にゃんこのいけにえ

両目洞窟人間さんが色々と書き殴ってるブログです。

超短編「パンはパンでも食べられないものはプロパン」

 パンはパンでも食べられないパンはプロパン。ということで、プロパンガスは食べることができないのであった。プロパンガスが充満する部屋で火をつけると着火BOOMすることはDragon Ashファンタジスタでも書かれていたことだけども、そんなことよりもレゲエフェスにぴったりな静かな曲はありません俺らミクスチャーロックバンドですから。

 ミクスチャーロックは好きですか?ついでに僕のことも好きになってくれませんか?そんな風に告白してみたものの「ミクスチャーロックもあなたのことも好きじゃない」って言われたので、鴨川に入水自殺してみたところ、鴨川の水位が低かったので膝くらいまでしか水がやってこない。

 そんな僕の周りにやってくるのは鴨たち。鴨は僕が死ぬのを今か今かと待っている。僕の死肉を食べたくて仕方ないのだろう。しかし僕は死なないと思って、鴨川の川辺に戻ろうとしたら、カップルがぎっしり座っていて、僕は戻ることができなくて、足を鴨についばまれる。

 世のカップル達に「あんな人間にはなりたくない」というような目線を送られているような気がする。僕はうまく生きていけない。およよ。と嘆き悲しんでいると、空から降ってくるは億万の雨粒。ってことで鴨川の水位はあっという間にあがって僕は流されてしまったのであった。

 そしてたどりついたは海。ひらかれた場所で僕がふふふ~んとブルースを歌うと、腹がぼこぼこっとふくれあがって出てきたのはロボット。ロボットは「ぱぴぷぺぽ~」と叫びながら巨大化。大阪湾を蹂躙しはじめるけども、大阪湾周辺はろくでもない施設しかないので、ロボットはあんまり楽しくなさそうだ。

 何をするにしてもうまくいかないものだなあ。僕は死ぬのに肝心の鴨はいない。せっかく出てきたロボットは楽しくなさそう。どうしたもんかねえ。まあいいや死んでしまおう。さよなら~と僕は死ぬ。

 そうしたこんなで出来上がった曲がこちらになります。

 斉藤和義で「幸福な朝食 退屈な夕食」。

 今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい~。

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疲れた28歳男性は確定申告と低い自己評価に悩む

 両目洞窟人間28歳男性はここのところダメダメな日々を送っていたのであった!とりあえず相変わらずですがよく寝ています。とにかくよく寝ています。先日、友人の取材にカメラマンとして付き合ったのですが、1日動きっぱなしだったのもあって翌日は1日寝込むという羽目になりました。相変わらず体力がありません。どうしたもんでしょうか。慢性疲労なのかと疑うレベルで本当に体力がないし、疲れまくってる。

 一人暮らしの家に帰ってきて一ヶ月経つのに、寝てるか人に会うか、くらいなもんで全然映画も見ていないし、本も読んでないし、ゲームもしていない。家にいるときはラジオを聞いているか、料理の動画を流しているか、耳かき動画を見ているかだ。

 耳かき動画というものがこの世にはありまして、耳垢が取れていく様を延々と流している動画があるのです。正直、面白くもなんともないのですが、とにかく気持ちが無になるのでそれを見続けています。どうしたもんでしょうか。あのこの世の面白いコンテンツは全部摂取するんだ!と息巻いていた私はどこへいってしまったのでしょうか。

 そんなこんなで無な時間ばかり過ごしているうちに2月は終わり、3月も1週目を超えようとしています。私は少しでも無ではない時間を過ごしたいと思い、這い起きて、服を着替え、電車に乗り、定食屋で生姜焼き定食をかき込んで、そして平成最後の楽園ドドールにやってきました。

 ドドールの喫煙室に入った私はこのように日記をぽちぽちと書いている。せめて無にならんようにと日記を書き綴る。頑張れ両目洞窟人間。今日を何にも無かった日ではなく日記を書いた日にするのだ!

 


 無職になったのでどうやら確定申告をしなきゃいけないらしい。とりあえず無職になったときにもらった源泉徴収票を探そうと思ったら、想定していた場所になくて泣きそうになった。私はなんてダメな人間なんだ・・・といつもの如く自己評価を下げまくりながら探し続けていたら本と本の間にあった。見つかって良かった。あとは確定申告をすればいいのだけども、どうやってやったらいいのか全く検討もつかない。とりあえずは市役所にいけばいいのか。それとも家でそれなりになんかやらなきゃいけないのか。わかっているのはこのままやと何にもできないってことだけはわかる。とりあえずネットで調べなきゃなと思いつつ、好きで無職になったわけじゃないのになぜこんな難しいことをしなければならないのだという不満であった!くそー。

 


 しかし無職なのに税を払いすぎているっていう事実も嫌なのでやらなきゃいけないんだろうなと思う。見過ごしたい。しかし払いすぎている税金は帰ってこない。なんなんだこの人生は・・・と私はすぐに嫌なことがあると人生というスケールで物事を捉えて落ち込む。落ち込んでいる暇はないぞ両目洞窟人間。やらなきゃかえってこないのだ。無職にとってお金は本当に大事なのだ。ちゃんとやろう両目洞窟人間。頑張れ両目洞窟人間。

 


 先日、友人から「両目くんは文章も書けて、才能もあるんだからそんなに自己評価低くなくていいと思うよ」と褒められたのであった。嬉しいことであった。それと同時に自分がなぜここまで自己評価が低いのかが疑問になってしまった。

 自惚れるということをしたことがない気がする。私は凄いのだと思ったことがない。常に「あぁ・・・」と声にならない絶望をはき出している気がする。しかし、褒めてくれる人もいる。自己評価が低いとその褒めてくれた人たちに対する失礼になってしまう気がする。なので、自己評価を高めないといけないなと思った。自信を持つのだ。根拠の無い自信でもいいから持つべきなのだ。

 しかしながらそういうことができないから自己評価が低いってのもあるしなーと考えがぐるぐるしてしまう。めんどくさい人間であるとやはり思ってしまう。

 何度もカウンセラーさんに言っているはずなのに、その都度忘れてしまうという自分の脳のキャパの少なさにびっくりしながらも、明日診察の時にもう一度聞いてみようと思う。なぜ私は自己評価が低いのだろうか。そしてどうやったら自信というものを持てるのだろうか。

 28歳男性なのに、なんだかぼんやりした不安にばかり襲われてしまっているよ。元気になりたい。自信をつけたい。頑張りたい。これ以上書くと、不安の谷に落ちてしまいそうなので、ここでやめておくことにする。

おわり。f:id:gachahori:20190307202916j:image

昼夜逆転と浅草ロック座に行った話。

 深夜三時になっても寝付けないので文章でも書くことにする。最近は睡眠薬を飲んでいない。飲まなくても眠れるようになったからだ。でもその代わり、昼夜逆転は治っていない。なかなか治らない。夜になっても寝付けない。なのでぼんやりと夜を過ごすことが多い。昼間よく寝てしまう。最近は時間があるのに、全く時間がないような感覚になるのは起きている時間が夜だけだからだろう。どうしようもない日々って感じだ。

 そんなことをメンタルクリニックソーシャルワーカーさんに伝えたら、朝決まった時間に起きて、陽の光を浴びるようにしてくださいと言われた。そして夜は無理して寝ないようにとも。毎朝9時には陽の光を浴びようとしているけども、なかなかうまく行かない。9時に目が覚めなかったりする。そして結局気がついたら昼間ってことも多い。28歳男性にもなって昼夜逆転に悩んでるってのも変な話だけども。

 28歳男性なのだ。3月になったのもあって、あと28歳男性でいることができる期間も半年を切ってしまった。時間が経つのは早い。あっという間だ。でも、なるべく時間を長く感じたいからこうやって文章を書いているのかもしれない。私はなるべく生きている感覚を保っていたい。でもここ一ヶ月は人に会って楽しく喋っていた時間以外は死んだような時間を過ごしていた。ちゃんと生きたい。そのためにも昼夜逆転を治したいと思う。

 


 先日、浅草ロック座に行ってきた。浅草ロック座はいわゆるストリップ劇場だ。ストリップを見てきた。と書くと、なんていうか、嫌な顔をする人もいるだろう。私も学生時代ストリップを見たという友人の話をほぼ苦笑いで聞いた記憶がある。友人はそのとき「浄化されたような気分になった」と言っていた。そのときの友人に謝りたい。私も「浄化された」のだ。

 ストリップだから女性の方が踊り、そして裸になる。でも、それだけじゃないのだ。何がそれだけじゃないと思わせるのかわからない。しかし、それだけで終わるものではないというものを見てしまった気になった。もっと言えば崇高なものを見てしまったという気になった。

 でもストリップって崇高なものなんだよー性産業じゃないんだよーって言いたいわけじゃない。ストリップは性産業という側面も勿論あるし、それだから成り立っている商売ということもあるだろう。

 じゃあどう伝えれば、私が見た物を伝えられるだろうか。

 いや伝えられないのだろう。私が見た物を100%伝えることは不可能だろう。

 でも、何かを感じ取ったということは伝わるはずだ。佐々木中が文章を書くこともダンスなのだと言っていた。私に踊りは踊れない。でも、文章は書くことができる。

 この文章はなるべくあの場で踊っていた踊り子の皆様に失礼がないように、それでも自分なりに踊るように書ければと思う。

 音楽が鳴り響き、照明が踊り子を照らす。踊り子はその中で様々な踊りを披露する。ストーリーがある。物語がある。抽象化された物語を踊り子は踊りで表現する。私はそれをただ見ているだけなのに、その物語が伝わる。

 踊り子が服を一枚一枚脱ぐと、裸体があらわになる。私にはない美しさを持っている。私は汚い人間だと思ってしまう。綺麗なものを見たと思う。女性にしか出せない美しさを私はそこで感じる。

 美しさ。そうだ、美しさを感じるのだ。私は踊り子さん達の踊りと裸体を通して、美しさを感じるのだ。

 武藤つぐみさんの話をどうしてもしておきたい。私がストリップに興味を持ったのは武藤つぐみさんという凄い方がいるという話を神田松之丞という講談師のラジオで聞いたからだ。武藤つぐみさんの踊りは凄まじかった。エアリアルという技らしいが、空中を舞う姿に私は拍手を送り、その拍手すら感動で止まり、気がついたら手が拝みの方になってしまっていたほどだった。

 その技ができるようになるにはどれくらいの練習が必要なんだろうか?才能と技術と鍛錬の積み重ねによってしかできないような技。それがもう少しで触れれるような距離で行われている。空中を舞っている。

 夢のような光景があるとすれば、これだと思った。それが人の肉体を通じて、表現されているのだ。

 今まで見た物、聴いた音楽、触れてきた書物が遠くなるような感覚。そんな感覚がたった1人の女性によってもたらされたのだった。

 


 私には「初心者が見た!ストリップガイド!」みたいな文章は書けない。これは自分の癖と怠慢によるものだ。でも、冷静さを欠いた文章なら書ける。主観しかない文章なら書ける。私はただただ武藤つぐみさんの踊りを見て、冷静さを欠いてしまうほど感動したのだった。

 最後まで見て、もう一度見たいと思って、もう1ステージ見た。

 武藤つぐみさんだけでなく他の踊り子の皆様全てが素晴らしかった。香山蘭さんという方の色気あるステージにも感動した。どうしてここまで色気が出るんだろうと思って、そして汚らしい自分と比較して少し悲しくなってしまった。

 フィナーレで観客も一緒に踊るというところで、武藤つぐみさんが近くまで来て「いいねー」と褒めてくれた時、私は嬉しくて赤面してしまった。あのときは恋する14歳のような顔になっていたと思う。

 結局4時間近く見ていたわけだけども、そんな長さは感じなかった。もっと見ていたいと思うほど素晴らしい時間だった。浅草の街を歩く私は冷静さをすっかり欠いてしまっていた。

 


 以上が浅草ロック座でストリップを見てきた話になる。何を長々と書いているんだって話だけども、熱量が伝わればなと思う。具体性のことを書いていないのに、熱量だけ伝われと思うのは傲慢だけども。

 でも、具体性のあることなんて書いてはいけないと思った。こればっかりは実際に見て欲しいと思ったのだ。目で、肌で、感じていただけたらと思った。

 私にできるのは見てきた光景を具体性なく、ただ感情を踊るように書くだけだ。

 つたない踊りだったに違いない。

 酷いステップだったに違いない。

 それでも、この私の踊りを見て、浅草ロック座に対して興味を持っていただけたらこれ以上に嬉しいことはない。

 そこでは素晴らしい踊りを見ることができる。

 美しい世界が広がっている。

 私はただそれに触れただけだ。

 そして冷静さを欠いただけだ。

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繋がらない日々を繋ぎにいくぞ。

 小説『ハローワールド!!!』を書いて2週間が経った。あっという間の2週間だった。その間に私は実家から関東の一人暮らししている家に戻り、ぼんやりすごし、今はドトールでこの文章を打っている。

 スティーヴン・キング先生の『書くことについて』という本によれば小説が書きたければ「よく読んで、よく書くこと」らしい。というわけで小説が書きたければよく読まないといけない。今はキング先生の『IT』をちびちび読んでいる。270ページ読んだがまだ何も起こっていない。ドラマで言えば第1話って感じだけども、それでも面白い。なんでこんなに何も起こっていないのに面白いんだろう。ずっと恐怖の予感があってその予感に触れるのがたまらなく興奮する。そんな物語を書けるキング先生すげえなと思いつつ、読んでいる。

 つぎに何を書こうかと思う。何を書けばいいのかなと思う。キング先生は「書きたい物を書け」と言っていた。私は何が書きたいんだろうか?

 


 ここのところの生活といえば、全くダメという一言につきる。とにかく眠り続けていて、「まとも」という観点からいえば外れに外れまくった生活をしていた。私はまともにならなきゃいけないなと思っている。ちゃんとお金を稼げる人間に戻らないといけない。

 働いて、その金で生活をする人間にならなきゃいけない。

 飢えることがとにかく怖い。お金がなくて先が見えなくなるのがとにかく怖い。

 だからまともになって、働かなきゃいけないと思う。

 しかし現実は部屋で寝続ける28歳男性が一人だけ。まともからはほど遠い。

 毎日、ぼんやりとラジオを聞くだけ。「アルコ&ピース D.C GARAGE」「ハライチのターン」「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」。

 あとはとぼとぼと歩くのみ。毎日1万歩をめざしてとぼとぼと歩いている。そんな日々だ。これがどこかに繋がるのかなと思っている。この道の先は何にも繋がっていなくて、私はその行き止まりで慟哭をして、打ち死んでしまうのかなと思っている。

 


 次に書くもの。それが何かわからないけども、こんな風な不安を物語の中だけでも救い出せるものが書けたら。それを書くべきなんじゃないだろうか。今、感じている不安を救えるような物語を書くべきなんじゃないだろうか。

 恐怖。そこから抜け出す物語。とかく生きづらいこの世界をなんとかサバイブする物語。一瞬だけでも、救いを見いだす物語。それを通して、世界で生きていこうと思える物語。

 それを書くべきなんじゃないかって思う。

 それをどうやって書くかなんてわからない。

 でも多分いつものように、1文目さえ思いついたらあとは書ける気もする。

 その1文目を思いつくのが大変なんだけども、それでも1文目さえ思いついたら、あとは掘り出すようにその物語が書けるはずだ。そんな根拠の無い自信が湧いている。この根拠の無い自信は大事だ。

 この世界でサバイブするための物語を。行き止まりかもしれない道を歩いている人たちに救いになるような物語を。

 それを書こう。だってその不安はみんな感じているわけじゃない。でも私は感じれている。そしてそれを感じている人はいるはずなのだ。その人に届くものを書こう。そして自分が救われるものを書こう。

 


 そうだ。書く物は決まった。あとは書けるために「たくさん読もう」。たくさん吸収していけばある瞬間、1文目が思いつくだろう。そうなればこちらのもんだ。

 繋がるかわからない日々を過ごしている。ただ不安になるのは簡単だ。繋がらないのならこちらから繋いでやる。この無為な日々が繋がったと思うようなものを。それを遠くの誰かに届く物に仕上げてみたい。そんなことを考えながらドトールにこもろう。ドトール、それは人類最後のサンクチュアリドトールこそ希望だ。その希望の中で、ポメラを開こう。ちゃんと完成させるために。繋がらない日々を繋ぎにいくぞ。

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空っぽな私は本を読むことにした

 空っぽやな、私は。とついつい思ってしまう時はやばい状態になっている証拠で、そんなときはどうしたらいいかと思うと、結局本を読むしか無いのではないかと最近は思っている。

 映画でも音楽でもなく、本な気がする。頭に直接文字をたたきこんでいって、小説ならば物語に身をゆだねたりすること。その他の本なら情報の海に身を投じることで、幾ばくかの空っぽな自分という感覚からは抜け出せる。そんな気がした。

 でもなんで映画じゃだめなのか。音楽じゃだめなのか。それはわからないけども、個人的には音楽は常にサウンドトラックのように鳴り響いているもので、空っぽを埋めるものにはなり得ないということ。そして映画は空っぽの時は見れないということがある。

 映画はある程度精神が満たされている時じゃないと個人的には見れないのだ。まあ、映画館でも行って、席に座ったら見れちゃうものだけども、それでも空っぽな気持ちの時は映画館に行く気力も、Netflixで映画を見る気力も湧かない。

 でも、本ならばページを開いて、目を通すだけで、その場で物語の世界に身を投じれる。その間は空っぽだという気持ちにはならなくてすむ。そういうことなのではないかと思ったりしている。関西で言うところの「まあ知らんけど」ってことだけど。

 最近は本を読んでる。具体的にはスティーヴン・キングの本を読んでいる。突然スティーヴン・キング強化月間が始まったのだ。

 まず最初に読んだのはスティーヴン・キングが「小説の書き方」について書いたその名もずばり「書くことについて」という本だった。これがあまりに面白くて400ページ強の本だったけども一日で読み切ってしまった。特に「書きたいのならば、沢山読んで、沢山書くことだ」という言葉に感銘を受けてしまった。余計に本を読まねばという気持ちになったのはこの言葉があったからだった。

 それから小説に手を出した。家にあった『ゴールデンボーイ』だ。ここに収録されている『刑務所のリタ・ヘイワース』が読んでみたかったのだ。『ショーシャンクの空に』の原作で、刑務所に投獄されたアンディという男の30年にわたる物語だ。夢中で読んでしまった。最後の方、電車で読んでいたんだけども、最寄り駅に着いたところで残り30ページで家に帰るまでにどうしても読みたいという気持ちになり、寒い待合室でむさぼるように読んだ。いい話だった。

 「希望はいいものだ。たぶんいいものだ。そしていいものは死なない」という言葉が心に残った。私こと両目洞窟人間(28歳男性)は刑務所にいるわけじゃない。自由の身なのに、そんな希望を胸に宿しているか?という気になった。本を出したい。文学フリマに出展したいという気はあれど、そこまで死なない希望かといえばわからない。だからこそ、希望は宿さないといけないと思った。そんなことは頭の中に、一陣の風のように吹き込んだ。

続けて読んだのは表題作の『ゴールデンボーイ』だ。

こちらは恐ろしい話だった。ナチスの元高官と少年の交流が次第に恐ろしい出来事を招くという物語だけども、人は何かのきっかけがあればモンスターになりえるのかもしれないと思わされた。そしてそのきっかけは些細なものかもしれない。自分の中にある悪意を増幅させた結果かもしれない。だけども、それが一度でもその沼に足を突っ込んだが最後、もう抜け出せなくなってしまうんだと心底私は恐れてしまった。怖い物語だった。

 とこのような感じで、キングさんの本を最近はむさぼり読んでいる。読む前に自分の中にあった「空っぽ」という感覚は気がついたらあまり感じなくなっている。やはり、読むべきなのだろう。空っぽだと感じている時は本を読むべきなのだろう。

 というわけで今は『IT』を読み始めてる。全4巻という大作だけども、とにかく今から読み進めるのが楽しみだ。どんな物語なんだろうか。どんな世界に連れて行ってくれるのだろうか。本は開くだけで、文字を読み進めるだけで、遠くの世界に連れて行ってくれる。そしてそれは時に希望をもたらし、時に恐怖をあたえ、そして空っぽであるという感覚をぬぐい去ってくれるものだ。

 

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

 

 

ゴールデンボーイ―恐怖の四季 春夏編 (新潮文庫)

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