にゃんこのいけにえ

映画と音楽と本を中心にいろいろと。

アンソニー・ドーア『すべての見えない光』を読んだ!

 アンソニー・ドーアの「すべての見えない光」を読んだ!

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 最近、友人たちと読書したらその感想を投稿するためだけのグループラインを作りまして、そこで後輩が「もの凄くよかったです」と大絶賛していたのがこの「すべての見えない光」でした。
 その後輩の熱量があまりにも凄かったので、これは読まねばならない本だと思い、速攻で読み始めたら、ぐいぐい引き込まれて「うわーこれすげー本だ-!」ってなって、なって、なりつづけて、読み終えていたという感じでした。
本当凄い本でした。
今、人から「なんか一冊だけ勧めてよ」って言われたら秒で「すべての見えない光」って早口で言っちゃうと思う。それくらいです。はい。

 


しかしこんな「すごかった!すごかった!」と神輿を担ぐ時のかけ声のようなテンションをまき散らしていても、本の魅力や感想は伝わらないわけです。
ではここからはつたないですが感想を書かせて頂きたいと思います。

この本に出てくるいわゆる主人公と呼ばれる立ち位置の人は二人いる。フランス・パリに住んでいた盲目の少女マリー=ロール。
そしてドイツの炭鉱町に住んでいた白髪の少年ヴェルナー。
この二人が歴史に巻き込まれ、思いもよらない運命の流れに身も心も引き裂かれ、そしてある一瞬の邂逅が・・・というお話です。
大きく言えばボーイ・ミーツ・ガールものと言えると思います。
しかし、この作品はミーツが凄いのです。ミーツに至るまでが凄いのです。
そしてそのミーツに大きく関わるもの、それが「ラジオ」なのです。

 

 

突然自分語りをするのですが、僕はラジオっ子でした。小学生の頃にラジオを買って貰ったのを機に、どこ行くにもラジオを片手にあちらこちらしておりました。関西にずっと住んでいたのもあってもっぱら聞いていたのはFM802でした。
好きな音楽のあれやこれやはだいたいFM802で教えて貰ったようなものです。
ラジオを聞いたことがある人ならわかると思うのですが、ふと流れてきた音楽に耳も心も持ってかれたことってありますよね。
名前も知らない人の音楽に、まるで恋に落ちたような気持ちに、いや、そんなものじゃない、この世界が書き換えられるようなそれくらいの気持ちになるようなこと。

またはAMラジオ好きに特に伝えたいのですが、ある時に話していた会話が数年後、もしくは数十年後突然フラッシュバックすることってないですか?
ある人生の局面において「あ、これあのときしゃべっていたことだ!」ってなることって。

僕はあります。
そしてこの小説はそれを思い出しました。

 


ドイツの炭鉱町に住むヴェルナーはある日ゴミ山から拾ったラジオを修理してもう一度音が流れるようにします。
そしてある夜そのラジオは月光のメロディーと共に「科学についてのお話」を流すのです。

ナチスドイツの占領によりパリを追われたマリーは大叔父が住むフランスの要塞都市サン・マロに身を寄せることになります。
そしてその大叔父の家の6階には、その「科学番組」が収録されたレコードが。そして番組を電波に乗せるための送信機があったのです。

マリー=ロールは、ヴェルナーはその後辛い運命が待っています。
特にヴェルナーは友人を救えなかったことや、戦場での体験で人間性を失っていきます。

マリーも多くの人を失っていきます。その中で心の支えになるものがジュール・ヴェルヌの「海底2万マイル」でした。

 


ヴェルナーがもうだめだとなったとき。マリーがもうだめだとなったとき。
マリーは送信機を使って叔父が聞いているかもしれないと思い「海底2万マイル」の話を聞かせます。
そしてその声はヴェルナーに届きます。そしてその時あの「月光」も耳に届くのです。
その瞬間、彼は確かに感じるのです。生きる希望を。そして失っていた人間性を取り戻すのです。

 


この本には強く強く感動しました。しかし、僕は未だそれを言葉にすることができません。でも人間性を失っていた者が、音楽で、そして物語で取り戻していく姿には心が強く打たれました。
戦争は強き者だけが得をするようなことです。
僕のような弱い人間はあっという間に淘汰されてしまうでしょう。
この本に出てくる人々は歴史に名を残すこともない弱い人々ばかりです。
でも、皆、小さな希望にすがって生きていきます。
闇に包まれそうになっても、誰かが生み出した希望は新たな火になることを伝えます。

生きていた人々の声や希望は、この世界に漂って誰かに届く。
そんな文章がこの本の最後には書かれています。
先日見たロロの「父母姉僕弟君」もそんなことを言っていました。
アンソニー・ドーアさんも、ロロの三浦さんも、二人とも強く願っているのです。この絶望に目を向けようと思えばいくらでも向けることができる世界で、1人1人が生きていたことの意味ってなんだろうかと。
意思は残る、希望は残る、言葉は残る。
それは確かに見えない。
でも頭蓋骨に覆われた脳が光を感じることができるように、それらも見えないけども確かに光なのです。
そしてそのときに、そのときとは「希望」を伝えないといけないときに、その出力を最大にするものを使わなきゃいけない。
希望を物語の形にしたり、音楽の形にしたり、そしてそれをラジオに載せて、遙か遠くまで飛ばさなければいけない。
それを誰かが受け取るかもしれない。
そしてその受け取った誰かは新たな希望を生み出すかもしれない。

 


この本は全編がまるで詩のような文章で綴られています。
特に印象的なのは世界に対する細やかな描写です。
世界のありとあらゆるものが生命力をもって描かれているのです。
イースタン・ユースの名曲「一切合切太陽みたいに輝く」を思い出しました。
アンソニー・ドーアさんのこの文章は世界への多幸感が溢れているようで、そして文中の言葉を引用するならば「目を閉じる前にできるだけ多くのものを見て」きた人の言葉のようにも思うのです。
僕には知らない鳥がまだまだ多くいる。知らない貝が多くいる。知らないこの世界の法則がまだまだある。知らない人々が沢山いる。
知らないもの。それを知ってしまったらまた世界は、一切合切が太陽のように輝き始めるのです。

 

 

500ページにもなる大作ですが、驚くほどさらりと読めてしまうのはまるで短編小説のような小さな章の積み重ねだからでしょう。
読書が苦手だと言う人も読みやすい本のように思えます。
ここまで書きましたが、相変わらずこの本のこと、何も伝えれている気がしません。
でも、鳥のこと、貝のこと、ラジオのこと、ジュール・ヴェルヌのこと、そしてまだまだ知らないいろんな世界のことを知っておきたいと思いました。
多くの、小さな小さな積み重ねは、2人の一瞬の邂逅を生み出しました。
その瞬間はずっとずっと続いてほしいと、そう思います。
別れの時はやってきます。
でも、それでも残り続けるのです。
その邂逅は残り続けるのです。
その奇跡に触れた瞬間「この本を読んで本当によかった」と強く思えたのでした。

 

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

 

 


 

どうしようもない日々の話

また関東の方の家に帰ってきたはいいものの、連日とにかく寝続けている。
とにかくは本当にとにかくだ。
日中はほぼ寝ている。ずっと寝ている。そして夜は12時なれば寝ている。7時ぐらいに起きてご飯を食べたらまた寝ている。昼になってお昼を食べたらまた寝ている。食べて寝るの繰り返しでどんどん太っている。
あまりにも寝続けていて本当に生きていて申し訳ないなって気持ちがハイパー高まっているわけだけども、でも睡魔があまりにも強すぎて争うことができない。
私はとにかく寝続けている。とにかく寝ている。

 

 


先日実家にまだいた時の話だけども、電車に乗っている時に耐え難いくらい辛くなってしまった。本当に死んでしまうかと思うくらいの辛さが襲いかかってきて、マフラーに顔を埋めて何度も深呼吸した。座っているのに汗がだらだらと出て、何度もダメなんじゃないかと思ってしまった。
電車を降りるとストロングゼロを買って、辛くてもこれさえ飲めばなんとかなると言い聞かせて歩いた。
家に帰ってストロングゼロを開けた。
朝起きると酷い二日酔いに襲われてトイレにこもった。

 



関東に戻ってきたら、家が汚かったので、1日寝込んだ次の日に掃除をすることにした。
先日、友人からなんとルンバを貰ったので、部屋中をルンバが動けるようにして、ルンバを起動させた。
ただそれだけなのに疲れ果ててしまって、汗もだらだらかいて、綺麗になった床でまた寝続けた。

 


寝続けた後にこんなんじゃダメだと思って図書館に行った。
でも1時間くらいとても虚しい気持ちに襲われて何にもできずに、図書館の椅子にぼんやりした表情でただただ座り続けるやばい人になっていた。
1時間くらいしてから読んでいたアンソニー・ドーアの『すべての見えない光』の続きを読んだ。
読んでいくうちにどんどんとのめり込むことができた。
少しだけ虚しい気持ちはなんとかなっていた。

 

 

寝続けていると自分はどうしようもない人間な気がして、そして社会に戻れない気がして仕方ない。
社会人の頃にやっていた、色んなことが今ではできないような気がしている。
じゃあ、どうすれば。という話なのですが、ほんとどうしたらいいんだろうね。

 

 

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短編小説『ダンボール箱のさとこさん』

 さとこさんが頭にダンボール箱を被って出社してきたのは月曜日のことであまりの異様さに誰もなにも言えなかったから1番年下の僕が聞きに行くことになってしまった。
 さとこさんは僕の5つ上の女性の先輩だ。さとこさんはあんまり口数は多くなくて、細いフレームのオーバルの眼鏡越しの伏し目がちな表情が印象的な人だった。いつもまじめに仕事をする。変わったことはしないし、する印象もない。
 それが週を開けると突然頭に箱を被って出社してきて、いつもと同じように仕事をし始めたのでみんな戸惑いに戸惑っているのだった。
 僕は様子を伺いながらさとこさんに近づいて、改めてこの状況を見る。
 さとこさんは頭にダンボールで出来た箱を被っていた。正面、背面、両側面にはそれぞれ簡易的な表情が付いていて、今の正面は黒丸が二つに横棒で出来た口が一つでどうやら標準の顔ってことらしい。
 さとこさんは箱を被っている以外はいつも通りの仕事をテキパキとやっていた。
かたかたかたかたと事務仕事をこなしている。
ただその異様な光景にさとこさんの前に座っている1番年上の間宮さんは怒っているような表情をしている。
 その間宮さんの顔を見て、怒りの鉄槌がさとこさんに落ちる前に僕はさとこさんに話しかけることにする。
「あの、さとこさん?」
さとこさんは僕に振り返る。簡易的な顔がこちらにむく。
 箱を被っている以外は普通の格好。紺のカーディガン。白のシャツ。社員証。紺のロングスカート。至って普通の格好。
「えーと…なんて言えばいいんだろう…」
「この箱のことですか?」
 さとこさんから返事がきてぎょっとする。なにもぎょっとすることはないけども、箱を被ったさとこさんから声が出たというのが妙に異様で、僕はいまいち現実を処理できない。
「そうです、その箱のことで」
「今日から被ることにしました。……だめですか?」
 そう言ってさとこさんは頭の箱を回転させる。    そうすると側面が正面にむく。そこには目の部分がバツになっていて、口の部分は波線でどうやら「駄目」な時用の表情みたいだ。
「いえ、駄目じゃないんですけども…」
僕の発言に間宮さんが怒りの矛先を僕に変えたような表情をする。間宮さん、怒るのは少し待ってください。
「大丈夫です。分かってます。これが変ってことも。でも、これでいさせてください。それ以外は全部ちゃんとしますから」
 さとこさんは落ち着いていて、それでいて力強くそう僕に伝える。僕は押しに弱いのでそう伝えられるとなにも言えない。
「あーわかりました。さとこさん。全然大丈夫です。というか僕が決めることじゃないですけども。でも、大丈夫です」
 そう伝えるとさとこさんは箱を回転させる。
 笑顔になっている。
 僕はホッとする。
 それでさとこさんはまた仕事に戻って、僕も席に戻る。
 そうすると部長がやってきて「さとこのやつ、なんて?」と聞かれたので「箱は被るけども仕事はちゃんとやるので許してほしいとのことです」と伝えると部長は「うーん。そうかー。うーん。うーん」の悩みながら席に戻っていった。
 よくよく見渡すと今日の職場はみんなさとこさんに注目している。なにがあったんだ。気でも狂ったのか。僕とさとこさんはなにを喋ってたんだと僕の耳には次々飛び込んでくる。
僕の胃はキリキリと悲鳴をあげるが、さとこさんは全く気にしていない様子で仕事を続けている。

 

 さとこさんがその次の日も、またその次の日も箱を被って出勤する。頭にダンボールで出来た箱を被っている以外はこれまでと同じようにさとこさんは振る舞う。なにも変わってないように。
 みんなは戸惑っている。露骨にさとこさんに対して悪口を言っている人も増えた。
 間宮さんは水曜日の朝、さとこさんを呼び出して怒鳴りつけた。でも、さとこさんは箱を取ることはしなかった。
 間宮さんに怒られた後、さとこさんは目の部分が8割くらいの月の形をしていて、口が三角形の表情を正面に持ってきている。
 多分、怒っているってことなんだろうなと僕は思う。


 その週の終わりにはさとこさんのことを箱子さんって誰かが呼び出して、そのあだ名が定着する。
 みんなこっそり呼んでいたのに、山本先輩がうっかりさとこさんに箱子さんと呼んでしまう。「あっ」と固まってしまった山本先輩に「箱子でいいですよ。箱子です。よろしくお願いします」とさとこさんはお辞儀をする。
 それから公然とさとこさんは箱子さんと呼ばれるようになった。
 そして、さとこさんはその週の間、何度も上司の人や総務の人と話したりしている。
呼び出しを受けて席を外すことも多い。
 さとこさんは多くの人から何故箱を被っているのか聞かれ続ける。精神の病気も疑われる。みんなうろたえる。でもさとこさんだけはずっと平然としている。


 部長が僕のところにやってくる。
「あのよーさとこのことなんだけども」
「はい」
「また話しかけてくんねえか」
「えーとなにを聞けばいいんですか」
「なんつうか、なんで被ってるのか、俺たちには言ってくれねえんだよな」
「でも、僕にも言ってくれないかもですよ」「あれになって初めて話しかけたのお前だし。また行ってくれねえか」
「えー」
「頼むわ。今日はそれを最優先で」
 まじですか。と思った時には部長は消えてしまっていた。
 僕はしばらく悩んだ後、社内に空いている会議室があることを確認したのちにさとこさんに話しかけに行く。
「さとこさん」
「はい」
「会議室で少しお話ししたいんですけども」
「今ですか?」
「そうですね…すいませんお忙しいのに」
さとこさんは目がバッテンの表情に切り替える。
「すいません…」と僕は謝る。
するとさとこさんは箱を回転させてニコニコ顔にする。
「冗談です。いいですよ。行きましょう」
 さとこさんと僕は連れ立って会議室へ向かう。  社内中の人が僕らを見ている。好奇心と、妙な笑み。多分僕とさとこさんのバランスに笑っているのだと思う。さとこさんは身長が170くらいあるけど一方僕はそれよりも小さい。だから箱を被った長身の女性と、それについて行く小さな後輩の図がおかしいのだと思う。
 僕もそっちの立場なら笑っているだろうと思う。

 


 会議室でさとこさんと向き合う。今の表情は黒丸が二つ、横棒一つ。ノーマルな表情。改めてじっとさとこさんを見るとその異様さにたじろいでしまう。
 僕は何から話を聞けばいいかわからず、口ごもる。
「なんでこれを被ってるかですよね」
 沈黙を断ち切ってくれたのはさとこさんだった。
「あ、そうです」
「ありきたりな理由ですよ。コミュニケーションに疲れちゃったとかそういう理由です」
 さとこさんは相変わらず落ち着いたトーンで話す。
「そういう理由なんですか」
「はい。ありきたりでしょう」
「ありきたりかわかんないですけども……」

 沈黙が始まる。僕はつぎに聞く言葉を探す。

「さとこさん…えーと、聞いていいかわかんないですけども…そのー、コミュニケーションに疲れたって思うに至った要因とか原因とかはあったんですか…?」
僕はおずおずと聞く。
さとこさんは首をひねる。
「……全部かな」
「全部?」
「生活の全部です」
僕は納得したような、してないようなトーンの「あー」を言って、また黙る。
どうしよう、また会話が終わってしまった。
何か、話さないといけない気がする。えーと。えーと。ふと前を向くと黒丸が二つに横棒一つの表情。深刻な話にそぐわないほど、能天気な表情。
「あの…さとこさん、その表情、いいですね」
僕はふとその感情をもらしてしまう。
「…そうですか?」
「あ、はい。なんか……その黒丸と横棒の顔がなんか能天気で…というか、昔見た子供番組のキャラクターみたいで、可愛らしいです」
沈黙が入る。

へんなことを言ってしまったかもしれないと怖くなる。

 するとさとこさんは箱を回転させる。ニコニコ顔が正面にむく。
「私、これ、気に入ってるんです」
その姿が妙に素敵に思えて僕は「さとこさん、なんかかっこいいです」と言ってしまう。
さとこさんは「ふふふ」と笑ってお辞儀をする。



 その日はずっとさとこさんの言ったことがぐるぐると回る。さとこさんは生活の全てが疲れてしまって箱を被ることにした。生活の全て。何もかも嫌になってしまったのかな。
でも、社会と接点を持たなきゃいけない。生活が嫌になっても生活を続けなきゃいけないから。
それの妥協点があの箱だったんだと思う。
奇をてらっているわけじゃなくて必死の生存戦略があの箱だったのだろう。
 さとこさんの方をチラッとみる。側面の怒りの顔がこちらに見える。
 さとこさん、本当はずっと怒っているのかもなあと思ってしまった。

 


 僕は部長に軽く説明をする。
 部長はもごもご言って納得はしてないけども、仕事に支障はないみたいだと判断してさとこさんを追求するのはやめることにした。
 そのあとの日々もさとこさんの元には産業医やカウンセリングやらがたまにやってきて、その度に席を外す。
 心療内科通いも始めているらしい。
 社内ではさとこさんへの悪口はまだあるし、間宮さんはまだ怒っているっぽい。

 でも、さとこさんは相変わらず会社に来ている。
 ダンボール箱を被って。4つの表情を器用にぐるぐる回して。
 僕はその姿がとてもかっこいいと思う。
 なので今日はさとこさんに話しかけにいく。
 さとこさんと取るに足らない話をしようとする。
 ちょっとした冗談にさとこさんは「ふふふ」と笑って、笑顔の表情に切り替える。
 その姿が妙に愛おしくて、そしてかっこよく思えて、僕はさとこさんのことを尊敬してしまう。

 

 

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世間のフロアで叫びたい27歳男性

就活していた時、あるお菓子会社の最終面接まで行ったんですけども、そこの最終面接がいわゆる圧迫面接で「だって君はB型だからうまくやっていけるとは思えないんだよなー」って血液型で煽られたんですよー
ってここ数年僕は傷を癒すように言い続けていたんだけども、まさかその会社で20歳の子がパワハラ長時間労働の果てに自殺をしたってニュースが流れるとは思わなかった。
まあ、ニュースになっているのでもう名前を出しますとゴンチャロフです。


僕は就活をしている時、本当にここに行きたいなって思っていたし、圧迫面接を受けた後でも、落とされたことを知った後は随分とショックを受けた。
落とされたって連絡が届いた瞬間はコンビニバイトに入っていたんだけども、それを聞いた後は虚ろな顔で品出しをしたことを覚えている。
そのあと、家で聞いた田我流の『やべー勢いですげ〜盛り上がる』の「だってどこかで誰かが俺らを待ってる そんな気がする そんな気が」ってヴァースに泣きながら、俺もどぅーんどぅーんばぁーんばぁーんしなきゃなって心機一転したのであった。

というわけでなかなかにショックなニュースだった。DA PUMPなみに人生に対してもし(if…)を考えると、俺はもしかしたらゴンチャロフで働いていたかもしれない。俺は、多分、うまくいっていなかっただろうなと思う。うん。だから、落ちたんだ。そうだよな。そうだよな。

 


僕は就活を2年やった。だから人よりも何かを得たってことは一切ない。ただただ生きるのが下手くそだったから2年かかっただけだ。
知り合いは僕の姿を見て「就活は時間をかければいいものではない」と悟ってめっちゃ頑張ったそうだ。その結果、いいところに入れたなら、2年かかったことにも何か意味があったのだろうと思える。

就活を2年やった後、僕は空っぽになってしまったような気分になった。自分の中にはもう何も残ってなくて、話したいことも、やりたいことも、書きたいこともなんにもないような、そんな気分に。
しかも終わったのが1月だったので、あれよあれよと就職をして、自分には何にもないと思いながら働いて、働いて、働いて。
気がついたら休職中で、数ヶ月経ってこんな風にブログを書くようになってから、まだこんなに書きたいことがあったんだと驚いている。

 

 

何が言いたいかわからなくなってきたので、最近見たドラマの話をする。
Amazonオリジナルドラマの『マーベラス・ミセス・メイゼル』の1話を見ました。

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舞台は1958年のニューヨーク。そこの高級住宅に住むミッジ・メイゼルは夫に二人の子供と完璧な生活を手に入れていた。
しかし、ある日夫が出ていったことで生活は崩壊。そしてメイゼルはひょんなことからスタンドアップコメディの世界に足を踏み入れる…
というものだ。
冒頭からメイゼルさんがとにかく喋る喋る。もうこれでもかというくらい喋る。その時点で弁がたつ人間であることはわかるのです。メイゼルさんの夫はスタンドアップコメディアン志望で普段は会社の副社長。しかし、彼には才能がないんです。その上、人のネタをパクっている。
メイゼルさんは1話の最後で舞台に立ち、これまでの生活の不満を持ち前の喋りで一気呵成にネタにしていくんです。
これは言ってみればメイゼルさんには冒頭から見えていた才能があったから出来たこと。
しかし、その喋りは世間には向いていなかった。弁が立っていたのは、家族の前、友人の前だけであった。
そのステージに立った瞬間というのは初めて「世間のフロアで叫んだ瞬間(by 星野源)」だったわけです。
ここのシーンが私にとって感動的だったのは、メイゼルさんが言葉を手に入れた瞬間だからです。
あまりにも酷すぎる状況を笑いに変えるというのはセンスと技術と、そしてなにより心からの話したいことがなければできないわけです。
その三つがあったからこそ、メイゼルさんは自分の言葉で世間のフロアで叫んだわけです。そのシーンの痛快なことよ。

 


何が言いたいねんということなんですけども、せっかくこんな風になんでも書くことができる場があるので、自分の言葉でいろんなことを書いていきたいなと思ったんですよ。
感想もだし、昨日のみたいなどうしようもない心境もだし、短編小説もだし、写真もだし。
少なくとも、今は空っぽではない気がするから。だから、とりあえずは、叫びたいことがあるうちはどんどん書き連ねていこうと思います。ここが世間のフロアとは思わないけども、まだ1番世間に近い排水溝など気がするので俺は「あぎゃぎゃぎゃ」と叫んで、それがどこか遠くまで飛んだらいいなと思う。ふつうにいきていたら、俺の叫びなんて部屋の隅っこの霞くらいしか聞いてないわけだけども、どこか遠くまで飛んだのならそれは俺には奇跡に等しいことだと思う。

 

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恥知らずな27歳男性。

 父親から「そんなに休職することになったらクビになるんじゃないか?」ってまるで「そんなに遊んでたらダメになってしまうぞ」みたいな口調で話しかけてきたから、その瞬間に全部ダメになってしまった。
この人は何にもわかってなくて、心配しているだの、正論だのって言って、自分の放つ言葉の責任なんて持とうとしない。
そのくせ「家族でご飯に行けば全て解決する」と思い込んでいて、お前の中の家族ってどうなってるんだよって言いたくなる。
散々人を傷つけておいて、おままごとで家族の絆が修復ってそりゃねえだろ。
僕は腹が立って、床を殴って、テーブルを殴って、自分の顔を殴って、弟を怖がらせてしまった。本当に嫌になった。


次の日、親友に会った。とても楽しい時間だった。本当に本当に楽しい時間だった。
でも別れてしまった後に、帰りたくない気持ちが高まってミスドに逃げ込んだ。
そうしているうちにあれだけ楽しかった時間が身体に残っておらず、泥のように足を絡めてるむなしさだけが胸に広がっていて悲しかった。

次の日、一日中寝込んだ。また息苦しさに包まれていた。頼るものが何もなくて椅子の足をずっと握っていた。
晩になってこの虚しさを物語にしようとした。
物語にする時はスタートはそう言った気持ちでも、主人公は自分から遠くにする。自分の話をしたいわけじゃないからだし、自分の話をするのは気持ち悪い。
自分語りをしたいんじゃなくて、物語の形に昇華してあげたいのだ。
でもそうはならなかった。物語の形にすらならなくて、どうしようもないけども、このブログに載せた。それから後悔した。

 

二週間ほど前、横林大々さんが主催する即興小説バトルというのに出させて頂いて僕は優勝してしまった。ありがたいことに。本当にありがたいことに。
その瞬間、大勢の人に褒められた。ずっと褒められたかったから、その瞬間視界が歪むような気分になった。文章を書くことに少しだけ誇りが持てた。


でも、そんな瞬間も長続きしない。あの瞬間はもはや身体に残っていない気がする。
そのことがとても辛くて、そして何より多くの人に申し訳ない気がしてとても顔向けができない。恥さらしな気さえする。



今日も家にいる。虚しくて、虚しくて仕方ない。サインバルタ60mgが効いているような気がしない。あれほどこれが飲んでいるおかげで意欲的になれました!って言ってた薬なのに。何にも何にも何にも。


"これをきっかけに転職を決めました"みたいなハッシュタグがつけられたツイートを読んでしまった。虚しい時に酷いものに引き寄せられて読んでしまってさらに虚しくなる。バカみたい。
俺がこんな風になっているのはなんでなんだろう。仕事ができない無能な人間だって気持ちがとにかく高まってしまったからだった。それとただ生きているだけで疲れ果ててしまったからだった。
これだけ働いてしまったから、こんな言葉を言われたから、こんなことがあったから、こんな酷いことがあったから。
そんなニュースに出来るエピソードがないのに。
私は馬鹿みたいだ。

 

「思ったよりも元気で安心しました」とよく言われる。だから元気なんだと思ってた。そらから元気なのに休んでる自分が情けないような気になっていた。
もっと好き放題生きたらいいのにな。
なんで誰かの目をビクビクいつも怯えているんだろうな。


何にもいいことがないって声が脳内で響いている。そんなことない。文章も褒められたし、仲のいい友人はいるし、気にかけてくれる人もいる。
なのにその声がずっと響いていて、その恥知らずな姿勢が本当に嫌になる。
何もいいことがないって声がしなくなるためには何があればいいんだ。
何をすればいいんだ。
何をすれば。

 

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