thank you for playing!! /映画『レディ・プレイヤー1』を見た!

レディ・プレイヤー1』を見た!

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 ゲームをやったことがある人なら「Thank You For Playing!」という文字面を見たことを見たことがあるかもしれない。

 ゲームだけでなく映画、音楽、小説、アクセサリー、とにかく世の中の創作物は実際に見てくれる、触れてくれる、そんなあなたがいてなりたつものだ。

 そして世の中の創作物は0から生まれることは無い。

 多くの創作物の影響から生まれる。

 誰かが作った物をあなたが受け取って、それをまた誰か別のあなたに届く。

 それが世の創作物というものかもしれない。

 


 アーネスト・クラインが書いた原作『ゲームウォーズ』はおびただしい量のサブカルチャーの引用で描かれた原作だった。

 ハリデーという男がOASISというVR空間に残したイースターエッグを見つけるために様々なサブカルチャー(主に80’s)を調べ尽くして発見していくという内容だった。

 巨匠スピルバーグ監督はどう料理したか。

 映画化に際して『レディ・プレイヤー1』おびただしい量の、本当におびただしい量のサブカルチャーの引用を入れ込んだ。

 映画、音楽、ゲーム、小説。

 初見でそれを網羅することは不可能なほどの引用。

 しかし、それはあくまでもイースターエッグと言う扱いにしている。

 気がついた人だけがより楽しめればいいという風に。

 冒頭のカーチェイスだけでも網羅不可能なほど情報が詰め込まれている。

 クライマックスの大乱戦なんて、なんどここを見れば全ての情報がわかるのだろうというほど詰め込まれている。

 でも、それはBlu-rayで繰り返し見てくれと言わんばかりに通りすぎていく。

 一つ一つを、まるでコレクションを見せびらかすようには見せない。

 一つ一つ、権利を許諾してもらっているにも関わらずだ。

 秒単位で過ぎ去っていく引用元。

 それ以上に、1本の映画として見終わった時に心に刺さるメッセージは二つだ。

 それは大きなメッセージである『現実を大事にしよう』というもの。

 そして3つ目のキーになる『イースターエッグ』探しである。

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 3つ目のキーになるイースターエッグはアタリのゲーム「アドベンチャー」のイースターエッグを見つけることだった。

 そのイースターエッグは世界で初めて仕込まれたイースターエッグ

 画面上の見えないドットを見つけることで制作者の名前が現れるというものだった。

 それを見つけ出した主人公はOASISイースターエッグを仕込んだ張本人であるハリデーにこう言われる。

 「私のゲームを遊んでくれてありがとう」と。

 


 隅々まで探さなければ見つからないイースターエッグ

 それはすなわちそのゲームを隅々まで遊び尽くすことである。

 そうして初めて現れるメッセージ。

 それが「私のゲームを遊んでくれてありがとう」だということを考えると、不意にこの映画の制作者達が込めたメッセージが浮かび上がってくる気がする。

 ゲームをプレイしてくれてありがとう。

 小説を読んでくれてありがとう。

 音楽を聞いてくれてありがとう。

 映画を見てくれてありがとう。

 そんなメッセージが立ち上がってくる気がするのだ。

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 多くの引用で作られたこの作品はまるでこれまでのサブカルチャーの祝祭でもようであり、そしてサブカルチャーたちからの感謝の念のようでもある。

 冒頭から終わりまでそれがつきることはない。

 作品は0から生まれることはない。

 だからこそ引用というわかりやすい形で見せるのは多くの作品によって救われてきた人々の姿と、制作者の姿だ。

 VR世界を支配しようとする者を止めようとするのはおびただしい量のサブカルチャー達だ。

 そのサブカルチャー達にも制作者がいて、それに救われたものがいて、そしてそれが一同に介する。

 一同に介するのはサブカルチャーを支配しようとする人々の陰謀を止める時だなんて素敵じゃないか。

 

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 創作物が真に命を与えられる瞬間は、誰かがそれを受け取った瞬間だ。

 それまでは死んでいるに等しい。でも、誰かが受け止め続ける限り生き続ける。

 誰かが遊び続ける限り生きている。

 誰かが聞き続けている限り生きている。

 誰かが見続けている限り生きている。

 だからこその『Thank You For Playing』なのだと思う。

 命を与えてくれてありがとうと。

 

 長年映画界で作品を作り続けたスピルバーグ監督からの『Thank You For Playing』が詰まった1本の映画。

 もう二度とこんな映画が作られることはないかもしれない。

 こんな祝祭は二度と開かれるかもしれない。

 でも、それでも大丈夫。

 そんなときはまたこの映画を見ればいい。

 おびただしい量のサブカルチャーの先に、祝祭の先に、またスピルバーグ監督は待っているはずだから。

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映画『哭声/コクソン』を見た!

「哭声/コクソン」を見た!

 

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 わからない。という感覚に陥ることは気持ちがいい。

 その上、翻弄されるともっと気持ちがいい。

 「コクソン」はとにかくわけがわからない。

 見終わっても「國村隼」の本当の目的はなんだったのか?

 あの祈祷師はなんだったのか?

 あの女の正体は?

 あの村はどうなっていくのか?

 全て答えが用意されているわけじゃない。

 でもとにかく気持ちがいい。

 翻弄され続ける150分に、ダウナーな状態で見たにもかかわらず、そして後味は悪いにも関わらずもう気持ちは高揚しっぱなしだった。

 というわけで僕は未だにこの映画がつかめていない。

 ストーリーの解説もできやしないし、各シーンの意味も、暗喩もわかっちゃいない。

 それでもとにかく気持ちがよかったのだ。

 ドライヴし続ける映画だと思った。

 始まってから終わりまでとにかくこの映画はドライヴし続ける。

 一瞬たりともブレーキを踏まず、むしろアクセルをベタ踏みしてドライヴし続ける。

 そのドライヴの要因になっているのが國村隼

 なんせ國村隼だ。

 もう國村隼という俳優の魅力がこれほどまでにつまった映画が作られるなんて。しかも韓国で!

 國村隼という人は怖い。

 顔が怖い。声が低くて怖い。

 しかしどこか優しげな瞬間も見える。 

 だから怖い。真意が見えなくて怖い。

 そんな魅力がずっとずっとドライヴし続ける。

 ふんどし姿で鹿を丸かじりする國村隼

 ふんどし姿かつ赤い目で襲いかかる國村隼

 滝行する國村隼

 家を壊される國村隼

 太鼓を叩きながらトランス状態に入る國村隼

 そしてラストにはあんな國村隼

 悪魔國村隼!!!

 は~ええもん見せて貰った。

 國村隼の7変化を見るだけで元がとれたというものです。

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 しかしまあ、ここまで登場人物達が傷つく作品も珍しいのではないでしょうか。

 とにかく皆が皆傷ついていく。肉体的に傷ついていく。

 ぼろぼろ~になっていく。

 主人公は血まみれになって、ベッドを起き上がる時でさえ、タンスに頭をぶつけて。

 もう徹底的だ。

 身体への傷が人を不安にさせることを知っている。

 とにかく傷が一つでもあれば、人ってのは不安になるものだ。

 血が流れたらその日一日不安でしかたない。

 傷がつくということは、もう安全地帯にいられないという証明であるわけで、肉体的にも精神的にも徹底的に傷ついていく主人公を通して我々観客もとにかく不安になる。

 その極地がクライマックスの問答シーンでありましょう。

 クライマックスは「誰が正しくて、誰が間違っているのか?」を徹底的に考えさせられる。

 今まで見た物からなんとか予想しようとする。

 でも、どれもこれも答えが見当たらない。

 教えてくれよ!誰が本当のことを言ってるのか!と思うけども、それは考えなきゃいけない。頭を回転させろと告げるけども、頭は150分のドライヴでうまく動かない。

 変わり続けるジャンル。コメディ、サスペンス、ホラー、アクション、超常現象、ゾンビ、エクソシスト

 そして立ちこめ続ける瘴気によって、我々も主人公も冷静な判断は出来なくなっているのです。

 誰も彼も怪しく見えて、でも守りたいものはおかしくなっていて、どうしたらいいのだよ!と走り出した先にははい絶望どーんなラストにぐぬぬぬぬぬ。

 ナ・ホンジン監督よ~!と唸ってしまいました。

 


 ナ・ホンジン監督作品だと一番好きなのは『チェイサー』ですが、一番振り回されて一番いろんな意味で衝撃度が突き抜けているのはこの『コクソン』だと思います。

 とにかくもう、すごいのなんの。

 ここまで全部盛りに映画ってできるのか~と驚きっぱなし。

 終始エネルギッシュ。

 登場人物は走り回り、転げ回り、叫び、飯を喰い、物を壊しまくり。

 韓国の人らは凄いの~としみじみ思ってしまいました。

 このエネルギッシュさは見習わないといけないな~。

 だってこんな山間部の村で起きた大量殺人死を描いた映画でじめじめ感を保ちつつ同時に走り抜けるってことができますでしょうか。わかんないけども、すんごいことしてるんじゃない?

 ナ・ホンジン凄いことしてるんじゃない?

 ナ・ホンジン監督の映画は好き嫌いあれど「なんか凄い感」がひしひしと伝わってくるのがもう毎度のことやられてしまいます。

 落ち着きなんて一切見せずにこれからもめちゃくちゃな映画を作って欲しい。

 観客の顔にパンチしまくるような映画をこれからもどんどん作って欲しい。

 好きなところを書くと謎の女を演じてたチョン・ウヒさんの顔がどちゃくそにタイプでした。

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 途中「ここで待ってろ」って言われたあとに「うんうん」ってうなずくところとかめっちゃかわいかった。

 あそこのGIF動画誰か作ってくれ。

 永久に見ていたい。

 

 というわけでコクソン。凄かったです。

 なにがなんだかわかんないけどもパワフルな映画が見たいという人に勧めたい。そんな一本でした。

映画『メッセージ』を見た!

メッセージを見た。

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 あらすじ。

 柿の種みたいな宇宙船が突如として地球に飛来。

 彼らの言葉を翻訳するように命令を受けた言語学者の運命やいかに。

 


以下ネタバレありの感想文。

 

 

 

 「人生ってのはチョコレート箱のようなもの、開けてみるまでわからない」ってのはフォレスト・ガンプの有名な一説だけども、いやいやチョコが入ってるのはわかっとるやないかいってツッコミもありました。

 そもそもでいうと12個入りのチョコレート箱ならば、12個食べてしまうともう空になってしまうこともわかっていて、チョコレート味がチョコレート味だということもわかっていたら、未知の体験なんてものは期待できない。

 しかしそれでもチョコレート箱を買ってしまうというのが人間なのではないのでしょうか。

 もう12個食べてしまえば空になってしまうチョコレート箱を、未知の体験になるなんてわかっていないチョコレート箱を買ってしまうのが人間なのではないでしょうか。

 「メッセージ」はそういう映画でした。

 


 始まりと終わりが無い言葉をやってきた宇宙人である「ヘプタポッド」達は使います。その言葉は行になっていて、その言葉を解析するうちに、主人公はある能力を身につけていきます。

 それは終わりも始まりもない時間感覚。

 未来も過去も並列で見ることができる時間感覚。

 それによってある男との結婚、そしてその男との間に子どもの姿を見て、男との結婚が失敗に終わって、その子どもの成長を見て、その子どもの死を見ます。

 その悲劇的な一生を見ます。

 それでも、その未来を選ぼうとする。

 なぜ。

 なぜといえば、我々はみんなそうであるから。

 


 私たちは生まれた瞬間から「死」という終わりには逃れられない。 人生最大のネタバレを食らって生まれてくるわけです。

 「死」という最大級の不幸からは誰しもが逃れることができない。 もしくは「子」を作る場合は、その子に「死」という不幸が訪れることを理解して作るわけです。

 そんな「死」があるなんて、わかっているのに、なぜ作るか。

 「死」があるのになんで生きるか。

 だって、そこには一瞬でも喜びがあるから。

 その瞬間、瞬間はわずかかもしれませんが「喜び」が確かにあるから。

 それだから人は生きているし、そして「死」という終わりがあるにも関わらず、生きていくことを選ぶわけです。

 「死」からは誰も彼も逃れられない。でも、ヘプタポッドの言葉や考え方をすれば、始まりも終わりもない、全ては丸くつながっている。

 私たちの人生の始まりは?

 父と母が出会って、その先に私たちが生まれた。

 その前は?その父と母の父と母達が出会って、生まれていった。

 その先は?まだわからないけども、もしかしたら出会って、そして生まれていくのかもしれない。

 始まりも終わりもまだない。

 始まりも終わりもない。

 おのおのに「生」と「死」はあるけども、それは始まりと終わりじゃない。

 ずっと続いていくものなのだ。

 それはずっとずっと。

 

 人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。それはいつかはわからない。

 今日かもしれないし、明日かもしれない。

 遠くの未来かもしれないし、近い未来かもしれない。

 だからこそ私たちの人生の物語がいつ始まったかを知らなきゃいけない。

 死という私たちの終わりがあるからこそ、理解しておかなきゃいけない。

 劇中、もし「未来が全て見通せたら?」という問いが出される。

 その回答は「一つ一つに気持ちを入れていく」というもの。

 死が待っているというのはあまりに辛すぎる現実です。

 でも、それだからといって生きることを躊躇する理由がどこにありましょうか。

 生を諦める理由がどこにありましょうか。

 生の喜びを享受しない理由がどこにありましょうか。

 一瞬、一瞬の喜びに満ちた瞬間を受け取ること。

 それこそが、始まりと終わりがあって、始まりと終わりが無いこの生と死の中で生きていく理由なのではないでしょうか。

 

 

 

 回想に思われた冒頭が実は未来の映像(フラッシュフォワード)だったことに驚きながら、もう一度繰り返されるラストには涙がとまりませんでした。繰り返されるマックス・リヒターのオン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライトの音楽を聴きながら、目が痛くなるほど泣いてしまったのは、その後待ち受けている過酷な運命とそれでも抗い、確かに生きていこうとする姿に心を動かされたからでしょう。

 そしてこれは原作のタイトル通り「あなたの人生の物語」でもあることを理解したから。

 親と子、世界と宇宙、喜びと悲しみが入り交じったこれを人生と呼ぶならば、確かにこれは「わたしの人生の物語」なのです。

 

 人生はチョコレート箱のようなものだ。味もわかっているし、12個食べてしまえば空になってしまう。

 それでも買ってしまうし、それでも食べてしまう。

 それを不幸と呼びましょうか。

 いえ、絶対に違う。

 それこそ、生きているということ。

 そしてその渦の中にいるということを、その悲しみを、その喜びを、私たちは忘れてはいけない。

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短編小説『世界を鉄の藻屑にかえてやる』

 塚本晋也監督の『鉄男』を見た私は感動のあまり椅子から立ち上がれなくなってしまった。椅子と言っても、 映画館の椅子なんかじゃなくて、勉強机を買ったときに付いてくる 固い椅子。私はまだ実家の子ども部屋にいる。

 というか引きこもっている。会社にいけなくなってしまった私はほとんど引きこもっている。
 ゴミためのように沢山の思い出に囲まれた自室に私は引きこもっている。
 教科書、テスト用紙、プリント、漫画、CD、雑誌、服、よくわからないもの、それに囲まれて私は引きこもっている。
 で、引きこもっている最中にNetflixでたまたま見た鉄男に強く感動してしまった。「俺たちの愛でこの地球を鉄の藻屑にして やろうじゃないか。やりまくるぞー!!」 と叫ぶラストに私の気持ちは高ぶり、私も「やりまくるぞー!!」 と思う。
 この世界を鉄の藻屑にしてやる!!
 しかし、とはいえ私は鉄でも男でもないので、どうしようかと思う 。鉄男ならば、この世界を宇宙の藻屑ってやつにできるのかもしれ ないけども、ただの人間である私にはどうすることもできない。
 そもそも引きこもっている私はNetflixで鉄男も見ているだ けのただのパンピー。破壊衝動から一番遠い場所に生きている。
 では、どうするべきか。と思った私はとりあえず外に出ることにした。

 

 5日ぶりの外だった。外はすっかり春めいていて寒いのか暖かいのか全くわからない。
 昼の1時に高校生の頃のジャージに身を包んで、この時間に外をぶ らついている私はどう考えても不審者で、それだけで嫌になるが、 家に居ても世界を鉄の藻屑にすることはできない。
 そうだ。世界を鉄の藻屑にするためには外に出なきゃいけないのだ 。
 そう外に出てみてはいいものの、どこか行く場所もない。
 というかどこにも行けないから私は引きこもっているわけで、どこにも行けないのはある意味正しい。
 私は一つ一つに納得と失望をしながら、家の近くの公園までやってきた。
 そこには壊れたビニール傘が落ちていた。骨がばきばきに折れているビニール傘。
 私はそれをつかみ取って、引きこもり先の家に持って帰る。
 家のリビングでは母がいて「あら、外に出ていたの?」と聞いてくる。
 「うん。今は調子良くて」
 「そう。そんな日が増えたらいいね」
 「うん」
 となんとも優しい言葉。世界を鉄の藻屑に変えると言うことは母も鉄の藻屑にしなければいけないのか。こんな引きこもっている娘に優しい言葉を投げかける母も鉄の藻屑にしなければいけないのか。 

 それは嫌だなと思う。
 しかし、手に持った折れたビニール傘を見て、気持ちを改める。
 世界を鉄の藻屑に変える。そのためにはこのビニール傘が必要なのだ。
 「その汚いビニール傘なに?」
 「これ?拾った」
 「あ、そう」
 「うん。じゃあ、部屋に戻るね」
 と母の追求もうまくすり抜けて、部屋に戻って、子どもの頃から使っている勉強机に折れたビニール傘を置く。
 私はこれを使って身体を鉄に変容させて、それで世界を鉄の藻屑に変える。
 というわけで、きたないビニールを剥がして、骨組みだけにして、その折れた骨を一本一本採取する。
 その一本の骨を私はセロテープで身体にくくりつけて完成。
 『鉄男』では鉄のボトルを足に埋め込んでいたけども、私も同じことをしている。ビニール傘の骨を身体に埋め込んだ私は鉄に一歩近づいたはずだ。
 うぃーん。うぃーん。と腕を動かす度に、自分の声で唸らせてみる 。

 なにやってるんだろう。

 これが、世界を鉄の藻屑にするということにつながるのだろうか。

 つながるわけがない。
 私は、セロテープを引きはがして、骨をまた勉強机に置いて、それからリビングへ行く。
 「あ、さちこ」
 と母に呼ばれる。
 「何?」
 「今度、産業医さんと話す日っていつだっけ」
 「今週の金曜日だよ」
 「明後日ね」
 「なんで」
 「なんとなく気になってね」
 「うん」
 「今日、カレー作るから手伝って」
 「わかった」
 そうして会話は止まって、私と母はテレビを見た。テレビでは相撲中継が流れている。肉でぶよぶよの人々がぶつかり合っては人々が歓声をあげていた。


 「さちこさん。最近の調子はどうですか?」と会社の近くの喫茶店 で私は産業医さんと面談。
 「調子ですか。相変わらず悪いです」
 「そうですか」
 「・・・長いですよね」
 私が会社に行けなくなってからそろそろ一年が経とうとしていた。

 「いえいえ。大丈夫ですよ。焦らずです」
 「はい」
 「さちこさん。最近は何か目標みたいなものはできましたか?」
 世界を鉄の藻屑に変えることです。なんてことはいえない。
 「週五で外に出ることです」
 「素晴らしい」
 「でも、全然外にでることができなくて、引きこもってばかりです 」
 「大丈夫ですよ。最初に比べたら良くなってますから頑張りましょうね」
 「はい」


 そつがなく面談は終わって、産業医さんと別れて、私はどうすることもまたできなくなる時間が訪れる。とりあえず私は会社を遠くか ら眺めることにした。
 世界を鉄の藻屑にするならばここを中心点にすべきだと思ったのだ 。なぜなら会社=世界であったわけなので世界を鉄の藻屑に変える ならばここが中心点だと思ったからだ。
 しかし、私は特に会社に対して恨みがあるわけではなかった。
 会社に行けなくなったのも、引きこもりになったのも、トリガーは この場所だけども、だからといってあそこに居た人を全員鉄の藻屑にするのは何か違う気がする。
 私は、私で悩む。
 あれ、私が恨んでいるのは世界だけども、人を恨んでいないとすると、私が恨んでいるのは何になるんだ?
 漠然とした世界というものを恨んでいるが、具体的に恨んでいるものがあまりにもないことに気がついてしまって、私は困惑する。
 すると「あ、さちこさん」と同期の鈴山くんに出会ってしまって、 私は動悸がとまらなくなってしまって、逃げる。
 「逃げないでさちこさん」
 「私は今、休職中なので、鈴山くんに合わせる顔がないのです」と 一気にまくし立てると鈴山くんは笑って近づく。
 「大丈夫です。僕も今サボっている最中なのでー」
 「大丈夫?」
 「うん。もうちょっとサボらせてよー」
 と、鈴山くんとさっきまで産業医さんと面談に使っていた喫茶店に また入って喋ることにする。

 「さちこさん。なんで会社の近くにいたの?」
 「今日、ここで産業医さんと面談があって」
 「ここで?」
 「うん」
 「あーじゃあ、ごめんねー」
 「いいよいいよいいよいいよ」と短時間にいいよを繰り返していい ってことを私は強調する。
 「他の同期は元気にしてる?」私は聞く。
 「軸谷さんはやめたよ。太宰府さんもやめたし」
 「あら」
 「今残ってるのはさちこさんと僕だけだよ」
 「でも、私も今は引きこもってるし」
 「だからもう辛いよー」と鈴山くんはのんきに話す。
 その姿を見て、鈴山くんを鉄の藻屑に変えるのはやめておいたほう がいい気がする。鉄の藻屑に変えるには惜しい人材だ。こんな人間 を鉄の藻屑にするとバチが当たる気がする。
 「さちこさんは最近は何しているの」
 「私は、何もしてないです。ずっと家に引きこもってる」
 「そうなんだ。なんかやりたいこととかあるの?」
 「えーと」
 世界の鉄の藻屑に変えてやりたい。
 なんてことはやっぱり言えない。
 でも言ったらわかってくれるかな。
 わかってほしいな。
 でも、馬鹿にされるだろうな。
 「・・・」
 「まあ、おいおい見つかるよー」鈴山くんはのんきにそう言ってくれる。いや、あるのだ。本当はあるのだ。でも、言うと馬鹿にされるから嫌なのだ。鈴山くんもろとも鉄の藻屑に変 えてやりたいなんてそんなこと言えない。 キチガイだって思われてしまう。
 そもそも、もう私はキチガイなのか?そんなことを考えている時点で、だめなのかもしれない。でも、思ってしまったんだから仕方ないんだ。
 「・・・ありがとう」と形式的に答える。
 「僕は最近、つらくてねー」
 「そうなんだ」
 「なんか、生きづらくてしかたないよー」
 間が生まれてしまった。
 でも、鈴山くんも生きづらいのかと思った。あののんきそうな鈴山 くんでも生きづらいのか。私はすこし感動している。少し、だけ世 界が広がった気持ちがした。だから言う。 
 「・・・鉄男」
 「うん?」
 「鉄男って映画があって、それを見たらいいと思う。昔の映画だけども、なんか今の鈴山くんにはぴったりだと思う。変な映画だけど も、でも生きづらい人にはとてもおすすめ」
 「鉄男?鉄に男?」
 「うん」
 「そっかー。見てみよかなー」
 「うん」
 「さちこさんって映画好きだったんだね。知らなかったー」
 「うん」
 私はそういえば、同期であるということくらいしか鈴山くんに自分 のことを解放していなかった。初めて鈴山くんに自分を少しさらけ出した瞬間だった。


 鈴山くんとの会話も終わって、私たちは別れて、それから私は駅に 向かわず、駅の近くに流れる川を延々と見ている。
 鈴山くんが鉄男を見たらあのラストシーンで感動してくれるかな。

 「さちこさん。僕もこの世界を鉄の藻屑に変えてやりたいと思った よー」って言ってくれるだろうか。
 そんなことはないだろう。
 他人とはわかり合えないものだ。私はこれまでの人生でそれを痛いほどわかっているはずじゃないか。
 でも、それでも、同じ感情をもし持ってくれたら。
 鉄男のラストのように、鉄男の二人が合体して、この世界を鉄の藻 屑に変えてやると宣言するシーンのように、私と鈴山くんでこの世 界を鉄の藻屑に変えてやるのだ。
 私と鈴山くんで?
 鈴山くんと二人っきりで?いやいや、それはない。変なことを考え てしまった。
 しばらく父と母と産業医しか喋ってなかったせいで、変な感情が生まれてしまった。よくない。これはよくないことだ。
 私は川を見つめながら思う。流れゆくこの川も鉄さびに変える能力 があれば、うまくやれたのかなと思う。
 私は自尊心がなくて、私はうまくやれることができなくて、私は何の能力もなくて、私は好きな物があんまりなくて、私は人の顔色ば かりを見ていて、私はどうしようもないから、私は私になってしま った。
 だから、何か一つでも秀でたものがあれば、うまくやれたのかもと思う。
 鉄さびに変える能力があるんだと思っていたら、私は力強くなれていたのかな。
 わからない。
 私はポケットから煙草を取り出して、吸うことにした。
 川沿いは風が強くてなかなか火が付かなかった。


 家に帰って自室に戻ると、あのビニール傘の骨がそのままになって いた。
 私はもう一度腕に取り付けてみる。うぃーん。うぃーん。喉を唸らせる。それで思う。この部屋をまず鉄さびに変わる瞬間を。
 勉強机が鉄さびに変わる。置きっ放しの教科書が鉄さびに変わる。 卒業アルバムが鉄さびに変わる。私の嫌な思い出が全部鉄さびに変 わる。
 全てを鉄の藻屑にする。
 この世界を鉄の藻屑にするならばまずは私の部屋からだ。
 中心点は会社じゃない。
 世界=会社じゃない。
 中心点はあくまでここだ。この部屋だ。
 私の世界の中心点はここだ。
 世界=私の部屋だ。
 ここを変えなきゃいけない。
 だから、私は捨て始める。
 ゴミ袋を母に貰って、自室のいらないものを捨て始める。
 10年以上前の教科書を捨てる。テスト用紙を捨てる。ノートを捨 てる。いらないCDを捨てる。いらない漫画を捨てる。いらない雑 誌をすてる。いらない服を捨てる。よくわからないものを捨てる。 捨てる。捨てる。捨てる。捨てる。捨てる。捨てる。
 ビニール傘を捨てる。
 捨てることで、この物達を鉄さびに変えてやる。
 私には世界を鉄の藻屑に変える能力なんてない。
 でも、捨てることで鉄さびに、藻屑にかえることはできる。
 だから、捨てる。捨てる。捨てる。捨てる。


 部屋の半分を捨てきったところで、私は涙が止まらなくなる。うぉんうぉんうぉんと涙が止まらない。うーわーと涙が止まらなくなる 。私は思い出を捨てるということに耐えられなくなってしまった。 鉄さびに変えるのだ。なんとか世界を変えるのだ。
 と思って、なんとか進めようとするけども、無理だ。
 私は手が動かなくなって、涙がとまらない。
 なので涙が止まらないまま、リビングに行く。
 母が、相撲中継を見ていた。
 「あら、泣いてるの」
 「うん」
 「なんで」
 「鉄さびに変えてたらなんか涙が止まらなくなった」
 「何言ってるの」
 「何言ってるんだろう」
 「とりあえず、ロールケーキ買ったけども食べる」
 「食べる」
 鉄さびに変えるのはやめてロールケーキを食べることにした。ロー ルケーキはとても甘かった。
 テレビでは今日も相撲中継が流れていた肉と肉がぶつかり合って人 々が歓声をあげている。


 世界を鉄の藻屑に変えるのは難しい。
 鉄男には「本気で世界を鉄の藻屑に変えてやろう」という気持ちが 封じ込められているけども、それは物語の中でだ。
 これは30年も前の映画だけども、それから世界が鉄の藻屑になったわけではない。
 現実には簡単には変えれない。現実には簡単に敵わない。
 だから、世界の中心点をまず自力で変えることが必要だ。
 私はそれから鉄男を何度も見返す。
 そして、そのたびに「世界を鉄の藻屑に変えてやろう」と思う。
 でも、そんなことは絶対にできない。
 だから中心点である私の部屋をまずは捨てさる。
 沢山の物を捨てる。
 私は私の能力で沢山の物を捨てることに成功する。
 泣きながら沢山の物を捨てる。
 世界を鉄の藻屑に変えていく。


 数日後、鈴山くんからLINEが飛んでくる。
 「鉄男を見たよ」
 「どうだった」
 「変な映画だねー。わけわかんなかった」
 「ああー」
 「でも、最後の世界を鉄の藻屑に変えてやるってところ、感動した 」
 「本当!?」
 「うん。僕も世界を鉄の藻屑に変えてやりたいなーって思っちゃっ たよー」

 世界を鉄の藻屑に変えてやりたいと思ったのは私1人じゃなかった。そもそもは塚本晋也監督がこの世界を鉄の藻屑に変えてやりた いと思って作ったわけで、そして、その映画を流れ流れて私が見て「世界を鉄の藻屑に変えてやりたい 」と思って、私に勧められて見た鈴山くんも同じことを思った。
 世界は変えられる。
 鉄の藻屑に変えられる。
 そのためには思うことが必要で、一緒に思ってくれる人が必要で、 そして出来る範囲から鉄の藻屑に変えていかなきゃいけない。
 そうすれば、世界は必ず変えられるはずだ。
 絶対にできるはずだ。


 でも私はまた涙がとまらなくなって、リビングに行く。
 リビングでは母が掃除をしていた。
 なんでと聞くと、「さちこが掃除をしていたから、私もしようと思って」と帰ってきた。
 徐々に変わりつつある。
 行動をすれば、何かが変わる。
 それが「この世界を鉄の藻屑に変える」ということなのだ。
 でもそれは私1人じゃ無理だ。
 多くの人の協力が必要だ。
 世界を変えるには1人でも多くの人の協力が必要だ。
 私のことをわかって貰う人の力が必要だ。
 そのためには私は私であることをもっと外に出すべきなのだ。
 好きな物を人に伝えることが必要なのだ。
 私が何を考えているかを伝えるのが必要なのだ。
 「お母さん」
 「何?」
 「世界を鉄の藻屑に変えてやりたいって思ったことある?」
 「無いに決まってるじゃない」
 「そうだよね」
 そうなのだ。そりゃそうだ。みんながみんな思ってるわけじゃ無い 。
 でも、それでも捨て去っている。世界を変え始めている。
 だから、100%私に同意できなくてもいい。
 世界が変わるならそれでいい。
 「私も掃除手伝う」
 「あら、ありがとう。じゃあ、そっちの本の整理手伝って」
 私は手伝いながら、テレビをちらちら見る。
 テレビでは相撲中継が流れていた。
 私はもしこの人達の身体が鉄になって、鉄力士になって、ぶつかり あったらもっと面白いのになあと思った。
 鉄の藻屑になった場所で鉄力士が戦い合う。そんな日がやってくる のを夢見て、私は私の世界をちょっとずつでも変えていく。
 その夢を今度鈴山くんに言ってみようと思う。
 多分、なんでって言われるかもだけども、それでも、言わないよりはましだ。
 世界を徐々に変えていくことが鉄の藻屑に変えることの最大の近道なのだ。

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どてらねこのまち子さん「素直なにゃんこ」

 どてらねこのまち子さん

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素直なにゃんこ。

 

 「素直なにゃんこですー。素直なにゃんこですー!」

 とどてらを着た二足歩行で喋るねこのまち子さんが街角で叫んでいた。

 どうしたのだろうと思って、私は近づいてみた。

 「どうしたんですか?まち子さん」

 「あ、山本さん。こんにちは。」

 「私は岸本です」

 「あ、岸本さん。すいません。いつも間違えちゃって」

 「いえいえ」

 「素直なにゃんこですー。素直なにゃんこです-!」

 「その素直なにゃんこってのはなんですか?」

 「あ、これです」

 とまち子さんが見せてくれたのは銀色の猫型ロボットだった。

 「これは?」

 「猫型ロボット“素直なにゃんこ”です」

 「素直なにゃんこ」

 「はい。猫ってあまのじゃくでしょう。そんな猫への不満を解消するために作られた猫型ロボット“素直なにゃんこ”です」

 「まち子さんが作ったんですか」

 「はい」

 えっへんと言わんばかりに腰に手を当ててまち子さんは胸をはる。

 「まち子さんってロボット作れるんですね」

 「喋って二足歩行する猫ですからね。無理なことなんてないんですよ」

 「まち子さん凄い」

 「うにゃにゃにゃにゃ」

 とまち子さんは顔をほころばせて喜ぶ。

 「しかし、素直なにゃんこって名前は伝わりづらいですね」

 「そうなんです。なかなか、ロボットってことわかってもらえなくて」

 「うーむ」

 私は考える。

 そうだ。

 「素直なにゃんこをこの場で実際に動かしてみてはどうですか?」

 「なるほど!」

 

 


 素直なにゃんこは全身メタリック。可動する度にぎぃぎぃっと歯車の音が聞こえる。

 しかしそれ以外は猫そのものの動きをしていた。

 つまりは4足歩行で、喋りはしない。まち子さんとは真逆の構造。

 「喋る猫ってそういえばなかなか見かけませんね」

 「どこかには居るみたいなんですけどもね」

 「へえ」

 「なかなか出会えないんですよ」

 「素直なにゃんこは喋る猫にしなかったのですか」

 「うむむむむ・・・その観点はなかったです・・・」

 うーみゃ。と素直なにゃんこが鳴く。にゃーご。

 確かに普通の猫に比べたら過度になついているように思える。

 「素直なにゃんこでしょう」

 「素直かどうかはわかりませんが、確かに人によくなついている気がします」

 「あと、機能としては芸ができるんですよ」

 「へえ」

 「いけっ素直なにゃんこ!バク転宙返りだ!」

 とまち子さんが命令すると素直なにゃんこはぎぎぎぎと歯車の音を立てながら、バク転を始めた。

 そのまま素直なにゃんこはバク転をしすぎて、道路に出てしまった。

 「あっ」とまち子さんが呟いた瞬間、素直なにゃんこは8トントラックにひかれて粉々になってしまった。